星ヲ撒ク者ドモ   作:眼珠天蚕

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Irresponsive Hate Anthem - Part 1

 ◆ ◆ ◆

 

 ニファーナが『現女神(あらめがみ)』として覚醒する以前より、エノク・アルディブラと親交のあるプロジェス都民はこう語る。

 「彼はまさに、天の御遣いです!」

 エノクに対する都民の印象を文字化すれば、"奇跡の使い手"と表現できるだろう。手を(かざ)せば、魔法科学を取り込んだ医学で(もっ)ても治療の難しい傷病をたちどころに快癒させてしまうのだ。不幸にも死を待つばかりの奇形として生まれついた赤子を、手を翳す行為だけで五体満足な形状へと変えたことすらある。

 勿論、彼の能力(ちから)にも限界はある。老いや天命を退けることは、流石に不可能だ――それを成せるのは、真なる神の御業だけだろう。

 その制限を突いて、エノクを罵った者も当然存在する。だが、大部分の者達はエノクの能力(ちから)に満足していた。

 それに、エノクは卓越した癒し手であると同時に、無双と称される程の都市国家の護り手でもあったのだ。

 プロジェスを支配下に置こうとするあらゆる勢力からの侵略に対し、エノクが相対すれば、敵は必ず大きな被害を被って退散する。そして、二度とプロジェスに近付こうとはしなかった。

 そんなエノクが歓迎されないワケがない。故に、彼は"若神父"の二つ名でプロジェス中から親しまれ、尊敬の念を集めてきたのだ。

 

 だからこそ、エノクがこのテロリズムを企画した時。彼を慕う多くの者が賛同者となり、喜び勇んで忌むべき呪われたテロリストへと身を落としたのだ。

 

 他方――プロジェスの外部におけるエノクの評価は、内部の評価と真っ向から食い違う。

 「あいつが"神の御遣い"だぁ!?

 ふざけるな、バカ言ってんじゃねぇ!

 あんな怪物が、カミサマの遣いなワケねぇだろ! 悪魔の間違いだろ!」

 エノクに叩き潰された侵略者達に彼の事を尋ねれば、(すべから)く、彼らは頭を抱えてブルブルと震撼し、そう喚き散らすことだろう。

 彼らがエノクの事を想起すれば、脳裏を過ぎるのは恐怖一色の記憶なのだ。

 ――何を以て、[(エノク)を"怪物"と称するのか? そう尋ねれば、彼らはまん丸く見開いた眼で恐怖の記憶を掘り起こし、交戦の際にも垂れ流したであろう、滝のような冷たい汗を噴き出しながら語る。

 「初めは…初めは、ヒョロい兄ちゃんが一人突っ立ってるだけだと思ったさ…!」

 交戦の際、エノクは侵略勢力と相対するにはあまりにも貧弱な装備しか身に付けていなかったという。身には機動装甲服(MAS)はおろか、魔化(エンチャント)をふんだんに付与した防護服すら纏っていない。普段通りの、見た目そのままのシンプルな神父服姿であったという。

 一方で、流石に武器は所持していたようだ。しかし、その武器というのは――拳銃一丁のみ、であったという。フルオート式だとしても、軍隊と呼べるクラスの大勢を相手にするのは、常識的に考えて無謀としか言いようのない武装である。

 しかしエノクの持つ拳銃は、魔化(エンチャント)のされていない、凝った装飾だけが目を引くような、儀式用と断じるほかないような代物であった。

 この姿を見た侵略者達は、嘲笑や爆笑を浴びせ、エノクを卑下するばかりであった――のだが。

 「その拳銃一丁だけぶら下げた相手に、メッタクソに、ズタボロに、負かされた――!」

 エノクが引き金を引き、パァンと乾いた銃声が戦場に響くと。飛び出したのは金属の弾丸――ではなく、銃身の容積を遙かに越える体積を有する、全身を白銀の鎧で武装した六翼の天使である! 擁する4つの腕の内、二つには馬上槍(ランス)を持ち、残る二つには頑強な縦を有している。

 エノクが引き金を引く度に、この天使達は数を増して直ちに飛び立ち、侵略者達へと突撃。彼らの術式弾丸を白銀の装甲で何事もないかのように弾き飛ばしながら肉薄すると、眼窩やズブリと貫いて後頭部から脳髄ごと槍の切っ先を突出させる。天使達は、そうした容赦のない攻撃を嵐のように浴びせ、侵略者達を次々に屠ってゆく。

 この戦況下において、当然ながら次のような思考に至る知恵者が現れる。

 ――術者本人を(たの)せば良いではないか!

 この天使がもしも『現女神(あらめがみ)』の生み出したモノであっても、その術者本人と言える『現女神』を斃せば『天使』を構築する『神法(ロウ)』は崩壊し、『天使』は存在できなくなる。これが単なる人間の所業であるなら、尚更のことだ。

 エノクの拳銃が生み出した天使の猛攻を潜り抜け、彼に接近する猛者が徐々に現れる。凶刃や凶弾を手にし、エノクの肉体から魂魄を引き剥がそうと、どす黒い殺意を抱いて雪崩かかる。

 「だがよ――マシだったんだ、天使どもの方が。いくらあの能力(ちから)が強かろうと、まだヒトとして理解出来る強さだったさ!

 だが――あいつの本体の所業は、ヒトじゃねぇ!」

 仇敵に周囲を囲まれ、窮地に陥るエノク――その体に、異変が起こる。

 その"姿"を目にした者は、誰もが目玉を丸く見開いた事だろう。

 そして雪崩かかった者達は、驚愕と怯懦の表情を顔に浮かべたまま――体中に十字の穴を無数に開けられて、大地に伏してゆく。悲鳴を上げる間もなく、肉が破裂するような音もなく、電池切れした玩具のようにフッと力を抜いて、ドサドサと(うずたか)く積もってゆく。

 その所業を為した時のエノクの姿を思い出すと――侵略者達は嘔吐感を堪えるように口元に手を当てて、ヒックヒックと嗚咽を上げる。実際に、目尻には熱い涙が大きな滴を作っている。

 

 彼らは、脳裏に浮かべた(エノク)の姿を、様々な言葉で形容する。或る者は、酸性雨によって葉の禿げた針葉樹と表現する。或る者は、イソギンチャクやウミユリといった、異様な形状をした海洋無脊椎動物と表現する。また或る者は、ナナフシやムカデと言った、長大にして多足の蟲と表現する。

 どう形容しようが、彼らのエノクに対して抱く感情は(おおむ)ね統一している――。

 「あんなの、神に仕える聖職者の格好じゃねぇ! ヒトを取って喰う悪魔そのものだろ!」

 ――さて、そんな彼らに、エノクが『現女神(あらめがみ)』の傘下に下り、『士師』として更なる力を得た事実を伝えると。彼らは(すべから)く、蒼白の顔面から更に色を失い、気が違ったかのようなひきつった笑みを浮かべて、震撼しつつ乾いた笑い声を上げる。

 「ウソだろ、おい、ウソだろ…!

 アレが、更に『神法(ロウ)』の力を手に入れただと…?

 おいおいおい、ふざけんじゃねぇよ…そんなの、怪物どころの話じゃねぇだろ…!」

 その時、或る者はエノクについて、こんな言い得て妙な評価を口にする。

 「ヤツが『士師』になったとしたら、それは罪人を改心させる聖職者じゃねぇ。

 罪人を(なぶ)って追いつめ、永劫の地獄の中に放り込む閻魔だ…ッ!」

 

 ◆ ◆ ◆

 

 紫がザイサードと交戦を開始するよりも、少し時間を遡る。

 

 紫と分かれ、ニファーナの居るであろう『神霊圧』"擬き"を強く感じる通路の先へと進む渚は――厄介極まりない"問題"と直面している。

 (なんなんじゃ、こいつらッ!)

 渚は、床のみならず、時には壁や天井までも蹴って跳びながら、通路の先を急ぐ。

 そんな彼女の背後に執拗に迫るのは――6体の天使だ。

 地上で戦った呪詛に由来する黒い『天使』とは明らかに違う。6体とも色調は神聖さを醸し出す純白か白銀色だ。そして、黒い『天使』が発していた、意識を押し潰して鬱屈の奈落へと叩き落とすような『神霊圧』は全く感じない。

 6体の天使は、2つのタイプに分けられる。

 6体のうちの2体は、通路の照明を(まぶ)しく照り返す、白銀色の鎧に身を包んだ騎士を思わせる天使だ。白銀色の金属の羽根が合わさって出来た翼は3対あり、これらを金属とは思えない軽やかさと柔軟さで扱い、銀の烈風となって渚を追いかける。その右手には、これまた輝く白銀色を呈する長大な馬上槍(ランス)を持ち、左手には女神の顔を刻んだ白銀の盾を手にしている。

 彼らの飛行速度は非常に素速く、渚がどれだけ距離を開けようとも、即座に距離を詰めてくる。

 (まるで、弾丸じゃなッ!)

 これらの天使をそう評価する渚は、天使が間近に迫り、馬上槍(ランス)を振るおうとして来たところをかいくぐり、蹴りや拳を浴びせて撃退する。騎士の天使は突進の方向を逸らされると、通路の床や壁に激突、馬上槍(ランス)を通路を囲む金属に虚しく突き立てる。

 すると、バガァンッ! と恐ろしい破裂音が響き、床や壁を構築している金属板が()ぜるように歪むのだ。そして、一気に金属疲労が限界を迎えたようで、痛々しい亀裂が蜘蛛の巣のように走る。

 一方、天使を蹴り殴った渚の手足にも異変が生じる。蹴った時には、靴の裏から煙とともに、ゴムが溶融した時の異臭が鼻を突く。殴った時には、思わず手を引っ込めたくなるほどの熱を得て、拳が赤く腫れ上がる。

 (まるで、というよりも、弾丸そのものではないのかや!?)

 渚は思わず、そんな感想を抱いてしまう。渚を目掛けて、脇目も振らずに一直線に飛んでくる行動も、"弾丸"の印象を強めている。

 他方――残り4体の天使は、光をそのまま反射するような純白の衣を身に着けた、掌サイズの小さな個体だ。指二本分ほどの大きさの翼を一対持ち、これを羽ばたかせて渚を追い回している。

 彼らには、顔がない――目・鼻・口の無いのっぺらぼうなのだ。それでも彼らには鋭敏な感覚が備わっており、ツバメのようなアクロバティックながらもコンパクトな飛行で渚に襲いかかる。

 彼らの動きは、騎士の天使に比べると数段劣る。動きこそツバメに似るが、その速度は灯火の周りを飛び回る蛾のようにゆるりとしている。それでも渚の脅威と成り得るのは、彼らの厄介な性質にある。

 彼らは十字を伴う目映(まばゆ)い輝きと共に空間転移し、いきなり渚の眼前に現れることが度々あるのだ。そして、手にした物騒な獲物を振り回して、血肉を剥ぎ取ろうとしてくる。

 獲物は4体それぞれで異なる。ハサミ、カマ、オノ、そしてカミソリの二刀流だ。渚はこれらの刃の嵐を、かなりの気を遣って潜り抜ける。間違っても、"切り傷の一つ位大したことない"、と軽んじたりはしない。――それで渚はすでに、居一度痛い目を見ている。

 オノによって腕をうっすらと傷つけられた事があった。切り裂かれた服の合間から見えた傷は極々浅いものであった。しかし――。

 (なっ!)

 傷口がグチュグチュと動き始めたかと思うと、膨れ上がり、傷つけてきたオノの天使と同じような姿を取り始めたのだ。渚は慌てて己の拳で己の傷口をブッ叩き、膨れた肉を潰して散らした。お蔭でうっすら程度の傷は、ドス黒く内出血して抉れた、痛々しいものへと変じてしまった。

 しつこく眼前に転移してくる天使を、渚は拳と蹴りとで叩き飛ばし、二度の負傷を許さない。天使たちは派手に天井や壁に太き飛ぶと、ベチャンッ! と熟れたトマトを落とした時のような音を立てて破裂する。が、直ぐに十字を伴った輝きに包まれると、何事も無かったかのように再生。直ぐに渚を追い回すのである。

 (しっつこい奴らじゃのう!

 本物の『天使』顔負けの性質じゃな!)

 ――そう、渚の指摘する通り、これらの天使は『現女神』の『神法(ロウ)』によって生み出される『天使』ではない。

 何より、『神法(ロウ)』に由来する『神霊圧』が全く感じられない。通路内にこそ『神霊圧』が充満しているのはヒシヒシと感じられるが、この天使達からは如何なる神霊的な威圧も畏怖も感じられない。それはつまり、これらの『天使』が単なる使い魔である事を意味する。

 実際、形而上視認することで、これらの天使の存在定義を支えて操る、意志の"糸"をクッキリと見て取ることが出来る。呪詛で作られた"黒い『天使』"の出来映えに比べると、あまりにも露骨で偽装する気などサラサラないようだ。

 この点を把握した事も、渚がこれらの天使と真っ向勝負したがらない理由である。力を尽くして倒したとしても、術者にはさほど痛みはないだろう。それどころか、こちらの実力を危惧され、さらに厄介な対応を起こされる可能性すら考えられる。

 ここは、極力相手にせずに突っ切って、術者自身に一発かましてやるのが良策だ。

 「ほれほれ、道を開けんかいッ!

 いたいけな女子を誘拐するような、おぬしらの下衆なご主人様に用があるんじゃいッ!

 さっさと散れぃッ!」

 渚は眼前に転移してきた小さな天使を拳足で吹き飛ばし、こじ開けた空間の中に飛び込んで、背後から迫る騎士の天使を回し蹴りで迎撃し、その反動で跳んで前進する。

 身にかかる『神霊圧』のビリビリした感じは、通路を進む程に強くなってゆく。――正確には『神霊圧』には成り得ない代物なのだが、魂魄干渉を引き起こす程の真に迫った威圧感が細胞を揺さぶる。

 それは、強烈な呪詛が為せる所業なのか?

 それとも、ニファーナを(さら)った元『士師』が威嚇目的で曝しているものなのか?

 はたまた――元『現女神』であるニファーナの身に、何か妙な現象でも起こっている証なのか?

 考えられることは様々だが、この目で確かめるまでは、どれも単なる予測の範疇を出ない。結論を出すためにも、今は前進あるのみである。

 

 そして遂に――渚は、"その間"の元へと辿り着く。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 渚が、その両開きの扉を目の前にした時。直ぐに、この向こう側に天使を操る術者と、囚われているニファーナが存在する事を確信する。

 『神霊圧』"擬き"の流れが、扉の内側から奔流のように(あふ)れ出している事を知覚した――というのも大きな理由の1つだ。

 加えて気になったのが、形而下の感覚的にも明白な、1つの異変。扉の隙間から漏れ出す、目映(まばゆ)い純白の輝き。錆の蔓延る金属の光景を一気に塗り潰し、聖なる世界へと飲み込んでしまいそうな閃光。

 相手が"若神父"と呼ばれているような相手ならば、いかにも『現女神(あらめがみ)』を迎えるために(しつら)える舞台に相応しい、宗教的神聖感。

 

 (邪魔するぞいッ!)

 渚は一瞬行き足を止めた、その直後。弾丸をも越えるような加速で地を蹴り、両開きの扉に跳び蹴り。

 衝撃を真っ向から受けた扉は、バガァンッ! と大きな音を上げながら、錆の粉をバラバラと派手に振り撒く。そしてクシャクシャにされたダンボールのようにひしゃげながら、室内へ砲弾のように吹き飛ぶ。

 こうして遮蔽物を失った、純白の輝きの漏れる室内の様相とは――。

 

 天国、そして同時に、地獄。

 そんな言葉が、渚の脳裏に咄嗟に浮かぶ。

 扉の隙間から漏れていたものと全く同一の、存在を塗り潰してしまいそうな程に目映(まばゆ)い閃光が、幅と奥行きだけでなく、高さまで広大な室内を照らしている。もしかすると、この室内は空間拡張の魔化(エンチャント)によって形成されたものなのかも知れない。

 純白の輝きの中、まず目に付くのは――室内の床の大半を埋め尽くし、凹凸の激しい小高い丘のようにドッシリと存在する、巨大な物体。神々しい純白の輝きの包まれているがために、宗教哲学的に難解なオブジェのように見えたそれだが――よくよく目を凝らし、無機質な客観視に徹することで、その印象が大きな間違いである事に気付く。

 それは、神々しいどころの話ではない。無神論者がノリで作った十字のアクセサリー程の清々しさすら存在しない。

 それは、ウジに(まみ)れた腐肉と同等の、生理的嫌悪感を否応なく喚起させる、無惨の産物だ。――事実、それは大量の血肉で形成されている。筋肉、血管、臓器、脳髄に脊髄、骨――それらが煮凝(にこご)りのように集まって生み出された、禍々しい有機機械。それらの部品一つ一つが、人体に由来するものであることを、本能が瞬時に悟る。

 (外道の極みじゃな…!)

 渚は思わず、奥歯をギリリと噛みしめて憤りを露わにする。

 次いで渚が目にしたのは、この巨大な有機機械の上部に存在する、特徴的な2種類の存在である。

 まず1つ目は、目映(まばゆ)い>輝きを燦々(さんさん)と振り撒く天井スレスレで、円を描いてクルクルと回転する8体の巨大な天使である。縦長の体は、純白の大きなローブに身を包み、胴の前に付きだした両手で巨大な水晶の剣を手にしている。水晶の色は濁りのない搾りたての牛乳のような乳白色で、純白の輝きの中に溶けてしまいそうだ。ローブの内側は濃い陰になってよく見えない。もしかすると、中には何もないのかも知れない。

 この8体の天使達は、不可視の顔面から、よくビブラートの聞いた、高低入り乱れた音程で、聖歌を口ずさむ。

 「幸いなるかな、幸いなるかな、幸いなるかな。

 諸手を天へと差し伸べ、燦々たる光の前に涙し、歓喜せよ。ひたすらに歓喜せよ。

 我らが神、再びここに降り立ち出ずる時来たれり」

 この8体の天使の回転の中心の真下に、もう1つの特徴的な存在がある。

 それは、有機機械の一部が異様に鋭く、そして高く(とが)って突出した、針山のような塔だ。その先端付近に、ある人物の姿が腰掛けている姿が見える。

 数人の人物の体がゴキゴキと折り畳まれて作られた、不気味な血肉の椅子の上。一糸纏わぬ姿で、堂々たる有様ながら、昼寝に興じているかのように瞼を閉じたその人物は――渚も今やよく知る人物、ニファーナ・金虹である。

 眠っているようなその姿を見ていると、ニファーナはフラリとバランスを崩して椅子から転げ落ちそうにも見える。しかし、そうはならないのは、血肉の椅子がニファーナの背や腿にシッカリと吸い付いて固定しているからだ。

 (裸の少女に、グロテスクの肉なんぞ…猟奇趣味にも程があるわいッ!)

 

 さて、渚はこの部屋の光景を破壊すべく、地を蹴って室内へと突撃する。

 目映(まばゆ)い純白が、地獄の光景さえも神聖化する輝きの世界の中へ、その身を入れた――転瞬。渚の身に、痛々しい異変が起こる。

 それが発生した時、渚は一切の衝撃を受けなかった為、その事象を他人事のように認識してしまった。

 しかし――純白の世界の中に、クッキリとした霧のように舞い上がる蒸気のように細かい血液の滴と――腕を初め、体中の至るところが(にわか)にグズグズと熱を帯びた激痛を訴えるようになると。渚は己の腕に視線を走らせて、ようやく自分の身の上に起こった異変を認知する。

 掌や手の甲、そして腕を被う制服に、まるでクッキーの型を大量に押し付けられたかのような、小さな十字架状の傷が幾つもポッカリと開いている。断面は切れ味の鋭い刃物で咲いたように垂直且つ真っ平だ。腕については、制服のみならず、そのまま真下の皮膚を抉って傷が出来ている。

 これらの傷は、心臓の鼓動に合わせるように、ドクドクと真紅の血液を噴き出す。傷口はあっと言う間に血液によって満たされ、腕中がまるで真っ赤な十字架の入れ墨でも彫り込んだような状態となる。

 痛みのある場所は恐らく、全てがこの傷と同一の状態になっているのだろう。

 そしてこの傷に、渚は見覚えがある。

 (鬱病を呈していた連中の舌に刻まれていた、傷!)

 サイズや出血を伴うなど差異はあるものの、形状だけを見るならば一致と断じても問題ないだろう。

 ――己の体中を穿(うが)ったこの傷と、罹患者の舌の傷が同じ。と云うことは――この部屋を"護る"者と、病魔を振り撒いた元凶は同一人物ということか!

 (つまりは――!)

 渚が結論を出すよりも速く。彼女の間合いに、烈風のように接近してくる人物がある。

 純白の世界の中、真水に落とした墨汁の水滴のように濃密な存在感を醸し出す、黒一色の司祭服に身を包んだ男。その左上半身は大きく抉れて無くなっている――とは云え、怪我によって欠損している様子ではない。断面は千切れた粘土のような有様をしており、惨たらしい臓器や筋肉、血液といった内容物が一切見当たらない。抉れたというよりも、"離れた"――いや"離した"というような感じだ。

 彼の駆ける脚は、室内と同様、目映(まばゆ)い純白の輝きに包まれている。同時に、大型のハトを想わせる翼が数枚生じており、どこか天使を想起させる様相を呈している。

 男は一気に渚との距離を詰めると、この脚を雷光のように振り回し、渚の胴へと叩き込む。渚は十字架の傷が複数刻まれた腕を酷使し、交差させて蹴りを防御する――と。

 ビリビリビリッ! 細胞の一つ一つが弾け飛びそうになるような、激しい震動と衝撃が駆け巡る!

 「うぐぅッ!!」

 思わず呻き、眉をしかめて奥歯を噛みしめる、渚。彼女の体はそのまま、嵐に(さら)われる巨木の枝のように吹き飛び、酷い有様の有機機械へと激突する。有機機械は見た目よりも硬度があり、岩のように渚の体を受け止めたため、背骨に激突の衝撃がかかって鈍痛を呈する。

 渚がチラリと腕に視線を落として、傷の具合を確認すると――思わず、目を丸く見開いてしまう。蹴りを受けた腕を被っていた制服の袖は焼けて破れてしまい、剥き出しになった腕にも高熱を受けたような火傷が生じている。

 この火傷は単に広がっているだけではない。焼き印でも入れたように、傷で文字が描かれている。その文字曰く――。

 "忌むべき邪神、浄化すべし"。

 

 (随分な挨拶じゃのう…っ)

 渚が激突の衝撃を振り払い、有機機械からグラリと体を起こして立つ。すると、彼女に蹴りを叩き込んだ男がスッと直立して真っ向から対峙すると、薄い唇を割って静かに語る。

 「神の名を冠していても、やはり邪。聖域の浄気にて(きず)を得、浄化にて血肉が焼ける。

 所詮は禍物に過ぎない」

 語る男の正体は勿論――元『僧侶の士師』、エノク・アルディブラ。

 

 ――他人(ヒト)を禍物だのとこき下ろしている場合か! お前は生娘を裸に剥いて、奇っ怪な血肉に括り付けている変質者だろうが!

 渚は、そんな文句を叩きつけようと、顔に憤りを交えた嘲笑を浮かべ、桜色の唇を少しだけ開く。

 だが、彼女がそれを成す事は叶わない。何故ならば、通路からずっと彼女を追ってきた6体の天使が室内へと進入。その内、2体の騎士の天使が間髪入れずに渚に突進して来たからだ。

 「まだ来るんかいッ!」

 思わず突っ込みの声を上げながら、渚は傷ついた手足を思い切り振るい、灼熱を呈する騎士の天使を蹴り殴り、弾き跳ばすだけでなく破壊しに掛かる。渚の一撃は練気によって爆発的な勁を得ており、見た目以上の衝撃が騎士の天使を轟々と震撼させる。騎士の天使の表面はベッコリと凹み、もしも中にヒトが入っているのならば、内容物を口から吐き出して絶命しているレベルにまで達する。

 それでも騎士の天使は――非常にぎこちない動きながらも――ギリリと四肢を稼働させて渚を睨み付けると。白銀色の翼をフラフラと動かして、なおも渚に迫る。渚は呆れを通り越して乾いた笑いを浮かべながら、トドメの一撃を見舞うべく、中指の第一関節を立てた拳を握り閉める。勁の一種、黒点針で装甲を貫き砕く算段だ。

 一方、4体の小さな白衣の天使は、渚のことなどお構いなしにエノクの元へと向かう。そして、大きく抉れたエノクの左半身へと飛んで行くと――徐々に形を失い、遂には肌色の正方形と化し、エノクの抉れた左半身の断面へと融合する。するとエノクの左半身は少し膨らみ、抉れ具合が緩和される。

 それを横目で見ていた渚は、"なるほど"と思案する。

 (先の翼の生えた脚による蹴りの一撃と云い、"そういう"絡繰りか。

 あやつは、己の肉体を神聖なる天使へと変じさせる事が出来る。そして、生成した天使を己から切り離し、意のままに操ることも可能…と云うワケじゃな!)

 渚の洞察は、的を得ている。彼女の指摘は、確かにエノクの能力(ちから)を説明している。――だが、全てではない。

 その証に――渚の黒点針が炸裂し、騎士の天使の内の1体を見事に貫き砕いた瞬間のこと。天使はエノクの血肉の破片にでも成るかと思いきや――風船が萎むように体積を減らし、遂に至った姿は…ひしゃげた一発の弾丸だ。

 エノクは己の肉体だけでなく、己の動作で干渉した物体も、天使へと生成することが出来るらしい。騎士の天使は恐らく、エノクが打ち出した拳銃の弾丸だ。

 とすると、天井スレスレを回転している8体の天使も、エノクの体が作り出されたものだろう。エノクの左半身がゴッソリと抉れているのは、彼らを作り出したからではないか?

 (それならばそれで、やりようは幾らでもある!)

 渚がギラリと瞳の奥に知略と決意の輝きを灯した、その直後。残るもう一体の騎士の天使が、手にした馬上槍(ランス)を大きく振るって、渚の頭部をかち割ろうとしてくる。渚は即座に体を反転させて一撃をやり過ごすと、逆に上段蹴りを天使の顔面に放つ。金属製のフルフェイスに被われた天使の顔面を砕くには心許ない攻撃かと思いきや、蹴りの先端は鋭利な衝撃の刃となっており、易々と顔面を両断する。天使に脳など存在するのか分からないが、この一撃によって騎士の天使は萎んで、もう一発のひしゃげた弾丸となって床に転がる。

 邪魔者が居なくなったところで、本命のエノクを相手にせんと、振り返った渚。転瞬、ギョッと目を見開く。エノクが至近距離に接近しており、鷲掴みする手付きを作った右手で渚のわき腹を強かに叩いたのだ。

 パァンッ! 小気味良い、乾いた音が響く。同時に渚は、痛烈な衝撃をわき腹に得た――が、真の苦痛が生じるのは、この直後のことだ。

 「お、お、お、あ、あ…ッ!?」

 渚は非常に奇妙な苦痛に、途切れ途切れの悲鳴を上げる。叩かれたわき腹の肉がギュルリと渦を巻き出したのだ。渦はわき腹の内部、肋骨の先の方や腎臓、小腸などの臓器をもギュルリと絞り上げる。途端に渚は食道を逆流する熱い不快感を得て、顔色が真っ青になる。

 (一端、距離を取る!)

 バランスの崩れた体勢で慌てて地を蹴ろうとする、渚。そこへエノクが、聖句にしては苛烈な雰囲気を纏った一言を居鋭く発する。

 「陰邪、祓うべしッ!」

 転瞬、エノクの右腕が天使化。無数の純白の翼が生えたかと思うと、そこから小さな2つの上半身が生えてくる。小さいながらも筋肉質で全裸の男性の肉体は、手に長い十字架の棒を持ち、それを渚の渦巻いたわき腹に差し込む。わき腹は粘土のようにすんなりと棒を受け入れてしまうと、棒はブチブチと内臓を破いて体内深くへと進入。その後、パァッと目映い純白の輝きを爆発的に発すると同時に、渚の体内に強烈な熱を与える。

 先の蹴りで受けた時と同種の熱だ。

 「あああああッ!」

 渚はたまらず大口を開いて叫ぶが、そこで心が折れるような肝ではない。あまりの激痛で涙を(あふ)れさせながら、グルリと体を回転せて、十字架の棒を体内から強引に引き抜く。そして、回転の勢いのままに、エノクの抉れた左上半身に向けて後ろ回し蹴りを叩き込む。勿論、蹴りには魔化(エンチャント)に加えて勁を盛り込み、爆発的な衝撃で骨身を粉砕する勢いである。

 (そんなにゴッソリと身を抉るような真似をしていては、自ら死角を作っておるようなものじゃッ!)

 渚の蹴りは、当然、無防備な左上半身に叩き込まれるはずだったが――またしても、渚の予測を越えた事態が、彼女の意図を阻む。

 抉れているエノクの左半身の断面から、まるで粘土をこね上げるように肉が細長く隆起すると。そのまま、藁で作った人形を思わせるような、至極細い体躯を持つ天使の上半身が出現。ポキリと折れてしまいそうな程に細い腕で、渚の剛蹴を受け止める。

 (そんな腕、叩き折ってやるわいッ!)

 意気込み、衝撃と共に爆発的な勁を叩き込む――が。天使は、細い体躯に似つかわしくない堅固な耐久力を発揮し、渚の蹴りをガッシリと掴んで、グラリともしない。

 (何じゃと!?)

 驚いて目を丸くする、渚。その一方で天使は細い腕で、渚の体を軽々と持ち上げ、タオルのように彼女の体をブンブンと振り回す。その最中、天使が掴む部位の肉がギュルリと渦を巻き、脚が深いな鈍痛の悲鳴を上げてねじ曲がる。

 (またこの攻撃かッ!)

 渚はギリリと歯噛みしながら、身体(フィジカル)魔化(エンチャント)と功の混成で対抗を試みる。確かに、渦の動きが鈍くはなったようだが、完全に影響を封殺することが出来ない。

 そのまま天使は、渚を放り投げる。彼女の体は砲弾のように宙を跳び、再び惨たらしい有機機械に背中から激突する。受け身を取ろうとはしたものの、渦巻いて歪んだ体が、どうにもうまく動いてくれない。

 血の混じった吐息をカハッと噴き出しながら、渚は渦巻いた体の治療に専念する。

 (接触による身体干渉じゃろうから、今なら回復も容易なはず!)

 しかし、エノクも黙って渚の回復を見送ってはくれない。残る右腕を横方向へとまっすぐ延ばしたかと思うと――腕が、ボスン、ボスン、と幾つもの正方形の塊へと分解。そのまま中空に飛び出すと、刃渡りの大きな曲刀を手にした天使5体へと変じる。天使達はのっぺらぼうの顔を渚へと向けると、純白の一対の翼を強く打ち、弾丸のように渚の元へと向かってゆく。

 (流石に、攻める好機を見逃すような間抜けではないか…!)

 感嘆の一方で舌打ちしながら、渚はゆっくりと渦巻いた体を回復させつつ、一瞬で肉薄してきた天使5体との交戦に入る。

 四方八方から迫る、白銀の輝きを放つ凶刃を片足で飛び跳ねながらかわしつつ、(ひね)りを利かせた拳で殴りつける。インパクトの瞬間、渚は勁を放って天使の体に回転の力を与え、己の体に起こっているような肉の渦を作り出す。その渦は錐のように天使の体内を鋭く進みながら、天使の体を衝撃で吹き飛ばす。流石はユーテリアにおいて"最強"の候補の一角とされる渚だ、身体に不備が起ころうとも、ただただ諦観に染まることなどあり得ない。

 天使を吹き飛ばす一方で、渚の体にも代償が発生する。天使の体に叩き込んだ拳が、焼け付くような高熱を得るのだ。天使の持つ神聖なる防御結界が、渚の肉体に干渉して"浄化"という名の細胞破壊を行っているようだ。

 (だからと云って、止まるワケなかろうがッ!)

 渚は少しずつ調子の戻ってきた足を使いながら、2体、3体と拳を叩きつけて天使を吹き飛ばす。このまま全て叩き伏せてやろうと意気込んだ、その矢先。

 グン――突如、重苦しい存在感を背後に感じ取る。マズい、と本能的に判断した渚が横に跳ぼうとした、その直後。

 (ドン)ッ! 強烈な踵落としが脳天を直撃。渚の体は一気に倒れ込み、床にビダンッ! と伏せってしまう。

 両腕を天使に変えて遊離させたエノクが、脚に翼を纏って高速移動し、渚の背後に回り込むと。その勢いのままに脚を振り上げて、脳天に踵を落としたのだ。

 渚は両手を床について、顔面がそのまま床に激突することだけは防いだが。脳天に与えられた衝撃は、天使による攻撃の比ではない程に重くて素速く、衝撃で鼻血がブシュッと噴き出してしまった。

 (尋常じゃなく、痛いっつーのッ!)

 渚は唇に至った鼻血をペロリと舐めつつつ、転がったその場から離れる。直後、苛烈な踏みつけが直前まで渚の寝ころんでいた床を踏み抜く。

 あと一瞬遅れていれば、頭蓋をグシャリと粉砕されていたことだろう。

 渚は両腕で床を弾いて飛び起き、構えながらその場に立つ。このころには、渦巻いたわき腹も脚もなんとか回復し切る事ができた。余裕のない中、よくも魔化(エンチャント)と功を維持したものである。

 一方のエノクは動きを止めており、放った5体の天使を自らの右腕に戻すと。刃のように細めた、氷の如く冷たい視線で渚を射抜きながら、語る。

 「邪神よ。神を冠する存在たるその[[rb:能力>ちから]」、発揮してみせろ」

 そしてエノクは、右腕を前に突き出して構えを腰を低く落とし、構えを取って言葉を次ぐ。

 「邪なる神の能力(ちから)を受け止めた上で、私はお前を打ち(たお)す。

 未だ羽化せぬ我らが神に代わり、天の御国(みくに)を狙う不届きなる存在は、ここで(ちゅう)する」

 その言葉を耳にした渚は、痛みに歪んでしまう表情で苦笑を作り、クックッと声を出して笑う。

 「わしは別に、『天国』を手中に収める事なぞに興味はない。その事を非難したいのならば、"獄炎"や"月影"なぞに言ってやれい。

 …と、文句を言いたくなったのが、1つ。

 そしてもう1つ、おぬしに言いたいのは…」

 渚は苦笑を精一杯の嘲笑へと変え、見下す視線でエノクを射抜く。

 「おぬし相手に、わしが『現女神』の能力(ちから)を出すじゃと? 冗談じゃろ?

 女子高生を裸に剥いて、気味の悪い肉に括り付け、神として崇めるような元『士師』の変態相手に、わしがそんな事をするワケがなかろう」

 そして渚は、ヒュッと鋭く息を吸って、体中の十字架状の傷や、浄化によって焼け(ただ)れた痕が訴える痛みを押し殺すと。堅く握った右拳を真っ直ぐにエノクへと向け、笑み消した鋭い刃のような表情で、言葉を締める。

 「わしは、ヒトとして、ヒトであるおぬしに勝つ」

 「…そうか」

 エノクは少し間を置いてから、アッサリと渚の言葉を受け入れると。右手で己の顔を覆ってみせる。すると、右手から黒紫色の奔流が現れて顔を塗り潰し――右手を離した時には、今まで交戦してきた『士師』"(もど)き"と同様、黒い仮面がエノクの顔を覆っている。

 それは、大口を開いて号泣しているようにも、非難しているようにも見える、古代文明における英雄像を思わせる人物の端正な面だ。

 エノクはその面越しに、ポツリとこう漏らす。

 「(わざわい)在れ、邪神の傲慢」

 そしてエノクは、両足を天使化。純白の輝きを纏った、幾対もの翼を得た脚で地を蹴る。

 同時に渚も、(ダン)ッ、と地を蹴ると。眼前で烈風と化したエノクに立ち向かうべく、真っ直ぐに前進する。

 

 激闘の幕が、上がる。

 

 - To Be Continued -

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