星ヲ撒ク者ドモ   作:眼珠天蚕

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Irresponsive Hate Anthem - Part 3

 ◆ ◆ ◆

 

 ――それは、今から約一年前の渚の記憶だ。

 当時1年生であった彼女とバウアーとが、ユーテリアにおいて"学園史上最強"と言われた3年生のペアに挑んだ時の話である。

 

 「いやいやー、ホント危なかったわー」

 その少女は、片方の鼻の穴から盛大に飛び散った鼻血をグシグシと拳で拭いながら、ちょっとくぐもった声を放った。その声音には驚愕と、そして尊敬の意が込められていた。

 少女の声がくぐもっていたのは、彼女の右頬が盛大に腫れているからだ。強烈な拳の一撃を食らったらしく、真っ赤を越えて紫に変色し、見た目からして痛々しい。歯が折れていないのが不思議な程の損傷だ。

 この少女は、非常に小柄な体躯をしている。渚も小柄だが、それよりも数センチ低い。だから一見すると渚よりも年下にも見えるが、実際には渚より2歳年上だ。

 初夏の新緑を思わせる髪をショートカットにし、ディフォルメされたドクロの髪飾りを付けた、可愛らしさを想起させる外観。対して身につけている制服は大して飾ってはおらず、それどころか動きやすさを配慮して、シンプルさを追求した改造を施している。

 彼女こそ最強ペアの片割れ、『悪魔使い』椰鋳(やい)禍凪(かなぎ)だ。

 「やっぱ、現女神(あらめがみ)ってのは伊達じゃないねぇ。気なんて抜けやしない。

 それに、交戦回数を重ねるごとに、倍以上の実力を付けてくるんだもんさ。肩肘張るわ~」

 鼻血を吹き終わった禍凪は、首を左右に振りながら深い溜息と共にそう語ると。猫のように縦長な瞳孔で、つい宣告まで交戦していた相手を見やる。

 その相手こそが1年生であった立花渚だったのだが――渚のやられっぷりは、禍凪のそれに比べると差が酷い。

 崩れた"大"の字になって地面に転がる姿は、完全にノックアウトされた事を物語っている。ハチミツ色の髪はグシャグシャに乱れて、使い古したブラシのようになっている。額からは盛大に血がドロリと垂れ流れており、左目のあたりは内出血でドス黒くなって腫れ上がっている。蒼穹の瞳の奥には、まだメラメラと燃え盛る意気の炎が見えるものの、気絶を誘う曇りに押され気味だ。

 禍凪が『現女神』の言葉を口に出した通り、渚は『現女神』の力をふんだんに発揮していた事が分かる。その体は彼女が唯一使役している『天使』によって武装されていた。両腕には獣面の籠手、背には魚類のヒレにも見える一対の純白の翼、臀部からは骨片が連なったような尾が伸びる。尾の先端は、彼女の神としての号である"解縛"を象徴するような、鍵をあしらったような形状をしている。そして頭上には、棘の付いた光輪を戴いているものの、激しくやられた影響からか、その輝きは使い古した蛍光灯のように薄暗く、点滅さえしている。

 「…全く…相変わらず…バケモノじゃのう…おぬしは…」

 渚は血で赤色が際だった口をプルプル振るわせつつ文句を語ると。禍凪は腫れた頬も気にせずに、ケラケラと子供のように笑ってみせる。

 「"おぬし"じゃなくて"禍凪先輩"だろー?

 まっ、今更気にしちゃいないんだけどさ。最後くらい、マンガの最終回みたいに、感謝と敬意を込めて"先輩"って呼んで欲しかったなー…なんちゃってね」

 "最後"。そう、この光景は、当時のユーテリアの最強ペアに対して、渚とバウアーが挑んだ最後の戦いの結果である。渚とバウアーは1年生の期間中、この最強ペアと幾度となく交戦し――そして、(ことごと)く敗北を喫してきた。

 渚がこのようにボコボコにされて地面に這いつくばっている一方で、同じ演習場の別の場所では、バウアーが禍凪の片割れによって完膚無きまでに叩きのめされていたことだろう。

 さて、禍凪はフゥーと一息吐いてその場に腰を下ろすと。ようやく腫れた頬の痛みを認識したようで、「痛ぇー」と呟きながら頬を優しく撫でつつ、渚に視線を投じる。

 「しっかし、この1年間、よくもまあ懲りずにあたい達に挑んできてくれたもんだ。

 そのお陰で、あたいも森羅も面白ぇ1年を過ごすことが出来た。アンタらが居なかったら、退屈で死んじまってたかも知れねぇ。

 その点、アンタらには感謝してる」

 森羅――その名こそ、禍凪の片割れであり、最強ペアのもう一人。壬無月(みなづき)森羅(しんら)の事を指している。

 渚が"感謝"と云う言葉に乾いた苦笑を浮かべている最中。禍凪は更に言葉を続ける。

 「アンタらって云う好敵手が居たお蔭で、あたいらは更なる高みに至る事が出来た。

 あたいなんて、『現女神』と交戦する機会を何度も得たワケだしね。『神霊圧』だとか、『神法(ロウ)』ってモンがどんなモンか、この身でじっくり味わう事が出来た。

 その上で、ヒトの身でも修練さえ積めば、神を冠するモノと肩を並べられる事を実感出来た。

 貴重な体験だった、ホントに感謝だよ」

 「…わしらは…おぬしらの…踏み台かよ…」

 ようやく渚が苦言を形にして口に出すと。禍凪はケラケラと笑い、そして頬の痛みに顔を歪める。

 「いやいや、踏み台なのはお互い様だろ?

 アンタらだって、あたいらとの交戦の最中に、更なる高みに至ってるじゃないか。正直、腑抜けの多い2年生より、アンタらの方が断然実力がある。並大抵の3年生だって、歯が立たないだろうさ」

 「そんなわしらを…軽々と…超えてみせる…おぬしらは…一体何なんじゃ…」

 「軽々とじゃないっつーの。

 ホラ見ろよ、このほっぺに、この鼻血。制服抜けば、体中打撲だらけだろうさ。

 一瞬でも気を抜けば、あたいの方が負けててもおかしくなかったよ」

 「…どうだか…のう…」

 渚は肩でも(すく)めたい気持ちでそう語る。が、それに対する禍凪の反応は、意外なものであった。

 それまで冗談めいたような柔和な雰囲気があったのだが。それがガラリと代わり、雷を孕む暗雲のような重圧を伴う。

 禍凪が、静かに怒りを訴えている。

 「そんなに自分を下に見るんじゃねーよ、不屈の挑戦者」

 禍凪は立ち上がると、コツン、と軽く渚の血に塗れた額の辺りを爪先で叩く。平時ならば大した衝撃でもなかったろうが、満身創痍の渚には顔を歪めるほどの鈍痛が走った。

 その様子に禍凪は一瞬、申し訳なさそうな表情を作ったが。すぐに咳払いをしてから、怒りの言葉をの続きを述べる。

 「自己の過小評は劇毒だ。折角の自分の大きさを縮こめちまう。

 過大評価もマズいっちゃマズいが、卑下して自分を縮めるよりゃ、よっぽどポジティブでマシなもんさ。

 アンタらは、学園でぶっちぎり最強のあたいらから逃げることなく、諦めることもなく、挑戦し続けてきた。その実績は、誰にも――自分にも否定しようのない成果なんだぜ? それは素直に受けれ居て、自分を()めてやれよ。

 その体に刻まれた傷は、いつかの日か必ずや実力という血肉となるのさ」

 この時、渚は一瞬キョトンとしてから、そして力なく笑いつつ答えた。

 「おぬしから…初めて…先輩らしい言葉を…聞いたのう…」

 「…おいおい、その台詞は聞き捨てならないぞ?

 確かにあたいの方が背は小さいけどな、年長なのは確かなんだからな! 背丈の大きさでヒトを計るような真似をしてんじゃねーよ!」

 「…いやいや、そうではなく…」

 途端に不機嫌になる禍凪に対し、咳き込むように笑いながら渚は返す。

 「普段…おぬしの粗野で…野蛮な物言いばかり…聞いておったからのう…。

 そんな…マトモな事も言えたのかと…関心したのじゃわい」

 「…アンタは、あたいの事をどう見てんだよ…」

 禍凪はジト目を作って、渚を見下ろす。が、すぐに"やれやれ、仕方ないヤツだ"と言った感じで肩を(すく)めて首を振ると。両腰に手を置いて、強い口調で語る。頬の痛みを気にせずに口を大きく動かしていたのは、もしかすると身体(フィジカル)魔化(エンチャント)によって鎮痛処置を行っているからかも知れない。

 「ともかく、だ。

 自分を信じな。自分の積み上げてきた実績を信じな。

 アンタは、強い。並のヒトなら十分過ぎる程に、強い。そしてアンタの強さは、更に磨くことが出来る。

 自分の可能性も信じて、もっと強くなりな」

 「…勿論…じゃとも。

 次に会った時は…おぬしを…超えてみせるわい…!」

 渚が精一杯の力を込めてその言葉を口にすると。禍凪はチッチッチッ、と舌打ちしながら人差し指を立てて左右に振る。

 「それは無理だねぇ。

 あたいだってもっと強くなるからさ。

 アンタみたいな一年風情に良い一撃もらって、ほっぺをブックリと腫れさせるような無様は、もう二度と御免だからねぇ」

 「…風情と…言い切りおったか…!」

 渚がピクリと眉をしかめて言い返すと、禍凪は意地悪そうに目を細める。

 「おーおー、言ったよ。一年風情ってな。

 それが悔しいンなら、もっともっと強くなりなよ。

 誰にも負けないくらい、メッチャクチャに強くなりなよ」

 禍凪はそう語り、ケラケラと声を立てて笑うと。倒れた渚を後に残して踵を返し、その場を去って行く。

 渚はそんな禍凪の背中を見送りながら、鉄錆のような血の味が広がる口の中でギリリと歯噛みすると。満身創痍に響く事も忘れ、大声を出した。

 「当たり前じゃわいッ、超強くなってやる!」

 ――そして渚は、全身を襲う電撃のような激痛に苛まれ、涙をジワッと滲ませながら、(しば)し静かに悶えたのであった。

 

 在学中、渚とバウアーのペアを打破し続けた椰鋳禍凪と壬無月森羅の2人は…卒業後、以前からスカウトされていた地球圏治安監視集団(エグリゴリ)に入隊。最も激しい交戦任務をこなす"エボニーコート"軍団に籍を置いた。

 そして今なお、彼らは超異層世界集合(オムニバース)中にその名を轟かせ、活躍している。

 ――そんな彼らと肩を並べようと奮戦し続けてきた渚とバウアーは、その過程で得た矜持を今なお持ち続け、『星撒部』での任務に当たっている。

 即ち――絶対に、誰にも負けない――!

 

 ◆ ◆ ◆

 

 時は、現在――渚とエノクとの交戦の場へと戻る。

 

 渚の放った強烈な一撃は、異形と化したエノクの高く伸びた胴体を深く(えぐ)る。

 エノクは、胴体のみならず全身が天使化し、触れたものを(すべから)く浄化する能力(ちから)を発揮する――はずである。だが、渚の感情魔術によって黒紫色に染まった拳は、浄化を完全に中和し、エノクの肉体を単なる有機物の塊として(とら)え、衝撃を内臓深くにまで届ける。

 「ッ!!」

 エノクの高い背丈がグラリと揺れる。渚の放った暗黒の拳は、エノクの強烈に神聖化された体組織に拒絶反応を引き起こし、激痛を走らせる。加えて、拳に加えられた強力な回転がエノクの腹部を掻き回し、船を飲み込み藻屑と化す渦潮のような激しい(ゆが)みを引き起こす。

 だが、エノクは決して挫けることはない。顔の口で苦痛を噛み殺しながら、広がった枝のような無数の腕の先端についた口からは、高らかな聖句を唱える。

 「恩寵は、信徒たる我の元に在りッ!」

 この聖句によって、身に受けた暗黒の影響を塗り潰すと。今度は無数の手で堅い拳を握り込み、渚の頭上から流星群のように天使の拳撃を雨霰と降らせる。

 「天罰は、邪なる偽神の元に降れりッ!」

 ()()()()()()ッ! 神々しい純白の奔流となって降り注いだエノクの拳撃だが、渚は激流の中でヒラヒラと舞う木の葉のように軽やかにして素速い動作でその合間を拭う。

 高速の拳撃の中、一度たりとも直撃を受けなかったものの――無傷とはいなかなかった。多数の口で聖句を唱えるエノクの神聖力は、放つ純白の輝きだけでも高熱線のようなエネルギーをジリジリと叩きつけてくる。感情魔術で浄化に対抗している渚の身体も全てを浄化し切れず、皮膚には聖句を刻んだ火傷がクッキリと現れる。

 しかし、渚とて決して挫けることはない。

 (痛みなぞ、交戦すると腹を括ってる時点で覚悟済みじゃわいッ!)

 ジクジクと己の肉体を蝕む苦痛を、更なる暗黒を呼ぶ感情魔術の燃料へと化しながら、拳の雨を抜けてエノクの横手へと回る。そして再び拳を握り、今度は中指の間接を突き出して、強烈な回転を加えながら長い脇腹に叩き込む。

 感情魔術による暗黒、拳撃による物理的な暴力、そして練気『黒点針』による体内へと抜き抜ける厳撃。それはエノクの天使化した脇腹にも、クッキリとした漆黒の傷痕を刻み込む。この傷痕が逆五芒星を刻んでいるのは、渚の魔術による影響というよりは、エノクの神聖化された体組織による拒否反応の徴候らしい。

 「邪に膝を折る、正義は無しッ!」

 エノクは痛みを押し殺すように、火を吐く勢いで無数の口から聖句を唱えると。今度は天使化した脚を渚に叩きつける。純白の輝きを伴う蹴りは、真空の刃を伴って渚の腹部を直撃する。

 渚は身体(フィジカル)魔化(エンチャント)で強化した腹筋で蹴りの斬撃を防いだものの、鮮血が飛沫(しぶ)くのを免れない。エノクは神聖化だけに頼るだけでなく、基礎的な体術にも優れている。

 だがやはり、渚は倒れるような素振りを全く見せない。

 それどころか、『宙地』をアレンジした方術陣を展開。その上で跳ぶと、トランポリンのようにギュンと宙を切って急上昇。エノクの顔の高さまで上がると、彼の顎に拳を叩き込む。勿論、練気や身体(フィジカル)魔化(エンチャント)でガチガチに強化した一撃であり、顎どころか脳天にまでも爆発的な衝撃が――いや、実際に爆発が発生し、エノクの後頭部に突き抜ける。

 エノクの体が、嵐に翻弄される巨木の如くにグラリと大きく傾いたが――それもほんの一瞬の事だ。白目を剥き始めていた眼球をギロリと戻し、渚の顔を睨みつけると。枝のような腕の数分で渚の体をガッシリと組み掴むと、流星の勢いで床に叩きつける。

 骨の髄にまで響く衝撃が、渚の消化器から血反吐の塊を戻させる。加えて、直接接触による浄化が、焼き(ごて)のように渚の腕や胴にクッキリとした聖句の火傷を刻み込む。

 「冒涜に、眠りを許す寝床は無しッ!」

 エノクの聖句に対し、渚は口の中いっぱいに広がる鉄錆の味を振り切るようにして、反発の声を浴びせる。

 「お主に許される寝床なぞ、要らぬわいッ!」

 そして渚は、感情魔術による黒紫の魔術励起光を更に濃くし、エノクの腕を浸食する。するとほんの一瞬、ピクンとエノクの腕が反射的に力を失う。その隙にすかさず付け入った渚は、肘で床を叩いて激しく回転しつつ跳び上がり、エノクの拘束を振り解く。――と、同時に、激しい胴回し回転蹴りによって、エノクの腕を更に激しく弾き飛ばす。

 

 両者の一進一退の攻防は、果てなど来ない程の勢いで、激しく目まぐるしく続いてゆく。

 時が経つに連れ、両者の身体には着実に痛々しい傷痕が刻み込まれてゆく。元より満身相違であった渚は勿論、エノクも純白の輝きの中に鮮血の赤や内出血の黒などを交えている。

 顔面や内臓を直接的に攻撃する苛烈な業が、子供の喧嘩におけるパンチの応酬のように、頻繁の交錯する。その直撃を受ける度に、両者の眼には気絶を誘う曇りの帳が降り、血反吐を噴出する。神聖化されたエノクの身体ですら痙攣が走り、体軸がグラリと激しくブレる。

 それでも両者共に、白旗を上げることはない。すぐに激痛を噛み殺し、曇った眼に憤りの輝きを超新星のように灯すと。再び拳を握りしめ、あるいは烈風のように脚を振るい、相手に全力で叩きつける。

 その応酬は、正に嵐と嵐がぶつかり合い、雷雨を振りまく混沌の空模様のようだ。

 一撃一撃を放ち、そして受ける事で、肉体には着実に疲労とダメージが蓄積しているだろう。しかし、それらに[(おか)されてる様子は、全くと云って良いほど見受けられない。それどころか、時が経つ程、傷が刻まれる程にますます勢いは増し、相手を魂魄ごと虚無の奈落へと叩き落とそうと荒れ狂う。

 両者には、どんな苦境にも激痛にも膝を折らぬ、頑とした信念がある。

 それは単に、強烈な意地と言い換えられるような代物かも知れない。それでも、その意地こそが両者の意識を繋ぎ止め、意志に動き続ける炎を与えているのだ。

 「裁き、邪なる汝を罰せりッ!」

 (何が裁きじゃ、何が罰じゃッ! やれるものなら、やってみよッ!)

 一方は無数の口から声を、一方は苦境を噛み殺す胸の内での声にならぬ叫びを、互いに叩きつけて戦いは続く。

 

 ――だが、有限たるヒトの世界に、永劫など存在しえないのだ。

 両者の交戦にも、終焉の時が訪れようとしている。

 その徴候は、神の信徒たるエノクの異変から見て取れる。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 (屈してなるものかッ!)

 身を異形に落としてからと云うもの、エノクの心中は焦熱地獄の如くに燃え(たぎ)っている。

 (こんな降って湧いたような存在どもに、屈してなるものかッ!)

 ――いや、エノクの心中の焦熱は、正確に云えば今に始まった事ではないのだ。

 『現女神』としてのニファーナを失った都市国家プロジェスが、それまでの凛とした気概を失った時から、炭の中心で静かにグラグラと燃える炎熱のように、ずっと燃え(たぎ)っていたのだ。

 (貴様等が、民の精神から我らの真なる神を奪い去ったッ!)

 都市国家プロジェスの長年の悲願を達成したのは、『現女神』ニファーナの存在有っての成果。どんなに努力と奮闘を重ねようと決して手に入らなかった悲願を、民の手に渡したのはニファーナだ。

 しかし――ニファーナが決意と共に望んだ決戦で敗北を喫した後。颯爽と現れた外野の『現女神』レーテが、事も無げに敵を掃討すると。民の信奉はコロリと方向を変え、プロジェスに悲願をもたらした功労者ニファーナを忘れ、流星のように現れては消えたレーテへと向いてしまった。

 ポッと出の、福引きで偶然にも得た賞のような存在が、これまで積み上げて来た堅固たる信奉の牙城を瓦解させた。その軽薄なくせに大きな成果を残す所業が、憎らしくて堪らない。

 (貴様等はいつも、掠め取る卑劣ばかりを為すッ!)

 都市国家プロジェスはニファーナの登場よりずっと前から、苦境の中で繁栄を勝ち取ってきた、敬うべき国家である。

 ニファーナは登場後、プロジェスの在り方を一切否定しなかった。それどころか、プロジェスの在り方を全面的に受け入れた上で、出しゃばる事なく尽力し、その繁栄を頂点に導いた。

 ――これに対して、他の『現女神』どもときたらどうだ。

 "陰流"のヌゥルは、求心活動の欲を満たすため、暴力的手段に訴えて繁栄の頂点を手にしたプロジェスを奪いに掛かった。

 "鋼電"レーテは、志高き民が血の涙を流して繁栄を取り戻そうと努力を重ねていたところへ湧いて出て、結果を掻っ(さら)っていった。そして、志低き民の信仰を奪い、上空に電光の走る天国を残していった。

 積み上げた努力を横から奪い取るなど、卑劣の極みと語って過言でない所業。それを平然と為す邪神どもが、憎らしくて堪らない。

 (貴様等が愚民どもを惑わしッ! 愚民どももまた、誘惑を素直に受け入れる、何たる愚行かッ!)

 今のプロジェスの民の姿は、一体何だと言うのか。

 心血を注ぎ、志半ばで人生を終え、国家の(いしずえ)となってきた父祖達が彼らを見れば、どれほどの涙を流し、どれほどの青筋をこめかみに浮き上がらせることか。

 "独立独歩"を信念と気概にする、孤高なる精神は絶滅危惧の断崖上にある。そして残った(わず)かな信念の臣民達は、呪詛と云う不本意な力に体を蝕まれる恥辱を受けれ、古き良きプロジェスの姿を取り戻そうと奔走していると云うのに。愚民どもは彼らの努力を歓迎するどころか、膿でも見るような目で軽蔑するか、眼を開いたまま視界から閉め出すばかりだ。

 そんな志低く、プロジェスが積み上げてきた重みを知らぬ愚民どもが、憎らしくて堪らない。

 (そして、我らの悲願を潰さんとする、この邪神ッ!)

 如何に神聖を叩きつけようとも、眼に輝きを灯し続け、あくまでもエノクが至らんとする悲願を阻み続ける、この邪神! こいつへの憎悪は、格別だ!

 こいつは、エノクが憎むすべての要素を内包している。

 フラリと湧いて出て、ほんの数日都市(まち)を彷徨った程度で。愚民どもと心を通わせ、彼らの意向を背負い、プロジェスの気概を取り戻さんとする自身と同朋を叩き潰そうとする、邪悪の権化!

 「禍在れ、禍在れ、禍在れッ!」

 エノクの体の無数の口は、何時の頃からかひたすらにその言葉を吐き出し続ける。

 「禍在れ、禍在れ、禍在れッ!」

 それは、エノクの聖歌だ。憤怒と憎悪を含んだ聖歌だ。責を負わずにプロジェスの繁栄を掠め取り、謳歌しようとする全ての者を呪う聖歌だ。

 信仰と呪いは紙一重、何かを強く想い念じる様には変わりない――その言葉があまりにも実を帯びる程に、エノクの呪いは神聖なまでに純粋であった。

 

 その強い念が、エノクの能力(ちから)を進化させる。

 

 エノクの姿が、更なる変貌を遂げる。

 広げた枝葉のような無数の腕が、純白の輝き一色に染まり、輪郭を失う。腕はもはや物体である事を捨て、神聖という概念を形而下に表現する概念的存在へと変じる。

 純白の輝きはエノクの胴にも至り、彼の体の大部分は目も(くら)むような閃光に包まれる。

 輝きの中、頭と足先だけが辛うじて見て取れるエノクの姿は、もはや天使ではない。

 天使という概念を通り越してしまった、もっと純粋な神聖の存在。

 それは"信仰"がヒトの形を取った姿である、と形容出来るのかも知れない。

 

 「禍在れッ! 入滅せよッ! 傲慢にして卑劣なる邪神ッ!」

 エノクは轟雷のように絶叫し、純白の輝きの群と化した腕を一気に操る。それはイソギンチャクが全ての触腕を振るってエサに襲いかかるが如く、神聖の奔流と化した無数の腕を広く展開し、渚をスッポリと包み込むように四方八方から叩きつける。

 今のエノクが発する神聖は、渚の感情魔術による暗黒では、とても抗し切れるものではない。暗黒は強烈な純白の中に飲まれ、渚を覆っていた黒紫色の影は強風に消し飛ばされた蝋燭(ろうそく)の灯火のように消え去ってしまう。

 防御もなく、剥き出しの肉体一つとなってしまった渚は、太陽を直視するような純白の輝きに全身を焼き焦がされる。触腕に接触されていないにも関わらず、輝きに触れるだけで皮膚がブスブスと煙を上げ、次々と聖句の形状を取る火傷を刻印のように刻んで行く。

 「むうぅっ!」

 網膜が焼き潰されるような純白一色が視神経に与えるズキズキとした激痛と共に、全身の皮膚が上げる悲鳴を受けて、渚が思わず呻き声を上げる。

 だが、エノクの攻撃の真価は、この直後に顕現するのだ。

 神聖の触腕が、次々と渚の肉体に接触する。物体としての性質を失ったはずの触腕だが、巨大な鉛の塊でもぶつけられたかのような衝撃が、渚に次々と襲いかかる。

 「むう…う…う、あ、あ、ああ…ああああッ!」

 渚が、絶叫を上げる。全身のあらゆる部位に叩き込まれる衝撃に翻弄され、五感は震撼と共に狂乱する。同時に、聖句が焼き込まれた皮膚が、次々と盛大な血飛沫を上げて行く。皮膚、それどころか、表層の筋肉まで一気にめくれ上がり、十字架状の傷が次々と刻まれて行く。傷は幾重にも折り重なり、元の形状が何であったか分からないような、無惨なる(えぐ)れとなって、凄惨な真紅をボタボタと噴き出す。

 エノクは、渚を触腕で何度も、何度も、何度も、何度も――滅多打ちにする。その度に渚はビクンビクンと大きく痙攣し、盛大な血液を飛沫いて、ああああッ! と絶叫する。それでも倒れないのは、渚の意志力と云うよりは、エノクからの四方八方の衝撃によって倒れることすら許されない状況に陥っているからかも知れない。

 ――何にせよ、このまま神聖の触腕を喰らい続ければ、渚の肉体は十字架の傷によって抉られ続け――最終的には、大量の血液だけを残し、削り取られて消滅してしまうことだろう。

 

 ――だが、この状況においても渚は…絶望を覚えてもいなければ、敗北を認めることもなかった。

 むしろ彼女は、この苦境に陥ってなお、絶叫をしながらもなお――しっかりと、見据え続けている。

 己の、勝機を!

 

 ◆ ◆ ◆

 

 (おぬしの聖歌、この身にて存分に堪能させてもらったわい。

 じゃがな――!)

 衝撃に翻弄され、口の中いっぱいに鉄錆味の血を含み、額から滝のように流れる血液で視界が真っ赤に染まりながら――尚も渚の意識は、しっかりと自我を保っている。

 そして血液に染まった眼球の奥底でも、勝利への意志の輝きは、決して消えてはいない。

 むしろ、その輝きは爛々(らんらん)と勢いを増している!

 (そんな乾きもがく蚯蚓(ミミズ)のような呪いの聖句でッ!)

 強烈な衝撃の連続に翻弄されながらも、渚は地響きを立てんばかりの勢いでしっかと、床に力強き一歩を刻む。

 (ヒトを屈服させようなぞ、我が(まま)気侭(きまま)のガキの理屈じゃあッ!)

 (ダン)ッ! 渚の足が床を蹴り、轟雷の如き爆発的な音を立てる。

 同時に、渚の体は神聖の触腕が叩き込む衝撃を振り切り、烈風――いや、閃光の如き勢いと速度で、前方のエノクへと突進する。

 そして、彼女がエノクの間近にまで肉薄するには、ほんの一瞬の時間しか掛からない。

 (こいつ、この期に及んで、一体何を――)

 エノクが眼を見開き、渚の抵抗を目に焼き付けた――その時。

 (ドン)ッ! 強烈な衝撃が、物体という性質を失ったはずのエノクの胴に、叩き込まれる。それは爆裂となってエノクの神聖と化した内臓や骨格を揺るがし、彼の身を包む純白の輝きを一気に霧散。イソギンチャクともヒドラとも取れない、天使と云うよりバケモノにしか見えない真っ白な異形を白日の下に(さら)す。

 (ッ!!)

 物体である事を捨てたはずの肉体に、強大な爆発の衝撃波が干渉する。その事実に、エノクは苦痛と共に困惑を呈する。

 渚の使った技は、練気の勁技術の中でもトップクラスの破壊力を有する『鋼爆勁』に間違いない。しかしそれは、形而下の現象として爆発を引き起こすものであり、"神聖"の存在と化したエノクの肉体には影響を起こし得ない――はずであった。

 

 ――だが、練気も初戦は、魔法科学の産物なのだ。

 そして魔法科学は、感情魔術に代表されるように、意志と云う形而上の力が事象に干渉する…いや、時には(ゼロ)から生み出す事を自然現象の一環として認めているものだ。

 この『鋼爆勁』において、渚はエノクの対する強い憤りを込め、爆発を放った。エノクが万人に正道として押しつけようとしている我が侭気侭を、根こそぎ叩き折ろうとして、山をも揺るがさん劇場を込めて、一撃を放った。

 その意志が形而上だの形而下だの、物質だの"神聖"だのといった理屈を超えて、"エノク・アルディブラ"と云う存在を叩きのめしたのだ。

 

 「ッがあああぁぁぁぁッ!」

 エノクは全身の細胞一つ一つが盛大な破裂を起こしたような衝撃に、(たま)らずに悲鳴を上げる。声帯を壊す程の悲鳴を振り撒きながら、稲妻のような勢いで一瞬たりとも抗う(いとま)もなく、一直線に吹き飛んで行く。

 そしてようやく彼の体が止まったのは――巨大な有機機械装置に激突した時だ。それでも衝撃の余波でエノクの体はバウンドし、1メートル強の距離を弾き飛ばされる。

 そこへ更に――渚が追い打ちとばかりに一直線に接近。中指の間接を突き立てた『黒点針』の拳で(もっ)て、激しい回転を掛けつつ、エノクの鳩尾(みずおち)に当たる部分――胴が変形していて確固たることは言えないが、大体そこに当たるであろう部分――に、颶風のように叩き込む。

 そこが鳩尾として正解だったかどうかは、エノクにも判別は付かない。何せ、この一撃で彼はバウンドした距離を一瞬にして後戻りし、岩盤のように堅い不気味な有機機械装置に叩きつけられ、更にはメキリと機械に悲鳴をあげさせつつめり込んだのだ。

 そして渚は、めり込んだエノクの元に拳を(えぐ)り込んだまま、立ち尽くしている。

 内臓と共に脳天を突き抜ける鋭い痛みに、エノクの瞳が一瞬白目を剥き、グラリと長身を揺らす。だが、渚の攻撃はこれで止まらない。

 完膚無きまでの完全勝利をもぎ取らんとする険しいトドメの一撃を――繰り出す。

 「頭を冷やさんか、バカ神父ッ!」

 叫びと共に渚は、抉り込んだ拳に超震動を施す。

 転瞬――ズグンッ! エノクの輪郭が霞む。震動を得て激しく細かく震動した証だ。その震動は渚の激情を受けてエノクの内臓や筋肉、骨格や精神までも揺さぶり、その各々を破裂させてゆく。

 

 バシュッ――エノクの全身から、怒濤の飛沫の如く鮮血の盛大な噴出が舞い上がる。

 

 - To Be Continued -

 

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