星ヲ撒ク者ドモ   作:眼珠天蚕

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Irresponsive Hate Anthem - Part 5

 ◆ ◆ ◆

 

 (呪詛なんぞによって造られた人工の神(もど)きにしては、ようやるわい。

 じゃが――)

 渚は襲い来る眷属達を前に、眉をピクリとも動かさずに見つめながら、氷のような冷静さでそんな思考を脳裏に浮かべる。

 (残念じゃが、この程度ではやれてやらん!)

 渚は神霊力を集中させ、『神法(ロウ)』を発動。自身を覆う漆黒の粘体のど真ん中に、巨大な錠前を出現させる。その錠前が、ガコンッ、と盛大な金属音を立てて勝手に外れると――粘体には幾筋もの幾何学的な亀裂が走り、粘土というよりはプラスチック製のパズルのように、その身体を分解される。

 瞬時に自由を得た渚は、尚も地に転がったまま6体のニファーナの眷属を眺めている。だが、ただ視線を投じているのではない。この時にも神霊力を練り上げて、『神法(ロウ)』の現象を発現させる。

 渚が寝転ぶ床の周囲から、突如として鎖が飛び出し、眷属達の身体に激突して貫通する。鎖には全て錠前が付いているが、今度は勝手に外れたりはしない。その固く閉ざされた有様をそのまま投影するかのように、眷属達の動きをピタリと停止させてしまう。彼らは元から石像であったかのように、震えもせず地上に落下もせず、その場に縫いつけられて停止する。

 "解縛の女神"ナギサ、その神霊力はあらゆる存在・概念の解放と束縛である。その力をふんだんに駆使した対応だ。

 6体が完全停止したところで、渚はようやく跳ね起きると。翼を力強く羽ばたかせ、一気に急上昇。鍵状に変化させた右拳を前方真っ直ぐに突き出した格好で、ニファーナに向けて真っ直ぐ突進する。

 ニファーナは、窮地を軽々と脱した渚に驚愕の視線を投じていたが。すぐに思い直して、嘲笑を浮かべる。

 渚がニファーナの元へ辿り着くためには、ニファーナが作り出した"ゲームシステムの障壁"を突破しなければならない。ゲームプレイヤーである渚は、この制約を超えることなど決してあり得ないはず――なのだが。

 渚は単なるゲームプレイヤーではなく、神なのだ。

 ゴン――鍵状の右拳が"ゲームシステムの障壁"に激突し、鈍い音を立てる。そのまま弾き返されでもするかと思いきや、鍵はガチャン、と音を立てて障壁の中へと進入する。まるで、鍵穴の中に挿入されるが如くに、だ。

 (まさか…!)

 ニファーナが思い至った頃には、もう遅い。渚は"障壁"に挿入した鍵をグルリと回し、"障壁"が作り出す隔絶を解除してしまう。ガコンガコンガコン、と無機質な音が連続し、空間に直方体状の魔力励起光が淡く輝いたと思うと、輝きはそのまま立体パズルのように分解されて離散してしまう。

 もはや、ニファーナと渚を隔てるものは、何もない。

 

 「せいやぁッ!」

 渚は気合い一閃、そして脚部の装甲を変化させて推進機関を作り出し、急加速してニファーナ本体へと直進する。

 対するニファーナも、驚愕ばかりしてはいられない。眉を怒らせて闘志を燃やすと、自身に練り上げた魔力を注ぎ込む。

 すると、ニファーナの肉体の形状が変わる。いや、基本的な形状はそのままだが、その至る所からウニの棘ように機械質の砲身が四方八方へと突き出たのだ。

 「舐めるなぁッ!」

 ニファーナの絶叫は、しかし、同時に全身の砲身から術式の砲弾を連射する爆音に掻き消される。雲霞の如く高密度かつ大量に展開するその有様は、まさに"弾幕"の表現が相応しい。

 砲弾は無差別に大広間中に着弾する。ニファーナを再度神化させたエノクが、未だ動けずに床に転がっていようとも、彼を避けるような素振りは全く見えない。実際、エノクの周囲には幾つも幾つも砲弾が降り注ぎ、鼻先で強烈な爆発を起こしてエノクを吹き飛ばしさえする。

 だが、エノクは恐怖することも失望することもない。吹き飛ばされながらも、疲労が色濃い顔に満悦した大きな笑いを張り付けている。

 (ニファーナ様! ニファーナ様!

 更なる力を得て、この世を統べるべく再臨したニファーナ様!

 万人よ、この力を眼に焼き付けろ! 畏敬の念を抱け! 偉大にして唯一の女神を崇めよ!)

 エノクは相変わらず声が出ないものの、胸中で興奮し切った声を張り上げる。例え自らの身体がニファーナによって壊滅させられようとも、彼は女神を恨むどころか、生け贄となった事実を喜んで受け入れつつ冥府へと下ることだろう。

 さて、ニファーナはこの弾幕に加えて、体中からほぼ球形をした浮遊物体を幾つも放つ。それはニファーナの弾幕を巧みにくぐり抜けながら広く展開すると、バチンッ! と大気の破裂する音を振り撒きながら、青白い稲妻を天井と床に同時に落とす。

 弾幕と稲妻、この2重の破壊が満ちる大広間の中の様相は、まさに破壊の嵐だ。

 とてもではないが避け切れそうにない猛攻であるが――渚はやはり、一歩も退きはしない。それどころか、果敢なる挑戦者が浮かべる凄絶な笑みを浮かべると、翼で宙を打ち足裏の推進機関を一気に吹かして、更に加速。ニファーナへと接近する。

 道中には、高密度の術式砲弾がある。稲妻の雨がある。しかし、渚は恐れたりしない。

 何せ、獣面の左手を開いて前に突き出し、半球状にたわんだ巨大な封鎖扉を作り出して盾にしているのだ。『神法(ロウ)』で生成されたその扉は、渚が司る"束縛"の派生、封鎖を完璧に体現し、如何なる存在もその内側への進入を許さない。まさに、無敵の盾だ。

 この盾で猛攻を(ことごと)く弾き返しながら、渚は一瞬にしてニファーナの眼前へと肉薄。ニファーナは、猛攻が全く通じなかった事実に眼球が飛び出しそうな程に目を見開き、あんぐりと大口を開く。

 (大勢の信者の頂点に立つことを誇りとしている神が、そんなに簡単に心を乱すのは感心せんのう!)

 渚は胸中で皮肉を叩きつけつつ、右手の形状を単なる拳へと変化。固く握りしめたそれで、ニファーナの頬面を(したた)かに、深く、(えぐ)り叩き込む。

 (ドン)ッ! 骨が砕けるどころではない、強烈な激突音! 同時に、渚と比べて優に3倍以上の大きさを誇る巨体が、彗星の如く落下。(ドウ)ッ、と轟音を立てて激しい震動を起こし、床に激突。それでもニファーナの巨体を突き動かす衝撃は抜けず、ニファーナの巨体は脱線事故を起こした列車の如く床を擦って転がってゆく。

 そしてようやく停止したのは、その巨体が大広間の壁に接触してのことだ。

 もはや、弾幕も稲妻も大広間を占拠してはいない。一瞬にして訪れた凪の中、エノクは倒れたままでニファーナの無惨な有様を網膜に焼き付け、目玉が飛び出るような驚愕を顔面に張り付ける。

 (そんな! そんな! そんな!

 ニファーナ様が! 多くの民草の信仰を集めた、ニファーナ様が!

 ただの『天使』一匹を連れる矮小な邪心風情に、地に墜とされた!?)

 

 エノクの驚愕の視線が見守る中、渚がスーッと美しい直線を描き、墜ちたニファーナのすぐ傍らへと着地する。

 ニファーナは、激突の衝撃が抜け切れないらしく、叩き落とされた蛾のように、漆黒の翼をピクピクと痙攣させるばかりだ。宙に浮く両手が地を掴み、なんとか巨体を起こそうと力を入れているようだが、それもままならない様子である。

 身体を動かせぬニファーナが渚に対して出来ることは、精一杯の威嚇を込めて睨みつけることだけだ。しかし、その視線させも、恐怖の色が滲み出て揺らいでおり、力強さに欠けている。

 そんなニファーナの元へ、渚は少し怒ったような表情を張り付けて、満身創痍ながらもしっかりとした足取りでニファーナの漆黒の中に埋め込まれた胴体へと歩み寄る。

 「来るなッ! 来るな、邪神めがッ!」

 ニファーナは叫んで抵抗を示すものの、渚は全く動じずに歩みを続け――ついには、ニファーナと握手を交わせるような距離にまで接近する。

 「来るなぁ…!」

 ニファーナの声は、泣き出しそうにさえ聞こえる程に力無く、情けないものだ。そんな姿を目にした大抵の信者は、幻滅を禁じ得ないだろうと言うほどに。

 敬虔にして一途なる信徒であるエノクは、流石に幻滅などしなかったが。代わりに、恐れ(おのの)く我が神をどうにかして救済せんと、身体に鞭を入れて動き出す――が、その姿は踏み潰されて臓物をはみ出させた芋虫のように、ノロノロとした匍匐(ほふく)前進でしかない。

 エノクの助けの手も届かなければ、ニファーナ自身の身体に動かぬうちに。渚は右手、そしてその人差し指を延ばし、ニファーナの額へと近づける。

 額に触れる直前、人差し指の先端は形状を変えて鍵と化す。すると、それに呼応するように、ニファーナの額の肉が浮き上がったかと思えば錠前と化し、渚の鍵を待ち受ける。

 「止めろォッ!」

 ニファーナが絶叫するのも構わず、渚は小さく呟いて、鍵を額の錠前に差し込む。

 「わしの主義に反するが――おぬしの心の内、見せてもらうぞ」

 そして、渚が鍵を回すと。カチャン、と乾いた音を立てて錠前が外れて――転瞬、ニファーナの錠前周辺に直線的な亀裂が走って開いたかと思うと、その内側から目映い輝きが陽光のように周囲へ漏れ出す。

 ノロノロズルズルと前進していたエノクは、その輝きに網膜を()かれ、思わずギュッと両の眼を閉じる。

 

 渚の鍵が開いたのは、ニファーナの心を解放する鍵だ。

 そして渚は、ニファーナの思考へと直接触れる――。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 今、渚の視覚野が捉えているのは、ニファーナの意識が直面している精神的な状況を視覚化したものである。

 その場は、光景の大半が黒で覆われている。ただし、夜空のような閑寂な黒ではない。嵐の深夜に荒れ狂う海面を思わせるような、激しく蠢き、渦巻き、呻き声を上げる"黒"だ。

 この黒は、単なる一色の広がりではない。恐ろしいまでに大量の"破片"達が折り重なって構築されている。その"破片"こそ、先に有機機械を形作っていた人体の成れ果ての形而上面。腐敗し、損壊した人体が吐瀉物のようにグチャグチャに広がった姿である。

 この姿こそ、呪詛の視覚化とも言えよう。

 この呪詛達は、ある1点に向かい、排水口に吸い込まれてゆく汚水のように我先にと(ほとばし)ってゆく。その1点にこそ、この精神世界で唯一と言える明るい色彩を持つ存在が見える。

 ニファーナだ。ニファーナの意識の本体である。

 精神世界中の彼女もまた、一糸纏わぬ裸体を呈している。精神世界だからと言って、魂魄の視覚化が裸体であるとは限らない。むしろ、己の性質に相応しい衣装を身に着けている事が多い。それでも裸体になっているというのは――身に着けていた衣装が、呪詛達の横暴によって剥ぎ取られてしまったからかも知れない。

 ニファーナの姿は、かなり奇妙な形状をしている。ほぼ形而下の姿と同じなのだが、決定的な違いは――腰から上の胴体が、2つに分かれていることだ。

 その一方は、美しい色白の肌色を呈する、渚が見知るニファーナの姿だ。しかし、この姿は悲惨な様相を呈している。体中を呪詛達の手に(つか)まれ、ガッチリと拘束されている。口の中にまで指を突っ込まれ、満足に言葉を発することも出来ない状態だ。呪詛の手はかなりの力で彼女を締め付けているか、引っ張っているかしているらしく、ニファーナの双眸(そうぼう)には苦痛が絞り出す涙が(あふ)れている。

 他方の胴体は、呪詛に溶け込むような漆黒を呈している。そちらは呪詛の手によって怪しい手つきで愛撫されており、その感触に恍惚とした笑みを浮かべている。

 渚は一瞥で(もっ)て、この様相の意味を理解する。呪詛によって人格を分断され、一つは封じられ、一つが呪詛の全面的な援助を受けて表面化している有様だ。

 そして、封じられている色付いたニファーナこそ、元より存在するニファーナの人格なのだ。

 漆黒の人格は、ニファーナの中の一部たる負の部分が呪詛によって肥大化された、"誇張され過ぎた一面"による擬似人格に過ぎない。

 ――さて、渚は封じられた色付いたニファーナの前へと進み出る。途中、呪詛達が"邪魔をするな"と言わんばかりに飛び出して塗り潰そうとしてきたが、『神霊圧』で以て威嚇すると、塩を振られたナメクジのように威勢を失い、縮こまる。

 そして、間近にまで接近した渚は、ニファーナの涙が一杯に溜まり、助けを乞う視線を真っ向から見つめて、問いかける。

 「おぬしは、どう在りたいのじゃ?」

 すると、色付いたニファーナが何かを語るよりも早く、隣の黒いニファーナが即座に声を上げる。

 「呪う! 呪う! 呪う!

 唯一無二たる神、都市国家の礎たる我を忘れ、(ないがし)ろにした愚民ども! それに荷担する邪神とその同胞(はらから)

 その全てを呪う! 呪う! 呪う!」

 「おぬしには()いておらぬわッ、(もど)き風情めがッ!」

 渚は怒りの炎が燃え盛る視線で黒いニファーナを睨みつける。途端に、黒いニファーナの口が針金のような細長い金属で縫い合わされて封じられる。更に錠前がガッシリと組み込まれて、完全に発現を封印する。

 ここはニファーナの精神世界、ニファーナこそが主体となる世界だというのに、渚の所業が功を為すのは、真なる『神法(ロウ)』ゆえの作用なのだろう。

 黒いニファーナを封じた渚は、再びニファーナに向き直ると。黒いニファーナに向けた激情をすぐに和らげつつも、鋭い真剣さを含めた問いをもう一度繰り返す。

 「真なるニファーナ・金虹よ。おぬしは一体、どう在りたいのじゃ?」

 するとニファーナは、あっぷあっぷと何度か口を動かして、口内に侵入した指を何とか舌で排除すると。すぐに口内へ戻ろうとする指が動き出すのに抗って、早口で叫ぶ。

 「もう嫌! こんな戦いの繰り返し! 望まない重責の押し付け! 耐えられない!

 早く降りたい! こんな意味の分からない闘いの螺旋! 早く降りたいよ!」

 それを耳にした渚は、ニカッと微笑み、そして言葉を次ぐ。

 「わしは『現女神(あらめがみ)』である前に、希望の星を撒く者じゃ。

 おぬしの希望、叶えてみせよう。

 しかし――ちょいと苦しいかも知れぬ。じゃが、必ずおぬしの希望は叶う。じゃから、ほんの暫くの間、耐えてみせよ」

 

 その言葉の後――渚の視界は(もや)がかかったように輪郭を失い、やがて純白一色の光景へと変じる。ニファーナの精神世界から脱したのだ。

 そして渚の意識は、形而下世界へと戻る――。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 精神世界における渚とニファーナのやりとりは、形而下世界の時間にして数秒にも満たなかったようだ。

 渚が意識を取り戻した、その瞬間。世界の様相は全くと言って良いほど変わっていなかった。ニファーナの神"(もど)き"の巨体は地に転がったままで、何の行動も起こしたように見えない。

 だが、渚が意識を戻した瞬間。ニファーナが地の底から響く悪魔のような戦慄の怒号を上げる。

 「邪神めがぁぁぁッ! 我を(たぶら)かすなぁぁぁッ!」

 同時に、倒れたニファーナの黒い巨体から、黒い影――いや、巨体の一部が溶け出した液体のようにも見える――が、周囲の床を広く覆う。そして、バキバキバキッ、と固い物を引き裂くような音を轟かせながら、黒く染まった床から天へと高く延びる鋭い(トゲ)が林立する。

 ゲームの世界――特にドット絵で構成された古いゲームの世界において、棘は落とし穴同様に一撃で命を奪う存在である。ニファーナもそのつもりで、この棘を出現させた事だろう。

 それが渚の身体に触れたの"ならば"、細胞の壊死が起こるか、もしくは劇毒が全身に回って速やかな死が訪れたかも知れない。――だが、"ならば"は実現しない。

 渚は先端に鍵が突いた尻尾を漆黒の大地に差し込み、クルリと回す。すると、ガチャリ、と金属音が鳴り響いたと同時に、床に広がる漆黒に直線的な亀裂が走り、パズルを瓦解させたように細かな破片へと分解されて宙空に消えてゆく。棘も(すべから)く破片へと分解され、渚の身を突くことなく消えてしまう。

 「足掻くなぁッ!」

 ニファーナが叫び、気力を振り絞って体外器官である両拳を宙に浮かべる。そしてまず、右拳を固く固めると、雷光のような激しい輝きを発した後、龍が(まと)わりついているが如くに紫電を走らせながら、渚の身体に叩き込みに行く。

 格闘ゲームで言うところの、超必殺技と云うところの技だ。その威力は尋常ではないはずだが――渚は、足裏の推進機関をフルに噴出させた高速の蹴りで迎え撃つ。

 (ガン)ッ! 鈍重な激突音と共に、吹き飛んだのはニファーナの拳の方だ。まるで蹴り飛ばされた石ころの如く、盛大に宙空へと吹き飛んでゆく。

 ニファーナは更に、右拳を渚の頭上に配置すると、中指の間接に当たる部分に紺碧の水晶のような結晶を出現させる。それを青白く(まばゆ)く輝かせたと思うと、莫大なエネルギーの奔流を極太のビームとして放出する。

 シューティングゲームで云うところのボムにあたる攻撃だ。強大な威力の攻撃を広範囲に及ぼすだけでなく、敵の攻撃を無効化するという、強力な攻撃手段である。

 だが――これも、『現女神』ナギサへの決定打にはならない。

 それどころか、彼女を傷つけることさえ出来ない。

 渚が左拳を振り上げて、そこを中心に堅固に鍵の掛かった水晶のような扉を作り出すと。その厳重な封鎖が、ボムと云う強大な威力のエネルギーの奔流さえ、髪の毛一本程も進入を許さなかったのだ。

 ゲームの世界が現実(リアル)に通用しないとか、そういう次元の問題ではない。神としての格が違い過ぎるのだ。

 「あ、あ、あ、あ、あ…!」

 強大な攻撃の3連発を見事に対処されてしまったニファーナは、もはや自失茫然とした呻き声を上げることしか出来ない。

 対して渚は、素早く半歩前に踏み出すと。固めた右拳を、ニファーナの剥き出しの双丘の真ん中に抉り込む。

 「もう失せよ、嫌悪を振り撒くばかりしか能の無い(もど)きよ」

 

 渚の拳は、鍵の形状を取ってはいなかったものの、確かに"解放"の力を伴うものであった。

 その証拠に、ニファーナの胸に触れた拳をグルリと回転させると。彼女を覆う漆黒の巨体全域に、直線的な亀裂が幾つも幾つも走ったのだ。

 そして、その亀裂に沿って漆黒の巨体が小さな破片と化し、宙へと遊離してゆくと。術式へと蒸発する直前、網膜を()くような激しい閃光を発すると共に、キンコン、と澄んだ鐘の音が鳴り響く。

 呪詛という呪縛に囚われた魂魄が渚によって解放され、浄化されて美しい輝きを放った姿なのだ。

 こうして巨体が分解され、浄化されてゆく最中。ニファーナは己の肉体を喪失する恐怖感か、それとも苦痛からか、「ああああああああああッ!」と声帯を破壊する勢いで絶叫を発する。

 

 その痛々しい声音とは裏腹に――ニファーナの精神世界の中は、嵐の去った快晴の空を思わせる平穏に満ちている。

 そんな彼女の精神世界が、今度は自ら渚の魂を己の中へと誘ってくる。

 渚は迷わずその誘いに乗り、再びニファーナの精神世界へと訪れる――。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 再び訪れたニファーナの精神世界は、小春日和の陽光を想起させる、優しく淡い山吹色の輝きに満ちた光景となっていた。

 禍々しく世界を蹂躙していた呪詛の姿は、もうどこにも見えない。代わりに、花もしくは星に見える模様が、世界をゆっくりと過ぎって行くだけだ。その模様達も(ささや)くこともせず、優しげな眼差しで見守るかのように閑寂を貫いている。

 この世界の中央に、ニファーナの精神はフヨフヨと浮いて立っている。

 今度の彼女は、裸体ではなく、シンプルながらも可愛らしいピンク色を基調にした洋服を身に(まと)っている。派手でもなく、かといって地味過ぎるでなく、年相応の少女の雰囲気を醸し出すその姿こそ、ニファーナの分相応な精神の姿なのだ。

 (いか)めしい『現女神(あらめがみ)』の装束を身に着けた渚とは、あまりにも落差のある姿である。

 とは言え、渚は装束とは異なり、表情は穏やかに、優しい笑みを浮かべている。ニファーナの誘いを歓迎する賓客のような佇まいだ。

 「ありがとう、立花さん…いえ、"解縛の女神"ナギサ様」

 ニファーナがニッコリと微笑んで語ると、渚は恥ずかしげな笑みを浮かべて後頭部を掻く。

 「様付けとか、勘弁してくれい!

 わしの事は、ただ"渚"と呼んでくれれば良い!

 『現女神』じゃからと言っても、何ら神らしい事なぞしておらんからな。第一、信者も『士師』も一人も持っておらぬもの」

 「…分かったよ。

 とにかく、お礼を言わせて欲しい、渚さん。

 私を重苦しくて耐えられない、責任と闘争の地獄から救い出してくれて」

 そう言って(こうべ)を垂れるニファーナに、渚は頭を上げるよう手を振って合図しながら、語る。

 「当然のことをしたまでじゃわい。

 多くの無辜(むこ)の市民が苦しむテロを見過ごすなど、わしの『星撒部』は許せんかったし。

 それ以前に、友人であるおぬしが苦しんでいるのならば、助けたいと思うのが自然な事じゃろう」

 「友人…。

 あなたみたいな偉大なヒト…いえ、神にそう思ってもらえるなんて、光栄だな…」

 「偉大とか、小っ恥ずかしい事を言うでないわ。

 こちとら『現女神』という肩書きだけをヒョイと背負った、己の欲に忠実なだけの女子学生じゃよ」

 鼻の頭を掻きながら、再び恥ずかしげに笑う渚を、ニファーナは(まぶ)しそうに眺める。暫くそのまま渚を見つめてから…ポツリ、と言葉を漏らす。

 「渚さんは…これから先も続けるんだよね。『現女神』である事を、『現女神』として戦うことを」

 「うむ、勿論じゃ」

 渚は恥ずかしさを消して、気さくに応える。すると、ニファーナはますます眩しげに(まなこ)を細める。

 「凄いな…。そんな風に思えるなんて…」

 「わしは、全部承知の上で、この力を望んで手に入れたからのう。

 神である事…については、信者を取らぬ主義ゆえ、正直覚悟なんて代物は持っておらぬが。戦い続ける覚悟ならば、出来ておる」

 「私は…この力を捨てたくて、捨てたくて…(たま)らなかったよ」

 ニファーナは笑みを消し、溜息を吐きながら(うつむ)く。

 「私は、渚さんと違って、望んでなんていなかった。むしろ…そうだなぁ、授業で名指しされたくないって思うのと同じ気分で…絶対に欲しくないって、思ってたよ。

 ある日突然、誰とも知らない存在に力と一緒に責任を与えられて。けれども、誰もフォローしてくれなくて、自分で考え続けることを強要される。最低な厄介事だと思っていたし…何より、私は流されるままの方が楽だから、何一つ行動的な事なんてしてこなかったのに…。

 厄介事を、背負わされちゃった」

 渚は黙って、二ファーナの独白に耳を傾ける。ニファーナは渚に甘んじて、言葉を続ける。

 「私ね…"陰流の女神"と戦って…最初は、あんな変なヒトに都市国家(まち)の皆を好き勝手にされたくないって想いもあったのも事実だよ…だけど、負けた時…。正直…ホッとしたんだよね。肩の荷が下りたっていうか、押しつけられた責任から解放されて、清々したっていうか…とにかく、気分が良かったよ。

 だけど…エノクさん達は、神の座を失った私の事をまだまだ持ち上げようとしてて…凄く、苦しかった。

 もう何の力もないのに…流されるばかりで取り柄なんてないのに…みんなに(ひざまづ)かれて、神殿みたいな豪邸に住まわされて。凄く、凄く…苦しくて、(たま)らなかった。」

 俯いたままのニファーナは一瞬、幼子が泣き崩れるようにクシャリと表情を崩す。しかし、そのまま(まなこ)を伏せて、フゥー、とゆっくりと深く息を吐き、堰を切って(ほとばし)りそうになる激情を落ち着ける。

 ここはニファーナの精神世界だ、渚が抵抗さえしなければ、ちょっとした意志で姿を隠し、感情を爆発させることも出来た。それを敢えてしなかったのは、渚のこと信頼していないからではなく…ここで泣き叫んでは、情けないだけでなく、申し訳ないと思ったからだ。

 ニファーナ自身が望む方向とは違ったとは言え、彼女を持ち上げ、護り続けてくれたエノク達を一気に極悪人に仕立て上げてしまうような気がして…とても、申し訳なく感じたのだ。

 そのように、例え息苦しい重責を背負わされようとも、己を信じる者達への慈しみを忘れないニファーナの姿は、正に――同時に、皮肉にも――女神に相応しい態度と言えよう。

 そんなニファーナへと、そっと歩み寄った渚は。さほど変わらぬ背丈ではあったものの、俯いている分だけ低くなったニファーナの頭に、ポン、と優しく手を置く。

 「おぬしは、これまで()うやって来た。望まぬ力を勝手に背負わされても、投げ出すこともなく、ヒトビトの希望に答えようと、()う戦って来た。

 出来る事を全て出し尽くしての、神の座の返上じゃ。誇ることすれあれ、恥じることも、泣く程に苦しむこともない。

 今のおぬしは、"夢戯の女神"でなく――唯の、そして唯一無二の、ニファーナ・金虹という存在じゃ。

 もう、誰の期待も背負うことなどない。戻らぬ過去に(こだわ)ることもない。

 おぬしとして、これからの人生をおぬしらしく、歩めば良い」

 そう渚が語ると――ニファーナはふと頭を上げ、キョトンとした顔で渚を見つめる。その(まなこ)は泣きが入って少し赤くなっている。

 「同じような事…"鋼電"のヒトにも言われた…」

 「ほう、レーテの奴にか」

 ニファーナは、渚と"鋼電の女神"の関係を問い(ただ)すこともなく――実際、彼女にはどうでも良い事柄なのであろう――言葉を次ぐ。

 「"鋼電"のヒトが、この都市国家(くに)を"陰流"のヒトから取り戻してくれた後――私の元に来て、言ってたんだ。

 "神の座を失っても、過去に(すが)るヒトビトは必ず、神の面影を求めて手を伸ばしてくる。

 でも、それに応じる必要なんてない。

 もうあなたは、女神なんかじゃない。

 ただのニファーナ・金虹という女の子なんだから。誰の眼を気にすることもなく、ニファーナ・金虹としての人生を歩め"

 って…。

 でも…」

 ニファーナは自嘲の笑みを浮かべる。

 「神の座を失って清々した生活を送っているようでいて、神殿に住む事に甘んじていたり、エノクさんのお世話になっていたり…。

 女神だった時と変わらずに、ただただ周りに流されっ放しだったんだね。

 そんなんだから…こんな大それた事態を招いてしまったんだ…」

 「それはおぬしの所為ではない」

 渚はガシガシとニファーナの頭を乱暴に撫でる。

 「おぬしに対して、勝手に神の面影を見い出して(すが)っていた、心弱き者どもの我が(まま)気[[rb;侭>まま]]な暴走じゃ。

 おぬしには何の責もない。

 それでも、後悔や責を感じるというのなら…」

 渚は星が瞬くようなウインクをして見せる。

 「これからの人生で取り戻せば良いのじゃ。

 おぬしはまだまだ若い、人生これからなのじゃからのう」

 すると、ニファーナは口元に手を当てて、クスクスクス、と笑い出す。

 「そんな口調で言われると、立花さんが物凄く長い人生を歩んで来た、含蓄のあるお婆ちゃんに見えるよ」

 すると渚は、ムスッと下唇を突き出して見せて。

 「見ての通りの、うら若き乙女じゃわい! 失礼じゃな!」

 と叱ったと思うと。渚自身もクスクスクス、と笑い出す。

 柔らかな光の中、2人の笑いが満ちるにつれて――光は輝きを増し、2人の姿は塗り潰されてゆく。それは決して、力付くの染色ではなく、合唱が織りなすハーモニーの如き調和の輝きであった。

 

 そして2人の意識は、精神世界を離れ、即物的なる形而下世界へと戻る――。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 「ホントに…ありがとう…立花さん…」

 (かす)れた声を上げるニファーナは、全裸のまま、渚の両腕の中に抱き抱えられている。

 渚は相変わらずの満身創痍だが、苦痛も疲労も表情に張り付けず、穏やかな微笑みをニファーナに返す。

 「何の何の。

 じゃから、気にする事など何も無いというに。

 おぬしには何の責もないのじゃから」

 そう、渚が力強く言葉を返した、その直後の事――。

 「ああああああああああッ!」

 大気が張り裂けるような、血を吐く勢いの絶叫が響き渡る。

 その声の主は――エノクだ。

 渚との戦いで立つことさえままならぬ程の損傷を受けつつも、ニファーナへの執念を原動力に芋虫の如く這い回っていた彼。ニファーナが再び『女神』としての力――正確には、"女神(もど)き"の力を失った今、彼を支えていた悲願は完全に瓦解し、ポッカリとした空虚が胸中に開いたのだ。

 そこから生じる喪失感、悲壮感、絶望感――そんな負の感情に突き動かされ、疲れ果てた声帯を破かんばかりに酷使し、絶叫したのだ。

 「エノク…さん…」

 渚の腕の中でニファーナが小さく呟く。その声音は、エノクの胸中に満ちる負を理解した上で、深い同情を寄せるものだ。

 だが、同情を寄せたとして、悲願の瓦解を目の当たりにしたエノクの心を、そんな一言の慰めで落ち着かせられるワケがない。

 「我が神ッ! 我が神ッ! 我が神ッ!

 有り得ないッ! 唯一無二にして絶対たる我らの神がッ! 信者無き裸同然の邪神に破れるなどッ! 有り得て良いワケがないッ!」

 エノクは歯肉から血が滲むほどに歯噛みをし、爪を剥がさんばかりに床に指先を立て、ニファーナに向かって這い出し始める。

 まるで、邪神に(さら)われた女神を取り戻そうと奮闘する戦士の如き姿だ。しかし、"英雄"という言葉は、この光景を目にした誰の胸にも浮かばなかったことだろう。

 今のエノクの表情は、ヒトビトが慕うのとは真逆の、鬼や修羅の類を思わせる壮絶な表情を浮かべている。

 渚は冷たい視線で、じっとエノクを見下すばかりであったが。彼女の腕の中のニファーナが渚に視線を向け、"下ろして欲しい"と訴える。

 渚はコクリと頷くと、静かにニファーナを床に下ろす。するとニファーナは、少しノロノロとした動作で立ち上がり、ゆっくりとした足取りで這い寄るエノクの元へと歩み寄る。

 そして、エノクを踏める程の間近にまで距離を詰めると、スッと腰を下ろしてエノクの顔と向き合う。

 「エノクさん。

 もう、終わったんです」

 「終わった…?」

 ニファーナの言葉を繰り返す、エノク。それに対してニファーナはコクンと(うなづ)き、もう一度ゆっくりと、しかししっかりと繰り返す。

 「終わったんです。

 エノクさん達がこの都市国家(くに)蹂躙(じゅうりん)してまで手に入れようとした望みは、もう消えて無くなったんです」

 「まだだッ!」

 エノクが敬意を寄せていたはずのニファーナに対しても、彼は鬼気迫る横暴とも言える態度で、()れた声を張り上げる。

 「まだ終わってないッ! 終わってたまるかッ!

 ニファーナ様、[r[b:貴女>あなた]]様の存在さえ滅びていなければッ! 神の座程度、何度でも呼び戻すことが出来るッ!

 貴女様を慕う我らの心が生きている限りッ! 何度でも、何度でもッ! 悲願は動くッ!」

 「また、呪詛の力を使って? 呪いの力を祈りの読み替えて? 私を、神(もど)きに祭り上げるんですか?」

 「"擬き"ではない、神だッ! 神そのものだッ!」

 エノクは叫び続ける。その絶叫で世界そのものを説得しようかと言う勢いで、叫び続ける。

 「信仰を集める存在はッ! 信仰の力で奇跡を起こす存在はッ! (すべから)く神であるッ!

 それこそが、悠久の時の中でヒトが定めた神の定義ッ!

 ニファーナ様は、そこの裸同然の邪神に比べ、(まご)う事無く定義を満たす神ではないかッ!」

 「…分かった。私がもう一度呪いの力でカミサマに成れるとするよ。

 そうやって、もう一度立花さんに挑んでも…何十度も、何百度、何千度も挑んでも…私は絶対に、立花さんに敵わないよ」

 「そんな事はないッ! 有り得ないッ! 有り得るワケがないッ!」

 エノクはニファーナの言葉を根底から拒絶するように、絶叫を繰り返す。対してニファーナは、瞳を閉じてゆっくりと深呼吸し…再び眼を開くと、射抜いたものを縫いつけるような鋭く、力強い視線をエノクの投じる。

 「聴いて、エノクさん」

 そう語るニファーナの声は、視線と同じく鋭く、力強く、心を縫い止めるようなものだ。

 エノクは絶叫に大口を開いた格好のまま、ピタリと発声を止める。

 エノクが自分の意志を聞き入れた事を確認したニファーナは、表情をフッと和らげ、へそを曲げた幼子に言い聞かせて宥めるような口調で、言葉をかける。

 「お地蔵さんって、知ってる?

 [[混沌の曙>カオティック・ドーン]]以前の地球の、東洋って呼ばれた地域の道に置かれていた、小さな小さな神様のこと。

 (やしろ)(ほこら)を持っているお地蔵さんも居たみたいだけど、中には吹き(さら)しのまま、人気の無い道に置かれたまま大して(まつ)られる事もなかったものも沢山あったみたい。

 決して良い扱いばかり受けているワケじゃない、孤独に過ごすお地蔵さん達。それでも彼らは、ヒトビトを護る神としての役割を全うしていたの。どれだけ忘れられようとも、地域の住人や旅人を悪意から護る、善き神様。

 立花さんは――"解縛の女神"ナギサ様は、そんなお地蔵さんのような神様なんだよ。

 それに対して、"夢戯の女神"は…」

 ニファーナは自嘲の笑みをクスリと浮かべてから、間抜けな程に時が止まったように動かぬエノクに言葉を次ぐ。

 「とんだ悪神――いえ、神を(かた)る詐欺師だよ。

 欲望や悪意を集めて信仰として、大した役目も果たさずに神の名の上にドッカリと座って、ヒトビトの好意を貪るばかりの大詐欺師。

 正義も大義もなく、神ですらない私と、その対極にある立花さん。(かな)うわけがないんだよ」

 エノクはすかさず、ニファーナの言葉を拒絶しようと大きく息を吸い込んだが。彼の言葉が発されるよりも早く、ニファーナは「それに」と言葉を続け――エノクにとっては残酷極まりない、トドメの一言を口にする。

 「私は、そんな詐欺師で居る事が辛かった。止めたくて仕方なかった。

 だから、そんな悪い役割を捨て去れた今、私はとっても清々してるんだ。

 そして――もう二度と、勝手に責任を背負わされたり、期待を寄せられたりするような、心苦しい真似はされたくない」

 ニファーナの言葉は、エノクを始めとする今回の大事を引き起こした狂信者の存在を、根底から否定するものである。

 そのはっきりとした言葉をぶつけられたエノクは――喉元まで出掛かっていた、ニファーナを盛り立てる叫びを形にする事が出来ず、パクパクと痙攣するように虚しく口を開け閉めする。

 

 その状態を暫く続けた後のことだ――エノクの、狂気さえ感じさせるような力強い表情が、グシャグシャに歪んで瓦解する。

 そして、その両の眼から、ボロボロと大粒の涙が(こぼ)れ落ちる。

 

 「私の悲願は――無為だと言うのですか」

 エノクは激情が涙でふやけてしまった声を漏らし、語り続ける。

 「故郷を捨て…異郷たるこの地で恩師を失い…それでも己の為すべき正道であると信じて心血を注ぎ…仕える神すら変えて…力無き万人の期待を背負い…闘争に心身を砕き…成し遂げようとした繁栄は、無為だと言うのですか…」

 「そうじゃないよ」

 ニファーナは首を横に振る。

 「それは、誰もが認める立派な事。

 エノクさんが間違いは、その後の事」

 「間違い!?

 私の、私達の心血を注いだ悲願が、間違いであると、貴女様はおっしゃるのか!?」

 エノクは、ニファーナを責め立てるように、()れた声をこれ以上ない程に張り上げて語る。

 「長き苦渋の時間を経て…! 理不尽な横暴に耐え続けて来た…! 偉大なる父祖の理想を、いともたやすく忘れ去り…!

 己らも謳歌した繁栄を…! 如何なる横暴からも退(しりぞ)け実現した…! 偉大なる貴女様の存在を忘れ去り…! 手柄を掠めただけの異教の女神に現を抜かし…!

 矜持も意欲も無く…! 空虚にして無責任なる異文化の蹂躙を許し受け入れる…! そんな腑抜けばかりの烏合の衆と化した…!

 この腐り果てるばかりの果実となったこの都市国家(プロジェス)の現状を憂い…! 嘆き…! 憤り…!

 悪の名を背負う覚悟を…! 血の涙を流して受け入れて…! 在るべき姿を取り戻す戦いを続けてきた、我々を…!

 貴女様は、誤りだとおっしゃるのか!!」

 今にもニファーナの喉笛に噛みつきそうな勢いで叫び迫る、エノク。あまりに酷使した彼の声帯は酷く損傷し、咽喉(のど)を鉄錆の味のする血が流れゆくが。そんな事などお構いなしに、エノクは画面の全ての(あな)から業火を吹き出す勢いで、ニファーナを睨みつける。

 ニファーナは、そんなエノクの激情に気圧されはしなかった。その眼には、燃える程の憎悪を抱いて鬼と化してしまった、敬虔なる英雄の末路を(あわ)れむ、弱い輝きだけが点っている。

 ニファーナは数瞬、その残酷な言葉を口に出すのを躊躇(ためら)ったが…やがて意を決し、一度唇を固く閉ざしてから、はっきりと語る。

 「そうだよ」

 その一言をぶけられた時のエノクの有様と来たら、なんと形容するべきだろうか。自身が手塩にかけ、部品の一つずつを手ずから積み上げて作り上げた巨城が、天災により一瞬にして無惨な瓦礫と化した一部始終を、眼前にて見届けていた――そんな悲愴と虚脱を得て、エノクの表情は昼には萎んでしまうアサガオにように脱力し、茫然とする。

 ニファーナがこれまで全く見たことのない、エノクの空虚である。

 ニファーナは、そんなエノクに中身を吹き込もうとするように、ゆっくりと言葉を次ぐ。

 「エノクさん達の言う悲願は…はっきり言って…一部のヒト達の単なる我が侭だよ。

 都市国家(プロジェス)の意志なんかじゃない。

 もう居なくなった父祖だとか、踏ん張った過去だとか、そんな物は現在(いま)にとってはどうでも良くて…。

 現在(いま)都市国家(プロジェス)は、女神の存在も、頑固な独立独歩も必要ない、外からの変化を柔軟に受け入れて繁栄する事を楽しんでいる。

 それで皆、うまく回ってるんだよ。

 それを、エノクさん達一部が、どんな風に大義を掲げて拒絶しても…それは我が侭でしかないよ。

 そんなにエノクさん達が都市国家(プロジェス)現在(いま)が嫌いで仕方ないなら…エノクさん達は、もう…此処(プロジェス)を出て行くしか、ないんだよ」

 過酷と言って過言ではない言葉を受けたエノクが示した反応は…憤るでもなく、茫然を貫くでもない。

 ワッと、声を上げて泣き出したのだ。

 もう涙は、ボロボロ零れる程度ではない。滝のように流れるばかりだ。クシャクシャの表情は、幼子のように頼りなく、力に乏しい。

 その状態でエノクは、泣き叫ぶ激情を力に変えたのか、満身創痍の身体をプルプルと震わせながら上体を起こすと、ニファーナに抱きつく。

 それは、慈愛に満ちた女神に(すが)る、退路無き貧者の姿そのものである。

 「時を…長き時を注ぎ…障害の…大半を…賭して…走り続けた…私は…もう、ここに、必要ないと言うのですね…。

 貴女様を…慕い続けて来た…一途に…慕い続けて来た私を…必要と、言うのですね…!

 それが、それが…貴女様の…真なる意志による…お言葉なの…ですから…私は、受け入れます…貴女様の、永遠の信徒として、受け入れます、受け入れます…!

 ただ…!!」

 エノクは語尾にて、爆発するかのような大声を上げると。暫く嗚咽(おえつ)を続けて後に、消え入りそうな掠れ声で、ポツリ、ポツリとこう漏らす。

 「ただ…我が女神よ…私の行為が…一つでも貴女の力となり…それを感じ入ってくださるのならば…最後の願いを…聞き入れてください…。

 私を…無為の(あぎと)に陥った私を…。

 …憐れんでください…」

 対するニファーナは、困ったような笑いを浮かべる。

 「エノクさん…もう私は、女神じゃありません。だから、女神として、あなたを憐れむことは出来ません。

 だけど…」

 ニファーナは一度言葉を切り、一息吐いてから、続ける。

 「ニファーナ・金虹と云う一人のヒトとして、あなたを…憐れみます」

 その言葉に対し、エノクは拒絶などしなかった。ただ、涙でグシャグシャになった顔で、暫く嗚咽を繰り返した後に――スッと、(こうべ)を垂れる。

 エノクは、散々に現実を拒絶し続けた果てに…遂には、ニファーナの言葉を全面的に受け入れたのだ。

 ニファーナはもはや、女神でない事を認めたのだ。しかしその上でなお、ニファーナの憐れみを欲しているのだ。

 ニファーナは、そんなエノクを嘲ることもなく、蔑むこともなく、憤ることもなく――優しく手のひらを伸ばして、戦いの中で乱れ切ったエノクの頭に触れ、そしてゆっくりと撫で回す。

 エノクは、時折嗚咽を漏らしながら、その慈しみを味わい続ける。

 

 "解縛の女神"ナギサが静かに見守る中、悲願の為に暴走した神父の野心は、すっかりと根本から折れた。

 ――こうして、都市国家プロジェスの騒動は幕を引いた。

 

 - Next, the Epilogue -

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