夏休み、哲也は部活動の合宿でしばらく沼津を離れた。
合宿先でも「イリス・デュナミス」を立ち上げたが、位置情報のせいか紅玉を始めとしたいつものフレンドに会うことはなく、哲也は寂しく思った。
数日ぶりに沼津に戻り、ゲームを立ち上げて紅玉とマッチしたときには、ほっと安心した。
そろそろイベントも始まるし。いろいろ考えたけど、やっぱり直接、会うしかないよな。思い切って面会、申し込んでみるか。
ある日の朝、哲也は文面を練り送信した。
『
紅玉から昼過ぎには返信が届く。
『お申し出、感謝いたします。私も同様に考えていました』
よしっ。哲也はひとり、思わずガッツポーズをした。
それから何回かメッセージをやり取りした。
哲也が予測した通り、紅玉は沼津近くに住んでいた。日時、場所もすんなりと決まった。
次の土曜日、沼津駅の南口に朝10時だ。
でも、こうやって実際に会えるとなると、連絡先が交換できないのって、意味があるのか?
哲也はそう思わずにはいられなかった。
・
当日の朝、目印を何も決めていなかったことに気づいた哲也は紅玉にメッセージを送った。
紅玉からはすぐに返信があった。
「なるほど、さすが」
アバターと同じ格好にするという、その申し出は「イリス・デュナミス」のプレイヤーらしくて感心させられた。
自分もそうする、と書いて返信する。
「さて、そうなるとスカートは、なしだな。ワンピースも無理、と」
アプリ内のクローゼットから男性向けでも通用しそうなものを選ぶ。
あまり選択肢は多くなく、結局シンプルな半袖の白いシャツと紺のスラックスにした。それなりに夏らしいし、悪くないだろう。
紅玉は、と見ると、可愛らしい花柄のワンピースだった。きっと待ち合わせの直前に変えるのだろう。
哲也は自分の部屋のクローゼットから似たシャツとパンツを選んだ。
・
自宅から沼津駅までは徒歩で行ける距離だ。
南口についたのはちょうど待ち合わせの時刻だった。
ざっと見渡すが、紅玉らしい人物はいなかった。
中年の女性、あり得るかな? 女の子がひとり、可愛いけれど違うだろう。スーツ姿の男性、想像より年上だ。
とりあえずゲームアプリを立ち上げる。
到着を報告してから紅玉のアバターを確認した。
「あれ?」
思わず声がもれる。アバターは朝、確認したときと同じ姿だった。
花柄のワンピースに、いわゆるツインテール。
顔を上げてあらためて眺める。
改札へ続く通路の角に、不安そうに立っている女の子。手にはスマートフォンがある。
え。……もしかして。
ふたたびゲームを確認すると、メッセージが届いていた。紅玉もすでに来ているらしい。
哲也はさりげなく、彼女のスマートフォンの画面が見える位置まで、女の子のほうに歩いた。
画面は見覚えのあるピンク色だった。
マジだ。
哲也はくるっと彼女に背を向ける。
いや、ちょっと待て。
紅玉って女の子なのか? あり得るのか、それ。
頭のなかでいままでのメッセージを思い返す。たしかに性別や年齢に触れたものはなかった。それをいえば哲也から送ったメッセージも同様だが。
紅玉の人物像については自分が勝手に想像しただけだ。
ちらっと目だけで振り返る。
心細そうに胸でスマートフォンを抱える女の子。なにかを探すような瞳。ワンピースはよく似合い、とても愛らしかった。
紅玉……さん、だよなあ。
よし、と決める。
もし人違いだったら、
彼女が紅玉だとしたら――いつまでもあんな顔をさせておくわけにはいかない。そう思った。
哲也は意を決して、
スマートフォンを見つめる女の子に声をかける。
「あの!」
「ピギィ!」
思ったよりも大きな声になってしまった。
女の子は飛び上がらんばかりに驚いた。
「あ、すみません」
「は、はい。ル、ルビィに、なにか御用でしょうか……」
女の子はいまにも逃げ出しそうな雰囲気で、小声で答えた。逃げられる前にとあわてて哲也は話す。
「もしかして、紅玉さん?」
「えっ……」
ルビィと名乗った女の子は、目を見開いた。
無言のまま、哲也の頭のてっぺんからからつま先まで、視線を走らせる。次に自分のスマートフォンの画面に目を移して、もう一度、哲也を眺めた。
哲也が、なにかいったほうがいいのか悩み始めたころ、ルビィは口を開いた。
「ジェーンさん、ですか?」
ささやくような声に、哲也はうなずいた。
「あう……」
彼女の顔からさっと血の気が引くのがわかった。
どうやら自分以上に、ショックを受けているらしい。
もしかして同年代の女子だと、思ってたのかな。悪いことしたなあ。
「あー、想像と違ってびっくりした、かな」
こくこくとうなずくルビィ。
「ごめん、なにもいわなくて。その、忘れてくれるかな、俺の……ジェーンのことは」
ルビィはなにもいわなかった。
無理もないよな、と哲也は思う。
俺のほうは……紅玉が「イリス・デュナミス」のメインターゲット層だったから、まだ、ダメージがすくないけど。
この子にしてみれば、いきなり男子が現れたわけだもんな。
「それじゃ、今日はわざわざ来てもらって、本当に悪かった」
哲也はあらためていって頭を下げた。そのままルビィに背を向けて歩き出す。
紅玉が女の子だったことには、それほどショックは受けなかった。と思う。
……いや、正直になろう。ショックだったことに間違いない。
だけど、普通に考えれば女の子のほうが可能性は高いわけで……どうして俺は、社会人男性だなんて思いこんでたんだろう。俺が悪いんだ。
ただ、それよりも――楽しみにしていた紅玉との会話ができなくなったこと。それが残念でならなかった。
心にぽっかりと穴が開いたようだった。
ため息をついて、これからどうしよう、と思う。
今日も、これからのゲームも。
そのときだった。
「あの、待ってください!」
背中から声がして、哲也は振り返る。
「す、すこしお話、できませんか? ジェーンさん」
腰の引けたルビィが、それでも必死の表情で立っていた。
俺よりもずっとずっと、ショックだったはずなのに、この子は……。
哲也は、ぽっと心が温かくなる。
「紅玉さんさえ、よかったら」
ルビィはこくりとうなずいた。
§
ジェーンが男性、それも高校生くらいの年齢だったことに、ルビィは衝撃を受けた。
ジェーンさん、ルビィが想像してたのと全然違った。どうして。どうしてなの?
自分のなかのイメージが、がらがらと音を立てて崩れていき、しばらくルビィはなにもいえなかった。
ジェーンを名乗った男子は、早口で謝罪の言葉を口にした。ルビィはそれにも反応できなかった。
背中を向けて歩いて行く彼。ルビィはドキリとする。
でも、あのメッセージは……本物だよね。ルビィをほめたり、はげましたりしてくれた……。
今朝、沼津に来る途中に受け取ったメッセージを思い出す。さらに、強い日差しの夏の日。うっとうしい梅雨の日。
季節が移り変わるなか、必死に考えたコーディネート。
それを一番見てほしい人は、ジェーンだった。
今日だって、ジェーンさん、わざわざアバターと同じ服装、してきてくれた。
勝手に想像してたのは、ルビィのほう。ルビィが悪いんだ。
背を向ける直前、彼が傷ついたような表情をしていたのは見間違いではないだろう。
ここでこのまま別れたら、きっと後悔する。ルビィは勇気を振り絞り、声を掛けた。
――彼はようやく、微笑んでくれた。
・
ただ、声を掛けたはいいものの、ルビィはどうしていいかわからなかった。
「えーと、喫茶店とか、どうかな?」
「は、はい」
彼がそういってくれたのでルビィはうなずいた。
すぐ近くのチェーンの喫茶店に入る。
席に着くと、善子と花丸が続けて店内に入ってくるのが見えた。
善子はあきらかに興奮したようすで、すぐにでもルビィを問い詰めたい、というような顔をしていた。
花丸はそんな善子をなだめながら、ルビィに向けて小さく手を振り、ルビィは彼に気づかれないようにうなずいた。
「注文、なににする?」
彼の言葉で我に返る。
「えっと、紅茶で」
「わかった」
彼は店員を呼び、紅茶とコーヒーを注文した。
店員が去ると、不自然な間が訪れた。
ど、どうしよう。なにから話していいのか、見当もつかないよ……。
たぶんそれは、彼のほうも同じかも、と思う。
そんななか、ルビィのスマートフォンが通知音を鳴らし、ルビィはほっとした。彼にぺこっと頭を下げてからスマートフォン取り出す。
『誰よ、その男は!』
善子からのメッセージだった。
『ジェーンさんだよ』
『聞いてないんだけど!』
『ルビィも聞いてなかったよ』
ルビィはおかしくなって、くすりと笑った。
スマートフォンから顔を上げると彼と目が合った。同じくらいの年の男性と、こんなに近づいたことはなくて、ドキリとする。
「えーと、あらためて、紅玉さん?」
「はい。ジェーンさん、ですか」
いわずもがなのことをルビィは口にしてしまう。
「うん。その、そうだよ、としかいえないなあ」
彼は自分のスマートフォンを取り出してルビィに見せた。ゲームのホーム画面には、ルビィも見慣れたジェーンのアバターが表示されていた。
やっぱり、間違いじゃないんだ。
ゲームのなかでずっと身近に感じていた存在が、いま目の前に、男の子になって存在している。不思議な感覚だった。
「ジェーンさん、って呼べば、いいですか?」
どう呼べばいいかわからなくてルビィは素直に聞いた。
彼は困ったように頭をかいた。
「うーん、普通ならハンドルでもいいんたけど。さすがに女性名だと落ち着かないなあ。俺、
「哲也さん」
ガタッと近くの席から音がした。ルビィは気づかなかったふりをする。
「ルビィ……私は、
ぺこりと頭を下げる。
「ルビィ……だから、紅玉なんだ」
「はい。単純ですみません……」
「いや、その。素敵な名前だね」
ルビィは恥ずかしいのと嬉しいのとで、視線を落とした。頬にうっすらと赤みがさす。
「ルビィさん、でいいかな」
ルビィは顔をふせたままうなずいた。
店員が注文の品を置いていく。店員が去ると哲也は続けた。
「ルビィさん、その、ゲームのなかではいつもありがとう」
「いえ、こちらこそ。いつもジェーン……て、哲也さんの衣装、参考にさせてもらってます」
男性の名前を口にするのは恥ずかしかった。
「いや、俺なんか、いつも適当だから。ほんと、申し訳なくなるよ」
「でも、ルビィには思いつかないような組み合わせで……すごいと思います」
「うーん、勝てそうな組み合わせにしてるだけなんだけど。でも、ありがとう」
哲也はにこっと笑って続ける。
「ルビィさんのは、しっかり考えてあるよね。バランスもいいし、天気とかもきちんと考えてあるし」
「それは……ルビィ、もともとお洋服とか、好きだから。かわいくて、素敵な感じにしたいなって、思ってるだけなんだけど」
「狙ってるわけじゃないんだ。それなら一層すごいよ」
哲也は本当に感心した、というように話した。
「ありがとうございます。だからこのゲームも、ルビィにあってたのかなって」
「うん、それは間違いないね」
哲也はまた微笑んだ。
ルビィは、その優しそうな笑顔は想像通りだな、と思う。
「今日のその服も、よく似合ってると思う。ルビィさんに」
哲也はそこまでいって、はっとしたように顔をそらした。
「あ、ありがとうございます……」
アバターではなくて、自分がほめられたんだ。そう気づいたルビィは消え入りそうな声で答えた。
またすこし間があって、哲也はコーヒーを
「それで、今度のイベントだけど……」
「は、はい。ルビィ、あのお洋服、できれば欲しいなって思ってるんです」
「うん、俺も狙ってる。だから、ペアの方針、しっかり決めよう」
「はい!」
ルビィは大きくうなずいた。
哲也は、イベントの賞品が清楚な感じのドレスなので、それに近い路線のほうが高く評価されるかも、と話した。
ルビィにはない視点だったので感心すると、哲也は「まあ、ほかのゲームの応用だけど」と肩をすくめた。
ふたりのコーディネートのスタイルを同じにするか、それとも
同スタイルのほうが無難とはいえ、もともと傾向の異なるふたりが、無理に合わせるのは難しい。それなら互いがそれぞれを引き立てるような組み合わせのほうがいいだろう。
より緊密に連携することが必要になるが、ジェーンと――哲也となら、やれる。そうルビィは思った。
ふたたびルビィのスマートフォンがピロンと鳴った。
「お友達からメッセージが来たみたい。ちょっといいですか?」
「どうぞ」
ルビィはメッセージアプリを開く。善子は次のように書いていた。
『そろそろお昼だから私たちは帰るわ』
たしかに昼が近い。二時間近く、話していたらしい。
『ごめん、善子ちゃん、花丸ちゃん』
『ジェーンさんも心配ないみたいだし』
続いて花丸からもメッセージが届く。
『馬に蹴られるのは嫌だから』
馬に蹴られる……なんだろう。
『あとで紹介してよね!』と善子。
『わかった。ふたりとも、ありがとう』
スマートフォンをしまう。
「大丈夫?」
「はい!」
哲也が聞き、ルビィはうなずいた。
「お昼、どうしようか。ルビィさんがいいなら、このままここで食べようかと、思うんだけど」
「うん、ルビィもそうしたいです」
「わかった」
花丸と善子は、ルビィにだけ目配せして店を出ていった。
食事をしながらふたりは会話を続けた。
もともとファッションは、わからなかったが、このゲームを始めたことで興味が出て詳しくなった、と哲也は照れたように話した。
ルビィは、逆にゲームのことが多少わかるようになったというと、哲也は面白そうに笑った。
食事を終えて、イベントの話もひと段落すると、話題はゲーム以外のことにも広がった。
ルビィの思った通り、哲也は高校生で、しかも二年生だった。
「それじゃ、先輩ですね。すみません、ルビィ、ずっとお友達に話すみたいで」
ぺこりと頭を下げると哲也はあわてたように手を振る。
「いや、ぜんぜん気にしてないから。というか、十分、丁寧だけど」
「そうですか?」
「うん、そう思うよ。ルビィさんは、一年なんだ?」
「はい。
へえ、と哲也は話す。ちらっと、中学生っていわなくてよかった、とつぶやいたのが聞こえて、ルビィは口をとがらせた。
「あっ、ごめん」
それに気づいたのか、哲也がいう。
「というか俺、紅玉さんってずっと、社会人だと思ってたんだよね。文章が丁寧だし、規則正しいし、夏休みもないみたいだし」
うしろのふたつはAqoursのせいだ、とルビィは気づく。しかしAqoursのことを話すのは、まだすこし、恥ずかしかった。
だから自分も、同じことをいうことにする。
「それをいったら、ルビィもです。ジェーンさんのこと、お姉さんだと思ってました」
「そうか、それは悪かったね。……でも、想像通りだったことも、あるかな」
「それはなんですか?」
「紅玉さん……ルビィさんと、ゲームの話ができたら楽しいだろうなってこと」
哲也は顔をそらした。ルビィは恥ずかしそうでいて、でも嬉しそうなその横顔を見て、自分も嬉しくなる。
「ルビィも、当たっていたことがありました。ジェーンさんとなら、きっと話が弾むなってことです!」
ルビィは微笑んだ。哲也は彼女に視線を戻して、やはり笑顔になる。
「あの、連絡先、教えてもらえるかな。その……イベントの話とかするのに、ゲームだと文字数がすくないから」
哲也はすこし照れくさそうに話した。
「どうしてあんなに、短いんですか?」
「さあ、俺もわからないけど……」哲也は首を振る。「でも、こうやって会うきっかけになったのなら、悪くないんじゃないかな」
「そうですね!」
ルビィはにこっと微笑む。
「それで……」
「はい、ぜひお願いします」
「どうしよう。メッセアプリのIDにしようか?」
ルビィはすこし考えて、話す。
「メールアドレスでいいですか?」
IDだと、ブロックされるかもしれないもん、ね。
「うん、もちろん」
ルビィは操作方法を教えてもらいながらメールアドレスを彼に伝える。彼が自分のスマートフォンで操作すると、ルビィの端末がメール着信音を立てた。
「これでよし、と」
哲也は嬉しそうにいって、ルビィも同じくらい嬉しくなった。
・
会計をどうするかでひとしきりもめて、結局、哲也が払うことになった。
「次は、ルビィが払います!」
胸を張るルビィに哲也は笑った。
次に会う機会があるのかどうか、ということは、ふたりともあえて口にしなかった。
でも、きっと、とルビィは思う。
きっとまた、会えるよね。それは、想像とは違ったけど、こんなに楽しかったんだもん。
バスターミナルで、ルビィはバスに乗る。
哲也はバスが出るまで見守っていた。
ふたりはゲームのなかのメッセージとメール、両方で連絡を取り合いながら、プレイを続けた。文章はずいぶん、くだけた感じになった。
相手のアバターを確認して、自分なりに微調整してアレンジする。
そのプレイスタイルは予想通りうまく行った。
最終的にイベントの衣装はふたりとも「二枚取り」に成功し、無課金としては望む以上の結果となった。
イベントの結果発表の日の夜。
メール着信音にルビィがスマートフォンを確認すると、差出人は予想通り哲也だった。
イベント結果への祝福と感謝の言葉が書かれたメールに、ルビィは嬉しくなる。
そして最後の一文。
『よろしければまた、沼津で会いませんか。祝勝会もかねて』
ルビィの胸が、ドキリと跳ねた。
ルビィは心をこめて返信を書いた。
そして深呼吸をしてから、最後に一文を付け加える。
『お申し出、
ジェーンにあこがれて、短い文字列の文章をつづっていた、ついこの前までの自分を思い出しながら。