「アリシアンナ」
* 1 *
アンナ・フロイドは呆然としていた。
フリルが多めのブラウスに、緑色のプリーツスカートを穿き、スカートと同じ色の蝶ネクタイを締めるアンナは、金糸のような艶やかな髪を背に垂らし、美少女という言葉がふさわしい整った顔立ちをしている。
しかし小さめの口はぽっかりと開けられ、澄んだ碧い瞳は大きく見開かれていた。
簡素なパイプ椅子に座る彼女の周りには、たくさんの女の子が同じように座っている。
アンナと同じ制服を身につけている女の子たちには、制服だけでなく共通点があった。
頭から生えている、真空管。
人によりひとつだったりふたつだったり、一部は内蔵型のため見えない者もいるが、広い大講堂に集まっている彼女たちは皆、真空管を持つ女の子。
真空管ドール。
科学の発展により人間の脳からは念動波や精神波など、二一世紀初頭には観測すらできなかった波動が放射されていることがわかり、人はそれを増幅することにより魔法として利用するようになった。
人々はホウキに乗って空を飛び、魔法を応用した技術の発展により都市の構造も大きく変化し、アンナたちの住む街の建物は数百メートル、数千メートルもの積層構造を持つ。
空を浮遊する建造物も生まれ、人々は宇宙に進出するようになり、地球外の生命体とも交流も日常茶飯事。
そんな時代のあるとき、機械のボディに真空管を接続することにより、AIのものとも、生物のものとも異なる意思が生まれることが発見された。
人造物である真空管により生まれる意思は、コンピュータの中で生まれるデジタルAIに対し、アナログAIと呼ばれ、人間とほぼ同等の思考と個性、さらにロボットでは使えないはずの魔法も使えることがわかった。
そうして人の手によって製造される、真空管を接続された意思を持ったロボット――真空管ドールは、いまでは世界中で人間とともに生活している。
アンナがいまいるのは、古くは秋葉原と呼ばれていた地域、現在では魔法町という名となった街に隣接する、人形町。そこにある真空管ドールのための学校、私立真空管ドール学院。
今日は学院の卒業式が執り行われていた。
笑顔を浮かべていたり、涙を拭いている卒業生や在校生がいる中で、アンナはぽかんと口を開け、呆然としたままだった。
式の途中、最優秀生徒として壇上に呼ばれ、学院長から祝いの言葉とみんなからの拍手を贈られたときも、半分自動的に反応しているだけだった。
――どうして、こうなったのだろう。
アンナの心の中は、その思いで一杯だった。
呆然としたまま卒業式を過ごし、気がついたら卒業証書を入れた筒を手に、昇降口を出て、正門へと向かう広場の前に立っていた。
まだ固い蕾をつけているだけのサクラとともに植えられた、小さく可憐な花を咲き誇っている梅の回廊には、卒業を迎えた真空管ドールとともに、人間が数多く来ていた。
その人間達は、卒業する真空管ドールのマスター。
真空管ドールは人間とほぼ同等の個性、人格を持つが、人間と同じ権利は持っていない。人間のために人間が製造する真空管ドールは、人間の個人、ないし企業や学校といった組織に仕え、特定の対象をマスターとする。
学院に入学した真空管ドールたちは、マスターの指示で勉学に励む場合などを除けば、ほとんどは卒業までにマスターを見つける「就職活動」を行う。
そしていま、アンナを迎えに来るマスターは、いない。
「どうして、こうなったの……」
まだ動くことができないアンナは、がっくりと肩を落としたまま、そうつぶやく。
主席での卒業がほぼ確定したのは三ヶ月も前のこと。
ロシアの名門真空管ドールメーカーであるイグルーシカ社で製造されたアンナ・フロイドは、ただの真空管ドールではない。
フルオーダー専門、外見から性能まで細やかに指定できるイグルーシカ社製「アンナ型」真空管ドールとして製造された彼女は、すべてにおいて最高グレードのパーツが使用された、世界でたったひとりのリファレンスモデル。
イグルーシカ社としても特別なドールとして、開発者の名を冠した「アンナ・フロイド」というユニークなネームを持つユニークドール。
学院を主席で卒業することも当然の結果で、メーカーからは社会勉強のためにマスターを探せと言われていて、在学中から卒業後は来てほしいという候補者からの声が多数集まっていた。
だから就職活動など簡単だと思い、首席卒業が決定した時点で、アンナは寮に籠もり、実験に明け暮れた。
明け暮れまくった。
ふと気がついてそろそろ就職活動をしなければと思い出したのは、昨日のこと。
すべては、手遅れだった。
「どうして、こうなったのだろう……」
すでに自分の中では結論が出ている疑問を繰り返し、アンナは呆然とし続けていた。
「マスター探しに失敗したそうじゃないか! アンナ・フロイド!!」
そんなアンナに、声をかけてくるドールがいた。
細く艶やかなアンナの金糸のような髪と違い、太めの濃い金色の髪をツインテールにまとめ、きっちりと制服を着て腰に手を当てている少女型の真空管ドール。
アリシア・ストリンガー。
アンナを製造したイグルーシカ社とは競合相手であり、とくに近年は敵対関係にあるとも噂されるシルクドール社で製造された彼女は、量産前の試験機であり、量産型よりも高い性能と異なる特徴を持つ、「ストリンガー」の名を冠したユニークドール。
性能はもちろん真空管ドール学院の中でもずば抜けて高く、アンナと一緒に卒業したアリシアは次席の成績を残している。
在学中、何度となく成績争いをし、戦いもしてきた、傍目から見ればライバルと言っていい関係だった。
自分の方が背が低いにも関わらず、顎を突き出してアンナを見下したような視線で見つめるアリシアは、言い放つ。
「主席で卒業したにも関わらず、就職活動に失敗したとはお笑いぐさではないか、アンナ! メーカーに帰る者、入学前からマスターがいる者もいるが、行き先の決まらなかった者は今年はお前だけだぞっ。くくくくっ……。首席卒業の優等生様がなんたることか!!」
身体を曲げて笑い転げているアリシアに、アンナは悔しそうに表情を歪める。
「生活に関してはマリーに頼らないといけない貴女が、人の心配をしている余裕があるの? 次席卒業さん」
「ふんっ。何とでも言うがいい。こちらはもうすぐ就職先の電子工学メーカーの者が迎えに来る予定だ。就職浪人生とは違って、忙しいのだ!」
「うくっ」
いつも伴として連れている真空管ドール、マリー・サマーフィールドがいないアリシアは、調子に乗りすぎていても突っ込み役が不在で、反論もできないアンナは歯を食いしばるだけだった。
「そんな様子ではイグルーシカに戻ることもできないだろう? アンナ。どうだ? もしお前がそれで良いなら、うちの会社で下働きにでも雇ってもらえるよう話をしてみてやろうか?」
「なんで貴女にそんなことしてもらわなくちゃならないのよ! ……一応、昨日お父様とは話して、一年間の猶予をもらったわ。最低限ではあるけれど、生活を維持するのに必要な物資や部屋をもらえることになったから大丈夫よっ」
「そうか、ならば安し――、残念だな。せっかくだからワタシの下で働いてもらおうかと思ったのになっ」
奥歯を噛みしめながら睨みつけてくるアンナを、アリシアは唇の端をつり上げて笑いながら睨み返す。
「一年でマスターが見つからなかったらどうするつもりだ?」
「そんなことあるわけがないでしょう? 次席に過ぎない貴女と違って、私は主席卒業生よ。時間さえあれば貴女よりも良いマスターが見つかるわ!」
「ふんっ。威勢のいいことを言ったところで、就職浪人生のクセに! 一年かかってマスターが見つからなければ、そのときこそ連絡してくるがいい。ワタシの下で召使いとして使ってやろう」
「アリシアのクセに!」
「アンナ如きが!」
白い歯を見せ合いながら睨み合い始めたふたり。
私立真空管ドール学院では恒例の様子に、周囲の卒業生も、在校生も苦笑いを浮かべてふたりのことを眺めていた。
「お嬢様ーーっ!」
そんなふたりの元に、焦った様子で駆け寄ってきたのは、ひとりの真空管ドール。
マリー・サマーフィールド。
マリー型は召使いやメイドとしての用途に特化した真空管ドールであるものの、量産型でありながらマリー・サマーフィールドのユニークネームを持つ彼女は、アリシア・ストリンガーにのみ――真空管ドールに仕える真空管ドールという、希有な存在。
薄赤い、ピンク色の長い髪をその大きな胸とともに揺らし、制服であるプリーツスカートの裾を乱しながらアリシアの元へとやってきたマリーは、険しい表情をアリシアに向けた。
「アリシアお嬢様!」
「どうした? マリー。遅かったではないか。迎えの者が到着したのか?」
「その……、その件なのですが……」
いつになく真剣な様子のマリーに、アリシアとアンナは睨み合うのを止め、歪められた彼女の顔を見つめた。
「お嬢様とわたくしが入社するはずだった会社なのですが……」
「どうした? マリーらしくもない。最後まではっきりと言え」
「はい。えぇっと、先ほど、消滅しました」
「は?! しょ、消滅だと?」
マリーの言葉に、アリシアは顎が落ちたかのように大口を開けてしまっていた。
「かなり強引な買収が行われ、それに抗いきれなかった会社が吸収される形で消滅しました。事業はもちろん、社屋なども乗っ取られてしまっています」
「それはまた、ずいぶん強引なやり口ね」
「そうなのです、アンナ様。以前から秘密裏に準備を進めていたようで、今朝になって一気にすべてが買い取られてしまいました」
「ふっ、ふん! しかし買収されたとは言え、事業ごと買い取られたのだろう? ならばワタシたちの勤め先がなくなったわけではあるまい」
「それなのですが……」
復活したアリシアが胸を張ってみせるが、マリーの表情はさらに曇るだけだった。
「卒業式の直後に連絡が入り、吸収に伴ってお嬢様の就職の話も消滅になったとのことです」
「なっ、なんだってーーーっ!!」
「あららら。それは大変ね、アリシア」
両手を上げて大口を開け、驚いた顔のままアリシアは固まってしまっていた。
固まって動かなくなってしまったアリシアに、おどけた口調に反して目を細めて視線を送るアンナは、唇をキツく引き結んでいる。
「それで、なのですが、アンナ様」
「何かしら?」
「アンナ様は一年の猶予をイグルーシカからもらって、独り暮らしをする予定なのですよね」
「えぇ、そうね。よく知ってるわね、マリー。……ん?」
首を傾げたアンナに、にこやかな笑みを浮かべたマリーは提案の言葉を投げかけた。
「その独り暮らしの部屋に、お嬢様もご一緒できないでしょうか?」
「は? なに言ってるの? マリー」
「アンナ様とアリシア様で、同棲を――。間違えました。共同生活をして頂きたいのですよ」
名案とばかりに胸の前でポンッと手を叩き、にこやかな笑みを浮かべるマリーの提案に、今度はアンナが固まってしまっていた。
代わりに解凍されたアリシアが噛みつく。
「何を言っているのだ、マリー!! 我がシルクドールとアンナのイグルーシカは因縁のある敵対関係! そのワタシとアンナが共同生活などできるはずもないだろう!!」
「わたくしもそう思ったのですが、今後のことを博士に相談してみた結果、そうするよう仰ったのです」
「いや……、しかしだな、マリー」
「えぇ、さすがに無理がないかしら? すでに製品版の出荷が始まっているとは言え、私はイグルーシカ製アンナ型真空管ドールのリファレンスモデル。同じく量産が開始されていても、シルクドールの試作のアリシア型と共同生活っていうのは……。機密的にもいろいろ問題が発生するでしょう?」
アリシアの言葉に同意し、アンナも一緒にマリーに詰め寄る。
「一度電話を切って折り返し連絡頂いたので、おそらく先方と相談されたのだと思います。アンナ様には、後ほどイグルーシカから連絡があるから、と伝えてほしいと仰せつかっております」
ニコニコと笑っているマリー。
博士からの言葉では翻すことができないと悟ったアリシアは、頭を抱えながらうなり声を上げている。
アンナはマリーに不審そうな視線を向けていた。
「共同研究でもする、ってことなのかしらね?」
「さぁ? どうなのでしょう。そこまでは聞いておりません。ただ、何かシルクドールとイグルーシカの間で、思うところがあるのかも知れませんね」
詳しいことを語らず、笑みを崩さないマリーに、アンナは不審を籠めた視線を向け続けていた。
「いや、やはり無理だ! アンナと共同生活などできるはずもないっ。こやつとひとつ屋根の下で暮らすなど、一ナノ秒たりとも耐えられるとは思えん!」
「ですがお嬢様。いまは博士のところにはお嬢様を受け入れる体制がないとのことですから、アンナ様との共同生活を拒否するならば、路上生活をするしかありませんよ?」
「ろ、路上生活だと?! うっ、ううううっ」
「……それも良いかも知れませんね。シンデレラのように薄汚れたお嬢様というのも、中々見応えがあるかも知れません」
「そんなのは死んでもイヤだ!!」
「でしたら、腹をくくるしかありませんよ」
苦しげな表情を浮かべているアリシアを何故か楽しそうに見つめるマリーは、アンナへと目配せを飛ばした。
不審そうに細めた目をマリーに向けつつも、アンナはアリシアに向けて右手を差し出した。
悔しそうに歯を食いしばるアリシアの手首をつかみ、マリーは嬉しげに笑む。
「さぁお嬢様。ここはいったんアンナ様に花を持たせると思って」
「くっ……。致し方あるまい! よっ、よ……、よろしく頼むぞ、アンナ!!」
悔しさに歪んだ表情はそのままに、一気にそう言ったアリシアはアンナの手をつかみ、ぶんぶんと振って握手をした。
「まぁ、お父様が了承しているなら、仕方がないわね……。それに、生活についてはマリーがいてくれるなら安心ね。……家事は私、そんなに得意じゃないし。マリーなら完璧でしょう?」
「あぁ、それは安心だ。マリーは少しばかり口うるさいが、家事についてはどんな真空管ドールよりも優秀だぞ!」
握手をしたまま期待の目を向けるアリシアとアンナだったが、笑みをやめ目を丸くしたマリーは、小首を傾げて言った。
「あら? まだ言ってませんでしたか? わたくしはお嬢様の生活費を稼がねばなりませんので、出稼ぎに行くことになっています。そう頻繁におふたりの住む部屋には帰ることはできないと思いますよ」
「な、なんだって?!」
「そ、それはないわよ、マリー!!」
同時に発せられたアリシアとアンナの悲鳴に、マリーはニッコリとした笑みを浮かべていた。
* 2 *
軽やかなタッチでキーボードに指を滑らせ、パソコン用の机のけっこうな割合を占有するCRTモニタに向かい合っていたアンナは、高らかにリターンキーを叩いた。
モニタの中では指示された処理が開始されたことを示す文字列が流れ、処理内容が超高速で表示された。その上では処理割合を示すバーのひとつ目が白く点灯する。
「ふぅ。これはしばらくかかりそうね」
それなりに性能の高い量子処理装置を持つコンピュータでも時間がかかりそうな進行状況に、アンナは金色の髪をかき上げながら椅子から立ち上がった。
「さて……」
部屋を振り返った彼女は、げっそりとした顔で肩を落とした。
イグルーシカ社が手配してくれた部屋は意外に大きく、各部屋の広さもかなりのもの。アンナの私室とLDKに加え、客人を泊められる部屋もあるほどだった。
ふたり部屋だった学院の寮よりも広い部屋を見回し、アンナはため息を吐く。
寮からこの部屋に移る際に、手持ちの荷物はかなり処分し、身軽にしてきた。大きな鞄ひとつに納まるくらいに。
それから一ヶ月。
部屋の中には天井までの高さがある書棚を埋め尽くす本。
それでも納まらない本が本棚の前に積み上げられ、お茶をするためにと思って買った小さめのテーブルには、実験機材が所狭しと置いてある。
床の上にも検査機材や自分をメンテナンスするための器具や液体ヘリウムのボンベがいくつもあって、さらにこの一ヶ月でやっていた実験の途中経過を印刷した紙も積み上がっている。
「魔境ね……」
寮にいたときは同室だったブロッサムに怒られてできるだけ片付けていたが、いまはひとりでいるために思う存分研究に明け暮れられる代わりに、片付けをするという思考が完全に止まってしまっていた。
最後にマリーが部屋に来てから十日。
そのときはマリーに頭を下げて掃除をしてもらって、まともに生活ができるくらいに片付いたはずなのに、たった十日で部屋は魔境と呼ぶべき状況に戻ってしまった。
「どうしようかしらね」
そろそろ片付けをしなければ眠る場所もなくなってしまうことはわかっている。
腕を組んで眉根に小さなシワを寄せるアンナは、唇を尖らせてうなり声を上げる。
「ま、いまの研究がひと段落してから考えましょう。それより少し小腹が空いたわ」
ため息を吐き出して考えることを放棄したアンナは、魔境となった自分の部屋を慎重に歩いて、LDKへと出た。
「あ痛っ! つつつつ……」
そんな声が背後から聞こえてきて、アリシアは屈めていた腰を伸ばし、振り向いた。
キッチンカウンター越しに見えるリビングダイニングスペースでは、壁に片手を着いて身体を支えながら、アンナがもう片方の手で膝を曲げてあげた右足のつま先をさすっている。
もう卒業したというのに、いまだ学院の制服を着ているアンナの、痛みに歪んだ顔にアリシアはニヤリと笑んだ。
しかしふと思い、マリーが用意してくれたフリルや模様で飾り立てられた赤いワンピースの短い裾を揺らし、アリシアはキッチンを出た。
アンナの足下にあるものを見、目を見開く。
「何をしているっ、アンナ! それを足蹴にするとは何を考えている!」
アンナが蹴り飛ばしたらしく、さきほど見たときとは微妙に角度が変わってしまっているのは、ジェット推進式ホウキの推進部。
既存の製品を改良して性能アップを試みているそれは、いまはバラして調整中で、大きな衝撃を与えると調整が狂ってしまう。
「痛たたた……。足蹴にするって、こっちこそ文句を言いたいわ! なんでこんなものを共有スペースに置いているの?! 私物は自分の部屋の中に置くという約束だったでしょう? アリシアッ」
「仕方がないであろう? アンナの部屋に比べればワタシとマリーの部屋は狭いっ。ふたりであの広さでは、納まりきらない荷物も出てくる! それにいまそこで作業をしていただけで、置きっ放しにしていたわけではないわ!」
「実際いまここに置きっ放しにしてるでしょう? それに貴女の部屋は組み立てたものはまだともかくとして、組み立てもしないダムプラで溢れているじゃないの! それをもう少しどうにかすればスペースできるんじゃないの?!」
「なっ! ダムプラを処分しろとでも言うのか! あれは我々真空管ドールのサポートもしてくれるとても役に立つプラモデルだぞっ。壊れやすいからできれば一小隊ずつほしいところを、三つずつで済ませているというのに!!」
「別に貴女の部屋の中のことにまで文句をつける気はないわっ。けれど荷物を共有スペースまではみ出させたりするのは勘弁してほしいと言っているの! 人が借りた部屋に住んでいるのだから、わきまえなさいっ」
「そういうアンナだって、マリーに手伝ってもらわなければ片付けひとつできないではないかっ。あれだけ広い部屋を使いながら、そろそろ荷物が納まりきらなくなりそうだろうがっ!」
ジェット推進ホウキをまたいで近づいてきたアンナに、アリシアもずんずんとフローリングの床を踏んで近づいて行く。
少しばかりアンナの方が身長が高いため、腰を屈めて顔を近づけてくる彼女に、アリシアは額と額がぶつかりそうなほど自分の顔を近づけ、怒りに染まった碧い瞳を怒りを湛えたブラウンの瞳で睨み返す。
無言の睨み合いに移行したアリシアとアンナ。
しかし、その睨み合いはふたり同時に漏らしたため息により中断された。
怒気をため息とともに吐き出してしまったふたりは、取り決めにより何も置かないようにしているダイニングテーブルに突っ伏した。
もぞもぞと手を伸ばして椅子を引き、腰を落ち着けたふたりは、それでも突っ伏したまま身体を起こさない。
「食べるものあった? アリシア」
「いや、何もなかった。缶詰でも保存食でもいいから食べるものがあればと思ったのだが、調味料しかなかった……」
「そうよね。私も昨日確認していたんだけどね……」
「ジェリ缶だったらまだあったぞ」
「それがほしかったわけじゃないのは、わかっているでしょう?」
「うむ……」
人間とほぼ同様の性格と個性を持つ真空管ドールはしかし、その身体はデジタルAIのものとそう大きくは変わらないロボット、機械の身体。
身体の各部分は概ね電気で稼働し、頭部に搭載した量子処理装置の冷却に液体ヘリウムなどの消耗剤は必要であるが、内蔵したバッテリに充電することにより稼働できる。
けれども近年の真空管ドールは、人間とともに生活するという観点からか、アナログAIがロボットではあり得ない人間らしさを発現させるためか、食事を摂ることでエネルギーを生成し、稼働するタイプのものが大半となっている。
大きな運動をして急激にエネルギーを消耗した際などのために充電機能は残してあるし、人間と同じ食事ではエネルギーへの転換効率が悪いのが常であるため、高効率変換が可能なゼリー状の食事、ジェリ缶もある。
しかしながらエネルギー変換炉ことロボ・ストマックから発生する空腹感は、充電では満たされない。ジェリ缶は無味無臭の糊といった感じのもので、いざというときは仕方ないとは言え積極的に食べたいものではない。
アリシアもアンナも、マリーがつくり置きしてくれた食事と、缶詰などが切れた三日前から、真空管ドールらしいまともな食事を摂っていなかった。
「マリーが帰ってくるのは十日後なのよね? いったん戻ってきてもらうことはできないの?」
「無理だな。マリーのプロ意識は相当高いからな。いまは何をしているのかも知らせてきていないし、昨日メッセージは送っておいたが、返信もない。……恥を忍んで頼むが、アンナ、少しお金を貸してくれ」
「お金なら私もないわ。来週振り込まれる仕送りが入るまで、堪えるしかないのよ……。というか博士からお小遣いはもらってるんじゃなかったの?」
「この前、一二分の一フィギュアのテスラと血子を見つけてしまったのだ! そういうアンナだって、新生活のためにまとまった資金をもらっていたのではなかったか?」
「一昨日、旧秋葉原駅前のショップで、量子メモリの特売をやっててね……」
そんなお互いの答えに、アリシアとアンナは机に突っ伏して黙り込んでしまった。
身体の維持に必要な資材は充分に揃っているし、充電かジェリ缶の摂取により動けなくなることもない。
しかしいまほしいものは、そうしたものではなかった。
「うぅ……。アンナはどこか、良いマスターは見つかりそうなのか?」
「……なかなか、ね。春のこの時期は学院卒業生と一緒に生活し始めたマスターばかりだからね。募集は学院の方に出してるけど、声はかかってきてないわ」
「そんなことを言って、ここしばらく部屋に籠もりっきりではないか。まともに探してないのだろう? 在学中だって三ヶ月もあったのに何もしなかったではないかっ」
「そう言うアリシアだってどうなのよ? マリー任せにしてるんじゃないの? 生活費稼ぐのだって自分ではしてないじゃないっ」
「何だと?」
「何よ!」
顔だけ上げて睨み合うふたりだったが、すぐにまた突っ伏してしまう。
もう喧嘩をする元気もなくなりつつあった。
「ケーキが食べたいわね。あと美味しい紅茶がほしいわ」
「ワタシはシチューが食べたいな。マリーのつくるシチューは絶品だぞ」
「以前ブロッサムに連れて行ってもらったカフェボルタのケーキが食べたい……」
「マリー、せめて料理をつくりに帰ってきてくれ……」
かみ合わないつぶやきを漏らし合っているときだった。
来客を告げる呼び鈴が鳴り響いた。
*
「客だぞ、アンナ」
「うぅ……」
再び鳴った呼び鈴にアリシアがそう言い、家主であるアンナはよろよろと力なく椅子から立ち上がる。
「あら? ブロッサム?」
LDKにある玄関モニタに映っていたのは、赤い髪を頭に取り付けられた真空管のところでツインテールに結った、見知った顔の女の子。
『アンナー。お届け物――、うわっ! こらーーーっ!!』
ブロッサムであることを確認したアンナが玄関に向かおうとしたとき、映像が乱れブロッサムの怒声が聞こえてきた。
一瞬顔を見合わせたアンナとアリシアは、急いで玄関に駆け寄る。
「どうしたの? ブロッサム!」
「何があった?」
「あ、アンナ! と、アリシア? えぇっと……」
玄関の扉を開けたところに立っていたブロッサムは、魔法町でよく飛び回っているのを見る宅配業者の制服を着ていた。
「今日は宅配のバイトなの?」
「あー、うん。そうなんだけどさぁ」
魔法町にある宇宙でも有数の大学、国立魔法科学大学の学生をマスターとしたブロッサムは、マスターと生活する一方で様々なアルバイトをして生活を支えている。真空管ドールの中でも力持ちのブロッサムはいろいろな職場で重宝され、いくつかのアルバイトを掛け持ちしていることはアンナも聞いていた。
今日は配送のバイトをしている様子のブロッサムはしかし、配送の伝票は持っているものの、荷物になりそうな箱のようなものは持っていなかった。
「どうしたのだ? ブロッサム。何か届け物だったのではないのか?」
「うん、そうだったんだけどー。強奪されちゃった……」
「な、何だと?!」
「強奪された? 怪我はしてない?」
「それは大丈夫だったんだけど……」
ブロッサムが向けた視線の先には、青く抜けるような空に、大きな荷物をぶら下げホウキに乗った男が飛び去っていっているのが見えた。
急いで追いかけようと下駄箱に立てかけた飛行用のホウキを手に取ったアンナだったが、行き交うホウキに乗った人々の中に紛れ、強奪犯はすぐに見えなくなった。
「いったい、誰からの荷物だったの?」
「あ、伝票はこれ」
差し出された配送伝票を見てみると、送り主の名はマリー・サマーフィールドとなっていた。
中身を書いた品名は、食品。
「あとこれ、メッセージもついてたんだ」
「見せろっ」
アンナの手元を覗き込んでいたアリシアが、ブロッサムからふたつ折りのメッセージカードをひったくって読み始める。
アンナも横から覗き込むその内容は、簡素なもの。
アリシアを心配する文章に加え、そろそろ食料が尽きている頃だから食材を送るということが書いてあった。
また宅配便強盗頻発を警告する文面が最後に添えられている。
「くっ! 盗まれた後に読んでも仕方ないわ! くそう、犯人めっ。マリーが送ってくれた貴重な食料を!!」
「本当に何を考えているのかしらね! ……ん?」
拳を突き上げて怒りを露わにするアリシア。
それに同意するアンナだったが、文章の末尾のさらに下に描かれた二次元コードに注目した。
「アリシア、これを見て」
「なんなのだ、アンナ! どうにかしてでも犯人を捜し出して、荷物を奪い返さなければならないときにっ」
「いいから、ここよ!」
「ん?」
メッセージカードを目の前に突きつけられ、アリシアもまたその二次元コードを視覚から読み取った。
「ね?」
「ふむ、なるほど」
「ど、どうしたの? ふたりともっ。とにかくあたしは、荷物を盗まれたことをセンターに報告してこないと!」
配送用のホウキにまたがろうとしたブロッサムを、ふたりで手を伸ばして服をつかみ、引き留める。
しばし見つめ合ったアンナとアリシア。
イグルーシカ社と、シルクドール社の最高性能を持つ真空管ドールのふたりは、笑む。
「何をすればいいのかは、わかっているわね?」
顎を引き、細めた目で笑み、アンナが言った。
「無論。そちらこそ抜かるでないぞ?」
わずかに顎を反らし、唇の端をつり上げたアリシアも言う。
「どれくらい時間が必要だ?」
「二時間……。いえ、一時間半で見つけてみせるわ」
「わかった。それではこちらもそれまでに手はずを整える」
「頼んだわ」
微笑み合うふたりは、どちらともなく右手を高く上げた。
ハイタッチ。
小気味よい音が鳴り響いた瞬間、ふたりは動き始めた。
アンナは部屋の中へと走り、自分の部屋の中に入ってパソコンの処理を中断して打ち込みを開始した。
「ブロッサム、一緒に来い! 手伝ってくれ!」
自分用のホウキを取り出したアリシアは、アンナが作業を開始したことを確認してから、ブロッサムの手を引きホウキにまたがった。
「え? え? どういうこと?」
「いいから来いっ」
首を傾げて頭の上にハテナマークを飛ばしているブロッサムとともに、アリシアは魔法町の空へと舞い上がった。
* 3 *
薄暗い倉庫の中では、多くの男たちが忙しく作業を行っていた。
古びてはいるが天井は高く、広さも充分なコンクリートが打ちっ放しの倉庫内には、圧迫を感じるほどの段ボール箱が詰め込まれるように置かれている。
男たちは入り口前につくった広めのスペースに箱を引っ張ってきて、大きさが様々なそれを開封し、内容物によって適当により分け、別の大きなコンテナに放り込んでいく。
黙々と作業をしている男たちのひとりが、ふと天井近くまで高さのある両スライド式の大扉の方に目を向けた。
「なんだ? ありゃ」
錠などはかけておらず、簡単な掛け金をかけているだけの大扉のところに、何かが動いているのが見えた。
男の声に他の男たちも動いているその小さなものに注目する。
「あれはダムプラってオモチャですな」
「ダムプラ?」
「そです。プラモデルなんですが、小型の真空管がついたロボットで、簡単な仕事ができたりするんですよ。あれはZダムかな?」
「ほぉ、そんなものがあんのか」
「えぇ。といってもプラモなんであんま耐久力はないんですがね。あーっ、この前近くの店にレアものの一二分の一フィギュアが出てたって話だったのに、買い逃したんだよなぁ。荷物の中にダムプラとかねぇかなぁ」
若い男は新しい箱を開け、衣服だったそれに舌打ちしていた。
「そのダムプラってのは、誰かの指示で動くものなんだろ? ってことは、あれはもしかして――」
そこまで言ったところで、カチャリと音を立てて、Zダムが掛け金を外すことに成功した。
ガラガラという音とともに開かれた大扉。
その隙間から姿を見せたのは、ふたりの女の子。
いや、頭に真空管を取りつけた、真空管ドール。
「な、何者だ!!」
誰何の声を上げた男に、他の男たちも一斉に大扉に目を向けた。
金糸のような髪を揺らし、フリルで飾り立てられたブラウスと深緑のネクタイに、深緑のプリーツスカートを穿いたアンナ・フロイドは、目を細めながら笑み、倉庫の中へと足を進めた。
長いツインテールを垂らし、レースや模様の煌びやかなワンピースを身につけるアリシア・ストリンガーは、ブラウンの瞳を煌めかせ唇をつり上げて笑い、アンナに並んだ。
「て、てめぇらは何者だ!!」
手に手に物騒な凶器を持った男たちに怯むことなく笑みを浮かべているふたりの真空管ドールに、誰も手を出すことができない。
視線を交わし合ったアンナとアリシアは、男の問いに口を開いた。
「ふっふっふっ。聞いて驚け!」
「私たちは通りすがりの真空管ドール」
「アリシア・スト――」
「――――アンナ・フロイドよ」
どちらが最初に喋るとは決めていなかったふたりの名乗りは、途中から声が被っていた。
先ほど交わした穏やかな視線と違い、アンナは眉根に深いシワを寄せてアリシアを睨み、アリシアは顔を歪めて怒りをアンナに向ける。
「アリシ……アンナ? えっと、アリシアンナだって? そんな真空管ドール、聞いたこともないぞっ」
「違うわ! 私は――」
「何を聞いているっ。ワタシの名前は――」
「アンナ・フロイドよ!」「アリシア・ストリンガーだ!」
突然踏み込んできたと思ったら、身体ごと振り向いてお互いに怒りの顔を見せ合っているアンナとアリシアに、男たちは呆然としてしまっていた。
「ちょっとアリシア! 私が名乗ろうとしてるときに声を被せてこないでっ」
「何を言っているアンナ! こういう台詞はお互い順番にひと言ずつ発言していくと遥か昔からのセオリーがあるだろう!!」
「そんなもの知らないわ!」
「無知めっ。これだからイグルーシカの真空管ドールは!」
男たちそっちのけで言い合いを始めたふたりを見、男たちは頷きあった。
「な、なんだかわけわかんねぇが、アリシアンナなんて奴らは放っておけ! ここが見つかったんだ、ずらかるぞ!!」
そんなかけ声に男たちが手近にある価値の高いものを手に逃走しようと試みるが、大扉の前にいたのはアンナとアリシアだけではなかった。
「そうはいかないよ! さぁ、宅配会社のみんな、今日は敵味方関係なく、泥棒を引っ捕らえろ!!」
アンナたちの後ろから姿を見せたブロッサムの声に、倉庫内には一斉に様々な宅配会社の制服を着た男たちがなだれ込み、宅配便強盗を捕らえ始めた。
「裏口から逃げろ!」
「甘い! あんたたちに迷惑被った会社はたくさんいるんだからね! この倉庫は完全に包囲済みだよ!!」
ブロッサムの声の通り、裏口の方からも争う物音と声が聞こえ始めた。
「はっ、そんなことより、発信器の反応は?!」
「たぶんこっち……。早く見つけて持って帰るわよ!」
我に返ったアンナとアリシアは、マリーの送ってくれたメッセージカードの二次元コードによりアクセスできるようになった、荷物に仕込まれた発信器の反応を探る。
積み上げられた荷物の片隅、まだ未開封の箱が積み上げられた場所に、送り主マリー・サマーフィールドとなっている荷物が手つかずのままあった。
「やったわっ。これでまともな食事ができる!」
「あぁっ。もうひもじい思いをすることもないぞっ」
喜び合うふたりの元に、あらかた強奪犯を捕まえ終えたブロッサムが近づいてきた。
「いやー、助かったよ、アンナ、アリシア。本当ここのところ、宅配便強盗が頻発しててさ、みんな困ってたんだ」
「あー、うん。そんなことたいしたことないわ」
「ふんっ、そうだな。それよりこの荷物、マリーからのものだから、持ち帰っていいんだろう?」
「え? まぁ、いいんじゃないかな? 本当は警察にチェックしてもらわないといけないと思うんだけど……」
「そんなもの待っていられるか!」
「その通りよ!」
ひとりでは持ち上げられない荷物をふたりで持ち上げ、アンナとアリシアは急いで倉庫の外へと向かう。
「後でお礼に行くからねーっ」
ブロッサムの声が追いかけてくるより早く、ふたりは倉庫から姿を消していた。
*
アンナとアリシアは、ダイニングテーブルに突っ伏していた。
テーブルの下には開封された、マリーから送られてきた荷物が置かれている。
テーブルの上には、スプーンが添えられた深皿が二枚。
皿の中身は、黒かった。
真っ黒な固形物と、わずかにどす黒い液体が入っている、皿。
「ど、どうしてレシピ通りにつくって、こんなことになるのだ、アンナ!」
ぷるぷると身体を震わせながら身体を起こしたアリシア。
「ちゃんとレシピ通りにはつくっていたのよ。……途中までは」
苦しげな表情を浮かべて顔を上げたアンナ。
「途中まで?」
「えぇ、そうよ。ただ、ちょっとね?」
「ちょっと?」
「スープを煮込むのに時間がかかるから、その間に途中だった実験をひとつ……」
「そんなことをしているから黒焦げになるのだ! せっかくマリーが送ってくれた食材が無駄になったではないかっ」
机を強く叩いたアリシアは、ギリギリと歯ぎしりをしてみせる。
「貴女だってどうなのよ、アリシア! 缶詰は臭みがあるから少し暖めた方がいいって言って、消し炭にしちゃったじゃないのっ」
「うっ……、ウルサいウルサい! マリーが送ってくれた食材なのだ、ワタシがどうしようと勝手ではないか!!」
マリーが送ってきてくれた荷物の中には、缶詰が少数と、あとは野菜などの食材が主だった。
高性能であるが、家事を主としない真空管ドールであるふたりには、料理スキルはインストールされていなかった。
怒りを湛えた視線をお互いに向け合うアンナとアリシア。
そのとき来客を告げる呼び鈴が鳴ったが、ふたりは睨み合ったまま反応しない。
「勝手に邪魔するよー、アンナ、アリシアーっ。って、なにこの焦げた臭い!」
鍵をかけ忘れていたらしい玄関の扉が開く音の後、声をかけながらLDKに入ってきたのは、ブロッサム。
「えっと、このお皿の黒い物体は、なに?」
睨み合ったまま動かないアンナとアリシアに、ブロッサムはおずおずとそう訊いてみる。
「ちょっと、スープをつくるのに失敗しただけよ」
「ふんっ。アンナが食材を無駄にしたのだ!」
「あー。アンナ、実験ならコンマふた桁単位で計量したり時間計れたりするのに、料理苦手だったもんね」
学院の寮でアンナと同室だったブロッサムは、視線を遠くに飛ばし乾いた笑いを漏らしていた。
「これがマリーさんからの荷物? 野菜ばっかりだね。アンナもアリシアも料理苦手って知ってるはずなのに、どうして食材で送ってくるかなぁ」
「知ったことか! アンナが無駄にしなければいいだけのことだっ」
「そう言う貴女だって!!」
いまにも殴り合いに発展しそうなほど激しい視線をぶつけ合うふたり。
空腹で気が立っているらしいふたりをなだめるために、ブロッサムは提案する。
「あたしも料理は得意じゃないけど、簡単なものだったらつくろうか? あ、ほら、うちのセンター長が犯人捕まえてくれたお礼にって、お腹空いてそうだったからお肉くれたんだ」
「本当に?!」「本当か?!」
声をハモらせ、ギラついた視線を向けてくるアンナとアリシアに、鞄から肉の包みを取り出したブロッサムは思わず半歩後退ってしまっていた。
「き、期待されても困るけど、鍋くらいしかできないよ?」
「充分よっ」
「もちろん、ちゃんと食べられるものならば文句はないっ」
「あはははっ。わかったわかった。じゃあちょっとキッチン借りるね」
そう言ったブロッサムは、マリーから送られてきた箱からいくつかの野菜を取りだし、肉の包みとともにキッチンへと入っていった。
穏やかな笑みを浮かべたアンナ。
期待に目を輝かせているアリシア。
どちらともなく右手をあげたふたり。
互いの右手は――。
「うぐっ……。やっぱり貴女と一緒に暮らすなんて無理だと思ったのよ!」
「ぐほっ……。それにはワタシも同意だっ。イグルーシカのドールとひとつ屋根の下など無茶だったのだ!」
交わされたのは、拳と拳。
握りしめた拳が、互いの頬にめり込んでいた。
「いくらお父様からの要請とは言え、断っておけば良かったわっ」
「ふんっ! こんな暮らしをするくらいなら、野宿をしていた方がよかったかもなっ」
「もうすぐできあがるから、静かに待っててよーっ」
「わかったわ、ブロッサム。……ふんっ」
「楽しみにしているぞっ。……はっ」
ブロッサムからかけられた声に笑顔で応えつつ、アンナとアリシアは互いにそっぽを向き、椅子にどっかりと座った。
漂ってきた美味しそうな匂いに鼻をひくつかせながらも、アンナとアリシアは目を合わせることはなかった。
そんな風に始まったアンナ・フロイドとアリシア・ストリーンガーの共同生活が、これから約一年に渡って続くとは、いまはまだふたりが知ることではなかった。
「アリシアンナ」 了