ようこそ敗北主義者のいる教室へ   作:高倉

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約二年ぶりですね。生きてました。


敗北主義者的無人島生活

 DAY2

 

「滝沢、朝早いんだな」

 

「あ、綾小路くん。おはよう」

 

 日も昇らないような早朝。

 特別試験二日目は、そんな早起きとともに始まった。

 

「外に行っていたのか?」

 

「うん、この暑さだし寝付けなくてね。軽く顔を洗って来たんだ」

 

「そうだったのか」

 

「そうだよ。それだけ(・・・・)だよ。綾小路君はもう起きるの?」

 

「いや、もう一眠りするよ」

 

「そっか、おやすみ」

 

「ああ」

 

 綾小路が横になったのを見送り、僕は自身の荷物を漁ってから再度テントの外へ。

 

 僕は川に近付き、髪と身体も洗う。

 昨夜に水浴びをしたとはいえ、さすがに夏の夜は熱く汗をかく。

 べたつく感触が消えて、心身ともにさっぱりとした。

 

 次に煮沸消毒の為に火を起こし、水を沸かしていく。

 昨夜のうちにこの訓練用のポイント(クラスポイントと紛らわしいのでサバイバルポイントと呼称する)を使用して容器はゲットしていた。

 火を見守っているとやはりと言うかなんというか非常に熱い。

 

 だが何とかみんなが起きて来る前には終わり、容器に蓋をして川に沈めて冷やす。

 とりあえず朝の準備は万全だ。

 

 昨日櫛田たちが取って来てくれた果物類を軽く食べやすいように切り分けていく。

 と言ってもクラス全員分となるとそこまで難しいのは出来ない。

 最近習得した料理スキルをいかんなく発揮し、パラパラとみんなが起き始めた頃にはすべての準備は出来ていた。

 

「すごっ、これ滝沢がやったの!? 一人で!?」

 

「早くに目が覚めてしまったもので……簡単な物ではありますが皆さんのお役にたてれたらなと」

 

 軽井沢が「やるやるやるじゃん!」と軽い感じで背中を叩いて、それに続く様に平田も「ありがとう! 滝沢くん!」とイケメンスマイル。

 他の生徒からも中々に好評だ。

 

 そうこうしていると、時刻は八時過ぎを指していた。

 

 僅かな蒸し暑さが体中を支配し、いますぐエアコンの聞いた寮の部屋に戻りたいと切実に思う。

 叶わぬことを夢想していると、平田が本日の予定をみんなに伝えた。

 

 木の実などの果物を取ってくる人。

 魚を釣ってくる人。

 キャンプを守る人。

 そして、他クラスを偵察する人。

 

 本日は主にこの四つに分かれて行動するそうだ。

 

 僕は真っ先にキャンプを選択したかったが、寸でのところで待ったをかける。

 

 ……いやいや、僕はみんなの為に頑張ると決めたのだ。

 ならば積極的に行動すべきだろう。

 

 特にもめることも無かったので結果を言うと、俺は魚釣りをすることになった。

 

 

  ☆

 

 

 魚釣りは二つの班に分かれた。

 まず川に網を張って川魚を狙う班。

 それと、釣竿を持って海へ行へとレッツゴーする班。

 

 僕は海釣り班に配属された。

 

 同班には、話したことのない女子数名と、伊吹がいた。

 伊吹曰く、僕がいないとDクラスの女子連中から質問攻めにあうのだとか。

 先日の件が尾を引いているのだとすれば申し訳ない限りである。

 

 何故僕以外に男子がいないのかと言うと、うちのクラスの男子は大きく二分割される。

 運動まったくできない勢と、ガチガチアウトドアボーイだ。

 運動できない勢は持ち前の怠けっぷりを大いに発揮し、キャンプ地を守っている。

 アウトドアボーイは木の実を探しに森の中を駆け回っていた。

 

 本来ならば僕もそちらのはずだったが、女子だけで釣りに行かせると言うのも、過保護かもしれないが心配と平田が言ったため、株価急上昇中の滝沢くんが選ばれたしだいである。

 役得役得。

 

 海に面した岸辺に出ると、釣りを始めようと準備する。

 当然の様にとなりを陣取ってくる伊吹に、思わず心臓が跳ねた。

 

 昨日、僕は自分の気持ちを隠すことを辞めた。

 

 僕は伊吹が好きだ。

 

 だから今こうしてどぎまぎしている。

 無意識のうちに伊吹の顔を見つめてしまい「なに?」と言われてしまった。

 

「何でもない」

 

「ふーん。……そう言えば、あんた昨日」

 

 伊吹が何事かを言いかけた瞬間――「滝沢くーん! やり方教えてぇ!」と女子から呼ばれる。「少し待ってください」と返した後に、再度伊吹に目を向けた。

 

「ごめん、それでなに?」

 

「別に、何でもない。行ってあげたら?」

 

「……そう? わかった」

 

 女子の下へと向かう。

 

 向かった先で困った表情を浮かべていたのは佐藤麻耶と篠原さつき、松下千秋の三名であった。

 普段から軽井沢のグループに属し、所謂ギャルである。

 当のリーダーは平田と行動を共にしていた気がする。

 

 彼女らは釣り針と小海老の入ったタッパーを掲げて戸惑っていた。

 本日は浮き吊りである。

 ルアーでもいいかと思われたが、初心者なら浮き吊りの方が簡単だろう。

 

 餌を付けて適当な投げ方をレクチャー。

 足元滑るから気を付けてねと言って、自分の場所に戻ろうとすると、佐藤に引き留められる。

 

「てかさ、滝沢くんってホントにすごくない?」

 

「え、えっと……」

 

 真正面からこうも素直に告げられると、なんと返していいかわからなくなる。

 だが褒められて悪い気はせず、照れから頬が熱を持つのが嫌でも分かった。

 

「あー、確かに。最初なんか今キャンプにいる奴らみたいなオタクだと思ってたからさぁ」

 

「あー、まぁ、わかるかもー」

 

 カラカラと笑いながら話す篠原と松下。

 軽い調子で言っているが、なかなかに毒舌だ。

 しかし、リア充女子からすればオタクに対する評価などそんなものなのだろう。

 

「あ、あはは……」

 

 どうすればいいのかわからず乾いた笑みを浮かべていると、佐藤が「ちょっと、二人とも言い過ぎだって~」とあくまでも場を悪くしない口調で窘めた。

 リア充だからこそできる芸当と言えるだろう。

 

 そんなイケイケ女子に僅かに苦手意識を持ちつつも、そろそろ伊吹の隣へと舞い戻ろうかと考えていると、佐藤がクイっと袖をつかんできた。

 

「あ、あのさ……滝沢くんは伊吹さんと付き合ってるの?」

 

 なぜか上目遣いで訪ねられる。

 なんだこれ。どういう状況だ。

 というか、そんな質問は童貞的に一番勘違いしやすい奴だから止めてね。

 

「いや、付き合ってはないですよ」

 

「——っ! そ、そっか! そっか! うん!」

 

 返事をするとあからさまに口角をあげて死んだ語彙力を口から吐き出す佐藤。

 すると篠原がどこか呆れたように「はぁ」と溜息をついてから「ありがと、あとは自分たちでできそうだから」と言って佐藤の手を取り釣りへと戻っていった。

 

 いったい何だったのか。

 疑問はあれど、伊吹の隣に舞い戻る。

 

「……えっと、どうかした?」

 

「別に」

 

 なぜかジッと横顔を見られていたので尋ねるも、彼女はフイっとそっぽを向いてしまう。何それ、めっちゃ可愛い。

 

 それから伊吹と並んで糸を垂らす。

 平和、超平和である。

 

 ぽけーとしながら釣りを満喫していると、ひそひそと、一緒に来ていた女子たちの会話が耳に着いた。

 

「滝沢くん、ヤバくない?」

 

「ほんと、めっちゃ優しいじゃん」

 

「何でもできて、かっこいいよねー」

 

 めっちゃ褒めてくれる。

 超気持ちい。

 

「良かったね」

 

「何が?」

 

「……」

 

「……」

 

「……ふん」

 

 もちろん彼女の言葉の意味は分かっている。

 だからと言って、ここで馬鹿正直に「超きもてぃー」などと言えるはずがない。

 それゆえ、今だけは鈍感系主人公の如く難聴になる。

 

 今なら伊吹に告白されても「え? 何だって?」くらい言える。

 

 アイアムドンカンボーイ。

 

 するとチャポンと僕の浮きが沈んだ。

 魚がヒットしたのだろう。

 クイッと上げると十五センチくらいの奴が連れた。

 さすがに魚の種類まではわからないので、バケツに放り込み、再度糸を放り投げる。

 

 まぁ、毒はないだろう。

 

 何しろこれは国が運営する学校が、用意した試験。

 生徒の安全は百パーセント保障されているに違いない。

 

 結局、途中何度か休憩を挟みつつ、熱中症に注意して昼過ぎまで海釣りを楽しんだ。

 女子も笑顔でいてくれたので、楽しんでもらえたと思いたい。

 

 まぁ、釣りと言うより友達とずっとだべっていられることを楽しく思ったのかもしれないが、

 どう楽しむかは個人の自由である。

 笑顔ならそれでいい。

 

 

  ☆

 

 

 帰ってくると昼食の準備である。

 滝沢くんフル稼働。

 休む暇がない。

 

 正直なところ、身体に疲れが蓄積されていっているが、このまま何事も起きなければ一週間は持つだろう。

 

 休むのはそれからで十分だ。

 

「ほんとに何でもできるんだ」

 

 魚を一人で掻っ捌いていた時、女子に声を掛けられる。

 誰だろうと顔をあげると、視界に映ったのは染められた金髪。

 ポニーテールがゆらりゆらりと眼前をちらつく。

 

「あ、か、軽井沢さん」

 

 まさかの平田のガールフレンドである。

 顔面偏差値の高い当学校で見ると上の下と言ったところか。

 しかし十分に可愛い部類には入り、クラス内カーストのトップに君臨するリア充の女王。

 

 よもや向こうから話しかけてもらえるとは。

 有り難さのあまり涙がちょちょぎれる。

 

「今回の試験は滝沢が居てホント助かったよー」

 

「そ、そうですかね?」

 

「うん、まぁ、平田くんだけでも大丈夫だっただろうけど、こういう技術面はうまい人が良いに決まってるしね」

 

「……ありがとうございます」

 

 思わず心がほわほわした。

 自然と口元が弧を描く。

 

「てか、敬語じゃなくていいよ」

 

「う、うん。わかりまし……わかったよ」

 

 それから一言二言言葉を交わした後、「じゃーねー」と元気に手を振って平田の下へと戻って行った。

 

「滝沢くんって軽井沢さんと仲いいの?」

 

 再度包丁を振るい始めた所に、軽井沢と入れ替わりで現れたのは佐藤であった。

 

「仲……良くなれてたら良いんですけどね。友達が少ないもので」

 

 自嘲気味に笑う。

 すると佐藤はその身を乗り出して、目を輝かせた。

 

「私が友達になってあげる」

 

 先ほどのこともあるが、これはいったいどういう風の吹き回しなのだ。

 いくらこの特別試験が始まってから格好をつけているとはいえ、あまりに好感触過ぎないだろうか。

 しかし、示される好意を無碍にするほど、非情な人間ではない。

 むしろこれは嬉しいことなのだ。諸手を挙げて迎え入れよう。

 

「ありがとうございます。嬉しいです」

 

「——っ! け、敬語は、いらないから」

 

「あ、あぁ、わかったよ」

 

 剣幕に押されて頷くと、彼女は嬉しそうに笑みを浮かべた。

 それからしばらく言葉を交わしてから、彼女は女子たちの輪に戻っていった。

 

 出した料理はおおむね好評で、さらに株価は爆上がり。

 

 平田や綾小路とも良好な関係が気付けており、

 山内や軽井沢とも敬語無しでの会話が可能となった。

 

 これならば、試験が終わったとき。そこに僕の居場所が出来ているかもしれない。

 

 その日は、綾小路と堀北の二人が他クラスの様子を見に行った他に、特出すべきことは無かった。

 

 二人からもたらされた情報により、Aクラスが洞窟、Bクラスが滝付近、Cクラスがビーチに拠点を置いていることが判明した。

 さらにCクラスは豪遊三昧だったと言う。

 

 伊吹を追い出しておいて……! と怒りが湧いたが、暴力行為は即失格だ。

 

 

 

 溜飲を下げて、大人しく眠ることにした。

 

 

  ○

 

 

 DAY3

 

 本日も朝から仕事三昧である。

 しかし全員分の食事を作っていると、数名の女子が早起きをして手伝ってくれるという嬉しいサプライズがあった。

 特に主立って手伝ってくれたのは料理部に所属しているという篠原であった。

 

「滝沢って何で今までそういうの隠してたの?」

 

 料理の最中、篠原から言葉をかけられた。

 

「……別に隠してたつもりはないですよ。機会がなかっただけで」

 

「へー、ってか敬語止めたら?」

 

「わかり……わかった」

 

 いつもの流れに従い敬語を辞めると同時に、篠原はこちらを一瞥して大きくため息を吐いた。

 彼女は包丁を置くと「ちょっと来て」と顎で森を指す。

 

 え、なに?

 いきなり雰囲気変わってめっちゃ怖くなったんですけど。

 しかし断ることなどできるはずもなく、その背を追った。

 

 

  ○

 

 

「単刀直入に言うけどさ、あんたの態度、私は結構イライラしてるんだよね」

 

「えっと……」

 

「そのなよなよした感じと、誰に対しても最初は敬語なところ。別に悪いとは言わないけどさ、せめて向こうがタメならこっちもタメでいいじゃん。同級生なんだしさ」

 

「いや、でも……」

 

 それはどうなのだろうかと思っていると、彼女は続ける。

 

「なんかみんながあんたを凄い凄いってもてはやしてるから、表面上は私も同意してるけどさ……本心を言うとあんたの性格結構嫌いなんだよね」

 

 まさかこれほど真正面から嫌い宣言されるとは。

 さすがにショックを隠せない。

 

「ま、つまりはちょっとでも『普通』の性格になってほしいってこと。キモいから。それじゃ」

 

 そう言って篠原は踵を返し、調理をする女子たちの輪に戻っていく。

 表情は明るく、今の今まで見せていた嫌悪感丸出しの相貌は影も見えない。

 

「普通、ねぇ……」

 

 これまた難しい注文だなと思いつつ、その背を追うのだった。

 

 

  ○

 

 

 朝食を済ませると、今度は食材調達の時間である。

 

 三日も住んでみれば島の状況もおおよそ理解することが出来てきた。

 まず、基本的に食料には困らない。

 

 島を探せばそこら中に野菜や果物が生い茂っているし、川には魚も泳いでいる。

 肉が取れないのが残念だが、一週間くらい大丈夫だろう。世の中にはベジタリアンなんて人種もいるくらいだからな。

 

 午前中の食材調達組に入ろうとしたところ……。

 

「いや、今日は滝沢くんは休んでいいよ」

 

 笑顔の平田に止められてしまった。

 

「ええと、何故? もしかして戦力外通告?」

 

「あははっ、そうじゃないよ。ただ滝沢くんは食材だけじゃなくて料理も主立って担当してくれてるから、休んでもらいたいだけなんだ」

 

 なるほど。

 そういうことなら納得である。

 自分で言うのもあれだが、僕の仕事量はほかの生徒よりも些か多かった。

 もちろん僕が望んだというのもあるのだが、多いことに変わりはない。

 

「だけど、自分から役に立つって決めたからさ……頑張りたいんだ」

 

 平田に本心を伝える。

 すると彼は困ったような表情を見せ、すこし考えるように顎に手を当て——しかし結論を出す前に一人の女子生徒の言葉により、解が提示される。

 

「はぁ? 倒れられたら迷惑だから、休めって平田くんは言ってるの」

 

「軽井沢さん」

 

 平田が言葉の主の名を呼び、視線を向ける。

 

「体調崩して船に戻ったら-30ポイントされるのよ? だったら休めるときに休むのも大切なことだと思うけど?」

 

 それは全くの正論であった。

 実際はまだまだ倒れる気はしないが、それでも体力を消耗することに変わりはない。

 未来のことなど、だれにもわからないのだ。

 

 僕は少し間を開けてから首肯。

 

「じゃあ、言葉に甘えさせてもらうね」

 

 というわけで、その日は休みとなった。

 

 川辺に腰を落ち着けて足をつけていると、隣に伊吹がやってくる。

 真似て足を川に着けると、しばらく一緒に空を見上げる。

 

「なぁ、この試験が終わったら映画を見に行かないか?」

 

「何あんた、死ぬの?」

 

 ぼそりと、半ば無意識につぶやいた言葉だったが、よくよく考えてみれば死亡フラグである。

 殺人犯と同じ部屋に入られるか! ちょっと田んぼの様子を見てくる。に並ぶ、三大死亡フラグだ。

 ちなみに三大と銘打っているが、地方、時代によって異なる。

 他には、別に倒してしまっても構わんのだろう? などがランクインする。

 

「いや、そういうつもりじゃなくて、純粋なデートのお誘い的なだな」

 

 素直に答えると、目を見張る伊吹。

 

「……」

 

「何だよ」

 

「……考えが読めない」

 

「何も考えていないからな」

 

「何それ。馬鹿なの?」

 

「賢かったら今頃Aクラスにいるだろうな」

 

 伊吹と言葉を交わしながら川に眼をやると、魚が泳いでいる。

 不意にドクターフィッシュがしたくなってきた。

 足に群がりパクついてくる姿は超プリティー。

 

 帰ったら速攻でやろうと思う。

 

「滝沢ってさ、よくわかんないよね」

 

「まったくもって同感だな」

 

 友達が欲しいと言いつつ、仲良くしたくないと思う。

 彼女が欲しいと思いつつ、恋愛感情は必要ないと言う。

 プライドというものが欠落しており、信念も存在しない。

 

 行動はあやふやで、一言でいうのなら愚者。

 

 自分ですら自分がわからないのに、会って数か月の伊吹がわかるはずがなかった。

 

 結局それっきり会話を閉ざし、以降の休憩時間は近くに来たクラスメイトと言葉を交わして終了。

 三日目は驚くほどに、やりがいのない一日であった。

 

 ただ、眠る前——伊吹の「ごめん」という言葉だけが、嫌に耳に残っていた。

 

 

  ○

 

 

 DAY4

 

「ちょっと男子! 起きなさい!」

 

 顔を洗って朝食の準備に取り掛かっていると、篠原の怒りに満ちた声が聞こえてきた。

 いったい何事かと料理する手を止めて近づくと、彼女の近くにいた佐藤がひょこひょこと寄ってくる。

 

「いったいどうしたの?」

 

「実は、軽井沢さんの下着が盗まれたの」

 

 下着が盗まれた。

 ほうほう。

 なるほど。

 

 ……え? 普通に犯罪じゃね?

 

「えっと、その軽井沢さんは?」

 

「今はテントで泣いてる。一応櫛田さんが見てくれてるよ」

 

「さすが櫛田さんだな」

 

 隙あらばよいしょ。隙を見せるほうが悪い。

 

「それで、怒った篠原さんが『男子の誰かが犯人だ』って言ってて……」

 

「この状況ってことか。まぁ、確かに男子の誰かっていうのが一番あり得るだろうね。……って、僕も男子か」

 

 ぼやいた言葉に、佐藤は首を横に振る。

 

「滝沢くんと平田くんは容疑者じゃないよ。平田くんは軽井沢さんの彼氏だし、滝沢くんは……」

 

 佐藤の視線をたどると、この状況を静観する伊吹の姿。

 なるほど、伊吹を連れてきたという紳士的な対応を行った結果、この状況でも疑われないほどの信頼を女子から得られていたのか。

 ラッキーだ。

 

 そうこうしていると、テントから男子がぞろぞろと出てきて「なんだよ」などと不平不満を口にする。

 篠原の口から今朝の事件について語られ、これから荷物検査を行うとの説明が入る。

 

 最初は渋っていた男子だが、平田の懇願もあって、しぶしぶという様子で荷物検査を受け始める。

 

 その間、女子の視線は主に池、山内、須藤の三人に向かっていた。

 教室でも普通に下ネタを語らいあうが故の疑いである。

 

 しかし、予想とは反して彼らの荷物の中から下着は見つからず、最終的に誰の荷物からも見つからなかった。

 

 僕は友人でもある綾小路に近づいて話しかける。

 

「どう思う?」

 

「わからん。下着は誰の荷物からも発見されなかった。つまりは攪乱目的で他クラスの誰かが隠しただけ、とかか?」

 

 彼の視線は伊吹に向かっている。

 

「伊吹が? でもあいつはクラスを追い出されてここに来たんだよ? 有り得ないよ」

 

「……そうだな」

 

 綾小路がと話していると、ふと山内が声をあげた。

 

「平田はわかるけどさー、滝沢も一応調べといたほうがいいんじゃね?」

 

 これに対し、ここ数日で言葉を交わした女子たちが声をあげた。

 

「は? 滝沢くんはしないでしょ」

 

「そうそう、伊吹さんいるし」

 

「盗るなら伊吹さんの盗るでしょ」

 

 最後のはどうなんだ。

 というか、伊吹効果凄いな。

 数日前までボッチとは思えないほどの信頼だ。

 

 思わず心の汗を流してしまいそうになるが、何とかこらえる。

 

 女子の勢いに負けて山内がシュンとなったのを確認して、平田が注目を集める。

 

「とりあえず、犯人捜しは今は置いておこう。女子のみんなは嫌だろうけど、今見た限りでは男子に犯人はいなかった。捜すにしてもこの試験が終わってからにするべきだと思うんだけど、どうかな?」

 

「……平田くんが言うなら」

 

 篠原が頷き、こうして騒然とした下着泥事件は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 かに、思えた。

 

「あれ、私の下着も無い」

 

 その声は、青いショートカットの少女。

 華奢な体とは正反対の、好戦的な性格の少女。

 

 そう、伊吹澪のものであった。

 

 これを受けて、収まりかけていた現場は騒然とする。

 

 だが、さすがは平田。

 これを受けてもすぐに対応した。

 

「そうか。でも、今確認した通り、男子の荷物から下着は見つかっていない。伊吹さんの物も、船に戻ってから——」

 

「滝沢の確認するべきじゃね?」

 

 平田の言葉を遮るようにして言葉を挟んだのは池であった。

 その結論に至る思考は何らおかしいものではない。

 

 先ほどまで女子が僕をかばっていたのは、僕の感情が伊吹に向いていると認識していたからだ。

 だから、軽井沢の下着を盗むはずがない、と。

 

 しかし、今回はその想い人である伊吹の下着も盗まれていた。

 なるほど、まったくおかしくない。

 

「わかりました」

 

 別にやましいことはないので、荷物を取ってきて、渡す。

 荷物を受け取った検査員平田は中身を確かめ——一瞬、眉を歪めた。

 

 いったいどうしたのかと思っていると、その様子に目敏く気が付いた堀北が平田のに声をかける。

 

「何かあったのかしら」

 

「え、あ……いや」

 

 思わず言いよどむ平田。

 一同の視線がこちらへと集中した。

 

「え? ちょ、ど、どうしたんだ平田くん」

 

 そんな対応をされては怪しまれてしまう。

 

「……」

 

 僕の質問に無言になる平田。

 何もないはずなのに、何故そんな反応をするのか。

 

 すると痺れを切らした堀北が平田から荷物を奪い取り、中身を取り出す。

 

 そこに女性下着はない。

 当たり前だ、盗っていないのだから。

 

 しかし、堀北は空になった荷物入れを覗き込み、次に鋭い目つきで僕を見つめる。

 

「二重底になってる」

 

「……はぁ?」

 

 言っている意味が分からず、呆然と立ち尽くす。

 堀北は荷物入れに手を突っ込み、ゴソゴソ。

 再度引き抜いたとき、その手には二つの下着があった。

 

 彼女は男子に見えにくいようにしながら、伊吹へと近付き、尋ねる。

 

「これは伊吹さんのかしら」

 

「……そう」

 

 刹那、何よりも、だれよりも早く僕の口が動く。

 

「違います! 僕じゃありません!」

 

 おそらく高度育成高等学校に入学して以来、一番大きな声が出た。

 けれど、この状況では全く何の意味もなく、むしろ逆効果だった。

 

「はぁ? 何も違わねぇだろうが糞野郎!」

 

 真っ先に怒鳴ったのは須藤。

 続いて、池や山内といった男性陣から罵倒が飛んでくる。

 

「お前の鞄から出てきたんだから、それしかないだろうが! しかも二重底にして隠してたとか……」

 

「だから違います! 二重底も、知りません!」

 

 とにかく否定しなくてはだめだ。

 何とか絞り出す言葉だが、これに男性陣はより一層侮蔑の視線を向けてきた。

 

「マジで糞だなこいつ」

「陰キャがイキった結果だろ」

「下着盗むとか、やって善いことと悪いことの判別すらつかねえのか」

「糞だな」

 

 くそっ、何でこんなことになったんだ!

 こんなのまるで……まるで……。

 

 脳裏に過るのは中学生のころ。

 あの時もまた、僕は非難された。

 

 また、あの二の舞になるのか?

 

「ま、待って、ください。た、滝沢くんがそんなことする人だとは、あの、その……」

 

 非難の雨の中、一人の少女の声が響く。

 顔をあげて視線を向けると、そこにいたのは佐倉であった。

 注目されることが嫌いのはずなのに、彼女は勇気を振り絞って意見を述べていた。

 

 ——が。

 

「はぁ、そんなの何の証拠にもなんないじゃん」

 

 一蹴したのは篠原だった。

 

「で、でも」

 

「それとも何? あんたこいつのこと好きなの?」

 

「ち、ちが……そういうのじゃ、あ、ありません……」

 

 半ば威圧するような篠原の態度に、佐倉の声はしぼんで、消えてしまった。

 せっかくかばってくれようとしたのに、非常に申し訳ない気持ちになる。

 

 どうにかして打開策を考えないといけない。

 このままでは下着泥の冤罪をかけられてしまう。

 

 僕はすぐに頭を回し始め——

 

「あー! 好きって言ったら滝沢の奴、軽井沢が気になるとか言ってた!」

 

 山内のその言葉で、すべてが停止する。

 

 あぁ、言った。

 確かに言った。

 

 キャンプ一日目。

 薪拾いに綾小路、山内、佐倉の三人と森へ赴いたとき。

 山内がだれが気になるか、としつこかったので軽井沢の名前をあげた。

 

「それは、——っ!」

 

 すぐに反論を試みたが、彼らの目を見て、すべてが無駄だと悟る。

 

 人というのは誰かの話よりも、自分の目で見たことを真実だと思う。

 至極当然のことだ。

 

 視界に映る世界が真実とは限らないのに、思い込んでしまうのだ。

 

「ち、ちが……」

 

「最低」

「今までのも好感度稼ぎってやつ?」

「キモー」

「てか普通に警察沙汰じゃない?」

「死ねばいいのに」

 

「ち、違う、ぼ、僕は、ぼくは……やってない……。ひ、平田くん! 平田くんは、信じてくれるよね?」

 

 一縷の望みをかけて、ずっと無表情だった平田に呼びかける。

 

 彼はビクッと身体を揺らして——たっぷり十秒考えて、ゆっくりと、自分でもその発言が正しいかどうかがわからないのか、不安そうな表情で、結論を口にした。

 

「あ、謝るべき、だと思う」

 

「——ッ!」

 

 その瞬間、場の空気が一つになる。

 

 滝沢佳乃はクロだ、と——。

 

「ちがう、ちがうちがう、僕じゃ、()じゃない! 俺じゃないのに……何で、何で何で……違う違う違う! 『俺』じゃないんだ!! 信じてくれ!!」

 

 塗り固めていたメッキが剥がれ落ちて、かつての昏い自分が目を覚ます。

 そうして口を付いた俺の慟哭は——

 

「いい加減にしてちょうだい。これ以上試験の邪魔をしないで」

 

 堀北の一括で、抱水に帰した。

 

 ……

 

 …

 

 ………………

 

 

 

 ――その時、『俺』は過去の出来事を思い出した。

 

  △

 

二年前。

 

 

「死ねよ最低男!」

 

「このクズがッ!」

 

「キチガイマジでキモい」

 

 浴びせられる罵詈雑言の嵐。

 

「さっさと謝れよ!」

 

「そうよ、謝りなさいよ!」

 

「土下座だ土下座!!」

 

 そして、一人の少女に対し、かつてのクラスメイトが謝罪しろと彼らは叫ぶ。

 

 ――”違う、俺はただ、キミたちの為に”

 

 口を開くと、一人の少年が蹴りつけてくる。

 口の中を切って、鉄の味が口内を蹂躙する。

 痛みにのた打ち回ってると、さらに暴行を続けられた。

 

「なんで、なん、で……。俺は、友達としてキミたちを……」

 

 涙を流しながら必死に訴える。

 けれど、帰ってきたのは無情な言葉。

 

「お前なんか、友達でも何でもねぇよッ! このクソ野郎!!」

 

 理不尽な暴力だと、思った。

 だって、俺は誰よりもずっと、君たちのことを想っていたのだから。

 

 自分の時間を犠牲にして、いろいろな手を尽くして頼まれたことを実行した。

 

 その結果がこれだ。

 頼みごとをした奴、無関係の奴。

 いろんな奴が俺を袋叩きにした。

 

 この日を境に孤独になり、卑屈になった。学年で、誰よりも嫌われ者になった。

 そして、卒業を期に、全てを変えた。

 人格を、性格を、一人称を、価値観を。

 

 頑張った、頑張ったのに……。

 

 ――『俺』は”そんな日々”を、思い出していた。

 

 

  △

 

 

 現実逃避を辞めて、前を見る。

 そこには、軽蔑し、敵意を持った視線を向けてくるDクラスのみんなが居た。

 

「……ちがう、俺じゃない」

 

「最低だよな」

「こんな奴とは思わなかった」

「マジでキモい」

 

 小さな否定は人格否定の言葉でかき消される。

 

「てか、死ねよ」

 

 折れていた心を踏みつけられる。

 自分の中で”何か”が、修復し始めていた”何か”が崩壊する。

 

 そうだった。

 何で忘れていたんだろう。

 

 もういい。

 

 もういいじゃないか。

 

 何で俺は、また誰かを信用しようと思ったのだろう。

 あれだけ後悔して、破壊したというのに。

 

 侮蔑の視線を向ける少年少女。

 

 その瞬間、理不尽に対する怒りは限界を超え、振り切れて――。

 

「もう、どうでもいい」

 

 最後にそう言い残し、俺は森へと駆け出した。


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