ようこそ敗北主義者のいる教室へ   作:高倉

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変わりだす滝沢佳乃

 平田の一声で休憩が言い渡される。

 浜辺から森へとなれない道を進んだ都会っ子たちは疲れたようにその場に腰を下ろした。

 

 僕は別段疲れたと言う事も無かったので、水分補給だけして一人、樹に背を預ける。

 余裕の表情を見せるのは日ごろから運動をしている生徒を除けば、高円寺、綾小路の両名だけだ。

 

 須藤や池、山内はベースキャンプとなる場所を求めて先行していた。 

 

「みんな、聞いてくれるかな。これからベースキャンプを決めるために、僕らも探索しようと思う」

 

 これに対して軽井沢が「そうなの?」と疑問を投げかけた。

 平田と軽井沢の身長の都合、上目遣いである。

 こぎゃるの上目使い、グッと来ないはずがない。 

 

「どこにベースキャンプを置くかでポイントも大きく変わってくるからね」 

 

 そりゃそうだ。

 水場を確保できれば水代が浮くし、果物の群生地帯の近くに身を置けば食料代も減る。 

 

「僕と一緒に行ってくれる人はいないかな?」 

 

 森を自由に動き回る許可が平田大明神様より下された。

 個人的には童心に帰り走り回りたい欲がマッハ。 

 

 でも真っ先に手をあげるのは……なんて思っていると、志願の声は平田の頭上より振ってきた。

 その人物は意外や意外、当クラスでも問題児と噂される高円寺。木の上に寝転がりながらの挙手である。 

 

 彼を皮切りに何人も手を挙げ始める。

 

 もちろん僕も挙げる。

 喜んであげる。

 

 結果、八人の生徒が名乗りを上げる。

 ほとんどが男子で、女子は櫛田くらいだろうか。

 

「ありがとう、でも八人か。四人ずつだと多い気もするし、かといって二人は……」

 

 平田が悩んでいると、それに解を示したのはまたもや高円寺。

 

「ふっ、私は一人でも大丈夫なのだよ。むしろついてこれないキミたちは邪魔だ」

 

 何とも上から目線であるが、彼の身体能力を想えばぐうの音も出ない。

 

「でも、それは……」

 

 高円寺に対し咎める言葉を書けようとした平田に、しかし僕は待ったをかける。

 

「待って、平田くん。何なら僕が高円寺くんと行こう。これでも森は慣れている。あとの人は三人ずつで組めばいいよ」

 

 暫し思案した平田は、けれど最終的には僕の案を飲んでくれた。

 

 

  〇

 

 

「ほう、私についてくるとは、なかなかにいいトレーニングを積んでいるようだ」

 

「ありがとうございます、高円寺君」

 

 二人になったことで敬語に戻った僕は引き離されないように彼に喰らいついていた。

 地面を蹴って、枝を掴み、猿の如く駆け抜ける。

 

 勢いよくジャンプすると風と青い空が気持ちいい。

 

 今、僕は野生に帰った気分。

 ロンリーウルフが野生に放たれた感じ。

 

 そんなロンリーの前を行くのは金髪イケメン――言うなればライオン。

 ロンリーレオンと言ったところか。 

 

「予想以上だよ滝沢ボーイ。だが、私は先に行かせてもらうよ」

 

「早すぎですよぉ!」

 

「ハーハッハッハッ!」

 

 スピードを上げてどこぞへと消えてしまう高円寺。

 彼を見送りつつも内心ほくそ笑む。

 これで悠々自適に探索が出来る。

 

 僕は森を歩きだす。 

 

 歩いているとスポットをいくつか見つけた。

 どうやらこの無人島は当たり前だが”完全な無人島”ではなく、きちんと国が手を加えた無人島のようだ。

 電波塔や、森を切り開いた時に使ったと思われる山小屋。

 自然とは思えない洞窟などなど、人の手が加えられてない場所などないのではないか? そう思えるほどに自然は人工でできていた。

 

 自然が人工とかいう矛盾。 

 

 だがスポットは見つけるだけにとどめる。

 リーダーはまだ決まっていないからだ。 

 

 一応脳内に島の全体地図は入っているので、スポットの有った場所を記憶しておく。 

 

 それよりも僕にはいきたい場所があったのだ。

 

 それはこの島の中心にそびえる大きな山。

 あの頂から見る景色はさぞ美しい事だろう。 

 

「ハーハッハッハッ!!」

 

 高円寺のものまねを交えつつ、僕は恐ろしいスピードで山を駆けのぼった。

 

 やがて到着するてっぺん。

 時間にして一時間ほど。

 

 時刻は昼の三時を指していた。

 四時には集合と言う事なので、早々に戻らなければいけない。

 

「……その前に」

 

 僕は前髪をあげて視野を広げると、島をぐるりと見渡した。

 

 すべてが見えると言うわけではないが、大きな滝の近くに一クラス、砂浜に一クラスの影を見つけた。

 どちららがどのクラスかまでは判らないが、それでも知らないより幾分もましだろう。

 

 ――島を見渡す。

 

 舗装された道、そうでない路。

 

 監視が行き届いてそうな道、そうでなさそうな道。

 

 地図で確認するだけじゃない。

 実際にこの目で確認していく。

 

 やがてすべてを頭に入れ終えると、僕は山を下りでDクラスに合流するのであった。

 

 休憩で使っていた場所に戻ると、そこには数人の姿しかなく、平田たちはいなかった。

 残っていた女子曰く、池たちが良い場所を確保できたとの事。

 

 僕と高円寺を待っていたのだとか。

 忘れ去られていなくてホッとした。

 

 しかし残念なことに高円寺とは別れてしまった。

 向こうから一方的に切り出してきて、どうしようもなかったと言うと、女子たちは「どんまい」と励ましの言葉をかけてくれた。

 おや? これ中々良い感じじゃないか?

 

 クラスに溶け込み始めてる予感。

 

 向かった先ではすでにみんながキャンプの準備をしていた。

 

 小川の横のスポットが、僕たちDクラスのキャンプ地のようだ。

 

 ――ここをキャンプ地とする!

 

 とかなんとか言っていると、平田がクラスのみんなを招集した。

 

「みんな、これからリーダーを決めようと思う」

 

 これに反応を示したのは軽井沢。

 

「え? 平田くんがやるんじゃないの?」

 

 そう言えば軽井沢はいつまでも平田をくん付けで呼ぶが、どうしてなのだろう。

 

「僕や軽井沢さん、それに櫛田さんは『リーダー当て』で当てられる可能性がある。だから出来るなら他クラスにあまり名前の知れてない、それでいて責任感のある人が良いと思う」

 

「それって誰なんだよ?」

 

 池が平田に疑問を投げると、彼は視線をどういうわけか僕へと向けてきた。

 

「滝沢くんが良いと、僕は思う」

 

『はあ!?』

 

 クラス全員、と言うわけではないが、ほとんどの男子が驚きを露わにしていた。

 僕だって驚きだ。

 

「滝沢くんは明確な目的があれば、完璧に達成すると僕は思う。みんなが不安に思うのは中間テストの件だよね? でも、あれからの滝沢くんの態度は一変している。それこそ期末ではTop5に入っていた。だからこそ、僕は彼に引き受けてもらいたい」

 

 やだ、平田くん、かっこよすぎ。

 

 なんて思っている所にNoを突きつけたのは堀北鈴音であった。

 

「私は反対ね。中間テストの失態が大きいわ。それにその肌……考えなしに行動した結果でしょうね」

 

 痛いところを突いてくる。

 ギクリとしていると男子から「確かに、どうしたんだこれ?」と聞かれたので、そっぽを向きながら「焼いてました」と自白。

 クスクスと嘲笑が起こった。

 

 僕は一度ため息をついてから平田に語りかける。

 

「堀北さんの言う通りですよ、平田くん。それこそ僕としては堀北さんにリーダーをやってもらった方がいいと思います。こうやって真っ先に声を出してくれましたし」

 

 とかなんとか適当に言って、彼女に押し付ける。

 リーダーなんて御免だ。

 他クラスにリーダーだとばれないようにしろ、と言われれば出来るし、実際ばれないだろう。

 それどころか違う人物を他クラスにリーダーと間違えさせる事も出来る。

 

 でも、リーダーになると言う事は”期待”されると言う事。

 

 はっきり言って論外だ。

 

 結局、櫛田や軽井沢と言った女子票も多く入ったことでリーダーは堀北になった。

 

 それよりも重要なのはこれからだ。

 

 リーダーにはならなかったが、このキャンプでクラス内カーストの地位を高めることは忘れない。

 

 まずはキャンプ地について頭に入れていく。

 

 流れている川は、一見して非常に綺麗だ。

 変な匂いもしないし、それどころか先ほど山を登った際に実はこの川の湧きだし口らしきものも発見していた。

 そのままでも十分飲めるだろうが、都会っ子――特に女子は忌避するだろう。

 

 が、煮沸消毒して、その後川で冷やせばこの問題は解決する。それに僕の目が完全と言うわけではない。

 見えないけれど危険な微生物などがいたら大変だ。

 

 手間だがこれが最善策と言えた。

 

 次にテントであるが、下は土だ。

 寝心地はあまりいいとは言えないだろう。

 

 葉っぱやらなんやらを敷けば大分ましになるだろが、自然を荒らしてはいけないルールがある以上、それは出来ない。

 

 何か策を思いつくまで放置しよう。

 

「ねぇ平田くーん! こっちのテントの設営手伝って―」

 

 キャンプ地を観察していると奔走する平田の姿が目に入った。

 

 そうだ、こういうところで好感度を上げて行けばいいのか。

 

 思い立ったが吉日、僕は女子の下へと向かう平田に声をかけた。

 

「平田くん、よければ手伝おうか?」

 

「え、うん! ありがとう!」

 

 一瞬きょとんとした表情を見せた彼だが、すぐににっこり笑顔に。

 女子を魅了してやまない平田スマイルである。

 女子にも了承してもらい、衆人観衆の中で平田と作業。

 

 テントは非常に設営が簡単であった。

 と言うより、以前僕がキャンプした時と同じ設営方式だったので、正直平田がいらないまである。

 

「滝沢くん手慣れてるね、キャンプ経験者?」

 

 テントを立てていると平田が話しかけてきた。

 

「父に覚えておけって、よく言われたんだ」

 

 もちろん俳優の稽古の一つである。

 実際にやって慣れておくのと、演技で行うのではやはりクオリティに差が出る。

 父はそれを僕に説き、こうやっていろいろな事を教えられたのだ。

 

「じゃあ火とかも付けられるの?」

 

「ライターは支給されているんだよね? だったら誰でもできるからあとで教えるよ」

 

 などと話していると、後ろから話を聞いていた女子が話しかけてきた.

 

「てことはライター無しでもつけられるの?」

 

 一瞬ビクッとなるが、すぐに心を沈めて努めて冷静にふるまった。

 

「うん。木の枝を使って……ほら映画とかでよくありますよね?」

 

「え!? でもあれって滅茶苦茶難しい上に時間かかるんでしょ?」

 

「コツを掴めば一分もかからずに出来ますよ」

 

「すごっ、意外なところに最強キャラが居た!」

 

 淡々と答えていたつもりだが、この状況下においてなかなか使えるキャラが居て嬉しかったのか、女子に取り囲まれてしまう。もちろん平田と一緒に。

 

 嬉しいような恥ずかしいような。

 あわあわと戸惑っていると、目ざとくそれを察した女子の一人が僕をからかってきた。

 

「滝沢照れてるー!」

 

「あっ、ホントだ!」

 

「近寄り難かったけど、結構普通ジャン!」

 

 それらの言葉にさらに顔が赤くなるのを感じて、顔を逸らしながら平田に「薪拾ってくる!」と言って逃げ出した。

 あんな集団の中心にいられるか。

 

「あっ、一人じゃ危ないだろうから、誰かいっしょに連れて行ってね!」

 

 こんな時まで心配する平田マジ大天使ラファエル。

 誰にしようかと考え、歩いていた綾小路、佐倉、山内の三名を確保し、僕らは薪を拾いに森へと繰り出した。

 

「滝沢はキャンプが得意なんだな」

 

 道中綾小路が声をかけてくる。

 

「苦手ではないかな。一般常識程度だけど、キャンプは出来るよ」

 

「少なくとも俺には火を起こすことはできないな」

 

「聞いてたんだ。……まぁ、その辺は頑張ったからね」

 

 とかなんとか話していると、山内が後ろから僕たち二人の肩に飛びかかってくる。

 

「お二人さんっ! 調子はどうだい?」

 

「え、えっと、うん、順調ですよ?」

 

「何で敬語なんだ? ため口で良いぞ?」

 

「わ、わかったよ、山内くん」

 

 ぐいぐい来るなこの男。

 

「ところでよぉ」

 

 と、不意に声を静める山内。

 彼は僕らにだけ聞こえる声量で口を開く。

 

「俺、佐倉さん良いなって思ってんだけど、滝沢狙ってないよな?」

 

「狙う、って恋愛的な意味で?」

 

「だってあの巨乳だぜ? それにああいう子は押せば倒れるんだよ」

 

 恋愛的ではなく性欲的のようであった。

 確かに佐倉は可愛いし、あまり前に出ない性格は庇護欲をそそられる。

 スタイルもグラビアアイドルをやっていたこともあり、かなりの物だ。

 

「別に僕は狙ってないけど」

 

「綾小路は!? って、お前は堀北かぁ」

 

「待て、どうして堀北何だ。あいつはただの隣人だ」

 

 綾小路は必死に弁解しようとするが、山内は無視して再度僕に話を振る。

 

「で、滝沢は誰狙い何だ? 何だったら応援するぜ?」

 

 狙うも何も、そもそもそう言う感情を抱くほど接近している女子が僕は少ない。

 伊吹、一之瀬、佐倉。この三名くらいだろう。

 だが、佐倉にはあまり好かれていなさそうだし、一之瀬は神崎くんが好きだ。

 

 残るは伊吹だが……彼女はご主人様であり、僕は忠犬。

 恋愛感情は抱かない。

 そう、大丈夫なはずだ。

 

「特に誰も」

 

「えー。じゃあクラスで一番いいなって思ってるのは誰だ?」

 

 どれだけ僕の口から女子の名前を出させたいんだ。

 

 だが、山内は言うまで終わらねえぜと言う表情を見せるので、仕方なく考えてみた。

 櫛田は無い、堀北も無い。他の生徒は知らない。

 だからといって適当に名前を出せば、相手にも被害が及ぶ可能性がある。

 ここは山内を納得させて、かつ僕が積極的ではないこともきちんと理由を付けて説明できる名前を出すべきだ。

 

 脳裏に浮かんだ名前は――

 

「軽井沢さんかな」

 

「あちゃー、平田の彼女かよ。ドンマイ!」

 

 これで山内は諦めてくれるはずだ。

 

 変な慰めは鬱陶しいが。

 

 そんな鬱陶しい彼に「そんなことより佐倉さんを手伝ってあげれば?」と言うと、僕らに手を振って彼女の下へと走って行った。

 隣から「災難だったな」と声を掛けられたが、返事する気力も浮かばなかった。

 

 ――と、それから二十分ぐらい薪を集めていると、不意に僕の鼻腔をくすぐる匂い。

 

「ご主人様の匂いだ」

 

「え?」

 

「は?」

 

「ん?」

 

 綾小路、佐倉、山内からの疑問の言葉を頂戴しつつ、しかしこれを無視。

 今まで集めていた薪をその場に捨てて僕は森を駆けだした。

 

 そうして見つけたのは、木の幹に背を預けて座り込む伊吹。

 ツンツンとした目がいつもよりツンツンしており、かなり機嫌が悪いのが伺い知れた。

 その原因は、左頬の殴打痕だろう。

 

 伊吹が怪我をしている。

 理解すると胸が締め付けられそうなくらい苦しくなり、悲しくなった。

 

 焦って彼女に駆け寄り、その顔に手を伸ばす。

 

「伊吹ッ! 大丈夫か? あぁ、こんなに腫らして。早く冷やそう」

 

「ちょ、滝沢っ、離して」

 

「駄目だ。変に痣になったら大変だ。言い訳とか原因とかは後で聞くから、とりあえずDクラスのキャンプに来て」

 

「なに言って……私、敵なんだけど?」

 

「その前に友達だ!」

 

 言い張ると、伊吹は目を見開き、僕をじっと見た。

 だから僕は笑顔を浮かべて、彼女の頬を優しく撫でながら諭す。

 

「だから、僕に助けさせて」

 

 なりふり構わない。

 僕は伊吹が心配だ。

 だから彼女を口説いてでもDクラスに連れて帰り、手当てする。

 

 それでDクラスのみんなから反感を買おうが関係ない。

 僕を助けてくれた彼女は、絶対に助ける。

 

 上辺だけの関係を望む僕だけれど、それでも看過できないものはある。

 伊吹はかつて僕を退学の危機から救ってくれた。

 堀北や綾小路もそうであるが、伊吹は特別だ。

 彼女は他クラスだったのに、僕を見捨てようがデメリットは何も無いのに。

 だと言うのに助けてくれた。

 

 だから、僕の中で彼女を助けるのは何よりも優先される。

 

「……馬鹿」

 

「今更そんなことに気付いたの?」

 

 僕は伊吹の手を取って立ち上がらせると、手をつないだまま歩き出す。

 

「ちょっと、何で手つないだままなの?」

 

「離したら逃げるかもしれないから」

 

「逃げないから、離して。その……」

 

「恥ずかしい?」

 

「……っ! このっ、滝沢のくせに!」

 

 僅かに顔が赤くなっているのは夕陽のせいなのか何なのか。

 そのまま綾小路たちと合流し、Dクラスのキャンプ地へと向かった。

 

 

  〇

 

 

「滝沢が女連れて帰って来たぞー!!」

 

「えっ、ちょっと……!」

 

 山内の大声で、僕たちの帰還が知らされる。

 これにより多くの視線が向けられるが、別に注目されることには慣れているため、恥ずかしいなどとは思わない。

 

 どうしていいか戸惑っていた僕に、女子に囲まれていた平田が先んじて声をかけてくれた。

 優しい平田。やはり君はヒーローだ。

 

「どうしたの? えっと、そっちの子は?」

 

「Cクラスの伊吹って奴なんだけど、どうやらクラスでトラブルになったらしくてさ。とにかく傷の手当てをしたいからキャンプに入れてもいい?」

 

 すると平田は一瞬だけ表情を歪め、堀北を見てから笑顔に戻る。

 おそらくリーダーについて一瞬考えたのだろう。

 きっと僕でなければ気付かない確認。

 隣の伊吹も怪しむ素振りは見せていない。

 

 結局平田の中で助ける方が勝ったようだ。

 

「そういうことなら、もちろん歓迎だよ。伊吹さん、だっけ? ゆっくりして行ってよ」

 

「……ふん、お人好しばっか」

 

 女子ならだれでもキャーキャー言う平田の笑顔も、伊吹の前では無意味だったようだ。

 

「じゃあ、僕は伊吹の手当てを先にするから」

 

 言って彼女の手を掴んで川辺まで連れて行く。

 周囲で女子のヒソヒソ話が聞こえてきたが今は無視の方向で行こう。

 

 一度テントに戻りハンカチを持ってくると川で濡らして伊吹の腫れた頬に当てがう。

 

「痛むか? でも顔だし湿布はなぁ」

 

 とにかく今はこうやって冷やすしかないだろう。

 

「……ありがと」

 

 彼女の感謝を聞き届け、僕は一つため息を零した。

 

「伊吹と同じクラスだったら、代わりに殴られるくらいのことは出来るのになぁ」

 

「あんたMなの?」

 

「いや、違うけど。……まぁ、とにかく平田くんもああいってくれたことだし、しばらくはここに居ても大丈夫だから。そんでもって、ここにいる間くらいは守ってあげるから」

 

 伊吹のためなら例え火の中水の中。

 須藤とタイマンを張ることすら厭わない。

 

「……ほんと、お人好し」

 

「伊吹だからだよ」

 

「……ばか」

 

 そうして二人で暫し会話を楽しんでいると、須藤の大きな怒声が聞こえてきた。「高円寺の奴ぅぅうううう!!」と物凄い剣幕だ。

 どうしたのだろうかと耳をすませてみると、何と高円寺が試験をリタイアしたと、要約するとそんなことを言っていた。

 これでポイントは-30される。

 

 自分勝手なやつだとは思っていたが、ここまで協調性が無いとむしろ清々しさすら覚えるな。

 

「アンタのクラスも大変ね」

 

「伊吹はもめごとが起こってもリタイアしてないのにね。高円寺くんと交換して欲しいよ。そしたら同じクラスになれるし、今よりもっといっぱい話が出来る」

 

 照れてしまいそうな臭い台詞。

 僕は頬をポリポリと掻き、苦笑いを伊吹に向けた。

 

 対する彼女は、一瞬の間を開けてから僕を見つめて……。

 

「それも、悪くなかったかもね」

 

 告げる彼女の顔は手を伸ばせば届く距離にある。 

 整った顔立ちに、澄んだ瞳。

 サラサラと流れるような髪。

 いつもの勝気な瞳が、Cクラスから追い出された不安からかその勢いを潜めている。

 

 理解すると、心臓がバクバクと脈動する。

 変に緊張したように汗が背中を伝い、喉が渇く。

 顔が熱くなって、言葉にしようのない感情が、目を覚ます。

 

 ――けど。

 

 伊吹に対して”恋愛感情”を抱きかけていると意識した瞬間、何をしているんだと冷めていく。

 先ほどまで身体から火が出そうなまでに焦がれていた想いは、氷水に入れられたかのように冷え切っていく。

 

「まぁ、結局は妄想なんだけどね」

 

 僕は彼女の会話をその言葉で締めくくる。

 「そろそろ戻ろうか」と先に立ち上がって伊吹に手を差し出すと、彼女はそっぽを向きながら「ありがと」と言って立ち上がる。

 

 二人でみんなの居るキャンプに戻ろうとそちらへ視線を向けて――無数の女子の視線とかち合った。

 

「あ、やばっ」「見つかったっ」「あちゃー」

 

 どうやら僕と伊吹見て楽しんでいた模様。

 女子は本当にこういう話題好きだよなぁ、何て、”中学の悪夢”と共に思い出したのだった。

 

 

 

  ★

 

 

 

「火を着けるときはですね、細い枝や枯葉に火を着けてから、大きい枝に燃え移らせていくんです」

 

 実演してみせると、女子連中が「滝沢やるじゃんっ」と背中を叩いてきた。

 本日滝沢くんの株価が急上昇しております。

 きっと昨日あたりに株を購入していた人は大儲けしているのではないだろうか。

 

 と、そこで池が何やら声を上げた。

 

「滝沢やるなぁ。俺もキャンプ経験者だからわかるけど、かなり手際良いな」

 

「そ、そうですかね? ありがとうございます」

 

「つか何で敬語ww」

 

 笑う池。

 おや?

 この流れは良いのでは?

 上手くクラスに溶け込めている気がする。

 

「火の準備も出来たし、水もあるし、あとは果物だけだなぁ~」

 

 池が上機嫌に言うと、ふと女子から「水? 水って川の水を飲むの?」と疑問の声が上がった。

 

「え? そうだよ? これだけ綺麗だからなぁ」

 

 だが、この発言に対する女子の反応はあまり良くなかった。

 

「えぇ、でも川の水って、ねえ?」

 

「うん、まだ飲み水もあるしさ」

 

「いやいや、これだけ綺麗なら十分いけるって!」

 

 必死になる池。

 僕は昼間に見た川の水質を思い出す。

 確かにあの水はそのまま飲んでも問題はないだろう。

 だが、直接飲むのに抵抗があるのもわかる。

 

 実際、直接飲むのは危険だ。

 

 Dクラスの女子が全員下痢でお腹を壊す姿は見たくない。

 

「だったら、容器か何か買って煮沸消毒したらどうですか? ずっと水をポイントで買うよりは安くつくし、安全面も格段に上がります」

 

「でも面倒じゃない? それに温くなるんでしょ?」

 

「消毒は僕がやりますし、それこそ容器に入れたまま川で冷やせば冷たいままです」

 

 冷静に、決して反対意見は言わない。

 加えて面倒な事を進んでやるとこちらから言えば、

 

「滝沢がそこまで言うなら……うん、任せよっか。みんなもそれでいい?」

 

 軽井沢が女子に呼びかければ、反対意見は上がらない。

 本当に今日だけで株価急上昇だな。

 

 でも、これはキャンプが出来ると言うだけではない。

 伊吹を連れて帰ってきたのが僕で、かつ伊吹とかなり親密な場面を彼女たちが見ていたから、と言うこの二つの要因が大きい。

 

 僕は本日だけで三つのレッテルを女子からはられたのだ。

 

 キャンプが出来る頼りになる男子。

 他クラスの女子に優しくする男子。

 女子とかなり親密で、安心できる男子。

 

 特に三つ目の影響が大きい。

 親密な仲の女子がいると言う事は、裏を返せば親密になることのできる性格を持つ男子と言う事である。

 特にあの気難しい伊吹が相手である故、現在の株価急騰が起こっていると言うわけであった。

 

「……」

 

 ふと、視線を感じて後ろを向くも、しかしそこに居るのは数名の男子のみ。

 彼らはこれからのことについて何やら話し合っている様子で、僕のことなど視界にすら入れていなかった。

 

 それからしばらくして櫛田たちが果物を持って帰ってくる。

 どうやら食べられそうなものを適当に取って来ただけで、何の果物なのかはわかっていないらしかった。

 

「滝沢わかる?」

 

 彼女たちが取ってきた果物を指さし、軽井沢が尋ねてきた。

 僕は軽く果物を見つめて「全部食べれますよ」と答えるとともに、果物の名称、味、食べ方などを教えていく。

 最終的には「これはこう調理すれば……」みたいな感じで、料理本に載っていた知識もひけらかしてしまう。

 

 結果。

 

「滝沢料理もできるの!?」「やば、主夫じゃん!」「てか何でもできて凄すぎじゃない!?」

 

 などとヨイショの嵐。

 気持ちいい。

 とても気持ちいい。

 

 でもこれを受け入れているだけでは駄目だ。

 この試験での僕の目標はクラスでの立ち位置を確立させること。

 

 このままでは一時的な急上昇で終わってしまう。

 それを避けるためには……。

 

「いや、こんなのは偶然知ってただけで……僕なんかより果物をとって来てくれたみんなの方が何倍も凄いですよ。ありがとうございます」

 

 こうやって嫌味の出ないよう他人を巻き込んだ謙遜が効果的である。

 

「いや、私たちは桔梗ちゃんに着いて行っただけだから」

 

「えー、そんなことないって」

 

 僕のお礼を一人の女子が笑顔で櫛田へと流す。

 すると他の果物をとってきた女子も櫛田を褒めた。

 

 よし、ここはついに練習の成果を発揮する時だ!

 

「さすがですね、櫛田さん!」

 

「もう、滝沢くんまで」

 

 褒められまくりの櫛田。

 いつぞやに見たブラック櫛田を知らなければ何とも微笑ましい物だ。

 

 こんなにいい笑顔を浮かべているのに、内心では何を考えているのかわからない。

 人間とは得てしてそう言う物だ。

 

 だから僕は人と深い仲にはなりたくない。

 

 伊吹はもう仕方がないけれど、それ以外で深い仲になるつもりはない。

 

 上辺だけ。

 

 高校を卒業したら一切連絡を取らなくなるような。

 

 そんな交友関係を築きたい。

 

 ――そう、”今まで”思ってきた。

 

 でも、この時。

 今この瞬間。

 僕はとても楽しかった。

 

 クラスのみんなの輪の中に入って、認めてもらえて、対等に会話することのできる今が、とても楽しかった。

 

 中学の頃を忘れてしまいそうになるくらい、幸せだった。

 平田や綾小路と言った友人がいる。

 女子にも認めてもらえて、他クラスには一之瀬と言う友人もいる。

 

 そして……伊吹澪と言う、気になる少女もいる。彼女と一緒にいる時、本当に楽しい。心が軽くなる。

 

 この平穏で、ごく普通な青春模様が、僕はとても楽しかった。

 

 砕かれ擦り減っていた心が、徐々に元に戻っていくのを感じる。

 

 ――”そうだよ。”

 

 もう、中学の時とは違うんだ。

 誰も僕を知らない場所で、一からやり直すことが出来たんだ。

 

 ……信じて、みようかな。

 

 もう一度、誰かを信じてみるのも、悪くないのかもしれない。

 

 心の中で静かに考えるのと同時に、かつての自分が囁いてくる。

 『何を馬鹿な』『後悔するのがおちだ』『また、あの苦しみを味わいたいのか?』

 酷く冷淡で、冷血で、無感情な声色。

 後悔し、絶望し、人に失望した人の声。

 

 今の僕にはその声が憐れに聞こえた。

 いつまでも過去に囚われている、愚か者の声に聞こえた。

 

 過去は変わらない。

 でも、未来は変わる。

 酷く月並みな言葉だけど、これは真理だ。

 

 過去と未来。――どちらを取る?

 

 僕は自問する。

 滝沢佳乃、お前はどうしたい?

 

 いつまでも引きずって苦しい生き方をするか。

 心機一転し、不明瞭な未来に飛び込むか。

 

 ……僕は、未来を取る。

 

「キャンプで困ったことがあったら言ってください。微力ではありますが、力になれれば幸いですので」

 

 僕は自分からクラスに語りかける。

 すると色の良い返事が返ってきた。

 

 そして、その日は食事をして睡眠となる。

 

 特別試験一日目。

 色々なことがあったけど、僕は自分の考えを大きく変える決断を下した。

 これが吉と出るのか凶と出るのか。

 不安ではあるけれど、これが未来を取る代償だ。

 

 なら甘んじて受け入れよう。

 

 

 横になり、目をつぶると睡魔が襲ってくる。

 今日は良く動いた。

 明日もみんなの役に立てるよう、頑張らないといけない。

 

「おやすみ、滝沢くん」

 

「うん、おやすみ。平田くん」

 

 隣で横になるクラスのヒーローと言葉を交わして、僕は脱力する。

 結果、睡魔に抗うことなく意識を手放すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この時の僕は知らない。

 後悔することを。


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