ゲゲゲの鬼太郎 アイドルマスター百物語   作:鈴神

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神崎蘭子編
闇に飲まれよ!恐怖のアイドル百物語 ①


「はぁっ……はぁっ……!」

 

 とある大きな建物の中。青白く不気味な光を発する蛍光灯に照らされた廊下の中を、学生服を着た少女が走っていた。ただ只管に、脇目も振らずに走るその表情は必死そのものだった。全ては、背後から迫る、“何か”から逃げ延びるために他ならない――

 

(ど、どうして……なんで、こんなに廊下が長いの……!)

 

 少女――乙倉悠貴が走っている建物は、彼女にとって慣れ親しんだ場所だった。だが、今走っている廊下は、いつも彼女が通っている廊下とは明らかに違う。いくら走っても終わりが見えず、扉も現れない。陸上部所属で足の速い彼女が、死に物狂いで走っているにも関わらず、いつまでも同じ光景が続くばかり。

 自分は一体どこにいるのか。そして何から逃げているのか。自身に起こっている出来事が、まるで理解できなかった。

 

「きゃぁっ……!」

 

 そして、全速力で走り続けること数分。遂に限界が来たのか、悠貴は足をもつれさせて転倒してしまった。早く立ち上がろうにも、疲労と恐怖で身体が上手く動かせない。そうこうしている内に、廊下を照らす青白い光を遮って、巨大な影が悠貴に覆い被さった。

 

「ひっ……!」

 

 ぶるりと震えながら後ろを振り返る。そこにあったのは、廊下を埋め尽くさんばかりに巨大な黒い影――そして、天井付近には、黄色く不気味に光る二つの何かがあった。それを見た瞬間、悠貴は悲鳴すら上げられなくなった。

 

(ど、どうして……動けない……っ!)

 

 声を出せないどころか、身体が全く言うことを聞かなくなり……指一本動かせなくなってしまった。まるで、金縛りに遭ったかのような状態に陥った悠貴に……しかし、影は容赦なく迫る。

 そして――――――

 

 

 

闇に、飲まれよ

 

 

 

「っ…………!」

 

 闇の彼方から響き渡った、人のものとは思えない程の低い声。それを聞いたのと同時に、悠貴の身体は闇の中へと引きずり込まれていった。何の抵抗もできず、声すら発する間もなく……彼女の姿は、その場所から完全に消えたのだ。

彼女が闇の中に消えたその場所には、彼女の荷物であるバッグが転がっているのみ。廊下を照らしていた青白い蛍光灯もいつの間に消え、建物の中は常と変わらない、夜の静寂が戻るのだった――――――

 

 

 

 

 

 

 

 芸能プロダクションとして古い歴史を持つ老舗、『美城プロダクション』。映画やドラマの制作、俳優やお笑い芸人、歌手のマネジメントまで、幅広く手掛けているこの大手芸能プロダクションには、歌手部門、俳優部門に続く新部門として『アイドル部門』が三年前に創設された。大アイドル時代の波に乗って急成長を遂げたこのアイドル部門は、今や『765』、『961』、『876』と並ぶ知名度と人気を誇っていた。

 そして、そんな美城プロダクションの社屋のある敷地から離れた場所、都内某所に位置するアイドル専用の女子寮の中。廊下にて、二人の少女が扉に――正確には、扉の奥にいる住人――に向かって、呼び掛けを行っていた。

 

「蘭子ちゃん、出てきなよ!」

 

「皆、あんな噂信じてないからさ!」

 

 返答が一切返ってこない扉に向かって、心配そうに声を掛ける二人は、この女子寮に暮らすアイドル――小日向美穂と、道明寺歌鈴である。そして、二人が今まさに声を掛けている部屋の中にいる人物――神崎蘭子もまた、同じ346プロダクションに所属するアイドルなのだ。

 何度も声を掛けてみたものの、部屋の主たる蘭子の声を聞くことはできず……二人は諦めてその場を後にすることとなった。

 

「どうしよう、美穂ちゃん……蘭子ちゃん、全然返事してくれないよ」

 

「やっぱりあの噂のこと、相当気にしているんじゃないかな……」

 

 美穂と歌鈴が口にしている“噂”とは、ここ最近346プロダクションにおいて発生している――怪異とも呼ぶべき異常な現象によるものだった。

 事の起こりは七日前のこと。蘭子や美穂と同じく346プロ所属の眼帯装着の小悪魔系アイドル、早坂美玲が事務所から女子寮への帰り道で、突如失踪したのだ。この件は直ちに警察に通報され、誘拐のその線で捜査が開始された。

 だが、事態はこれだけでは終わらなかった。

 美玲が失踪した翌日。今度は346プロのドーナツアイドルこと椎名法子が、クッキング番組の収録後、テレビ局の中で失踪したのだ。

 三日目には、蘭子と同じ事務所、シンデレラプロジェクトの人気ユニット『ラブライカ』のメンバーである新田美波とアナスタシアが、都内で行われたライブが終わった直後に失踪。

 四日目には、地方局の元女子アナアイドルこと川島瑞樹が、ラジオの収録を終えて自宅へ帰ろうとしていたところ、ラジオ局内で失踪。

 五日目には、暑がりで天然なパティシエールアイドル、十時愛梨が出演するクッキング番組の収録を行ったテレビ局へ忘れ物を取りに行った際に失踪。

 そして六日目こと昨日、今度は長身で運動神経抜群なスプリンターアイドル、乙倉悠貴が346プロの事務所内で、廊下に荷物を残して失踪したのだ。

 アイドル達が連日、立て続けに姿を消すという、異常極まる事態に346プロは戦慄した。行方不明になったアイドルのことを心配するあまり、仕事が手に付かない者が出たことは勿論、十二歳以下の年少アイドルに関しては安全のために一時活動を休止し、未成年アイドルは午後六時以降の仕事は一切禁止とされ、プロデューサーによる自宅への送迎による安全確保の徹底といった措置が取られた。

 そして、問題はここからである。失踪したアイドルについて、何らかの共通点が無いかと、警察関係者や職員達、そしてアイドル達は思考を巡らせた。そして、アイドル失踪事件発生後四日目、つまり川島瑞樹が失踪した日。警察と事務所は、被害者達にはある共通点があることに気付いた。それは、「失踪した七人全員、最初の失踪事件が発生した日以降、神崎蘭子と何らかの仕事を共にしていた」ということだった。

 同じ頃、346プロにおいて発生した異常事態を嗅ぎつけたマスコミやファンの者達もまた、同様の結論に至っていた。そして、その翌日のこと。ネット上にどこからともなく、ある記事が掲載された。それは――――――

 

 

 

 

堕天使アイドル、神崎蘭子に「闇に飲まれよ!」と言われたアイドル達は、本当に闇に飲まれて消えてしまう

 

 

 

 「闇に飲まれよ!」とは、神崎蘭子が公私を問わず使用している、彼女の挨拶である。世間で俗に言う、中二病を患っている彼女は、旧約聖書や神話に影響を受けた独特の世界を持っており、その言動は過剰に比喩的かつ難解なものが多かった。「闇に飲まれよ!」もその一つであり、これは意訳すると「お疲れさまでした」という挨拶を意味していた。故に、相手を呪ったり貶めるようなニュアンスは一切無く、同じ事務所やファンの間ではお馴染みの台詞とされていた。

 しかし、このような事態が起これば、世間の反応は変わってくる。アイドルの世界には、アイドルを支持するファンに分類される人間だけでなく、アイドルを非難するアンチと呼ばれる者達も同等数存在する。そして、後者のような人間にとって、このような話は恰好のネタ。どれだけ荒唐無稽な話であろうと、ネット上の掲示板等に書き立てるだけ書き立てて世間を騒がせ、一個人を徹底的に攻撃するための道具にしようとする。しかも騒ぎはネット上のみに止まらず、ゴシップ記者等が蘭子のことを『呪われたアイドル』として連日週刊誌に記事として取り上げたのだ。

 そして、このような世間の悪意に晒された末に、蘭子は精神を病んだ末……芸能活動はおろか、部屋から出ることすらできなくなってしまったのだった。

 

「いなくなっちゃった川島さんや愛梨さんも心配だけど、蘭子ちゃんも心配だよ……」

 

「シンデレラプロジェクトの皆や武内プロデューサーも同じだよ。一応、事務所は活動休止を認めてくれているけど……このままだと、アイドルを続けることなんてできないよ」

 

 食堂の椅子に腰かけながら、顔を見合わせて相談する美穂と歌鈴だが、どうすれば蘭子を助けることができるのか、その答えは全く出せない。この場にはいない、蘭子と仲の良いシンデレラプロジェクトのメンバー達も親身になって蘭子を助けるための方策を考えてくれているが、打開策はそうそう出て来ない。せめて同じ寮に暮らす自分達や、事務所の親しい仲間達とだけでも話せるようにできればと考えるが、蘭子は扉越しの呼び掛けや電話、メール等に対して一切応答しようとしない。

 

「美穂に歌鈴、蘭子はどうだい?」

 

「あ、飛鳥ちゃん……」

 

 どうしたものかと思案する二人のもとに現れたのは、色とりどりのエクステを付けた独特のヘアスタイルの少女――二宮飛鳥だった。彼女もまた、346プロ所属のアイドルの一人であり、蘭子の良き理解者の一人でもあった。

 

「全然駄目だよ。いくら呼び掛けても、部屋から出てきてくれない……」

 

「やはり、ネット上の噂や例の記事は、蘭子の精神に相当なダメージを与えていたか……」

 

「蘭子ちゃんは何も悪くないのに……こんなのって酷過ぎるよ!」

 

 ネットやゴシップ記事における蘭子に対する連日の誹謗中傷は、未だに鳴り止まない。アイドルとしての業界歴が短い彼女達も、マスコミやアンチの厳しさはそれなりに理解していたが、今回の騒動には美穂も歌鈴も、勿論飛鳥も憤りを隠せない。

 765プロの歌姫こと如月千早の家族の不幸に関するゴシップ記事と、それに伴う当人の活動休止が記憶に新しいが、ネット上のアンチや報道陣による攻撃は輪をかけて酷い。しかし、それも仕方の無い話なのかもしれない。何せ、現状被害者として目されているのは、いずれも346屈指のアイドル達である。行方不明になれば、大規模な騒動に発展するのは必然だった。そして、彼女達のファンが皆、現在の蘭子のアンチに回っているという事情もあった。

 

「今世間は、蘭子のことを徹底的に攻撃している。神崎蘭子という人間の名前、外見、性格、個性……その全てが否定されている状況だ。このままでは、彼女という存在を確立しているアイデンティティは崩壊の時を迎え……ボク達の世界には戻ってこれなくなるかもしれないな……」

 

「それって……まさか、アイドルに復帰することができないってこと!?」

 

「そんな……!」

 

 蘭子と同類とされる中二病患者に類される飛鳥の言動は回りくどい言い方で分かり難い傾向にある。しかし、蘭子の復帰が危ぶまれているということだけは分かった。美穂も歌鈴も、飛鳥の推測を否定する言葉を探そうとするが、心の底ではありえない話ではないと考えているだけに、何も反論できない。

 

「どうにかならないのかな……?」

 

「蘭子を部屋から出すのは、現状ではまず不可能だ。簡単な話ではないが……やはり、蘭子を苦しめているこの騒動を収束させる以外に方法は無い。騒動の根源たる何者かを討ち取り、囚われた美姫達を解放する……それができたのならば、蘭子の魔眼は復活し、その黒翼で羽ばたけるようになる筈だ」

 

「けど、それって犯人を捕まえるってことだよね。警察も捜査を続けているみたいだけど、手掛かりすら掴めない状況だって話だし……」

 

 飛鳥の言う通り、アイドル達の失踪事件を引き起こした元凶――警察、事務所共に誘拐事件と断定している――を逮捕し、被害者のアイドル達を助け出すことができたのならば、蘭子の謂れの無い濡れ衣を晴らし、蘭子の精神を救うこともでき、万事解決するだろう。だが、推理小説のようにアイドルが警察や探偵の真似事をするなど、現実にはできる筈も無かった。

 

「だから言ったんだ。簡単な話ではない、とな」

 

「けど、このまま放っておくのも……」

 

「まあ、手掛かりが全く無い、ということもない」

 

「何か、犯人を捕まえるための手掛かりを知っているの!?」

 

 何か知っている素振りを見せる飛鳥に、美穂が詰め寄る。対する飛鳥は、手を額に当てて溜息を吐くと、気が進まない様子で話し始めた。

 

「この一連の失踪事件において、被害者は皆、つい最近蘭子に『闇に飲まれよ!』と言われたアイドルだ。つまり、該当する人物を見張っていれば、犯人が姿を現すということだ」

 

「成程………………あれ、そういえば……」

 

「ここにも一人、つい最近蘭子と仕事をしたアイドルがいるじゃないか。しかも、収録中にしっかり挨拶をされたアイドルが、ね」

 

「ふぇぇええっ!?ま、ましゃかしょれって、わちゃし……!!」

 

「歌鈴ちゃん、落ち着いて!噛んじゃってるから!」

 

 飛鳥の推理に顔を青くして怯え始める歌鈴。自分が次の標的にされる可能性があるという衝撃の事実に、いつもの噛み癖が出てしまっていた。

 

「確か、三日ほど前だったか。ラジオの仕事で、『高森藍子のゆるふわタイム』のパーソナリティを、藍子と一緒に『インディゴ・ベル』として期間限定で務めていたが……その最終日のゲストが、蘭子だった筈だぞ」

 

「ふぇぇえええ………………む、無理だよぉっ!私が犯人をちゅかまえるなんてっ!」

 

「あれ?けどそうなると、藍子ちゃんも危ないんじゃ……」

 

「あ、藍子しゃんまでぇええっ!!」

 

「ああっ!だから歌鈴ちゃん、落ち着いて!」

 

 飛鳥が口にする予想に戦慄して恐慌状態に陥る歌鈴。目に涙を浮かべて噛みながら話す彼女を、美穂が必死に宥めていた。

 

「まあ、あくまで予想だ。それに、犯人を待ち伏せできたとしても、相手は七人もの人間を誰にも知られず連れ去る誘拐犯だ。ボク達がまともに相手できる筈が無いだろう」

 

「確かに……けど、警察の人達も、犯人逮捕のために私達の仕事場の周りを警戒してくれているんじゃ……」

 

「今までの事件を鑑みるに、犯人はラジオ局やテレビ局、346プロの事務所といった、防犯体制が万全な建物にすら侵入してのける奴だ。今更、警察の見張りがいたところで、大した障害にはならないだろう。全く……犯人が本当に人間なのか、疑いたくなる程だよ」

 

「そんな……それじゃあ、打つ手無しってことなの?」

 

「ボクとしても悔しいところだが……有効な手段が無いというのが現実だ。まあ、警察も馬鹿じゃない。犯人の次の狙いが、歌鈴か藍子であることあたりは分かっているとは思うが……」

 

 饒舌にその推理力を披露してみせた飛鳥だが、その先を口にすることはなかった。次の標的が分かったとしても、警察が果たして本当に犯人を逮捕できるかは、本当に分からない。口を閉ざした飛鳥の沈黙に、美穂と歌鈴は不安を隠せなかった。

 

 

 

――なら、手紙を出してみたらどうかな?

 

 

 

「「「!?」」」

 

 飛鳥が何気なく口走った言葉。それに対して答えるかのように、美穂でも歌鈴でもない……この場にいなかった筈の、何者かの声が響き渡った。三人は顔を青くしながら、声の聞こえた方へとギ、ギ、ギと機械のように首を動かす。

 そこには、顔の右半分が長い前髪で覆われた、金髪の小柄な少女がいた。少女は三人の方へと顔を向けると、やや俯いたせいで影がかかった口元に笑みを浮かべて見せた。

 

「あはっ」

 

「「わぁぁあああっっ!!」」

 

 突如現れた、幽霊と見紛うような少女が浮かべた笑みに、悲鳴を上げる美穂と歌鈴。先程までホラー染みた話をしていただけに、恐怖も一入だった。揃って目に涙を浮かべながら、互いに抱き合って怯えていた。しかし、飛鳥一人だけは冷静に、

 

「いきなり現れるのはやめてくれないか、小梅」

 

「ごめんなさい……ちょっと驚かそうと思って……」

 

「いくらなんでも不謹慎過ぎるだろう……」

 

 溜息を吐き、呆れたような声で窘められた少女――白坂小梅は、悪ふざけが過ぎたと心の底から反省していた。

 

「もう!帰って来ていたなら、声くらいかけてよ!」

 

「本当だよ!心臓が止まるかと思ったよ!」

 

「ご、ごめん……」

 

 美穂と歌鈴にまで怒られ、ますます縮こまってしまう小梅。その姿に、もう十分だろうと判断した飛鳥が仲裁に入った。

 

「もう良いだろう、美穂に歌鈴。小梅も十分反省しているんだ。それより……手紙を出す、というのはどういうことなんだ?」

 

 先程、小梅が口にした言葉の意味が気になったのか、飛鳥が問い掛ける。対する小梅は、いつもの怪談を語る時のような喜色を浮かべて話しだすのだった。

 

 

 

 

 

「あれが、『妖怪ポスト』だよ」

 

 小梅に案内された三人が訪れた場所は、調布市のとある商店街の中。建物の間に挟まれた狭い路地だった。太陽の光も、電灯の光も差し込まない薄暗いその路地の奥には、やや曲がった木の棒の上に取り付けられた、藁を被せた木製の箱があった。その正面には、A4用紙が入るくらいの口が付いており、成程ポストと呼べるような作りをしていた。

 

「ふむ……確かにポストのようだな」

 

「あ、飛鳥ちゃん……本当に、手紙入れるの?」

 

「その、危ないんじゃないかな……」

 

「勿論だ。そのためにわざわざ、こんな場所まで来たんじゃないか」

 

 飛鳥の手には、一通の封筒が握られていた。中に入っている便箋には、ここ最近346プロにおいて起こっている怪異に関する詳細が記されていた。

 

「小梅の言っていることが本当ならば、警察やボク達ではどうしようもないだろう?ならば、その道のプロに任せるのが筋というものだ」

 

「そ、そうかもしれないけど……」

 

「それじゃあ、手紙はボクが入れてこよう。キミ達はここで待っていてくれ」

 

「あ、飛鳥ちゃん……!」

 

「いってらっしゃい……」

 

 美穂の制止を聞かず、飛鳥は裏路地へと入っていった。小梅に至っては、手を振って送り出していた。

 そして、裏路地に入って歩くことしばらく。飛鳥は暗闇の中に佇むポストの前で立ち止まった。手紙を手に、しかし動けず、頬と背中を冷たい汗が伝う感覚に身をぶるりと震わせていた。

 

(成程……確かに、ただの古いポストとは思えないな……)

 

 光の一切差さない暗闇の世界に佇む木製のポストは、近づくたびに異質な存在感を放っているように感じた。『妖怪ポスト』の名前に相応しい、ただそこにあるだけで、ただの路地裏が不安と恐怖を駆り立てる異空間のように感じた。

勇んでこの場所へ来たが、本当に手紙を入れて良いものなのか……今更ながらに不安になる。何か、悪いものを呼び起こしてしまうような……そんな予感がするのだ。

 

(……躊躇っている場合じゃ、ないな)

 

 同じ事務所のアイドルが七人も姿を消し、謂れの無い悪評を立てられて苦しんでいる親友がいるのだ。藁をも掴む思いで来たのだから、ここで立ち止まることは許されないと、飛鳥は思った。意を決し、手紙を持つ手を持ち上げると、目の前のポストの中へとそれを投函した。一仕事やり終えたとばかりにふう、と息を吐くと、飛鳥は踵を返して三人が待つ表通りへと、足早に戻っていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

闇に、飲まれよ――――――

 

「きゃぁぁああっ!」

 

「かな子ちゃん!」

 

 346プロ本社のシンデレラプロジェクトの部屋を突如として襲った、恐るべき怪異。青白い光に照らし出された部屋の中に現れたのは、天井まで届かんばかりの巨大な、人ではない異形の何か。その、沼の水面のように揺らめく漆黒の影の中へと、少女――三村かな子が、悲鳴を上げながら沈んでいく。その光景に、同じユニットのアイドルであるツインテールの少女――緒方智絵里が悲鳴染みた声を上げた。

 

「智絵里、逃げて!早く!!」

 

「あ、杏ちゃん……つ!」

 

 かな子を自身の影の中へと呑み込んだ異形の何かは、今度は近くにいた同じユニットの少女――杏へと狙いを定めて動き出した。それを察した杏は、常の気だるげな彼女の態度からは想像できないような鬼気迫る真剣な表情で、智絵里に叫びかけた。

 

「けど、かな子ちゃんが……杏ちゃんも……」

 

「いいから!早く!!」

 

 自身に逃げるよう促す杏の言葉に逡巡する智絵里に対し、再度大きな声で逃げるように促す。そうこうしている間にも、異形は杏に近づいていく。狙われているのは、杏だけでなく、自身も同様なのだと察知した智絵里は、その恐怖に堪らず走り出した。

 

(早く……早く逃げないと!それで、助けを呼ばないと……!)

 

 得体の知れない怪異に襲われている中、智絵里が考えていたのは、何としてもこの危険から逃げ延び、現在進行形で襲われている友人二人を助けることだけだった。故に、プロジェクトルームを出てから走っている廊下が、いつもより長く、終わりが見えないことに気付くことができなかった。

一心不乱に走る智絵里。だが、かな子と杏を呑み込んだ異形は、その場にいた智絵里のことも逃しはしない。

 

「ひっ……!」

 

 青白い光に照らされた廊下を走る智絵里に、背後から追い掛けてきた異形の影が覆い被さる。思わず、後ろを振り向いた智絵里の視線の先にあったのは、不気味に輝く二つの光源。それを見た途端、智絵里は動けなくなった。そして、

 

 

 

闇に、飲まれよ

 

 

 

「は……っ!」

 

 緒方智絵里は、影に飲み込まれて消えた。三人のアイドルをその影に飲み込んだ異形もまた、その場から姿を消した。そして先程までプロジェクトルームや廊下を照らしていた青白い光も消えた。

 

 

 

あと、三人

 

 

 

 何もかもが消え、闇に包まれた事務所の廊下に、誰に宛てたわけでもない、異形が発した声が、メッセージのように響くのだった――――――

 

 

 

 

 

 

 

 飛鳥が妖怪ポストに手紙を投函してから二日後。346プロの自動販売機の前に設置されたベンチに、美穂と歌鈴が座っていた。本日のレッスンやアイドルとしての仕事を全て片付けて落ち合った二人だが、その表情は優れない。

 

「どうしよう……キャンディアイランドの三人に、藍子ちゃんまでいなくなっちゃった……」

 

「歌鈴ちゃん……」

 

 顔を真っ青に染め、絶望の表情を浮かべながら、歌鈴はそう口にした。隣に座る美穂がその手を握って不安を和らげようとするも、効果は無かった。

 飛鳥が小梅に案内され、調布市にあった妖怪ポストに手紙を入れてから、二日が経過した。妖怪ポストに手紙を出した日には、シンデレラプロジェクトの人気ユニット『キャンディアイランド』の三人が一斉に失踪。そして昨日、歌鈴と同じアイドルユニット『インディゴ・ベル』のメンバーである高森藍子が姿を消した。藍子が姿を消した時点で、ここ最近蘭子と仕事をした、或いは事務所等で顔を合わせたアイドルは、大部分が失踪したことになる。そして今、残っている標的は歌鈴のみとなった。

 

「次はきっと、私だ……私も、皆みたいに消えちゃうんだ……!」

 

「だ、大丈夫だよ!私が一緒にいてあげるから!歌鈴ちゃんは、絶対にいなくなったりしないよ!」

 

「うぅ……美穂ちゃん………………」

 

 恐怖に押し潰されそうになっている歌鈴の背中を擦り、大丈夫だと必死に宥める美穂だが、歌鈴の嗚咽は止まらない。だが、無理も無いだろう。十一人ものアイドルが立て続けに姿を消し、次の標的が自分になることはほぼ確実とされているのだ。消えたアイドル達が今どうしているのか……生きているのか、死んでいるのかすら分からないこともまた、恐怖を煽っていた。

 

「今日はもう帰ろう。美味しいもの作ってあげるから、元気出そうよ。ね?」

 

 歌鈴の恐怖を和らげる手段が思い付かず、寮へ帰るよう促す美穂。何もしていないから、悪いことばかり考えてしまうというのもあるのだろう。寮へ戻る帰り道で買い物等していれば、少しは気も紛れるだろうという希望的な考えもあった。

 そんな美穂の必死の思い遣りが、歌鈴にも通じたのだろう。嗚咽で声が出なかったものの、美穂の提案に頷いて賛成してくれた。そうと決まれば、寮まで帰ろう。そう思った時、歌鈴が思い出したように言った。

 

「しまった……スマホをレッスンルームに置いたままにしちゃってた……」

 

「そっか……じゃあ、一緒に取りに行こうか?」

 

 歌鈴の今の精神状態を考えれば、一時たりとも一人にするべきではない。そう考えた美穂は、極力一緒に行動することにした。美穂は歌鈴の手を握り、共にレッスンルームを目指す。

 時刻は既に夕方であり、346プロ社内にいる人間は残業中のプロデューサーや事務員くらいである。アイドル達に至っては、連日の失踪騒ぎにより、プロデューサーの同伴無しで遅くまで残ることは禁止されている。故に、レッスンルームを使用している人間はいなかった。

 

「あ、あった!あったよ、美穂ちゃん!」

 

「早く見つかって良かったよ」

 

 無人のレッスンルームに入った美穂と歌鈴は、すぐにスマホを見つけることができた。アイドルの失踪が相次いでいる今、人気の無い場所に二人だけでいるのは避けたかっただけに、ありがたいことだった。

 

「それじゃあ、帰ろっか」

 

「うん!」

 

 用も済んだことだし、寮へ帰ろうと入口へと二人して向かおうとした――――――その時だった。

 

「え……!?」

 

「何……!?」

 

突如として、レッスンルームの照明が落ちたのだ。辺りが暗闇に包まれ、停電でも起こったのだろうかと不思議に思ったのも束の間。消えたと思った電灯の光が、唐突に灯ったのだ。だが、復旧したわけではない。何故なら、電灯から放たれる光はLEDライトの白色ではなく……不気味な青白い光だったのだから。

 

「な、何が……っ!」

 

 何が起こっているのだろう、と口にしようとした美穂だったが、その先は続かなかった。辺りを見回そうとして、レッスンルームの壁に取り付けられた鏡へと視線を向けた時……美穂と歌鈴は見てしまったのだ。

青白い光の中で佇む、死装束と見紛うような白い着物を纏った、三メートルはあろう大柄な人形の何か。頭からは、背中を覆う程の長い黒髪を垂らしており、その頭頂部には二本の角が生えている。長い髪の間から見える顔は人のものではない真っ青な肌であり、口からは鋭い牙が覗いた、凄まじい形相をしている。まさしく、『鬼女』と形容するのが相応しい、異形……それが、鏡の向こうの、美穂と歌鈴の後ろに立つようにして映っていたのだ。

 驚愕に目を剥いた二人は、揃って後ろを振り返る。するとそこには、鏡に映っていた巨体の鬼女が、確かに佇んでおり……二人が見たものが錯覚の類ではなかったことを示していた。

 

「「きゃぁぁあああああっっ!!」」

 

 青白い光に照らされたレッスンルームの中に、二人の甲高い悲鳴が響き渡る。二人を見下ろしていた巨体の鬼女は、二人が悲鳴を上げるとともに、ゆっくりとにじり寄っていく。両腕を上げ、袖に隠れていた鋭い爪の生えた手を出し、二人に覆い被さろうとしている。それを見た美穂は、隣に立つ歌鈴の手を取って走り出した。

 

「歌鈴ちゃん、早く!」

 

 歌鈴の手を引きながら目指すのは、レッスンルームの出口。とにかく逃げろと、本能が告げるままに、美穂は動きだした。幸い、先の巨体の鬼女の動きは緩慢であり、本気で走れば逃げ切れないこともない。レッスンルームを出て廊下を走り、人がいる場所を目指せば、助かるかもしれない。動き出した後からそう考えた美穂は、出口のドアノブに手を掛ける。だが、

 

「あ、開かない!?」

 

 いくらドアノブを動かしても、扉が開かない。鍵はかかっていない筈なのに、びくともしないのだ。この部屋が青白い光に包まれた現象から、謎の巨体の鬼女の登場をはじめ、訳が分からない事態に見舞われ、美穂はさらに混乱に陥っていく。

 

「美穂ちゃん!」

 

 歌鈴の呼び掛けに後ろを振り向いてみると、そこには先程の鬼女の姿が近づいていた。動きは遅いが、逃げ場が無くては振り切ることなどできない。

 

「歌鈴ちゃん、こっち!」

 

 レッスンルームのドアから廊下へ出ることができないと察した美穂は、迫りくる鬼女から逃れるために、レッスンルームの中を走る。しかし、出口は一つしか無い以上は逃げ切ることなどできず……追い詰められるのに、そう時間は掛からなかった。

 

「ひぃっ……!」

 

「うぅぅ……っ!」

 

 レッスンルームの隅に追いやられ、身を寄せ合って震える美穂と歌鈴。目の前には巨体の鬼女が両腕を広げて覆いかぶさるように迫っていた。

 

「闇に、飲まれよ……」

 

 鬼女の口から、不気味な声が漏れる。それは、蘭子がいつも挨拶代わりに口にしている、お馴染みの台詞。だが、目の前の鬼女が放った言葉には、呪詛のニュアンスを込めたようなものだった

 

「美穂ちゃん……!」

 

「歌鈴ちゃん……!」

 

 もう終わりだと、互いの名前を呼び合ってきゅっと目を瞑る二人。きっとこの後、姿を消した十一人のアイドルと同じ目に遭わされるに違いない。何が起こるかも分からない恐怖に身を震わせながら覚悟する。

 だが、その時――――――

 

「リモコン下駄!」

 

 美穂と歌鈴と、鬼女以外に誰もいないレッスンルームの中に、少年の声が響き渡った。それと同時に、鬼女の頭部に高速で何かが飛来し、激突したのだ。一体何が起こったのかと、二人して目を開ける美穂と歌鈴だが、何が起こったのかは分からない。後頭部の衝撃によってつんのめる鬼女は、ゆっくりとその怒りともとれる形相を後ろへ向けた。

 その時、鬼女が半身気味で振り返ったことで、美穂と歌鈴は鬼女が立っていた場所の向こう側に誰かがいることを確認できた。小柄な少年で、長髪で左目を隠した特徴的な髪型に、青色の古めかしい、長袖・半ズボンの学童服。その上には黄色と黒の縞模様のちゃんちゃんこを纏っていた。足にはこれもまた古い履物で下駄を履いている。

 

(もしかして……!)

 

 その姿を見た美穂と歌鈴は、つい最近小梅から聞かされた、ある噂話を思い出していた。その話の中に出て来る人物(?)に、容姿が瓜二つだったのだ。

 

「何者、だ……?」

 

 鬼女の誰何に対し、レッスンルームの真ん中に立っていた少年は、青白い光に照らされた中を歩いてさらに近寄ると、その顔を露にして答えた。

 

「ゲゲゲの鬼太郎だ」

 

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