ゲゲゲの鬼太郎 アイドルマスター百物語   作:鈴神

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エヴリデイナイトメア 赤い血染めのリボンは永遠に…… ④

 加蓮が妖怪の襲撃を受けた翌日。この日は、美穂の所属ユニット『ピンク・チェック・スクール』のミニライブの開催日でもあった。夕方の六時に行われたミニライブは、いつも通りの満員御礼。会場は大盛り上がりの大成功を収めた。

 そして、夜中の九時頃。ミニライブを終え、会場の後片付けを済ませたピンク・チェック・スクールの三人は、会場として使用された多目的講堂を出て、家路に就くところだった。

 

「それじゃあ、帰ろうか。卯月ちゃん、美穂ちゃん」

 

「うん、響子ちゃん」

 

 帰り支度を終えたアイドル三人は、各々の荷物を手に取り、控室を出て行った。今回のライブを担当したピンク・チェック・スクールのプロデューサーは、ライブ終了とともに別件で既に現場を離れていた。

 

「そういえば美穂ちゃん、リボン付けたんだ」

 

「うん。私って髪短いから、ヘアゴムとか使わないんだけど……たまには良いかなって。似合う……かな?」

 

 出入口を目指す最中、手持ち無沙汰だった三人の話題となったのは、美穂が頭に付けているリボンだった。左側側頭部の、左耳よりやや増えの場所で結んでいたその赤いリボンは、衣装以外で髪飾りの類を普段着用することのない美穂にしては珍しいコーディネートだった。

 

「全然大丈夫だよ。似合ってるし、可愛いと思うよ」

 

「ええと……そう、かな?」

 

「うん。卯月ちゃんの言う通りだよ。いつも付けていても良いんじゃないかな?」

 

 友人二人にリボンを褒められ、頬を赤く染める美穂。そんな美穂の様子を、卯月と響子は微笑ましく思っていた。

 

「けど、そのストールは脱いだ方が良いんじゃないかな?」

 

「確かに。今日は外も、あんまり寒くないからね」

 

「えっと……私は大丈夫。というより、最近ちょっと寒くて……」

 

「風邪ひいちゃったの?」

 

「大丈夫?」

 

「うん。全然平気だから、気にしないで……」

 

「それにしても、黄色と黒の縞模様か……どこで買ったの?」

 

「い、いや。買った物じゃなくて、熊本の実家から送ってもらったものなんだよ」

 

 リボンに次いで話題として挙げられたのは、美穂が首に巻いている黄色と黒の縞模様のストールだった。今まで見たことの無いコーディネートなだけに、卯月も響子も興味を示していたが、尋ねられた当人たる美穂は、歯切れ悪く答えるだけだった。

 そして、そんな他愛もない話をしている内に、三人は講堂の正面入口へと辿り着く。

 

「あ、そろそろ入口だよ」

 

「本当だ」

 

「確か、美穂ちゃんのプロデューサーさんが、本社から車に乗って迎えに来てくれることになっているんだよね」

 

 ライブと撤収作業全てが終了したのは、夜中の九時を回った時刻であり、未成年の女子高生が街を歩けば、何らかの事件に巻き込まれるかもしれないし、そうでなくとも警察に補導対象である。故に346プロは、ライブをはじめとした仕事で帰りが遅くなる場合においては、アイドルのために送迎車を手配してくれることとなっているのだ。本日の送迎者たる美緒のプロデューサーは、講堂の前で待っていてくれると聞いていたので、三人は建物の入口を出ると、目の前の道路を見回した。

 

「プロデューサーさんの車は……あ、あそこだね」

 

 目的の車両は、すぐに見つかった。講堂の入口から少し離れた場所にある、大型の黒いバンである。貨物運搬に適しているバンは、乗車定員が多く、荷物の収納スペースにも優れることで知られている。そのため、346プロではアイドルユニットを衣装や機材とともに運搬するために非常に重宝していた。

 運転手は既にスタンバイしているらしく、ヘッドライトが点灯していた。三人が駆け寄っていくと、運転席の窓が開いた。

 

「皆さん、お疲れ様です」

 

「あれ、武内プロデューサー?」

 

 運転席から顔を出したのは、美穂のプロデューサーではなかった。やや鋭い三白眼と目元の皺がトレードマークの、窓越しでも分かる大柄でがっしりした体格の男だった。厳つい外見故に、初対面の人間から不審者に間違われやすいこの男性は、卯月が所属するシンデレラプロジェクトのプロデューサーの武内である。

 

「何で武内プロデューサーがここに?」

 

「美穂ちゃんのプロデューサーさんはどうしたんですか?」

 

 対面する人間に対し、無条件で威圧感を与えてしまう武内だが、それはあくまで初対面での話。その外見に似合わず、内面が非常に実直かつ誠実であることを知る346プロのアイドル達は、臆することなく武内に事情を尋ねた。

 

「小日向さんのプロデューサーは、急な用件で送迎ができなくなったそうです。代わりに私が、皆さんをお迎えに来ました」

 

「そうだったんですか」

 

「はい。小日向さんと五十嵐さんは346プロの女子寮に、島村さんはご自宅へお送りします。どうぞ、乗ってください」

 

「分かりました」

 

 武内に促されたピンク・チェック・スクールの面々は、スライド式のバンの扉を開き、卯月、響子、美穂の順に乗り込んでいった。そして、武内が車を出そうとしたのだが……

 

「あっ!ちょっと待ってください!」

 

 美穂が出発に待ったをかけた。武内はサイドブレーキに触れていた手を止め、運転席から美穂の方へと首を傾げながら振り向いた。隣に座る響子と卯月も、どうしたんだろうと美穂の方を見る。

 

「すみません。講堂の控室に、忘れ物しちゃったみたいです……」

 

「そうですか。では、ここで待たせていただきます」

 

「美穂ちゃん、私も一緒に行こうか?」

 

 車を出て講堂へ戻ろうとする美穂に対し、響子が同行を申し出る。隣に座る卯月も、同じことを言いたいようだった。美穂を一人で講堂に戻らせることに対し、心配そうな表情で難色を示す二人だが、無理も無い。

 美穂の所属するユニット『Masque;Rade』は、三人ものメンバーが意識不明の昏睡状態に陥り、入院しているのだ。何者かの仕業なのか、それとも病気によるものなのか、原因は定かではなく……“呪い”によるものなのではというオカルト的な推測も為されているのだ。というのも、事件が始まった時期は、Masque;Radeのメンバーの一人にして、プロデューサーへの愛が人一倍重いことでしられる、佐久間まゆが交通事故で意識不明の状態で入院してから間もなくのことだったからだ。

 また、346プロではつい最近も、アイドルの大量失踪事件が発生したばかりである。既に事件は解決し、失踪したアイドルは全員職場に復帰しているものの、原因や犯人は結局不明のままだった。一説では“妖怪”の仕業とまで噂された程であり、今回の昏睡事件における恐怖を煽り立てていた。

 ともあれ、美穂までもが同じ目に遭わないとも限らない。同じ『ピンク・チェック・スクール』のユニットメンバーであり、友人である美穂を一人にしておけないと考えるのは、響子と卯月にしてみれば当然のことと言えた。

 

「ありがとう。けど、大丈夫。一人でも探しに行けるから」

 

「だけど……!」

 

「何かあったら、すぐに電話するか、メッセージを飛ばすから。心配しないで」

 

 不安そうな表情を浮かべる響子と卯月、そして武内プロデューサー。そんな三人に対し、美穂はいつもと変わらない、はにかんだ笑顔を向けてそう言うと、車を降りて講堂へと戻っていった。正面入口から講堂の中へと入った美穂は、守衛に話を話すと、控室を目指した。

 

「………………」

 

 既にライブとその片付け・撤収は全て終わっているため、講堂の中に人の姿は一切無く、不気味な程の沈黙に包まれていた。昼間同様に廊下の電灯は点いている筈なのに、薄暗く感じてしまうような空気……

まるで、人が住む世界とは別の空間に迷い込んだかのような感覚に、美穂は引き返したいという衝動に駆られそうになるのを押し止めながら、歩みを進めた。

 

(控室は……あった)

 

 今日一日のライブの中で行き来した道を記憶の通りに進んだ美穂は、控室へと辿り着いき、そのドアノブに手を掛けて扉を開いた。各控室の鍵は、守衛が退勤前の最後の見回りに際して閉めるらしく、鍵は必要なかった。

 

「ええと……」

 

 控室の中へと入った美穂は、この部屋に残してきた忘れ物を探すべく、自身の使っていた化粧台を中心に見て回った。化粧台の上、化粧台の下、部屋の中央にあるテーブルの下と、部屋の中の至る場所に視線を巡らせる。しかし、探し物は中々見つからない……

 そうして一通り部屋の中を見て回り、同じ場所を確認しようとした時だった。

 

 

 

許さない――

 

 

 

「!」

 

 美穂の頭の中に、ノイズ交じりの声が響いた。背筋が凍るかのような憎悪と怨嗟に塗れた、女性のものらしき声。それを耳、或いは頭で聞いた途端、美穂は全身の鳥肌が立つのを感じた。きょろきょろと辺りを見回すも……人の姿はやはり無い。

 

許さない――

 

「だ、誰なの……っ!?」

 

 再び聞こえたその声に反応し、虚空に向けて問い掛けるも、返事は無い。だが、二度聞いたことで確信した。先程の声は、自身と同じユニットのメンバーであり、友人のものであると……

 

「まゆちゃん……なの?」

 

 虚空へ向けて口にした美穂の問い。しかし、姿なき声の主は何も答えなかった。

 

許さない――

 

「まゆちゃん、お願い!私の話を聞いて!」

 

 しかしそれでも、美穂は恐怖を押し殺して必死に言葉を紡ごうとした。妖怪と化して、仲間達を襲っている友人を助けるために。

 

「あの日、プロデューサーさんは――」

 

許さない――!

 

まゆが事故に遭ったその日に何があったかを話そうとする美穂。だが、頭の中に響く声は問答無用とばかりに同じ言葉を憎しみと共に繰り返すばかりだった。そして次の瞬間、姿なき声の主が、美穂に牙を剥く――――――!

 

シャァァアアッ!

 

 次の瞬間に聞こえたのは、蛇を彷彿させる掠れた鳴き声。それと同時に、美穂の首筋目掛けて、細長い影が飛び掛かった。

 

「きゃっ……!」

 

 短く響き渡る、美穂の悲鳴。恐怖のあまり思わず目を瞑ってしまった美穂だったが、本人の身は無事だった。そして、美穂が恐る恐る視線を向けた、顔の左側には……

 

「シュー、シュー……」

 

「ひっ……!」

 

 美穂の首筋目掛けて、大口を開いている、赤い鱗に覆われた蛇がいた。その上顎には、非常に鋭い二本の牙が覗いていた。未だ美穂に突き立てんとしているその牙を食い止めていたのは、美穂の首に巻かれていた、黄色と黒の縞模様のストールだった。

 

「今だ!」

 

 美穂の首筋目掛けて襲い掛かろうとした蛇の牙がストールによって阻まれたその瞬間。美穂が忘れ物探しの際に手を付けていなかった控室のクローゼットの扉が開き、中から鬼太郎が姿を現した。但し、いつも着ているトレードマークのちゃんちゃんこは着ていない。

 

「指鉄砲!」

 

 そして、間髪入れずに右手の人差し指と親指を立てた状態で拳銃に見立てて構えると、美穂の顔のすぐそこで静止した状態の蛇へ照準を合わせ、必殺技・指鉄砲を放った。

 

「シュルルルル……!」

 

 しかし、指鉄砲が蛇へ迫った途端。蛇の身体が、布のように平たくなり……“リボン”へと変化した。布状に変化した蛇は、空中でしなやかに動くと、指鉄砲をひらりと避けてのけた。

 躱された指鉄砲は、控室の壁に穴を空けたが、そんなことに構っている暇は無い。鬼太郎は再度指鉄砲を放とうと照準を合わせようとする。しかし、それよりも早く、リボンへと化けた蛇は、するりと美穂の頭から離れ、風に舞うかのように空中をひらひらと漂い、控室の扉から出て行った。

 

「追うぞ!」

 

「は、はい!」

 

 即座に講堂の廊下へと出た鬼太郎と美穂は、風に流されるようにひらひらと漂っていくリボンを追いかける。空中を漂うその姿は、まるで海を泳ぐ海蛇のようにも見えた。

 そして、講堂の廊下を、階段を、舞台裏を走っていき……遂にリボンはその動きを止めた。鬼太郎と美穂がリボンを追って辿り着いた場所。それは、講堂の舞台の上だった。

 

「鬼太郎さんの話を聞いてまさかとは思っていましたが……本当にあれが妖怪なんでしょうか?」

 

「ああ、間違いない。あれが一連のアイドル襲撃事件の犯人だ」

 

 未だに信じられないという顔をしている美穂に対し、鬼太郎は強く断言した。その視線の先には、舞台の上で風に靡くかのようにひらひらと動きながら浮遊するリボンがあった。

 

 

 

 一連のアイドル襲撃事件における共通項。それは、妖怪の標的がMasque:Radeのメンバーであることと、襲撃時には首を狙っていたこと。前者はまゆの生霊が妖怪化して引き起こしている事件なのだから言わずもがな。妖怪の正体を暴く手掛かりがあるとすれば、後者だった。

 そうなると、妖怪は“何故”首を狙ったかという問題に行き着く。その答えを導き出すためのきっかけとなったのは、昨日のライブのリハーサル中にねずみ男が主犯となって行った、アイドルの所持品盗難事件だった。あの時、ねずみ男は現場にいたアイドル達から様々な物を盗み出したが……その中には、本来ある筈の無いものが混ざっていたのだった。

 

「あの時、ねずみ男は加蓮から“リボン”を盗んでいた。だが、加蓮はリハーサルの始まりから襲われるまでの間中ずっと、リボンを外していなかった。つまり、加蓮が襲われた時に身に付けていたのはリボンじゃなかったということだ」

 

 そこから鬼太郎は、加蓮の前に襲われたアイドル達の事件当時の服装を……特にリボンを身に付けていなかったかについて注目した。その結果、襲われたアイドル全員がリボン、或いはそれに類するものを身に付けていたのだ。

 最初に襲われた智絵里は、変装の際に髪型をツインテールからポニーテールに変えた際に髪を結ぶのにリボンを使っていた。

 次に襲われた李衣菜は、頭にこそ付けていなかったが、当時の服装は高校の制服であり、首元でリボンタイを結んでいた。

 最後に襲われた加蓮は、右側に寄せて結んだ髪を肩から流しており、結び目にはリボンを使っていた。

 そして、襲われたアイドル達がリボンを付けていたことを確認した鬼太郎が次に目を付けたのは、被害者の首筋にあった、二点の針で刺したような傷跡の位置だった。智絵里はうなじ、李衣菜は喉、加蓮は頸部右側面……それらはいずれも、リボンを結んでいた箇所に面した位置だったのだ。これらの事実から推測される妖怪の正体。それは、妖怪を生み出したとされるアイドル、佐久間まゆのトレードマークでもあった。

 

「妖怪の正体は、“リボン”だ。アイドル達の持ち物であるリボンに化けて懐へ潜り込み、着用した時を見計らって、首筋を狙ったということだ」

 

 妖怪の正体が分かれば、対応も容易い。鬼太郎は自身の霊毛ちゃんちゃんこの形状をストールのように変化させ、美穂に着用させることで、その毒牙を防いだのだった。

 

「女性の嫉妬心が取り憑いたリボンの妖怪で、蛇に化ける……そのような妖怪は、一つだけじゃ。わしもあのような姿をしたものは初めて見るが、間違いない。あれは妖怪・蛇帯(じゃたい)じゃ!」

 

 鬼太郎の髪の中から頭を出した目玉おやじが、目の前で浮遊する妖怪の名を口にした。

 『蛇帯』とは、女の嫉妬心が着物の帯に取り憑いて蛇となった妖怪である。

 蛇は女性の嫉妬心、邪心等の異形の心を比喩するイメージとして使用されることがしばしばあり、女性の邪心と蛇にまつわる説話は古くから存在していた。江戸時代の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にもこの妖怪は描かれており、嫉妬する女の三重の帯が七重に回る毒蛇になるという意味の解説も併せて記載されている。

 

「正確には、蛇帯の亜種と呼ぶべきじゃろう。本来は着物の帯が化けた妖怪じゃが、女性の嫉妬心から生まれていること、取り憑いた物が帯状のものという点は同じじゃ」

 

「時代が変われば、妖怪の生まれ方、取り憑く物も変わるということですね」

 

付喪神のような妖怪は、古い物に魂が宿って生まれるのがセオリーだが、例外は存在する。妖怪の存在の本質は、強い思念にある。蛇帯の場合は嫉妬心だったように、本質さえ変わらなければ、年代を問わず生まれるケースもままあるのだ。

 

「ともあれ、奴が一連の事件の原因であることは間違いない。毒の持ち主である蛇帯が消滅すれば、アイドル達も目をさまず筈じゃ」

 

「分かりました、父さん。美穂、ちゃんちゃんこを僕に。それから、舞台袖まで下がっていてくれ」

 

「は、はいっ……!」

 

美穂から黄色と黒の縞模様のストールを受け取った鬼太郎は、形状をちゃんちゃんこに戻して羽織る。それと同時に、美穂は安全な舞台袖へと退避していくのだった。

 

「今度こそ仕留めさせてもらう。指鉄砲!」

 

蛇帯に向けて、再び指鉄砲を放つ鬼太郎。だが、舞台の上でひらひらと滞空しているだけだった蛇帯は、指鉄砲が放たれた瞬間に、再びその身をひらりと動かすと、指鉄砲を難なく躱した。

 

許さない――!

 

『!』

 

蛇帯の――正確には蛇帯に取り憑いたまゆの思念の――声なき声が、鬼太郎と美穂の頭に響く。そして次の瞬間、蛇帯が放つ妖気が一気に膨れ上がった。その圧は、霊感の無い美穂ですら本能的に圧倒される程のものだった。

 

許さない――許さない――許さない――!

 

怨念の籠った「許さない」という言葉が連呼されるとともに、蛇帯が空中で激しくうねりだした。まるで強風に煽られるように激しく動いていく蛇帯は、五十センチ程度の長さから四メートル超の、それこそ本物の帯のような大きさに巨大化したのだ。だが、蛇帯はさらに長大化し……その体は十メートルを超えた。

赤いリボンから赤い帯へと巨大化した蛇帯は、空中でくるりくるいと回転を始めた。すると、帯と同程度の厚さしかなかった蛇帯が、先端の方から空気を入れた風船のように膨らみ始めたのだ。“風船のように”と形容したが、その実態確かな体積と質量を伴っており、赤い鱗に覆われていた。かつて帯だったそれは、瞬く間に変貌を遂げ、非常に太い綱のような姿となり、ステージの上へとズシンと重い音を立てながら落ちた。それは、まるで無造作に置かれた大綱のようにも見えた。

ステージの上に現れた長大な赤い鱗に覆われた異形。それはシュルシュルという音とともに蠢きだし……やがて、その巨大な鎌首をもたげて、鬼太郎を睨みつけた。

 

「父さん、あれは……!」

 

「ウム。あれが蛇帯の……本来の妖怪としての姿なのじゃろう」

 

血のように赤く染まった鱗に包まれた大蛇。それこそが、妖怪・蛇帯の正体だったのだ。巨大化した蛇帯は、鬼太郎を猛烈な妖気と殺気を滾らせながら鬼太郎を睨み付けていた。

 

『私の邪魔をする人は……許しませんよ……!』

 

「喋った……!?」

 

「恐らく、まゆちゃんという子の人格が少なからず残っておるのじゃろう」

 

まゆの生霊が嫉妬心と憎悪で妖怪化しているのならば、人格など残っていないだろうと鬼太郎や目玉おやじは考えていた。しかし、標的や邪魔者を認識するための、最低限の自我は残っているらしい。

 

「シャァァアアアッッ!!」

 

「来るぞ!」

 

「はい、父さん!」

 

だが、それ以上会話は続かなかった。けたたましい威嚇音とともに、襲い掛かる蛇帯。牙を剥き、その巨体に似合わないような俊敏な動きで鬼太郎をその顎で捉えようとするが、鬼太郎は間一髪で横へ跳躍してそれを回避した。

 

「くっ……髪の毛針!」

 

蛇帯の恐るべきスピードに冷や汗を浮かべる鬼太郎だが、怯んでいる場合ではない。立ち上がると同時に、蛇帯目掛けて反撃とばかりに髪の毛針を見舞う。だが、放たれた数百本の髪の毛針は、蛇帯の赤い鱗に阻まれて全く突き刺さらない。

 

『ウフフ……そんなもの、効きませんよ……?』

 

「なんて硬い鱗だ……!」

 

「鬼太郎、生半可な技ではあの鱗を破ることはできん!指鉄砲で、奴の防御を破るのじゃ!」

 

「分かりました、父さん!」

 

相手が硬い鱗に覆われているとなれば、面制圧に優れる髪の毛針ではなく、一点集中で貫通力に優れる指鉄砲が最適だろう。そう考えた目玉おやじの指示に従い、鬼太郎は即座に人差し指を構え、指鉄砲発車の姿勢に移行する。

 

「シャァァア!」

 

「指鉄砲!!」

 

長大な体をうねらせ、再び鬼太郎へと口を開けて襲い掛かる蛇帯。その口目掛けて、鬼太郎は指鉄砲を撃ち出した。十分に引き付けた状態で発したその一撃は、如何に俊敏な蛇帯といえども避けられるものではない。これで蛇帯は終わりだろうと……鬼太郎と目玉おやじはそう確信していた。

 

「シュルルルルッ……!」

 

「何っ!?」

 

だが、ここで予想外の事態が起こる。鬼太郎目掛けて真っ直ぐ飛び掛かった蛇帯が、その体を頭の先から尾を目掛けて、“帯”へと変化させたのだ。体積の少ない、平たい布状の体へと変化した蛇帯は、その身を翻し、鬼太郎の放った指鉄砲をひらりと躱してのけると、そのまま鬼太郎の横を通り過ぎていった。

 

『そんなもの、当たりませんよ?』

 

「鬼太郎、呆けている場合ではないぞ!布に変化した状態ならば、髪の毛針も通る筈じゃ!」

 

「分かりました!髪の毛針!!」

 

蛇帯の思わぬ行動に驚愕してしまった鬼太郎だが、目玉おやじに叱咤され、すぐに次の攻撃を仕掛ける。空中を舞う、帯と化した蛇帯目掛けて髪の毛針を無数に発射し、串刺しにしようとするが……

 

「シャァァアアア!」

 

再びその身を大蛇へと変化させ、鱗の防御をもって髪の毛針を防ぎ切ってみせた。

 

「ならば……霊毛ちゃんちゃんこ!」

 

大蛇へと姿を戻した蛇帯に対し、今度は霊毛ちゃんちゃんこを放つ鬼太郎。霊毛ちゃんちゃんこで蛇帯を覆い尽くし、妖力を吸い尽くしてしまおうというのだ。

 

「シャァアッ……!?」

 

「よし!ちゃんちゃんこ、蛇帯の妖力を吸い尽くせ!」

 

蛇帯の頭部を覆ったちゃんちゃんこは、鬼太郎の言葉に従い、蛇帯から妖力を吸い出そうとする。しかし……

 

『甘いですね……』

 

「シュルルルッ……」

 

蛇帯は再び帯の姿へ変化し、生じた隙間を利用してちゃんちゃんこの拘束を逃れてのけた。

 

「なんて奴だ……大蛇の姿と帯の姿を使い分けるなんて!」

 

「わしも、蛇帯が蛇に化ける妖怪ということは知っておったが、まさかこれ程とは……!」

 

姿を変化させるというのは、妖怪の中では比較的ポピュラーな能力である。しかし、『化ける』という能力は、大概が人間を騙すために用いられるものである。戦闘に用いるタイプというものは珍しく……ましてや戦況に応じた使い分けをする、蛇帯のようなタイプの妖怪とは、鬼太郎もあまり出会ったことがない。

 

「シャァァアアッ!」

 

「ぐっ……!」

 

帯へと変化してちゃんちゃんこの拘束を逃れた蛇帯が、再び大蛇へと戻って鬼太郎に襲い掛かる。相変わらずの凄まじいスピードで動く蛇帯の牙を、何とか紙一重で回避することに成功した鬼太郎は、目玉おやじに指示を仰ぐ。

 

「父さん、どうすれば……!」

 

「奴が姿を変えた瞬間を狙うのじゃ。変化して間もない状態ならば、対応が遅れる筈じゃ」

 

姿を変えて攻撃に対抗してくるのならば、変化することができないタイミング……即ち、変化し終えて間もない瞬間を狙うしかない。鬼太郎は目玉おやじの言葉に頷くと、右手の指を立てて蛇帯に向けて構えた。

 

「指鉄砲!」

 

蛇帯へ放たれた、四発目の指鉄砲。しかし、蛇帯はまたしても頭の先端から帯へと変化し、それをひらりと避けた。そして、ここからが本当の狙いとばかりに、鬼太郎は髪を逆立て、髪の毛針を射出しようとする。

 

「髪の毛――」

 

「鬼太郎、右から来るぞ!」

 

「――がはっ!?」

 

『油断しましたね』

 

髪の毛針を射出しようとした鬼太郎の脇腹に、衝撃が走った。蛇帯の胴体半分から下の、大蛇の姿となっている尾が、鬼太郎に向けて振るわれたのだ。目玉おやじが気付いて呼び掛けるも、あと一歩のところで間に合わず、尾の一撃は鬼太郎に直撃し、その体を吹き飛ばした。

 

(体の半分から頭にかけてを帯に、尾にかけてを大蛇の姿のままにすることもできたのか……!)

 

ここまでの戦闘において、蛇帯は全身を大蛇と帯の姿に変えていた。だが、部分的に変えられないわけではなかったのだ。或いは、変化させられるのは全身だけと、油断させるための演出だったのかもしれないと考える鬼太郎だが、全ては遅すぎた。

 

「ぐっ……かはっ……!」

 

「鬼太郎、しっかりするんじゃ!」

 

朦朧とする意識の中、脇腹を押さえて立ち上がろうとする鬼太郎。目玉おやじに叱咤され、必死に体を動かそうとするが……それを黙って見逃してくれる蛇帯ではなかった。

 

「シャァァアアアアア!!」

 

「ぐぅっ……がはぁっ……!」

 

再び全身を大蛇へと変えた蛇帯が、地面に膝を付いた状態の鬼太郎に巻き付き、その太い体で締め上げ始めたのだ。

 

『ウフフ……このまま、押し潰してあげますよ……』

 

「鬼太郎!」

 

「鬼太郎さん!」

 

「と、父さ、ん……がはっ!」

 

絶体絶命の危機に陥った鬼太郎の姿を目にした目玉おやじと美穂が、悲鳴にも似た声を上げる。蛇帯の拘束から逃れようとする鬼太郎だが、締め付ける力は凄まじく、鬼太郎の力ではびくともしない様子だった。

このままでは、蛇帯は骨を粉々に砕く勢いで鬼太郎を絞め上げて、殺してしまうのも時間の問題である。そうなれば蛇帯は、次は美穂へと襲い掛かることだろう。蛇帯を前に、最早万策尽きたと……鬼太郎達が、そう思った時だった。

 

「鬼太郎さん!」

 

「鬼太郎~!しっかりしんしゃい!!」

 

舞台袖からステージの上へと駆けてくる人影があった。声は二人分。一つは人間のものだったが、もう片方は人間ではなく……蛇帯のように宙に浮いた布状の何かだった。

 

「小梅ちゃん!一反もめんさん!」

 

その姿を見た美穂の顔に、喜色が浮かぶ。小梅達は、今回の騒動を解決するにあたって、鬼太郎達とは別行動を取っていた。その仲間達が駆け付けてきたということは、この状況を打開できる可能性が出てきたことを意味する。

 

「美穂ちゃん、待たせてごめん……」

 

「ううん、私は大丈夫。それより、鬼太郎さんが……!」

 

小梅に駆け寄り、縋るように現状の窮地について伝えようとする美穂。小梅も、美穂の様子とステージ上の鬼太郎の窮地を見て、本当に危ないところなのだということを瞬時に悟った。

 

「小梅ちゃん!君が来たということは、間に合ったのかね!?」

 

「はい。何とかして、来てもらいました」

 

足元に駆け寄ってくる目玉おやじを手に救い上げながら、小梅は頷いた。その視線は、舞台袖の奥の方へ向けられていた。

 

「お~い、あんた!早よ、来んしゃい!!」

 

小梅の隣に浮かぶ一反もめんが、その方向へ向けて急かすように呼び掛けると、新たな人影がゆっくりと出てきた。黒スーツを纏った人間の男性であり、年齢は二十台後半くらいの大人である。男は、美穂と小梅、一反もめんの横を通り過ぎると、ステージ上へとその姿を現した。そこには、今まさに鬼太郎を絞め殺そうとしている蛇帯の姿があった。

妖怪には慣れていないのだろう。その光景に気圧された男だったが、意を決して口を開き、声を上げた。

 

 

 

「まゆ!!」

 

 

 

『!』

 

その声に、蛇帯がピクリと反応した。鬼太郎を締め上げる胴体の動きを止め、苦しむ鬼太郎を見下ろしていた頭を、舞台での声がした方向へ……男の方へと向けた。そこに立っていた男の姿を見た蛇帯は、完全に動きを止めた。

 

『プロデューサー……さん?』

 

蛇帯が……佐久間まゆが口にした男がこの場に姿を現したことは、完全に予想外の出来事であり、これ以上無い程に衝撃的だった――――――

 


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