「本日は御足労いただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、私達のために貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございます」
薄暗い会議室の中に、二人の女性の声が静かに響く。横に広がった長机の中心に座る、先に口を開いた方の女性、茨木瞳の冷たい視線を正面の相手に向けていた。これに対し、長机の正面に立っている女性、鷹富士茄子は毅然とした態度でその場にいる一同の視線を受け止めていた。
茄子が今いるこの場所は、彼女等の所属する346プロの事務所ではない。346プロのスポンサーである大企業、鬼ヶ島酒造の本社ビルの中にある会議室である。そして、茄子の目の前に並ぶ者達は、茄子と同じ人間などではなく……酒吞童子の部下である鬼妖怪達である。長机の中央に座る茨木瞳の表の顔は、鬼ヶ島酒造の副社長であるが……その正体は、酒吞童子に次ぐと言われる最強クラスの鬼、茨木童子なのだ。酒吞童子の右腕として、表と裏の両方の世界で辣腕を振るう茨木童子は、酒吞童子から社長業務を代行するためのあらゆる権限を与えられており、この場の問題の処理を任されているのだ。
ちなみに、茨木童子の隣の席には、酒吞童子の息子であり、茨木童子と並ぶ鬼ヶ島酒造の重役でもある鬼童丸の姿もあった。
「それでは早速ですが、今回の本題……先月、弊社より鷹富士茄子様にお貸しした七千五百万円の元金及びその利子に関する話し合いを始めましょうか……」
茨木童子のその宣言に、茄子の表情に緊張が走る。そして、その隣に立つほたるに至っては、「ひっ」と小さく悲鳴を上げながら震えてしまっていた。
事の起こりは、鬼太郎達が暴走する金霊を退治した時点にまで遡る。
金霊を倒したことで、その能力で寿命を金塊に変えられた債務者達の内、辛うじて生きていた人間達は、奪われた寿命を取り戻すことができた。ほたるも例外ではなく、ギリギリまで削られていた寿命を無事に回復させ、命を繋ぐことができた。
「感動的なシーンに水を差すようで悪いが……お前等、“借金”の問題はどうするつもりだ?」
寿命を無事に取り戻せたほたると、ほたるを抱き締める茄子に対し、鬼童丸は非情な現実を突き付ける。金霊が寿命を換金した金塊が消滅したということは、ほたるの実家が抱えている借金を返済する手段が無くなったということでもある。命の危機こそ乗り越えたが、七千五百万円という巨額の負債は消えていない。これがある限り、ほたるの家族は本当の意味で危機を脱することはできない。
大元の問題である借金の話が出た途端、ほたるをはじめとしたアイドル達の顔が曇っていく。如何に美穂や小梅が人気アイドルとはいえ、七千五百万円などという大金を用意することなどできない。有名極道の一人娘である巴にしても、そのような大金を動かすことは不可能である。五人のアイドル達が重苦しい沈黙に包まれる中……最初に口を開いたのは、ほたるだった。
「……私、アイドルをやめようと思います」
「ほ、ほたるちゃん!?」
「おい、ほたる!」
それが、ほたるが下した決断だった。だがその顔には、金霊に魂を売り渡した時のように、悲嘆にくれて自暴自棄になっているわけではなく、確固たる意思で決意を口にしていることは傍から見て明らかだった。
「茄子さんに巴ちゃん……それに皆さん。今まで、ありがとうございました。アイドルになれないことは残念ですが、やっぱり実家がこんな事になっている以上、夢を追い続けることはできません」
「けどほたるちゃん、もうすぐデビューする筈だったのに……」
「私も悔しいですけど……今は諦めるしかありません。けど……いつかまた、トップアイドルを目指していきたいと思っています」
ほたるとしてもデビューを間近に非情に口惜しいが、借金問題で実家が困窮している以上、今は諦めるしかない。しかし、夢は完全には捨てない。いつかまたトップアイドルを目指して邁進することができるその日を信じ、この想いの火は胸の中に灯し続ける。そんな決心が、ほたるの瞳には宿っていた。
「ほたるちゃん……」
七千五百万円もの巨額の借金を実家が負っている状況で、アイドルの夢を追い掛け続けることなど、到底不可能だろう。ほたる自身もそれは分かっている筈。だが、それを承知でほたるは諦めないという意思を示した。
そんな決心を秘めたほたるを前に、美穂と小梅はおろか、同じ事務所の巴やユニットでデビューする予定だった茄子すらも何も言えなかった。部外者である鬼太郎と一反もめんは言わずもがなである。
「中々に見事な決意だな。その年でそれだけの覚悟をできるのは、大したものだ」
「鬼童丸の兄い……」
誰もほたるに対して何も言えない状況の中、鬼童丸が感心したように口を開く。その意図が分からず、巴等は怪訝に思う。
「だが、七千五百万円の借金は一般人の力で返せるものじゃねえ。ましてや闇金融業者が関わっているとなれば、娘であるお前も逃れることはできねえ。詰まるところ、お前は夢を諦めざるを得ねえってワケだ」
「そ、それは……」
「だが、その借金問題をどうにかする方法が一つだけあるとしたら……どうする?」
鬼童丸が唐突に出した話に、ほたるが顔を上げて目を見開く。隣で同じ話を聞いていたアイドル達と鬼太郎、一反もめんも同様の反応をしていた。
そんな中、ほたるを救う術があると聞き、真っ先にその方法を確認するべく鬼童丸に問いかけたのは、茄子だった。
「教えてください。どうすれば、良いんですか?」
「簡単なことだ。闇金に返済する七千五百万円を、この俺から借りるってハナシだ」
鬼童丸が出した、借金を返済するために新たな借金をするという提案に、一同は絶句してしまった。そんな面々を無視して、鬼童丸の説明は続く。
「鬼ヶ島酒造なら、七千五百万円くらいの金はすぐに用意できる。それにウチは、裏の世界にも顔が広いから、お前の実家が借金している闇金融業者の連中にはすぐに話を付けることができる」
鬼童丸の父親である酒吞童子が社長を務める鬼ヶ島酒造は、平安時代に酒吞童子の死後、茨木童子等が日本征服計画を遂行するために一千年もの時を掛けて成長させた、日本有数の大企業である。鬼童丸の言う通り、七千五百万円もの大金であろうと、用意することは容易いだろう。加えて、裏では巴の実家である村上組とも繋がっている。借金を返済した上で、これ以上ほたるの実家に手を出させないようにすることも可能である。
「……どうしてそこまでする?」
その場にいた誰もが感じた疑問を口にしたのは、鬼太郎だった。鬼童丸とほたるは、今日出会ったばかりの間柄である。鬼ヶ島酒造にとっては端金に過ぎないとはいえ、七千五百万円の借金を肩代わりする程の関係ではない筈である。
「なに、簡単なことだ。鬼ヶ島酒造がスポンサーをしている346プロのアイドルが、借金でデビューができなかったとなれば、ウチとしても損失だからな。ここは一つ、貸しにしておこうというだけだ。但し……こっちの提示する条件を、全て呑めるのならの話だがな」
鬼ヶ島酒造の利益のためにほたるに救いの手を差し伸べる旨を口にした鬼童丸だったが、どうやらタダで助けるつもりは無いらしい。そもそも借金をする以上、返済に際しては利子が付くことは間違いなく、その金額がどれ程のものになるかは想像がつかない。ましてや相手は妖怪。それも“鬼”である。どのような無理難題を突き付けられるか分かったものではない。
アイドル達それぞれの頭の中では、借金をしてでも現状を繋ぎ止めるべきだという意見と、このような提案には乗るべきではないという意見とが鬩ぎ合っていた。常識的に考えれば、借金を返すためにさらなる借金をするのでは本末転倒である。しかし、借金を取り立てようとしているのは悪質な闇金融業者である。どのような非道な取立をされるか分かったものではない以上、返済は急務であることに違いない。目先の安全のためにさらなる借金をするのか。それとも、新たな道が見つかるかもしれないという僅かな希望に賭けて、目の前の借金問題と向き合うのか。
どちらを選んでも、茨の道という表現ですら生ぬるい地獄の道になることは間違いない。ほたるとその家族の命運を左右すると言っても過言ではない選択故に、誰一人として口を出せずにいた。そんな重苦しい沈黙が続く中……唐突に、茄子が口を開いた。
「その借金ですが、名義人はほたるちゃんでなければならないのでしょうか?」
茄子が問い掛けたのは、ほたるが借金を負うべきか否かではなく、その名義だった。一体、何の目的で名義など確認したのか。誰もが疑問に思う中、鬼童丸だけは茄子の意図を察した様子で口の端を吊り上げながら答える。
「借金の名義人は誰であろうと構わねえ。借金の返済責任を負う覚悟があるなら、の話だがな」
「そうですか……」
鬼童丸の借金の名義人を問わないという旨を確認した茄子は、一度目を瞑ると、意を決して自身の考えを口にした。
「その借金、私に負わせてください」
「茄子さんっ!?」
茄子の衝撃的な宣言に、ほたるをはじめとした一同が瞠目する。この問題には我関せずの態度を示していた鬼太郎ですら茄子の方を勢いよく振り向いているのだ。
「七千五百万円だぞ。加えて、ウチの利息は闇金融業者よりも過酷だ。それでも構わないのか?」
「はい。構いません」
「待ってください!茄子さんがそんなこと……!」
七千五百万円もの借金をほたるに代わって負うと言い出した茄子に、当然ながらほたるは反対する。だが、茄子の決意は微塵も揺るぐ様子は無かった。
「今回の一件は、ほたるちゃんの苦しみに気付いてあげられなかった私の所為でもあるんです。せめてこの後の苦しみくらい、私が肩代わりしてあげたいんです」
「茄子の姉御……」
この場にいるアイドル達の中で、ほたるが自身の命を代償にしてまで借金を返そうとしたことを止められなかったことに責任を感じているのは、茄子だった。ほたるを止められなかったという点では、同じ事務所所属の巴も同罪なのかもしれないが、茄子の場合は同じユニットで活動する予定だった、者同士である。346プロダクションで最もほたるに近しい間柄だった茄子には、その悩みに気付く義務があると――少なくとも本人は――感じていた。
「本当に良いんだな?期日までに借金を返せなかった場合、悲惨な目に遭ってもらうことになるぜ」
「分かっています。それに、私も無策でこんなことを言い出したわけじゃありません」
「ホホウ……借金を返す当てがあるってことか?」
「はい。きっと、返済させていただきますので、ご安心ください」
どこか自信ありげな茄子に対し、興味深そうな表情を浮かべる鬼童丸。しかし茄子は具体的な借金返済の方策は話さず、ただ微笑みかけるのみだった。
「話は決まったな。契約書は後日、ウチの担当から用意させる。それで、今回の件についての後始末だが……」
ほたるの借金問題は別として、今回のビビビファイナンシャルコンサルティングを名乗る業者による取立の問題は、まだ完全には片付いていない。寿命の換金を実行していた金霊は倒されたが、まだ主犯格の処理が残っている。
鬼童丸が視線を向けた先には、鬼太郎の霊毛ちゃんちゃんこで縛り上げられたねずみ男の姿があった。
「むご~!むご~!」
「ねずみ男については、わし等の方で灸を据えておく。鬼童丸には悪いが、こいつが経営していた会社の処分を頼めるかのう?」
「ああ。元々そのつもりだったからな。お前等のお陰で闇金融業者が幅を利かせていた原因は取り除けたから、後のことは俺に任せておけ」
「助かる。それじゃあ、僕等はこれで引き上げさせてもらう。一反もめん、頼む!」
「コットン承知!」
鬼太郎に頼まれ、その背に目玉おやじを肩に乗せた鬼太郎を乗せた一反もめんは、尾の先にちゃんちゃんこで簀巻きにされたままのねずみ男を絡みつける。そして、その状態のままゲゲゲの森を目指して飛び上がった。
その後、ゲゲゲの森へと連行されたねずみ男は鬼太郎と目玉おやじ、そして天敵のねこ娘から夜明けまで正座させられた状態で説教され、顔面には例によってねこ娘から引っかき傷を付けられたのだった。
しかも、金霊が倒されたことで債務者が生存していた分の金塊は全て、土塊へと変わってしまった。その結果、ビビビファイナンシャルコンサルティングに取立を依頼していた闇金融業者達は、ねずみ男に対して補償を請求。ねずみ男は金霊を使って儲けた金全てを失った上、それでも返しきれない分を負債として抱える羽目になったという。
「一ヵ月前に鷹富士茄子様へお貸しした貸付金の元本は七千五百万円。利子は契約書に基づき、契約締結後の経過日数十日につき一割の計算で加算されていくこととなります。本日で三十日目となりますので、元本及び利子を合計しますと、総額は九千九百八十二万五千円となります」
「きゅ、九千っ……!」
茨木童子が細かな額まで正確に口にした借金の総額に、当事者としてこの場の同席を許されていたほたるは絶句し、顔を真っ青にする。俗に言う“トイチ”と呼ばれる、闇金融業者が使う利子率で算出された借金は、一億円近い数値にまで膨れ上がっていた。その巨額の負債に、茄子の表情がさらに固くなり、頬を冷や汗が伝っていた。
「鬼童丸様が言うには、借金を返済する方策に当てがあったようですが、本日に至るまで返済はありませんでした。この点については間違いはありませんか?」
「はい……間違いありません」
茄子が借金返済のために考えていた方策。それは、『宝くじ』だった。傍から聞けば、博打同然であり、正気を疑われても仕方の無いような方策だが、茄子にはこれを可能とする“力”とも呼べる、ほたるとは真逆と呼ぶべき奇跡のような“幸運体質”があった。
アイドルになる前には、福引では大当たりが当たり前。関わった人は軒並み運気が上昇。壊れていたモノは触れるだけで直る。そんなチート級の幸運を持つ茄子は、宝くじで高額当選したこともあった。茄子が求めれば、必ずと言って良い程に月が味方してくれるこの体質をもってすれば、借金返済も可能な筈。
だが、そんな茄子の期待は、早々に外れることとなった。金霊の一件が解決した後、茄子は予定通り、ほたると共にユニットデビューした。しかしそれ以降、それまでの尋常ではない幸運体質が嘘のようになりを潜め、思うように運気が向くことがなくなってしまったのだ。そうして、週に二回行われる宝くじの抽選は悉く外れてしまい、ほたるのために背負った借金を返済する目処は完全に立たなくなってしまった。
そして借金の返済期限の一ヵ月が経過した今日。茄子は借金の返済が儘ならなくなり、こうして鬼ヶ島酒造の本社へ呼び出されて今に至るのである。
「今一度確認させていただきますが、鷹富士茄子様には、本日中に先程申し上げました金額を返済することは可能でしょうか?」
「……いいえ。ありません」
借金の総額が一億円近くある以上、一介のアイドルに過ぎない茄子が当日中に返済できないというのは、当然のことだった。隣に立つほたる同様、悲痛な表情を浮かべて答える茄子に対し、茨木童子は感情の籠らない声色で非情な宣告を続けた。
「分かりました。それでは契約書に則り、鷹富士茄子様がお持ちの財産の差押えをさせていただきます」
「構いません」
「財産全てを差押えさせていただいても尚、返済金額に届かなかった場合は、別の手段によって支払っていただきます」
「承知しています」
「既にご存じだと思いますが、我々は妖怪です。人間社会においては表の世界にも裏の世界にも通じております。世間一般では非合法・非道徳的とされる、あなたのような若い女性を対象とした仕事の紹介もしておりますので、ご了承ください」
「っ……分かりました」
茨木童子の宣告に、それまで毅然とした態度で臨んでいた茄子の態度が崩れかけた。同じ女性に対する言葉とは思えない程に思いやりを感じさせない口調に、茄子とほたるの背筋に怖気が走る。
それでも、借金返済に掛かる条件を呑む旨の返事をした茄子に対し、茨木童子は相変わらず感情の見えない表情ながら、感心した様子だった。
「見事なお覚悟です。それでは、まずは財産の確認を――」
「待ってください!」
茨木童子が財産差押えの話を始めようとしたところで、ほたるが悲痛な声で待ったをかけた。その声により、茨木童子の話は中断され、その場にいた全員の視線がほたるへ向けられた。
「お願いします!茄子さんから借金の取立をしないでください!借金なら、私が払います!どんなことでも従います!だから……!」
「駄目ですよ、ほたるちゃん」
自分に借金の肩代わりをさせて欲しいと涙ながらに懇願するほたるに対し、茄子は優しく声を掛けた。その表情には、先程まであった悲痛さは感じられなかった。借金の支払責任を負うことに躊躇いが無い様子の茄子だったが、ほたるは頷けなかった。
「で、でも……私のせいでできた借金を茄子さんに押し付けるなんて、やっぱりできません!私が……私が支払わないと……!」
「それは違いますよ、ほたるちゃん」
茄子に借金を負わせられないと食い下がるほたるに対し、茄子は変わらず穏やかな口調で続けた。
「この借金は、私が自分の意思で負ったものです。その返済も、私の意思でしようとしていることです。それに……借金を負うことは確かに怖いですけど、同時にこの不幸は、私にとっては“誇り”に思えることでもあるんです」
そんな茄子の考えに対し、ほたるや茨木童子等は疑問符を浮かべる。借金を負うことは不幸であり、人生にとってのマイナスの筈。一体何故、誇りに思うなどと言えるのか。その真意が分からずにいた一同に対し、茄子は語る。
「同じユニットのかけがえのない仲間であるほたるちゃんを守れること。それに、生まれ持った幸運に頼らず、ほたるちゃんと同じ視線に立つことができたこと。借金を負うことでしか得られなかったというのは不本意ではありますが……それでも、私はこの不幸を誇りに思いたいんです」
「茄子さん……」
強い想いを秘めた瞳で話す茄子に、ほたるはもう何も言えなかった。巨額の借金を負うことに対する恐怖は消えていないようだが、茄子にとってはそれ以上に、ほたるを守り、その痛みを共有することができたことが嬉しかったのだろう。そんな茄子の嘘偽りの無い優しさに、ほたるは溢れる涙を抑えられなかった。
「よろしいのですか?我々としては、借金返済の責任を負ってただけるのであれば、そちらの白菊ほたるさんでも構いませんが」
「二言はありません。よろしくお願いします」
「……かしこまりました」
ほたるは完全に納得した様子ではなかったが、茄子が負債を負うことで話は付いたと判断した茨木童子は、取立の話を再び始める。
「それでは話を戻しますが、弊社の貸付金及び利子の総額およそ一億円を返済していただくために、鷹富士茄子様の財産の差押えをさせていただきます。
契約書に基づきますと差押えの対象となる財産には、預金、不動産、自動車、財産的価値のある動産が挙げられます。差押えの優先順位は記されていませんが、一部の例外を除き、現金に変えやすい預金等から順に差押えさせていただきます」
茄子が借金をするに当たって交わした契約書に記された、財産の取立に係る部分を確認のために再度説明する茨木童子に、茄子は頷いて了承の意を示す。
「それでは、まず差押えさせていただく財産についてですが……」
そして遂に、取立の対象となる茄子の財産へと話は進んでいく。氷のような冷たさを秘めた口調のまま、淡々と告げていく。
「弊社でお預かりしております金塊。その内のあなたの取分に相当するおよそ十二キログラムの所有権を我々に譲渡していただきます」
「………………へ?」
茨木童子の話が理解できず、間の抜けた声が出てしまった茄子。隣に立つほたるも同様の反応を示しており、衝撃のあまりとめどなく溢れていた涙が止まった瞳を大きく見開いていた。
そして、そんな二人の呆けた様子を見て、茨木童子の隣に座っていた鬼童丸は笑いを堪えるように震えていた。
「あ、あのう……金塊って、どういうことなのでしょうか?そのような物、私は持っていないのですが……」
「確かに鷹富士茄子さんは金塊を所有はされていません。しかし、所有権を主張できる金塊は存在します。
一ヵ月前、弊社が請け負った依頼に基づき、妖怪・金霊を退治した結果、金霊の肉体を形成していた金塊の一部を回収しました。大部分は鬼童丸様が妖力で強化した王水によって溶解し、存命していた債務者の寿命へと戻ってしまいましたが……それでも、三十キログラムほどは回収することができました」
まさかの金塊の出所に、茄子とほたるは唖然としてしまった。しかし、金塊の所有権が何故、茄子にもあるのか。疑問に思う二人をよそに、茨木童子の話は続く。
「金塊三十キログラムを、金霊退治への貢献度に基づいて按分した場合、直接戦闘に参加していた鬼童丸様とゲゲゲの鬼太郎に四割ずつ、金霊退治の鍵となった王水を用意なされた鷹富士茄子様に二割となります。
この内、ゲゲゲの鬼太郎は金塊の所有権の放棄を既に宣言しています。その分は、鬼童丸様と鷹富士茄子様に半額ずつ振り分けます。よって、最終的な取分の按分は、鬼童丸様に六割、鷹富士茄子様に四割となります。
そして、金塊の値段ですが……現在の金相場に照らし合わせますと、鷹富士茄子様の取分十二キログラムは一億円超となります」
「へっ?……それって、つまり……」
「先程は、一部の例外を除き、現金に変えやすい財産から順に差押えさせていただくことになると申し上げておりましたが、今回のケースはその例外に該当します。弊社との間で所有権の分配が確定していない財産がある場合は、例外としてこれを優先して差押えます。よって、金塊の所有権譲渡により、鷹富士茄子様への貸付金及び利子は、本日をもって完済と見なします」
一億円近い金額の債務を背負わなければならない事実に途方に暮れていたにも関わらず、借金返済の話をするために呼び出されたこの場で全額返済に至ったことに、茄子とほたるは驚愕のあまり開いた口が塞がらずにいた。
そんな二人の姿を見て、鬼童丸様は相変わらず肩を震わせて笑いを堪えていた。その様子を、茨木童子はチラリと横を見て目に呆れの色を浮かべていた。
茄子の借金返済に係る話し合いを経て、借金の返済が確定した後。茄子とほたるは鬼童丸に連れられて、鬼ヶ島酒造本社ビルのエントランスから正面ゲートを目指していた。その道中、ほたるが恐る恐る鬼童丸に質問を投げ掛ける。
「あの……鬼童丸さん」
「どうした?」
「金塊の件ですけど……もしかして、全部仕組んでいたんですか?」
「まあな」
先程まで会議室で行われていた借金返済に関する話し合いの中で疑問に思っていたことを口にしたほたるに対し、鬼童丸は飄々とした態度で答えた。
「鬼ヶ島酒造は346プロのスポンサーだ。借金のカタにアイドルに身売りなんてさせられるわけが無いだろう」
枕営業はアイドルのスキャンダルとしてよく聞かれる話ではあるが、万一そんなことが疑われでもすれば、アイドル生命が断たれることは必須。鬼ヶ島酒造の社長である酒吞童子が346プロのスポンサーをしているのは、復活当時に計画していた日本征服計画を賭けた酒の呑み比べ対決に負けた代償であるが、それ以上に酒吞童子は自身を負かした高垣楓をはじめとしたアイドル達に――嫁にしたいと思う程に――入れ込んでいる。そんな中で、同じ会社に所属している彼女の仲間のアイドルに身売りなどさせようものなら、酒吞童子が黙っていない。最悪の場合は、制裁として抹殺すらされかねない。そんなわけで、アイドルに対して不当に手を出すのは鬼ヶ島酒造全体において完全に禁忌となっているのである。
「それなら……どうしてあんなに勿体ぶっていたんですか?」
「いやなに、簡単なことだ。人間の本性ってのは、本当に追い詰められた時にだけ露になるものだからな。それを見せてやろうと思ったまでだ」
それが、鬼童丸が金塊の件を黙ったまま、借金についての話し合いの場にほたると茄子を呼んだ理由だったらしい。それでも未だに鬼童丸の思惑を理解できていないらしい茄子とほたるに対し、鬼童丸は自身の思惑を語っていく。
「お前は自分の不幸体質に、周りを巻き込んじまうんじゃねえかと随分気にしていたみてえだが、お前の相方はそんな事は微塵も気にしちゃいねえように俺には思えていたんでな。とはいっても、卑屈になってるお前はそんな事信じやしねえだろうから、こうして限界まで追い詰めてみたわけだ」
本当に借金のカタに身売りさせられるのではと気が気ではなく、心底悲痛な想いをさせられていた茄子とほたるは、全てが芝居だったと聞いて呆然としていた。そんな二人の反応に、鬼童丸は満足そうな表情を浮かべる。
「全く……本当に手の込んだ演出をしてくれたな」
「鬼太郎さん……?」
そんな話をしている間に、何故か鬼太郎が姿を現す。頭上には目玉おやじが座っており、隣には小梅もいた。どうやら、茄子とほたるが心配で駆け付けてきてくれたらしい。
「茨木童子も苦労しとるわい。お主の演出のために悪役をやらされるとはのう……」
「……茨木姐さんには悪かったと思っているさ。だが、そのお陰でそいつの本心は分かっただろう?」
茨木童子に身売り強要の悪役をやらせてしまったことに一応の負い目は感じているようだが、目的は果たせたことに満足しているようだった。そして、ほたるの方へと向き直ると、今回の芝居で知り得た“茄子の本心”について話し始める。
「お前の相方は、借金を丸々背負わされた挙句、身売りさせられそうになったってのに、お前の所為にして責任を負わせような真似は一切しなかったぜ。それどころか、お前の不幸を共有できたことを誇りに思っているとまで言った。これでもまだ、お前は自分の不幸を嘆き続けるつもりか?」
「そ、それは……」
「ユニット活動するアイドルってのは、仲間同士の信頼関係が重要な筈だ。これ以上不幸だ不幸だと辛気臭い顔してアイドル活動するのは、相方に失礼ってもんだろう。それに、曲がりなりにもトップアイドルを目指しているなら、不幸に囚われるな。少しは前を向いて生きることを覚えろ」
鬼童丸からほたるに対する、激励にも似た言葉に、傍らで聞いていた鬼太郎達は――目玉おやじは見た目では分からないが――目を丸くする。冷酷非道な妖怪として知られる鬼である鬼童丸らしからぬ対応だったからだ。
一方のほたるは、鬼童丸からの言葉に感極まったように涙を浮かべていた。それは、傍らに立つ茄子も同様だった。
「茄子、さん……」
「ほたるちゃん」
鬼童丸の言葉が終わった後、ほたると茄子の二人は互いに向かい合い、見つめ合う。やがて、茄子は穏やかな笑みを浮かべると、口を開いた。
「これからも、よろしくお願いしますね」
「……はいっ!」
そんな短いやりとりの中で、しかし二人は確かに心を通わせていた。互いに微笑み合い、手を取り合うその姿は、まるで長年付き添った姉妹のようにも見えるような、温かさを感じさせるものだった。
「……」
「らしくない、って言いたげだな」
「鬼太郎の言う通りじゃわい」
鬼太郎と目玉おやじから、先程までの呆れの視線とは違う、何とも言えない物を見るような視線を向けられた鬼童丸だったが、相も変わらずふてぶてしく笑うばかりだった。
「百パーセントの善意で言ったわけじゃねえさ。346プロのアイドルユニットが好調になることは、スポンサーの俺達にとっても都合が良いからな。それに……」
そこで言葉を切ると、今度は自嘲するような苦笑を浮かべながら独り言のように呟いた。
「互いに本心では信頼し合っているのに、勝手な思い込みの負い目からすれ違っちまう連中ってのは、どうにも放っておけなかったから……かもな」
「鬼童丸……」
それを聞いた鬼太郎と目玉おやじは、鬼童丸が何を思ってあのようなことを言ったのかを悟った。
日本征服という大願のために、主君の大好物たる酒を道具にしてしまった茨木童子と、自身の意にそぐわない作戦を立てて実行しようとした部下に本心を打ち明けられなかった酒吞童子。誰よりも身近な二人のすれ違いを止められなかったことは、鬼童丸にとって何よりも悔やまれてならなかったことだったのだ。
だからこそ鬼童丸は、ほたると茄子の姿に、酒吞童子と茨木童子を重ねてしまい……その行く末を、捨て置くことができなかったのだ。
「ま、これで俺の仕事は本当の意味で終わりだ。これからあの二人――ミス・フォーチュンが大成するかは、あいつ等次第ってことだ」
鬼童丸はそれだけ言うと、もうこれ以上の問答は不要と判断し、その場を去っていった。
後に残された鬼太郎と目玉おやじ、小梅は、その背中を見送ると、改めて茄子とほたるの方を見た。
「鬼太郎さん……あの二人なら、きっと大丈夫だよ……」
「父さん、僕もそう思います」
「ウム。幸運体質の茄子ちゃんと、不幸体質のほたるちゃん。相反する体質を持つ二人が寄り添い合ってこそ、歩める道があるというものじゃ」
単純に幸福なだけでは足りない。不幸であれば良いというわけでもない。福の神と貧乏神という、相反するものを司る妖怪達が手を取り合って経済を回しているように、正反対の性質を持つ者同士が寄り添い合い、足りない物を補い合うからこそ、良い方向へと進むことができるのだ。
自分と相手、双方の大切さを理解することができた茄子とほたるならば、アイドルとしてきっと成功するだろう。そんな未来が、鬼太郎と小梅には見えるような気がした。
微笑ましいやりとりを続けるミス・フォーチュンに、鬼童丸同様にもう大丈夫だろうと思った鬼太郎と小梅は、踵を返すとともに、カランコロンという下駄の音を優しく響かせながら、立ち去っていった――――――
「鬼太郎、ちょっといい?」
「どうしたんだい、ねこ娘」
金霊の一件から数日が経過した後のこと。ゲゲゲの森にある鬼太郎の家を、ねこ娘が訪れていた。ねこ娘を出迎えたのは、家の住人である鬼太郎と、目玉のおやじ。それに……
「ねこ娘さん、お邪魔してます」
「……小梅もいたのね。まあ、ちょうどいいわ」
鬼太郎の傍に座る小梅の――幽体離脱の術でここの来ている――姿に、ほんの僅かに不愉快そうに目を細めるねこ娘だったが、今はむしろ好都合だと考え、二人の方へと詰め寄る。
「鬼童丸からSNSで私のところにメッセージが届いてんのよ。それも、346プロのアイドル絡みで」
「佐久間まゆちゃんのことかのう?何や熱烈なアプローチを受けているようじゃったが……」
鬼太郎は以前、鬼童丸からまゆへの対応について手紙の相談を受けたことがあったが、我関せずを貫いた。そのため、ねこ娘の方へ白羽の矢が立ったのだろう。
鬼童丸が346プロ絡みで鬼太郎達に連絡を飛ばしてくる案件として真っ先に思い浮かぶ、愛が重すぎることで知られるアイドルの名前を目玉おやじが口にするが、ねこ娘は首を横に振った。
「その子のことじゃないのよ。まあ……全く無関係ってわけでもないけど。とにかく、これ見て」
とにかく見てくれと言ってねこ娘が差し出したスマホには、つい先ほど鬼童丸から送られてきたとされるSNSのメッセージが表示されている。そこには、以下のような内容が綴られていた。
KD0
ちょっと相談に乗ってほしいことがあるんだが……
nya3_neko
何があったのよ
KD0
346プロのアイドルから熱烈なアプローチを受けている
なんとかしてくれ
nya3_neko
佐久間まゆの話なら、あんたでなんとかしなさい
KD0
別のアイドルだ
この前、鬼太郎と一緒に解決した一件で知り合ったアイドルだ
それも二人
nya3_neko
なんでそんなことになってんのよ
しかも二人って
KD0
妖怪退治のついでに仲を取り持ったら、こうなった
nya3_neko
(ˇ・ω・ˇ)
KD0
顔文字で困惑してないで、助けてくれ
nya3_neko
知らないわよ
自分でなんとかしなさい
KD0
それができないから困ってんだよ
nya3_neko
伊達に年取ってないでしょ
茨木童子に聞いたけど、今まで結構な数の女性と関係を持ったそうじゃない
今までの経験を活かしてなんとかしなさい
KD0
346プロのアイドル相手にそういう関係を築くのは御法度だ
というより、相手は未成年だ
コンプライアンス的にも問題だ
nya3_neko
鬼がコンプライアンスwww
KD0
草生やすな
マジでヤバいんだよ
その二人のことが、まゆに知られて修羅場状態なんだよ
nya3_neko
wwwwwwwwww
KD0
だから草生やすな
nya3_neko
だから知らないわよ
惚れさせたんなら、責任取りなさいよ
KD0
いや、マジで頼む
鬼太郎は頼りにならねえんだよ
早くしないと
「早くしないと……どうなるんじゃ?」
「メッセージはここで終わってるわ。多分、まゆにでも捕まったんじゃないかしら?」
呆れ交じりのため息を漏らしながら、ねこ娘はそう言った。あの愛の重いアイドルたるまゆにとっての目下の思い人たる鬼童丸を慕う女性が二人も増えたとなれば、何をしでかすか……妖怪である鬼太郎やねこ娘ですら、想像するだけでも恐ろしい。
「それで鬼太郎さん……どうする?」
「……まあ、為すようになるんじゃないか?」
「ウム。この件は、やはり鬼童丸自身で解決すべきじゃな」
小梅の確認するような問い掛けに対し、鬼太郎と目玉おやじは鬼童丸に対して救済の手を差し伸べないことを表明した。隣に座るねこ娘も、知らないとばかりにスマホのSNS画面を消した。
(茄子さんにほたるちゃん……頑張ってね……)
鬼太郎の家でのほほんと寛ぐ鬼太郎とねこ娘を余所に、巨大な障害を乗り越えて仲を深め、アイドルとして邁進している茄子とほたるの活躍に想いを馳せ、心の中で激励を送った。
尚、二人――正確にはまゆを含めて三人――の恋のバトルについては、心の中でも、誰か一人を推すことはせずにいることにしていた。
鬼太郎や小梅が過ごすゲゲゲの森には、今日も平穏な時が流れていた。