奪われた笑顔!夜闇に響く不気味な哄笑 ①
人気が少なくなった夜更けの時間帯の、都内某所にあるバス停。僅かな乗客を乗せた最終バスが、扉を閉めて今にも発進しようとしていたその時。
「ま、待ってくださ~い!!」
バス停を目指して慌ててダッシュする人影があった。サイドアップされた長い髪を靡かせながら走る制服姿の少女は、バスに手を伸ばして必死に声を上げたが……無情にもバスは少女の存在に気付くことなく、発進してしまった。
「あう~……行ってしまいました……」
全力ダッシュも空しく、遠ざかっていくバスを見つめながら、少女――島村卯月は涙目になりながら呟いた。
この日。346プロのアイドルの一人である卯月は、都内のラジオ収録の仕事が夕方に終わった後、たまたま近場にあったデビュー前に通っていた養成所に向かい、ダンスの自主レッスンに勤しんでいた。しかし、いつも以上に熱が入り、休憩を挟みながらも踊り続けること数時間。さらに、養成所に詰めていた講師と昔話に花を咲かせることしばらく。時刻は日暮れを通り越し、自宅の最寄り駅へ向かうバスの時間も最終に乗らなければならない時間帯となり……遂に乗り逃す事態となってしまったのだった。
「しょうがない……歩くしかないか……」
それが、家へ帰るための最終のバスを逃してしまった卯月が出した結論だった。タクシーを呼ぶという手段もあるにはあるが、残念ながら現在の卯月の手持ちは心許ない。幸いというべきか、自宅最寄りのバス停は、卯月が今いるバス停から三つ目であり、徒歩で帰るのは不可能ではない。人気は無いが、街灯もそれなりにあるため、道は比較的明るい。卯月自身もこの辺りを歩いた経験があるので、そこまで不安も無い。
いつまでも立ち尽くしているわけにもいかないと決意を新たにした卯月は、スマートフォンで自宅の母親へ遅くなる旨を連絡すると、いざ歩き出す。
(う~ん……やっぱり遠いなぁ……)
自宅までの距離はそこまで離れていない筈だが、夜道なだけで遠く感じて仕方がない。加えて、この辺りの治安はそこまで悪くはないと分かっていても、不安を覚えてしまう。
(早く家に着かないかなぁ……)
暗い夜道を足早に歩く中、卯月の不安は徐々に大きくなっていった。心なしか街灯の数も、道を行く車の数も少なくなってきたように感じられる。さらに、白い靄のようなものまで見えてきた。不気味な怪現象まで発生したことに伴い、卯月の早く帰宅したいという思いも強くなる。そんな時だった。
「あっ……」
暗い夜道を見渡す中、卯月は視界にあるものを捉えた。それは、建物と建物の隙間を通る小さな脇道だった。そしてその脇道は、現在歩いている大通りの道を歩く場合に遠回りとなってしまう卯月の家の方向へと続いていた。
(もしかしたら……!)
スマートフォンを取り出し、現在地と自宅の場所の相対位置を確認する。すると、卯月の目の前にある脇道が、卯月の家へと至る近道になるとされていた。
(どうしようかな……)
家への近道になるのなら、喜んで通りたいところではあるものの、問題の脇道は、卯月が今現在通っている道より狭い上に、街灯が設置されている間隔も長いため、足元も見渡せない程に暗い。本当に何かが出そうな、物騒な雰囲気に包まれた空間が広がっているその場所に足を踏み入れるのは、相当に勇気が必要だった。
暫し悩んだ卯月だったが……意を決して、近道をして早く帰ることを選択した。
(思ったより暗いなぁ……)
近道とされる横道へ入って数分程歩いたが、大通りから見た時に感じた以上に暗い。街灯と街灯の間は足元のみならず右も左も黒一色。その上に、白い靄が立ち込めているのだ。卯月と同じシンデレラプロジェクト所属のアイドルである蘭子の挨拶の通り、闇に飲まれたような景色に、卯月は背筋が凍り付くような感覚を覚えていた。
(もう少し……あとちょっとで抜けられる筈……)
スマホの明かりとそこに映し出されたマップを頼りに、右に左に歩き続けることしばらく。ようやく暗闇の道にも終わりが見えてきた。あと五分ほど歩けば、大通りに出られる筈。そして、歩く速度を上げようとした……その時だった。
アッハッハッハッハッハッハ
「な、何っ!?」
突如として、女の笑い声が聞こえてきた。誰かいるのだろうかと思わず後ろを振り返った卯月だが、そこには誰もいなかった。再び前を見ても、そこには誰もいない。
一向に止む気配は無い笑い声は、より大きくなっていく。そんな中で立ち尽くす卯月に対し、さらなる異変が襲い掛かる。
アッハッハッハッハッハッハ
「え……な、何これ……?」
道の中心で立ち尽くす卯月を囲むように、白い霧のようなものがさらに濃く立ち込めていく。次々に起こる怪現象に、竦み上がる卯月をよそに、不気味な笑い声はさらに響き続ける。辺りの電柱、マンホール、ブロック塀といった物、そして闇そのものまでもが大笑いしているように思えてきてしまう。
アッハッハッハッハッハッハ
「誰……誰なの!?」
姿無き何者かに対する卯月の問い掛けに対し、しかし、答えは返ってこない。その代わりに、狭い通りに反響する笑い声はさらに大きくなっている。明らかに自分に向けられている不気味な哄笑の主は、一体何をしたいのか。謎ばかりが深まる中……先程の問いに応えるかのように、遂に何者かの気配が卯月の背後に現れる。
「っ……!」
卯月が思わず、反射的に背後を振り向く。すると、先程まで誰も居なかった筈の道の上に……一人の女性がいた。年の頃は卯月とそう変わらない、着物を着た十七歳くらいの少女である。恰好もそうだが、一本道のこの通りに一体どこから現れたのか。その存在自体が異質に思えてならない少女の存在に、そしてその不気味な笑みに、卯月は戦慄する。と、その時だった。
「ふ、ふふっ……あははっ、はははははっ!」
突如として、卯月は笑いだす。一体何故、自分は笑っているのか。何がおかしいのか。全くもってわけが分からないままに、ただひたすら笑う。そして、窒息しそうになるのではと思う程に笑い声を上げた、そして……
「あ、はは、は……」
唐突に始まった卯月の笑いは、唐突に終わることとなる。急激に力が抜けていき、先程までの笑いが嘘のように、声を上げることが億劫になる程の倦怠感が襲ってきたのだ。わけの分からないままに始まった笑いは、わけが分からないままに終わってしまった。笑いが終わった後には、まるで数百メートルを全力疾走した後のような疲れが残るばかりだった。
そして、ふと気が付けば、突如として現れた着物の少女は消え去り、辺りに反響していた笑い声も収まっていた。卯月の立つ夜の裏通りには、暗闇と静寂が残るばかりだった。
「……一体、何だったんだろう?」
まるで、心霊番組で紹介されているが如き怪現象に首を傾げるが、答えは出なかった。自分と同じ346プロに所属する、霊感が強いと噂される白坂小梅に相談すれば、何か分かるかもしれない。もしくは、小梅と仲の良い、自分の所属ユニット、ピンクチェックスクールの仲間である美穂に聞くのも良いだろう。二人は今、事務所で話題になっている『ゲゲゲの鬼太郎』と知り合いという噂もあるので、頼りになる筈。そう考えを改め、卯月は再び家への帰路に着くのだった。
この時、卯月は気付かなかった。
自分の中で、かけがえの無い、大切なものが抜け落ちたことを――――――
「おはようございまーす!」
346プロ本社ビルにある事務所のドアを潜った美穂が、部屋の中に既にいた先客に挨拶をする。
「おはよう……美穂ちゃん」
「おはようございます、美穂ちゃん」
美穂を出迎えたのは、美穂と同じ部署に所属する白坂小梅と、サイドテールの髪型をした、茶髪のアイドル。346プロの中でも家事万能なお嫁さんキャラで知られるアイドル、五十嵐響子である。
「あれ?どうして響子ちゃんがここに?」
「やだな~。今日はこの後、来週予定されているピンクチェックスクールのライブの打合せがあるじゃないですか」
「あ、そっか!じゃあ、迎えに来てくれたんだ」
同じ会社のアイドルではあっても、部署は違う響子がこの場にいた理由に得心する美穂。ここ最近、ユニットを複数掛け持ちしていたことで忘れてしまっていたが、来週には美穂と響子が所属するユニット、『ピンクチェックスクール』――略称『P.C.S』のライブが予定されているのだ。
「美穂ちゃんは掛け持ちしているユニットが多いですからね。『ピンキーキュート』に『ユモレスク・ユニティ』、『Masque:Rade』とか……」
346プロのアイドル達は、部署を超えてユニットを作って活動することが多い。クリスマスはハロウィンといった、四季のイベントを舞台として活動する期間限定ユニットも含めれば、結構な数になる。無論、個人のスケジュールには限界もあるので、通常時に掛け持ちするユニットは二つ、期間限定ユニットを含めても多くて三つである。
現在、美穂がメインで掛け持ちしているのはP.C.SとMasque:Radeであり、前者のユニットのライブが間近に迫っているのだ。
「それじゃあ、そろそろ時間ですし、移動しましょうか」
「うん。それじゃあ、小梅ちゃん。またね」
「また後で……」
部署の部屋に荷物を置いた美穂は、響子とともに部屋を出る。その後姿を小梅は袖が通っていない手を振って送り出した。
「ええと……ここの会議室ですね」
響子とともにP.C.Sのライブの打合せが予定されている会議室へと、打合せ開始五分前に着いた美穂は、ドアを開いて中へと入る。挨拶をしながら部屋へと入ると、そこには『P.C.S』のプロデューサーがいた。ちなみに、P.C.Sのプロデューサーは、響子のプロデューサーでもある。だが、会議室にいる筈のメンバーが一人足りなかった。
「あれ……卯月ちゃんは?」
美穂、響子と並ぶP.C.Sメンバーの一人である島村卯月の姿が無かったのだ。何か用事があってまだ到着していないのだろうか。そのように疑問に思った美穂と響子に、プロデューサーが問いかける。
「なんだ、卯月は一緒じゃないのか?」
「えっ……プロデューサーさん、卯月ちゃんがどうしていないのか、知らないんですか?」
「何の連絡も入っていないんだよ。何かあったら、すぐに連絡をくれる筈なんだけど……」
卯月はアイドル活動には人一倍熱心で真面目な性格をしている。プロデューサーの言う通り、打合せに間に合わない事情などがあれば、即座に連絡を入れてくれるのが常だった。打合せ五分前になっても現れないことは、ほぼ無かった。
「卯月ちゃんって、確か今日は会社にいるんだよね」
「うん。確か下の階にあるレッスンルームで、『ニュージェネレーションズ』の二人と一緒にレッスンしている筈だよ」
「行ってみようか。プロデューサーさん、ちょっと遅れます」
「あ、ああ……」
本人が会社内の、しかもすぐ傍にある部屋にいるのならば、話は早い。美穂と響子は卯月がいる場所へと向かうことにした。
会議室を出て、階段を降りて下の階にあるレッスンルームへと歩いていくのだが……
「一体、どうしちゃったの、しまむー!?」
「あれ?この声って……」
美穂と響子が階段を降り切ったその時。悲鳴にも似た声が聞こえてきた。しかも、346プロ所属アイドルとして聞き知った声であり、レッスンルームにいる筈の人物の声である。美穂と響子は顔を見合わせると、すぐ問題の場所へと向かった。
レッスンルームのドアを開くと、そこには目的の人物たる卯月を含む、ジャージ姿のニュージェネレーションズのメンバー三人がいた。
「卯月、どうしちゃったの……!?」
心配そうな表情で卯月に声を掛けているのは、卯月と同じくニュージェネレーションズのメンバーである長い黒髪の少女、渋谷凛である。その隣には、先程階段まで聞こえる程の声を上げた、快活なイメージのあるショートカットの少女、本田未央が同様に心配そうな表情を浮かべた状態で立っていた。問題がある様子の卯月は、美穂と響子のいる場所に背を向ける形で立っている。
状況がいまいち分からない美穂と響子は、靴を履き替えてレッスンルームへと入り、三人のもとへと近付いて事情を聞くことにした。
「三人とも、どうしたの?」
「美穂に響子……どうしてここに?」
「打合せの予定だったんだけど、卯月ちゃんが来なかったから、様子を見に来たんだけど……何があったの?」
「聞いて、みほちー!きょーちゃん!しまむーが大変なことに……!」
顔を青ざめさせて泣きそうになっている未央の声は、不安のあまり震えていた。ちなみに、『みほちー』及び『きょーちゃん』とは、未央が二人につけたあだ名である。お馴染みのあだ名で呼ばれた二人は、卯月の正面へと回り込む。すると……
「えっ……!」
「卯月ちゃん……!」
レッスンルームへ入った時には見えなかった、卯月の顔。それを見た美穂と響子は、絶句してしまった。
いつも一生懸命で、どんな時でも笑顔を絶やさなかった卯月。だが……今、卯月の顔からは笑顔が完全に消失していた。単に笑っていないだけというわけではない。表情筋の一切が止まっているかのように、目の瞬き以外の動きが見られないのだ。
未央と凛と同様、卯月と同じユニットに所属するアイドルとして彼女のことを知る美穂と響子には、今の彼女の状態が――どう言い表すべきかは分からないが――異常であることがすぐに分かった。
「卯月ちゃん……一体どうしちゃったんですか?」
「何て言えばいいのか分からないけど……卯月、今日はなんだか変で……!」
「全然笑わないし、表情が変わらなくて……こんなしまむー、見たことないよ!」
まるで能面を被せたかのように変化が無い表情は、人間のそれとは程遠く……まるで人形のように思えてならない。加えて、その場にいたアイドル達が何より悲痛な思いを抱かされるのは……その“瞳”だった。
(これが……卯月ちゃんだなんて……!)
美穂の胸の中の呟きは、その場にいた全員の総意だった。かつて、笑顔でいることに何の意味があるのか、自分にアイドルとしての素質が本当にあるのか、という問題でスランプに陥ったこともある卯月だが、こんな表情は見たことが無い。今の卯月の瞳には、感情の光というものが全く宿っていない。一体、彼女の身に何があったというのか……美穂と響子の疑問は増すばかりだった。
「卯月ちゃん、何かあったの?」
「……分かりません」
未央と凛にも事情が分からないようなので、卯月本人に質問を投げ掛けた美穂だったが、返事は芳しくなかった。表情に変化が無いものの、自身に起きたことを誤魔化したり、嘘を言っているわけではないことは分かった。
「私、分からなくなっちゃったんです。嬉しいとか、楽しいとか……今まで当たり前のように思っていたことが分からなくなって……それに、そんなことになって悲しい筈なのに、涙も出なくて……」
「卯月ちゃん……」
笑顔になれないというだけでなく、それを悲しいと感じることすらできないという。今の卯月は、笑顔になるための喜びや楽しみだけでなく、感情の全てを失った、生きた人形も同然である。一体、何が彼女をこのような状態にしてしまったのか……心を失ってしまった仲間に心を痛めた美穂は、卯月の手を取った。
(あれ?この感覚……)
卯月の手を握った瞬間。美穂の背中に、氷水が滴るような冷たい感覚が走ったのだ。しかもそれは、ここ最近、頻繁に感じたことのある感覚だった。
「……美穂ちゃん。ソレ、何?」
「静電気?」
「え……?」
不可思議な感覚の正体に首を傾げていた美穂に対して唐突に投げ掛けられた、響子と未央からの言葉。それに対し、美穂は疑問符を浮かべる。未央は美穂の前頭部を指差している。“静電気”と言っているが、一体、何のことなのか。ふと、レッスンルームの壁に備え付けられている鏡を見ると、そこには……
「あれ……?」
美穂の前頭部から跳ね出ていた短い髪……俗に言う“アホ毛”が、未央の言うように静電気が発生したかのように、針のように真っ直ぐ逆立って上を向いていたのだ。
それはまるで、ゲゲゲの鬼太郎の妖怪アンテナのように――
「あっ!もしかして……」
その発想が浮かんだ瞬間、美穂の中で今回の問題について線が繋がった。
「成程……確かに彼女の身体からは、僅かではあるが妖気が感じられる」
「やっぱりそうだったんですか……」
卯月を巡るやりとりから一時間後。卯月の体調不良を理由にP.C.Sの打合せを中止した一同は、346プロの一室に集まっていた。但し、当事者である卯月とP.C.S、ニュージェネレーションズの合計五人のほかに、三人――正確には四人――が加わっている。
一人は346プロ所属の霊感アイドルこと白坂小梅。もう一人は346プロ関係者ではないが、ここ最近、346プロのアイドル達と関わる機会が増えており、その名が広く知られつつある妖怪の少年、ゲゲゲの鬼太郎と、その連れのねこ娘だった。その頭には、彼の父親である目玉おやじの姿もある。
「フム……これは霊障の一種じゃな。この子は心霊的な影響により、魂の一部とも言える、喜びや悲しみの感情を失ってしまっているのじゃ」
「それじゃあ、卯月ちゃんがこうなっちゃったのは……妖怪の仕業?」
「小梅ちゃんの言う通りじゃ。まず間違いなく、これは妖怪によるものじゃろう」
目玉おやじの述べた見解に、その場に集まった一同は戦慄する。
卯月の手に触れたことで、ここ最近頻繁に感じる機会が多くなった感覚……妖怪の妖気を感じた美穂は、小梅を通じて鬼太郎を呼び出して相談することを決めた。小梅がねこ娘を通じて連絡を入れてから数十分後。鬼太郎はねこ娘とともに346プロの本社ビルへ来たのだった。
「これが妖怪の仕業なら、その子は妖怪と出会っている可能性があるわね。何があったのか、話してもらえる?」
「……はい」
ねこ娘に促された卯月は、このような状態となる直前に起こった出来事……即ち、昨夜の夜道で出会った着物姿の少女の一件について話し始めた。
それを聞いた目玉おやじは、腕を組みながら古い記憶を手繰り、卯月が出会ったという妖怪と思しき少女について思考を巡らせる。
「その少女じゃが、恐らくは妖怪・“笑い女”じゃろう」
「笑い女、ですか……」
卯月から聞いた話そのままな妖怪の名前に、その場にいたアイドル達は脱力してしまう。だが、次いで始まった目玉おやじの説明を聞いた途端に、アイドル達の顔が真っ青に染まっていった。
「笑い女は、出くわした人間に対して笑い声による幻覚をかけ、喜びや楽しみをはじめとした感情を吸い出してしまうのじゃ」
「感情を奪われた人間は、どうなっちゃうの?」
「笑うことも泣くこともできなくなってしまう。表情は能面を被せたかのように動かなくなり、人形と変わらぬ様になってしまうという」
目玉おやじが説明する妖怪・笑い女の被害者像は、今の卯月をそのまま表したようなものだった。妖怪というものを知る機会の無かった未央、響子に至っても、目玉おやじという人智を超えた存在を目にしたことに加え、卯月の異常としか言いようのない状態を目の当たりにしたことで、その存在を信じざるを得なくなってしまっていた。
「そんな……それじゃあ、しまむーは!?」
「このまま放っておけば、感情の一切が無くなったままになってしまう。楽しいと思うことはできず、それを悲しむことすらできん……」
「ど、どうにかならないんですかっ!?」
卯月のこの状態がこれからも続いてしまうという事実に、未央と響子は戦慄する。喜怒哀楽の感情の欠落ともなれば、アイドルなど当然続けられるわけがないし、それどころか日常生活にすら支障を来しかねない。卯月の人生に暗く大きな影を落とす、重大な障害である。卯月の現状から回復させることはできないのかという問い掛けに、目玉おやじは答える。
「笑い女を倒すしかないのう。霊障は、原因である霊や妖怪を退治すれば、回復する筈じゃ」
「なら、卯月が昨日、妖怪に出くわしたっていう道に行ってみれば……!」
「ウム。彼女の昨日の動線を辿れば、笑い女の行方も分かる筈じゃ」
「よし!それじゃあ、今から皆で行ってみよう!」
未央の提案に、アイドル達全員が頷く。幸いなことに、今日は土曜日であり、学校は休日。それに加え、この場にいる面々にはアイドルとしての仕事の予定も無い。妖怪がいるであろう通りに乗り込むことに異論は無かった。
アイドル達は各々、準備を整えに行くべく部屋を出る。そんな中、美穂と小梅だけが残っていた。
「あの、鬼太郎さん。どうして私……卯月ちゃんのことが妖怪の仕業だって分かったんでしょうか?」
美穂の疑問に、隣にいた小梅が同意するように頷く。鬼太郎の母型の遠い親戚に当たる血筋であるために霊感が強く、幽体離脱の術という幽霊族の秘術すら使える小梅ならばともかく、美穂にはそのような特殊な事情は無い。特に霊感が強いわけでもない、一般人の体質である美穂が、一体何故、妖怪の仕業と分かったのか。美穂には疑問と、それに加えて一抹の不安も抱いていた。
「ウウム……美穂ちゃんからは、鬼太郎や小梅ちゃんが持っている霊力のような力は感じられん。じゃが、アイドルを巡るここ最近の妖怪騒動に立ち会ったことで、人間の誰もが多かれ少なかれ持っている霊的感覚が刺激されたのじゃろう。今の美穂ちゃんは、妖気の宿った人や物に触れれば、その気配を感知することが可能なのじゃ」
「それじゃあ、私が卯月ちゃんの手に触れた時に髪の毛が逆立ったのって……」
「鬼太郎の妖怪アンテナと同じ原理じゃな。妖気を感じ取ると、静電気を受けたかのように逆立つのじゃ」
目玉おやじの説明に、美穂は若干顔を青くしていた。小梅のような霊感も持たないただの人間――アイドルではあるが――の筈だった自分が、まさか鬼太郎と同じ妖怪アンテナを身に付けることになるなど、誰が予想しただろうか。人間が本来持たない筈の力を身に付けてしまったことに、美穂は一抹の不安を抱いていた。
「経験を積めば、対象に触れずとも、鬼太郎のように妖怪に近付いただけで察知できるようになるじゃろう。もっと極めれば、遠くの妖怪の位置を特定することすらできるようになる筈じゃ」
「は、はあ……」
そんな人間離れした能力など、できれば身に付けたくはないし、極めたいとも思わない。というのが、美穂の本音である。
自分の日常がどんどん遠ざかっていくことに、美穂は憂鬱な気持ちになる。そんな美穂を慰めるように、既に半分以上妖怪世界の住人になりつつある小梅が、袖の通っていない手をポンと美穂の肩に置いた。
だが、いつまでもこうしているわけにはいかない。大事な仲間である卯月を助けるために――美穂自身に何ができるか分からないが――他のアイドル同様、現場へ向かうための準備をするべく部屋を出ていくのだった。