「……どういうことだ?」
「そんな……どうなってるの……!」
346プロ本社ビルを出た鬼太郎とねこ娘、アイドル六人は、昨夜、卯月が妖怪・笑い女に出くわしたという裏通りを目指していた。だが、卯月がバスを逃したバス停から大通りをしばらく歩いていたのだが、卯月が入ったという脇道への入口が、どこにも見当たらないのだ。
「しまむー、ここで間違いないの?」
「うん。あの時は暗かったけど……多分、ここで間違いない筈だよ」
「妖気は微かにだが残っている。彼女が妖怪に襲われたのは、この周辺で間違いないだろう」
妖怪の影響により、感情とともに表情の一切を失ってしまった卯月の口調に抑揚は無いが、意識ははっきりとしており、判断力は鈍っていない。鬼太郎の妖怪アンテナにも反応があるため、現場はこの辺りで間違いないだろう。
「昨日の夜にあった筈の道が消えてる……これも、笑い女の仕業かしら?」
「その通りじゃ。恐らく、卯月ちゃんが入ったという道は、笑い女が作り出した幻だったんじゃろう」
ねこ娘の推測に、目玉おやじは頷く。妖怪の中には、結界により異次元空間を作り出す能力を行使するものもいる。そういった能力は、人間を誘き寄せて捕食するために利用するケースが多いのだが、今回も目的は捕食ではないものの、卯月を誘き寄せるために行使された可能性が高い。
「このままじゃ、妖怪の手掛かりは掴めないってこと?」
「このままでは掴めんじゃろうな」
「そんな……!」
卯月が本当の意味で笑い女と出くわした場所を特定できなければ、その居場所を特定することはできない。P.C.Sのライブが来週に予定されている以上、早急に妖怪退治を完遂してもらわなければならない美穂や響子は勿論、凛と未央もまた、焦燥感を覚えずにはいられない。
「そう悲観する必要は無いわよ」
浮足立っているアイドル達を見かねたねこ娘が、冷静な口調で宥めるように言った。
「事務所でその子から聞いた話によれば、スマホのマップで道を確認できたんでしょう?多分、笑い女は結界の類を張るタイプじゃなくて、人間に幻覚を見せて誘い出すタイプの妖怪よ。その子が昨日歩いた道も、スマホで確認したマップの道も、全部妖怪が見せた幻だったってことよ」
「ということは……」
「昨日、その子が笑い女に遭遇した場所は、ここからそう遠く離れていないところにあるってことよ。ついでに、笑い女が潜伏している場所もね」
卯月が通った道は、スマホのマップ画面を含めて笑い女に見せられた幻であり、卯月は正規の道ではなく、駐車場や建物の隙間等を縫うように歩かされたのだろう。そして、ここまで手の込んだ罠を仕掛けるには、この周辺地域を己の庭のように熟知していなくてはならない。加えて、この周辺一帯には倒産した企業が持っていた廃工場や、家主がいなくなった廃屋が大量に並んでいる。故に、妖怪が身を隠す場所には事欠かない。である以上、妖怪の潜伏場所も近いと考えるべきだろう。
「もう少しこの辺りを探してみましょう。足跡とか、人が通った形跡があれば、そこで間違いないわ」
ねこ娘の提案に、鬼太郎とアイドル達は全員賛成の意を示す。周辺探索に際しては、妖怪に出くわした時に備えて二人一組で行動することとした。組み合わせは、鬼太郎と卯月、ねこ娘と美穂、小梅と響子、凛と未央である。戦闘能力が最も高い妖怪である鬼太郎とねこ娘、鬼太郎の縁者であり強い霊感と霊力を持つ小梅の三人を分けることは勿論のこと。戦力となる三人とは、感情喪失状態の卯月、顔見知りの美穂、妖怪との遭遇経験の無い響子と組ませた。凛と未央については、凛が妖怪に遭遇経験があることと、同じユニットのメンバーであることを理由とした組み合わせである。
「ねこ娘さん……本当に、この辺りに妖怪がいるんでしょうか?」
「鬼太郎の妖怪アンテナが反応していたことからしても、間違いないわ。とにかく、自分達の足で探していくしかないわ」
美穂の質問に対し、グループを組んでいるねこ娘は周囲を見回しながら、相変わらず冷静な態度で答える。ねこ娘の言う通り、現状の手掛かりで妖怪の居場所を特定するには、虱潰しに探し回るしか無いことは分かる。しかし、卯月がこのまま表情も感情も戻らないままだと思うと、美穂の中では焦りばかりが大きくなるばかりだった。
「妖怪って、どんなところに潜んでいるんでしょう?」
「妖怪によりけりね。森の中や水の中に住んでいる妖怪もいるし、人間のアパートを賃借して住んでいるのもいるわ。あと、人が到底住めないようなゴミ溜めの中に住んでいる奴もいるわ……」
美穂に対して詳しく説明をしてくれるねこ娘だったが、最後に口にした事例については、かなり忌々しそうな顔で吐き捨てるように口にしていた。しかし、笑い女という妖怪についてはねこ娘も初めて聞く妖怪であり、住処となる場所も知らないらしい。少しでも早く妖怪を探し出すにはどうすれば良いのか……思考を巡らせた美穂は、ある一つの可能性を思い付いた。
「そうだ!」
目玉おやじは言っていた。今の美穂は、妖怪騒動を幾度となく体験したことで、妖怪や幽霊の存在を感知する力が強くなっていると。ならば、自分が持つ霊感をより鋭く研ぎ澄ませれば、笑い女の居場所を掴めるのではないか。そう考えた美穂は、目を閉じて妖怪の気配を探ろうとする。
「何してるの?」
「すみません。静かにしてください」
美穂のこれまでに無い程に真剣な声に、さしものねこ娘もそれ以上口を出すことはできなかった。
当の美穂は、瞑目した状態で妖気を感じ取ろうとする。頭の中で、鬼太郎をはじめとするこれまで出会った妖怪を思い浮かべていく。
百物語の最後に現れる鬼女、『青行灯』……
天然痘をばら撒く疫病の化身、『疱瘡婆』……
日本最強の鬼妖怪、『酒吞童子』……
恋に焦がれる少女の嫉妬がリボンに宿った妖魔、『蛇帯』……
借金のカタに命を黄金に変える欲望の魔人、『金霊』……
今思い返してみれば、いずれの妖怪も、――妖怪故に当然のことながら――この世の生き物とは到底思えない、恐ろしい威圧感を放っていた。加えて、妖怪達はその場に……否、この世界に居ることそれ自体が不自然、或いはこの世に存在してはならないと感じさせるような異常な存在感を放っていた。例えるならば、真っ白いシーツの上に付いた、墨汁の黒いシミのようなもの。
この世界に紛れ込んだ、妖怪という異常な存在。それを、この一帯から探し出すべく、第六感を研ぎ澄ませる……
そして、美穂の髪の毛が、真っ直ぐ垂直に逆立った――――――
「あそこ!」
一瞬ではあったが、今まで妖怪に出会った時に感じたものとよく似た感覚が、美穂の背筋を電撃のように駆けた。その感覚を頼りに、美穂は一直線に走り出していった。その真剣な表情を見て、美穂が自棄を起こしたわけではないと察したねこ娘も、あとを追う。
駐車場を通り、廃屋の庭を横切り、廃工場の敷地内へと入り……そして、背丈の高い雑草の生えた叢に差し掛かった、その時だった。ぼうぼうと生えていた草が、ガサリと音を立てて動いたのだ。
「あなたはここで待ってて!」
明らかに野良猫の類ではない、人間大の何かがいる。そう察したねこ娘が、生き物――もっと言えば妖怪かもしれない――が潜んでいるであろう叢目掛けて飛びかかる。
「フシャァァアア!!」
跳躍と同時にねこ娘は戦闘モードに移行する。鎌の如く鋭利な爪を伸ばし、瞳の瞳孔を本物の猫と同様に縦に細長くなり、鋭く尖った牙を口の中に覗かせる。
空中に跳んだねこ娘は、その妖怪として卓越した視力で、獲物と定めた叢の中に潜んでいた何かを見定める。叢の中にいたのは、やはり人間で、しかも小柄な女性らしい。まさか本当に笑い女なのだろうか。
「ニャァアッ!」
「フヒ?」
奇妙な声を出す笑い女と思しき存在を捕らえるべく、その腹部に膝蹴りをかます。怯んだ隙を見逃さず、馬乗りの体勢となると同時に左手で相手の首根っこを掴み、右手の爪を突き付ける。ねこ娘の奇襲は成功し、叢に潜んでいた何者かを押し倒して完全に無力化した。
「捕まえたわよ!って……え?」
標的を捕らえたねこ娘だったが、その相手の顔を見た途端、間抜けな声を上げてしまった。何故なら、意気勇んで襲い掛かった相手は妖怪などではなく、人間の少女だったのだ。
「ねこ娘さん!って……あれ?」
叢をかき分けて追いかけてきた美穂も、ねこ娘と同様の反応をしていた。理由はねこ娘同様、そこにいたのが妖怪などではなく、人間の少女だったというのもあるが……何より、この少女が知り合いだったからだ。
「輝子ちゃん?」
「フ……フヘ、ヘ?」
美穂や小梅と同じ、346プロ所属アイドル。キノコ大好きのボッチキャラで通っている『星輝子』が、ねこ娘に馬乗りされた状態で、目を回して倒れていた。
「……ごめんなさいね」
「フヒ……大丈、夫……」
ねこ娘が輝子を妖怪と五人し、襲い掛かってしまってから数十分後。腹部に膝蹴りを受けたものの、輝子は無事に目覚めていた。非常にばつが悪そうな表情で謝罪したねこ娘に対し、輝子は蹴られた腹部を押さえながらも、謝罪を受け入れていた。
「輝子ちゃん、大丈夫?」
「フヒ……問題、無い」
「ねこ娘さんも無茶しますよ。もっとしっかり確かめなきゃ駄目ですよ」
「本当に悪かったって思ってるわよ……」
卯月を除くアイドル達から非難の視線を浴び、ねこ娘は普段の気の強さが嘘のように縮こまってしまっていた。
「まあまあ、その辺にしてくれんかのう。ねこ娘もこれだけ謝っておることじゃし」
「それより今は、笑い女の件だ」
目玉おやじに宥められ、鬼太郎に優先事項を指摘され、アイドル達はねこ娘への非難から、本題の笑い女の行方へと思考を切り替える。
一時間以上、四組に分かれて探し回ったにもかかわらず、妖怪の手掛かりらしいものは何一つ見つからず、何故かこの周辺の叢の中に入っていた輝子が見つかっただけだった。
「やっぱり、妖怪って夜中じゃないと出てこないんじゃないのかな?」
「それも妖怪によりけりだけど……やっぱり妖怪の大部分は夜に活動するのが多いわね。その子が襲われたのも、夜中だったみたいだし」
「ウム……やはりここは、出直すほかあるまい。夜中に再び訪れれば、笑い女が姿を表すやもしれん」
妖怪や幽霊が活動する時間帯は、夕暮れ時から夜中がメイン。卯月が遭遇した時間がそうだったように、笑い女が出てくるのは、目玉おやじの言う通り、やはり夜なのだろう。となれば、一度引き上げるのが賢明なのは間違いない。目玉おやじの提案に従い、全員がその場から立ち去っていく。
「そういえば、輝子ちゃんはどうしてあそこにいたの?」
「……あの辺りで、私の友達が、泣いている声が聞こえたから……」
「友達?」
帰り道の途中、美穂がふと気になったことについて質問したのだが、輝子の口から意外な単語が出てきて首を傾げる。輝子が足を止めて、先程までいた叢がある辺りを見つめながら口にした“友達”とは、一体誰のことなのか……
「ぼっちな私の、数少ない友達……いつもは森の中とかで会えるんだけど、何でか、あそこから、私を呼ぶ声が聞こえた……ような気がした」
「森の中って……あ!もしかして、“キノコ”のこと?」
輝子はキノコ栽培が趣味で「キノコは親友」と豪語する程のキノコ好きである。キノコを栽培している鉢をいつも抱えている程の熱愛ぶりだが、決して食べられないというわけではなく、バター炒め等の様々な料理を作っていたりもする。そんな彼女は、キノコを探すのも得意なのだ。普段は森の中でキノコを探しているのだが、時折、街中の公園などでも探すことがあるという。この辺りの建物の中には木造のものもいくつかあるので、そういった場所にキノコが生えていたとしてもおかしくはない。
「あの叢の向こう側……あそこにある建物のどこかから、親友が泣いている声が聞こえてきた……ような、気がした」
「泣いていたの?」
「うん。何でか分からないけれど、とても悲しそうな……放っておけないような……そんな声が聞こえてきた」
キノコを親友と呼ぶ輝子は、キノコと意思疎通し、その意思を汲み取ることができるらしい。そんな彼女が察知したキノコの感情は、“悲しみ”であり、泣いている声すら聞こえてきたという。この界隈には、卯月を襲った妖怪・笑い女が潜んでいるらしいが、それと関係があるのかもしれない。凶悪な妖怪が近くにいれば、キノコ達も泣きだしたくもなるだろうと、美穂は思った。
「大丈夫だよ、輝子ちゃん。きっと鬼太郎さんが、何とかしてくれるから」
「フヒ……そう、だね」
廃屋や廃工場が立ち並ぶ一帯を心配そうに見つめている輝子の肩に手を置き、美穂は慰めるようにそう言った。輝子も、これ以上は自分にできることは無いと察したのだろう。既に十メートル近く離れた場所まで行ってしまったアイドル達を追い掛け、美穂と輝子はその場を立ち去っていくのだった。
「皆、準備は良いか?」
その夜。鬼太郎は、卯月が笑い女と遭遇した場所を再び訪れていた。鬼太郎の目の前には、昼間に同行していたねこ娘だけではなく、砂かけ婆、子泣き爺、一反もめん、ぬりかべが並んでいる。
「大丈夫よ」
「任せておけ」
「わしの出番じゃな!」
「女の子を泣かせる奴なんて許さんばい!」
「やっつける~……」
全員の士気は上々。笑い女はこれまでに戦ったことの無い道の妖怪だが、これまで数多の妖怪を相手にしてきた歴戦の仲間達がいれば、百人力である。さらに、鬼太郎は有事に備えて最終兵器も用意していた。
「オイオイ、何だって俺まで引っ張り出されなきゃならねーんだよ」
鬼太郎が笑い女との戦闘を想定して集めた仲間達の端には、鬼太郎の悪友でありトラブルメーカーでもあるねずみ男の姿もあった。仲間達からは敬遠されがちな彼がこの場にいるのは、鬼太郎が呼び出したからである。
「あんた、ここ最近は346プロのアイドルにも散々迷惑かけてんだから、少しぐらいは協力しなさいよ」
「ちぇっ……分かったよ」
天敵のねこ娘に睨まれ、ねずみ男はそれ以上文句を言うことはしなかった。一同の準備が整ったところで、鬼太郎は笑い女の捜索に出発することとする。
「鬼太郎さん、気を付けて……」
「卯月ちゃんのこと、お願いします」
妖怪退治の現場にまでは同行できない小梅と美穂が、心配そうに声を掛ける。後ろには、同じく見送りのためにこの場に集まった卯月、凛、未央、響子、さらには昼間出会った輝子までもがいた。輝子については、同じ346プロのアイドルである卯月のことが心配なのは勿論だが、この場所で聞こえた、“友達”の声が気になったかららしい。
「ああ。分かった」
「任せときんしゃい!」
見送りに来てくれたアイドル達に見送られながら、鬼太郎達は笑い女が潜伏しているとされる廃屋・廃工場が並ぶ地帯へと足を踏み入れていった。
「父さん、笑い女はどうやって人間の感情を抜き取っているのでしょうか?」
「笑い女については、わしも詳しいことは分からんのじゃ。分かっておることは、その容姿が若い女だということ。そして感情を抜き取る時には、その女のものであろう笑い声が辺り一面に響くということだけなのじゃ」
目玉おやじが聞き知った情報を聞く限り、笑い女という妖怪は笑い声という“音”を媒介にして標的に定めた人間に妖術による幻を見せて催眠状態に陥らせて感情を引き抜いていると考えられる。卯月の証言によれば、四方八方から笑い声を浴びさせられた際に、自分の意思とは無関係に笑い声を上げた後、急激な脱力感に襲われたと言っていた。恐らく妖術で笑い声を上げさせることが、感情を引き抜くトリガーだったのだろうと、目玉おやじは推測していた。
「一応の対策は用意したが、正直、今回の戦いは出たとこ勝負に近い。苦労をかけてすまぬが、よろしく頼む」
「はい、父さん」
そうして廃屋・廃工場を歩き続けることしばらく。唐突に鬼太郎達の目の前に、白い靄が立ち込めてきたのだ。それと同時に、鬼太郎の妖怪アンテナが反応する。間違いなく、卯月も言っていた、笑い女が出現する前触れである。
「皆、気を付けてくれ!」
妖怪の襲撃を察知した鬼太郎は、仲間たちに臨戦態勢に入るよう指示を送る。真っ先に物陰に隠れたねずみ男以外は、周囲に視線を巡らせ、妖怪の出現に備える。すると……
アッハッハッハッハッハッハ
案の定、女性の高笑いが聞こえてきた。笑い声は辺りにこだましており、声の出所はまだ分からない。だが、鬼太郎の妖怪アンテナが反応したことからしても、そう遠くない場所に潜んでいるのは間違いない。
「隠れてないで、出てきなさい!」
「姿を表すんじゃ!」
ねこ娘と子泣き爺が姿無き敵に対して声を上げるが、返事は無い。ただ只管、鬼太郎達を嘲るような笑い声が響くばかりだった。それに比例して、辺りに立ち込める靄も濃くなっていく。笑い声が響くばかりのその膠着状態は……しかし、唐突に破られた。
アッハッハッハ
「来たぞ!」
鬼太郎の真正面方向の暗闇の向こうから、着物を来た女が高笑いを上げながら姿を現す。まるで足に車輪が付いているかのような、歩くような動きを一切見せずに現れた女の顔には、不気味な笑みが浮かんでいた。間違いなく、妖怪・笑い女である。
姿を見せた敵に対し、鬼太郎は先制攻撃を仕掛けるべく動きだす。
「髪の毛針!!」
無数の毛針が笑い女のもとへ飛来する。対する笑い女は、避ける素振りも見せずに相変わらず不気味な笑い声を上げたまま無防備にその場に立ち尽くしている。そして、無数の髪の毛針が笑い女の体に殺到したのだが……
「何っ!?」
「すり抜けた!?」
鬼太郎が放った髪の毛針は、全て笑い女に命中したものの、その全てが笑い女の体をすり抜けたのだ。笑い女は傷を負った様子はなく、笑い続けている。まるで、煙を刺し貫いたかのような手ごたえの無さだった。
「鬼太郎!あれは本体ではない!妖術で作った幻影じゃ!」
「なら、考えていた手でいきましょう。皆、耳栓を!」
鬼太郎の指示に従い、仲間達は皆、耳栓を取り出して装着する。笑い女が笑い声を媒介にして妖術をかけるのならば、それを遮断すれば妖術の効果も消える筈。そう考えての耳栓だったのだが……
(耳栓が効いていない……!?)
耳栓を装着した鬼太郎達だが、目の前の笑い女の幻影は消えない。それどころか、耳栓の存在を無視するかのように、笑い声が聞こえ続けるのだ。一体どういうことなのか。考える暇も無く、次の対応を迫られた鬼太郎達は、無意味と分かった耳栓を一斉に外した。
「鬼太郎、本体を探すんじゃ!」
「分かっています。しかし、どこに……!」
幻影ではない、笑い女の本体を探すべく、妖怪アンテナで索敵を試みる。だが、妖気は辺り一帯に満ちており、本体の特定は困難を極める。それでも、妖怪アンテナだけが笑い女を探し出すための唯一の頼みの綱なのだ。鬼太郎はなんとか神経を集中させて、妖力が強い場所を探し出そうとする。だが、笑い女もそれを黙って見てはいない。
アッハッハッハ
「見つけた!ニャァァア!」
新たに現れた笑い女の姿を視認したねこ娘が、爪を伸長させて襲い掛かる。妖怪の中でも屈指の敏捷性を誇るねこ娘の跳躍からは、笑い女といえども逃げられない。だが……
「う、うわぁっ!何をするんだ、ねこ娘!?」
「き、鬼太郎っ!?」
ねこ娘が襲い掛かった笑い女が、間一髪でその爪を回避する。だが次の瞬間には、ねこ娘が視認していた笑い女の姿が、鬼太郎へと変わったのだ。
「幻影じゃ!笑い女が己の姿を鬼太郎に幻影を被せたんじゃ!」
「笑い女め、幻影を使って僕たちに同士討ちをさせようとするとは……!」
幻影を囮として利用するだけでなく、敵に被せて同士討ちを誘導するという巧妙な戦術を前に、鬼太郎達は反撃の隙を掴めない。
アッハッハッハッハッハ
アッハッハッハッハッハ
アッハッハッハッハッハ
「笑い女がどんどん増えておるぞ!」
「どげんすると、鬼太郎!?」
子泣き爺が言うように、笑い女の不気味な笑い声が幾重にも重なり、それに伴い笑い女の幻影までもが増えているのだ。鬼太郎達を取り囲むように現れた幻影は十、二十どころの数ではない。立ち込める白い靄の中、笑い女の幻影は一様に不気味な笑い声を響かせながら今なお増え続けているのだ。その不気味な光景は、同じ妖怪である筈の鬼太郎達ですら戦慄を覚えずにはいられない。
「本体は一体のみの筈だ。残りは全て幻影だ。本体を特定して叩きさえすれば……!」
「ふふっ……ふっ……あはははははっ!」
「ね、ねこ娘!?」
再び妖怪アンテナを用いて笑い女の本体の居場所を探ろうとした鬼太郎だったが、さらなる異変が仲間を襲う。すぐ隣にいたねこ娘が、突如として笑いだしたのだ。そしてそれは、ねこ娘だけにはとどまらない。
「ふふははっ!ははっ!なんじゃっ、ふはっ!これ、ははははっ!」
「はははっ、はっ!なんば、これっ……ふはははっ!」
「はははっ……はははっ……」
「まずい!このままじゃ……!」
「全員、感情を抜き取られ兼ねんぞ!」
ねこ娘を皮切りに、子泣き爺、一反もめん、ぬりかべまでもが笑いだす。卯月が言っていた通りだとするならば、これは感情を抜き取られる前兆である。このままでは、目玉おやじの言う通り、全員まるごと感情を引き抜かれかねない。
「しっかりするんじゃ!」
「あははっ……ニャニャッ!?」
「ふはは……ほわっ!?」
「ははっはっ……どわっ!?」
「はは……ぬりっ!?」
笑い声を上げていた四人の顔に向けて、砂かけ婆が手に持っていた砂を投げ掛けた。各々、目や口に砂が触れた瞬間、笑いは止まった。
「ケホッ……ありがとう、砂かけ婆」
「礼を言うのはまだ早いわい。“気付け砂”も、無限には無いのだぞ……!」
砂かけ婆が笑い女対策のために用意していた秘密兵器、“気付け砂”。幻覚等の妖術にかけられた者の顔にこれをかければ、目や鼻、口の粘膜に触れた途端に感じる痛みにより、幻覚症状が解かれるのだ。
だが、妖術が常にかけられているこの空間においては、大した意味を持たない。ねこ娘達にかけられた妖術も一時的に解けたが、笑い女の無数の幻影が再び現れた。
「こうなったら最後の手段だ……ねずみ男!」
「えっ……お、俺ぇっ!?」
「さっさと出てくるんじゃ!」
この危機的状況で突然の指名を受け、動揺を露にするねずみ男。だが、鬼太郎は構わず隠れていた物陰から引き摺り出す。
「俺に何しろってんだよ!?」
「いつもの必殺技を放つんじゃ!」
「早くしろ!笑い女が来るぞ!」
どんどん増えていく笑い女を前に、鬼太郎と目玉おやじはねずみ男を急かして最終兵器の行使を迫る。
「クソッ!こうなりゃ自棄だ!……行くぞこの野郎!」
言葉の通り、自棄を起こしたねずみ男は、無ずうの笑い女の幻影が並ぶ方へと尻を向ける。そして――――――猛烈な勢いで、屁を放った。
「ぐっ……!」
「相変わらず、何という、臭いじゃ……!」
ねずみ男の屁には、強力な催涙効果と心停止になりかねない程の悪臭が宿っており、これは妖怪に対しても有効な場合が多い。よって、笑い女もねずみ男の屁を吸引すれば、その活動に支障を来し、幻術も一気に解ける筈。そう考えてねずみ男を最終兵器として連れてきたのだ。だが……
アッハッハッハッハッハッハッハッハッハ
「効いていない!?」
「どういうことじゃ!?」
ねずみ男の屁を浴びたというのに、笑い女の幻影は一切減らなかった。最終兵器すら通用しないこの現状では、最早笑い女討伐は諦めるほかない。
「皆、一度退くぞ!」
鬼太郎の号令に従い、仲間達は踵を返してその場から撤退を開始する。そして、白い靄が立ち込め、無数の笑い女の幻影が立ちはだかる廃工場・廃屋の敷地を突破するべく走り続けるのだが……
アッハッハッハッハッハ
アッハッハッハッハッハ
アッハッハッハッハッハ
いつまで経っても、笑い女の包囲から抜け出すことができない。恐らくこれも、笑い女の妖術で作り出した幻影なのだろう。卯月を道なき道へと誘い出した時と同じ要領で、鬼太郎達を幻影の迷路に閉じ込めたのだ。
「鬼太郎、どうするのよ!」
「もう気付け砂も無いぞ!」
「おいも何故かいつものように飛べんからのう……」
撤退を開始してから、何度も感情を抜かれそうになり、砂かけ婆に気付け砂を使ってもらったのだが、それも既に底を尽きている。それならばと一反もめんが空を飛んで逃げようとしたのだが、一反もめんがどれだけ高く飛ぼうとしても、靄が立ち込める範囲以上の高さを飛ぶことはできなかった。恐らくこれも、笑い女の妖術によるものであり、高度を一定範囲より上げられないよう幻影を見せているのだろう。
退路を完全に断たれ、危機的な状況に陥った鬼太郎達。脱出のために思考を走らせるも、現状を打破できる妙案は浮かばない。このままでは全員、感情を抜き取られてしまう……そんな絶望に支配されようとした、その時だった。
「鬼太郎、さん……!」
「君は!」
鬼太郎達の後ろから、笑い女の幻影をすり抜けながら、一人の少女が姿を現す。小柄で長い銀髪が特徴的なその少女は、今日知り合ったばかりの346プロ所属アイドル、星輝子だった。輝子は笑い女の幻影をまるで気にした様子もなく鬼太郎へと小走りで近付くと、その手を取って引っ張った。
「……こっち!」
「え、おいっ!」
「ど、どういうことよ!」
輝子に引っ張られるままに走り出す鬼太郎達。そして、笑い女の幻影を掻き分けて右へ左へと進むことしばらく。鬼太郎達を取り囲んでいた笑い女の不気味な笑い声はどんどん小さくなっていき、白い靄もまた薄くなっていった。
どうやら、笑い女の妖術からは抜け出せたらしい。何故、輝子が自分達を助けることができたのか。その理由は定かではないが、これは笑い女の妖術を攻略する突破口を見出すための手掛かりになるかもしれない。
撤退の最中、鬼太郎は輝子に手を引かれて走りながら後ろを振り向く。後ろからついてきている仲間達の向こう側に立ち込めている白い靄を――正確には、その向こうから未だに微かに聞こえてくる笑い声を放っている根源を睨みながら、その正体と能力の実態を突き止めることを鬼太郎は心に誓った。