鬼太郎達が笑い女の潜伏している地帯から撤退した翌日。346プロ本社ビル内にある会議室の中には、張り詰めた空気が漂っていた。部屋の中には、この部屋を確保した346プロ所属アイドルであり、当事者であるニュージェネレーションズとピンクチェックスクールのメンバーに小梅と輝子を加えた面々のほか、笑い女討伐のために突入した妖怪達の代表である鬼太郎とねこ娘がいた。
「話が違うじゃない!」
鬼太郎とねこ娘から、昨夜の撤退に関する説明を聞き終えたアイドルの一人である凛が、机をバン!と叩いて立ち上がるとともに怒りの声を上げる。
「卯月をこんなにした妖怪を退治してくれるって言ったのに……何で逃げ帰ってるのよ!」
「あなた……!」
「……すまない」
笑い女を退治できずに撤退してしまったことを非難する凛に対し、鬼太郎は言い訳を一切することなく頭を下げる。
「ちょっと鬼太郎!」
「ねこ娘、落ち着くんじゃ。ここで諍いを起こしても仕方あるまい」
「しぶりんも落ち着いて!」
隣に座るねこ娘は何か言いたそうにしていたが、目玉おやじに窘められて矛を収めた一方の凛も、未央に宥められて席に座る。卯月のことが心配なのは他のアイドル達も同じだが、鬼太郎に当たったところで事態が好転するわけではない。それが分かっていたからこそ、凛以外は鬼太郎達を責めることはしなかったのだ。凛自身も非常に神経質になってしまったものの、自分の行いが不毛なものと気付き、謝罪を述べる。
「……ごめん。言い過ぎた」
「気持ちは分かるよ。それに、ライブのことだってあるし……」
卯月がこのままというのも非常に拙いが、直近の問題として、ピンクチェックスクールのライブがある。ライブまで一週間を既に切っているこの状況で、卯月の不調が続いている状況では、中止も視野に入れなければならない。
故に、笑い女の討伐は急務なのだ。
「構わんよ。君の友達を想っての怒りも尤もじゃ。それより今は、笑い女をどうするかを考えるべきじゃ」
「そうですね、父さん」
その後、議題は騒動の根源である笑い女への対策へと移っていく。とはいっても、アイドルの中で妖怪のことに詳しいのは小梅くらいなので、他の面々は聞きに徹するのみなのだが。
「笑い女のことは、正直な話、僕も父さんも何も分かっていないんだ」
「笑い声を媒介に幻術を掛けると思っておったのじゃが……どうやら、別の何かで幻影を見せておるらしい。それが分からない限り、笑い女本体を捕らえることはできん」
笑い女を捕らえるなり倒すなりするにも、妖術で姿を隠している本体の位置を暴かなければならない。だが、工場一帯を覆いつくす勢いで発生する靄とともに現れる幻影の前には、鬼太郎達は前進することも儘ならない。ねずみ男の屁を辺り一帯に放ったにも関わらず、笑い女の幻影には全く変化が無かったことから考えるに、本体はかなり離れた場所いるのだろう。下手に動き回れば、卯月同様に感情を抜き取られるリスクすらある。
「あの……鬼太郎さん、聞きたいことがあるんですが……」
「なんだ?」
「笑い女っていう妖怪は、大きな笑い声を上げるんですよね?」
「それが何?」
恐る恐る手を挙げながら投げかけた、今更な質問に鬼太郎とねこ娘は怪訝な表情を浮かべる。美穂達も現場の近くにいたのだから、笑い女の声を聞いている筈。だが、待機していたアイドル達は顔を見合わせると、首を傾げていた。
「えっと……私達、ずっとあそこで待っていたんですけど、女の人の笑い声なんて、全然聞こえてませんでしたが……」
「……なんだって?」
笑い女という妖怪は、その名の通り笑い声を上げる妖怪である。現に笑い女に遭遇した卯月や鬼太郎達は、幻影とはいえ笑い女に遭遇し、その笑い声を聞いている。にも関わらず、美穂達はそれを聞いていなかったという。
「フム……笑い女の声は、その幻影に遭遇した者にしか聞こえんということじゃな」
「どういうことよ、それ」
「笑い女の笑い声は、それも含めて幻に過ぎんということじゃ」
つまり、笑い女の姿は幻影であり、笑い声は幻聴でしかないのだ。とはいえ、視覚・聴覚を惑わせるような妖術をかけるには、何か呼び水がある筈。だが、それが何なのかが分からない。
改めて笑い女と遭遇した際の場面を振り返ってみる。笑い女の幻影が見えたり、笑い声の幻聴が聞こえるより前に、何か無かっただろうか……
「まさか、あの靄か……?」
「それよ!」
卯月が初めて遭遇した時も、鬼太郎達が捜索に動いた時も、笑い女が出現する前兆として白い靄が発生していた。今思えば、あの白い靄こそが、妖術を掛けるための種だったのかもしれない。
「けど……確か、その子もあの靄の中に飛び込んでいったわよね。なのに、妖術に掛けられた様子は全然無かったのは、どうしてなのかしら?」
「フヒ?」
そこまで考えたところで、ねこ娘は昨晩の一件を思い出し、この場にいるアイドル――星輝子に関する疑問を口にする。
輝子は昨晩、鬼太郎達が笑い女の妖術が見せる幻の中に囚われていた危機的状況の中へと飛び込み、鬼太郎の手を引っ張って一同を笑い女の術中から救い出してくれた。だが、笑い女が発生させたであろう靄が立ち込める中で、どうして幻の影響を受けなかったのか。それだけが謎だった。
輝子のことをよく知る346プロのアイドル達ならば、何か知っているのではと思って発言したねこ娘だったが、美穂や小梅をはじめとする面々は思い当たる理由が無いらしく、互いに顔を見合わせ、首を傾げるばかりだった。そしてそれは輝子自身も同じで、どうして自分だけが妖術にかからなかったのか、その理由は本人にも分からないらしい。
鬼太郎の見立てでは、笑い女の正体を見破り、その妖術を攻略する鍵は輝子が握っている。何か少しでも情報は得られないものかと考えていた鬼太郎から、ある種の期待の視線を受けた、自称ボッチの輝子は、居心地の悪い想いをしていたが……やがて、昨晩のあの場面において輝子の観点から得た情報を、ぽつりぽつりと話し始めた。
「あの時……私には、聞こえたんだ」
「聞こえた?」
「友達の、怒った声と……それ以上の、悲しみの声が……」
輝子が口にする“友達”という言葉を怪訝に思う鬼太郎とねこ娘。何のことなのか分からない様子の二人に対し、コミュニケーション能力が乏しい輝子に代わり、美穂と小梅が説明を行う。
輝子が言う“友達”というものが、輝子が栽培することを趣味としている“キノコ”を指していること。輝子はアイドルデビュー前は友達が非常に少ない、俗に“ボッチ”と呼ばれる人種であり、キノコ栽培を通して長い時間をキノコと過ごしたこと。そして、そのような経緯を経て輝子は菌糸類である筈のキノコを通じ合わせるにまで至り、その感情を理解できるようにまでなったこと……。
「キノコと会話って……そんなこと、あり得るの?」
「少なくとも、僕は聞いたことが無いが……父さんはどう思います?」
キノコと心を通わせ、対話する人間。そんな話は、妖怪である鬼太郎やねこ娘をしても信じ難い話だった。そこで鬼太郎は、この場にいる妖怪の中では最も年配で博識な目玉のおやじに話を聞いた。
「フム……わしも初めて聞く話じゃが、人間の中にはごく稀に霊力をはじめとした異能に目覚める者もおる。恐らく輝子ちゃんも、人との関わりを極度に減らし、キノコと長い時間を過ごす中で、そのような能力に目覚めたのじゃろう」
異能に目覚めた人間の事例には、輝子以外には、鬼太郎の母方の縁戚として霊力に目覚めた小梅が挙げられる。最も、小梅の霊力は鬼太郎の母方の家系の隔世遺伝によって目覚めたものであり、キノコと長期間過ごすことによって後天的に目覚めた輝子の能力とは別物なのだろう。
「けど……それが一体、笑い女と何の関係があるのかしら?」
「キノコの怒りと悲しみの声が聞こえたと言っていたが……笑い女が原因なのか?」
それが、真っ先に浮かぶ可能性だった。確かに笑い女の力は、同じ妖怪の鬼太郎達の目から見ても脅威である。そのような恐ろしい存在に居座られては、恐怖や怒りの感情を抱くというのも分からないでもない。だが、妖怪がキノコにとっての脅威になるという話には疑問が生じる。キノコと笑い女、この二つに何の因果関係があるのか、まるで分からなかった。
「いや、それは違う」
「父さん?」
「今まで得体の知れんかった笑い女の正体じゃが、輝子ちゃんの話のお陰で、ようやく分かったわい」
だが、目玉おやじだけは違っていた。輝子の話を聞いて得心したというその言葉に、鬼太郎とねこ娘、アイドル達は目を見開く。
「本当ですか、父さん……!?」
「ウム。まだ分からんこともあるが、笑い女の正体という点だけは間違いないじゃろう。そして、それが分かれば奴の幻影を打ち破る手立ても見えてくる」
笑い女の正体を見抜くとともに、その攻略方法まで見出したという目玉おやじに、アイドル達が期待の眼差しを向ける。昨日は敗走してしまったが、笑い女の正体を見抜いた上での対策があるのならば、希望が持てる。
「目玉おやじさん、その作戦って、どんなものなんですか?」
「笑い女本体の居場所を見つけ出して、本体を叩く。そしてそのためには、君達の助けが必要なのじゃ。危険を承知で、力を貸してくれんか?」
目玉おやじの口にする“危険”という言葉に、アイドル達に緊張が走る。鬼太郎達が妖怪と戦う現場に居合わせることの多い小梅と美穂は勿論、実際に妖怪に襲われた経験のある凛の反応が特に顕著だった。危険な妖怪が待ち受ける場所へ飛び込むことに対して及び腰になるのは無理も無いことだった。
だが……
「分かりました……卯月ちゃんのために、お手伝いさせてください!」
親友であり、同じユニットの仲間である卯月を助けるためならば、どんな危険も冒せる。そんなアイドル一同の総意を、美穂が代表してはっきりと口にした。
その夜。鬼太郎達は、笑い女が潜んでいる廃工場・廃屋が立ち並ぶ地帯をに再び訪れていた。昨晩同様、笑い女が待ち受ける場所へと入っていくのは鬼太郎やねこ娘といった妖怪達であり、その正面には昨日見送りのためにこの場に来ていたアイドル達がいた。
だが、今夜アイドル達がこの場に集まったのは、見送りのためだけではない。
「それじゃあ、手筈通りに頼む」
「分かりました……」
「り、了解しました!」
「フヒ……私も、頑張る」
鬼太郎の念押しに、小梅、美穂、輝子は強く頷く。この三人は、目玉おやじが立てた笑い女討伐作戦において重要な役割を与えられているのだ。
「よし、皆!行くぞ!」
『おー!』
鬼太郎の号令に従い、仲間の妖怪達は笑い女が潜んでいる廃屋群へと進んでいく。その後ろ姿が夜の闇に溶け消えるのを見届けたアイドル達の内、小梅等三人もまた行動を開始する。
「それじゃあ、行こうか……」
「小梅……頼んだよ!」
「みほちーとキノコちゃんも、気を付けてね!」
「卯月ちゃんのこと、お願いします!」
小梅を戦闘に、鬼太郎達が向かったのとは別方向へと、笑い女本体を探すべく進。しかし、凛と未央、響子、卯月の四人はこの場に残ったままである。この凛達と同様、鬼太郎達のように戦う力を持たない三人が恐ろしい妖怪の潜む場所へと踏み込んでいくのを見送るしかできない四人は、作戦の成功と無事を心の底から祈った。
「皆……頑張って……」
そして、卯月もまた、感情の籠らない小さな声ながら、仲間達へと三人にエールを送ったていた。
「皆、来るぞ!」
アイドル達と別れて廃屋群の奥を進んでいた鬼太郎達は、昨夜同様、笑い女出現の予兆である白い靄に直面していた。鬼太郎の妖怪アンテナも、妖怪出現の予兆を察知している。そして、靄は鬼太郎達を囲み込むように展開し、辺りの視界をぼやけさせていく。
アッハッハッハッハッハッハッハッハ
そして、白靄のかかった暗闇の奥から、あの不気味な笑い声が響いてくる。最初の笑い声は一方向から聞こえてきたが、右から、左からと、次々に笑い声の出所が増えていった。ここまでは、昨夜と同じである。
「皆、なるべくお互いに離れないようにするんだ!同士討ちにも気を付けてくれ!」
笑い女の術中の中で、感情を抜かれることの次に注意しなければならないのは、笑い女が見せる幻影に惑わされて仲間を攻撃し、同士討ちをしてしまうことである。攻撃行動さえしなければ、仲間を傷付けずに済むが、仲間内で互いに距離が離れすぎてしまえば、それも儘ならない。鬼太郎達はお互いの位置を把握した上で、靄の立ち込める周囲に視線を巡らせていく。
アッハッハッハッハッハ
アッハッハッハッハッハ
アッハッハッハッハッハ
着物姿で大口を開けて笑う女の幻影が一人、二人、三人と次々に増えていく中、鬼太郎達は自分達を翻弄し、魂を抜き取ろうとする笑い女の動きに備えていく。
(小梅、美穂、輝子……頼んだぞ!)
今頃は別働隊として別の場所で行動しているであろう小梅達が、首尾よく笑い女本体の居場所を特定してくれることを祈りつつ、鬼太郎達は幻影に対峙するのだった。
鬼太郎達を笑い女の待ち構える廃屋群へと送り出した後、小梅、美穂、輝子の三人は鬼太郎とは別方向から笑い女本体の居場所の特定を試みていた。
「美穂ちゃん、お願い……」
「うん」
美穂が目を瞑り、精神を研ぎ澄ませて意識を集中させる。美穂の知る、鬼太郎やねこ娘のそれとは違う、これまで出会った妖怪達と同じような、攻撃的な意思を持って力を奮う、その根源を感じ取ろうと感覚を研ぎ澄ませる。
そして……美穂の髪が、針のように逆立った。
「……こっち!」
髪の毛が逆立つのと同時に、美穂が迷い無く進むべき方向を指差す。この一帯のどこかに潜んでいる笑い女の居場所のある方向を特定する役割を担っていたのは、美穂だった。
美穂の研ぎ澄まされた霊感が妖力を捕捉できる範囲は、実は小梅以上に広いのだ。度重なる妖怪との邂逅による刺激で強化され、後天的に獲得した霊感ではあるが、美穂には隠れた素質があったのだろう。昼間の作戦会議終了後、夜中に作戦を決行するまでの間、目玉おやじ監督のもとで妖怪の気配を探る訓練をした結果、鬼太郎に迫る精度の妖怪アンテナを習得するに至ったのだった。
そして今現在、笑い女の居場所を特定するための要員として作戦に参加し、笑い女の居場所の方向を示す役割を担っているのである。
「まだ少し距離があるけど、確実に近付いていると思う。このまま真っ直ぐ進めば……」
「……ちょっと、待って」
笑い女の居場所を指し示し、直進しようとした美穂に対して輝子が止めに入った。そして、美穂が指し示した方向を輝子はジッと見つめる。すると数秒後、美穂が進もうとした場所に、白い靄のようなものが発生し始めた。どうやら、笑い女の魔手が伸びようとしていたところだったらしい。
「輝子ちゃん、よく分かったね……」
「友達の、怒りと悲しみの声が聞こえたから……」
これが、輝子が笑い女の居場所を探すための要員に選ばれた理由だった。昨晩の戦いに際し、輝子は笑い女が幻影を作り出すために展開する靄の中へ飛び込み、鬼太郎達を救い出した。それは、靄の中で鬼太郎が居る場所を特定することがが立ち込めている場所を特定し、靄が立ち込めている範囲まで把握していたからこそできたことである。
その力を利用し、目玉おやじは輝子に笑い女が行使する靄の流れを感知し、これを回避するルートを特定する役目を依頼したのだ。
「あっちは靄があるから……こっちなら、大丈夫だよ」
「分かった。輝子ちゃん、ありがとう」
美穂が目標である笑い女の位置を特定し、輝子が靄の動きを予測して安全なルートを指定する。鬼太郎達が正面から攻め込んで笑い女の注意を引いている間に、美穂達はこうして笑い女へと着実に近付くというのが目玉おやじの考案した作戦だった。
そして、三人が靄を避けながら廃屋の隙間を縫うように進むこと暫く……遂に、笑い女が潜伏しているであろう廃工場を突き止めた。
「ここだ……間違いないよ。妖怪の気配を、強くはっきりと感じる」
「フヒ……私にも、聞こえる。友達の泣いている声と、怒っている声……」
「うん。私にも、分かるよ……あそこに、居る」
廃工場を見つめながら、妖怪アンテナと化した髪を逆立てる美穂に対し、輝子と小梅が同意する。
月明りの下、今までより一層濃い靄に包まれた廃工場は、廃屋群の中でぽっかりと開いた場所にぽつんと立っていた。見た目は他の廃工場と変わらないが、常人には見えない――小梅には見えるが――邪悪な妖気が立ち上っている。美穂の言う通り、妖怪の潜伏場所に間違いないと直感させる雰囲気があった。
「それじゃあ小梅ちゃん、お願い」
「うん……分かった」
美穂の言葉に頷いた小梅は、その場に座り込み、膝を抱える。そしてそのまま、眠るように瞳を閉じた。直後、本当に眠り込んだかのように小梅は脱力して、地面に倒れそうになったが、それを美穂が支えた。幽霊族の秘術、『幽体離脱の術』を使用したのだ。
「これで作戦通り、小梅ちゃんが鬼太郎さんを呼んできてくれればいいんだけど……」
「……本当に、退治しなくちゃ、いけないのかな……?」
目玉おやじの考案した作戦通り、小梅が幽体となって鬼太郎を呼びに行ったことを確認した後、輝子がぽつりと呟いた。卯月が被害に遭っていることもあり、今回の作戦への協力を承諾した輝子だが、内心では笑い女を退治することを望んではいなかった。
「輝子ちゃん……」
「あんなに悲しそうに泣いているのに……」
今回の作戦を実行するにあたり、目玉おやじは笑い女の正体についても当たりを付けていた。笑い女の正体を見破るキーパーソンとなったのは、他でもない輝子。彼女だけが持つ異能。そして、彼女だけが笑い女の妖術にかからなかった事実。それらを照らし合わせてみれば、笑い女の正体も自ずと分かる。
ただ一つ分からなかったのは、輝子にのみ聞こえていた、悲しみの怒りの声。できることなら、その理由を知りたいと、輝子は思っていた。
『鬼太郎さん!』
「小梅!」
幽体となって笑い女の潜伏する場所から離れた小梅は、幽体としての特性を利用して廃屋の壁を次々すり抜けて鬼太郎のもとへと瞬時に駆け付けることに成功した。鬼太郎と仲間達は、未だに笑い女の作り出す幻影に翻弄されていた。
幽体である小梅には妖術が通用しないらしく、笑い女の幻影は見えず、笑い声も聞こえていなかった。小梅から見ると、白靄の中で鬼太郎達が見えない何かと戦っているようにしか見えない。
「小梅ちゃんがここに来たということは、笑い女の居場所が分かったんじゃな!」
「そうと分かれば……霊毛ちゃんちゃんこ!」
小梅の到着を確認した鬼太郎は、ちゃんちゃんこを脱ぎ、マフラーのように長く形状を変化させると、自身の口と鼻を覆い、肩にのる目玉おやじの頭部の下半分も同様に覆った。
それと同時に、鬼太郎と目玉おやじは深呼吸して肺の中の空気を出し入れする。そして、二、三度息を吸って吐いてを繰り返したところで、鬼太郎の視界に映っていた笑い女の幻影と笑い声が消え去っていく。
「流石はご先祖様の霊毛で編まれたちゃんちゃんこじゃ!鬼太郎とわしの体内に入った笑い女の妖力を吸い出してくれたわい!」
「小梅、笑い女の居場所に案内してくれ!」
『分かった』
笑い女の妖術を解除することに成功した鬼太郎の指示に従い、小梅は幽体のまま飛び上がると、美穂と輝子が待機している、笑い女の潜伏する廃工場を目指して移動を始める。鬼太郎はそれを追って廃屋の屋根へと飛び乗り、屋根伝いに走ってあとを追う。笑い女の靄を避けるためにかなり迂回させられていたが、直線距離ならば百メートル程度だったらしい。
そして、笑い女が潜伏する廃工場を視認した鬼太郎は、隣接する廃屋の建物の屋根から跳躍して飛び立つ。
「リモコン下駄!」
空中へと飛び出した鬼太郎は、リモコン下駄を飛ばして老朽化によって脆くなった廃工場の屋根を破壊し、中へと突入する。
廃工場の中へと降り立った鬼太郎は、破壊された屋根から注ぐ月光によって照らし出された巨大な影へと振り返る。そこにあったのは、工場内に積み上げられた状態で廃棄された木材の上聳え立つ、高さ五メートルにも及ぶ巨大なキノコだった。その周囲には、一メートルから十センチ程度の大小様々なキノコが群生しており、巨大キノコが発する無数の白い胞子が埃とともに宙を舞い、月光を反射して雪のように光っていた。
「やはり、あれが笑い女の正体じゃったか」
「父さんの予想通りでしたね」
目玉おやじが予想した笑い女の正体――それは、“キノコ”だった。
笑い女の幻影が出現する際に発生していた靄のように見えたものは、実際は水蒸気などではなく、“白いキノコの胞子”。笑い女の妖術は、この胞子を媒介に発動するものであり、胞子を吸引した者に幻影を見せているのだ。鬼太郎と目玉おやじがちゃんちゃんこの力で妖術を解除できたのは、肺に入った胞子の妖力を吸い出したからである。輝子だけが妖術にかからず、胞子の動きを予測できたのは、キノコと会話できる程にキノコと共に長い年月を過ごしたことで身に付けることができた能力だというのが目玉おやじの推測だった。
「鬼太郎、あのキノコが笑い女の本体じゃ!あれを燃やし尽くせば、笑い女も倒れる筈じゃ!」
「はい、父さん!」
ちゃんちゃんこをマスクのように顔に巻いたまま、鬼太郎は目の前の巨大キノコを焼き払うべく動こうとする。だが……
アッハッハッハッハッハッハ
「むっ!?」
「笑い女じゃ!」
突如として、廃工場の中に笑い声が響き渡った。それと同時に、巨大キノコの根本から無数の白い繊維が伸びていき、鬼太郎の目の前で螺旋状に絡み合い、成人女性一人分の体積へと達する。そして、繊維の塊はみるみる形を変え、色が浮かび上がり、鬼太郎がこの廃屋群の中で幾度となく見た着物姿の女性……笑い女が幻影として見せた十代の女性の姿へと変わった。
ちゃんちゃんこで胞子を遮断している以上、妖術によって視聴覚を乱されているわけではない。笑い女の本体たるキノコから現れた、幻影ではなく実体を持った存在……“分身体”である。
「とうとう本体が出てきたようじゃな。鬼太郎、用心するのじゃぞ!」
「分かっています!」
アッハッハッハッハッハッハ
笑い女の高笑いが響き渡る。それと同時に、巨大キノコの根元からさらに幾本もの繊維が伸びていき、先程と同様、絡み合って塊を形成し、笑い女の分身体を作り出した。
アッハッハッハッハッハッハ
アッハッハッハッハッハッハ
アッハッハッハッハッハッハ
新たに現れた笑い女の分身は、十体にまで増えていた。鏡に映したかのように全く同じ姿の着物姿の女達が笑い声を上げる様は、何度見ても不気味そのものである。だが、今回はそれだけでは済まない。
「鬼太郎、来るぞ!」
出現した分身体十体が、高笑いとともに鬼太郎目掛けて襲い掛かる。笑い女達が腕を奮うと、着物の袖から笑い女の肉体を構成する無数の繊維が飛び出してくる。武器として繰り出される白色の繊維は、槍のように鋭く突き出されたり、鞭のようにしなったりと、形状は様々。繊維は軟体なキノコとは比べ物にならないくらいに硬化されており、廃工場の壁や地面を容易く貫き、切り裂いていく。
鬼太郎は繰り出されるそれらの攻撃を回避すべく右へ左へと動き回るが、いくつかの攻撃が手足を掠めてしまう。このままではジリ貧だと感じた鬼太郎は、反撃に出る。
「髪の毛針!」
髪の毛針を全方向に乱射し、襲い来る笑い女の分身体を攻撃する。分身体は避ける素振りも見せず、髪の毛針は全て命中したが、所詮は分身体なのか。痛くも痒くもないらしく、串刺しにされても狂ったような笑いをやめようとはしない。
「父さん、このままでは……」
「分かっておる。このままでは近付くことも儘ならん」
髪の毛針では、軟体の繊維でできた笑い女の分身体にダメージを与えることができない。この分では、リモコン下駄による物理攻撃も通用しないだろう。霊毛ちゃんちゃんこで本体のキノコを覆い尽くせば、妖力を絞り出すことも可能だろうが、ちゃんちゃんこを胞子を遮断するための防毒マスクにしている今、武器として使うことはできない。体内電気の電撃は本体の巨大キノコまでは届かない。指鉄砲を撃とうとすれば、妖力を指先に集中させて照準を合わせている間に、分身体が鬼太郎を八つ裂きにしようとしてくるだろう。
防戦一方のこの状況を覆す方法が無いかと、鬼太郎と目玉おやじは分身体の猛攻を避けながら思考を巡らせる。そして、何度目かになる繊維の槍による攻撃を避けて、工場内に積み上げられた袋に突っ込んだ時だった。
「くっ……!何だこれは……っ!」
鬼太郎が突っ込んだ衝撃により、袋が破れて中身が漏れる。破れた箇所からサラサラと音を立てて漏れるのは、小麦粉のようなもの――家畜用の飼料だった。ここは材木の工場だが、恐らく、この工場が廃棄されて人が入らなくなったことを良いことに、不法投棄されたものなのだろう。漏れ出た飼料は、笑い女が放つ胞子のように浮遊し、鬼太郎の視界を一時的に遮った。
「そうじゃ!」
舞い上がる粉末の飼料。その光景を見た目玉おやじが、何かを閃いたかのように声を上げた。そして、鬼太郎の耳元へ移動すると、笑い女を倒すための作戦の指示をする。
「はい、父さん!」
目玉おやじの指示に従い、鬼太郎は両掌を水平に構える。そして、その指先の延長線上に、廃工場の中に積まれた無数の飼料の袋に狙いを定める。そして、それぞれの指先に霊力を込める。
「指鉄砲!」
鬼太郎の両手の指先から、霊力の弾丸が機関銃のように放たれる。一部は笑い女の分身体を貫通しながらも、工場内に積まれた袋を撃ち抜くと、中身の飼料の粉末が巻き上がる。指鉄砲によって撃ち抜かれた袋から噴き出た飼料の粉末は、瞬く間に工場の中に充満していった。
「鬼太郎、外へ走るんじゃ!」
「分かりました!」
巻き上がった飼料が霧のように工場の中に充満したのを確認した目玉おやじは、鬼太郎に工場からの撤退を指示する。鬼太郎は指示に従い、工場の出入口へと走る。
アッハッハッハッハッハッハ
当然のことながら、笑い女が作り出したいくつもの分身体が、逃げようとする鬼太郎を追う。鬼太郎自身も、無数の敵が背後に迫っていることには気付いていた。恐らく、扉を開けるタイミングを狙っているのだろう。僅かでも足を止めれば、繊維の槍や鞭が飛び、即座に串刺し・滅多切りにされるだろう。
「リモコン下駄!」
故に鬼太郎は、リモコン下駄を飛ばして扉を破壊することにした。廃工場のドアは老朽化していたお陰で、リモコン下駄の直撃で簡単に蝶番の金具は破壊され、ドアがひしゃげて外へと飛び出す。鬼太郎もまた、ドア目掛けて跳び、転がるようにドアが破壊された出入口から脱出する。
「今じゃ、鬼太郎!」
跳んで地面を転がった衝撃で鬼太郎の肩から離れ、地面へと転がった目玉おやじが、最後の指示を飛ばす。そして、弾みではあるが、目玉おやじが安全な場所にいることを確認した鬼太郎が、最後の一手を放つ。
「体内電気!!」
鬼太郎が伸ばした右手から、電撃が迸る。掌が向けられた先にあるのは、先程鬼太郎達が脱出した工場の出入口。真っ直ぐ放たれた電撃は、出入口を通過し、工場の奥へと到達する。その途端――――――
轟音と閃光が、夜闇の静寂を切り裂いた。
笑い女の本体たる巨大キノコの巣窟である廃工場の窓や扉、鬼太郎が突入した屋根、老朽化した壁といった、至る場所が爆発の衝撃で破壊され、勢いよく炎が噴き出す。先程まで響き渡っていた笑い女の笑い声も、建物が崩壊する轟音に呑まれて聞こえなくなっている程だった。
「上手くいきましたね、父さん」
「ウム」
これが、目玉おやじが工場の中に巣食う笑い女を倒すために考案した作戦だった。
笑い女の本体たるキノコに致命的なダメージを与えるのに最も有効な攻撃は、火で焼き尽くすことである。だが、鬼太郎には酒吞童子や鬼童丸のように炎の妖術は使えない。
そこで目玉おやじが用いた手段が、“粉塵爆発”だった。工場の中に廃棄された飼料の粉末を可燃性粉塵として巻き上げて廃工場に充満させ、体内電気を点火源として着火。笑い女の本体たる巨大キノコ諸共工場内全体を爆発の渦に巻き込んだのだった。
「父さん、あれを」
燃え盛る工場を眺めていた鬼太郎が、飛び散る火の粉の中を飛ぶ、青白い光の玉を見た。工場から発せられている炎とは色の違うそれからは、魂の気配が感じられた。
「ム……恐らくあれは、笑い女が卯月ちゃんから奪った魂の一部、つまりは感情じゃな。笑い女の本体が焼き尽くされたことで、解放されたのじゃ」
目玉おやじの言葉通り、青白い光は卯月達がいる場所へと向かって飛んでいった。そうして、本来の持ち主のもとへと帰っていく光を見送っていると、鬼太郎の元へ駆け寄ってくる三人の足音が聞こえてきた。
「鬼太郎さん!」
鬼太郎が振り返ると、そこには小梅、美穂、輝子の三人がいた。笑い女が潜んでいる場所からは離れているようにと予め指示を出していたため、粉塵爆発の被害を受けずに済んだらしい。
「小梅ちゃんに美穂ちゃん、輝子ちゃん。大丈夫じゃったか?」
「はい。爆発が起きて物凄くびっくりしましたけど、私達は大丈夫です」
「それより、笑い女は?」
「工場の中の本体はさっきの爆発で焼き尽くされた筈だ。これなら、笑い女もひとたまりもない筈……」
だが、その時だった。鬼太郎の髪の毛が、唐突に逆立った。妖怪アンテナが妖力に反応したのだ。しかも感知した妖力は、つい先程間近で感じたものである。
「父さん!笑い女の妖気はまだ完全には消えていません!」
鬼太郎から齎された事実に、アイドル達の顔に緊張が走る。笑い女がまだ生きているのならば、鬼太郎達のような戦闘能力の無いアイドル達が真っ先に襲われる筈だからだ。
「あの爆発の中でも生きておるとは……いや、あれだけ群生していたのだから、少しくらいは残っていてもおかしくはない。状況からして、笑い女も虫の息じゃろうが、油断はできん。鬼太郎、探し出すのじゃ」
「分かりました、父さん」
目玉おやじに促され、口元に巻きつけていたちゃんちゃんこを解いて着直すと、鬼太郎はこの付近のどこかに生き残っているであろう笑い女の探索を開始するべく、アイドル三人を伴い、移動を開始する。
目玉おやじの言うように、笑い女は本体である巨大キノコをはじめ、群生したキノコの大部分が焼き尽くされており、瀕死の状態であることが確実視されている。胞子による妖術はもう使えず、鬼太郎相手に見せた繊維を武器にした戦いもできないだろうが、ここで逃がせばまた再びどこかで群生して人を襲い始める可能性がある。
それを防ぐためにも、笑い女は確実に仕留めなければならない。鬼太郎達は、現在進行形で炎上しているかつての笑い女の根城だった廃工場の周囲を、飛び散る火の粉に注意しながら探し始めるのだった。
鬼太郎達が爆発炎上している廃工場の周囲にいるであろう笑い女を探し始めたその頃。廃屋群の外で待機していた卯月をはじめとしたアイドル四人は、鬼太郎達が突入した笑い女の巣窟である廃工場のある方向を見ていた。黒一色の夜闇に包まれていた空を照らし出す赤い火柱に、卯月を除く三人の表情は驚愕に染まっていた。
「あれって……もしかして、鬼太郎さんが?」
「多分、そうなんだろうけど……それより、みほちー達は大丈夫なの!?」
妖怪同士の戦いが非常に危険なことは聞かされていたが、このような爆発が発生するような事態になることは想定外だった。妖怪である鬼太郎達は大丈夫だろうが、現場にいるであろう美穂、小梅、輝子の身が危険に晒されている可能性がある。未央が心配するのも無理もない話だった。
「鬼太郎と目玉のおやじさんは、戦いの場には絶対に近付かないように言ってくれていたから大丈夫だと思うけど……」
鬼太郎と目玉おやじは三人に協力を要請するにあたり、自分の身を守ることを優先するよう念押ししていた。それに加え、笑い女本体の居場所を特定するために向かった三人は、妖怪の居場所や動きを特定する能力を持っている。用心して動いているならば、爆発に巻き込まれるようなことは無いと思われるが、凛も不安を隠せずにいた。
この場から絶対に動くなという言いつけを破ってでも三人を探しに行くべきかと、凛、未央、響子が逡巡していた、その時だった。
「あっ!あれって……」
廃屋群の向こう側で炎上する廃工場を見つめたいた凛が、夜空を飛ぶ青白い光を見つけた。廃工場の炎とは明らかに違う色をした光の玉は、真っ直ぐアイドル達の居る場所へと飛来している。まさか妖怪の仕業なのかと、警戒心を露にしたアイドル達は、卯月を守るように前に出る。しかし、当の卯月だけは違う反応を示した。
「待って」
「し、しまむー!?」
卯月は自身を庇おうとする未央達をそっと横へ退けると、青白い光のもとへと歩き出した。それに呼応するように光の玉が卯月のもとへと向かっていく。光の玉は卯月の眼前へと近付くと、その額へと吸い込まれていった。笑い女に奪われた卯月の魂の一部である感情が、本人のもとへ還ったのだ。
(………………え?)
その瞬間……卯月の視界が、霧がかかったかのように真っ白に染まった。一体、何が起こったのかと逡巡しする卯月だったが、新たな異変が起こる。視界一面を覆う霧は瞬く間に晴れていき、自身の記憶には無い、新たな光景が眼前に広がっていったのだった――――――