その昔……今からおよそ四百年ほど遡った、江戸時代頃のこと。
とある町に、一人の娘がいた。
年齢は卯月と同じ、十七歳。
老若男女を問わず、誰からも親しみを持たれる可憐な少女だった。
そして何より、彼女がとんな時でも絶やさない朗らかな笑顔には、春の陽だまりのような温かさがあった。
そう、卯月のように――――――
そんな少女の身に悲劇が起こったのは、ある年の秋のことだった。
キノコ狩りのために山に入った少女は、誤って本来食してはいけないキノコを採取してしまった。
その晩、件のキノコを食した少女の身に、異変が起こった。
キノコを食してしばらく経った時……少女は、突如として笑い始めたのだ。
笑いは一晩中笑っても止まることはなく、少女の顔には本人の望まない笑みが張り付いたままとなってしまった。
少女が食してしまったキノコの正体は、『ワライタケ』。
その名の通り、食した人間は幻覚に侵され、笑いが止まらなくなる毒キノコである。
とはいえ、笑いが止まらなくなるのは長くても半日程度の毒性である。
だが、少女が食べたのはただのワライタケではなかった。
山に暮らす妖怪の発する妖力を吸収して成長した、『妖怪キノコ』だったのだ。
妖力によって強化された毒は、少女を絶対に抜け出すことのできない……笑いの無間地獄へと陥れた。
それ以降、少女は自身の望まぬままに、笑い続けた。
晴れの日も、雨の日も、嵐の日も――
友人が大八車の事故に遭って怪我をした時も――
隣の村で水害が起こり、多くの人が亡くなった時も――
両親をはじめ、親類縁者が亡くなった時も――
笑い続ける少女を気味悪がり、多くの人が遠ざかった時も――
本当は悲しいのに、泣くことができない。
できることは、ただ只管に、笑い続けることのみ。
そうして笑い続けた少女に齎されたのは、周囲の蔑みと、その末の孤独。
どうしてこのようなことになってしまったのか……?
止まらない笑いの中で、少女は幾度も考えたが……結局、答えは出なかった。
そうして己の身に起きた不幸を内心で嘆きながら、来る日も来る日も笑い続けていく中……いつしか百年以上の月日が流れ、一匹の“妖怪”が生まれた。
白い靄とともに現れ、不気味な笑い声を響かせる、少女の姿をした妖怪。
人はその妖怪を“笑い女”と呼んだ。
そうして妖怪として生まれ変わった少女は、妖怪が妖怪たる所以である……己の中にある欲求を満たすために動き出した。
それは――――――
「しまむー?」
「っ!?」
未央の呼びかけによって、呆然として立ち尽くしていた卯月が、正気を取り戻した。
笑い女に奪われた感情が戻ったのと同時に、頭の中が真っ白に染まり、卯月の頭の中には自身の記憶には無い……見知らぬ光景が流れ出した。笑顔が似合う少女が、思わぬ悲劇に見舞われ、深い悲しみを抱えながら、意に添わぬ笑顔を浮かべ続ける苦痛……。何もかもが、幻などではなく……現実に起きたこととしか思えないものだった。
しかし、これが現実に起こったことならば、一体、誰の記憶なのか――
「……行かなくちゃ」
「ちょっ……卯月!?」
そこまで考えた卯月は、誰にでもなく呟くと、走り出した。戸惑う凛や未央を無視して、卯月は真っ直ぐ、廃屋群の……その向こうにある、炎上している廃工場を目指して走り出した。
「とうとう見つけたぞ……笑い女!」
笑い女の本体たる巨大キノコの巣窟と化していた廃工場の炎上から十数分後。鬼太郎達は廃工場から飛び散る火の粉と、笑い女からの逆襲に警戒しながら探索を進め、遂に逃げ延びた本体の一部を見つけ出した。
「アッハ、ハッ、ハッ、ハハッ……ハッ……」
鬼太郎達の目の間には、地面に仰向けの状態で横たわる着物姿の女性の姿があった。顔には相変わらず不気味な笑顔が浮かんでいるものの、その笑い声は息絶え絶えであり、見るからに瀕死の状態だった。
「やはり、本体の巨大キノコを燃やし尽くされたのが大きかったようじゃのう。妖力も先程までとはまるで比べ物にならん程に弱くなっておるわい」
「依り代となるキノコも、この個体の核となっている分だけでしょう。これならば、焼き尽くす必要も無いでしょう」
最早、笑い女の命は風前の灯。その命を完全に断ち切るべく、鬼太郎は右手の人差し指と親指を立てて、拳銃のように構えた。鬼太郎の最大の必殺技、指鉄砲の構えである。
「鬼太郎さん……本当に、駄目?」
「輝子ちゃん?」
笑い女に止めを刺そうとしていた鬼太郎に対し、輝子が遠慮がちに声を掛ける。恐らく、弱り切った笑い女に同情しているのだろう。妖怪の正体がキノコだったのも手伝っているのだろう。
「悪いが、笑い女を放置しておくわけにはいかない。それに、笑い女は見ての通り虫の息だ」
だから、ここで終わらせてやることは笑い女にとっての救いでもあるのだと、鬼太郎は言外に言った。鬼太郎の言い分には、笑い女を擁護しつづけていた輝子は勿論、傍で聞いていた美穂も小梅も反論できなかった。アイドル三人が黙ったことを確認した鬼太郎は、再び笑い女へと拳銃の形にした右手を構える。
「これで終わりだ。指鉄っ――」
「待ってください!」
笑い女に指鉄砲を放とうとしていた鬼太郎に、再び待ったをかけた声が掛けられる。その鬼気迫る声に、鬼太郎は指先に集中させていた妖力を霧散させてしまう。声のした方を向くと、そこには卯月の姿があった。急いで走ってきたためか、かなり息が上がっていた。その後ろからは、凛、未央、響子が追い掛けてきていた。
「卯月ちゃん……!」
「よかった……元に戻ったんだ」
笑い女に感情を奪われて能面のようだった卯月の表情は、美穂や小梅が知る、人間らしいそれに戻っていた。
「笑い女さんを……許してあげてください!」
「卯月!?」
卯月が口にした懇願に、凛をはじめとした面々は目を見開いて驚いた。笑い女は、卯月から笑顔を奪った張本人である。そんな笑い女を庇おうとしている卯月の考えが、凛をはじめとしたアイドル達には理解できなかった。
「どうしてこんな奴庇うの!?こいつの所為で、しまむーはあんな目に遭って……!しかも、こんなになっても、まだ笑ってるし……!」
地面に仰向けに倒れた状態の笑い女を憎々し気に睨みつけながら、未央が吐き捨てるように言った。親友を酷い目に遭わせておきながら、今なお不気味な笑顔を顔に貼り付け、か細くはあるが笑い声を上げ続けている笑い女は、未央や凛にとっては非常に許し難い存在だった。
だが、卯月はそんなアイドル達の制止を無視して、地面に横になっている笑い女のもとへと歩み寄り、地面に膝をつくと笑い女の顔に手を添えてぽつりぽつりと話し始めた。
「笑い女さんは、笑ってなんていません……本当は、泣いているんです」
「……どういうことだ?」
笑い女とは、その名の通り、笑い声を上げる妖怪の筈。それが、笑っておらず……それどころか、泣いているとはどういうことなのか。鬼太郎は勿論、その場にいた誰もが卯月の言っていることを理解できずにいた。
「私、見たんです。笑い女さんの身に、何が起きたのかを……」
そこから卯月は、自身に感情が戻るとともに見た光景について説明した。とある笑顔が似合う町娘の身に起こった悲劇と……それを皮切りに、喜怒哀楽の喜びをはじめとした感情が希薄化していき……本当の笑顔を失ってしまったこと。そしてその末に、『笑い女』という妖怪が生まれた、その経緯を……
「成程のう……恐らくその少女が食べたのは、妖気を宿した『妖怪キノコ』だったのじゃろう」
「つまり、妖怪キノコを食べたことで、笑い女という妖怪が生まれたということですか?」
「その通りじゃ。それが分かれば、卯月ちゃんの言うことも理解できる。笑い女は、笑い続けた末に失った笑顔……つまりは楽しい、嬉しいという感情を取り戻すために、卯月ちゃんを襲ったのじゃろう」
「それじゃあ、私が聞いた、怒っていた声と、悲しんでいた声は……」
「笑い女の本音だったのじゃろう。キノコと心を通わせた輝子ちゃんには、その本音が聞こえていたのじゃ」
卯月の説明に、目玉おやじと鬼太郎は一連の出来事に得心した様子だった。さらに、今まで笑い女に対して怒り心頭だった凛や未央をはじめとしたアイドル達も同情を禁じ得なかった。
「笑い女さん……ごめんなさい。あなたがどんなに苦しい思いをしてきたかを知ったのに……私には、何もできません……!本当に……ごめんなさい!」
仰向けに倒れて力なく笑い続ける笑い女に対し、涙ながらに謝罪を口にする卯月。
そんな卯月の頭の中には、アイドルになってから間もない頃の記憶が蘇っていた。以前、卯月が所属していた346プロダクションのシンデレラプロジェクトが、海外から帰国した常務の下した決定により、他のプロジェクトともども解散に追い込まれたことがあった。この危機を脱するため、同期のアイドル達は次々に己の個性と可能性を伸ばし、アイドルとして成長していったが……卯月だけは、自信の個性である“笑顔”に自信が持てず、スランプに陥ってしまったのだ。最終的には、自分の可能性を信じて前へ進むことを決意し、アイドルとしての障害を乗り越えることができたが、あの時の卯月は、間違いなく己の個性たる“笑顔”を失っていた。
経緯こそ違うが、笑顔を失ったことのある者として、卯月には笑い女の気持ちが痛い程分かったのだ。そして、笑い女の痛みを理解しながら、その苦しみを取り除くことができない自身の無力感に、卯月はただ涙を流すことしかできなかった。
「………………」
そんな卯月に、笑い女は静かに頭を動かし、その顔を卯月へと向けた。そして、貼り付けられたような不気味な笑顔は徐々に和らいでいき……人間的な、自然な笑みとなっていった。
そして――
「――えっ?」
次の瞬間、笑い女の身体が金色の光に包まれていく。そして、砂のような無数の粒子となって霧散していった。それは、笑い女の武器たるキノコの胞子を彷彿させるものだったが、危険な気配は感じさせない、笑い女が最後に見せた笑みのように穏やかな光だった。
「あっ……!」
光が完全に消え去った後の地面を見た卯月が、驚きの声を上げる。そこには、一本の白いキノコがあった。笑い女誕生の発端となった、『ワライタケ』である。
「笑い女のキノコ、じゃな。卯月ちゃんの優しさと、笑い女の心を救ったのじゃ」
「笑い女さん……!」
「妖気は微かに感じられますが……笑い女だった時のそれとは、比べ物にならないくらいに弱くなっています」
卯月の目の前にあるキノコは、最早、笑い女の残滓に過ぎず、人間を害する程の力も意思も持っていないらしい。しかし、また笑い女になる可能性がある以上、放置しておくのも危険かもしれない。鬼太郎はそう考えたのだが……
「鬼太郎さん、卯月ちゃん……このキノコ、私がもらっていい?」
「輝子ちゃん!?」
誰もが沈黙する中、キノコの引き取りを名乗り出たのは、輝子だった。誰もが唖然とする中、輝子は自身の主張を続ける。
「私なら、この子のお世話をちゃんとできる。それに、二度と悪さもさせないから……」
キノコ栽培を趣味としており、キノコを親友と呼び、心を通わせる輝子である。笑い女の成れの果てであるキノコを任せるとすれば、最適な人間だろう。とはいえ、キノコと対話できる以外の能力は一般人と変わらない輝子に、普通とは呼べないキノコを預けるのはいかがなものかと、鬼太郎親子は逡巡する。
「私からもお願いします」
「卯月ちゃん?」
そんな中、輝子の提案を後押ししたのは、卯月だった。笑い女のキノコの引き渡しを渋る鬼太郎達に、頭を下げてまで懇願する。
「笑い女さんは、もう悪いことはしません。輝子ちゃんに任せてあげれば、絶対に大丈夫です。だから、お願いします」
「私からも……お願いします。」
「わ、私からもお願いします!」
再度頭を下げる卯月。それに次いで、小梅と美穂もそれに続く。妖怪の事情に詳しくない凛、未央、響子の三人は、判断に困った様子で口を挟めずにいた。そして、目玉おやじの判断は……
「フム……良いじゃろう。輝子ちゃんにそのキノコを託そう」
暫しの思考の末、輝子の笑い女のキノコ引き取りを認めた。目玉おやじに判断を委ねていた鬼太郎は、確認するように問い掛けた。
「……大丈夫でしょうか、父さん」
「さっきも言ったが、笑い女の魂は卯月ちゃんに救われた。妖怪となって悪事をするようなことは二度とあるまい。それに、輝子ちゃんならば、笑い女のキノコを無下に扱うこともせぬから、大丈夫じゃろう」
笑い女のキノコに危険性が無いことは、鬼太郎も妖怪アンテナで確認している。それに、輝子が適任であることは、今回の作戦の功績からも明らかである。
「そういうわけじゃから、笑い女のキノコは輝子ちゃんに任せるとしよう。小梅ちゃんも、気にかけてあげてくれるかの?」
「うん……分かった」
こうして、夜遅くに行われた笑い女の討伐作戦は終了した。ちなみに、この騒動で廃工場一棟が粉塵爆発を起こして炎上してしまったものの、他の建物への延焼には至らず、駆け付けた消防によってすぐさま鎮火された。現場にいたアイドル達は、一反もめんに乗せられて脱出したお陰でマスコミ等に目撃されることは無かった。
「島村さん。そろそろ出番ですよ!」
「はい!今行きます!」
笑い女討伐作戦から数日後。卯月の所属ユニット『ピンクチェックスクール』のライブは、予定通りに開催されていた。舞台袖では、メンバーの卯月、美穂、響子の三人がステージ衣装姿でライブ開始を今か今かと期待に胸を高鳴らせながら待っていた。
「卯月ちゃん……なんか、いつもより楽しそうだね?」
「うん。美穂ちゃんの言う通り……生き生きしてるっていうのかな?」
そんなピンクチェックスクール三人の中で、今日最もやる気に満ちているのは、卯月だった。確かに卯月は、真面目でアイドル活動に対して人一倍熱心な性格ではあるが、それでもいつにも増して意欲と活気を滾らせているように美穂と響子には見えた。
「私、笑顔って……笑うなんてこと、特技でもなんでもなくて、誰にでもできることだって思ってたんです」
美穂と響子の呟きが聞こえていたのか、卯月は自身の心情を語り始めた。
「けど、この間の一件で、分かったんです。笑顔になれるのは、当たり前のことなんかじゃくて……それ自体が幸せなことなんだって」
「卯月ちゃん……」
「だから私は、伝えたいんです。笑顔でいられることの喜びを……それで、皆も心から笑顔になれるように」
その言葉を聞いて、美穂と響子は得心した。見慣れた筈の卯月の個性である笑顔が、どうしていつもより眩しく見えたのかを……
「二人とも、行こう!ステージが始まるよ!」
「うん!」
「そうだね!」
卯月を先頭に、三人揃ってステージへと駆け出していく。ライブに訪れてくれた、多くの人々に笑顔を届けるために――――――
「卯月ちゃん、元気になって本当に良かった……」
「ウム。笑い女の影響は、微塵も残っておらんようで何よりじゃ」
「そうですね、父さん」
ステージに立つピンクチェックスクールの三人――その中心に立つ卯月を見て、小梅、目玉おやじ、鬼太郎の三人はそう呟いた。小梅の隣には、輝子、未央、凛の姿もある。
目玉おやじを含めた六人は、笑い女の一件から卯月が無事に回復したことを確かめるために、このライブ会場を訪れ、最後部の観客席からその様子を眺めていた。
「本当に良かったよ、しまむー……」
「やっぱり卯月には、あの笑顔が無いと……」
卯月の『ピンクチェックスクール』とは別の所属ユニット『ニュージェネレーション』のメンバーである未央と凛もまた、卯月が無事に笑顔を取り戻すことができた姿を見て安心していた。そして、その笑顔を見たアイドル達には、今ステージの上に立っている美穂と響子同様、いつも以上に輝いているように思えた。
「フヒ……笑い女さん。卯月ちゃんは……素敵な笑顔だよ」
その手に抱いたキノコの鉢に向けて、輝子はそう語り掛けた。その鉢に生えたキノコ――笑い女のワライタケは、輝子の言葉と、笑顔の大切さを再認識したことで一層の輝きを増した、卯月の咲き誇る花のような笑顔を前に、嬉しそうに震えていた。その傘からは、ステージ上に立つ卯月のように、キラキラと光る胞子が舞っていた。