せっかくなので、誕生日投稿にしてみました。
ゲゲマスの加蓮編は、これにて完結です。
かなり長くなってしまいましたが、呼んでいただければ幸いです。
また、後書きにて読者の皆さんにお知らせがございますので、そちらもお読みください。
(……何をやっているんだ、私は……)
壁に激突した衝撃と、腹部からの大量の出血によって朦朧とする意識の中で山井が感じていたのは、今しがた自分が取った行動に対する疑問だった。自分自身でも、何故あのようなことをしたのか、理解ができない。
疫病神の使命は、人口を適正な数にコントロールすることにある。そして、その障害となるものは、人間であろうと妖怪であろうと排除しなければならない。にも関わらず、山井はあの時、疱瘡婆が人質と称して捕らえた加蓮を前に、為す術が無かった。
疫病神にとっての人間の命とは、和人して管理すべきものであり、全てが等価値なのだ。性別、年齢、職業、国籍、身分……あらゆるものが、疫病神の価値観の前では意味を為さない。無論、疫病神としての使命を果たす上では、多少考慮すべき場合もある。しかし、特別視すべき個というものは、存在しなかった。
(北条……加蓮……)
そんな疫病神たる山井が、使命より優先させた……させてしまったのが今腕の中で気を失っている少女――北条加蓮だった。先程、疱瘡婆の猛烈な突進を食らい、腹部を貫かれた山井諸共に吹き飛ばされた加蓮だったが、その身体に傷は無かった。疱瘡婆が接触する間際、咄嗟に山井が庇ったお陰で、怪我を負わずに済んだのだ。
つまり、山井は加蓮を守ったということになる。しかし、山井自身、何故ここまでして加蓮を守ろうとしているのか、その理由が分からない。思い返してみれば、自分は医師として患者だったこの少女と出会って以来、何かが変わってしまっていたと、山井は思う。
だが、本当に分からない……
彼女の何が自分を変えたのか?
彼女のどこにそんな力があるのか?
彼女が他の人間と何が違うのか?
彼女は、自分にとっての何なのか?――――――
この期に及んでも、山井には全く理解できなかった。流血と共に意識が遠のいていく中、疑問だけが増え続けていく。自身をその角で刺し貫いた疱瘡婆が立ち去り、足跡が遠ざかっていくが、そんなことは既に意識の片隅へと追いやられていた。
重傷を負い、妖怪として肉体の死の危機に瀕した疫病神・山井の脳裏に浮かんだのは、使命云々のことではなく……今自身が抱いている少女のことだけ。もうすぐ肉体は消滅し、魂のみの存在に帰す山井だが、いくら考えても応えは出そうになかった。
だが、そんな時だった。
しっかりして!しっかりして!
自身に対して、意識を保つように呼び掛ける声が聞こえた。しかし、聞き覚えの無い声だった。少女の声のようだが、主治医として聞き知った加蓮の声でも、連れ立って病院を訪れた凛と奈緒の声でもない。それに、人間の声の筈が、生身の人間が放つ声のようには聞こえない……奇妙な声だった。
そもそも、疱瘡婆が襲撃を仕掛けてきたこの場所は病院の外であり、看護士は勿論、警備員も滅多に通らない。消灯時間である以上、入院患者が来ることもあり得ない。
「しっかりするんじゃ、疫病神!」
本当に、一体誰が呼び掛けているのだろうと疑問に思う山井だったが、次いで聞こえてきた声に思考が中断された。こちらはつい最近聞き知った、鬼太郎の父親、目玉おやじの声だった。恐らく、疱瘡婆が鬼太郎に瘴気を浴びせる間際、上手く脱出させたのだろう。目撃者を含め、現場にいた者全てを始末したつもりの疱瘡婆だったが、目玉おやじの存在を見逃してしまっていたらしい。
目を覚ませとしきりに訴えかける謎の声と目玉おやじだが、山井の意識はそれに反して薄れゆくばかり。最早消滅を待つばかりの身の山井は、指一本動かすことも叶わない。
(疫病神としての職責も果たせず終わる、か……)
疱瘡婆の野望を止めること叶わず、疫病神のコミュニティーとしての活動に多大な支障を来す失態を犯してしまった。疫病神としては、完全に失格だろう。山井は別段、疫病神であることに誇りを持っていたわけでもなく、使命を果たすことに存在意義を感じていたわけでもなかった。
しかし、目の前の……自身の腕の中で気を失って眠る加蓮の姿を見て、迷いが生じた。本当に、これで良いのか、と。
疱瘡婆を放置すれば、大勢の人間が天然痘に侵され……この少女も、死に至る。疱瘡婆の暴走の果てにある光景を考えた時、何故この少女の死が真っ先に思い浮かぶのかは、やはり分からない。しかし、そんな未来図を良しとしない自分がいることだけは、山井にも分かった。ならば……
「――――――だ。そこに――――――」
死を前にした最後の抵抗として、今この場にいる人間に対して、この状況を打開できるかもしれない情報を残すことにした。それが、疫病神の使命として疱瘡婆の野望を成し遂げさせないための抵抗なのか、それとも別の……自身が気にかけた加蓮に由来するものなのかは分からない。
そうして、尽きない疑問を抱いたまま、山井は目を閉じた。最期の時に、一人の人間の少女の行く末を案じるという、疫病神にあるまじき想いを抱いていたことに、全く気付かないまま――――――
病院の裏手で鬼太郎や疫病神を倒した疱瘡婆は、病院の屋上へと移動していた。広い屋上に立った疱瘡婆は、直立する牛のような妖怪としての姿のまま、宙に向けて両手の蹄を翳していた。蹄の先からは多大な妖力が放出されており、その先には直径十メートル以上の巨大な球体が、月光を反射して毒々しい紫色の光を放っていた。
「さて……そろそろ良いかな?」
疱瘡婆が作り出しているこの球体は、瘴気の塊である。破裂させたら最後、この病院は瘴気に包まれ、入院している患者、看護士をはじめ、建物の中にいる人間全員がウイルスに感染し、即座に新型天然痘を発症する“死の風船”とも呼ぶべき危険なものなのだ。
「この病院だけでも、入院患者は数百人……その全てが、私の食糧となる!」
入院患者全てを食らえば、さらに強大な妖力を得ることができる。さらに言えば、この阿波田大学付属病院は、都内屈指の医療施設を持つ大病院である。ここが天然痘で使用不能に陥れば、新型天然痘の感染拡大対策は大幅に遅れることは間違いない。無論、山井以外の疫病神達も、感染拡大を阻止するために動くだろう。しかしそれよりも、疱瘡婆の妖力が増す方が早い。疫病神達が疱瘡婆を始末しに動き出す頃には、疱瘡婆の妖力は疫病神では手に負えない程に強大化していることは間違いない。
「頃合いだな……さあ、数百年ぶりの
数百年の時を超えて復活した天然痘の再来を祝福するかのように腕を大きく広げ、高らかに大感染の始まりを宣言する疱瘡婆。それと同時に、頭上に浮かぶウイルスを満載した球体が、より大きく膨らんだ。そして、死の風船が、いよいよ破裂しようとした……その時だった。
「む……あれは!」
天然痘ウイルスに満ちた球体へ、黄色と黒の縞模様をした布状の何かが、突如飛来した。それは、破裂寸前だった球体を、一寸の隙間も無い程に一瞬にして包み込んだ。球体はそのまま、布の中で膨張・破裂したが、天然痘のウイルスが溢れ出ることは無かった。それどころか、黄色と黒の縞模様の布はそのまま収縮していった
「馬鹿な!?」
驚愕する疱瘡婆の視線の先では、風呂敷ほどの大きさにまで小さくなり、一枚の布……否、ちゃんちゃんこへと戻った。ちゃんちゃんこはそのまま疱瘡婆の頭上を飛び、後方へと向かっていく。疱瘡婆が目で追うようにして振り返ったその先には、信じられない光景があった。
「残念だったな、疱瘡婆!」
「ゲゲゲの鬼太郎だと!?何故ここに……!」
そこにいたのは、白い布状の妖怪、一反もめんに乗った、ゲゲゲの鬼太郎がいた。数十分前に瘴気を食らわせて天然痘を発症させた筈の相手が突如現れたことに対し、驚愕に目を剥く疱瘡婆。鬼太郎の様子を見る限り、肌に丘疹は無く、天然痘は完治しているようだ。一体、どうやって治療したのかと考え……その答えはすぐに出た。
「疫病神が隠していた特効薬を使ったか……!だが、一体誰が、どうやって……」
天然痘を治療した方法は、それ以外には考えられない。突進による角の刺突で致命傷を負わせた疫病神だったが、まだ息があったのだろう。そこへ鬼太郎の仲間が駆け付け、特効薬の隠し場所を聞き出したとすれば、鬼太郎が復活できたことも説明がつく。
だが、疑問もある。駐車場で鬼太郎と疫病神を始末した――とその時には思っていた――際に、連れ立っていたアイドルをはじめ、目撃者の口も全て塞いだ筈。鬼太郎と疫病神のやりとりを監視していた際に、他に通り掛かりの目撃者がいなかったことは確認済みである。一体、誰があの場所にいたのか……その正体について思考を走らせた時、一反もめんの背中に乗る、鬼太郎以外の影に気付いた。
鬼太郎の後ろには、二人の人影があった。一人は鬼太郎の仲間の妖怪のねこ娘、そしてもう一人は、人間の子供だった。だが、その子供の顔には、疱瘡婆は見覚えがあった。
「貴様は……今日、病院で私を尾行していた、あの小娘!」
「気付いたようだな。そうだ。お前が今日、病院で襲った少女、小梅だ」
「馬鹿な……その娘は、天然痘を発症して隔離病棟に入れられて、意識不明の状態の筈……!」
小梅には、転院予定の患者を新型天然痘ウイルスのキャリアにしていたところを目撃されたため、その口封じとして天然痘を罹患させて隔離病棟送りにした。しかし、一反もめんの背に乗る小梅の顔には丘疹は無く、天然痘の症状は見受けられなかった。
「その通りだ。小梅は今も、この病院の隔離病棟に入院している。ここにいる小梅は、肉体の無い、魂だけの存在だ」
「……何?」
鬼太郎の説明が終わるのと同時に、一反もめんの背に乗っていた小梅が、屋上へと飛び降りてきた。いきなりの小梅の行動に、疱瘡婆は再度驚いた様子で一つしかない目を見開く。一反もめんが飛行している場所は、屋上の床から高さ五メートル以上ある。生身の人間がマットも無い、コンクリートの床に飛び降りれば、着地の衝撃で怪我は免れない。
だが、小梅の身体が地面に触れようとしたその時……その身体は地面にぶつかることなく、ふわりと宙に浮かび上がった。そしてそのまま、小梅の身体は空中に浮遊し始めたのだ。
「これは……まさか、幽体!?」
「目撃者の小梅を天然痘で口封じして安心したつもりだったようだが、相手が悪かったな」
「小梅ちゃんは、確かに貴様が噴きかけたウイルスによって、天然痘を発症した。じゃが、天然痘に罹患して生死の境を彷徨った小梅ちゃんは、その魂を身体から切り離して、幽体となって動けるようになった。これぞ、幽霊族の秘術『幽体離脱の術』じゃ」
生死の境を彷徨う中で、『幽体離脱の術』の発動に成功した小梅は、病院内における疱瘡婆の陰謀を鬼太郎へ伝えるべく、病院内を飛び回った。しかし、術の発動に成功したのは日が暮れた頃で、幽体を動かすことに慣れていなかった小梅は、鬼太郎を探すのに大いに手古摺り、疱瘡婆の妖力を察知して駐車場へ駆け付けた時には、全てが手遅れとなっていた。
しかし、現場にいて無事だった目玉おやじから事情を聞き、瀕死の状態だった山井から、新型天然痘の特効薬の隠し場所を聞いた小梅は、今度はゲゲゲの森へと仲間の応援を呼びに向かった。『幽体離脱の術』は、使い方を極めれば、音や光を超える速度で幽体を移動させることができるのだ。短期間の内に幽体の使い方のコツを掴み、目玉おやじから手短に手解きを受けた小梅は、持ち前の霊感でゲゲゲの森にいるねこ娘達の妖力を感知し、一気に移動したのだった。そして、病院に駆け付けたねこ娘が、院内に隠されている特効薬を見つけ出し、鬼太郎に注射して全快に至ったのだった。
「成程……その小娘が伏兵だったとは、私も油断したようだな」
「天然痘は、一度治癒すれば、抵抗力がつく。お前の新型天然痘ウイルスは、もう僕には通用しないぞ」
「ついでにあたしも、特効薬と一緒に保管されていたワクチンを打ったから、天然痘には罹らないわ」
特効薬もワクチンも、摂取して効くような代物ではないが、それは人間の場合の話。妖怪ならば、摂取してから即座に治癒し、抵抗力を得ることができるのだ。
「おのれ……!」
一反もめんの背中から降り、屋上に降り立つ鬼太郎とねこ娘を忌々し気に睨みつける疱瘡婆。計画を実行する上で最大の障害となり得る鬼太郎が、必殺のウイルスに対して耐性を持った状態で現れたのだから、無理も無い。
「こうなったら、貴様らから始末してくれる!」
疫病神のウイルスを奪って自己強化を果たした疱瘡婆は、他の疫病神の追っ手が来る前に、更なる強化を果たさなければならない。である以上、邪魔をする鬼太郎とねこ娘の二人を排除しようとするのは当然のことだった。
「行くぞ、疱瘡婆!」
全身に妖気を漲らせ、鬼太郎とねこ娘と相対する疱瘡婆。疫病神が開発した新型天然痘ウイルスを取り込んだことで、相当に能力が強化しているのだろう。先程まで、天然痘ウイルスを内包した巨大球体を作って幾分かは消耗しているとは思えない程に、凄まじい妖力だった。天然痘ウイルスが効かなくなったとはいえ、鬼太郎もねこ娘も油断はできないと肌で感じていた。
「燃え尽きろ!」
鬼太郎とねこ娘が身構える中、疱瘡婆の妖力が腰の髑髏へ集中する。それと同時に、瘴気を放っていた髑髏の口の部分から、青白い炎が噴き出した。
「避けろ!」
「分かってる!」
疱瘡婆の火炎攻撃に対し、鬼太郎とねこ娘は左右に分かれて回避する。疱瘡婆はどちらを狙うべきかと逡巡するが、即座に鬼太郎を標的に定めた。
「逃がさん!」
「後ろががら空きよ!」
鬼太郎に対する火炎攻撃を続行しようとする疱瘡婆の無防備な背中を、ねこ娘の爪が強襲する。だが、ねこ娘が作った裂傷は即座に塞がってしまった。
「嘗めるなぁっ!」
「くぅっ……!」
後ろを振り返った疱瘡婆は、三メートルの巨体からは考えられないような身軽さ、敏捷性でねこ娘へと飛び掛かり、右手の蹄を叩き付けた。素早く反応してこれを避けたねこ娘だったが、疱瘡婆が蹄を叩き付けたコンクリートの地面は、まるで豆腐のように抉れていた。まともに食らえば、即死もあり得る一撃だった。
「僕を忘れるな!髪の毛針!」
「ぬぅんっ……!」
今度は鬼太郎が疱瘡婆の背中に髪の毛針を放つ。しかし、疱瘡婆が全身に妖力を漲らせた途端、その尽くは疱瘡婆の身体に刺さることなく、弾かれて地面に落ちていった。
「なんて硬さだ……まるで鋼だ」
「再生能力も半端ないわよ。このままじゃ、打つ手無しね」
特効薬とワクチンで天然痘ウイルスを無効化することに成功した鬼太郎とねこ娘だったが、疫病神が開発した新型天然痘ウイルスは、疱瘡婆の戦闘能力を桁外れに向上させていたらしい。妖怪の中でも屈指の戦闘能力を持つ鬼太郎とねこ娘が二人掛かりでも傷一つ負わせることが叶わないことからも、それは明らかだった。
そんな攻めあぐねている二人を見下ろし、疱瘡婆はほくそ笑む。
「天然痘を克服した程度で、この私を倒せるとでも思ったか?貴様等程度では、私を倒すことなどできはせんよ」
「得意気に言ってるけど、疫病神からくすねてドーピングしただけの力でしょうが」
「それでよく、そこまで我が物顔でいられるものだ。呆れ果てて言葉も無いな」
圧倒的な優位を確信して勝ち誇った態度の疱瘡婆に対して向ける鬼太郎とねこ娘の視線は、どこまでも冷ややかなものだった。疫病神のウイルスを盗み出したお陰で、確かに凄まじい力を手に入れはしたが、それを自身が本来持つ力として行使している様は、鬼太郎達から見て滑稽にすら見えた。
「どうとでも言え。この病院の患者全員を天然痘で病死させ、その死体を食らえば、どの道誰も私を止められはせぬ。そのためにも、邪魔な貴様等には死んでもらうぞ!」
再度の抹殺宣言とともに、疱瘡婆は地面に両手を着き、頭部の角を前面に向ける。山井に瀕死の重傷を負わせた時と同じ、猛牛のような突撃態勢である。
「くたばれ!」
猛スピードで鬼太郎目掛けて突撃してくる疱瘡婆に対し、鬼太郎は一反もめんに掴まって上空へ退避し、ねこ娘は疱瘡婆を誘導すべく、全速力で地面を駆けていく。疱瘡婆の突進力は凄まじく、物干し台をはじめとした、屋上にあるあらゆる物を薙ぎ倒しながらねこ娘へと迫っていく。このままでは追い付かれるのも時間の問題とされる中、ねこ娘が目指したのは、屋上の端に設置された高置水槽だった。
「ニャァッ!」
高置水槽の下へ辿り着くや否や、架台を一気に上るねこ娘。一方、それを追い掛けていた疱瘡婆は架台へと突っ込み、鉄骨を拉げさせた。
「逃がすか!」
突進を止めた疱瘡婆は、今度はねこ娘が退避した、頭上の高置水槽目掛けて垂直に勢いよく跳んだ。疱瘡婆の鋭い角は高置水槽を容易く貫通、高置水槽を大破させた。
しかし、ねこ娘は先程の鬼太郎と同様に一反もめんに掴まることで、既に高置水槽から脱出しており、疱瘡婆の一撃は高置水槽を破壊するに止まった。そして、疱瘡婆が地面に着地すると同時に、高置水槽に蓄えられていた大量の水とタンクの破片もまた、地面に落ちた。しかし、地面に落ちたのは水とタンクの破片だけではない。それらが地面を打つ音に紛れて、下駄のカランコロンという音が響く。
「鬼太郎、貴様……!」
「体内電気!!」
「ぐ、ぎゃぁぁぁあああああ!!」
疱瘡婆が鬼太郎の姿を視認するよりも早く、鬼太郎は、体内電気を放った。高置水槽の水を大量に被っていた疱瘡婆に対し、鬼太郎の体内電気は絶大な威力を発揮した。
「負け、る、かぁぁああ!!」
だが、疱瘡婆の執念はすさまじく、電撃によるダメージを受けながらも、鬼太郎に対して跳躍し、蹄の一撃を食らわせんと迫った。狙いも上手く定められていない、大振りの一撃だったため、後ろに跳んで危なげなく回避することに成功する鬼太郎。疱瘡婆は、先程の電撃による影響で全身から煙を立ち昇らせながらも、鬼太郎を憎々し気に睨みつけた。
「おのれぇっ……貴様だけは許さん!!」
「そうか。だが、お前の野望もここまでのようだぞ」
「何?」
「鬼太郎さん!!」
突然、何を言い出すのかと疑問に思う疱瘡婆の後ろで、屋上から階段に続く扉が開かれた。そこから現れたのは、この病院に入院していた鬼太郎の知り合いである少女、小日向美穂だった。病み上がりの身体に鞭打ち、全速力で走ってきたせいか、息も絶え絶えの様子だった。そしてその手には、小梅からの見舞いの品である、トマトジュースの入ったペットボトルを持っていた。
「これを!!」
扉を勢いよく開けて屋上へ飛び出し、鬼太郎と疱瘡婆の姿を確認するや、美穂はその方角目掛けて思い切り腕を振りかぶり、トマトジュースの入ったペットボトルを投げつけた。
「でかしたぞ、美穂ちゃん!鬼太郎、今じゃ!」
「霊毛ちゃんちゃんこ!!」
疱瘡婆の頭上に投げられたトマトジュース目掛けて、鬼太郎は槍の形へと変化させたちゃんちゃんこを投擲した。ちゃんちゃんこは空中でペットボトルを貫くと、中に入っていたトマトジュースを吸収し、黄色かった部分が、まるで血のように赤く染まっていった。
「ま、まさか……!!」
「ちゃんちゃんこ!疱瘡婆を捕らえろ!」
空中で真っ赤に染まるちゃんちゃんこを見た疱瘡婆は、ここに至って鬼太郎の意図を察するに至ったが、時すでに遅し。トマトジュースを吸収して赤く染まったちゃんちゃんこは、鬼太郎の意を受けて太くて長い綱のような形状に変化し、疱瘡婆の身体を縛り上げた。
「ぐぅうっ……ち、力が……抜けて、いく……!」
赤いちゃんちゃんこで縛られた疱瘡婆は、先程まで全身を満たしていた妖力が嘘のように衰え、立っているのもやっとな程に弱り果てていった。
「天然痘をばら撒く疫病神『疱瘡神』は、犬や赤いものを苦手とする。そして、疱瘡神がばら撒いた天然痘から生まれた妖怪である疱瘡婆、貴様もまた、同じ弱点をもっておるのじゃ」
『疱瘡神』とは、天然痘を専門として人間界に蔓延させる疫病神である。そして、疱瘡神には、先程目玉おやじが説明したように、犬や赤色を苦手とするという伝承がある。会津地方の赤べこや、飛騨地方のさるぼぼが赤いのも、天然痘除けを目的としているのだ。
そして、疱瘡神の妖力が宿った天然痘ウイルスによって病死した老婆が妖怪化したものが、疱瘡婆である。故に、疱瘡婆は疱瘡神の眷属であり、疱瘡神が弱点としている赤いものや犬は、疱瘡婆の弱点でもあった。
そこで目玉おやじは、疱瘡婆の動きを封じるための赤いものを探し、小梅を通して美穂にトマトジュースをこの場へ持ってくるよう頼み込んだのだ。そして、トマトジュースを吸収して真っ赤に染まったちゃんちゃんこで縛り上げられた疱瘡婆は急速に力を失い、完全に身動きが取れない状態にまで追い込まれたのだった。
「鬼太郎、奴に止めを刺すのじゃ!」
「はい、父さん!」
「ぐぅう……やめ、ろぉぉおっ……!」
抵抗しようとする疱瘡婆だが、鬼太郎が放った赤い霊毛ちゃんちゃんこに拘束された状態では、立っているのが精いっぱいで、この場から逃げることなど到底かなわない。そんな無防備な状態と化した疱瘡婆に対し、鬼太郎は右手の親指と人差し指を立て、拳銃のように構えた。標的に定めるのは、疱瘡婆の腰に着いた髑髏の飾りだった。
「お前の妖力の源が、疫病神の錫杖と同様、その髑髏だということは分かっている。これで終わらせてもらうぞ」
「お、のれぇええ……!」
「指鉄砲!!」
鬼太郎が妖力を集中させた人差し指から放たれた一条の閃光は、疱瘡婆の腰の髑髏を貫き、破壊する。途端、疱瘡婆の身体から堰を切ったかのように妖力が噴き出す。
「ぐぁぁああああああ!!」
凄まじい勢いで妖力が抜けるのとともに、疱瘡婆の断末魔がこだまする。そして、妖力の霧散に伴い、疱瘡婆の肉体もまたかき消えた。あとには紫色の火の玉が残り、揺らめくのみだった。
「……やっつけたの?」
「ウム。疱瘡婆はこれで倒された。疱瘡婆の手に掛かって天然痘に罹った患者達も、すぐに治癒するじゃろう」
ちなみに、あと少し遅ければ、天然痘は疱瘡婆の手を完全に離れ、収拾のつかない事態に陥っていたらしい。そんな目玉おやじの追加説明に、美穂は戦慄するとともに、脱力してへたりこんでしまった。虫垂炎で入院した先の病院で深夜寝ていたところに、幽霊と化した友人が現れたのみならず、いきなり妖怪同士の戦いに手を貸して欲しいと頼まれたのだ。分かったのは鬼太郎が人間のために戦っているということだけで、事情も詳しく分からないままに戦場へと連れてこられた美穂は、今になって自分が、人類の存亡を賭けたとんでもない戦いに巻き込まれていたというとんでもない事実を知らされ、頭がショートしてしまっていた。
「美穂ちゃん、大丈夫?」
魂が抜けたかのように動かなくなってしまった美穂を、魂だけの幽体になった小梅がゆすろうとするが、その手は美穂の身体をすり抜けるのみだった。
「それより、駐車場に続く道に置いてきた子達は大丈夫なの?」
「そうじゃった!鬼太郎、あの三人のもとへ行くのじゃ」
「はい、父さん。一反もめん、頼むぞ」
「あいよ~、コットン承知!」
病み上がりの身体で無理をして、この場へ救援に来てくれた美穂の体調も心配だが、そちらは小梅に任せることとし、鬼太郎達は病院の裏手の方で倒れている加蓮、凜、奈緒の三人のもとへ行くことにした。
「うぅ………………ここ、は……?」
まるで、絶叫マシーンに乗せられて散々振り回された後のように平衡感覚が不安定な状態で目が覚めた加蓮は、周囲を見回し、自身が置かれた状況を把握しようとした。目が覚めた当初は、周囲が暗闇であることに加え、焦点を上手く合わせることができなかったことでよく見えていなかったが、時間が経つにつれて視界は正常に戻っていった。平衡感覚もそれに伴って戻り、ふらふらとした足取りながら立ち上がることもできるようになった。
「あっ……凜!奈緒!」
周囲を見回す中でまず見つけたのは、病院の正門から駐車場へ続く道の上に倒れていた、友人二人の姿だった。ふらふらとした足取りのまま近づいた加蓮は、二人を揺さぶった。
「凛、凛!奈緒、奈緒!」
加蓮の呼び掛けに対し、二人とも目覚めることは無かったが、呼吸はしており、加蓮の声に反応する様子も見て取れた。疱瘡婆のウイルスを浴びて天然痘を発症し、体中に丘疹ができていたが、それも無くなっていた。どうやら、本当に意識を失っているだけらしい。そんな二人の、一応の無事を確かめた加蓮は、ほっと息を吐いて安堵していた。
「そうだ……鬼太郎は!?それに、山井先生!」
目の前の二人以外に、この場から姿を消してしまった人間……否、妖怪達の名前を呼ぶ加蓮だが、周囲からは何の反応も返ってこない。周囲を見回し、自分が二人のもとへ向かってやって来た方向を振り返ってみても、そこには蜘蛛の巣状の罅が入った壁があるのみだった。
「目が覚めていたのか」
自分が気絶していた間に何が起こったのかと混乱に陥っていた加蓮が振り向いた先にいたのは、鬼太郎だった。隣にはねこ娘、頭の上には目玉おやじの姿もある。
「鬼太郎……あの、私を人質にした妖怪は?」
「ついさっき退治したところだ。これで、天然痘のウイルス騒動も収まる筈だ」
「そう……それで、山井先生は?」
鬼太郎が無事な姿を見せた時点で、疱瘡婆が倒されたことは分かっていた。それよりも加蓮にとって気がかりだったのは、自身を庇って疱瘡婆に瀕死の重傷を負わされた山井である。壁に残された血痕からしても、相当の深手だったことは明らかである。
「……僕の仲間達がここへ到着した時にはいたんだが、どうやら僕達が疱瘡婆と戦っていた間に、この場から姿を消したらしい」
「そう……」
「あたしがここに来た時点でも、生きていたのが不思議なくらいの酷い状態だったわ。ここから自力で動けたのも不思議だけど、長くは持たないでしょうね……」
鬼太郎とねこ娘から事情を聞かされた加蓮の表情が暗くなる。二人ともはっきりとは言わないが、山井が受けたという致命傷の度合いからして、まず生きてはいられないだろうことは分かった。
「加蓮ちゃんは、あの疫病神のことが好きだったのかね?」
「……そうかもしれないね。私がアイドル始めたのも、あの人の影響だったからさ」
目玉おやじの問いに対して、加蓮は自分でも不思議に思うくらいに、淀み無く答えることができた。大切なものは、失ってみて初めて分かると言われている。山井の死という現実を前にしたことで心に去来している虚無感にも似た感覚も、それ故のものなのかもしれないと、加蓮は密かに考えていた。
「人間とは思えないぐらいに不愛想で思い遣りが無くて……何を言っても、表情ひとつ変えないんだもの。あの人が主治医でいる間に、どうすれば笑わせられるのかとか、怒らせられるのかとかばっかりを考えてた」
山井に対して抱いていた感情を、吐露する加蓮の表情からは、強い後悔の念が見て取れた。その目は、僅かに涙で潤んでいるようにも見えた。
「アイドルにスカウトされた時も、これであの人を驚かせられるんじゃないかとか、笑顔にできるんじゃないかって、そんなことを考えてた。そうやって、あの人に人間らしい反応をさせることができれば、私もただの患者っていうだけじゃなくて……もっと特別な存在だと、そう思ってもらえるんじゃないかって期待してたんだ」
結局、それが叶ったかどうかは分からないけどね、と力なく笑いながら口にする加蓮の表情から感じ取れるのは、やはり後悔だった。疱瘡婆と相対した時、山井は確かに加蓮を庇うような行動を取ったが、その真意を確かめることはできなかった。
「山井先生は、私を助けようとしてくれたように見えたけど……あの人、本当に何を考えているか分からない人だったから。だから……もしかしたら、私のしてきたことって、全部無駄だったんじゃないかって、そう思えちゃうんだよね」
山井が加蓮を庇った行動の裏には、疫病神の使命を果たす上で必要な、別の思惑があったかもしれない。だとするならば、加蓮は結局、山井の中では、これまで治療してきた数多くいた一人の患者のままで終わったのかもしれない。そう思うと、加蓮の中にはどうしてもやりきれない思いが渦巻いてしまう。
そんな加蓮に対して口を開いたのは、ねこ娘だった。
「そんなこと、無いんじゃないかしら?」
「ねこ娘?」
「どういうことじゃ?」
唐突に口を挟んだねこ娘の言葉に疑問を持った鬼太郎と目玉おやじが、その言葉を訝る。この件に関しては、小梅に呼ばれるまでは関わることが無かったねこ娘である。一体、何を知っているというのだろうか。
疑問に思う二人をよそに、ねこ娘はあるものを取り出して加蓮に見せた。
「これ、あなたでしょう?」
「これって……」
ねこ娘が加蓮に手渡したのは、一枚のCDだった。そのカバーには、ドレスで着飾った加蓮の姿があった。加蓮のソロデビュー曲『薄荷 -ハッカ-』のCDである。
「小梅から頼まれたのよ。全部終わったら、あなたに見せてくれって。ちなみにこれ、疫病神が天然痘のワクチンと特効薬を隠していた棚の中に、一緒に置かれていたものよ。他にも、そこで倒れている二人と一緒にあなたが写っているカバーのCDとかもあったわよ」
「山井先生……」
「こんなものを大事に隠してしまっていたのよ。あなたのことを何とも思っていなかった、なんてことは無いんじゃない?」
疫病神こと山井にとって、医師として患者を治療することは、使命と仕事の一環に過ぎず、それ以上の意味は無い。それは、加蓮自身が感じていたことだった。そしてそれは退院後も変わらず……むしろ、患者でなくなったことで、完全に関係は断たれたものとされ、入院していた時以上に疎遠になっていた。つまるところ、山井にとって加蓮は治療してきた数多くの患者の一人に過ぎず、特別な感情など無かった筈。その、筈だった。
しかし今、加蓮の目の前にはそれを否定するものが提示されている。アイドルのCDなどというものは、疫病神の使命には全く関係の無いもの。にも関わらず、そんなものを開発中のウイルスの特効薬とワクチンと一緒に、後生大事に保管していたということは……つまり、そういうことである。
「……なんだ。私の気持ち……しっかり、山井先生に届いていたんじゃない」
疱瘡婆に人質に取られていた加蓮を助けようとしたのも、疫病神としての使命云々ではなく……山井個人の感情で動いたのだったのだと、これで確信できた。そんな、山井が今まで自分に見せたことの無かった、心に秘めた想いを今になって理解した加蓮の目から、涙が溢れ……止まらなくなってしまった。加蓮の嗚咽とともに流れた涙は頬を伝い、雫となって、手に持ったCDケースの上へと落ちた。
「加蓮、次はあなたの番よ」
「うん……分かった」
346プロのライブ会場の舞台袖で、今しがたソロステージを終えた、加蓮と同じ『プロジェクトクローネ』に所属するアイドル、速水奏の言葉に対し、加蓮はしっかりと頷いた。これからソロステージに上がるというのに、緊張した様子は無く、非常に落ち着いており……それでいて、普段の加蓮には考えられない程の意思の強さを感じさせるその姿に、奏や他の舞台袖で待機していたアイドル達は、若干困惑していた。
「加蓮……何かあったん?」
「何というか……雰囲気が、いつもと違う気がします」
「一皮むけた、と表現すべきなのでしょうか?」
一月前くらいからだろうか。プロジェクトのメンバーである加蓮の身に起こった変化を、皆強く感じていた。具体的には、今回のライブに向けてのレッスンに対して、いつにも増して真剣に臨むようになったのだ。特にソロステージの『薄荷 -ハッカ-』へのこだわりは強く、一切の妥協を許さないとばかりに歌も振り付けも極限まで完成度を上げることに情熱を注いでいるようだった。
「う~ん……けど、何かを焦っているって感じじゃないよね?」
「ダー。カレン、とっても強い想い、持っていると思います。そういえば、リンとナオ、いつも一緒にいましたね?」
「なら、二人なら何か知っているかしら?」
ステージへ向かう加蓮の後姿を見送りながら、奏は凜と奈緒へと質問を投げ掛けた。倒れるのではないか、喉が枯れるのではないかと不安になる程にレッスンに熱中していた加蓮に寄り添い、ブレーキ役となっていたのは、凜と奈緒だった。奏の言葉により、皆の視線が凛と奈緒へと注がれる。当の二人は、質問が来ることがある程度予想できていたのか、気まずそうな表情で苦笑していた。
「そうだね……一応、加蓮があそこまで真剣になった理由は知っているけど……」
「本人のいないところで吹聴するのは、ちょっとな……」
それを聞いた一同は、加蓮のこのソロステージに対する真剣さの裏には、複雑な事情があるのだと察した。いつも加蓮に弄られている奈緒が、仕返しにバラそうとしないあたり、相当に深刻な事情であることが窺える。
これ以上は詮索してはいけない。加蓮の事情を知らない一同はそう考え、一様に口を閉ざした。しかし、そういった事情ほど、人は聞きたがるもの。事実、最年少のありすなどは、特に気になっている様子が窺えた。このままでは、後のステージに影響するかもしれない。そう考えた凛と奈緒は、溜息を一つ吐くと、端的な情報のみを伝えることにした。
「……まあ、アレだ。加蓮にも、自分のステージを見て欲しいって思う奴が、いるってことだ……」
「それって……!」
「お喋りはここまで。あとは、加蓮本人に聞いてね」
奈緒の遠回しなカミングアウトを聞いた一同は、その意味を理解するとともに驚きに目を見開く、口を押さえる、顔を赤くする等の反応を示す。唯一、アナスタシアだけは意味が分からず、首を傾げていたが……。
そうして皆が見守る中、加蓮のソロステージが始まるのだった――――――
(山井先生……今日も、見てくれているかな?)
ソロステージに上がり、暗闇に包まれた観客席に煌めくサイリウムの海を見渡す中、加蓮が気になったのは、かつての主治医のことだった。
先月の事件の後、山井が病院に残したものを、鬼太郎達とともに調べに行った。するとそこには、加蓮や加蓮が所属するユニットのCDや写真集以外にも、これまで加蓮が贈ってきたライブチケットの半券が一緒に保管されていた。加蓮に対して一切の返事を寄越さなかった山井だが、加蓮が贈ったチケットのライブは全て見に来てくれていたのだ。
もはやファンと呼ぶに十分なほど加蓮のことを強く意識しておきながら、全く関心の無い風を装い続けていた山井の真意は、加蓮にも分からない。本人に尋ねようにも、行方を晦ましてしまっている――最早生きているかも疑問視される――以上、それを確かめる術は加蓮には無かった。だが、いつも自分のことを見てくれていたというならば、きっと次のライブも見に来てくれる筈。そう思った加蓮はあの夜、鬼太郎達にチケットを託したのだった。あれから、山井は病院から姿を消したと聞かされたが、鬼太郎に渡したチケットがどうなったのかは分からない。
それでも加蓮は、あの口数が少なくて不愛想で、思い遣りの欠片も無い……それでいて、加蓮が誰よりも振り向かせたかったあの医師は、今日もこの場に来てくれていると、本気で信じていた。だからこそ、加蓮は精一杯この場所で歌うのだ。
病弱故に人並みの生活や夢も諦め、病室という殻に閉じ篭って朽ち果てる日を待つだけの日から救い出してくれたあの人のために――――――
自分にかけがえのない時間をくれた、神様のために――――――
「もう、帰るのか?」
加蓮のソロステージが終わって間もない時間帯。観客達の熱狂的な歓声が響き渡る会場の外で、ライブ会場とは反対の方向に歩いていく一人の黒コートを纏った男に、鬼太郎が問を投げ掛けていた。鬼太郎の隣には、小梅の姿もある。
そして、鬼太郎に話し掛けられた黒コートの男――疫病神の山井は、鬼太郎に背中を向けたまま口を開いた。
「もう用は済んだ。私がこれ以上、この場所にいる意味は無い」
「加蓮ちゃんには、会っていかないんですか?」
「必要無い」
せめて加蓮に会っていってほしいと頼もうとする小梅だが、山井は首を縦には振らなかった。
「会ったところで、話すことなど何も無い」
「……加蓮ちゃん、山井先生が生きていると知れば、きっと喜ぶんじゃないかな?」
「それは私の知ったことではない」
疱瘡婆を倒し、新型天然痘ウイルスによる一連の騒動に終止符を打ったその日。疱瘡婆の策略によって致命傷を負わされた山井は、小梅がゲゲゲの森から呼んできた砂かけ婆と子泣き爺の手により、恐山の妖怪病院へ連れられ、そこで治療を受けた。結果、奇跡的に一命をとりとめるに至ったのだった。
しかし、加蓮は山井の生存を知らないため、小梅は会うことを勧めていた。しかし、山井の対応は取り付く島もないものであり、小梅は困った様子だった。そんな二人のやりとりに溜息を吐いた鬼太郎が、山井に問い掛ける。
「あの子のことが気になったから、こうしてわざわざライブ会場まで来たんじゃないのか?」
「……否定はしない。だが、遠目で見ただけで十分だ。話までする必要性を感じない」
「あの子を助けるために、疫病神としての使命を放り出して、命まで懸けただろう。なのに、会わないのか?」
「……」
鬼太郎の言葉に、山井は黙り込んでしまった。鬼太郎の言う通り、疫病神としての使命と命を投げ打ってまで加蓮を守ろうとしたことは、否定の余地が無い。しかし、何故あの時あのような行動を取ったのか……山井自身、未だに理解できていないのだろう。疫病神としてではなく、山井個人として加蓮をどのように思っているか、その答えを出せない故の沈黙だった。
「それに、お前はこれから、海外へ異動するんだろう?もう、あの子が生きている内には会えないかもしれないんだぞ」
「………………」
鬼太郎が追い打ちのように放った言葉が、山井の沈黙をより重くする。疱瘡婆による新型天然痘ウイルス流行騒動について、山井は疫病神のコミュニティーから、ウイルスの管理不十分の責任をメールおよび電話で度々問われていた。そして、事件が全て解決した後、コミュニティーから山井に言い渡された処分は、『向こう百年の海外異動』だった。要するに、『左遷』である。鬼太郎の活躍によって事態は上手く終息したとはいえ、疫病神の使命に大いに支障を来したことは事実であり、何らかの処分は必要だった。そして、山井自身もこれを妥当な処分として受け入れた。そして、疱瘡婆から受けた傷も完治したことで、山井は数日後には日本を発つ予定となっているのだ。
「……それが、互いのためだろう。妖怪と人間が深く関わることで起こる不幸は、今に始まったことではない。鬼太郎、それはお前もよく分かっている筈だ」
「否定はしない」
「ならば彼女は、私とはこの先一度も会うことなく、生涯を終えることが最善の選択だ。妖怪と人間は、別の世界の住人なのだからな……」
口ではそう言っているが、変化と抑揚に乏しい表情と声は憂色に満ちていた。少なくとも、鬼太郎と小梅にはそう思えた。そして、山井はそれだけ口にすると、鬼太郎と小梅は勿論、加蓮がいるライブ会場へと振り向くことは一切せず、その場を立ち去っていくのだった。
「鬼太郎さん、本当の良かったのかな?」
「……疫病神の言ったことは、事実だ。妖怪と人間が交わることで起こる悲劇は、今に始まったことじゃない」
「住む世界が違う以上、それは避けられんことなのじゃ。本来ならば、妖怪と人間は一切の関わりを持たぬことが一番なのじゃが……疫病神のような妖怪は、そうもいかん」
目玉おやじの知る限り、人間と妖怪の関係が上手くいった事例は過去にいくつかある。だが、悲劇的な結末を迎える事例の方が大多数だった。加蓮に山井の生存を知らせなかったのも、そんな事例を多く知る目玉おやじの配慮だった。
病院の裏手から運び出そうとした時に、山井は頻りに「死なせてくれ」、「放っておいてくれ」と繰り返していた。恐らくは、加蓮を特別視してしまったことで、疫病神の職責を全うできなくなってしまった自身に、先は無いと思ったのだろう。これ以上、加蓮に会わせようものならば、今度こそ死を選ぶかもしれない。そう考えた目玉おやじは、山井と加蓮が互いに想い合っていることを承知の上で、二人を引き離すことを決意したのだった。
「悲運、じゃな。疫病神と加蓮ちゃん……二人が出会いさえしなければ、今回のような出来事は起こらなかったのかもしれん」
北条加蓮は、山井が治療してきた、何百、何千という患者の一人でしかなかった彼女の存在は……しかし、それだけには止まらなかった。山井の手により、人並みの暮らしを手に入れ、必死に自分のやりたいこと、できることを探し続け……アイドルという夢に向かって精一杯の力を振り絞って邁進してきた。そんな彼女の姿は、何百年もの間不変だった、山井の心に波紋を齎し……疫病神としての人間に対する不変の価値観に変化を与えた。そして、アイドルとなった加蓮の存在を、特別な存在と見なしてしまった。結果、その心に大きな隙が生じ……そこに疱瘡婆が付け入り、このような事態を招いたのだと、目玉おやじは考えていた。
しかし、目玉おやじの推測は極論ではあり、真実であると証明することはできない。山井が新型天然痘ウイルスの研究をしていたのも、そこに疱瘡婆が目を付けたのも、山井が加蓮に惹かれたのも……全てはいくつもの偶然が重なった結果なのだから。或いは、目玉おやじの言うように、これが妖怪と人間が交わることによる“悲運”なのかもしれない。
「人間を適正な数に間引かねばならん疫病神は、人間全てに対して等しい価値観を持たねばならん。人間を誰か一人でも愛し、特別視などすれば……疫病神としての使命を果たすことなどできぬからな」
「……そうですね」
目玉おやじに同意した鬼太郎の言葉に、小梅は少し寂しい気持ちになった。霊感が強く、幼い頃から人には見えない世界を覗いてきた小梅には、目玉おやじの言葉が正しいことは理解できていた。しかし、妖怪と人間の関係を否定するということは、今までの自分達と鬼太郎の関係まで否定されたようで、小梅には受け入れがたい部分もあったのだ。
だが、目玉おやじに対する鬼太郎の言葉には、続きがあった。
「しかし、それを悲運と決めつけるのは早計かもしれませんよ、父さん」
「鬼太郎……」
「客観的に見ればそうかもしれませんが……あの疫病神も加蓮も、互いに出会ってからの全てが悲運だったと思っているようには、僕には見えませんでした」
珍しく父親の言葉に意見する鬼太郎に、目玉おやじは若干驚いた様子だった。
「悲運かどうかを決めるのは、本人達次第です。それだけは、妖怪も人間も変わりませんよ」
「……そうじゃな」
「鬼太郎さん……」
どのような出会いも、それを見る者次第で幸運にも悲運にも映るもの。しかし、それを決めるのは他でもない当人同士であり、そこには妖怪・人間の線引きは存在しない。そんな鬼太郎の言葉に、小梅は感激した様子で頬を赤らめ、目玉おやじは我が子の成長に感激していた。
「さて、そろそろ僕等も行きましょうか。小梅も、そろそろライブ会場へ戻った方が良いんじゃないか?」
「うん……それじゃあ、さようなら」
鬼太郎に別れを告げた小梅は、その場からライブ会場の方向へと、
「……彼女にとっての僕等の出会いは、悲運だったんですかね?」
「それこそ、小梅ちゃん自身が決めることじゃろう。少なくともわしには、不幸そうには見えんがのう」
「……そうですね」
妖怪と深く関わったことで、幽体離脱までできるようになってしまった小梅のことを、柄にもなく心配していた鬼太郎。しかし、目玉おやじの意見を聞いたことで、ほんの少し安堵していた。それと同時に、その顔には無意識の内に、ほんの少し……微かだが、嬉しそうな笑みも浮かんでいた。しかし、頭の上にいた目玉おやじは勿論のこと、鬼太郎本人ですら、そのことに気付くことは無かった。
「それじゃあ、帰りますか」
「そうじゃな」
それだけ言葉を交わすと、目玉おやじを頭の上に乗せた鬼太郎は、カランコロンと下駄の音を響かせてその場を立ち去っていった。先程の山井と同様に、ライブ会場に背を向け、しかし山井とは別方向の、ゲゲゲの森を目指して――――――
ゲゲマスの今後についてですが、9月は資格試験がありますので、暁の忍同様、しばらくの間休載させていただきます。
しかし、この休載期間を利用して、10月以降の投稿予定作品である『ゲゲマスシーズン3』のアンケートを行おうと思います。
活動報告において、シーズン3のストーリー案が紹介されておりますので、興味のある方はお好きなストーリー案をご返信ください。
今後もゲゲマスをよろしくお願いします。