ラグナの海岸には比喩表現無しに、巨岩がゴロゴロしているエリアがある。観光客は立ち入らず、現地に住まうラグナ人も滅多に訪れない静かな海岸にたった一人、メッサーの姿があった。
巨岩に身体を預け、アイランド船に繋がる高架道路の明かりと宙で輝く満天の星空を眺めていた。
「カナメさん……俺は……」
先程の戦闘で響いたカナメの声が頭の中を反芻していた。ヴァールに支配されたメッサーを引き戻そうと想いの限りをメロディに乗せていたのだ。2年前に起きたアルヴヘイムの都市、マリエンブルクの惨劇でもメッサーはカナメに命を救われていた。
そこからだった。助けられた恩を返すようにカナメ達ワルキューレをサポートする日々。カナメはそんなこと気にしないでと優しく笑ってくれるが、メッサーはそうはいかない。血まみれで鏡に映る己を何度殺したくなったか、幾度も翼を交えた同僚達をこの手にかけてしまった罪は消えないのだ。たとえそれがヴァールによって引き起こされたものであっても。
ふと、背後に人の気配を感じるメッサー。大方、『裸喰娘娘』にいた誰かであろうと目星を付ける。
「スゥ……ごりごり────‼」
大きく息を吸い、吐き出された言葉。フレイアの特徴的な声が引き波とともに消えていく。
「騒がしいな」
頭上から聴こえてきた声に率直な意見を返すメッサー。ワルキューレのニュービーが息を呑むが、そこから続く言葉にフレイアは自分の感情をのせて返す。
「ウィンダミア人は30年程しか生きられないそうだな。不安にならないのか? 自分の未来が」
「……考えたこともない。今がいっぱいいっぱいで……先のことなんかよう考えられんよ……」
フレイアの言葉にメッサーがハッとする。生命の灯が短いウィンダミア人だからこその思考に、今を生きるだけでも十分なのかもしれないと、薄い笑みを浮かべた。
その日は普段と打って変わって賑やかであった。ラグナの市街では、壮大なイルミネーションがクラゲを模して煌びやかに輝いている。
「いい雰囲気だな……皆楽しそうだ」
チャック達兄妹が出す屋台の手伝いをしていたシノブは、運んできた段ボールを置いて一息つく。屋台がある大広場では多くの観光客やカップルで賑わっていた。
「お祭りの夜、クラゲの下で愛を誓い合った恋人たちは永遠に結ばれるって伝説があるの」
マキナの解説にハヤテが首を傾げる。少し上ずったトーンで見てのお楽しみだよと返すマキナの姿を見ていたシノブは、キュルルを頭に乗せ、クラゲの着ぐるみで仮装しているレイナに小突かれた。
「私のマキナをそんなに見るな……」
「常識の範疇だって……」
マキナの絡まない所では滞りなくコミュニケーションを取れるのに、なんでこうなるんだ?と頬杖をついて考えだしたシノブ。思い当たる節など無いという顔にレイナがそっぽを向く。
「あっ、そうだシノシノ?」
「ん? どうした?」
「今度からカナカナのペアになるんだよね?」
「メッサーの代役だからな。だけど、今まで通りだ。リーダーもマキナ達も護ることに変わりはないから安心して欲しい」
後ろ手で手を組むマキナが心配そうな瞳をシノブに向ける。だが、シノブはマキナを安心させるように言葉を紡いだ。以前、新たな愛機となるジークフリードの前で、マキナに宣誓した時と同じであった。
「うん……」
シノブの答えを聴いて、マキナは小さく頷く。その頬が、僅かに紅に染まったのはいつも一緒にいるレイナでも気づけなかった。
クラゲ祭りはそろそろ壮大なクライマックスを迎えようとしていた。喧噪はいつの間にか小さくなり、桟橋で最後を見届けようとしていたデルタ小隊の面々とワルキューレ達は、一組の男女の姿を視界に映す。
「向こうでは訓練教官だっけ?」
「はい……自分の機体も持っていけることになりました。もう、実戦で飛ぶことはできないでしょうが……」
「……そう」
メッサーとの別れを惜しむように言葉を交わすカナメ。煌々と光っていた電飾が落とされ、世界が一瞬闇に染まる。だが、それを上書きするかのようにクラゲたちが空へと高く高く昇っていった。
「カナメさん、これを」
左手首に着けていたバングルを外し、カナメに渡すメッサー。カナメが受け取ったことでホログラムが作動し、1曲のタイトルが浮かび上がる。
「AXIA……この曲……‼」
俺の命を救ってくれた曲ですとメッサーが語りだす。アルヴヘイムで救われた命であること。その日から、お守りとしていつも肌身離さずにいたこと。
「あなたの歌があったから、俺は生きることができた」
自分の第二の人生に意味を与えてくれた歌を手元に残して置きたかった。アラドとメッサーだけの、秘密だった。だが、それもたった今この時までである。
「俺は……貴女に恋慕とも言える情を持ってしまいました……」
メッサーの紡いだ言葉が、カナメの耳朶に響く。僅か10cmばかりの距離、二人の間はそれだけ。
「わたしは……メッサー君の想いに直ぐに応えられる自信がない。でも……必ず応えるから……」
バングルを持つカナメの頬を一筋の涙が走る。メッサーは見ない。見てはいけないそんな気がしていた。
「……いつか、貴女の想いを聴かせてください」
クラゲたちが命の色を輝かせる。死神と呼ばれた男がたった一人の女性に愛を捧げた。二人の距離がグッと近くなった瞬間であった。
クラゲ祭りが終わった翌日の朝。アイテールの甲板には、『ワルキューレ』、デルタ小隊や他の部隊の面々がララミス星系に異動になるメッサーを見送るために集まっていた。
短い敬礼の間に、メッサーはカナメと目を合わせる。昨夜のメッサーの告白に、カナメは返事を返していない。メッサーへの想いは、悩みに悩んで悩みぬくつもりであった。
そして、ついに別れの時間である。メッサーとメッサーの愛機であるVF-31Fを載せたシャトルがアイテールの甲板から離陸していき、宙へと進んでいく。
「アル・シャハルにヴァール発生!! 新たに配備された部隊も一瞬で敵のコントロール下に落ちた!! 気を付けろ!! あの歌が響いている!!」
スクランブルであった。すぐさま、アイテールがワルキューレとデルタ小隊を乗せて発進する。メッサーの抜けた穴は大きい。だが、そんな弱音を零すわけにはいかない。そんな想いがシノブ達デルタ小隊にはあった。
「ハヤテ、ミラージュ、チャック。メッサーが抜けたからといって無理をしようとはしないでくれ。お前たちが墜とされるのは誰も望んじゃいない」
スルメを齧るアラドの横でシノブが語り掛けた。隊を率いる訳ではない。だが、これからはメッサーの代わりである。隊長の補佐から隊員の指導、それを一手に引き受けた。
「まずは、この作戦……完遂させるぞ」
突発的ではあったが、シノブは驚くことはしなかった。アラドもアーネストもシノブの実力を加味したうえでの結果である。その決定について、シノブが口出し出来るはずもない。
約30光年隣のアル・シャハルに着くのにはそんなに時間はかからなかった。
「遺跡が輝いている?」
アル・シャハルの砂漠に埋没するようにその遺跡は点在していた。
愛機であるVF-31Fのコクピット・シートの中でシノブは率直な疑問を吐き出す。
プロトカルチャー由来の遺跡が、ワルキューレの歌と風の歌によって淡く輝いているのだ。
「ワルキューレの歌が遺跡に影響を与えているのか」
遺跡の輝きが歌の力によって、一層強まった瞬間であった。弾かれた様に意識を失う美雲とフレイア。ワルキューレのメンバーが駆け寄り容態をチェックする。
「っ……来るぞ‼」
空中騎士団の数は7機、それと幾つものゴースト。数では完全に負けていた。
「Δ3、4、6、互いの位置を常に把握し、リカバリーできるようにしろっ」
ワルキューレに迫るミサイルとゴーストを処理しながらシノブが声を張る。縦横無尽に飛びまわる中で的確な援護と攻勢を緩めることはない。
「くっそぉ……振りきれねぇ……‼」
ハヤテに一撃を与える白騎士。翼端から煙と火を噴いたハヤテの機体が高度を下げていく。その状況をちらりと視界の隅に捉えたシノブは、白騎士の相手をするべく翼を翻した。
「白騎士、今日の相手は俺だ」
シノブが駆るVF-31Fの左右翼下のハードポイントに装着されたミサイルポッド内にはハイマニューバミサイルが搭載されており、それだけで墜ちる者たちではないことは、とうの昔に分かり切っていた。
「荒鷲、やはり貴様も……」
ハイマニューバミサイルはどちらかというと白騎士の動きを阻害するためのものであり、先程から迎撃された爆炎を利用し、敵を責め立てていた。だが、決着はつかない。シノブは教導隊で培った経験をフルに活用してミラージュやチャックの援護までしているのだ。
そして、戦場に一つの流星が落ちてきた。IFFから伝わる情報は味方を示すサイン。だが、それはこの場にあってはならないサインであった。
「Δ2、エンゲージ‼」
死神が戦場に舞い降りる。アラドもシノブも予想だにしていなかった。戦場の趨勢は目まぐるしく変化する。
死神と白騎士が翼を交える。
幾重に描かれたヴェイパーは、ただひたすらに美しかった。