「来てみろよ」
海と空を見つめながらアラドは、ハヤテを甲板の縁へと誘った。
「落ちれば死ぬ。命がけだ……だが、それでも飛び立つ。それが、風を感じちまった者の宿命さ」
視界の果てが、空と海で埋め尽くされていく。
その境は、ただ青で見えない。
眼下に広がる街は、常識の世界だ。
だが、ここから見える空と海は違う。
「お前も感じたんじゃないのか? だから、ここに来た」
ハヤテは答えなかった。
その通りだからだ。
「あとは、飛ぶか飛ばないか。命をかける覚悟があるか」
どこからか、歌が聞こえてくる、とハヤテは感じた。
風が、ごう、と巻く。
歌と、風と、海と。
「あの時と同じか」
ハヤテは甲板の側に無造作に歩み寄ると、そこから身を躍らせた。
「風に乗れば、飛べる」
別れる前にフレイアが頻りに連呼していた言葉をハヤテは言った。
たぶん、ずっと恐れていたことだった。
見ない振りをしていた気持ちだった。
何もしなければ、絶対に失敗することもない。失敗しなければ、笑われることもない。
けれど、風に乗らなければ、翼は空を飛べない。
それは、落ちるというリスクと引き替えのことだ。
だからハヤテは選んだのだ。
風に乗ることを。
「おっ、おい!!」
「あいつ!!」
アラドもシノブもメッサーも……その場にいた誰もが驚き、声を上げようとする。
ハヤテが、空に身を投じた。
風が、ハヤテを包む。
文字通りの暴風が、真下から吹き上がった。
何も考えずにハヤテは甲板で見物していたわけではない。上昇気流の来るタイミングは読めていた。
ハヤテの身体が舞い上がる。
「こいつ……!!」
重力の制約を振り切って、ハヤテの体が空に、文字通り飛翔する。
あっけに取られるアラドやシノブの前で、ハヤテはトンボを切って着地してみせた。
「いい感じだ……!!」
ハヤテが、どこまでも高く、どこまでも青い空を見上げ、言った。
清々しい顔をしながらハヤテは、ミラージュのVF-31Cに歩みより、機体を撫で始める。
「軍隊は嫌いだ」
「俺もだよ」
「人に指図されるのも。だから、好きにやらせてもらう」
「ご自由に」
メッサーとシノブがアラドに駆け寄る。
「アラド隊長」
メッサーを手で制しながら、アラドは好きにやらせてやれと、目で合図した。
「だから俺は……こいつで空を飛ぶ!」
「離れろ!! 私の機体に……触るな!!」
いつの間にか、飛行甲板に出てきていたミラージュが激しい剣幕でハヤテを怒鳴りつけた。
「アラド隊長!! 本気でこんなヤツを!?」
ハヤテに詰め寄るミラージュの言葉に、アラドは言葉を返さずに肩を竦めるのみである。
「戦場をナメるなと言ったはずよ!!」
「ドンパチしたいわけじゃない。俺はこいつで空を飛びたいだけだ」
「空を……そう……それじゃあ」
ミラージュの口角が吊り上がり、人の悪い笑みを浮かべた。
「自分の機体を触られたくらいであの剣幕はないな……」
パイロットスーツに着替えたハヤテを、EX-ギアに対応していないVF-31Cの後席に乗せたミラージュがマクロス・エリシオンの遥か上空をアクロバットと戦闘機動を交えて飛んでいた。
シノブは、顔を空に向けながら呟く。
「マイクロファイバーの神経ってのは、感情の制御が出来ないのか?」
ミハエルの幼馴染であり、同僚でもあるクラン・クランの姿を思い出す。
「そういや、メッサー。シノブと対戦してみてどうだった?」
アラドは、傍らに立っていたメッサ―に問いかけた。
「予想だにしない機動で翻弄されました……」
タブレットで繰り返し映像を見続けるメッサ―が答える。
「流石に俺も、あの動きは出来るか分からないが……お前はあの動きを実戦で使った事があるのか?」
「ありますよ。それに、教導部隊でも教えはしました。実際には、出来た奴は一人しかいませんでしたけどね」
苦笑いを浮かべながら答えたシノブの言葉にアラドは驚く。
「出来た奴も凄いが、教えるお前も凄いな。で、その出来た奴は何処に行ったんだ?」
「まだ17の女だったんですけど、オリンピアの原隊に戻らずに新統合軍の第277戦闘航空団――『エレクトリックドラゴンズ』に引っ張られていきましたよ。何処でそいつの腕を知ったのか……普通ならあり得ない出来事なんですけどね」
はぁ、とため息をついたシノブは改めて空を見上げる。
「あのステルス・スナイパー部隊か……」
一方のアラドは顔に手を当て、何かを考え始める。
10分後
シノブ達の目の前に、臙脂色を纏ったVF-31Cが停止する。
キャノピーが開き、ミラージュは涼しい顔で降りてくるが、後席のハヤテは今にも吐きそうな表情でコックピットの縁に手を掛けていた。
「あーあ……ボロ雑巾みたいになっちまって」
やっとのことで降りてきたハヤテに対してシノブは率直な感想を言い放った。
「どう? これでわかったでしょ?」
「――と、いうわけでミラージュ。お前にハヤテ候補生の訓練教官を命じる」
「……はっ!?」
「ひと月で使えるようにしておけよ」
「まっ……待ってください!! アラド隊長!!」
メッサ―とシノブを連れ、アラドは身を翻しアイテールの艦内に入っていった。
その後、マクロス・エリシオンの周囲にミラージュの雷の如き悲鳴が響き渡ったのは言うまでもない。
アイテール艦内のオフィスには、メッサーの姿も、隊長であるアラドの姿も無い。既に、終業時刻は過ぎている。
終業時刻を迎えていながらも、シノブは一人オフィスで報告書を作成していた。
「まだ飛んでるか?」
ラップトップの脇に置いていた簡素なフォトフレームを手にする。そこには、VF-25を背にしたシノブと一人の少女の姿が写っていた。無邪気に笑う少女と、優しい笑みを浮かべるシノブ。
「ノーラ……」
フォトフレームを元の位置に戻し、報告書の続きに取り掛かろうとするシノブであったが、キーボードを叩く手が止まる。
「……ダメだ。もう帰ろう」
首を左右に振り、報告書を作成することを中断する。そして、オフィスを後にした。
『裸喰娘娘』の店内は、たくさんのお客で繁盛していた。その一角には、ハヤテやフレイア、カナメ達、ケイオスの人間が餃子や小籠包をつついていた。
「そういや、カナメさん」
「ハヤテ君、どうかした?」
熱々の餃子をウーロン茶と共に飲み干したハヤテが質問する。
「デルタ小隊って俺以外にも入った奴っているんすか?」
「まだ聞いてなかったのね。ええ、ちょうど昨日合流したわ」
「へぇ……」
ハヤテはこれ幸いという顔をしたが、カナメの次の言葉でその表情が消えた。
「S.M.Sからの出向だけどね。それも、とびっきりのエースらしいわよ」
レモンサワーを呷るカナメの横では、ワルキューレのメカニック担当であるマキナがウミネコに盗られ、新しく注文した魚の煮つけを頬張っている。
「ズルくないっすか、それ」
「あら、噂をすれば。シノブさん! こっちです!」
扉を開け、店内に入ってきたシノブをカナメが呼んだ。
「マジかよ……」
ばつの悪そうな顔をするハヤテの隣にシノブが座った。
「全員自己紹介は済んでるんですよね?」
「後は、シノシノだけだよ~」
魚を食べる手を止めたマキナが言った。
「じゃあ……S.M.Sフロンティア支部から出向しているシノブ・風谷。階級は中尉だ。Δ5を請け負ってるけど、昨日こっちに来たばかりだから、実質君と同じだ。まぁ、宜しくな」
「ハヤテ・インメルマン。あの黒いVF-25はアンタのか?」
「まぁな」
おしぼりで手を拭きながらシノブが答える。
「あぁ、言っとくけど……俺やメッサー、ミラージュが操るバルキリーは玩具なんかじゃない。人殺しの道具だ」
「それがなんだよ」
「もしこの先、誰かを守るために、誰かを殺すことになったら、殺す覚悟はあるか」
ハヤテの目を見ながら、語気を強めて言い放つ。その言葉に、マキナとレイナ、カナメの動きが止まる。フレイアはキョトンとした表情で、向かいあう二人を見つめていた。
「…………」
ハヤテは答えなかった。いや、答えられなかった。
「まぁ、答えられないのは当然だよな」
「じゃあ、アンタはどうなんだよ!! 覚悟あんのかよ!!」
逆に今度は、ハヤテが語気を強めて言った。
「あるから、今でもバルキリーに乗っている」
シノブの凛とした声が、ざわめきの中でもはっきりとハヤテの耳に届いた。
「と、重い話はここまでで……ハック、生一つ!!」
あいよー、とチャックの弟が応えた。
「あ、あの!!」
今度はフレイアが、シノブに声をかける。シノブはフレイアの額にあるハート型のルンに気づいた。
「フレイア・ヴィオンと申しますっ!!」
「お嬢ちゃん、ウィンダミアから来たの?」
ハックが持ってきた生ビールを呷りながら、言った。
「ほぇー!! なんでわかるんですか!!」
「8年前には、結構S.M.Sに居たからね。強い強いウィンダミアのパイロット達がさ」
シノブは肩を竦めながら語った。
ラグナの夜は、まだ始まったばかりである。
どうもセメント暮らしです。
シノブの教え子の機体に迷ってます。
おすすめという機体があれば是非お教えください。
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