お風呂から上がった俺の最初の仕事はクリスの髪を乾かす事だ。
別にクリスに限った事じゃないけれど、髪を濡らしたままでは風邪を引いてしまうかもしれないしな。
クリスは一緒にお風呂に入ってくれる事が多いから俺が髪を乾かす事が多い。
ルーシーやララは魔術の練習も兼ねて自分で髪を乾かしているからルーデウス式ハンドドライヤーの出番は少ない。
ルーシーは完璧にやろうとしているみたいだけど、人間そうはいかないもんで、端から見ててもうちょっと乾かした方がいいかな、なんて時はこっそり手伝ってあげたりもする。
ただ、最近のルーシーはもう俺とお風呂に入ってくれないし、俺が髪を乾かしてるのを手伝っている事に気がつくと、ちょっと悲しそうに「ありがとう」と言うのだ。
なんでだろう。
思春期の延長線で考えればいいのだろうか。
子供ってのは難しいな。
ララは……多分めんどくさがってるだけだと思う。
ある程度やってから、パパやってと近付いてきたり、シルフィやロキシーがいない時は最初から俺に頼んできたりする。
そして俺は娘の髪を乾かしてしまう。
ちょろいとでも何とでも言え。
父親なんてそんなもんなんだよ。
自分がそうなるとは思わなかったけど。
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今日は普段と順番が逆となり、子供達を始めとしてお風呂に入ってから夕飯の席につく人が多い。
お陰で部屋の空気が全体的にしっとりしている。
いまだに雨が降り続いている外に比べれば光源を兼ねた暖炉の火で多少乾いているが、なんていうか『いい雰囲気』の時のような空気感がある。
これくらいでソワソワするような年でもないけどな。
子供達もいるし。
「今日は皆帰ってくるのが早かったね」
子供達を引き連れていたエリスに、学校組の三人と一匹、大した仕事が無かったので研究の方に勤しんでいた俺。
皆、普段より少し早めの日暮れ前には家に辿り着いていた。
「雨の匂いがしたのよ」
雨が降りそうな時に感じるアレだ。
確かシュプレヒコールみたいなみたいな名前が付いていて科学的に解明されていたような気がするが……。
パソコンや携帯は当然手元にないので調べようがない。
この世界に来て雨の日にあの匂いを嗅いだ時、こういうのはこの世界でも同じなんだ、ってちょっと安心したっけか。
雨の匂いに気付けたのはいいけど、結局皆濡れ鼠って訳だ。
自分を乾かすのが苦手な人から風呂へ放り込まれる。
だから俺は最後。
旦那様だから一番に入れてくれ、なんてワガママは言わない。
でも、エリスが一番最初にお風呂に入ったんだから旦那様が一番風呂を頂いた事になるのかしら。
旦那様に従えられてお風呂に入るなんて……一緒に寝た翌日の朝くらいかしら。
「エリスも雨の匂いとか分かるんだね」
「ルーデウスに教えてもらったんだから当然よ!」
旅の途中で「気付ける様になると便利なハズですよ」と言った気がするが、ルイジェルドにもレクチャーを受けていたような気がする。
やはり亀の甲より年の功よな。
見た目じゃ分からんけど。
……グレートトータスってどれくらい長生きなんだろう。
「その、アリエル様やルークみたいにイマイチ理解してくれない人もいたからさ」
エリスは凄いね、とシルフィが誉めてエリスが胸を張る。
相変わらず年齢のひっくり返った姉妹のようだ。
まあ王族である本物のお嬢様と貴族なのに山猿呼ばわりされてた名ばかりお嬢様の違いよな。
もちろん俺は出会えたお嬢様がエリスだった事に感謝してるけど。
「お、クリス寝ちゃったか」
俺の膝を専用席にしたお嬢様は、風呂上がりに髪を乾かしている時から温風にやられて少し眠そうであったが、ご飯を食べてとうとうノックアウトと言うわけだ。
ちょっと涎も垂れている所を見ると、パパのお膝は大変快適であったと思われる。
「寝室に運んでくるよ」
「手伝うわ!」
誉められて気分の良いエリスが協力を申し出る。
自分が産んだ子だから、という意味はないだろう。
エリスはそういう事なんか気にしない。
もちろん、シルフィとロキシーもだけど。
●
俺は俺と会う以前の──9歳より前のエリスと会った事はないけれど、クリスの寝顔を見ていれば、きっとこんな顔でサウロス様に抱かれていたんだろうな、と想像がつく。
フィリップ様やヒルダ様も思い出すと懐かしさが溢れてくる。
アルスはすっかりやんちゃな男の子になって、俺やパウロに似て少々スケベ気味だが、案外この子がボレアス寄りに成長したりしないだろうか。
「なるべく山猿にはなってくれるなよ……」
ちょろりと伸びてきた母親譲りの赤い髪を顔にかからないように払ってやる。
親の贔屓目を除いても、将来は間違いなく美人になると思う。
「……ルーデウス」
「はい」
イントネーションが重いせいで、声が少し裏返った。
まあ寝てるとはいえ娘の目の前でね、昔の嫌な話をしたのはまずかったよね。
「この子は大丈夫よ」
怒った訳ではないらしい。
確かに、娘を優しく見つめる母親の顔をしている。
「私とルーデウスの子だもの」
エリスの言葉は迷いが無く自信に満ちていて、妙に説得力がある。
彼女はいつもそうだった。
「……そうだな」
道を違えそうになったなら正してあげればいい。
妻の家庭教師が務まったならその娘の先生もきっと出来るはずだ。
だからもしエリスがあんまり聞かれたくない昔の話が有ったとしても「赤ママの小さい頃ってどんな風だったの?」と聞かれたら俺は素直に話してしまうだろう。
そして誰かがエリスと喧嘩した時にでも山猿という言葉がポロッとこぼれてしまうのだ。
その時は俺も一緒に謝るから、どうかパンチ一発で許して下さいお願いします何でもしますから!