雪国に住んでるからといって、雪に慣れはしても寒さに耐性が付くわけではない。
よその地域に比べて暖房施設が充実しているくらいだ。
朝のランニングも準備を怠る訳にはいかない。
魔術でぬるめの空気を作り出しつつ、走っても大丈夫な程度に準備運動をして、筋肉を暖める。
ケガくらい簡単に治せるからといって、こういう所で手を抜いてはいけない。
恐らく年をとったら体に響いてくる事もあるだろう。
そう思うと腕辺りが心配である。
何度切られて義手にポジションを奪われても、腐る事なく蜥蜴の尻尾のように蘇るハルクとヘラクレス。
別名右腕と左腕。
二人がいなければ嫁のお山を登頂するのにも難儀したものだ。
もちろん義手に罪はない。
ザリフの義手──籠手になってしまったが──とアトーフェハンドはよくやってくれた。
それでもルーデウス成分百パーセントのおててには敵わないのだ。
そんな事を考えながら今日も元気に野を越え山を越え。
普段通りに街の周りを、少しキツいと思うくらいの所まで走ってきた。
自分の体をいじめるのにもすっかり慣れたもんだ。
さあ後は家の庭で筋トレ、素振りに型稽古……と。
誰かが玄関の前にいる。
俺を待っていたのだろうか。
……考えすぎか。
「おはよう、ルーシー」
「おはよう…………ございます」
ございますて。
わざわざ玄関の横で膝抱えて顔伏せて寒さに耐えながらパパの事待ってましたみたいな態度とっておいてそういう事言っちゃうのかい?
それなら俺だって何にもなかったように筋トレ始めちゃうもんね!
●
結局全部終わるまでルーシーは話しかけて来なかった。
途中、視線はかなり感じたけれど、振り向くのがなんか悔しかったので気にせずに体を動かし続けた。
空気は二つの意味で冷えている。
体から湯気が出て、まるで巨人みたいだな、なんて冗談を抜かす余裕もない。
「ねえパパ」
「なんだよ」
「久しぶりに家に帰って来た娘に何か言うことはないの……ですか」
「距離を感じるから敬語はやめて欲しい」
「これくらいいいでしょ!」
よくない。
反抗期を乗り越えて、花嫁姿を見届けて、可愛い孫まで見せてくれたのに長女がそんな他人行儀だなんてパパ許しませんよ。
「こういう話し方のほうがパパは凄い人なんだって周りの人も分かるでしょ」
「パパはすごくなくていいからルーシーと昔みたいに近くで喋りたい」
「じゃあこっちに座ってもいいからちゃんと汗拭いて」
風邪なんかひいてママ達を心配させちゃダメだからね、といって俺の事を気遣ってくれるあたり、やっぱりシルフィの子だ。
「そういえばクライブ君達は?」
「まだ寝てる。ボクが早く起きちゃっただけ」
「そっか」
イマイチ会話が弾まない。
父親と娘の会話なんてそんなものだろうか。
でも他の皆はがっつり甘えてくるし……打算も込みだろうけど。
「パパさ」
「んー?」
「あんまり頑張り過ぎちゃダメだよ?」
「そりゃまた難しいな……」
娘が心配してくれるのは素直に嬉しい。
俺もそれだけ年を取ったって事か。
爺デウスになるのもきっとあっというまだ。
…………孫がいるんだからもうお爺ちゃんだったな。
「俺はさ、ルーシー。あの時もっと頑張っておけば良かった、って後悔するのが怖いんだよ」
「……でも人間生きてれば後悔する事なんていくらでもあるでしょ?」
ルーシーにとっては反抗期の形がそれにあたるのだろうか。
今なら言えるけど、父親と娘なんてそういうもんじゃねえかな。
「そりゃあ、俺だって心が折れそうになった事はいくらでもあるよ」
自分が人を傷付けた事実に耐えきれなくなって首を掻き切ろうとした事もある。
止めてくれる人がいたお陰で今の俺がいるわけだけど。
元気かなアイツ……。
俺に孫まで出来たなんて聞いたら驚くだろうし、出来れば死んでてほしくないんだけど。
「そういう時には……俺、誰かに助けてもらってばっかなんだけど、そしたらまた『頑張らなきゃ』って思っちゃうんだよ」
それでも後悔する事は増え続けるんだけど。
憂鬱だぜ。
「だからルーシーも、とりあえず色んな人と仲良くしときなさい。敵なんか作っても良いことないからね」
「……うん」
●
「ルー姉は甘えるのが下手っぴだね」
パパが汗を流しに行って、さあ朝食の準備をしましょうかって時にララが突然そんな事を言ってきた。
「せっかく皆が気を使って二人きりにしてあげのにさ」
ウンウンと皆が頷く。
そういえば今日に限って誰も寝坊していない。
「だいたい、パパが一人で走りに行ってる時点で何か変だと思わなかった?」
言われてみれば、朝のランニングにアルスもジークもレオも、赤ママすらいなかった。
朝目覚めたばかりの頭では気にしてなかったけれど、我が家でそんな事があるわけがないのだ。
「どうせルー姉の事だから家族で集まった初日とかにパパに甘えとかないと踏ん切りがつかなくて、最後まで何もせずにミリスに戻っちゃってハイ来年、ってなるだろうから皆で気を回したのに……」
やれやれといった感じのジェスチャーがムカつくけれど、ララの言った通りになる可能性はあったと思う。
別にパパの事が嫌いとか苦手とか、そういう感情はないけれど…………なんというか、遠慮してしまう。
「クリスやララみたいにガバッと抱きついちゃえばよかったのに」
「ねー」
白ママとリリがそんな事を言い合って、クライブ君まで横で頷いている。
ウチの旦那様の最も尊敬する魔術師は昔からボクのパパ……ルーデウス叔父様なんだけど、ここはちょっと嫉妬とかしてもいいところなんじゃないのかな。
「そんな事恥ずかしくて出来ないよ……」
「なんでよ」
赤ママの顔には本気で分からないわ、って書いてある。
パパは「エリスの照れた顔ってのは最高に可愛いんだぜ」っていうけど、赤ママが照れた所なんて、ボクは見たことがない。
「はいはい、ママはこっち手伝ってねー」
「ちょ、なんでよクリス!」
ありがとう助け船クリス。
クリスも最近パパに抱きつくの恥ずかしくなってきたって言ってたもんね。
「まあその、なんです」
青ママは相変わらず小さいまんまだ。
小さいまんまだけれど、ちゃんと先生らしくボク達を導いてくれる。
「どんなに年を重ねても親にとって子供はいつまでも子供なのです」
つまり。
「たまには甘えてあげるとルディも喜ぶと思いますよ?」
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熱めのお湯で体をサッパリさせていざ朝食へ向かう。
やはり風呂は最高の文化だ。
風邪を引かないように髪を乾かして……括るのは後でいいか。
ロングヘアーなルーデウスも悪くない。
あんまりいい匂いを撒き散らかしているとエリスがソワソワしだすかもしれんが。
「……と、ルーシーか。どした?」
脱衣場を出てすぐ。
どうやら今日はルーシーが俺を待ち構えている日らしい。
「……パパ今日時間ありますか」
「暇……のはずだけど」
仕事が無いのは確認してある。
家族と過ごす時間を確保してくれるあたり、オルステッド・コーポレーションはホワイトだと思う。
まあ俺他に企業勤めなんかしたことないけどな!
「お買い物とか……行きませんか」
「おう……いいけど」
「じゃあその……ご飯食べたら準備しといてね」
「おうよ」
ルーシーとお買い物。
初めてじゃないのに何だか気恥ずかしいな。
これも父親の特権というやつだろうか。
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朝食の席についたら、ルーシーの顔は少しだけ赤くなっていて、皆がニコニコしていた。
こういう所はまだまだ世話のかかるお姉ちゃんってトコかな。