サモンナイト4 カルマエンド クリアデータ 作:( ◇)
最初に居なくなったのは誰だっただろう。
ふらり、ふらりと人の気配の消えたトレイユの町で、外れの宿の店長であるライは剣を片手に歩いていた。
黒い雪が振る中でも何故か自分はこうして無事で居られる。ライはそう頭の中で思い自分の幼馴染の姿を思い浮かべた。
“ごめんね、ライ。もう無理みたい”
高熱で途切れ途切れでありながら、リシェルはライへとそう言っていた。
肉体から魂が乖離しかけただ息をするだけでも苦しい状態で、頬に涙を伝わせた彼女は、それっきり目を閉じて起きないらしい。死んではいないと聞いても、本当に身体に魂が有るのかライには分からなかった。
その弟であるルシアン、蒼の派閥の召喚師であるミントも同様で、三人は既にポムニットに連れられてトレイユ外へと出ている。一礼して申し訳なさそうに去ったポムニットの後姿を、ライは見なかった。
“アタシはさ、店長達の仲間だと思ってる。だけどそれ以上に『家族』を見殺しにしたくない”
時を同じくしてくのいちの女性はライへと言う。
アカネがどんな表情をしていたのかライは知らない。アルバを抱えて風の様に去ったアカネに、ライは何も伝えることができなかったのだから。
ただアカネにとってこの町での繋がり以上に大切な絆があり、それを優先したのだとなんとなく分かった。咎めるつもりも非難するつもりもなく、『家族』は仲間以上に優先する者なのだとぼんやりと考えただけだった。
“すまんライ。もうこれ以上は帝国軍人として、隠し通すことはできないんだ”
浄化の火種で辛うじて体力を回復したグラッドは、帝国からの援軍に合流し状況の報告を行っているだろう。
効果が尽きれば彼の命はたちまち燃えてしまう。それでも世界を揺るがしかねない事件を止めるために、グラッドは動いた。助けられる住民を町の外へと送り、一人でも多くの人を助けるために。
本当はミントと共に居たかっただろう。それでも使命のために命を投げた自分の兄貴分に、何の恨みが湧くと言うのか。
ほんの少し前の話だと言うのにポツリポツリと情景は浮かび、最後に浮かんだのは一人の少女だった。
嫌だ嫌だと、桃色の長い髪を揺らして少女は言う。目元からは決壊した大粒の涙が零れ、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
そんな顔をさせたくなかった。だから戦ってきた。だから切り捨ててきた。だから多くの人と別れてここまで来た。
「誰があの子を泣かせている?」
決まっている。
「誰があの子から笑顔を奪った?」
決まっている
誰かの願いがあの子を多くの危険に晒している。誰かの憎悪があの子の笑顔を曇らせている。
「だったら、そんなものやっつけなくちゃな」
たった一つライに残された意志が示すのは、別れと共に見てきた情景だった。
『家族』を守るために去ったアカネやポムニットの決断。仲間と呼んだ人達を切り捨てても多くの人を、大切な人を救おうとしたグラッドの決意。
そして、自分の娘と多くの人達を天秤にかけて、娘を守ると誓った自分の決断。
そうしてライは歩き続ける。自分の決断は多くの人に何かを切り捨てて行かなければならない運命を作り出した。
なら自分は全て切り捨てればいい。切り捨てる以外にしてはいけないと、ライはそう思う。
彼女を守ると決めた。彼女を笑顔にすると決めた。なら、それ以外に何が要ると言うのだろうか。
「……そういえば」
あの子は何と言っていたのだろう。大粒の涙を流しながら彼女は確か――
“………で! ………か………………………! パパぁ!”
「……なんだっけ」
彼女が言っていたのはなんの事なのだろう。
自分も覚えがある。父親が居なくなってしまったときぐずっていたことを覚えているのだから。
きっと些細なことなのだろう。それよりもやらなければならないことが有る。
――
黒い雪はまるで空気の様に質量を感じられず、寒いも暖かいも感じぬそれはこの町を死へ至らした原因だった。空は曇天に塗りつぶされ日の光さえまともに見れない有様である。
そんな空の下に一人の男がいた。草色の和服に刀を携えた侍――シンゲンは、煙管から漏れる煙が空の色と同じで酷く忌々しく感じていた。
忘れじの面影亭の庭でただ時間を潰すことしかできないその身を恨めしく思っている。だが今の自分では何も変えられない事を彼は良く理解していた。ライが人とは外れた存在――越凶者となってしまったとき、シンゲン以外の竜の子や御使いは気絶させられたが、彼だけはライから頼まれていたのだ。
「本当に、忌々しいったらありゃしない」
その言葉は誰に言ったのかシンゲン自身も理解していなかった。だがその対象をあえて定義するなら彼を取り巻くこの世界に他ならなかった。
子供たちの思いは容赦のない大人の現実に踏み潰された。自分たちはそれを守りたくて仕方がなかったはずなのに、こうして無力な様を見せることしかできなかった。
たった一人残された子供は、大人になる以外の道は残されていなかったのだ。大切な人たちと別れ、大人が行ってきた割り切るという意味を理解してしまった少年は、その意志を示すために一人向かってしまった。
『……頼むよシンゲン』
そう言ったライに表情は無かった。だが声色から酷く悲しいものを感じ取れていた。
その声を聞いてシンゲンはライの味方で居ようと決めたのだ。無論この宿に居た者達は皆仲間だった。だからこそたった一人で敵の軍勢に向かったライにすべきことなど決まっているのだから。
三味線を鳴らし煙管を落とす。宿の中から慌ただしく表れたのは、この宿に同じ目的を持っていた仲間だった。
竜の子の御使い、アロエリとセイロンだった。昨日ライによって気絶させられていた彼らは、目が覚めて一人庭で煙管を吸っていたシンゲンに気が付いたのだ。
「シンゲン…っ! あのバカは何処に居る!」
そう叫んだのは有翼の亜人であるアロエリだった。表情には明らかに怒りがある。それはたった一人で敵の軍勢に向かって行き置いて行かれたライや、それを知っていてなお暢気に三味線を叩いているシンゲンへ向かっていた。
「はてさて、馬鹿者と言われても自分の知り合いはどいつも馬鹿者ばかりでして、いったい誰の事やらわかりませんな」
「呆けている暇ではないことは、お主にもわかっているであろう?」
龍人であるセイロンが殺気に近い視線をシンゲンへと送っている。それでもなおシンゲンは飄々とした態度を崩さず、てぇんと三味線を弾いた。
「自分はただの伝言役ですよ。『俺が何とかする。だからミルリーフを頼む』。……店主が望んでいるのはあんたらの手助けじゃない。さっさと旅支度をして、逃げる準備をすることです」
帝国も動いている以上、至竜の存在は事件に絡められて確保に乗り込むだろう。そうなればその身がどうなるかは御使い達も良く知っていることだった。
「……成程な。お前が何処までも臆病者なのは分かった! だったらそこでずっと腐っていろ!」
そうシンゲンに向かって叫んだのはアロエリだった。
ギアン達と戦って一日たっただけでマナ枯らしは町を死に至らしめた。その事実に御使い達が何も思わないはずがない。自分たちの使命がこの結末を招いたのなら、責を感じるのは当然のことだった。
だがそれを理由に留まることをアロエリは良しとしなかった。たとえ言えた義理ではないとしても、仲間を見捨てる様な理由にはならないと彼女は思う。
背中の翼に力を入れ、地面を蹴り出そうとした時だった。ざん、とその足元が抉れ、同時にアロエリの羽がはらりと地面に落ちた。
何が起きたのか、その原因へと自然に視線は向かう。そこには飄々とした男の姿は無く、静かな表情で腰の剣へと手を添えていた。
「……何の真似だ、シンゲン」
「言ったでしょう、店主は『助けを必要としていない』。余計なことをするなという事です」
「お前何をっ……」
「これ以上あの子に何を背負わせるつもりだと、そう言ってるんだ!」
続けようとしたアロエリの言葉はシンゲンの剣幕に閉ざされる。シンゲンが何もせずにライを見捨てようとしている。結果だけ見ればこの言葉に集約され、アロエリには反論する言葉がいくらでもあった。
同時にシンゲンがライの事を思いやっていることが嫌でもわかる。たとえ御使いを敵に回したとしてもトレイユの住民を、ライの周りの人達を助ける選択をしようとした彼が今どうして自分たちを止めるのか分からなかったのだ。
「町と娘と仲間をまだ子供と言っても差支えのない年齢の少年に掛けさせた。そして結果は……町も仲間も犠牲にしてたった一つを残すことしかできなかった。……自分で自分が嫌になりますよ。最早負担にしかなれないこの身がね」
シンゲンの自嘲するような言葉にセイロンはライの状態にある程度察することができた。
「店主にとって我らの助力……いや存在すら重荷でしかないということか」
目を瞑り静かに語るセイロンは、最後に見たライの姿を思い出していた。
マナ枯らしが広がり仲間が苦しむ様ををただ見ていることしかできなかったライは、どんどん表情が欠落していった。自分が決断してしまったから、ミルリーフを守ろうと決めてしまったからだと自責し続けた。
その箍が外れてしまったのは、マナ枯らしの影響を受けた仲間たちが居なくなってしまってからだろう。四方を駆け浄化の火種というマナ枯らしの影響を薄める薬を探し、結局自分たちには止められないという現実を突き詰めた彼は、仲間たちが集まる中でこう呟いた。
『……ああそうか、そうだったのか。初めからこうすれば良かったんだ』
ぱき、と。ライの右腕にあった腕輪が壊れる音が響き渡る。
『何時までガキで居るつもりだったんだ。違うよな、一人で立つって決めたんだろ? なら俺が一番にやることなんて決まってた』
『パパ!!』
その変化に一番初めに気が付いたのが竜の子であるミルリーフだった。ライの所持するマナがどす黒く変化していき、抑えられてきた響界種としての力が彼の思いと共鳴していくのが分かったのだ。
古き妖精の血が憎悪によって染まっていく。人から人以外のモノへと至り、それでもライで在り続けたのは彼の目の前に居る少女のおかげだった。
『ゴメンなミルリーフ、俺がバカだったんだ。俺がお前を守るから。お前に辛い目を合わせる奴ら、全部やっつけるから』
『……違う、違うよパパ。私は』
ライの表情は変わらない。笑いかけているはずのライの瞳は何の感情も宿さず、ただ決意だけがそこに在った。
そんなライの姿にミルリーフは恐怖する。自分のせいで、そんな言葉は仲間がマナ枯らしで倒れたときから何度も自問してきた言葉だ。だけどそれ以上にライがライでなくなってしまう事、……自分の父親が変わってしまう事の方が恐ろしかった。
止められない。それでもミルリーフは手を伸ばす。この世界でライという人間が認識しているのは自分だけしか居ないのだから。
『行かないで! そこから先に行っちゃダメ! パパぁ!』
セイロンの記憶はそこで途切れている。
目の前に居るシンゲン以外全員を気絶させたライは、一人敵の軍勢へと向かって行ったのだろう。自分の身もこれから先の事も何も目に入っていない、たった一つの目的のために。
ライは越凶者として目覚めてしまった。それでもライという人格を形作っていたのはその目的を果たすためだった。
セイロンは空を遠く見上げる。自分たちの使命を少年に背負わせ、大人にならざるを得なくしてしまった。だからライは
「シンゲン、店主の荷を我らでは背負う事はもうできなくなった。だが店主の行く先にあるのは、修羅へと至る道だけよ。……それでもお主は店主の行く先を止めぬと言うか?」
「満たせず生きていない餓鬼に堕とすよりマシだと、そう思う事しかできないんだよ。 既に犠牲は出て、たった一人背負おうとしている男に自分がやれることはこれだけだ!」
だからシンゲンは仲間に対してこう言う事だけしかできなかった。これ以上ライの目の前で失わせる誰かを作るなと。失う前に失せろと、かつての仲間の斬ってでもライの前に行かせない事しかもうできないのだ。
アロエリは動かない。自分の存在がライを追い詰めると理解して、どうして動くことができるだろうか。
対してセイロンは違う。剣を構えるシンゲンに対し、手甲を付けた手を体の前で構えた。
「お主が言うのは道理なのだろうよ。不徳を成した我が身で店主に何かを言う資格は無いのは分かっている」
「分かっているなら、止まってくれはしませんかねぇ」
「だが、言わねばならない者が居る。その者の道さえ遮るのなら、通らねばならぬよ。お主とは道が違えてしまったとしてもな」
この世界でライに認識されていない者が掛けられる言葉など無い。だがライが守ろうとしているその者だけが、声を届かせることができる。修羅へと至らせるのではなく、餓鬼へと堕とすのではなく、人のまま留められるかもしれないその人物が。
何時だったか二人は言った。道が交わらぬのなら戦う以外に示すことはできないと。既に言葉は無く、二人の影は一瞬で交差した。
――
ぐるりと辺りを見渡したライの視界に入ってきたのは、鋼の軍団の一部であっただろう、機械でできた兵士たちの残骸と、マナ枯らしによって衰弱した人間の手から離れたはぐれ召喚獣たちが倒れ伏す姿だった。
この場所で決着をつけると、そう誰かが行っていたことをライは記憶している。だがライ自身が倒すべき敵は既に倒された後であり、その中で一人だけ立っている人影が見えていた。
その姿に少しだけ驚き目を見開いても、すぐに無表情へと変わっていた。黒のライダースーツに蒼の魔剣を手にした男――ケンタロウの姿に対して、来ていたのか、という感想だけしか持たなかった。
「――ようライ。遅かったじゃねぇか」
「親父」
言いたいことは多く在るはずだった。顔を見たら殴ってやろうと考えたこともあった。だが今の自分にとってそんなどうでもいいことをしようとは思えなかった。
「……今更何をしにきたんだ?」
「まあー、お前が思ってる事と同じだ」
ケンタロウは軽く頭を掻きながら場違いなほど気楽な口調で言う。そして言葉に言い淀みやがて静かに口を開いた。
「……済まねぇ、遅くなった」
「別に、呼んでないから仕方ないだろ?頼んだつもりもないし」
ライの言葉に感情の起伏は無く、ケンタロウのことを恨むことなどしていなかった。ミルリーフに言ったように、自身が甘く子供だったからこそ起こした事態に、どうしてケンタロウを責めることができるだろうか。
「テイラーのガキどもはどうだ?」
「……もう居ない」
それはこの世を指すのか、トレイユの街のことを指すのか口調からは分からない。
だがケンタロウはテイラーがある程度の対策は取るだろうというある種の信頼があった。
「……そうか。竜の御子は?」
「あの子は街に置いてきてる。回りには御使いの保護もある」
だから何も憂いは無いと、そう言ったライが、何を成そうとしているかケンタロウは理解した。同時に自分が来たこの場は最早手遅れになっていることも。
「なぁライ。お前はオレに今更父親ヅラするなと言うだろうが、先に言っておく」
ならば自分は言わねばならないとケンタロウは口を開く。ライの父親として、子供を支えなければならない。
「後はオレに任せろ。お前が全部背負う必要は無い。だからお前は帰れ」
「……あんたは、全部背負うのにか?」
「ああ。お前の親父だからな」
ライに任せたのは自分自身だ。ならば責任は取らなければならない。ガキのような性格のままでかくなった自覚はあるが、それが大人になった者の義務であることは理解していた。
「多分俺がガキで居られたら、全部親父のせいにしていたと思う。責任を取れって、自分の無責任さを棚に上げて泣きついてただろうさ」
「でもな、俺は父親だ。一人前なんてのは口ばっかで、友人だって守れないようなクソガキだ。だけど、あの子の父親なんだよ……」
表情は変わらない、だが淡々としていたその言葉の中には確かに熱が籠っていた。
「娘が攫われようとしてるのに、何もしないなんて出来るわけないだろう?」
それはライ自身が親――大人としての責任を負おうとする意志だった。自身の選択が多くのモノを失わせた。ならば自分が守ろうとした娘を、何をしてでも守り抜かなければならないと決意した。
「ああ、同感だ。だがなライ、今のお前は俺と同じだ。息子に余計なものを背負わせて、置き去りにしてテメェの矜持貫いたせいで悲しませた。……ただのロクデナシだ。それで良いのか?世界一嫌ってる男と同じだぞ?」
ケンタロウの言葉にライは少しだけ眉を落とした。そして応える。
「親父。俺はさ、もう背負えない。場所や街のみんな、仲間でさえもう無理なんだ。俺が背負え守れるのは、もうあの子しか居ないんだ」
「まっとうな大人になって、まっとうな人生を歩むっていう夢はどうすんだ」
「諦める。ガキのままじゃ何もできなかった。まっとうな奴じゃあの子を守ることなんてできやしなかったんだから」
「……ああ畜生、俺様の糞みたいなところまで似なくてもいいだろうが」
「親父の息子だからな」
額に手を当てケンタロウは天を仰ぐ。曇天の空からは黒い雨のようなマナ枯らしが降り注いだ。
「もうそろそろ行くよ。親父、そこで突っ立ってる暇があったら、あの子のことを頼む」
「あそこまで行く当てはあるのか?」
「ああ、たぶん今の俺なら行けると思う」
ライの腕に合った腕輪はすでに壊れ、妖精の響界種としての力は解放された。
瞬間、ライの背に現れたのは黒く濁った妖精の羽だった。母であるメリア―ジュの持つ透き通ったものではなく、憎悪という悪意で濁り染まったその羽は、今のライの姿を現していた。
ケンタロウ自身もラウスブルグへ行こうと思えば行ける。だが、すでに自分の手から離れた子供、男の行動を止めることも介入することもできなかった。
只できることは一つ。
「じゃあな、ライ」
「後は頼んだ、親父」
そうして親子はここで別れる。再会することはもうなかった。
――
この後の結末を語ろう。
古き妖精の血は憎悪に染まった。自身が娘と呼んだ竜の子のために、大人へとなる決意をした少年は
娘を泣かせる原因となった半妖精の少女も、野心を持った半幽角獣の青年も地に伏し、二度と目を覚ますことは無い。『姫』と呼ばれた少女が死んだことで暴走した『軍団』達は、その時点で少年にとっては娘を脅かす害でしかないと判断された。『軍団』の長も、それに連なる者たちは例外なく、少年の手によって処分されている。
竜の子は至竜へと到り空の『城』は下界の争乱を置いてただ漂うのみ。いずれ大きな戦いが起こる未来があっても、無関係を突き通して穏やかな時を過ごすことができるだろう。
「あの子が笑ってくれるのなら、俺はそれでいい」
少年――否、壮年の男はもう笑わない。だがそれでも本人は良かったのだ。一番大事なものを守り通すことができたのだから。
何を犠牲にしてでも貫き通す修羅へと変わってしまった。それでも満ち足りた何かがあったからこそ、餓鬼には堕ちず生きていられた。
だから彼の終わりはそれで良かった。
「――良くない! 良いはずなんてない!」
至竜の少女は叫ぶ。そして決意する。
取り戻さないとならない。彼が失った全てを、彼が到ってしまうまでに捨ててきた全てを。
そうじゃないと、きっと
何を犠牲にしてでもみんなが一緒に居た『かつて』を取り戻してみせる。それがたとえ『自身』を捨てるものであったとしても。
至竜は自身の役目を『終わらせ』次世代へと託した。そうして残された力を全て自身の父親のために使った。世界を歪め、世界を渡るその術は自身の命すら燃やさなければ発動させることはできなかっただろう。
少女は思う。自分がであったあの時、みんなが生きていた『かつて』の世界であれば、きっと
男は叫ぶ。やめてくれ、と。男にとっては娘がただ笑ってくれるだけでよかった。それだけで自分は救われたはずだ。娘の犠牲の果ての先など求めてはいなかった。
親の思いは子には届かない。ケンタロウがライへと伝えられなかったように、ライの思いはミルリーフに伝わることが無かったのだ。
世界を歪めるほどの儀式は終了した。その場所に嘗て至竜であった少女も、修羅となった男も残されておらず、ただ魔力の残り香だけがそこに漂っていた。
――
幼い少女にとって誰もいない夜の家は不気味なぐらい静かだった。妹と父親が居なくなってしまった以上、これからはずっとこの時間に耐えながら生活しなきゃならない。瞳から涙がこぼれ落ちそうになるけれども、これからそれを拭ってくれる人はいないのだ。
二人が帰ってくるまでどれぐらいかかるのだろう。少女でもその時間が少ないものではないことは理解できた。
我慢しなきゃ、と。自分に言い聞かせながら目をつぶる。
どさりと、物音が聞こえた。
「……おとうさん?」
もしかしたら、きっと、そんな言葉が少女の頭を過ぎり、自然にその足は外へと向けられていた。泥棒や強盗を恐れるよりも一人で居ることの寂しさが勝ったからか、玄関の入口の鍵を開けて外へと出た。
そこにはどこか懐かしい雰囲気の男の人が倒れていた。
「……ミル、リーフ」
誰かの名前がその男性――ライの口からこぼれた。
「おんなじ、髪の色?」
少女――フェアは首を傾げた。