シモキティウスは二コニカを一望できる小高い山の山頂へと逃げのびた。
ここで一息つこう。
そういってシモキティウスは腰を下ろし、ふぅっと息をついて、二コニカの街を見渡した。
その姿はこの間までとなんら変わらなかった。
目の前一杯に広がる美しい街。
しかしそこは、最早シモキティウスを受け入れてくれる場所ではなくなったのだ。
街を着の身着のまま飛び出してきたシモキティウスにとっては、まだその実感がなかった。
明日にでも帰れるのではないか、そんな気さえする。
また皆笑顔で迎えてくれるのではないかという淡い願望が浮かんでくる。
だが、帰ればきっと捕まる。
その現実と理想を行ったり来たりしながら、シモキティウスは座ってぼんやりと街を眺めていた。
いつ、またここに帰れるのだろうか。
そんな日がくるのだろうか。
シモキティウスは頭の中で今までのことやこれからのことをぐるぐるとめぐらせた。
そしてため息をつく。
考えなどまとまるはずがない。
行く当てもない。
これからどうするのかという算段などない。
ただ楽しかった昨日までがまぶしく思い起こされるだけだった。
シモキティウスは再度ため息をつく。
もう、ここでずっとこうしているか。
そんな自暴自棄になる手前までいった、その時だった。
斜面を登ってくる誰かがいる。
それは数人いた。
まっすぐこちらへ向かってくるようだった。
シモキティウスは目を凝らす。
彼らは皆真っ黒な服に身を包み、黒いサングラスをかけ、黒いローブをはためかせて歩いてくる。
かすかに音楽が聞こえてきた。
"ワルキューレの騎行"だ。
シモキティウスはしばしアレはなんだと訝しんだあとにハッとし、翻ったように逃げ出した。
彼らのことは聞いたことがある。
二コニカの帝王ウンェイ一世直属の実働部隊、通称"イカセ隊"だ。
黒ずくめの格好で壮大な音楽と共に、ウンェイの命令によって動き、あらゆる裏の仕事(意味深)を実行する組織。
いわば特殊部隊だ。
まずい。
シモキティウスはとにかく街から、彼らから離れるように時折後ろを振り返りながら走った。
必死に腕を振り、足を動かし地面を蹴った。
しかし彼らから距離を離せなかった。
シモキティウスは不思議だった。
あのイカセ隊は壮大な音楽と共に歩いていた。
いつ振り返って彼らを見ても、歩いていた。
彼らはずっと歩いているのだ。
それなのになぜ走っている自分と距離を離さずついてくるのか?
シモキティウスは必死に走った。
それでも彼らは威風堂々といった様子で歩きながらついてくる。
あの黒ずくめたちはただの人間ではないと直感できる。
人間の形をした化物なのだ。
歩くだけでそう相手に感じさせるイカセ隊は、まさに危険な領域へと突入した精鋭なのだ。
恐怖がじわじわとシモキティウスを染める。
誰か助けてくれ———。
その時、少し遠くに大きな建物が見えた。
アレは、とシモキティウスは思い出す。
そうだ、アレは谷岡精子場だ。
谷岡精子場というのは俗称だ。
本当は谷岡製紙場といった製紙工場であったが、誤植で精子場になっていたのを人々が面白がってそう呼んでいたせいで、その俗称で呼ばれるようになってしまったのだ。
あそこなら隠れてやり過ごせるかもしれない。
シモキティウスは、建物へと転がりこんだ。
その工場は二階建てで、中は薄暗く、誰もいなかった。
古い時代の機械がたくさん置いてある中を、シモキティウスは隠れる場所はないかと探す。
窓の外をみると、もうすぐそこにまで彼らはやってきていた。
相変わらず歩いていたが、それでももうすぐここまで来る。
イカセ隊特有のワープ、ふと誰かがそう言っていたのを思い出した。
シモキティウスは更に奥へと逃げ込み、二階へ上がる階段と、そのわきにシースルーの金網でできた古めかしいエレベーターがあるのを見つけた。
この時シモキティウスは冷静さを欠いていた。
二階へと上がってしまったのだ。
当然再び外へ逃げるには階段かエレベーターをくだるか、どこかから飛び降りるかしかない。
だがシモキティウスはとにかく隠れるところに行けばいいんだという考えでいっぱいだった。
二階へ駆けあがると、そのまた奥へと逃げる。
シモキティウスは隠れるのによさそうな木の机をみつけた。
すかさずその下に飛び込み、息をつく。
上がり切った呼吸を必死に整える。
その時、イカセ隊たちは既にシモキティウスが二階に上がったことを知っていた。
彼らは悠々とエレベータに乗りこみ、足を肩幅に開き腕を組み、いわゆるガイナ立ちと呼ばれる格好で二階へと上がる。
ワルキューレの騎行を流しながらのその姿は、まさに圧巻であった。
二階に到着し、扉を開いたエレベータから、彼らが歩みだす。
そして、まっすぐにシモキティウスの方へと向かって行った。
だがシモキティウスはそのことに気づいていなかった。
机の下ではあはあと息をつきながら、体力を回復させながら、彼らをどうやってまくかを考えることで精いっぱいだった。
まさに今近づいてきている彼らに注意を払うことを怠ってしまったのだ。
その間にもぐんぐんとイカセ隊が距離を詰めて行く。
一歩、また一歩。
そして、シモキティウスはぐいと腕を掴まれ、口を押えられた。
シモキティウスは驚き、う、羽毛、と呻いた。
シモキティウスを拘束した者がささやく。
「シモキティウスさん、ご無沙汰じゃないですか」
聞き覚えがあった。
ゆっくりとその人物を見る。
なんとクボティトだった。
シモキティウスが落ち着きを取り戻すと、クボティトは押さえた手を放す。
あんたぁ...(レ)とシモキティウスが呟いて絶句していると、クボティトは、ここから逃げるからついてこいと言った。
身をかがめ、並んでいる機械に隠れるようにして二人は進む。
その先にはしごがあり、クボティトは急いで登れと言った。
そしてそれを登ると、屋上へ出た。
そこにはなんと小さいヘリコプターがあり、更に誰かがそのそばに立っている。
イカセ隊かとシモキティウスは一瞬緊張するが、クボティトは笑って、ホラ見ろよ見ろよと言う。
その人物はなんと、クボティトが勤めていたバーの店長、ヒラーノであった。
ヒラーノは再会の笑顔を浮かべた。
「シモキティウス様、お久しぶりです...」
その酒焼けしたような、それでいて聞き心地のいい落ち着いた声色に、シモキティウスは安堵感に包まれた。
ヒラーノは今はとにかく早くヘリに乗れと言い、シモキティウスは後部座席へと座る。
前の操縦席にヒラーノ、そしてクボティトが乗った。
エンジンが始動し、ローターが回転を始める。
そしてその4、5秒後にイカセ隊がはしごを登って屋上へと姿を現した。
シモキティウスがまずいですよ!と叫ぶと、ヒラーノは、このまま逃げる、と言って、機体を離陸させた。
イカセ隊たちが立ち尽くしているのを見ながら、シモキティウスたちは飛び立った。
ちょうどその頃、シモキティウスたちが乗ったヘリコプターの真下で、インタビューが行われていた。
ハターノという男がそれを受けていた。
「え~、年齢は18...」
そこまで行ったところで上空をヘリが通った。
ブォォォォォォォォという音で、彼の声はかき消され、のちにこのインタビュー映像を見たものは、風神の仕業とはやし立てたという。
それが、シモキティウスたちの反撃の咆哮であることは、まだ誰も知らなかった。