シモキティウスたちは雨が滴る狭く暗い路地裏を駆け巡るように移動した。
人の目にも止まらぬ素早さと、気配を消して環境と一体化する沈黙、このふたつこそが隠密の基本であり究極なのだ。
この動と静はシモキティウスが訓練で身につけた賜物だった。
とまるんじゃない、犬のように駆け巡るんだ。
動くな!(ヒゲクマ)
これを繰り返し繰り返し叩き込まれたのだった。
彼は今それを存分に発揮し、ヒラーノとクボティトに追随する。
それを見た二人は、これは頼りになると再確認した。
そしてついに目当ての収容所へとたどり着く。
ヒラーノがグッと左手を挙げて合図し、とある角で止まる。
つきました、と言った。
シモキティウスが角から覗き込んだ。
収容所だ。六階建ての建物で、ごく小さな窓が所々にあるのみ。
さらに高い塀に囲まれて、中の様子はわからなかった。
問題はどうやって入り込むかだが、それはすでに手配していた。
この収容所の職員は勤務にローテーションがあり、週一度全員メンバーが交代する。
それが今日だった。
その中に紛れ込むのだ。
それから三人はしばし待機し、交代要員を乗せたバンが複数来たのを確認した。
ヒラーノが用意をしましょう、言い、三人は警備の振りをして近づく。
そして職員の中へと自然に溶け込んでいった。
保安検査の列へと並び、偽造したIDを用意する。
このIDはジューン・ペイが作ったものだ。
彼の腕を信頼しないわけではないが、すんなりと通してもらえるかどうかわからないという不安は、やはり気持ちのいいものではない。
自然と鼓動が早まった。
しかし彼らはプロだった。
緊張を悟らせない立ち振る舞いで検査へ進み、IDを出す。
検査官がそれをスキャンした。
数秒ほど検査官はモニターを見て、彼らをチラチラと上目遣いで見た。
シモキティウスはチラチラ見てただろと言いたくなる衝動を抑えた。
検査官は眉間にシワを寄せ、さらにしばし沈黙した。
まずい。
バレただろうか。
検査官がようやく口を開き、警備員にしては重装備だな、と訝しむように言った。
それもそのはずだった。
彼らは市街戦用パターンの迷彩服に防弾ベスト、サプレッサーまで付いたアサルトライフルや各種装備を身に着けているのだ。
施設警備としては過剰な装備だ。
だがシモキティウスは動ずることなく、我々は奴の移送に備えて送り込まれたんだ、この装備はそのためだ、と答えた。
検査官はそれでも納得しない様子で、それにしては三人とは少なくないか、と返す。
シモキティウスは、あまり大人数では目立つし、俺たちは三人でも十分こなせる、と答える。
検査官は食い下がって、銃にサプレッサーまで付けてるのはなぜかと聞いてきた。
すかさず、ここは市街地だ、万一の時でも市民に余計な不安を与えないためだ、と答えた。
更にダメ押しで、任務はそのIDにある通りだ、通してくれ、と言う。
検査官は腑に落ちないようだったが、小さく頷いて、よろしいと言い、IDをシモキティウスたちへと手渡した。
三人は受け取り、ありがとう、と言って施設内へ入る。
第一関門はなんとか突破した。
そういってシモキティウスは安堵のため息をついた。
それを見たクボティトは、まだ安心しちゃダメよと声をかける。
ヒラーノが、しかしシモキティウスさんはよくやりました、と言った。
ここの検査官はウンェイ一世の下で働く人間にしては有能だ。
あれほど疑り深く職務を確実に全うする人間だということはヒラーノにとっても想定外だった。
シモキティウスはそれをうまくかわして見せた。
ヒラーノはそれを讃えていた。
シモキティウスはようやく役に立てたと内心喜ぶ。
三人はカッツのいる場所へと廊下を進んだ。
その後、彼らは特に問題なくカッツの収容される独房の前へとたどり着いた。
独房には厚い扉があり、両脇に警備が二人立っている。
彼らを排除してカッツを助け出すのが最も手っ取り早い。
そう判断した彼らは、一斉に二人にとびかかった。
二人はなんだこいつら!?と驚いたが、声を上げる前に気絶させられた。
三人に勝てるわけないだろ、とシモキティウスはひそかに思う。
しかしそれは天井にある監視カメラにバッチリと映っているはずだ。
警備が気づくまで猶予はない。
すぐさまヒラーノがIDをセキュリティにかざし、独房の扉を開ける。
薄暗い独房の中に一人。
カッツだ。
彼はうなだれるようにして座っていた。
彼が首をあげてこちらをみる。
ヒラーノは、カッツ、と声をかけた。
カッツ・ラギレン。
彼は驚いて声をあげた。
ヒラーノ、と。
ヒラーノは、再会を懐かしむ暇はない、すぐにここを出ると言って、竹刀を手渡した。
カッツはそれを握りしめると、生気を取り戻したかのように立ち上がって構え、頷いた。
ジューンが空から回収してくれます、屋上へ出ましょう、とヒラーノが言って、駆け出し、三人はそれに続いた。
四人はそれから死角をつたい屋上を目指して建物の中を進んだ。
走り、止まり、敵を倒し、また走るを繰り返した。
そして階段を駆け上がり、また上へと進む。
シモキティウスはその時あることに思い至った。
おかしい。
警報が鳴らない。
カッツを独房から連れ出した様子は監視カメラに映っているはずだし、ここでカッツを連れながら逃げている様子も見えているはずだ。
なのになぜ警報が鳴らないのか?
いや、なぜ何もしてこないのか?
シモキティウスが皆にそういうと、ヒラーノが、私もそう思っていましたと言った。
なにかある。
それがヒラーノの考えだった。
クボティトが、私たちは罠に誘い込まれているのでは、と言った。
あそこで何もしないで敵が来るのを待つだけなら、こちらから出向いたほうがマシだ、とカッツがそれに答えた。
シモキティウスはカッツは噂通りの人だと感じた。
また階段を駆け上がる。
六階だ。
ここを上がれば屋上だ。
彼らは屋上へと続く階段へと突き進み、全力で駆け上がった。
その先に扉があった。
ヒラーノが蹴り破る。
収容所の屋上だ。
雨はいつしか激しさを増し、空はますます暗くなっていた。
雨粒が激しく叩きつけ、その音はもはや轟音というべきものだった。
稲光が見え、雷鳴がとどろいた。
その時だった。
稲妻の閃光が屋上に仁王立ちする三人の男を照らし出したのを四人は見た。
黒いコート、サングラス。
腕を組み、足を肩幅にひろげた特有のガイナ立ち。
そして、あの音楽が聞こえる。
そう。
忘れるはずがない。
ワルキューレの騎行。
シモキティウスは全身が総毛立つのを感じた。
奴らだ。
イカセ隊だ。
イカセ隊とのにらみ合いの中で四人は動けなかった。
攻めあぐねた、あるいは先手を打てなかったと言った方が正しい。
イカセ隊はただ立っているようで、その実は隙がない。
お前のここが隙だったんだよと虚勢を張って攻め込もうものなら一瞬で打倒される。
動けばこちらがやられる。
イカセ隊は四人にそれを感じさせた。
それほどの実力者であるはずだが、しかし彼らはこちらに一向に仕掛けようともしないのだ。
イカセ隊は仕掛けられるはずなのに特有のガイナ立ちのまま微動だにしない。
その不気味さがシモキティウスの恐怖を一層にかきたてた。
雨粒が打ち付け時折雷鳴が轟く屋上で、誰も動かず誰も言葉を発しない。
シモキティウスはどうするかを必死に考えた。
だが、なにも打開策は見つからなかった。
打ち付ける土砂降りを全身に浴び雨水が頬をつたうのを感じながら、ただ銃を構えているだけだった。
双方が動かないまま、永遠のような時間が流れた。
その時、声がした。
そこまでだにょ、動かないでね~。
妙に神経を逆なでする声だ。
四人とも、聞き覚えがあった。
イカセ隊の後ろから、どこからともなく歩いてくる人影。
いっちねんせ~いになった~らと歌いながら歩いてくる。
その姿を見てシモキティウスは驚いた。
カッツ・ラギレンが虐待したという有名な人物だ。
ひで、だった——————。