第32話 舞うは湯煙
走行中のバスというのは非常に安心感があって心地よいものだ。キョウシュウチホーを回るこのバスは専用の整備された路線を通るため、と言うのも大きいだろう。そんな心地よさ故か、はたまた自分がネコであるが故か。まだ午後3時を過ぎたばかりにもかかわらずこの揺れに身を任せすぎてついうとうととしてしまう。
「そろそろ、見えてきた……かな」
「ほんと?あ、雪降ってるわよトツカ!」
「おっ、マジか」
それでも、やはり見たことの無い景色にはせる思いや期待というのは睡魔すらも
エリア境のゲートを抜けると、そこは──
『……おぉ!』
──そこは、一面の白銀世界だった。
見渡す限りに広がる雪の大地は目前にそびえ立つ山々も埋め尽くしてしまうほどに長く厚く積もりつつ太陽の光を反射して白銀に輝いていて、雲一つ見当たらない快晴の空とともに淡く美しい景色を織りなしている。
「『国境の長いトンネルを抜けると』ってのは有名な文だけど、やっぱり雪景色は綺麗よね」
「川端康成の『雪国』ですよね。こんなに雪のあるとこは初めてですけど、確かに綺麗です」
「博士さんも初めてなのね、じゃあ……って、もう出発しちゃうわ。早く行こ」
カラカルがカコさんを手伝いながら登山用のバスに乗り換える。バス停での移動中に一回カコさんが転んで雪に顔面ダイブしてしまったためカラカルと一緒にゆっくり歩いてきていた。どちらにせよ間に合ったのは確かで、2人が俺の隣に座ると同時にバスが動き出す。
「うう、転んじゃいました……普段、動かないからかな……」
「いやいや、あの地面は俺たちでも厳しいと思うぞ」
「私でも歩きにくかったし、辛いならゆっくりにするわよ。大丈夫?」
俺たちの言葉を聞いた後、カコさんはカラカルにハンカチを返しつつ、くすっと微笑み返した。
「辛くは……ううん、辛いけど、こっちの方が楽しい、です。向こうはいろいろ揃ってても、こんなに動くこともなかったので」
ちょっと名残惜しいかな、とカコさんが言ったあたりで、ようやく気付いた。
カコさんがここにいるのは俺の調査をするための「代理」として、である。つまり、本来呼ばれた人が来るまでの間しかいられない。おそらくもう少しで帰ってしまうのだろう。……つか、「副所長」なのにこんな辺境にいていいのか。
「……それなら、今回の温泉旅行は目いっぱい楽しまなくちゃな。メモリだのデータだのはささっと終わらせて……いてっ」
「ばーか、そっちが本題で温泉旅行はおまけよ。それに私たちだって用事があってきてるの、忘れてないわよね」
「わ、忘れてないって」
カラカルにツッコミチョップされた頭をさすりながら追撃に備えたが、一回で勘弁してくれたのかため息を出されただけだった。毎度のように手加減をしてくれないが、俺のことはこれっぽっちも気にせずにカコさんへと向き直す。
「まっ、おまけとは言ったけど楽しまないとは言ってないわ。精一杯楽しんで、いい思い出にしましょ?ね、博士さん」
「……はい!お願い、しましゅっ!」
……あ、噛んだ。
~到着~
いろいろあって数分後。
「よっ、と……あ、脱げない」
「ほんとあんたって不器用よね。ほら、やってあげるからじっとしなさい」
カラカルの要望で早めのお風呂ということになり、今は脱衣所に来ている。
一応チェックインとかその辺はカコさんがやってくれた。荷物も、まぁカコさん用の着替えがある程度でそんなに運ぶ必要もなかったから結構楽だったな。
「一人じゃなにもできないんだから。世話焼かせないでよね」
「はいはい、ありがとさん」
えーっと、服はこの前サーバルのやつを畳んだ時と同じように……うし、これでおっけぃ。後は手ぬぐいを持って、っと。
「準備できたぞ。カコさんは?」
「あ、はい、大丈夫ですっ」
カコさんもちょうど脱ぎ終わったところらしく、腕で胸を隠しながら俺の方を向いた。……同性なんだし隠さなくていいと思うけど。それ、むしろでかさが強調されてるだけだぞ。
「んー、カコさんってでかいよな。こう、全体的に」
「え……そ、そうですか?トツカさんもおっきいと思うけど」
「俺の方が小さいと思うぞ?揉んでみる?カラカルは一回揉んだことあるけど」
「『揉んでみる?』じゃないわよ、それにあれはあんたが悪いの。博士さんも無視しちゃっていいからね、行くわよ」
ガラガラ……
「……あら、あんまりいない。なんか広く感じるわね」
「今日は平日だしお客さんがいないんだろうな」
かなりの大きさがある露天風呂だったが、その中はまだ誰もおらず完全に俺たちの貸し切り状態だった。
おお、こんな体験なかなかないぞ。まぁ前世でも銭湯とか自体はあんまり行かなかったけど。
「うーん……平日の昼なのにこうしてると、なんか申し訳なさがある、感じ」
「気にすんなって、むしろカコさんは普段人一倍頑張ってるんだしこれくらいは休むべきだって。俺なんて常日頃暇してんのになにも感じなかったしな!」
「あんたはもっと礼儀を知りなさいよ……」
強いて言うならそうだな、女湯の暖簾は強敵だった。あれなんなんだろうね、潜るときに、こう、言い知れぬ罪悪感と何かに睨まれるような視線を感じたわ。怖い、女湯怖い。
「体洗って早く入りましょ。このままじゃ寒いわ」
「あ、桶はここにありますよ。んっと、どうぞ」
桶を持ちあげる二人を眺める。二人ともスタイルいいよなー……別にセクハラ発言とかではないし服が無いからよくわかるってだけなんだけど、きれいな肌だった。
まずカコさんはなにとは言わないがでかい。でかいしスタイル抜群で美人。完璧かよ。
んで、カラカルはどっちかっていうとしなやかな体つきをしている。四肢もほっそりとしてるし、やっぱ元の動物の特徴を表してるとか?
「……じろじろしないでくれるかしら?あんまり見られたって恥ずかしいんだけど」
「ん?あ、すまんすまん。つい見とれてたわ」
「見とれてたって……ほんと、呆れた。ほら、あんたも桶もって体洗いなさい」
「あーい」
あんまり眺めてたら怒られてしまった。さっさと言われた通りに体を洗おう……うっ、
~入浴~
かぽーん
「ふぁー、きもちぃー……」
「変な声だしちゃって。あっこら、タオルが湯船につくわよ」
そうは言われても、お風呂に入ったらつい声を出しちゃうのが人間の性っつーもんだから。しゃーなし、しゃーなし。
「バスに乗る前も思ったけど、きれいな景色。雑誌で見たときから一度は行ってみたかったのよねー」
「雑誌、ですか……カラカルさんは、雪景色とかの風景が好き、なんですか?」
雑誌、か。そういやサーバルもカラカルの持ってた、主に観光雑誌とかをよく読んでた時期があったな。いろんなページを見つけては、ここいきたいだのこれ食べたいだの言ってランキングとか作ってたな。確か、温泉旅行は山登りについで第二位だったか?知らんけど。
「んー、嫌いではないけどさ、単にサーバルが聞いたら羨むかなって思っただけよ」
「うっわ、発想がひどい……普通に風景を楽しむ気持ちとかないのかよ」
「あ、あるわよそんくらい。これはただ、いじってやれるネタが増えるのは嬉しいからとか、それだけなの!」
と自分ではいいつつ、俺も風景がどうのこうのとかよくわかんないんだけどな。俺は詩人でも評論家でも無い、そういう話されてもてっきとーに同調するだけしかできない一般人なんですー。……あ、これカラカルにばれたら殺される。
「だから、サーバルをいじれるからってそれだけなんだけど……どうしたの?」
「……サーバルさん、は……」
笑いながら話していたカコさんだが、サーバルの言葉が出ると同時に顔が暗くなるのがわかった。
「二人とも……その、ごめんなさい。本当は一緒に来られるはずだったのに、私が力不足だったから」
「いやいや、そういう意味じゃないの。力不足……はよくわかんないけど、あのバカはいつ何をしでかすかわかんないもの、検査は受けさせた方が良いと思うわ」
「ああ、アードウルフたちがついてくれてるとはいえ、心配だからな。むしろカコさんたちには感謝に尽きるくらいだ」
「……はい。ありがとう、ございます」
まだ顔は暗いままだったが、一応はそれで納得してくれたようだった。
なんにせよ、せっかく来た温泉旅行を楽しまないのはもったいない。
「とにかく、まずは楽しめれば良いと思うぞ。こんなのそれっぽくびゃーってやってわーってやればいいんだよ」
「……ふふっ。はい、そうですね!」
「いやだから、はいじゃ……はぁ、もうそれでいいわ」
そそ。俺だって久しぶりの温泉を楽しみたいし。何気に転生後初のお風呂だからな、これ。そう考えるとかれこれ数か月ほどお風呂に入ってなかったことになるのか?なんか不潔。
「そっか、結構久しぶりのお風呂だったんだなー」
「久しぶりって、あんたお風呂入ったことあったっけ?」
……あ。
「そ、そそそそれはそういうことじゃないんだ!いや確かに入ったことはないけど、ほらあれだ、シャワーだよ!あれと勘違いしちゃってさ?うん、ははは!」
「何よ急に、そんなに慌てて。別に隠れて入ったことあったって怒りはしないっつーの……あれ、でもここ以外にお風呂って」
だあああ、まずい!何でこういうとこだけ聡いんだカラカルはぁ!なんとか話題を変えねば……
「ほら見ろよあれ!なんかすごい鳥がいる!真っ白で青色なやつ!」
「ほんと!?えっどこどこ、どこですか!?」
「あそこあそこ、ほら、なんかでっかい木のところに」
「木のところ……あ、ほんとだ!」
「た、楽しそうね」
なんかカコさんが釣れてさっきの鳥について熱弁し始めたけど、話題は逸らせたのでセーフ。危ないところだった……あ、さっきの鳥が木を降りてる。よくもまぁあんな体勢で……転ばないのだろうか。
「ったく、ようやくのんびりできる……あ、あれってこの効能が書いてある看板みたいなのか。えーっと、せいにがあじ……?」
「『正苦味泉(せいくみせん)』です。別名マグネシウム硫酸塩泉、脳卒中の後遺症に効くことから『脳卒中の湯』なんて呼ばれたりもしますな」
「はぇー、そんなすごい温泉もあるもんなんだな」
「ええ、ただ正苦味泉は数があまりないらしいのですよ」
そうなんだ、じゃあ意外とラッキーだったんだな俺たち。
…………
「うっみゃあああぁぁぁ誰だおまえええぇぇぇ!?」
「おや、そういえば自己紹介がまだですかね」
待て待て待て待て!そういえばじゃねぇよお前いつからそこにいたよ!?というかなんでカラカル達も何一つの疑問もなく「なに騒いでんだコイツ」みたいな目で見てくるんだよ!恥ずかしいだろ!
「私はカピバラ。温泉が好きで、ここに来るのも二回目なんです。といっても、これから帰るところなのですが」
「カピバラ……ネズミ目テンジクネズミ科、カピバラ属のアニマルガールさん、ですよね」
「はい、そうですよ。お詳しいですね」
そう言って微笑むのは、前髪に2つ黒い点のついたセミショートの温厚そうな女性。髪色は赤褐色で、毛先にいくにつれて淡くなっている。
「は、はぁ。ちなみに、いつからここにいたんだ……?」
「……はて、いつからといわれても、あなたたちが来る前から、としか」
「……え?ってことは、最初から!?うそぉ!?」
いやいや、絶対ない!仮にそうだとしても影薄すぎだろ!存在感をどこにおいてきたんだ!
「嘘じゃないわよ、最初からいたわ。トツカが見てなかっただけじゃないの?」
「あり得ないだろ……カラカルだって確かあんまりいないって言ったはずだぞ」
「『あんまり』でしょ、誰もいないとは言ってないわよ」
そんなばかな……そんな理屈が通っていいものか……
「しかし、まさか誰かと会うとは思わなかったですな。今日は私以外誰もいなかったものですから……ところで、あなたたちは?」
「ん、あぁ。俺たちもまだだったな」
いかんいかん、カピバラの存在感が薄すぎて完全に忘れていた。
「俺はツバサネコのトツカ、隣にいるのが博士のカコさん」
「は、はい。よろしく、お願いします」
「んで、私がカラカルよ。よろしく、カピバラ」
「トツカと、カラカル……」
思えばこうして自己紹介なんてするのも久しぶりだ。最近はもう知らないアニマルガールとかあんまりいないし……あ、行ったことのあるエリアに限定されるけど。それでも大半のやつとはもう会ったことあるからなぁ。そもそも「ツバサネコ」なんて、最後に言ったのだってかなり前だ。
「あ、もしかして彼女が言っていた二人かも。うん、間違いないな」
「間違いないって、何がだ?」
「はい。ここに来たのは二回目、と言いましたね。実は、初めてここに来たとき、一緒に入った方から二人に伝言を預かってるんです」
伝言?一体だれから、つかなんのことだろ。伝言、伝言……あ。
「もしかして、俺たちに招待状をくれたのってカピバラだったのか?」
そうだ、俺たちついでに伝言を聞きに来たんだ。
「あぁ、違います、招待状を出したのは私ではないですかな。多分、私に伝言を残していった方ですよ」
「そうだったんですね。ちなみに、誰からなんですか?」
「まぁ待ってください。えぇと、背が小さくておでこの開いていた方でしたね。あと、前髪が少し垂れてたかな。名前は確か、ジャイアント……」
それ、もしかして……
「「……ジャイアントペンギン!」
「そうそう、ジャイアントペンギンさんって名前で……」
「ジャイアントペンギン!?」
と、突然カコさんが叫ぶ。
「うおっ、ど、どうしたんだ?」
「あ、いやその、なんでもない、ですぅ……」
かと思えば、今度は恥ずかしがってお湯の中に沈んでいく。……大丈夫?
しかしなるほど、ジャイアントペンギンか。言われてみれば、あいつ温泉宿行くみたいなことを言っていたような気がしないでもない。まさか本当に行くとは思わなかったが、あいつ、今どこにいるんだろう。
「へぇー。ジャイアントペンギン、私たちのこと覚えてくれてたのね……それでそれで、伝言ってなんなの?」
「はい、それなんですが、確か……」
カピバラは一瞬思い出すように顔をしかめたあと、もう一度こちらに振りかえって言った。
「『温泉紹介してくれてありがとう、呼んだことに深い意味はないけど適当に楽しんでくれ』だそうです」
今回から5話ほど温泉宿編です。