その後も数分ほどトツカの真上でわたわたしていた二人だったが、寒さや雪の冷たさのお陰かようやく冷静さを取り戻せていた。
「ふぅ、ごめんね。えと、それで……」
「あ、あのっ、あなたは」
それでもまだ少女の方は若干落ち着かず、何度も言葉をつっかえさせてしまっていた。
無理もないだろう、目が覚めればかまくらのなか、両隣には見知らぬ女性二人。そんな状況に突然として放り込まれれば、思考回路が働かないのは明らかだ。
命の危険に晒された後であれば、尚更。
「だいじょぶだいじょぶ、別に取って食おうとしたりなんてしないって。私も、そこで熟睡してるおバカさんもね」
「……そっか、よかったぁ……さっきの
「あれ?……あぁ、セルリアンのことなら問題ないわ。ちゃーんとこてんぱんにしてやったから」
誇らしげに胸を張ったカラカルの言葉に、その小柄な少女は違和感を覚えた。
あの謎の球体に襲われたとき月光の下にいたのが誰だったかは覚えていない。それでもただ一つ、確かに覚えていることがあった。
(……あれ、おっきなつばさがついてたような……)
目の前にいる赤褐色の少女と記憶の中の存在は似ても似つかない。
「えーと、あなたが、たすけてくれたんだよね」
「まぁ実質的にはね」
「でもあなた、はねがついてないよ?」
「え?」
「え?」
互いにぽかんとすること数秒。
「……とりあえずそれは置いといて。私はカラカルキャットのカラカル、そこの転がってんのはネコのトツカよ。あなたはなんのアニマルガールなの?」
思えば最初に聞くべきであったと内心で後悔しつつ話しかける。
「あにまる、がーる……って、なに?」
しかし、返答はカラカルの予想したそれではなかった。
「なんなの、それ」
「えっ、あー……ごめん、聞き直すわ。名前ならわかる、わよね」
「それなら……」
少女は自分がどう呼ばれていたのか思い出そうとした、が。
「……あれ、わからない……なんでだろ」
「名前もわかんない、ってことは、まだないのかしら」
「かも……ごめん、なさい」
「いやいや、謝るようなことじゃないんだけども」
名前もまだなく、アニマルガールのことも知らない。自分がなんのアニマルガールであるかはスタッフに聞けばわかるはずであるが、知らないということは会ったことがない、ということになる。
「……念のため聞いておくけど、『ジャパリパーク』ってわかる?」
「うーん……」
少し考えてから力なく首を横に振る少女を見て、カラカルは確信する。
彼女はスタッフにあったことがない。だが、月に二、三度はジャパリパークのスタッフによるアニマルガールの状況確認があるから、会ったことがないなんてことはほぼありえないはずだ。
それがあり得ている、ということは。
(生まれたばっかり……ってこと、なのかな)
唯一気になることがあるとすれば、この時期に新たにアニマルガールが生まれることがあるのだろうか。研究員たちによれば、アニマルガールの新個体は、アソ山の噴火時期に多く見られるというが……と、そこまで考えて、カラカルは疑問を捨てた。
(専門家じゃないんだから、考えたってわかんないし。それよりも、先にやることもあるしね)
そっと少女のほうを見ると、二つの瞳が不思議そうにこちらを見つめていた。
「それで、あにまるがーるって、なに?」
「あー、そこら辺は説明が難しいというか」
急にいろいろ話しても理解が追い付かないだろうと思い、ざっくりとした内容だけを伝えた。
アニマルガールのこと。ジャパリパークのこと。職員の人たちのこと。
「そしてなにより、さっきあなたを襲ってたあれ、あれがセルリアンよ。なんでか知らないけどとにかく敵対的な奴等だから、危ないって思った時は、スタッフさんか私達他のアニマルガールを呼んで逃げること」
「わかった……」
「うん、よろしい。それで、なんか質問……えー、聞きたいことってある?」
そう言われてすぐに口を開いたが、そのまま躊躇うように閉じてしまう。カラカルは何もせずに見ていたが、あんまりにも同じことを繰り返し続けるので、可愛く……ではなく、かわいそうに見えてきた。
「恥ずかしがらなくていいって、別に笑ったりなんかしないよ」
「……えーと、じゃあ」
少し悩んでから口を開く。
「ここって、どこなの?」
「みゃ、そういえば忘れてた。今、そとが猛吹雪で……」
「もうふぶき?」
声が説明を遮った。どうやら『吹雪』という単語は知らないらしい。
「えーと、たくさん雪……まぁいいや、とにかく目の前が真っ白になっちゃうわけ」
「あ、それならわたしもしってるよ!すごいよね」
「そうそう。んで、それを逃れるためにこうして雪積み上げて中に入ってるの」
少女は一通り説明を聞きながら、あたりをずっと見渡している。特に声をかけられることもなかったので、カラカルもそっとしていた。
そうして、数分後。
「ねぇ」
唐突に、カラカルは声をかけられた。
「いまはたぶん、えーと……もうふぶき、じゃないよ」
「んー?あぁそれはね、かまくらの中だから見えないだけで」
「そうじゃなくて、そと」
壁のほうを指さしながら少女が言う。言われてみれば、先ほどまでより風の音が弱くなっているような気がしないでもない。
「……もしかしたら」
カラカルは爪を光らせ、雪の積もった量を考慮し試しに天井近くの壁を削る。
真っ白な雪の壁はボロボロと崩れ落ち、そこから見えた外は……一面雪で覆われてはいたものの、吹雪が止んでいた。
「……お、ほんとだ!止んでる!」
あまりの吉報についはしゃいでしまう。が、いまの自分は三人の中で唯一動ける、リーダーのような状態。ならば焦るべきではないといったん落ち着いて、どういった行動をとればいいのかを考えた。
まず一つ目は、このかまくらから出て宿に戻ること。スタッフからも『戻ってきて』と連絡があったのだから、状況的にもこの中で長居はできないことも鑑みて、これが最善策だ、とカラカルは考えた。
となると、寝ているトツカを起こす必要があるのだが……
「んっと、トツカ、もういくわよー」
「むにゃあ……ビームは撃つなよからかるぅー……」
「撃たないわよ!」
まったくどんな夢を見たいるのか、と思いつつ体を揺さぶるが、熟睡しきって一向に起きる様子がない。もういっそのこと殴り飛ばしてでも起こしてやろうか……というところで、トツカの顔がこちらを向き。
「おねがい……あと、ちょっとだけぇ……」
「……~っ!!」
甘い声の寝言が現れた。
「……しょ、しょうがないわね!まぁ、スタッフさんも探してきてくれるかもしれないし?あんた運ぶのも面倒だし?で、でも、あとちょっとだけなんだから!」
「わーい……」
勝手に理由をこじつけて最善策を放棄するリーダー。流石はダメ女。
「それじゃあ、もうここからでちゃうの?」
「んんっ……えっとね、もうちょっとだけこの中で待つわ。まぁ、本当はさっさと出た方が良いんだけど」
「そっか……」
顔を乗り出して外を見ていた分寒くなったため、二人とも防寒着の寝袋の中へと戻る。開いた穴からの冷気が少し寒さを増幅させるが、一度暖かさに包まれたために手を動かすのはどうも憚られた。
「あなたは、外へ出たいの?」
「うーん……ちょっと、わかんない。でたいけど、ここはあったかいから」
「そうよねー」
適当に会話を織り交ぜながら、かまくらの中で待ち続ける。
「……これから、どうするの?」
「これから?そうね、取り敢えずは宿ってとこに行くかな。そこなら暖かいし、あなたのことも色々わかるかもしれないから。少なくとも、ここに居るよりは良いと思うけどね……あ、でもあなたはこういうところの生き物だったから、どっちが良いのかはわからないけど」
「やど、にいったら、もうかえれないの?」
「いえ、その後は多分どこにでも行けるけど……」
彼女の瞳を見たカラカルは、そこに不安の表情が混ざっているのを感じた。先ほどのセルリアンに対する不安と言うよりも、どちらかと言えば、孤独に対する不安の様にも感じ取れた。
「……どこか、行きたいところでも?」
「あ、うん……えと、わたしのなかまが、いるの。みんながまってるかも、しれないから」
仲間、ということは、彼女には縄張り……というよりは、鳥であるから、巣があるのだろうか。きっと自らの巣へと帰りたがっているのだろう。場所も解っているだろうから帰ることには問題ない。
だが、カラカルが問題に思ったのは別の点だった。
(……一緒に、暮らせるのかしら……)
カラカルが言葉という物を知ったのはアニマルガールになってからだった。中には動物の時は仲間とコミュニケーションをしていた者もいるらしいが、カラカルは動物の時から他の獣の言葉が分かったことは無い。
そして、今も。
ただ、それを今の彼女に伝えるのは酷というものだ。いずれ知るとは言え、この危険な状況でそれを伝え、余計にパニックに陥らせてしまえばそれこそ元も子もない。
「でも、もどれるなら、いいの。それに、あなた……じゃなかった、あなたたちについていったほうが、だいじょうぶだとおもう」
「そうしてくれれば、こっちとしても有り難いんだけどね」
出来るだけ触れなかったカラカルだったが、あまり言及するべきで無いににしても、やはり彼女の仲間についてが気になってくる。もしもまた会いに行くときがあればそこに居るかもしれない、場所を聞くくらいなら……
「ところで、その仲間さん達の場所、教えてもらってもいい?」
「えーっと……けっこうはなれちゃったから、もしかしたらちがうかも……ずっと、にげてたから……」
「あー、そっか……ごめんなさい、嫌なこと、思い出させちゃったよね」
「ううん、だいじょうぶ。それにたぶんおぼえてるよ、いつもいたばしょなんだから」
そう言って少女は、自分の逃げてきた道を思い出しながら自分の住んでいた場所を記憶の中から引き出して頭の中に描こうとした。
普段と変わることの無いあの光景は──
「…………わから、ない……」
──そこには、無かった。
「……わからないの?まぁ、さすがに離れすぎて……」
「そんなっ、おかしいよ!わすれるはずなんてないのに……わからない……!」
「ちょっ、大丈夫?」
頭を抱えて蹲る様子を見てさすがにカラカルも「これはマズい」と感じ、肩に手を置いて声を掛ける。だが、いくら声をかけ、肩を揺さぶったりしても、反応せずにただ
「ちがう、ちがうの……あなたじゃない……!」
「落ち着きなさいって、ほら、一回忘れて……」
「……だめ」
「え……」
突然反応したことに驚き、もう一度少女の顔を見て、その瞳がキラキラと輝いていることに気づいた。
何かが来る。カラカルの本能が、そう告げた。
「わすれてなんかない!わすれなんてしない!わすれては──」
瞬間、彼女の周囲に大量の羽根が創り出される。
「待ちなさい、何を──」
「──だめなの!」
間髪入れずそれらは雪の壁へと無造作に飛ばされていった。まるで鋭くとがった結晶のように壁を切り刻み、その勢いで雪が大きく舞い上がって全員の視界を塞いだ。
その中でカラカルが見たあの少女は、すでに走り出していた。
「あっ、待って!」
何があったのか。何を思いだしたのか。何を伝えたかったのか。
何もかもが解らないままだった。
それでも。
「ったく、どうしてこうも面倒事ばっかり!」
カラカルはその小さな姿を、追いかけるほか無かった。
針の止まったあの時計が、何時を指していたのか思い出せなくて