とある奇石の幻想管理《コーディネーター》   作:真っ黒セキセイインコ

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名前

 

 ジーッとした視線が真田紀里に突き刺さる。発生源は今日会ったばかりの灰髪の少女からだ。

 少女の長い髪が隠す額には小さなたんこぶができていた。

 一応断っておくが真田が何かをやらかしたわけではない。むしろ勝手に転んで床に頭をぶつけたのは少女の方だ。いわゆる自業自得というやつである。

 

「なあ……」

 

 返事はない。部屋の端っこで少女は膝を抱えたまま人形のように無表情でこちらを睨んでいる。真田が近づけばまた違う端っこ移動するのでどうしようもない。はっきり言って取り付く島もないのだ。

 

(やっぱし、病院か警備員に頼ったほうがよかったか……。でもなぁ……)

 

 本来なら真田紀里のやることはもっと前に終わっていて、あの男のことは大人たちに任せるのが当たり前のことで最も安全なことだ。少女だって得体の知れない男のいる部屋にいたら、それは誰だって驚くに違いない。実際、真田だってそんな目にあったら、まずすぐ近くにいる人間を疑うだろう。

 しかし、真田が病院などに少女を連れて行かなかったのも理由がないわけではない。

 

(――――痛っ……)

 

 頬に軽く触れてみると痛みが走る。パックリとまるで刃物か何かで切ったような傷口は、血は止まってこそいるが痛みが若干ながら残っていたのだ。そして、その傷を刻み込んだのはあの男である。

 あんな風に、人を簡単に殺せるようなことを平気で行う人間が、自分たちの住む世界にいる。その事態が真田に学園都市に対する不信感を少なからず煽っているのだ。

 それならあの少女がああやって真田に敵意を向けるのも頷ける。

 

「ハァ……」

 

 はっきり言って真田はこういう状況に慣れていない。

 どこぞの少年だったなら、きっと簡単に打ち解けて、きっとこの事態をハッピーエンドに導いていただろう。しかし真田にはそんな物語の主人公じみた資質など持っていないのだ。

 ならばどうしたらいいか。真田はもう一度だけ小さくため息をつくと棚の引き出しからある物を取り出し、そのまま少女の方に投げよこした。

 少女は真田の突然の行動に体を震わせたが、やがて恐る恐る投げ寄越された物を手を伸ばす。

 それはどこにでもあるようなスタンガンだった。学園都市はあまり治安が良くないので、ご信用としてこういうものは普通に売られている。物によっては小型警報装置と一体化しており、GPS機能までもが付いているものもあるらしい。

 

「――――俺が信用できなかったらそれを使え」

 

 真田にとってスタンガンの電流は天敵といってもいいものだ。だからこそ、渡す。信用がないならば、自分の弱みを見せればいい。そうすれば少しは敵意も和らぐかもしれない。

 どこぞの少年ならばもっといい方法を見つけていたかもしれないが、真田にはこれが精一杯だ。

 

「…………」

 

 帰ってきたのは奇異の視線だった。未だに敵意は同居したままだが、ほんの少しだけ和らいだように真田には感じられる。代わりに変なものを見るような目をされているわけだが、この際はどうでもいい。

 ホッとした真田は次にスーパーの袋の中から買ってきた食材などを取り出すと、スタンガンを握り締める少女に声をかけた。

 

「とりあえず昼間だし何か食うか。お前はなんか食いたいもんはって……」

 

「…………」

 

(そういや、喋ることができなかったっけ……)

 

 考えながら何かちょうどいい物がないかと真田は部屋を物色する。せめて紙とペンでもあれば最低限の意思疎通は出来るかもしれない。今の状況だって真田には理解しかねるのだ。状況を説明しあうにしても、あの少女が真田に気を許さない限りそれはない。

 ようやくメモ帳とボールペンを見つけると少女の方に滑らせる。

 

「文字は、書けるよな? それにさっきの返事書いてくれると嬉しいんだが……」

 

 言い終える前に少女は手を伸ばしていた。静かに手に取ると、彼女は無地の紙にペンを滑らせていく。そして流れるように書き終えると丸めて真田に方に投げよこした。

 真田はそれを危なげなくキャッチすると目を通す。

 カタカナで“イラナイ”と書かれていた。

 

「……“イラナイ”って本当に何もいらねーのか?」

 

「…………」

 

 真田が問いかけるも少女は応答することはない。いやむしろこの無言こそが肯定なのかもしれない。

 

(まあ……当たり前か)

 

 内心で乾いた笑みを浮かべながら真田は理解する。こういう反応をされたって当たり前なのだ。

 さっき真田が学園都市に不満を持ったように、少女だって突然目の前に現れた見知らぬ人間に気を許すわけがない。

 

「ハァ……」

 

 小さく溜め息をつくと警備員に連絡を入れるため携帯電話を手に取った。さっきは充電切れで使えなかったが、今では中程まで回復している。あとは番号を入力したら短い着信音のあとに大人たちへと連絡がつく。

 そうして音が鳴った。しかしそれは携帯電話からではない。

 そもそも携帯電話で『キュルルルゥ』なんて変な音がするわけがない。そんな音が機械から聞こえてきたらまさに怪奇現象だ。

 ちらりと少女の方を向く。相変わらず表情は変わらないが、こちらの視線に気付くとすぐに顔をそらした。

 もう一度、真田は小さく溜め息をつくとキッチンへと視線を移す。

 作るのはお粥あたりがいいかもしれない。

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

『検索結果です』

 

「えらく遅かったじゃねぇか」

 

 路地裏で男は怒気を孕んだ声を電話相手に投げかける。かれこれターゲットがあの虫に連れて行かれて数時間が経っていた。だからこそ男は苛立って仕方ないのだ。ヘタをすれば自分の命に関わる。

 

『そうは言われてもその少年の能力、あなたの予想とはかけ離れてましたよ。状況的にそういうことができる能力者を探すのは骨が折れましたし……』

 

「御託はいい。さっさとしやがれ」

 

 苛立ちを一つも隠さずに男は毒づく。

 『三黒』と呼ばれる存在がいるらしい。『らしい』というのは、単純にその正体を誰も知らないからだ。

 いや、誰も知らないというのには些か間違いがあるだろう。なんせそれの招待を突き止めようとしたものは、等しく死を迎えているからだ。

 一切の交渉もなく、ただ依頼内容と依頼金だけが届けられる。これで持ち逃げができるものなら、嬉しいものだがそれはできない。やってしまったらあの世行きの切符もついてくる。

 そんな存在から依頼を受けてしまった男に余裕はないと無いのだ。それ以前にあの虫にプライドをひどく傷つけられたということもある。

 しかもそれの居所が見つからないのだから、よけい腹が立って仕方がなかった。

 

『はいはい、今からメールで送りますよっと』

 

 通話が切れて数秒してから、携帯電話にメールが届く。

 こういうことは早いのか。そんな風に男は毒づきながらメールの内容を見て、その顔を愉悦に歪めた。なんせそこに書かれているのは、あの虫が、ただの虫でないことを示す内容だったからだ。

 

「――――へぇ、こいつは……」

 

 男の顔がもう一度静かに歪んだ。

 

 

◇ ◆ ◇

 

 

 変な男。

 それが少女が抱いた、少年への感想だ。

 いつも彼女の周りに集まる人間といえば、ほとんどが科学に魂を売ったかのような科学者ばかりで、9歳の頃からそれは自然なことになっていた。

 だからこそ、この少年は不自然な存在なのだ。

 

「ほら、あったかいうちに食えよ」

 

 黙り込みながら、差し出された(かゆ)を眺める。

 白い湯気がもうもうと立ち上る熱いお粥は、今の季節感に抗いまくっているようにしか見えない。

 しかし、それとは逆に、非常に空腹な少女にとっては、非常に久しぶりともいえるまともな食物だ。なんせあの研究所では、まともな食事なんて出されたことがない。

 

「…………」

 

 静かに少年の方を見た。

 少女を刺激しないようにしているのか、離れたところにいる少年は、少女の数少ない『幸せな記憶』にあるような優しい笑顔を浮かべている。

 本当に安心していいのか?

 身も凍るような『嘘』をついているのではないのか?

 この少年を信じていいのか?

 ぐるぐる回る思考を少女は何とかまとめようとする。

 しかし、まとまらない。まとまるわけがない。

 

「…………」

 

 恐る恐る粥の方へ手を伸ばした。

 

――――あったかい……。

 

 夏だというの身体も心も冷え切っている少女にとって、それは久しく感じたことのないものだ。

 だからこそレンゲに伸ばしかけた手を引っ込める。

 さっき自分は“イラナイ”って書いたのだ。これを食べたら、ひどい恥でしかない。

 そんな少女の思考を知ってか知らずか、『ああ、そうだ』と言葉を漏らす。

 

「――――そういえば、さっき“イラナイ”って言ってたな。じゃあ、これは片付けないと」

 

 少年の手が、粥を片付けようと伸びてくる。

 本当に中身を捨てて、そのまま片付けてしまいそうな勢いだ。きっと、そのまま三角コーナーに捨てて終わるだろう。

 だから――――いつの間にか、粥の器を掴んでしまっていた。

 久しぶりのまともな食事ができる。そんな動物的本能でいつの間にかがっちり掴んでいる。

 

――――しまった。

 

 脳内でそんな言葉が再生されていた。ゆっくりと少し見上げれば少年が意地の悪そうな微笑みを浮かべている。少年が微笑みながらに言う。

 

「ほら、変な意地張ってないで食っちまえって。大丈夫、毒なんて入ってねーから」

 

「…………」

 

 少年がカラカラと笑う。

 やはり悪意は見えない。

 だから、わからない。だから、試すしかなかった。

 少女はゆっくりとした動作で、ほんの少しだけ粥をすくうと口に含んだ。

 

――――優しい味……。

 

 とりわけ美味いわけでもなく、不味いわけでもない。まさに普通としか言い様のない味。

 それなのに、それは少女にそんな感想を抱かせる。

 そんな少女の様子に少年は『そういえば』と声を投げかけた。

 

「――――名前言ってなかったな。俺は真田紀里。世紀末の『紀』に里山の『里』で紀里。お前は何て言うんだ?」

 

 真田紀里。

 それが少年の名前だと、ちゃんと認識してから、少女は返答に困った。

 自分の名前はちゃんとあるにはある。だが、暗い所に居すぎた現在の自分がソレを名乗って良いのかということに迷ったのだ。それにやはり信用できないという懸念も少なからず、ある。

 だからこそ、少女が紙に書いた返答は“何故”であった。

 

「“何故”って、まあ、『お前』だとなんか偉そうだし、それに名前っていうのは、親が自分の子供に贈った一番の贈りものなんだぜ。言ってもらえないって、なんかひどいじゃねーか」

 

 うーん、と唸りながら言う真田紀里に少女は少しだけ驚く。

 そんなことを言ってくれる人間は、この六年間、一人もいなかった。なんせ彼らにとって名前なんて記号でしかなかったのだ。だからこそ、あの場所での少女の名は“幻想管理”でしかなかった。

 

――――私の、名前……。

 

 気づけば自然とペンを走らせていた。

 単純に嬉しかったのだ。彼の言葉が嘘かもしれなくても、聞いてくれたことが、名前を大切なものだと言ってくれたことが、ただ単純に嬉しかった。

 

――――私の名前は……。

 

 やがて、紙に書かれた名前を、真田紀里は読み上げる。

 

「――――“篠崎雨音”」

 

 少女――――篠崎雨音(しのさきあまね)は実に六年ぶりに、自分の名前が呼ばれるのを聞いた。

 

 

 

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