せっかくバーサーカーに憑依したんだから雁夜おじさん助けちゃおうぜ!   作:主(ぬし)

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今回、書いた後に気がついたんですが、ウェイバーとライダーがキャスター工房に駆けつける時期が一日早くなってます(多分)。小説を読み返していてなんか違和感があるなと思っていたらそんな感じでした。原作よりかなり早くサーヴァントが二体も脱落しているので、展開も早くなっているんだとご都合的に考えて下さいませませ。


2−5 ぅゎょぅι゛ょっょぃ

‡龍之介サイド‡

 

 

「ダンナの霊圧が……消えた……!?」

 

下水道の最奥部、地表からの雨水を一時的に貯留するための広大な空間で、唐突に身を貫いた喪失感に、雨生龍之介が目を見開いて呻いた。

 

「———なーんて、んなはずないかぁ。ダンナが死ぬなんて想像できねえし」

 

龍之介は正式なマスターではない。聖杯戦争どころか魔術への知識すらつい数日前まで皆無だった素人だ。全能の願望機を掛けた凄絶な闘いも、せいぜい『とてもクールで刺激的な遊戯』程度にしか考えていない。だから、自身の手から令呪が消えた意味———サーヴァントの消滅にも気づかなかった。

そもそも、今はそんな些細なこと(・・・・・)など問題にしてはいられない切迫した状況なのだ。

 

(さぁてさて、どうしたもんかなあ、これ)

 

頬を掻く龍之介の目の前には、冷たい壁を背にして怯え竦む数十人もの子供たちの姿があった。彼らは全て、ある崇高で傑作的な創作のために収集された素敵な“材料”たちだ。

質の良いものを厳選し、それなりに数を集めることは大変な苦労が必要だったが、それも完成時の湧き立つ歓喜を想像すれば苦ではなかった。“青ひげのダンナ”によって『大勢の子どもを仮死状態にして完璧に保存しておく』という夢のような方法が実現できたことで、創作の幅は多いに拡がり、壮大なモノへと昇華された。当初の予定は人間オルガンの製作であったが、今考えればそんなものは小さい小さい。せっかくなのだから、もっと大きく荘厳なものを創るべきだ。命の尊さ、素晴らしさ、苛烈さ、生々しさ———人間讃歌をでっかく表現する、超クールな楽器を誕生させるのだ!

 

「そう、人間パイプオルガンだ!!」

 

叫び声に子どもたちがビクリと肩を跳ね上げる。その様子に、龍之介はがっくりと肩を落として意気消沈する。

 

「でも、なんでみんな目を覚ましちゃうんだろうなぁ。これじゃあ、パイプオルガン製作スケジュールは全部パアだよ」

 

龍之介は、人間パイプオルガン製作のために今まで人殺しをずっと我慢して材料集めに四苦八苦してきた。巨大なパイプオルガンの材料を全て子どもに変えるのだから、当然、必要数はかなりのものになる。無駄に消費するわけには行かず、龍之介とキャスターは子どもを攫って来ては仮死状態にして保存し、下水道の奥にずらりと並べていた。

まだ赤ん坊の張りを残す艷めく肌、男にも女にもなりきれていない中性的な骨肉、何よりこの世の不条理を知らない無垢な魂。それらが一つに集合し、楽器へと生まれ変わった時、それが奏でる音色は果たしてどれほどの感動を聞く者の心に呼び覚まさせるのか。きっと想像もできないほどの衝撃に違いない。街中を探しまわって60人ほど厳選し終わった時に流した汗は実に爽やかなものだった。キャスターがそこから30人を連れて行くと言い出した時には思わず涙を流して思い留まるように説得したほどだ(結局連れていかれてしまったが)。

だが、それから間もなくして、キャスターが魔術で仮死状態にしていたはずの子どもたちが突然覚醒したのだ。一人ずつ目覚めさせ、ゆっくりと解体しながらたっぷり時間をかけてじっくりとパイプオルガンの製作に取り掛かろうと考えていた龍之介は非常に焦った。術を解いたキャスターの真意はわからないが、もしもこのまま仮死状態に戻らなかったらスケジュールはとてもハードなものになってしまう。焦ってモノ創りを行うと大抵駄作になってしまうことを経験で理解している龍之介は頭を抱えた。

 

「み、みんな、大丈夫よ。コトネもみんなも、私が守ってみせるから……っ」

「り、凛ちゃん……」

「うん?」

 

搾り出すようなか細い声で、一人の少女が龍之介の前に立ちはだかった。長いツインテールを揺らす、美貌の少女だ。勝気そうな瞳は今にも泣き出しそうで、それでも強い覚悟の色を失わない。夜中に街中を彷徨いていたところを偶然拾ったのでてっきりそこらの家出娘かと思っていたが、どうやらたった一人で友だちを助けに来たらしい。その高潔な魂はきっと宝石のように美しいに違いない。

思わぬ収穫に龍之介の顔面から不安が吹っ飛び、満面の笑みに取って代わられる。

 

「へえ!こりゃあ、いい拾い物しちゃったかな。こういうのなんて言うんだっけ?棚ぼた?よくわかんねえけど、カミサマは俺のことを見捨ててなかったってわけだ!んー……決めた!君はオルガンの飾りにしよう!!」

「ひっ……」

 

自身を値踏みし、吟味する狂気の視線に貫かれ、少女の足がガクガクと震えだす。もはや自分は助からず、生きて家に戻ることはなく、それどころか生きながらに恐ろしいナニカに加工されることを理解して、少女の顔が絶望に染まってゆく。

龍之介が一歩詰め寄ると、ついに少女はぺたんと尻餅をついて後ずさる。己の末路を自覚して淀んだ瞳に浮かぶ涙が、宝石のように美しい。この僥倖には青ひげのダンナもきっと大喜びするだろう。

他の子どもを失ってもこの少女だけは確保しておこうと壊れ物に触れるようにゆっくりと手を伸ばし、

 

「うおっ!?」

 

ぐいと背後から服の裾を引っ張られてタタラを踏んだ。引っ張られる位置からして子どもくらいの背丈だろうが、それにしては力が強い。おそるおそる振り返る。

 

「……わーお。今日はすげえ良い日だ。罰が当たりそう」

 

こちらの少女もまた美しかった。どことなく凛と呼ばれた少女と似通った容貌をしてはいるが、勝気さとは対照的な大人しげな雰囲気を持っている。可憐な美貌は美しく着飾っていることでさらに高まり、首筋から香り立つ蠱惑的な香水の匂いも強すぎず弱すぎず、素晴らしいエッセンスとなっている。この匂いはランバンマリーのオードパルファムだろう。年齢に似合わない大人びたお洒落が、まるで好きな男の子のために必死に背伸びをしているようで、とても愛らしく微笑ましい。紅く輝く双眸も、まるで誘っている(・・・・・)かのようだ。

 

「さ、桜!?どうしてここに!?———あっ!?」

 

少女が身を乗り出して叫ぶのを龍之介は見逃さなかった。さらに愉悦に歪む狂人の表情を見て少女が慌てて口を抑えるが、すでに遅い。

 

「ふーん。そっくりだなと思ったけど、姉妹だったのか。これは運命だね!カミサマから俺へのご褒美だ!」

「お、お願い!妹だけは助けて!何もしないで!」

「だーめ!君たち二人はパイプオルガンの両端を飾るんだから!もう決めたんだ!」

「そんな……。ごめん、ごめんね桜。助けてあげられなくてごめんね……」

 

いい台詞だ。感動的だな。だが無意味だ。龍之介の狂気の前では、幼い姉妹愛など創作熱意の後押しにしかならない。とりあえず、姉の方から出来る限りの保存処理をしようと歩を進め———られない。

 

「……ねえ、君、なんでそんなに力が強いの?」

 

裾を握る小さな手はびくともしなかった。引っ張ろうが身を揺らそうが、一向に揺らぐ気配はない。今度はか細い腕を無理やり引き剥がそうと力を込めるが、まるで歯がたたない。それどころか爪を立てても皮膚に食い込むことすら出来ない。

一見するとヤサ男に見える龍之介だが、伊達に人間を苦もなく何十人も殺したり、警察から逃げ続けているわけではない。服の下には引き締められた筋肉と運動神経を備えている。

だというのに、少女は必死の抵抗にも微動だにせず、じっと龍之介を見上げている。その無表情(スカルフェイス)に、まるで極太の支柱に縛り付けられているかのような感覚を覚えてゾッとする。

 

(ていうか、こんな娘攫ってたっけ?)

 

まったく身に覚えがない。こんな可憐で美しい素材は忘れるはずがない。迷いこんできたのかとも思ったが、下水道の奥にこんな少女が来るはずもない。それに、通路はダンナの使い魔で埋め尽くされていたはずだ。姉を探しに来たにしても、途中で食い殺されていなければおかしい。

 

(なんなんだよ、コレ(・・)は)

 

恐怖も怒りも絶望も宿していない、ただ紅蓮に燃える双眸に射られ、龍之介は生まれて初めて他者を“不気味”だと思った。

 

「ね、ねえ。黙ってないでさ、ナニか言いなよ。な?」

「ぐるる」

「ぐ、ぐるる?ま、まあいいか!」

 

予想していた言葉とはまったく異なるものだったが、それでも反応が返ってきたのは安心だ。相手が同じ人間だとわかれば怖いものはない。龍之介以上に人間を探求(・・)し、知り尽くしている者はいないのだから。

そう、相手が人間ならよかったのだが。

 

「グルルルルル……」

「……え?」

 

雷鳴のように腹底を揺らす低い唸り声。肉食獣のようなその声が少女の口から発せられたと理解するのにはだいぶ時間を要した。

忘我する龍之介の眼前で、黒い濃霧の竜巻を身に纏い、その中で質量を増大させてゆく何者かが少女の皮を脱ぎ捨ててゆっくりと身を起こす。

長身の龍之介をして首が痛くなるほどに見上げなければならない背丈のソレは、つい昨夜にダンナの水晶玉で垣間見た、漆黒のサーヴァント。

 

ジャーンジャーン!!

「ゲェーっ!バーサーカー!!———ひでぶっ!?」

 

ばっちーん!と小気味よい音を響かせ、強烈なビンタが龍之介の頭蓋を揺らした。顔面下部をクリーンヒットしたビンタは頭蓋骨の中で脳みそをシェイクさせ、龍之介から正常な思考能力を呆気なく奪い去る。剣山で殴られたような激痛に視界が明滅し、立つことも儘ならない。ふらりと倒れかけたところへ、さらに腕に激痛が走る。剛腕が流れるように龍之介の腕に絡まったかと思いきや、無理やり背中に捻り上げる。

 

「があああ!!」

 

それ以上いけないと言ってしまいそうな華麗なアームロックに強制的に意識を覚醒させられ、たまらず悲鳴をあげる。人間の域を越えた怪力に、腕と肘と肩がミシミシパキパキと不協和音を鳴らす。しかも絶望的なことに怪力にはまだまだ余裕がある。その証拠にちょっと抵抗する素振りを見せると、

 

バギリ

 

「痛っイイ!お……折れるぅ〜〜〜!!」

 

すでに折られているのだが、そう言わなければいけない気がした。

赤と黒に明滅してブラックアウト寸前の思考で、人間の構造を知り尽くした龍之介は今のは下腕の尺骨が折れた音だと瞬時に聞き分ける。それは腕の骨でもっとも固く、ダメージを負った際にもっとも痛みを感じる骨だ。この化物は、狙って折った(・・・・・・)

 

「てめえ、いったい———うわらば!!」

 

視界の死角から放たれたハンマーのような左フックが横腹を直撃し、人間の急所の一つ———肝臓を貫いた。げふ、と吐血が吹き出る。プロボクサーもかくやと言うべき全体重が載せられたパンチは、食らう側から見ても見事なものだった。今までの痛みなど足元にも及ばない生命活動を阻害するレベルの激痛に、龍之介の身体が強制的に海老反りに硬直する。次いで襲い来る、激しい呼吸困難。金魚のように口をパクパクと開くが、麻痺した内臓は機能せず、酸素が入ってこない。

 

(コレが、狂戦士(バーサーカー)だって?ハハ、冗談じゃない。コレは狂ってなんかない)

 

消える寸前の意識の中、本物の狂人(・・・・・)である龍之介は周囲の認識を嘲笑う。狂気の申し子である自分だからこそ、ひしひしと感じ取れる。コレは、狂気からもっとも遠いところにあるモノだ。狂獣の皮を被った冷徹の戦士だ。

 

「それって、超、クールじゃん……」

 

灼熱の眼光に睨み据えられながら、龍之介は意識を手放した。

 

 

‡バーサーカーサイド‡

 

 

ボクシング習っててよかったね。興味本位でアマチュアボクシングやってたんだけど、まさか夢の中で成果を披露することになるとは思わなんだ。持っててよかったミドル級!今度久しぶりにジムに差し入れ持って行こうかな。でも俺が差し入れ持ってくと減量中のボクサーを太らせちゃうから後で怒られるんだよなあ。

そんなことを考えながら、死なない程度にフルボッコにしたシリアルキラーさんをよいしょと放り投げると、なんか壁のほうで子どもたちがビクビクしだしました。うーん、怖がらせてしまったかもしれん。トラウマになっちゃわないか心配だなあ。なんか愉快なダンスでも踊って場を和ませたほうがいいだろうか?

 

「さ、桜……?」

 

見下げれば、幼女凛ちゃんですよ。まだ小さいね。原作ではコトネちゃんを探しに来たあたりで気絶して雁夜おじさんに助けられるんだけど、どうやらここに連れてこられたみたいだ。殺されてなくて何よりです。急いで駆けつけて正解だったね。子どももみんな無事そうだし。人間パイプオルガンのために溜めておいたってわけだね。これも夢補正だろうか。

 

「ちょっと見ない内に立派に育ったわね。お姉ちゃん参っちゃったわ、あははははは———きゅう」

 

バタンキューしちゃいました。まあ、目の前で妹が巨大な全身鎧に変身したら誰だってそうなる。俺だってそうなる。分かりにくいかも知れないけどジョジョネタだよ!

———おお?なんか雷の音がする。あれはライダーのゴルディアス・ホイールじゃないか?展開が早いな。鉢合わせすると色々まずいので、他の出入り口から出ることにします。ここで戦力を消耗するのは互いにとってよくないからね。この下水道の構造だと、だいたいあの辺に通用口を設けるだろうな。お、あったあった。ふはは、1級土木施工管理技士資格は伊達ではないのだよ。

遠坂ママが探してるだろうし、雁夜おじさんのイベントもあるから、凛ちゃんだけは連れていくことにします。他の子は申し訳ないけどもう少しここで待っててもらおう。

そうそう、シリアルキラーさんは簀巻きにして交番の前に放り投げとくことにします。お巡りさん、後はよろしくね!!

 

 

‡ウェイバーサイド‡

 

 

「どうやら、キャスター討滅は先を越されたらしいな」

「チクショウ、チクショウ……せっかく根城まで突き止めたっていうのに」

 

大急ぎで魔術的な実験で川の水を探ってキャスターの工房を発見し、神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)で乗り込んだのがつい先ほどだ。さあどんな防御結界や迎撃魔術が敷かれているのかと覚悟を決めて強襲してみれば、そこは魔術の痕跡が散見されるだけの伽藍堂な空間だった。この残滓は、唐突に魔力と魔術制御が途切れた際のパターンだ。ライダーもそれを感覚で感じ取っているらしい。つまりが、自分たちがここにたどり着いたとほぼ同じタイミングで、どこぞの陣営(・・・・・・)がキャスター陣営を討伐したのだ。

 

「ま、こういうこともあるさ。余は坊主が成果を見せただけで満足よ。人攫いなんぞの首級をとっても楽しくないしな。で、坊主。この小童たちはどうするのだ?」

 

ライダーが振り返る先には、神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)の荷台に当る部分に詰め込まれている少年少女たちがいる。とりあえず全員を眠らせているが、記憶の部分消去などという高度な魔術まではウェイバーは出来ない。

 

「教会に連れていこう。そこで保護してもらえばいいさ」

「うむ、あいわかった。ところで、だ」

「ああ、わかってる。———バーサーカー(・・・・・・)だ」

 

空気中に漂う邪悪な魔力に混じる、特徴的な魔力の波動。ウェイバーにも、その黒い霧がどのサーヴァントの魔力残滓かは嫌でも判別できる。その近辺に微弱な魔力を宿す真新しい血痕が残っていることを鑑みれば、ここで何が起こったのかは容易に想像できる。

 

「ついさっきまで、ここにバーサーカーがいたんだ。マスターを狙ったんだろうな。そいつの死体を証拠として教会に持っていけば、晴れて令呪はバーサーカー陣営のものだ」

「そして、残った小童は後から駆けつけてきた我らに丸投げというわけか。ふむ、敵もなかなか策士よな」

「褒めてる場合かよ。後処理を押し付けられたんだぞ」

「ふふん、相手が強ければ強いほど腕がなるというものだ。ハアッ!!」

「……そういうものか」

 

傲岸不遜に笑いながら手綱を鳴らすライダーを横目に、確かにそうかもしれないとウェイバーは心中に呟いた。

バーサーカーという爆弾が放たれたというのに、下水道には破壊の跡もなく、子どもたちにも一切の怪我はない。マスターが無益な被害を抑えたということだ。キャスター陣営をこれほど早急に討伐できたということは、もしかしたら教会が感づく前からキャスター陣営を危険視し、その居所を探っていたのかも知れない。

強大であると同時に、正義感と倫理観も兼ね備えた強敵———。

 

(相手にとって不足なし、ってことかな)

 

敵にまわすのにこれほど相応しい相手はいない。この敵に立ち向かって倒れても、きっと悔いはない。

ウェイバーは生まれて初めて、武者震いに身を震わせた。

 

 

「うーむ。しっかし、せっかく意気込んで来たというのに拍子抜けでスッキリせんなあ。ここは一つ、パァーッと盛大に飲み明かしてみたいものだが———おお、そうだ!」

「……おいィ?」

 

ぽむ、と心得顔で手を打ち鳴らすライダーに、ウェイバーの精神がストレスでマッハとなった。

 

 

‡雁夜おじさんサイド‡

 

 

「……そこにいるのは、誰?」

 

想い人の固い声には、明らかに警戒と敵意の色が見て取れた。そんな声が欲しくてこの戦争に参加したわけではないのに。

心を揺らす衝動をぐっと沈め、雁夜はゆっくりと街灯の光の下に姿を現す。ゾンビのような醜い顔を見られないように、ぶかぶかのウインドブレーカーを目深に被って。そうしなければ人前にも出れない今の自分が、ひどく情けない。

腕の中で眠る我が娘を守ろうと必死にこちらを睨む葵に、最大限の優しい声で話しかける。

 

「ここで待てば、きっと見つけてくれると思ってた」

 

よかった。搾り出した声は、昔のままだ。

 

「……雁夜……くん?」

「……ああ、そうだよ。葵さん。俺は、俺は……」

 

それ以上、言葉を紡げなかった。

何と言えばいいのだろう。聖杯戦争に参加したと正直に告げるのか?しかし、それはつまり———彼女の夫と、凛と桜の父親と、殺しあうということだ。幼なじみと自分の夫が殺し合いを演じているとわかれば、優しい彼女はきっと苦しむに違いない。桜を失い、凛を危険な目に遭わせてしまったことで、彼女はもう十分に苦しんだ。これ以上、負担を掛けていい道理はない。

遠坂時臣に恨みがないとは言えない。むざむざ桜を間桐臓硯の手に委ねた愚行と桜が受けた責め苦の代償を支払わせてやりたい。そうでなければ気が済まない。だが……自分一人の負の感情で、彼女たちの大切な存在を奪っていいのだろうか?俺は本当に、遠坂時臣を殺せるのだろうか?殺すべきなのだろうか?

苦痛にも似た葛藤が雁夜を苛む。言うべきか、言わないべきか。殺すべきか、殺さないべきか。その二択の狭間で雁夜の精神は磨り潰されてゆく。

 

(ぐるる)

(———ああ、そうだな)

 

そっと肩に置かれた手から勇気が流れこんでくる。霊体化していても、冷たい鎧に包まれていても、その手は思いやりに満ちていて温かかった。

 

「必ず、君たちも桜ちゃんも命をかけて幸せにしてみせる。そのために最善の結果を探し続ける。それだけは保証する。信じて欲しい」

「桜?命?……雁夜くん、どういうことなの?あなたは何をするつもりなの?……ま、まさか、あなたこの戦争に……!?」

 

魔術師の妻であるならば、雁夜が纏う魔力や、その背後に佇む人外の存在に感づいても不思議はない。これ以上は顔をあわせておくべきではない。彼女のためにも、俺のためにも。

 

「これでお別れだ、葵さん。俺は君のことを———いや、なんでもない。今までありがとう」

「雁夜くん、待って……!」

 

縋り付くようなか細い声に後ろ髪を引かれながら、それを振り払うように身を引く。

彼女とはもう二度と逢えないだろう。自分はこのまま戦いで命を削って、やがて力尽きるに違いない。だが、せめて彼女たちの———桜の幸せだけは、掴んで逝きたい。

 

「お母さん……」

「ぐるる……」

 

実体化したバーサーカーの腕の中で、桜が啜り泣く。バーサーカーが助けだした凛を葵の元へ返す際、間桐邸に残すのは危険だと思って連れてきたのだが、やめておくべきだった。まだ母親が恋しい年頃なのに、目の前にいるのに会わせてやれない。今葵に会わせるのは危険だし、断腸の思いで桜を手放した彼女に桜の弱った姿を見せるのは酷だと思ったのだ。それは桜に悲しい思いをさせるだけだった。こんなことなら、バーサーカーを残して自分一人で来るべきだったのだ。

雁夜は巨大な罪悪感に押し潰されそうになり、顔を俯ける。

 

「桜ちゃん、ごめん。おじさんは……」

「ううん、いいの。私は大丈夫。おじさんとバーサーカーがいるから。それに……」

「……?」

 

目を真っ赤に腫らした桜が、それでも懸命に笑顔を浮かべる。

 

「それに、おじさんが必ず幸せにしてくれるって約束してくれたから。だから、私は大丈夫」

「……そうだね。約束したんだ。約束は守らないといけない」

 

勇気が奮い立つ。握り締める手に力を込め、決意を新たに雁夜は天を仰ぎ見た。

 

 

 

 

「ねえ、バーサーカー。お母さんにバーサーカーを紹介する時、なんて言えばいいかな?」

「ぐるる」

「そうだね、そう言おうっと!私の未来の———きゃあ恥ずかしい!」

「待て、何と言ったんだ!?」

「ぐ〜る〜る〜(´ε` )」

「教えな〜い、じゃない!!」




余談ではあるが、この事件以降、凛は「桜が、黒桜がぁああ」と苦しげな寝言を漏らすようになったという。

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