せっかくバーサーカーに憑依したんだから雁夜おじさん助けちゃおうぜ!   作:主(ぬし)

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たった一つの理性を捨てて
開き直った不死身のお馬鹿
鬱とシリアスを叩いて砕く
主がやらねば誰がやる!

『シャーレイに憑依』というネタはyoshiakiさんから頂きました。ありがとうございました!!


番外編 せっかくシャーレイに憑依したんだからショタ嗣とナタリアさん助けちゃおうぜ! 下

番外編 せっかくシャーレイに憑依したんだからショタ嗣とナタリアさん助けちゃおうぜ! 下

 

「―――ぷはぁ!やっほー、ケリィ。元気してた?」

「……は?」

 

かつて恋した女で、かつて殺してやれなかった死徒が、そこにいた。

 

さすがの切嗣もこんな事態は想定の範疇になかった。まさか再会できるなど思ってもいなかったし、ましてやこのタイミングでこの場所に彼女が現れるなど、どうして予想できようか。

目をパチクリとさせて硬直する切嗣を置いてきぼりに、ダイバースーツを着込んだシャーレイがよっこいしょとモーターボートに乗り込んでくる。その反動で船体がゆらりと揺れて、彼女が亡霊や幻覚の類ではないことを切嗣に教える。

再会を喜んでいいのか悲しんでいいのか、懐かしんでいいのか嘆けばいいのか、判断がつかない。混乱する感情を無理やり隅に押しのけることで既の所で冷静さを維持した切嗣が、シャーレイに疑問をぶつける。

 

「なぜ君が生きてるんだ!?君は、父さんの試薬に触れて死徒になってしまって、アリマゴ島で殺し屋たちに処理されたはずじゃ……!?」

 

呆然と問いかける切嗣に、シャーレイは「ああ、そのことね」とまるで世間話をするようにあっけらかんと答える。

 

「どうやら私、死徒化に成功したらしいのよ。吸血衝動も死徒の弱点も克服しちゃったわ。健康管理士の資格は伊達じゃないってことね。

それと、島の南側の海岸で爆発があったのを覚えてる?あれ私がやったの。ケリィのお父さんが隠してたボートを使わせてもらったついでに、ちょちょっと仕掛けをしたわけよ」

 

まるでイタズラの告白をする子どものように歯を見せて笑ってみせる。

そういえば、島から逃げる際に後方から大きな爆発音が聞こえたのを覚えている。後で聞いた話では、アリマゴ島での食屍鬼殲滅の際に聖堂教会と魔術協会の殺し屋が揃って爆発事故に遭い、皆殺しを免れた島民を逃したという不祥事があったらしい。まさか、それがシャーレイの仕業であったとは思わなかった。

彼女はこんな素っ頓狂な性格だっただろうかと内心で首を傾げながら、さらに問う。

 

「き、君が生き延びた理由はわかった。でも、なぜ僕がここにいるとわかったんだ?どうしてここに来たんだ?」

「あれ?約束、忘れちゃったの?」

「約束……?」

 

ボートの縁に腰掛けて不可解なことを告げるシャーレイを凝視する。その明るさも、容貌も、体格も、切嗣が最後に見た時から何も変わっていない。見た目だけでは切嗣の方が年上に見える。成長が止まっているのは彼女が未だに死徒である証拠だ。

死徒は殺さなければならない、と強迫観念のような衝動に銃を保持した腕が自動的に持ち上がるが、その前に旅客機を撃墜しなければ間に合わなくなると理性が叫び、シャーレイを再び失いたくないと感情が密かに涙する。

様々な要因と逼迫した状況に銃口が震える。苦悩に眉を寄せて拳銃を突きつけてくる切嗣に、シャーレイは微笑んだままそっと手を伸ばす。白く細い指がまっすぐに切嗣の目を指さす。

 

「“大人になったケリィが何をするのか、この目で見届けさせて”。そう言ったでしょ?

それで、大人になったキミは今何をしようとしてるの?」

「―――僕、は―――」

 

 

『ケリィはさ、どんな大人になりたいの?お父さんの仕事を引き継いだら、どんなふうにそれを使ってみたい?』

『……え?』

『世界を変える力、だよ。いつかキミが手に入れるのは』

『……そんなの、内緒だよ』

『ふぅん?じゃあ、大人になったケリィが何をするのか、アタシにこの目で見届けさせてよ。それまでずっとキミの隣にいるから。いい?』

『……勝手にしろよ』

 

 

眩い日差しの中で彼女と約束を交わした情景が眉間を貫いた。衝撃に意識が揺らぎ、グラリと姿勢がよろめく。

誰よりも大切だった彼女に誓おうとした衛宮切嗣の原点が、よりにもよって彼女から突き付けられる。今では磨り減ってしまった在りし日の決意の煌めきが、彼女の笑顔を通して切嗣の目の前に立ちはだかる。

シャーレイはあの日の約束を守るために、こうして自分の元に現れてくれた。では、見届けられるはずの自分はいったい何をしているのか。

片手にぶら下げたままのブローパイプ・ミサイルを見下ろす。軽量化された最新モデルのはずなのに、ひどく重く感じる。

 

「僕は―――大人になったら『正義の味方』になりたかったんだ―――いや、今からなるんだ―――だから、だからこうして、大勢の命を救うために、ナタリアを―――母さんを―――」

 

彼女に打ち明けたかった夢のはずなのに、口にすればするほど自分が消えていくような気がした。空虚な台詞を吐き出す度に、大切な何かが切嗣の心から抜け落ちていく。

語尾に至るに連れて小さくなるその言葉を、シャーレイは「ふむ」と一度頷いて受け止めた。受け止めて、「やっぱりケリィはまだまだだね」と呆れて頭を振るう。

 

「ケリィ、自分の顔を見てみなよ。ほら」

 

言って、ダイバースーツのポーチから短剣を抜いて寄越してくる。忘れようもないその銀製の飾りナイフは、昔のままの美しさで切嗣の顔を刀身に映し込む。

 

「『正義の味方』ってのは、普通そんな顔はしないと思うよ?」

「―――ッ」

 

そこに映っているのは、変わり果てた 殺 人 者 (セイギノミカタ)の顔だった。表情を殺されて硬化した顔面の中で、猛禽のように血走った瞳だけがギラギラと昏く燃えている。

遥か昔に夢見ていた英雄の姿とは似ても似つかない醜い人殺しの顔に、切嗣は軋るような呻きを漏らして後退る。

 

「だけど……だけど僕は、やらなくてはいけないんだ……」

 

旅客機を撃墜することは、どうしようもなく正しい(・・・)ことだ。大勢の無辜の人間を守護するために、例え母親同然の女性をこの手で犠牲にする必要があるとしても、その行いには大義があった。これを『正義』と呼ばずして何と言うのか。

幼い頃に夢見ていた弱者の為に戦う英雄(ヒーロー)などどこにもいなかった。最大の救済を得るために最小の犠牲を切り捨てる冷酷な天秤こそ、切嗣が過ぐる日に憧れていた『正義の味方』の正体だった。

憧れ求めた理想(ユメ)の真実を知り、その理想の担い手となる己の醜い顔を突き付けられた切嗣に、シャーレイは労るように優しく語りかける。

 

「ケリィはそんな顔をする大人になりたかったわけじゃないでしょ?今ならまだ間に合うよ。引き返せはしないけど、違う道を選ぶことはできる。ナタリアさんのことだって、きっと―――」

「だったらどうしろって言うんだよ!!」

 

叩きつけるような叫びがシャーレイの台詞をかき消した。目を丸くするシャーレイの肩を乱暴に掴み、胸の内で渦巻く激情を迸らせる。

 

「助けに行けるのなら行きたい!ナタリアにまた会いたい!面と向かって母さんって言いたい!殺したくなんてない!でも、駄目なんだ!!」

 

本音を漏らしたことでついにタガが外れたのか、涙が溢れ、声が嗚咽に震える。

『“何をしたいか”を考えずに“何をすべきか”だけで動く生き様は人のそれではない』と教えてくれた大切な女性を殺さなくてはいけない悲劇に、彼の精神は崩壊寸前だった。

 

「ナタリアはあの旅客機の中にいて、あの中には食屍鬼が満載されている!あのままナタリアが生き残って空港に着陸してしまえば、一気に食屍鬼が解き放たれ、倍々ゲームで増えていって、ニューヨークは一夜にして地獄と化してしまう!シャーレイにならその恐ろしさが理解できるだろう!?

夢はただのユメでしかないんだ!どんなに崇高な理想を掲げたって、人間一人に出来ることなんてたかが知れてる!全てを救うことなんて出来やしない!やるしかないんだ、殺すしかないんだよ!だから僕は―――」

 

「最後まで話を聞かんかこんクソガキャあ!!」

 

「あ゛イ゛り゛ッ!?」

 

今度はシャーレイが切嗣の台詞を遮った。だからお前は阿呆なのだと言わんばかりの容赦のない鉄拳が顔面に炸裂し、切嗣の身体を吹っ飛ばす。ボートのデッキにもんどり打って倒れ込んだ切嗣をシャーレイが強く見下ろす。

 

「ケリィ、一人で何もかも背負い込もうとするのはキミの悪いところだよ。日曜朝七時半からのテレビをちゃんと観てる?」

「み、観てないけど」

「正義の味方自称するんのならニチアサヒーロータイムの鑑賞は義務だろうがクソガキ!!」

「い゛り゛ヤ゛ッ!?」

 

死徒の腕力で放たれた強烈なビンタに頭がグラグラと揺れる。親父にもぶたれたことないのになぜシャーレイにここまでビシバシ引っぱたかれなければならないのかと朦朧とする頭で考えていると、目の前に白く細い手が差し出された。

見上げれば、昔のように嫋やかな微笑みを浮かべるシャーレイが切嗣の瞳を見つめていた。

死徒になっても変わらない優しげな表情に、切嗣は無意識にその手をとる。冷たくて、けれども柔らかい女の手だった。

 

「要するに、誰かと力を合わせれば不可能も可能になるってことよ。まあ、今回はシャーレイお姉さんに任せなさい」

「……どうするんだ?」

「いいからいいから。ちょっと無線機貸してくれる?」

 

言われるがままに無線機を渡す。何の確証もないはずなのに、なぜか彼女に任せれば解決するのではないかと思えてしまう。

言われてみれば、ナタリアと共同で行った仕事は“力を合わせる”というよりは“それぞれに振り分けられた任務を処理する”という色合いの方が強かった。そういう意味で、切嗣は自分以外の誰かと協力するということを経験したことがなかった。

 

「シャーレイ、旅客機がミサイルの射程圏内から出てしまうまで時間がない。ギリギリまで待つから、やるなら早くしてくれ」

「おk。あーあー、ナタリアさん、聞こえますか?私、ケリトゥグ君のお友だちのシャーレイって言います」

『はあ?待て待て、まるで状況が掴めないんだが。いきなり切嗣と通信が切れたと思ったらいったいどうなってるんだ?つーか、女のお友だちがいるなんて私は聞いてないぞ!?』

「混乱するのは当然だと思うのですが、そこは華麗にスルーしましょう。突然ですが、私は今あなたの乗ってる飛行機を携帯式ミサイルで狙っています。撃ち落とされたくなかったら私の指示に従って洋上に不時着してください」

「ちょっ、シャーレイ!?」

「黙ってろクソガキ!!」

「ま゛イ゛や゛ッ!?」

 

顔面中央に強パンチを受けて「前が見えねえ」状態になった切嗣を放置して、シャーレイは交信を続ける。

 

『無理に決まってる!そんな高度な操縦は私にはできない!』

「大丈夫です、安心してください。私は事業用操縦士資格と運航管理者資格と航空管制官の資格を持ってますから、航空機の誘導なんて朝飯前です。

ほらほら、撃ち落とされたくなかったら指示に従う!まずはスロットルレバーをゆっくり下ろして出力を下げつつ―――」

 

 

………

……

 

 

結果だけを先に述べるなら、シャーレイの無茶苦茶な作戦は何とかなってしまった。

170トンを超える鉄の塊の着水によって生じた波に揺られながら、切嗣は洋上にプカプカと浮かぶ巨大なジャンボジェットを呆然と見上げていた。切嗣が不安げに見守る中、割られた操縦席の窓からダイバースーツの少女がひょいと飛び出してそのまま軽やかにデッキに着地する。その腕には気絶した女が抱かれていた。

 

「ナタリア……!」

 

あの後、シャーレイはまるで自分が操縦桿を握っているかのように見事にジャンボジェットを誘導し、滑らかに着水させてみせた。そしてボートで機首まで近づくと、死徒の身体能力を使って操縦席までスルスルとよじ登り、着水の衝撃と安堵感で気絶したナタリアを担いで再び戻ってきたのだ。

シャーレイが旅客機からボートを遠ざける中、切嗣はデッキに横たえられたナタリアに縋りより、強く掻き抱いた。安らかに上下する胸が、彼女が紛れもなく生きていることを伝えてくれる。ひと通り彼女の身体を確かめてみるが、食屍鬼化に繋がるような外傷も前兆も見られない。

 

「良かった……本当に、良かった……」

 

もう二度と会えない、自分の手で殺すしかないと思っていた母同然の女が無事な姿で戻ってきたことに、切嗣は深い深い溜め息を吐き出してその場にへたり込んだ。放心する切嗣の隣で、ブローパイプ・ミサイルを担いだシャーレイが照準器を旅客機の主翼に向けて引き金を引く。

 

「たーまやー」

 

主翼内部の燃料タンクに直撃したミサイルが炎の大輪を咲かせ、燃料のケロシンに引火する。直後、鼓膜を弄するような爆発音と衝撃波がボートを後方から叩きつけた。一瞬で火の玉と化した旅客機がメキメキと鉄のひしゃげる音を立て、数百人の食屍鬼と共に海中に沈んでゆく。これで、食屍鬼も魔蜂も地上に災厄を齎すことはなくなった。

張り詰めていた緊張が解き放たれてぐったりと脱力する。多くの犠牲が出てしまった。無辜の命を失ってしまった。だけど―――大切な人だけは、失わずに済んだ。

 

「お疲れ様、ケリィ!」

「うわわっ!?」

 

唐突に、頭髪がガシガシと乱暴に掻き乱される。驚いて見上げれば、満面の笑みを浮かべるシャーレイと目があった。

 

「今までよく頑張ったね。お姉さんは誇らしいよ」

「……やめてくれよ。僕はもう子どもじゃない。今じゃ、君よりずっと背も高い」

「私にとっては、幾つになってもキミは弟みたいなものだよ」

「……弟、か」

「ん?何か言った?」

「……なんでもない」

 

やはり、自分は弟扱いらしい。口を尖らせて憮然と返すと、そっと目を閉じて髪を掻く優しい手つきに身を委ねる。包み込まれるような心地良さに意識を揺蕩せ、切嗣は知らずに微笑みを浮かべていた。ナタリアからは“他人にされるがままになることは命取りに繋がる”と教わっていたが、信頼する人間なら話はまったく別のようだ。

 

「シャーレイ、この数年間、君はいったいどこで何をしていたんだ?」

「最近はずっと航空機の操縦をしてるよ。せっかくの新しい夢―――じゃなくて人生なんだから、一つの資格を極めてみるのもアリかなと思って。セスナや小型ジェット機だけじゃなくて、もっと大きな飛行機も操縦できるようになりたいの。将来は戦闘機も操縦してみたいから、ある国の国籍も取得したのよ?」

「はは、それはまた、楽しそうだ」

 

破天荒な夢を語るシャーレイに思わず声を上げて笑う。彼女は思った以上に人生を謳歌しているらしい。その弾むような口調には、故郷を失った悲痛も、死徒化してしまった悲哀も見られない。そんなものはとっくに乗り越えて、彼女は夢の実現に向けて邁進している。

 

ならば、衛宮切嗣がこんなところで立ち止まっていて良い道理はない。

 

「―――僕も、まだ夢を諦めないでみるよ」

 

水平線から差してきた曙光の眩しさに目を細めながら、かつて言えなかった誓いの言葉を静かに告げる。あの時胸に懐いた誇らしさを、決して見失うまいと思っていた輝きを思い出しながら、晴れやかな笑顔で誓う。

 

「シャーレイ、僕はね、正義の味方になりたいんだ。誰も悲しまない、いつまでも平和な世界を作りたいんだ。そのために、これから僕はたくさんの絶望や憤怒や後悔を背負う羽目になるだろう。きっと何度も嘆いて、心折れそうになるだろう。それでも、この夢を諦めることだけはしないよ」

 

夜明けの光が暗闇をかき消し、今日という日の光が世界を暖かな白に染め上げてゆく。

こんなに美しい光景の下で立てた誓いが胸にあれば、例えどんなに銷魂しようとも衛宮切嗣は再び立ち上がることが出来る。

 

「うん、わかった。キミがキミの夢を成し遂げる時、私はそれを見届けに行くよ」

「……隣にはいてくれないのか?」

 

最後に切嗣の頭を柔らかく撫でて、シャーレイはそっと身を引く。慌てて振り返れば、彼女は困ったような笑みを浮かべて切嗣を見ていた。彼女を照らす陽光が、その白蝋のような異様な肌色を目立たせる。

 

「ハンターの隣に死徒は似合わないよ。私がいたら迷惑になるだけ」

 

そんなことはない、と言ってやることができない自分を切嗣は恥じた。優秀な兵士となった切嗣は、己の性能(・・)を正確に把握している。ハンターとして災厄を振りまく異端の魔術師を殺しながら、同時にシャーレイを死徒狩りから護り続ける。それほどの力量も余裕も、まだ切嗣は持ち合わせていない。

 

「すまない、シャーレイ。僕が力不足なばかりに―――」

「いちいちクヨクヨすんなやクソガキ!!」

「せいヴぁァッ!?」

 

臍を噛む切嗣の顎に、天を突くような鋭いアッパーカットが食い込んだ。鼻血の虹を描きながら宙で一回転した身体がボロ雑巾のようにベチャリとデッキにへばり付く。

ピクピクと痙攣する切嗣にふんと鼻を鳴らし、シャーレイがボートの縁に立つ。現れた時のようにまた海中に帰ろうとしているのだと気づいた切嗣が目眩に堪えて立ち上がる。

 

「シャーレイ……!」

「私のことを悔いてる暇があったら、もっともっと精進しなさい。たまには恋もして、いつかは子供も作って、思いっきり愛してあげなさい。それと、」

 

背中で忠告の言葉を告げたシャーレイが、最後に頭だけで振り返る。

そのとびっきりの笑顔は、太陽の輝きにだって負けていない。

 

「一人で解決できないのなら、遠慮せず誰かを頼りなさい!皆で力を合わせて戦って、最後に笑顔でハッピーエンドを迎えるのが『正義の味方』ってものなんだから!

それじゃあ、また会いましょう!切嗣(・・)!!」

「待―――」

 

制止の声を上げる暇すら与えず、シャーレイの姿が掻き消えてドボンと海面に吸い込まれる。慌てて周囲の海を見回すが、それきり彼女が海面から顔を出すことはなかった。息継ぎも必要がないとは、弱点を克服した死徒には何でもありなのかもしれない。

嵐のように現れて、嵐のように去ってしまった。言いたいことも聞きたいこともまだまだたくさんあったのに。溜め息をついて視線を下ろすと、銀色の輝きが視界の隅で煌めいた。拾い上げれば、それは彼女の飾りナイフだった。

ナイフを大切に懐に仕舞い込む。これを彼女に返すのは、自分が理想(ゆめ)を成し遂げた時だ。

熱い決意を胸に朝日を見据えた切嗣は、はたと彼女の最後の台詞に違和感があったことに気付いた。発音が難しいからと略称でしか呼ばなかったシャーレイが、初めて彼の名前を正しく呼んだのだ。

 

「……“切嗣”って、言えるようになったんだな」

 

それがたまらなく嬉しくて、切嗣はナタリアが目を覚ますまで微笑み続けた。

 

 

………

……

 

 

「もうすぐ君に会えるかもしれない、シャーレイ」

 

懐から取り出したナイフを眺め、セイバーのマスター、衛宮切嗣はそのナイフを返すべき少女に思いを馳せていた。身に付けるものには実用性しか求めない切嗣だが、その銀製の飾りナイフだけは常に懐に忍ばせていた。

あの出来事からさらに10年以上の月日が流れた。あれから少しして、ナタリアは狩人家業から引退し、切嗣は彼女の元から独り立ちした。いつの間にか『衛宮切嗣は標的の魔術師を殺すためなら旅客機ごと撃ち落とす』という箔が付いていた切嗣は、異端の魔術師を狩るハンターとして瞬く間に裏世界に名の知れた暗殺者となった。

その過程で、多くの失意と挫折を味わった。何度も傷心し、打ちのめされ、気力を失いかけた。ヒトという種族の限界に直面するたび、切嗣の心は崩壊寸前まで追い詰められた。

だが、決して諦めることだけはなかった。膝を突きそうになった時、このナイフの輝きを確かめれば、彼女に誓いを立てた美しい情景が脳裏に忠実に蘇り、あの瞬間の強い心に立ち戻ることができるのだから。

 

「切嗣、周囲に異常は―――……また、それですか」

「どうした、舞弥?」

 

報告のために近づいてきた舞弥が、切嗣の手元を見て憮然とした表情をする。彼女は、切嗣が飾りナイフを手にして追憶に浸っていると、なぜかいつも機嫌を悪くするのだ。自分の知らぬ女との思い出の品で切嗣が微笑みを浮かべていることへのささやかな嫉妬の表れなのだが、それに彼が気がつくことはないだろう。諦め気味に「何でもありません」と返し、舞弥は報告の続きを行う。

 

「この潜伏場所は今のところ安全のようです。尾行もされていません。マダムは土蔵の中の魔方陣で安静にしています。セイバーが傍にいるので状態は安定しましたが、動くのはしばらく無理かと」

「わかった。それなら、正午の教会での話し合いはやはり僕が行くべきだな。舞弥、アイリを頼んだぞ」

「はい、もちろんです」

 

アインツベルン城での聖杯問答を終えた途端、アイリスフィールはそれまでの限界を超えた活動のツケを一気に受けて歩くこともままならなくなってしまった。今までセイバーのマスターとして振舞っていたアイリスフィールが動けない以上、同盟の話し合いには本当のマスターである切嗣が赴くのが必然だ。しかも、同盟の相手―――間桐雁夜はアイリスフィールが正規マスターではないことを見破っている可能性が高い。彼の信頼を勝ち取って同盟を組み、この聖杯戦争に勝利するためには、切嗣が直接挑む他ないのだ。

 

「“一人で解決できないのなら、遠慮せず誰かを頼りなさい”、か……」

「……それはもしや、そのナイフの持ち主の言葉ですか?」

「ああ、そうだ。まるで未来を知っていたかのような助言だよ。さすがは僕の()だ」

「……姉?」

「ああ。言ってなかったか?」

「初耳です。姉ですか、そうですか……」

 

切嗣にとって、シャーレイは“初恋の女性”から何時しか“姉同然の女性”へと遷移していた。今ではナタリアやアイリスフィールと同じくらい大事な、切嗣の家族の一人だ。

新たなる敵の出現を警戒していた舞弥がホっと胸を撫で下ろし、声に安堵を滲ませたまま問う。

 

「それで、その姉は今どこにいるのです?」

「わからない。飛行機の操縦を極めたいと言っていたから、今もどこかの空を飛び回っているのかもしれないな」

「……自由な人なのですね」

「昔はあんな素っ頓狂な性格じゃなかったはずなんだけどな。死徒化すると人格も変わるものなんだろう」

「はあ、なるほど。たしかに死徒化すれば性格くらい―――死徒化ァ!?」

「あー、いや、なんでもない。こっちの話だ。忘れてくれ」

 

口を滑らせてしまったことを後悔しながら慌てて誤魔化す。このことを明かしてしまうと話が複雑かつ長くなってしまうので、シャーレイのことは内緒にしているのだ。

「あーあー聞こえなーい」と両手で耳を塞いで追求の声を荒げる舞弥から逃れていると、不意に上空で赤い光が煌めくのが見えた。闇夜を切り裂いて高速で飛翔する二機のそれらは、高度と速度からして戦闘機に違いない。哨戒任務から帰投する航空自衛隊のF-15Jだろう。

 

 

―――将来は戦闘機も操縦してみたいから、ある国の国籍も取得したのよ?

 

 

「……まさか、なあ」

「聴いてないフリはやめてください切嗣!姉が死徒ってどういうことです!?どんな家族関係なんですか!ちゃんと答えてくれるまで私は一歩も引きませんからね!!」

「少し休憩しようか。コンビニでケーキでも買ってくるといい」

「今日のところは許してあげます!では!」

 

 

‡雁夜おじさんサイド‡

 

 

「ねえ、おじさん。バーサーカーは何してるの?」

「車庫で車を弄ってるよ。火花が散ってて危ないからあんまり近づいちゃだめだよ」

「うん、わかった!」

 

トテトテと愛しの騎士様を探して駆けていく桜の後ろ姿に苦笑を浮かべる。桜はバーサーカーの手を見るのが好きなのだそうだ。その気になれば何でも出来てしまうその手先を飽きもせずにずっと眺め続けている。今頃も、どこかから持ってきた廃車同然の車を器用にレストアするバーサーカーの手元をうっとりと見つめていることだろう。

 

「飛び起きたと思ったら突然『車を改造する!』なんて言い出しやがって、本当に変なサーヴァントだよ」

 

夢で何を見たのかは知らないが、きっと碌でもないものに違いない。こっちは正午に教会で行われる令呪賞与の件をどう乗り切るかで気が気ではないというのに、呑気なものだ。

コホンと一度咳をして声に威厳を持たせ、手元のメモ用紙を見ながらさも間桐家の当主のように話す練習を再開する。教会ではセイバー陣営から何か話があるらしいから、相手にナメられないようにこちらも堂々と装う必要がある。これでも御三家の一角なのだ。

 

「えーっと、わ、我らは令呪目当てにキャスターを討伐したのではなく、信念に従い……いや、なんか違うな。為すべきことを為したに過ぎない、の方がいいかな?」

 

いつまでもバーサーカーに働かせっぱなしというのは申し訳ない。アインツベルンに足元を見られないような、威厳と力強さに満ち溢れた間桐雁夜を演じるために、今こそ元フリーライターとしての能力を発揮する時だ。

 

「おじさん、バーサーカーが『隣にあるBMWをバラして部品にしていい?』って言ってるよ」

「ああ、あれは兄貴のだからどうにでもしていいよ。あいつは何してるんだ?」

「“バーサーカー・ホイール”ってのを作るんだって。『こういう車はやっぱりスズキ製だよな』って楽しそうに独り言言ってたよ」

「……あいつ、何時の時代の英霊なんだ?」

 

思わず漏れた呆れ声は、上空を飛翔するF-15Jの轟音に掻き消された。

 

 

‡仰木一等空尉サイド‡

 

 

『暇ですねえ、先輩。怪獣でも出てこないですかねえ』

「……縁起でもないことを言うなよ、小林」

 

デジタル暗号化された無線波を伝ってヘッドホンから聞こえた声は緩みきっていて、確かめるまでもなく僚機のパイロットが退屈していることを仰木に教えた。僚機―――ディアボロⅡのパイロットである小林三等空尉とチームを組むのはこれで数回目だが、三等空尉の型破りな言動には早くも慣れ始めている。慣れとは恐ろしいものだ。

 

『この下の未遠川でビオランテみたいな化け物が現れてですね、そこに自分が突っ込むわけですよ。そして食べられちゃって、後輩思いな先輩は「よくも小林を!」と仇を執るために全兵装のセイフティを解除してその化け物に突貫するんです。しかし残念、恐ろしい漆黒の騎士に戦闘機を乗っ取られたりするわけです』

「なんで俺がお前の仇を執らにゃあかんのだ。しかも機体を乗っ取られてるしよぉ。だいたい、お前なら化け物だって“光の巨人”の助けなしで倒せちまうよ」

 

小林三等空尉の操縦技術は間違いなく天下一品の冴えを持っている。戦闘機パイロットの練度がもっとも高いと言われる米空軍にだって小林を上回るだけの乗り手はいまい。飛行教導隊との仮想戦闘でも、仮想敵機の教官たちを一機残らず撃墜してみせた。その実力は、日本に帰化した元外国人でありながら、門戸の狭い航空自衛隊に入隊し、さらに戦闘機のパイロットにまで伸し上がった彼女(・・)の遍歴が証明している。今はまだ自分が上官の立場にあるが、本当に怪獣でも出現しようものなら彼女はあっという間に怪獣を倒して昇進を重ね、自分を飛び越えてしまうだろう。

こいつの部下なんかになったらどんな無茶苦茶なことを吹っ掛けられるのか、と想像して背筋がぶるりと震える。

 

「怪獣なんか現れなくてよかったよ。本当に」

『あれ?もしかして自分を心配してくれたんですか?さすが先輩。優しいなあ』

「アホか。勝手に言ってろ」

 

その容姿も気安い口調も見た目相応の少女にしか見えないのだが、あれでもう30歳を超えているというのだから世の中には不思議な事があるものだ。上層部はその秘密について何か知っているようではあるが、彼女の類まれなる才能を天秤にかけて「見て見ぬふり」を選択したらしい。

 

『こちらコントロール。ディアボロⅠ、ディアボロⅡ、私語を慎め。喋ってる暇があったらさっさと帰って来い』

『ほら、先輩のせいで怒られちゃいましたよ』

「お前のせいだろうが!」

『いやあ、すいません。楽しい夢がずっと続いてくれてるから、なんだか毎日が愉快で仕方がないんですよ』

「わけがわからん。交信はしばらく控えるぞ。ディアボロⅠ、通信終了(オーバー)

『イエッサー!』

 

ころころと楽しげに復唱を返してきた相変わらずの僚機に一度溜め息をつくと、仰木は操縦桿を引いて機体を急加速させた。エースパイロットである仰木でも骨身に染みるGが前身を圧迫してくるが、ディアボロⅡの軽快な飛行に迷いは見られない。バックミラー越しに観察する仰木に見せつけるように両翼を上下に振ってバンクまでしてみせる。

 

「ったく、シャーレイの奴め」

 

僚機のパイロット、小林シャーレイ(・・・・・・・)三等空尉は相も変わらず型破りな自衛官であった。




バーサーカーシャーレイ:
バーサーカーから分化した新しい欝ブレイカー。女の子に憑依したことへの困惑もドキドキ展開もすっ飛ばし、すっかり順応してしまった。現在は戦闘機パイロットとして日本の領空を守っている、かもしれない。

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