せっかくバーサーカーに憑依したんだから雁夜おじさん助けちゃおうぜ!   作:主(ぬし)

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【1500年ほど前】

ガウェイン「マッシュ、マッシュ、マッシュ。なんでも潰せば食べられマッシュ~♪さあ、聖王の兵士たちよ、栄養たっぷり万能食材のポテトを食べるのです!ポテト、イズ、パワー!パワー、イズ、ポテト!」
兵士「………」
兵士「………」
兵士「……うっす」
ガウェイン「ほらほら、お代わりはまだまだありますよ!おお、陛下、ちょうどいいところに!さあ、アーサー王陛下もどうぞ!」
アルトリア「…‥‥うっす」
ガウェイン「へ、陛下!?」


【現代】

アイリスフィール「セイバー、差し入れの料理を作ってみたの。よかったら食べてくれないかしら?」
セイバー「ええ、もちろん遠慮なく頂きます。いったいどんな料理なんですか?」
アイリスフィール「じゃ~ん!『そのまんまジャガイモ』!電子レンジっていう便利な機械でバターと一緒に温めて完成なの!はいドーン!」
セイバー「………うっす」
アイリスフィール「せ、セイバー!?」


2-15 ようこそ間桐邸へ 

‡時臣サイド‡

 

『さあ、どうしたものかな。ああ───そういえば一人、令呪を得たものの相方がおらず、契約からはぐれた(・・・・・・・・)サーヴァントを(・・・・・・・)求めている(・・・・・)マスター(・・・・)がいたはずだったな』

『そういえば、そうだった。だが果たしてその男、マスターとして英雄王の眼鏡に適うのかどうか……』

 

 

 言峰教会で意味深な会話がなされているのと時を同じくして、遠坂時臣の背筋を強烈な怖気が襲った。それは生命の維持すら危ぶむほどの寒気だった。彼ほどの才気煥発な魔術師となれば、その第六感もまた神秘的に優れており、自らの身に降りかかる未来の危険すらも察知できるのか。

 

「ぶぇえええええっくしょ───ん!!リモコンんんんん!!!リモコンが無いいいいいい!!!」

 

 もちろん、そんなことはない。単純にむちゃくちゃ寒かったのだ。自室の机に置かれたシックなデザインの水銀温度計の目盛りは、なんと10度を下回って尚も下降している。とても生身の人間が部屋着のみで暮らせる環境ではない。もとから季節は冬なのに、どうしたことか時臣は何の操作もしていないのに新設したばかりのエアコンが謀反を起こし、冷房をガンガンに効かせ始めたのだ。弟子の綺礼が立ち去ったくらいから妙に部屋が寒くなっていくと思っていたが、日が落ちてしまうと温度の低下は激減の一途を辿り、もはや今では歯をガチガチとかち鳴らすほどとなってしまった。触れられそうなほどの冷気が濡れ毛布のように重く垂れ込めて、自慢にしている顎の美髭にはひんやりと白い霜が張り付く始末である。鏡に映った己の顔色は青白いを下回って紫色だ。もはや我慢の限界と、かじかみ震える両手でなんとか受話器を握りしめ、電話口の向こうの妻に必死で助けを求める。

 

『んもう。だからリモコンは失くさないでくださいねってあれほど言ったじゃありませんか』

「わ、私のせいじゃない!本当に勝手にどこかに行ったんだ!だ、だから機械は嫌なんだ!」

『機械オンチの人はみんな“勝手に壊れた”とか言うんですから。凛も最近同じ口癖を言うようになったんですよ。しっかりしてくださらないと』

「と、と、とにかく、この“えあこん”の停止方法を教えてくれ!」

 

 遠坂の一族は代々機械オンチである。先代も、先々代も、機械にはとことん弱かった。血筋なのだ、相性なのだ、こればかりはどうしようもない。それ故、機械関係は妻の葵に頼ることが多かったが、肝心の葵は聖杯戦争の火の粉を被ってしまわないように田舎の禅城家に疎開させてしまった。使用人についても同じく暇を与えてしまったのでこの大きな屋敷には当主の時臣ただ一人である。それを決めたのは自分だけに、エアコンのために帰って来てほしいと乞うのも忍びないし情けない。というわけで、こうして電話で対処法を教えてもらうことにしたのだった。

 

『というか、わざわざ寒い部屋からでなくても、リビングの電話からお掛けになればよかったじゃありませんか』

「お前が操作方法を教えてくれたのは自室の電話だけじゃないか!リビングのはわからないんだ!これでもお前に電話するまで2時間掛かったんだぞ!そ、そ、それより、早く教えてくれ!聖杯戦争中に敵魔術師ではなく自室の“えあこん”に殺されるなんて、遠坂家末代までの恥だ!凛に顔向けできん!」

『大袈裟ですねえ。まあ、凛も似たような感じですけど。ええと、リモコンが無いんだったら、単純にエアコン本体からコンセントプラグに向かって伸びている電源ケーブルを引っこ抜けばいいじゃありませんか』

「こ、こんせん、ぷらぐ、けーぶる……?日本語で話してくれ!それかせめてドイツ語で───」

『ああっ!ごめんなさい、今からMステで氷川きよしが歌うんです!頑張ってくださいね!心から応援してますから!勝利は目前ですきっとたぶん!それじゃあ!』

「ま、待て!待ってくれ!葵!葵ぃっ!!」

 

 ガチャ。ツー、ツー、ツー。

 時臣は崩れ落ちるようにして電話機の前に膝をついた。忌まわしいエアコンが吐き出す寒気(かんき)が一段と冷たく感じられた。鼻水が止まらないし、冷気に蝕まれる肉体は芯まで凍える一方だ。怒りに任せて火炎魔術でエアコンを吹っ飛ばしてやろうかと血走った目でステッキを振り上げるも、プライドがすんでのところで邪魔をした。ステッキが力なく床に転がる。普段の深い智性を偲ばせる仕草からは想像もつかないほどに情けない自身の姿を知覚して、目が潤んでくる。どうして自分がこんな目に遭わなくてはならないのか、どうにも解しかねた。

 

「……廊下で寝よう」

 

 そう独語すると、のそのそとベッドから毛布を引っ剥がし、這いずるように廊下に出ると力尽きるようにしてその場に倒れ、毛布に包まった。もはや他の部屋のベッドまで辿り着く気力も体力も無かった。自分の両肩を自分で抱きしめ、労るように必死に擦る。明日、綺礼が来てくれたら、リモコンを一緒に探してもらおう。もしくは、“こんせんけーぶるぷらなんちゃらかんちゃら“とやらを引っこ抜いてもらうのだ。

 

「頼むぞ、綺礼ぃ……」

 

 まさか、この事態を引き起こした張本人がその弟子で、同時刻に彼が自分のサーヴァントと面付き合わせて極上の酒と柿ピーに舌鼓を打ちながらゲラゲラ歓談に勤しんでいるともしらず、打ちのめされた時臣は胎児のように丸まって意識を手放した。

 

 

 

‡切嗣サイド‡

 

 

『さあ、衛宮 切嗣! そしてセイバーのサーヴァント! 我が間桐邸に貴方方を招待しよう!!』

 

 

 

 この台詞の意味は、聖杯戦争に参加するマスターとサーヴァントにはまず信じがたいものだ。サーヴァントとは、魔術師にとって、言うなれば“核爆弾”にも等しい切り札だ。人間の手が及ぶべくもない領域の強大な“力”そのものだ。そして、魔術師にとって先祖代々の研究成果を収めた魔術工房を擁する本拠地は、何よりも───時には自分自身の命よりも大事な門外不出の家宝を抱く聖地だ。そこに敵対する魔術師を、しかもサーヴァントを伴っての立ち入りを許すなど、ホワイトハウスの真ん前のポトマック川に敵国の核原潜を招き入れるようなもので、狂気の沙汰といっても過言ではない。

 だが、間桐雁夜はそれを良しとした。衛宮切嗣は、その誘いを試練として受け入れた。

 

 サイボーグ魔蟲から発せられた大胆不敵な一言が言峰教会に響いた、わずか30分後。突然の協議場所の変更に戸惑う言峰璃正神父の制止を無視して車に飛び乗った切嗣とセイバーは、間桐邸の重厚な鉄製の正門前に混然とした面持ちで立ち尽くしていた。二人とも夜の寒空の下で微動だにしない。決して彼らが怖気づいたわけではない。邸宅の変貌(・・)に、呆気にとられたのだ。

 優秀な魔術師であると同時に練達の兵士でもある切嗣は、当然、間桐邸について事前にリサーチをしていた。おびただしい数の魔蟲が蔓延る百鬼夜行を絵に描いたような魔の屋敷を、徹底的に、そのおおまかな内部構造までもあらゆる手段を講じて調査していた。しかし、それは無駄だったことが今わかった。聖杯戦争が始まってわずか数日のうちに、この屋敷の印象は180度の転換を迎えていたからだ。

 

「……切嗣、あれは?」

「……お馬さん、だ」

「……では、あれは?」

「……ゾウさん、だ」

 

 鬱蒼としていた広大な庭の闇林は、ファンシーな動物園へと変身していた。目も覚めるような明るさの半月の下、誇らしげに生い茂る菩提樹とブナの木は、一流の庭師の職人芸によって実物大の動物を象っている。さわさわと葉々が風に揺れ動く様子は、それぞれの動物の息遣いのようだ。まるで夜のサファリパークに迷い込んだごとき錯覚に目眩がする。塀の外にまで溢れ出していたであろう木の房は高い技術によって丁寧に刈り込まれ、ひょいと何の気なしに塀の外に顔を出したキリンの首そっくりとなって見上げるものを驚かせ、楽しませている。通行人の足を止めさせ、思わず目を輝かせ胸を高鳴らせるような効果と魅力に満ちていた。

 

(……だが、甘く見るなよ、間桐雁夜。僕の目は誤魔化せないぞ)

 

 切嗣は訓練の行き届いた目で庭内を注意深く見回した。キリンの目、お馬さんの耳、ゾウさんの鼻。其処此処に、機械的な赤外線の光が透けて見えた。高性能赤外線監視(インフレア)カメラ、光探知測距(ライダー)センサー。どれも、切嗣が郊外のアインツベルン城に設置して、ライダーの闖入と同時に破壊され行方不明になったものと同クラスの最新品だった。設計図から抜け出てきたような革新的かつコンパクトなデザインのそれらは、とても民間で手に入るようなものではなく、大国の最重要機密区画に備えられるような最高級品だ。一級品の監視装置群は計算され尽くした角度で以って侵入者を感知しようと目を光らせている。切嗣は、この邸宅の主が自分と同じ知識とコネを持っていることを悟り、彼への評価と脅威度をまた1ランク上げた。

 

「ッ!切嗣!」

「ああ……わかっている」

 

 二人の目の前で、突如正門が胸を開いた。隣近所に迷惑をかけない程度の機械(モーター)音を唸らせ、魔術ではなく機械じかけの門が二人を招じ入れる。この些細なことにも切嗣は驚かされた。大半の魔術師は機械を好まない。間桐家の当主、間桐臓硯のような残忍かつ旧弊の魔術師なら尚更だ。しかし、彼が牛耳っていると思っていた間桐邸にはこの通り立派な機械設備が備わっている。このことから、間桐雁夜の権限は一族の長である間桐臓硯を上回っている可能性が導き出された。

 

(あるいは、間桐臓硯はすでにいない(・・・・・・)、か)

 

 思考を高速回転させながらも注意が散漫になることはない。切嗣が見守る中、セイバーがたっぷり1秒かけて周囲をくまなく索敵し、やがて小さい頷きを向けた。「敵意は感じない」と伝えたのだ。目線で了解の意を応え、そのままセイバーを先導させる。バーサーカーを同じ騎士として信頼するセイバーだが、やはりここは敵の陣地。そして背後には主君を護っているとあって、セイバーは緊張の面持ちを隠さなかった。彼女は全方向に対してその警戒能力を全力で張り巡らせながら慎重に一歩ずつ前進する。やがて10歩も歩いたところで、自分たちに向けられる殺気が一つも生じないことを悟った。むしろ、殺気とは正反対の景色がいっぱいに広がっていて、セイバーは思わず「わあ」と子供のような声を漏らして目を輝かせたあと、「来ていいですよ。見たほうがいいですよ」と手をちょいちょいと振って切嗣を誘った。「なにが“わあ”だ。戦争ナメてんのか」。愚痴を飲み込むと同時に喉をゴクリと鳴らし、切嗣はその誘いに応じて、間桐雁夜の領域に一歩足を踏み入れた。

 

「わあ……」

 

 一週間前、エージェントを雇って密かに撮らせた写真では、間桐邸はおどろおどろしく、いかにも化け物屋敷のような悪印象の塊だった。年月を経て放置された屋敷は全体的に寂びれて、整然さとは無縁で、人が住んでいるかも怪しい幽霊屋敷のような雰囲気だった。

 だが、今、目の前にそびえる屋敷はそれとはまったく異なる。伸び切って闇のような影を作っていた蔦や茨は綺麗サッパリ取り除かれ、すり減って崩れ落ちた屋根瓦は新しい瓦に葺き替えられている。樹脂製の軽くて丈夫な瓦は、間桐家のシンボルカラーである藍色。磨き上げられた瓦の表面に星空が映り込んでいて、まるで夜空の王冠を戴いているようだ。長年の風雪によって汚れ果てていた外壁は高圧洗浄機で隅々まで念入りに洗われたらしく、建造当初の新築に戻ったかのように清々しい。窓枠の錆やサッシにこびりついたカビまで丹念に磨き除かれて、鋳型から取り出された日そのままのような光沢を放っている。足元では真珠のような白砂利を満遍なく敷き詰めた小道が、純白の天の川のように緩やかに蛇行しながら間桐邸の柱廊式玄関へと繋がっている。

 

「我が王都ログレスのキャメロット城、とまでは行きませんが、南ウェールズの自然豊かなモンマス城に匹敵する邸宅です。あらん限りの贅を尽くした豪邸とは正反対の、なんとも穏やかな構えをしている。実に心安らぎます。まさか東の最果ての国でこのような立派な城を見られるとは思ってもいませんでした」

 

 小城、まさに小城だ。全体の印象は、まるで草深い森の中心に建てられた小城を連想させた。手入れの行き届いた城を囲う青々とした庭園にはくっきりした月光が降り注ぎ、ふさふさと柔らかそうな芝生を照らしている。星明かりという贅沢な照明を最大限利用するように、箱庭の木々の配置には工夫が凝らされているらしい。豊かな森のミニチュアのような箱庭は、大自然そのままの緑の甘い香りが満ち満ちている。すっと鼻から息を吸い込めば、煌めくほど新鮮で爽やかな空気が肺腑を満たしてくれた。日が落ちる前に刈り込まれたばかりに違いない。青々とした芝生の断面からは、草刈り後の土手で匂うような、瑞々しい緑の匂いが湯気のごとく立ち昇っている。好奇心に背を押されて芝生をそっと踏んでみる。なんとくるぶしまで沈み込んで、その意外なまでの柔らかさと深さにドキリとさせられた。芝生の底には日光の名残がほんのりと漂っていて、手で触れればさぞや心地良いだろう。何より驚かされるのが、その刈り込み技術だ。神業と言って過言はない。広大な庭を埋め尽くす芝生はまるで一枚物の巨大な絨毯のようにきわめて均一に整えられ、ほんのわずかな凹凸も見当たらない。際限ない富を誇るアインツベルンの本城でもここまで精緻に揃えられてはいない。

 (いざな)われるようにして意識を宙に向けてみる。鼓膜を揺らす葉擦れの音は耳に優しく、気を抜けば目を閉じ両腕を広げて寛ぎたくなる。聖杯戦争が始まってから……いや、アリマゴ島での事件から安らぐことのなかった精神がマッサージされているかのようだ。思わず脱力して背中から芝生のベッドに寝転がりたくなる衝動がじわりと頭をもたげるのを知覚し、切嗣は内心で自身を厳しくたしなめた。今は戦争中、そしてここは、未だ敵とも味方とも決めかねる相手の陣地なのだ。気を抜いて寝転がるなんてありえない。

 

「……セイバー、起きろ」

「はっ!?わ、私はいつのまに寝転んで……!?」

 

 芝生の上で子獅子のように丸まっていたセイバーが驚愕して飛び上がった。ありえない。マジで。

 頬を染めて「いや申し訳ない私としたことが」と後ろ頭を掻くセイバーを尻目に、邸宅のエントランスへの歩を再開する。しかし、セイバーがうたた寝してしまうのも頷ける。それくらい、この場所は居心地がよかった。そうだ、ここにイリヤを連れてこられたら、どんなに喜ぶだろう。寒々しいドイツの森しか知らないあの娘をここに連れてきて、肩車をして、体力の限界まで走り回って遊んでやりたい。切嗣は朗らかな想像によって自然に綻びそうになった唇をあわやというタイミングで引き締めた。ここが未だ敵地ということを危うく忘れかけていたのだ。だが、切嗣にそうさせてしまうほどの見事さは素直に認めるべきだ。

 かつて自分の王国で城に住んでいたセイバーもその感想を抱いたらしく、近づいてくる間桐邸を見上げて思わず「ほう」と感嘆のため息を漏らした。この屋敷の激変っぷりは、ただ間桐雁夜の清廉さを表しているだけに留まらない。間桐臓硯の時代が真の終わりを迎えたことの証でもある。間桐雁夜は、屋敷を一新することで新しい時代の訪れ(・・・・・・・・)を目に見えるように表明しているのだ。

 

「敵ながらあっぱれ、と言ってよいのではないですか、切嗣」

「ああ……そうだな」

 

 砂利道を歩く二人の低い囁きが、庭園の静かな夜気にやんわりと吸い込まれる。冬の澄んだ空気はきりっと引き締まり、満点の星空の輝きを邪魔することなく庭に降り注がせてくれる。住宅街のなかで一際高い丘に建っているせいか、他の家の照明が無粋な真似をすることはない。しかも星が近いことで、広い庭は照明いらずなほどに明るい。それに、どれほど腕のいい樹木医を雇ったら実現できるのか。この季節にも関わらず、栄養を湛えた太い木々の枝には緑の葉が生い茂り、枯れる気配は微塵もない。その根本では、キリギリスが梢を渡る風の囁きに混じってりーりーと優しげな音色を奏でて来訪者を歓迎してくれる。切嗣もセイバーも知らないことだが、昆虫の中では珍しい、成虫のまま越冬するクビキリギリスが放し飼いにされていた。さすが、魔蟲を使役する間桐と言うべきか、この屋敷は昆虫全般にとって居心地がいいらしい。庭の一角にある小さな池には清涼な水が満ちて、チラチラと季節外れのホタルの光が浮かんでは消える。ホタルは水質が良くないと生きていけない、と耳にしたことがある切嗣は、よほど手入れが行き届いているのだろうと感心した。やはり彼は知らないことだが、冬に成虫となって発光するイリオモテボタルという珍しいホタルだった。楽園のような環境のなか、ホタルたちは樹陰に置かれた一対のウッドチェアを止まり樹代わりにしながら空中で優雅な舞踏会を繰り広げている。その椅子に座って楽しそうに談笑するアイリとイリヤの様子を幻視し、切嗣の頬が見てもわからないほどに緩んだ。

 

「なにをニヤニヤしているんです?気持ち悪いですね」

「うるさいな」

 

 セイバーには気づかれた。照れ隠しで背けた視線の先には、丸太造りの小さな薪小屋がちょこんと鎮座している。邸宅内には暖炉があるらしい。小屋の前には薪雑把が整然とピラミッド型に積み上げられていて、古めかしいが頑丈そうな手押し車が隣で休憩している。

 

「おお、懐かしい。私の子どもの頃の家にも暖炉用の薪小屋があったものです。従兄弟のキルッフとどちらが多く薪割りできるか競い合ったり。剽悍無比なキルッフはなんとも強敵で、あのときは勝負前に彼のお茶に下剤代わりのアロエを混ぜて事前に弱らせたものでした。ふふ、故郷のブリテンを思い出しますね。切嗣、勝負しませんか?」

「やらないよ。よくそれで聖剣に選ばれたな」

「私もそう思います」

 

 だが……たしかに、なんて牧歌的な風景なのだろう。遠い目で過去を懐かしむセイバーに当てられたのか、切嗣も不思議とノスタルジックな気分を味わっていた。薪割りは、アリマゴ島でシャーレイにコツを教えてもらいながら四苦八苦して覚えたものだ。ここは不思議な庭だ。気を抜けばすぐに緊張がほぐされて、安らかなため息を漏らしてふかふかの芝生に腰を下ろしてしまいそうな魅力に駆られる。その効果は絶大であると切嗣も認めざるを得なかった。どこにも敵意など無い。姑息な打算もない。監視装置は外から訪れる侵入者を厳重に見張ってはいるが、いざ庭に入ってみると一切見張られている気配はない。ここに満ちているのは、ただひたすらの“優しさ”だけだ。この屋敷は住人の心の有り様を透かして見せていて、間桐雁夜への警戒心を秒を追うごとに削ってくる。

 犬ほどの大きさのムカデに似た魔蟲たちの姿も認められたが、ギクリとしたのは一瞬だった。その怖気のするような姿かたちとは異なり、教育が行き届いているのか振る舞いは非常に大人しく、統率はきっちりと抜け目ない。訪問客に威圧感を与えないように細心の注意を払って身を隠しつつ、監視装置の死角を補うような念のいった配置で屋敷の中と外をしっかと見張っている。よく訓練されたジャーマン・シェパードの一群に守られているようで、脅威を感じるよりむしろ安心感が胸のうちに生じた。機械と魔術を巧みに使い分け、両者の長所と短所を把握し、一方の短所は一方の長所で埋め合わせる。そうすることで完璧な警戒態勢を極めて効率よく実現している。現代でここまで両者を有機的に運用できている魔術師は、世界広しと言えど間桐雁夜以外にはいるまい。切嗣は素直に感心し、「むう」と喉を唸らせた。

 

「ッ!切嗣!」

「なんだ、セイバー!?」

 

 玄関扉の直前まで来て、突然、セイバーが毛を逆立てて叫んだ。その声にただならぬ驚きを察知し、身体中の神経がまたたく間に引き締まり、腰のキャリコM950Aマシンピストルの銃把(グリップ)にさっと手が伸びる。

 

「いい匂いがします!」

「知るか!!」

 

 引き抜いたキャリコを勢いそのままに感情に任せてぶん投げた。くるくるとブーメランの軌跡を描いたキャリコは偶然通りがかった芋虫型の魔蟲の鼻先を強打し、「キュッ!?」と悲鳴をあげさせた。他の魔蟲が「大丈夫?」と気遣うように寄り添うなか、キャリコを拾ったサソリ型の魔蟲が「困りますねお客さま」と言わんばかりの圧を放ちながら切嗣の手にそれを届けた。切嗣はペコリと申し訳無さそうに小さく頭を下げてキャリコを受け取り、いそいそとホルスターに戻す。そして再び、物言いたげな目でセイバーを見やる。

 

「ッ!切嗣!」

「ふざけるな!ふざけるなー!いい匂いがするんだろ!もういいよ!……あ、する」

「でしょう!?そうでしょう!?」

 

 鼻をすんすんと訊かせてみれば、セイバーの言が正しかったことがわかる。本当にいい匂い(・・・・)なのだ。セイバーの興奮も頷けるほどに、なんとも食欲を誘う料理の匂いが屋敷から溢れてきている。それもこの時間にぴったり(・・・・・・・・・)の匂いだ。もう深夜の0時を過ぎたというのに、いや逆に過ぎたからこそ、この“奇妙に小腹が空く時間帯”の腹には香辛料がガッツリ効いた濃い味付けの匂いがなんとも突き刺さるのだ。夜中に突然、ボリューミーな二郎系ラーメンが食べたくなった時のような抗しがたい誘惑に頭がクラクラする。冒涜的で背徳的な欲求が喉をゴクリとうごめかせ、大量の唾液を分泌させる。精神力ではどうにもならない、肉体に生まれながら備わった強欲な食欲本能が胴体を駆けずり回る。これ以上は筆舌に尽くしがたい。とにかくいい匂いなのだ。アインツベルン城を離れてからというもの、食事と言えばファーストフードで簡素に済ませていた切嗣には、この魅力的な香りはボディブローのように効いた。イギリス出身のセイバーは言わずもがなである。ミートパイのサクサク生地にナイフを入れたら排水口の臭いが噴き出してきたなどという非文明的な噂の耐えない国の出身者にとって、洗練された芳醇な香りは理性を蕩かす夢幻的な威力を十二分に秘めていた。二人して恍惚とした表情を浮かべ、鼻に釣りフックが引っかかったようにフラフラと玄関まで引き寄せられる。

 

 

ぐるるるるる(・・・・・・)……

 

 

 瞬間、二人の胸の奥で警告灯がギラリときらめき、瞬時に理性を取り戻させた。活性化された戦闘本能が末梢神経にまで緊張の電撃を迸らせ、肉体を弾くように突き動かす。閃くような動作の後にはそれぞれの手に剣と銃が握られ、臨戦態勢を完了していた。先ほどまでと打って変わって引き締まった表情で各々の得物を正眼に構える。

 ギィ、と古風な音を立てて、複雑精緻な彫刻の施された金属製のドアがゆっくりと開いていく。その扉の向こうから、量感を伴うほどの漆黒の気配がズルリと染み出してきた。二人がゴクリと息を呑む中、その気配の持ち主が鎧をかち鳴らし、ゆっくりと歩みだしてくる。全身を黒いフルプレートアーマーで覆った、2メートルになんなんとする長駆の男が星明りの元にぬうっと姿を表した。そのおどろおどろしい威容と迫力は何者が見ても怯えすくむほどのものだったが、二人は別の意味で身体を強張らせて硬直していた。

 

 当然だ。なぜなら眼前のバーサーカーは───フリフリのメイド服を着て、『セイバー陣営御一行様、ようこそ間桐邸へ』と記された案内板を持っているのだから。

 

 理解を越えた光景に、二人はただあんぐりと口を開けて固まるしかなかった。




もうそろそろ平成が終わるとか信じられんな。平成が終わる頃には次を更新しますね。

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