時は少し戻り、台湾の騒動から二日後。
当然修学旅行は中止となり、本来の予定していた帰りのフライトもすべて白紙となった。クラスメイト達は学校側が何とか用意した席で少しずつ日本に帰り始めていたが、真緒はそれに先んじてDOGOOの飛行機で日本に戻ることが許された。もはや意味があるのかわからないが、待ち時間で一応買っておいた台湾のお土産を詰め込んだスーツケースを引きずり、ようやく自宅のドアをくぐることができたのは、とっくに日が沈んだ頃だった。
「ただいまー」
一応形式的に言うが、返事はない。電気もついていなかったのだ。当然、弟も姪も眠っているだろう。この家には自分と弟と姪の三人しか暮らしていない。
両親を早くに失くし、姉夫婦を親代わりに育った自分と弟の
一方、姪の
そんな二人に、自分の決意をどう伝えたものか。嘆息しつつ玄関の電気をつけると、弟が玄関マットと同化していた。
「――――ひっ」
夜中だ。ぎりぎり悲鳴を飲み込んだ。これまた自分そっくりな艶のある黒髪と、黒塗りの学帽と詰襟とが保護色になっていたらしく、全く気が付かなかった。
「か、勝行?」
「ん――」
制服姿のまま、学帽が中途半端に引っかかったままの弟がのっそりと身を起こす。
「あ、姉さん――」
「うん、ただいま」
勝行が全身を使ってゆっくりと息を吸い込み、肩を落としながら深々と息を吐き出した。
「はい、おかえりなさい、姉さん……じゃなくて」
「じゃなくて?」
「現状が分かってますか?」
実の姉にすら敬語。そういう弟である。
「えっと、台湾が怪獣に襲われて大変で……」
「そういう世界情勢ではなく。姉さん自身ですよ」
リビングへと招く勝行についていき、テーブルに座る。お茶を入れるというので、さっそくお土産のパイナップルケーキを用意し、勝行を待った。
「茶々は?」
「もう寝かせましたよ。明日も変わらず学校がありますから」
「そっか」
「お茶が入りましたよ」
「ありがとう」
「さて、本題ですが」
と言い、勝行はテレビをつけた。ちょうど深夜帯のニュースで、その映像が流れていた。
『この映像は先日台湾の現場に居合わせた観光客が撮影した映像なのですが――』
『うっははははははは!! よい! よいぞ! 格別にいい気分じゃ!』
「えっ?」
聞き覚えのある声。嫌な予感しかしない。
『我こそは第六天魔王波旬織田信長! 怪物どもよ、三千世界に屍を晒すが良い!』
映像の中で、目を赤く輝かせた真緒が銃を振り回し、大音声を挙げていた。映像は手ぶれや画像の荒さこそあるが、間違いなく自分だ。
「……はい。この通りです」
「……一つ言っていい?」
「どうぞ」
だん、とちゃぶ台を軽く叩いて悶絶しながら真緒は言った。
「そんな映像撮ってる暇あったら逃げろよ――!」
「僕もそう思います。マジで」
姉弟で二人して項垂れる。
「……この二日で、DOGOOでしたっけ? その変な名前の組織の声明が全世界に発信されました。進化侵略体についても、限られた情報ではありますが、公表されています。当然、姉さんのことも」
勝行はまっすぐにこちらを見据えて言う。
「姉さん。まさか、強制的に連れてかれたりなんかしませんよね?」
「……戦うかどうかは、自分で決めろって」
土偶が言ったことを思い出す。だが、勝行は違う意味で受け取ったようだ。
「よ、よかった……! だったら安心です! 千夜もまだ小さいし、僕だって……」
「姉さんたちは、なんて?」
「え? ああ……
「そう」
一度目を閉じ、息を深く吸う。決めたことだ。あの台湾の惨状を見て、自分にしかできないことだと。
「勝行」
「……はい」
「私、戦おうと思う」
「――は」
勝行の手からパイナップルケーキが落ちる。しかし、きちんと伝えなくては。
「DOGOOに入って、E遺伝子ホルダーとして、進化侵略体と戦うよ」
「嘘、だ」
ショックのあまり、座布団から転げ落ちた勝行の頭から学帽が落ちる。
「嘘じゃない」
「どうして!」
時間も考えずに勝行が叫ぶ。
「どうして、そんなことを!? いいじゃないですか! 自分で選べって言われたんでしょう!? し、死んじゃうかもしれないんですよ!?」
「――分かってる」
「分かってない!」
我を失ったのか、勝行は真緒に向かって学帽を投げつけた。たまたま手元に落ちていたからだろう。あの気の弱い弟が、それほど冷静さを失っているのだ。
「ね、姉さんは一人しかいないんですよ!? 僕と、千夜と、紅緒姉さんたちの姉さんは、一人しかいないんだ! なのに、どうしてあんな化け物と戦わなきゃいけないんですか!? おかしいでしょう!? 織田信長だか何だか知りませんけど、そんなの誰が決めたんですか!? そんな、訳の分からない遺伝子を持ってるからって、どうしてそんな――」
「んうー? 叔父上――。どうしたの――?」
勝行の声に目を覚ましたのか、廊下から寝ぼけ眼の千夜が顔をのぞかせた。
「あっ、……ち、千夜」
「あー! 叔母上、お帰りー!」
時代劇にはまったせいで自分を叔母上呼ばわりする姪が、全身で帰宅を歓迎してくれた。自分の小さな体格では少し受け止めるのが辛いタックルが炸裂する。
「あだっ。た、ただいま……」
「んふふー」
茶々の頭を撫でながら顔を起こすと、所在なさげな弟が中途半端に口を閉じたり開いたりしていた。茶々の登場に、頭に上っていた血が下りてきたらしい。
「落ち着いた? 勝行?」
「は、はい……。でも! 僕の考えは変わりませんから!」
「どうしたの、二人とも? 喧嘩? 喧嘩はダメだし!」
「喧嘩じゃないよ。……勝行が、優しいだけ」
「うん、茶々知ってる。叔父上、ナヨナヨしてるけどとっても家族思いだし」
「茶々まで……」
勝行はすっかり毒気を抜かれてしまったようだ。
「あ、姉さん。帽子、すみません……」
「いいよ。……ごめんね。でも、決心は変わらないから」
目を閉じる。たった一日のことなのに、台湾での出来事はありありと思い出せる。あの一日がすべてを変えてしまったのだ。自分も、それを取り巻く世界も。
「決めたんだ。……護りたいって、思ったの。家族とか、友達とか、世界とか。とにかく、自分にできることがあるならそうしたい。ダメかな」
「そんな言い方されたら――」
ぐっと、勝行は唇をかんだ。しかし最後にはこう言ってくれた。
「……はい。嫌ですけど、はい。わかりました」
学帽を返すと、勝行は帽子を目深にかぶって目を伏せてしまった。自分がよく前髪で顔を隠す仕草にそっくりだ。思わず顔が綻んでしまう。
「ねえ茶々。私、怪獣と戦うヒーローになるの」
「あ、茶々知ってる。織田信長とか言ってた。叔母上も時代劇の見過ぎ?」
「自覚あるのね……。でもそうじゃなくて、本当に信長になって戦うんだよ」
そういうと、自分の膝の上で茶々は考え込む仕草をした。しかし、何かを思いついたのか、パッと顔を上げて言う。
「叔母上が信長なら、茶々はますます茶々! すごくない!?」
「へ? ああ――」
実際は織田信長の妹の子供だから、叔母ではなく伯母なのだが――その違いは小学生には少し難しいだろう。素直に褒めることにした。
「うん、すごいすごい」
「じゃろ? じゃろ?」
「相変わらず姉さんは、茶々に甘いですね」
「勝行もいい勝負でしょ」
「叔父上も叔母上も茶々にメロメロだし。変わんないし」
家族三人で笑い合う。
「私、頑張るからさ。応援してね」
「うん!」
「……はい!」
そして、それから更に二日。ニューヨークの姉夫婦に決意を伝え、藤丸さんのお見舞いに行ったあと、学校にも休学という形で書類を出した。
校舎を出て、一度だけ振り返り、その光景を視界に焼き付ける。
戦いは何年続くか分からない。同級生たちが高校を卒業し、ひょっとしたら社会人になるまで続くかもしれない。その時、自分が帰る場所はこの校舎ではなくなっているだろう。だからそっと瞼を閉じ、前を向いて我が家へと歩き出した。
すでに荷造りは終えている。DOGOOに持ち込めるものは少ない。携帯電話もまともにつながらないと聞いている。それでも、藤丸さんとのツーショットを収めたそれを置いていこうとは思わない。
「ただいま――」
次にただいまというのはいつになるか分からない。そう思うと、なんだか感慨深いが――。
「お帰りなさい、ノブナガ様」
全然見覚えのない金髪碧眼の少女に出迎えられたとあっては唖然とするしかない。
「……どちら様?」
「アルトリアと申します。ジュリアス様より仰せつかって、こちらの家政婦に参りました」
「でも私のことノブナガって」
「おっと……! 姉夫婦からの要請で来た家政婦アルトリアとは仮の姿、この謎のエージェントXの正体を即座に見抜くとは……!」
「いや、ただの失言……!」
「というわけで、家政婦兼DOGOOのエージェントのアルトリアです。アフターケアはお任せください」
これでいいのだろうか。一応リビングに行って他の家族の反応をうかがう。
「勝行ー。茶々ー。変な人がいるけどいいのー?」
「ぼ、僕に聞かないでくださいよ!」
「茶々は面白いからオールオッケー!」
弟は人見知りが発動しており、姪は完全に面白がっていた。ならいいか。
「アルトリアさん」
「呼び捨てでかまいません」
「じゃあ、アルトリア。家族のこと、お願いします」
「ええ。お任せを。ご武運を祈ります」
弟と姪、そして謎の家政婦に見送られ、真緒は我が家を後にした。
ぐだぐだな門出であったが、自分にはこれくらいでちょうどいい。
この先に待つ、波乱と戦いに満ちた日々を、真緒はまだ知らない。