E・リプリーの甲板に沈黙が下りた。
「ネロ・クラウディウス」の堂々たる自己紹介に対し、沖田も真緒もポカンとするしかなかった。
「む? 余の姿に見惚れ、心を奪われたと見える。よい。素直に感想を言うがよい。許すぞ?」
「ええと……「ネロ・クラウディウス」ですよね? ローマ皇帝の」
「うむ。いかにも」
沖田が一応確認すると、「ネロ」は首肯した。暴君ネロ、と面と向かって言うのは流石にはばかられる。しかし自分の知っている人物であっているようだった。
「す、すごい登場の仕方ですね」
「そうであろう。昨日の晩から貴様を迎える準備をすべく、いろいろと趣向を凝らした登場の仕方を考えておいたのだ。しかし「アマデウス」が『鉄板ネタでいいんじゃないかな?』というので、こうして薔薇と絨毯をな! やはり余と言えば薔薇! 薔薇と言えば余! そうであろう!」
「え、ええ……」
「シェイクスピア」も大概だが、「ネロ」は輪をかけて変人のようだった。「信長」もそうだが、もしやE遺伝子には精神を汚染する効果でもあるのではないか――そう沖田が思ったとき、ふいに「シェイクスピア」が拍手をしながら口をはさんだ。
「いやあ、さすがはクラウディア。堂々たる振る舞い、いつ銀幕に戻る日が来ようとも万全ですな!」
「ふふ。そうであろう。ミスター・バードのお墨付きとあらば心強い」
そんな二人の会話から察したのか、「信長」がクラウディア――「ネロ」を指しながら言う。
「あ、女優さん?」
「いかにも! もしや余――もとい「私」を知っているのか? 遠く日本まで我が名が轟いているとは嬉しい!」
「ひっ」
だが、大股で歩み寄られ、バシバシと肩を叩かれたものだから、人見知りの激しい黒髪の少女はすっかり怯えて沖田の背に隠れてしまった。
「って、なんで私の後ろに!」
「だって、ちょっと、このノリは、日本人的に――」
「私だって日本人ですから! こんな髪と目の色してますが!」
「む? その様子では、やはり知らぬのか? まあ、ここ一年はDOGOOの任務にかかりきりであるからな……。では改めて自己紹介だ」
そういうと「ネロ」は一度飛行機に引き返し、何かを手に持って沖田と「信長」に歩み寄ってきた。
「「ネロ・クラウディウス」ことクラウディアである。余の主演作をサイン付きで進呈しよう!」
そう言って渡されたDVDのタイトルは『女帝ネロ』。豪奢な衣装に身を包んだクラウディアがパッケージの中心で胸を張っている。
「なんですか、このトンデモ映画は……」
「うぐっ。これでも興業的には成功だったのだぞ! それに昔からバビロンの妖婦などとも呼ばれていたりするのだ! だからそこまでトンデモではない! あと、
「それを言ったら沖田さんだって「幕末純情伝」から続く由緒正しきトンデモ設定多いんですからね!?」
ぜーぜーと二人そろって肩で息をしていると、「シェイクスピア」が場を収めてくれた。
「さっそく仲良くなられたようで何よりですな。今日は「ネロ」にはE・リプリーに残ってもらう予定ですので、「沖田」とは一足先に顔合わせをしてもらった次第」
「え? そうなんですか?」
単なる迎えかと思ったが、どうやら違うらしい。
「うむ。「沖田」は
「え、それってまさか……」
嫌な予感がしたのか、「信長」が身をすくませる。しかし「ネロ」はがっちりとその腕を捕まえると自分の方へ引き寄せた。
「そのまさかだ。ふむ。見れば見るほど、黒く塗れた髪と言い、可憐さの滲む声と言い、余ほどではないがなかなか良い……。今宵は寝かさぬ。光るまで磨いてやろう。ふふふ……」
「た、助け! 沖田ぁ――!」
「いや、どうなってるんですか」
「あなたもご存じのとおりですよ、「沖田」」
「シェイクスピア」が声を低くして言う。
「「ノッブ」のポテンシャルはすさまじい。しかし、それを望んだとおりに引き出すことができねば宝の持ち腐れというもの。そこで――」
「彼女に「信長」を演じさせると? 少々突飛では?」
「「ネロ」は実際、そうやって己を保っておりますからな」
「彼女が?」
意外だ。顔を合わせて十分も経っていないが、それでも彼女の堂々たる姿勢は伝わっている。脆いところがあるようには思えないが――。
「まあ、吾輩、劇作家時代に「ネロ」とは少々縁がありましてな。……彼女は女優、スター、芸術家なのです。その本質は戦士ではない。しかし周囲からの期待を背負うという意味では、彼女はやはり「ネロ」なのです。だから、彼女をよろしく頼みますぞ」
「「シェイクスピア」さん……」
元女優と元劇作家の間に何があったのかは推測するしかない。しかし、もともとの日常を捨て、戦士となるうえで迷いがあったのは確かだろう。自分もそうだ。今までの生活を捨ててまでここにいる。あまり話はしないが、「ネロ」や「シェイクスピア」、「信長」にも家族がいるだろう。
「ネロ」はきっと、女優を辞めたつもりなどないのだ。この戦いが終われば、また銀幕に戻って輝くつもりでいる。だから、そのために今を全力で戦っている。だからこそ「ネロ」そのものを普段から演じているのだろう。市民を愛し、暴君と呼ばれる末路をたどっても胸を張り続けた皇帝として――。
「助けて! もうこの際、誰でもいいから――!」
「ふふふ。ここか? ここがよいのか?」
「ちょ、そこは無理! 本当に駄目!」
「遠慮するでない。さあ、さあ、さあ!」
……多分。
「じゃ、私は行きますね」
「うむ! あちらのメンバーにはよろしく言っておくように!」
「え、ちょ、沖田待って――」
「では「ノッブ」。またどこかで」
「最後まで「ノッブ」呼ばわりか――!」
果たして真緒は「信長」になれるだろうか。なれたとき、自分は素直に彼女を「信長」と呼べるだろうか。
分からないが、今はJ・アツミに向かうのみだ。戦いを共にする仲間に会いに行こう。
最後まで戦う。
自分と、「沖田総司」の願いのために。
「助けて――!」
真緒の叫びもむなしく、「沖田」を乗せた飛行機はE・リプリーを飛び立った。
*
太平洋上空。J・アツミの離発着ポート近くの待機所にヴァイオリンの音色が響いていた。細面の青年、「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」が弾く
「お、いたいた」
そんな「アマデウス」に歩み寄るのは、茶髪で片目の隠れた青年だ。その歩調は決して緩やかではないが、不思議とその足音は小さく、耳のいい音楽家で無ければ聞き逃していたかもしれない。目を閉じてヴァイオリンを弾いていた「アマデウス」は、演奏を続けながら目線だけを「ロビン」に向けた。
「おや、この足音は「ロビン」か」
「ご名答。「アマデウス」、いつまで弾いてるつもりだ? 新人に変な奴だと思われても知らないぜ?」
「ははは! おかしなことを言うねえ、「ロビン」。我らが皇帝陛下にインパクトで勝てるはずないだろう?」
「いや、そりゃそーですけど。第二小隊に配属予定の新人とも絡んでくるんだろ? 二人とも可愛い日本人の女の子だっていうし、いいよなあー」
「「ネロ」だって見た目は抜群じゃないか」
「いや、分かって言ってんでしょ、オタク。「ネロ」はなんというか、ナシだろ」
「うん。残念ながらそれには僕も同意見だ」
二人してくだらない話に花を咲かせつつ、新人こと「沖田」を乗せた飛行機を待つ。
「「シェイクスピア」の話だと、「沖田総司」は少し突っ走る傾向があるらしい」
「また問題児かよ……。去年は「ネロ」で、今年もか? あのオッサンはオレらを何だと思ってるのかねえ」
「そういって、君はまた世話を焼くんだろう? 分かってるよ?」
「オタクも手伝えよ」
「っと、言ってるそばから」
「ロビン」の耳には相変わらず響くソナチネしか聞こえないが、「アマデウス」の耳は確かだ。しばらくすると、一基の飛行機がポートに降り立つのが見えた。
「アマデウス」が演奏を続けながら立ち上がって言う。
「さあ、出迎えだ」
「本当に弾いたまま出迎えるのか……」
「どんな反応をするか見たくてね」
「はいはい……」
飛行機から降り立つ少女がいる。少ない荷物を背負い、ソナチネの響きに戸惑いながらも、その音の源を見つけたようだ。何やらため息をつきたそうな顔をしているが、やはり「ネロ」の先制パンチが効いているらしい。大した反応を見込めないとわかったのか、あるいはちょうど曲が終わりだったのか、音高く最後の旋律を弾くと「アマデウス」はヴァイオリンを下ろした。
「歓迎するぜ。オレは「ロビン・フッド」」
「「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」だ。気軽に「アマデウス」と呼んでくれ」
それに対し、新人の少女は踵を正して言う。
「「沖田総司」です。ご指導、ご鞭撻よろしくお願いします!」
「ロビン」と「アマデウス」は二人で目配せをした。どうやら新人は真面目な性分らしい。ならばこちらも、新しい仲間を正面から歓迎しよう。
『ようこそ、第四小隊へ』