「織田信長」が第二小隊に配属される二週間ほど前。ハリケーンに潜む進化侵略体の撃墜作戦に参加するべく、「ジョルジュ・メリエス」はA・ローガンの通路をあわただしく駆けていた。
「ああもう本当に「フーヴァー」は人使いが荒いんですから~! この間も映像一本取るために太平洋横断させられるし今度はフロリダ沖だし~」
「ははは、それは大変だ」
「って、あれ? 「ビリー」さんも出撃ですか? でも私服?」
「メリエス」がA・ローガンの離発着ポートへと愚痴を叫びながら駆け込むと、そこには私服姿のチームメイトがいた。
「ちょっと今回は特殊な案件らしくてね。君はまた撮影係?」
「そりゃ私は「メリエス」ですので撮影が本職ですけども、一応戦闘班なんですからホイホイ出張させられるのはなーと」
「だったら特殊班に入ればいいのに。何度も誘いは受けてるんだろう?」
「んー。でもやっぱり現場で撮ってこそと言いますか。特殊班だと「フーヴァー」に言われるままに映像撮って撤収しての繰り返しになりそうですしー……」
と、そこで自分の発言が辛気臭いと思ったのか、「メリエス」はことさら声を張って「ビリー」に冗談を言った。
「って、そんなこと言ってると戦闘中にヘマしたところばっちり撮って上映しちゃいますよ☆ 同じ小隊なんですから~」
「ははは、ごめんごめん。それじゃあ、行ってらっしゃい。もうヘリ来てるみたいだよ」
「あっ本当ですね。それでは~」
「メリエス」のバタバタとした足音と入れ替わりに、「ジェロニモ」がやってきた。
「待たせてすまない。おや、「メリエス」も出撃か?」
「別件らしいよ。さ、僕らも行こうか。厄介そうな匂いがプンプンするけどね」
彼らが行くのはニューメキシコ州。それも私服での覆面調査だった。
*
ニューメキシコ州はアメリカの南部、メキシコとの国境に位置する。美しい景観から魅惑の土地と呼ばれ、アメリカの州の中でも五番目に大きな土地は多様な風景を訪れるものに見せてくれる。「ジェロニモ」たちが降り立ったのはその中でも東の端に位置するクローヴィスという町で、標高が高いため、今の季節では朝晩に寒さを感じるほどだった。
『詳細はヘリの中で話した通りだ』
「本当とは思えないけど……」
『DOGOOの調査員たちも半信半疑だったが、いくつか証拠も押さえてある。君たち自身の眼で確かめてほしい』
今回の任務は切っ掛けから今に至るまで特殊だった。
まず、始まりは現地の住人の間で奇妙なうわさが流れていることだった。何でも家畜がほとんど痕跡を残さずに消えただとか、この世のものとは思えない遠吠えを聞いただとか、月の明るい晩に巨大な獣の姿を見ただとか……。
あまりに頻繁に繰り返される証言に、まずはDOGOOの調査員が現地に向かった。その結果、数々の証拠が見つかり、住人たちの噂が真実味を帯びてきたのだ。そこで足跡などからその獣を負うべく森に入ったが――。
「見事に追い返されたと」
『そういうわけだ。仕掛けた罠を再利用され、迷わないようにつけていた目印をごまかされ、見事にしてやられたというわけだ。進化侵略体の仕業とは思えないし、本来であれば君たちの出る幕ではないのだが、今回に限っては、気になることがある』
「気になることって?」
『……それは、君たちの調査次第だ。わかったことがあったらすぐに知らせてほしい』
そしてとうとうE遺伝子ホルダーが現地に向かうことになった。しかも、バックアップについているのは「フーヴァー」ではなくあの土偶である。おまけに彼自身も今回はやたらと歯切れが悪い。
「それで、どうして君が直接サポートを?」
『さっきも言ったが、「フーヴァー」は別件で忙しいのでね』
「分かったよ。それじゃ、そろそろ牧場の主人のところに着くからいったん切るね」
『頼んだぞ』
「ビリー」は通信を切ると「ジェロニモ」に意見を求めた。
「どう思う、「ジェロニモ」」
「……判断しづらい。しかし、土偶にとっても不測の事態なのかもしれない」
「と、いうと?」
「もともと、我々に与えられている情報は少ない。E遺伝子について、DOGOOについて、そして指令たちについて。「フーヴァー」ですら知らないことが多いと聞く。しかし、あくまで私の見解だが、あの土偶は悪人ではない。何の理由もなく情報を伏せることはないだろう。だが、今回は不可解な点を残したまま我々を頼っている」
「あー、つまり、土偶としては僕たちに手を借りたいのはやまやまだけど、色々教えてしまうのもできなくて、困っているってこと?」
「そうかもしれない。とにかく、今は与えられた任務に集中しよう。それでうまくいかないようなら、分かった事実をもとに土偶から情報を引き出せば、何かの助けになるかもしれない」
「手間がかかりそうだ……。仕方ないな。取り合えず今日はもう遅いし、挨拶だけ済ませて宿に引っ込もう。お腹もすいた」
「そうだな」
待ち合わせ場所に着くと、気のよさそうな小太りの男性が出迎えてくれた。
「おお、よく来てくれた。君たちがDOGOOの調査員か」
「ああ。「ジェロニモ」だ。こちらは「ビリー」」
「どうも」
「よろしく。二人とも、普通に名乗っても問題ないコードネームで幸いだったな! はっはっは!」
「全くだ」
牧場主はこちらの事情を了解している。明日はさっそく、彼の牧場に残った獣の痕跡を見せてくれるとのことだった。
「さて、今日はもう遅い。この辺りで食事でもしてから……ん?」
「どうかしたのか」
「すまない、あそこを見てくれ」
牧場主が指さしたところを見ると、建物の影から金髪の女の子がこちらをうかがっていた。チェックのシャツの上からオーバーオールを着ている小柄な少女だ。
「娘のポーラだ。……家に置いてきたつもりだったのだが」
「家からここまでは車で?」
「ああ。おーい、ポーラ! 隠れてないで出てきなさい」
「う……」
ポーラと呼ばれた少女は迷った様子だったが、結局大人しく姿を見せた。人見知りをする性格なのか、目線を落としたままこちらに近づいてくる。
「どうしてここに?」
「車の、トランクに隠れて……」
牧場主が額に手を当てて困った風にため息をついた。
「家にいなさいと言っただろう。どうしてここに?」
「そ、それは……」
ポーラはもじもじと言葉を濁したが、やがて意を決したように顔を上げて「ジェロニモ」に言った。
「あなたたち、あの狼を退治しに来たんでしょう? だったら、お願い、私も連れて行って!」
*
「ジェロニモ」たちはポーラや牧場主らと近くのレストランに来ていた。牧場主はポーラがついてきてしまったこと、こちらで夕飯を済ませてから帰ることを家に連絡するため、席をはずしている。
「
「「ビリー」だよ。こちらこそよろしく」
「「ジェロニモ」だ」
「ふうん……二人とも、有名人と同じお名前なんだね。「ジェロニモ」さんはネイティブアメリカンなの?」
「ああ。君こそ、フランス系なのか?」
「ママがそうだよ。それで、えっと……さっきのお願いは――」
「こら、ポーラ。二人を困らせてはいけないぞ」
と、その時牧場主が戻ってきてポーラの言葉を遮った。
「すまない、二人とも。ポーラも無理なお願いをしてはいけない」
「ごめんなさい、パパ。でも……」
「事情があるなら聞こうか」
「ジェロニモ」がそういうと、ポーラが顔を輝かせた。
「ねえ、いいでしょう、パパ」
「むう。……仕方ない。聞いてやってくれますか」
「ああ。それで、頼みというのは?」
「私も狼退治に連れて行ってほしいの!」
「狼か……」
DOGOOの調査員たちは獣の姿を直接見ていないため、報告書では断定はしていなかったが、足跡などの痕跡から狼である可能性が高いことは示していた。しかし、その大きさが問題だったのだ。
「牧場に残っていた足跡は見たのか、ポーラ。あれが本当だとすると、常識では考えられない大きさだ。ついていくのは危険すぎる」
「でも……」
「何かついてきたい理由があるのか?」
「……ブランシュが、いなくなっちゃったの」
「うちの犬のことです。白いメスで」
ポーラが言うには、二日ほど前の夜にそのブランシュという犬と遊んでいたとき、狼の遠吠えが聞こえたのだという。その時から様子がおかしく、しきりに森の方を気にしていたが、昨日の朝に突然いなくなってしまったという。
「だから、ブランシュはもしかして狼のところに行っちゃったんじゃないかって……」
「……そうか。しかし、やはり危険だ。連れてはいけない」
「僕も反対だ。連れていくなんて考えれない。これは遊びじゃないんだ」
「うん……分かった」
「分かったろう、ポーラ。ほら、今日はお前の好きなものを頼んでいいから。さ、「ジェロニモ」たちも遠慮せずに。ここは私が持とう」
ポーラは浮かない顔だったが、「ジェロニモ」たちと他愛ない会話をしながら豪華なハンバーグセットを平らげると、少しだけ明るい表情になった。
「それじゃあ、また明日。車で迎えに来ますので」
「ああ。それじゃあ、ポーラもまた明日」
「うん。バイバイ」
親子と別れ、取っておいた宿へと向かう。
「「ジェロニモ」はこういうところがちょっと甘いよね。もっとはっきり断るべきだろうに」
「そうだな。そういう意味では、シビアに考えられる君の存在が心強い」
「それはどうも。さて、明日が本番だ。森の中での行動は君の方が詳しいだろうから、僕は大人しくついていくよ」
「ああ。それではまた明日」
その晩は変に月が明るく、「ジェロニモ」はなかなか寝付けなかった。
*
翌日。「ビリー」たちはポーラの父の牧場に向かい、さっそく牛がいなくなった時の状況を詳しく聞くこととなった。足跡を撮った写真を手に、一同は現場検証を始めた。
「ここに血痕が。そして、その時の足跡です」
「ふむ……。一緒に映っている主人の靴と比べると、やはり別格の大きさだ。この大きさだと、体長は三メートル以上あるだろう。被害は何頭も?」
「うちは一頭だけですな。他の仲間に聞いた限りでは、おおよそ一月に一頭くらいのペースでやられています」
「……それは少しおかしいな」
「どういうこと、「ジェロニモ」?」
「狼は通常、十頭ほどの
「じゃあ、一匹狼ってやつなんじゃないの?」
「ああ。群れから独立した狼は、自身の群れを持つまでは単独で行動する。その際は、群れの縄張りと縄張りの間にある緩衝地帯を渡り歩き、群れの縄張りから逃れようとする動物たちを狩って飢えをしのぐ。そういう習性がある」
「狼の社会も結構世知辛いねえ」
「ビリー」が感心したように言うが、自分の発言で気づいたことがあり、言葉を続けた。
「でも、だからって人間社会に首を突っ込むのはおかしいよね」
「ああ。狼は賢い。人間の家畜にむやみに手を出せば、報復を受けるのを心得ている。一匹狼がそんな無謀な狩りに手を出すとは思えない。まだ森の状態を見たわけではないから何とも言えないが、そうせざるを得なくなるほどに森の獲物が底をついているわけではないだろう。もしそうなら、他の群れの狼たちも似たような行動に出るはずだ」
「じゃあ、こいつは何のために家畜を襲っているんだい」
「……
「
牧場主が言った言葉が気になり、思わず繰り返した。
「ロボって、ロボット? いや、違うか。もしかしてシートンの? 懐かしいなあ。子供の時に読んだよ」
「ああ。ここニューメキシコが舞台なだけあって、我々の間でも奴の正体と関連付けて噂するものは多くてね。あれは「ロボ」の再来だ、と」
「……しかし、ロボは普通の狼にしては大きい、という程度だったかと思うが」
「ああ。だからアレは子孫や何かではなく、亡霊になっているだとか、ありもしない噂が立っているんだ。足跡はあるが、近くで見たものはいない。遠目で見たというものは、大きさまで分からなかったと……不安をあおられてばかりなんだ」
「なるほどねえ。これは、もしかするかもね」
「協力感謝する。では、これから少し休憩した後、我々は森に入って調査をする。……ポーラを見張っていてもらえるだろうか」
「私もそのつもりだ。二人とも、よろしくお願いします」
牧場主が軽い食事を出してくれるというので、「ビリー」たちは厄介になることにした。しかしその前に問いただしておきたいことがある。一度街に戻り、宿で通信機を使って土偶に連絡した。
『君たちか。どうだ? 狼の存在は信じられたか?』
「ああ。それと、聞きたいことがある」
『……聞こうか』
「動物のE遺伝子ホルダーは、ありうるのか?」
『――やはりか』
土偶はいかにも重たげに口を開いた。「ジェロニモ」が彼の口から言葉を引き出すべく、質問を重ねた。
「我々が知っているのは、あなたがこの星の傑物から遺伝子を採取し、E遺伝子に改造して後世の人間に伝えていること。そしてそれが進化侵略体への対抗手段であることだけだ。遥かな星から来た民よ。あなたは地球に来てから、一体どれだけの傑物と接触した? その中に、人間以外の傑物はいたのか?」
『……どの時代の誰から遺伝子を得、E遺伝子へと変えたかは、DOGOOの最重要機密にあたる。その理由がわかるか?』
「E遺伝子を持っている可能性が高い人物を、各国がしらみつぶしに探すからだよね?」
『ああ』
「ビリー」のストレートな物言いに、土偶は肯定した。
『E遺伝子ホルダーの貢献度は、今やこの星での国の地位に直結する。現在DOGOOに在籍するE遺伝子ホルダーは、訓練中の「織田信長」と「沖田総司」を含めても二十六名。DOGOOに加盟する国々のうち、ホルダーを輩出している国とそうでない国での発言権が違ってくるのは避けられない問題だ。進化侵略体との戦いが長期化し、その被害が大きくなればなるほどにこの問題は顕在化するだろう。だから、私はE遺伝子ホルダーがDOGOOに参加するかどうかは、国家と切り離し、あくまで本人の自由意志によるものだとしている。君たちもそうだっただろう』
「まあね。表向きは、だけど」
「ビリー」の場合は、夢を見たことが始まりだった。もともと拳銃は好きだったが、毎夜の夢にビリー・ザ・キッドの逸話を彷彿とさせる光景が現れるようになった。おかしな病気じゃないかと心配する周囲を笑い飛ばしながら、大きな町の病院に行き――そして、検査の結果が出た。
DOGOOは進化侵略体の出現と前後して、各地の病院や宗教施設に協力を要請し、気になる証言をする人間を見つけるための網を張っていたらしい。病気の相談や、告解に訪れた人の中に、E遺伝子を目覚めさせたものがいないかどうかを。
そして、「ビリー」はまんまと引っ掛かり、今この星がどうなっているかを知らされた。その場では急な話だと断ったが、それからというもの、太平洋の小さな島で不可解な失踪事件が起きただとか、未確認生物が目撃されただとか、そう言った噂を周囲で聞くたびに、叫びだしたい気分になった。
――それは、やがてこの星を滅ぼしかねないエイリアンだと。
そして、自分を引き留めようとする母をどうにか説得し、この星を守る戦士となったのだ。
「ってことは、断った人もいるわけだ」
『ノーコメントだ。……その意味では、なし崩し的に戦いに巻き込み、大規模な報道でE遺伝子ホルダーであることを周囲に知られてしまった「信長」は失敗だった。本当に、彼女にはすまないことをした』
「まあ、おいそれと僕らに喋れないことだってのは分かったよ。でも君に聞くのが確実だから聞くよ。君は、狼王ロボから遺伝子を採取したのかい?」
『答えは――イエスだ』
「ビリー」と「ジェロニモ」は顔を合わせ、うなずき合った。
『ただ、君たちにも知っておいてほしい。私にとっても、E遺伝子は未知の部分が多く、実験的な部分が多くある。狼王ロボはその一つだ』
「どういうことだ?」
『E遺伝子の理論が完成したのは、私の星がもう取り返しがつかなくなってからだ。私の故郷以外の星の生物――つまり君たち人類に適用できるかは半信半疑のまま、計画を実行に移すしかなかった。君たちなら
これって笑うところかな、とジェスチャーで聞くと、「ジェロニモ」は私に振らないでくれ、と目線で返してきた。
『……その、すまない。今のは軽いジョークのつもりだったのだが……。返事をしてくれないだろうか。気分を害してしまったか?』
もう少し黙ってようか、とジェスチャーで聞くと、「ジェロニモ」は優しくも口を開いた。
「いや。なかなかウィットの効いたジョークをありがとう」
『そ、そうか……。だが、くれぐれも気を付けてくれ。彼は――ロボは。おそらく、人間を憎んでいる』
「だろうね」
狼王ロボは、アーネスト・シートンの手記に登場する狼だ。ニューメキシコ州の家畜などに被害を出した古狼であり、力強さと賢さを併せ持っていた。ロボ自身にはいかなる策も通じず、シートンは彼の群れの妻と言えるブランカという白い狼をまず狙い、妻の死に冷静さを失ったところを捕らえた。
「手記通りだとすれば、彼は相当人間を憎んでいるはずだ。なんで、人間の敵をむやみに増やすようなことをしたのか。答えてもらおうか?」
『それは――』
「「ジェロニモ」! 「ビリー」! ここにいるのか!? 頼む、娘が!」
土偶が何かを言おうとしたとき、聞き覚えのある声とともに部屋のドアが激しく叩かれた。
「ごめん、切るよ。また連絡する」
『ああ。頼む――彼を。「ロボ」を、嫌わないであげてほしい』
その言葉はどういう意味か。それを理解するより先に「ジェロニモ」がドアを開けた。そこには牧場主が顔を青くし、息を切らして立っていた。
「どうかしたのか? まさか――」
「そのまさかだ! 娘が、ポーラがいない! 目を離したすきに――森にブランシュを探しに行ったに違いない!」
*
事は一刻を争う。車で牧草地帯を横切り、森のすぐそばに横付けした。
「ここで間違いないのか?」
「時々ポーラが森の近くで遊ぶことがある。この先に少し開けた場所があって、近くの子供たちの遊び場になっているんだ。それ以上深入りしないように、普段からきつく言い聞かせているから――逆に言えば、ここから入った可能性が高い」
「……よし。あなたはここに残ってくれ。ここからは私と「ビリー」だけで行く」
「やはり、そうか」
牧場主は悔し気に歯を噛みしめた。
「娘を……娘を、どうか」
「任せておいて」
「では、行くぞ。「ビリー」、ウェポンを展開だけして銃は入れないでおいてくれ。君のウェポンはホルスターに銃を入れた時点で弾丸が装填される。火薬のにおいがするのはマズい」
「分かったよ」
二人ともAUウェポンを展開した。「ジェロニモ」は素早い身のこなしで木々の間をかいくぐると、牧場主が言ったのであろう広場に足を踏み入れた。周囲を見渡し、地面を検める。
一歩遅れてついてきた「ビリー」が広場に入りながら聞く。
「どう?」
「新しい足跡がある。少し迷った形跡もだ。そう遠くへは行っていないだろう。よし、こっちだ」
更に奥へと分け入ると、昼間だというのに一気に暗くなった。木々のざわめきや鳥の鳴き声が、のどかさよりも不気味さを与えるようになってくる。この中を、十歳になるかならないかの子供が突っ切っていったのだ。それだけブランシュのことを大切に思っている証拠だろう。
だが、この時ばかりは大人しくしておいて欲しかった。
「……獣道だ。狼の足跡とフンがある」
「群れのもの?」
「いや、一匹狼の――普通のサイズのものだ。やはり、「彼」はE遺伝子ホルダーで間違いないだろう」
「巨大な狼の姿そのものがAUウェポンか……厄介そうだ」
「敵にならないのを祈るばかりだ――っと、いたぞ」
木々の向こうに、木漏れ日に輝く金色の髪が見えた。AUウェポンを解除し、ガサガサと草をかき分けて近づくと、小さな背中がびくりと震えた。
「落ち着いてくれ、ポーラ。私たちだ」
「え? あ、ジェロニモさん?」
「そうだ。怪我はないか?」
「う、うん。……
ブランシュを救いたい一心で父の目を盗んで森に入ったはいいが、迷って心細くなってしまったのだろう。服は草木に引っ掛けたのか、あちこちに細かい傷があり、顔にも疲労が浮かんでいた。
「ジェロニモ」は彼女を安心させるために、その小さな頭をゆっくりと撫でた。
「フランス語でも構わないとも。言葉は心を伝える道具だ。きちんと心を籠めれば、そこに国境はない」
「良いこというねえ。でも、今はこっちの方がいでしょ」
「ビリー」が取り出したチョコバーを見て、ポーラの目が輝いた。
「あ! お、お腹すいてて……もらってもいいですか?」
「いいよ。僕らも食べよう」
「やったー!」
「そうか……チョコレートの方がいいのか……」
「ドンマイ」
「ビリー」は「ジェロニモ」の肩を軽く叩くと、その手にチョコバーを押し付けた。
*
「さて。一度君を家に送ろう。今度こそ、大人しくしておいてくれ」
「ウィ。……シルブプレ」
「ああ。任せてくれ――と、言いたいところだったが」
「え?」
「まさか、ここまで近づかれているとは……」
「油断したね」
「ジェロニモ」がウェポンを展開したのに合わせ、自分はホルスターにサンダラーを滑り込ませた。一瞬にして戦闘態勢を整えた自分たちにポーラが驚く。
「ジェロニモさん、何が……? それに、その斧は?」
「静かに。まだこちらの出方をうかがっているようだ」
風下に張り付かれているようだ。相手の正確な位置を察することは難しい。重たい時間が刻一刻と過ぎていく。
額に汗がにじみ、顎先から滴った。太陽が傾いていくのが分かる。それほどの時間が経ったとき――。ふいに、森の奥から悲痛な鳴き声が小さく響いた。
「――ギャンッ」
「■■■■ッ!!」
それを聞き、木立に身を潜めていた獣は短く吠えると向きを変えた。鳴き声のした方へと草木がかき分けられる音が響く。
「今のは?」
「ブランシュだ! 間違いないよ!」
「ポーラ!」
引き留めるがもう遅い。ポーラはもう駆けだしていた。藪に飛び込み、体が傷つくのもいとわずに鳴き声のした方へと進んでいく。自分たちも追おうとするが、絡み合った草木が大人の体格を拒む。
「ああもう、僕らの体格じゃこの藪は――」
「どけ、「ビリー!」」
その声に身を引くと、入れ替わりに「ジェロニモ」がトマホークの一閃で藪を断ち切った。二度、三度と切り開かれた道を必死に進む。
必死さがなせる業か、邪魔な草木を打ち払う大人たちが追いつけないスピードでポーラは先を進んでいるようだ。ちらほらと見える金の髪は一向に近づかない。
「ポーラ! 止まれ! 危険だ!」
結局、ポーラに声が届かないまま、視界が開けた。そこは小さな洞窟の入り口に面した、少し木々の開けた場所だった。
そして、「ビリー」はとうとうその姿を見た。
青と銀が織りなす体毛に包まれたその体格は、優に三メートルを超していた。金の瞳はギラギラと憎しみにたぎり、全身から立ち上る殺気が燃え盛る炎を思わせた。その口は今しがた食いつぶした獲物の血が滴り、その足元には白い毛皮を血で濡らした犬が――。
「ブランシュ!」
「待て、ポーラ!」
「ブランシュ! しっかりして! ブランシュ!」
ポーラが白い犬、ブランシュに駆け寄り、その顔をのぞき込む。飼い主の顔を見て安心したのか、ブランシュは小さく鳴いた。それを見てポーラは目を鋭くし、近くにあった石を掴んで狼に振り向いた。
「お前がやったの!? ブランシュを無理やり――」
「待て、ポーラ! 違う!」
「ちょ、「ジェロニモ」!?」
「ジェロニモ」は飛び出すと、少女と狼の間に割り込んで手を広げた。だが、かばったのは――背に隠したのは狼の方だ。それを見て「ビリー」が思わず銃に手をかける。
「撃つな!」
「そんなこと言っても――」
狼が口を開いた。次に閉じるときは、「ジェロニモ」の命すら奪いかねない。そう思っていたが――。
大人の頭すら丸のみにできそうな口の中からこぼれたのは、褐色の毛皮が混じった肉片だった。
「……狐?」
「そうだ。狐がブランシュを襲ったのを、助けようとしたんだ。そこの傷は今狐にやられたもの。もう一か所、後ろ足の怪我は新しくない――。彼は、怪我をしたブランシュをかくまっていたんだ。わかるか、ポーラ」
「■■■■――」
狼が唸る。自分に向けられる敵意を見逃すまいと、決してこちらから眼を離さない。
「それじゃ――それじゃ――」
「ああ。大丈夫だ。だから。その石を置きなさい」
ポーラが石を置いて立ち上がった。それを見て、狼王が吠える。
「■■■■■■■■――!!」
「「ジェロニモ」、本当に大丈夫なの? だって、狼王ロボは――」
「ああ。妻を奪われ、罠にかけられて殺された。人間そのものを憎んでいても仕方ない。実際、家畜を襲い、自分の痕跡を残していたのはそういう意図があったのだろう。E遺伝子がそう望んでいた、いわば暴走だ。しかし、きっと「君」自身は違った。だから脅かす程度で済んでいたんだ。そうだろう?」
「ジェロニモ」は狼に問いかけた。
「どういうことだい?」
「――私のE遺伝子も、同じだ。家族を奪われ、「眠たがり」は復讐者となった。そして虜囚として一生を終えた。……E遺伝子に目覚めたときは本当に大変だった。白人の親友すら、そうであるというだけで憎く見えた。私の中の彼が訴えていた。しかし、それ以上に大きな気持ちがあったんだ」
「ジェロニモ」は静かに笑みを浮かべた。
「帰りたい」
その言葉に、狼がピクリと反応した。
「私自身は、彼の故郷を訪れたことはなかった。我らが伝統的な暮らしを続けるのは困難だった。私自身、幼いころから都会を訪れたことが何度かあり、街でも友人を持っていた。だが――自身が「ジェロニモ」だとわかったとき、決心して彼の生きた足跡をたどったときだ。――ああ、帰ってきた、と。涙を流したのを覚えている」
「ジェロニモさん……」
「だからポーラ。彼を、「ロボ」を――嫌わないであげてくれ」
奇しくも土偶と同じことを「ジェロニモ」は言った。
「彼はただ、生前の狼王の記憶に突き動かされて人を脅かしていただけだ。ブランシュを助けたのは、彼自身の気持ちの表れだ。きっと」
「そう、なの? じゃあ……」
ポーラはおずおずと歩み出ると、狼に向かってぎこちなく笑った。
「メルシィ。メルシィボークー。伝わってる?」
「■■■■……」
「サンキュー。メルシィ。ブランシュを助けてくれて――ありがとう、狼さん」
「■■――■■……」
泡が弾けるように狼の巨体が消え失せ、中から普通の大きさの狼が現れ――倒れた。
「狼さん!?」
「やはり、AUボール無しでウェポンを発動していたようだ。これでは無理もない」
「じゃあ、これで一見落着ってことでいいのかな、「ジェロニモ」」
「ああ。まずはブランシュと「ロボ」の手当てをしなくては。手伝ってくれ」
「私もやる! どうしたらいい!?」
「よし、まずは――」
てきぱきとポーラに指示を出す「ジェロニモ」を見て、「ビリー」は少し苦い思いを味わった。
「ああ、なるほど。あの土偶、道理で「ロボ」に優しいわけだ」
故郷の星を進化侵略体に滅ぼされた宇宙人。
家族を殺され、復讐に身を投じたアパッチ。
妻を奪われ、鎖に繋がれて命を終えた狼王。
「明日は我が身だ」
進化侵略体を滅ぼさねば、次は自分たちの番だ。彼らはこんな思いの中で戦っているのだ。
ならば、嫌えるわけもない。
同じ大地に生きるものとして。
*
「ロボ」を保護してから一週間ほどたった。
「様子はどう?」
「さっきも様子を見てきたが、相変わらずだ。「ロボ」自身は大人しいものだが、時折人間に対して態度が変わる。彼自身、狼王の衝動を抑えきれていないのだろう。今はAUウェポンの発現を抑える装置を首輪に取り付けているが――」
「そんなものまで用意してるなんて、あの土偶は本当に用意がいいね」
「とにかく、「ロボ」のいる部屋はしばらく立ち入り禁止だ。第二小隊やスタッフにも伝えておかなくては」
「分かってるよ。あ、そうだ。小包が来てるよ」
「小包?」
「ジェロニモ」は小包を受け取ると差出人の名前を見た。ポーラからだった。
あの後、「ロボ」を獣医のところに搬送するために牧場にヘリを呼び、あわただしくあの場を後にしたのだ。ブランシュも一緒に運ばれて手当てを受け、そのあとは「ロボ」の容体が落ち着いたのを見計らってA・ローガンに運び、ブランシュはポーラのもとに返された。結局、「ジェロニモ」たちは挨拶も早々に立ち去ってしまったのだ。
報告を受けた土偶はこちらの労をねぎらい、そのうえで言った。
『こんなことがあった後で済まないが――私を、信じてはもらえないだろうか。決して、君たちをE遺伝子の実験台にしているわけではないと。「ロボ」は私なりにこの星を守る可能性を増やすための試行錯誤の一つだったんだ。もう一度お願いする。この星を守る手伝いを、これからもしてほしい』
「ジェロニモ」も「ビリー」もまだここにいる。それが答えだった。
「……さて、中身は」
まずはポーラからの手紙だった。繰り返し、繰り返し助けた貰ったことへの感謝と、一人で行動してしまったことへの謝罪と、不器用ながらも思いのたけを込めた文章が続き、その最後に。
「なるほど、これか」
*
扉が開いた音を聞き、「ロボ」は億劫気に目を開いた。一度は立ち去った「ジェロニモ」の再訪に、訝し気に金の瞳を向ける。
「すまない。ブランシュからの贈り物が届いてね」
そういって「ジェロニモ」が手に持った何かを差し出した。ブランシュが愛用しているのだろう。彼女の歯形と匂いの残るフリスビーを枕元に置かれたので、「ロボ」は鼻を鳴らし、目を閉じた。
「気に入ってくれたか?」
答えは返さない。ただ、ぱたりと尻尾を揺らした。
「また何かあったら教えてくれ。頑張って君の気持ちを察して見せる。そして、いつの日か、一緒に――いや。これはもう少し後に頼むことにする。眠っていたところを済まない。では、また明日様子を見に来る」
「ジェロニモ」は立ち去った。今度こそ戻ってこないことを確認し、のっそりと立ち上がる。フリスビーの臭いをかぐと、ブランシュのものに混じって人間の臭いもした。
『メルシィ』
どうやら、今はあのポーラという少女と遊ぶことはできないらしい。ならばこんな
ならば、寝るに限る。
この身に眠る、祖の狼よ。その怒りと憎しみが、いつか、ほんの少し安らぐまで。
「ロボ」は眠りについた。