ノッブナガン   作:喜来ミント

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幕間 藤丸立香の戦い

 修学旅行の出来事からおよそひと月。夏至も目前に迫ったせいか、六時半だというのに辺りは夜の気配はまだ訪れていない。じりじりと暑さを増す毎日に、早くも外に出るのが億劫になりつつあるが、自分の目的のためには勇んでコンクリートジャングルへと出かける必要があった。

 新宿駅の駅前で人波をにらんでいた、そんなある日のこと。ふいに携帯電話が震えた。見知らぬ番号だが、誰だろうか。

 

「はい、もしもし?」

『あ、藤丸さん? えっと、真緒です』

「真緒ちゃん!? え? どうして?」

『久しぶり。特別に衛星電話借りられて。本当は訓練終わったら手紙出すつもりだったんだけど、ちょっと、立て込んでて』

「ううん、いいんだよ。忙しいでしょ。……それで、今日はどうしたの?」

『……ちょっと、不安で。詳しくは言えないけれど、今から大きな作戦で。私が、考えたんだ』

 

 世界を守る戦いの大きな作戦を考えた。それは文字通りに受け取ればすごいことだ。だが。

 

「大丈夫だよ」

 

 電話の向こうから、息をのむ音が聞こえた。

 

「これだって思って、考えたんでしょ? 周りの皆もそれで行こうって思ってくれたんでしょ? だったら大丈夫。私も、真緒ちゃんを信じてるから。だからきっと大丈夫だよ」

『ありがとう。藤丸さんならそう言ってくれると思ってた』

「うん。前に言ったでしょ。真緒ちゃんが真緒ちゃんである限り、私は真緒ちゃんを応援するって。私が応援して助けになれたなら――」

 

 なれて、いるだろうか?

 

『……? どうしたの?』

「ううん。私も一緒に戦ってるから。だから、真緒ちゃんは一人じゃない。DOGOOの人たちだって、真緒ちゃんを一人にはしないよ」

『うん。ありがとう。それじゃあ――』

 

 別れを惜しみつつ、立香は電話を切った。

 

「私も一緒に、かあ」

 

 自分も戦うと決めたはずだった。遠く離れても、日本でできることをしようと。自分にしかできないことをやろうと。だというのに。

 そんな風に物思いに沈んでいると、太陽に映える金髪の少女がこちらにやってきた。真緒の家に家政婦としてやってきたDOGOOのエージェント、アルトリアだ。水兵服の少女は買ってきてくれた飲み物をこちらに差し出すと、顔色をうかがってきた。

 

「お待たせしました、リツカ。……おや、どうかしましたか?」

「ああ。真緒ちゃんから電話があって」

「何と、ノブナガ様から!」

 

 織田信長こと六天真緒は、今や日本では知らない人はいないと言ってもいい有名人だった。

 両親を早くに失くした小柄な黒髪の少女が、織田信長の魂を受け継ぎ、エイリアンと戦うべく超国家組織に参加する――。本当にフィクション顔負けの売り文句だ。

 真緒本人は過小評価していたが、幼げながら精悍な顔立ちと綺麗な黒髪という見た目がある上、台湾での映像からうかがえる「織田信長」としての戦いぶりがギャップを生み、今やSNSでも連日トレンド入りしている始末だった。

 本人が知ったらなんというだろうか。慌てふためき、謙遜するだろうか。そう思うと少しおかしかった。

 

「ノブナガ様はなんと?」

「えっと、これから大きな作戦だって。だから、ちょっとエールをね」

 

 自分もこうしてはいられない。いつもならそろそろ帰る時間だが、今日は場所を変えてもう少し粘ってみよう。

 真緒が旅立ってから一か月弱。自分が取り組んでいたのは未発見のE遺伝子ホルダーの探索だった。

 

  *

 

 真緒と病室で語らった日、自分はDOGOOの指令に提案した。自分の持っている力を使って手伝いがしたい、と。

 もともと、自分が真緒のことを気にかけていたのは、彼女の背後に影のようなものが見えていたからだった。

 人影のようにも見えるそれは、彼女の背後にいつも静かにたたずんでいた。最初は見間違いかと思ったが、間違いなかった。何度も何度も見返し、なおかつ他の人には見えていないのを確認した。

 霊感がある方ではない。一度、真緒の目を盗んでその影に触れてみたこともあったが、何の感触もありはしなかった。影も自分に反応したりしなかった。

 ならば、アレは何なのか? 真緒自身が知っているかもしれないと思い、台湾で声をかけた。思った以上に人と仲良くするのが苦手な彼女と無理やりにでも友達になって、その正体を知りたいと思った。その時はどうにかきっかけを手に入れ、日本に帰った後はどうやって仲良くなろうかと考えながらでっかいオッサンへと続く道を歩いたものだ。

 でもその答えは意図せず分かってしまった。

 

『我こそは第六天魔王波旬織田信長! 怪物どもよ、三千世界に屍を晒すが良い!』

 

 彼女は戦士だった。あの影はその証だった。

日本では知らない人のいない、かの戦国の勇士だったのだ。

 最初の切っ掛けである、影への興味はなくなった。もう答えが出てしまった。それでも、彼女が病室に尋ねに来てくれて、ずっと自分の心配をしてくれているとわかったとき、影のことなんてどうでもよくなるくらいうれしかった。もうその時には、最初の切っ掛けなんて関係なく、自分は真緒と友達になりたいと思っていた。

 手段と目的が逆転したというと、悪いたとえによく使われるけれど、自分の場合はそうではなかった。影のことを知りたいがために友達になろうとしたのが、友達のために他の影の持ち主を探すことに変わった。

 それが、少しでも彼女の手伝いになると信じて。

 総司様――沖田桜と真緒は仲良くしているだろうか。真緒以外で唯一、影をその背に見た彼女の存在を、自分はDOGOOに教えてしまった。そうすることで自分の価値をアピールした。

 今にして思えば早まったことをしたと思う。信じてもらえるかどうかは別として、沖田桜の意志を確認してからでも遅くはなかっただろう。

 そう思うのに、今も似たようなことをしている。それしかできることがないと、自分に言い聞かせるように。

 

「さて、どこへ行きましょうか」

「人の多いところがいいよね……観光名所の方がいいかなあ」

「それならば、今日から上野でウキヨエの特別展をやるようですよ!」

「……せっかくだし、私たちも見に行こうか? 今日はもう遅いし下見だけ――週末にでも、勝行君と千夜ちゃんも誘ってさ」

「是非!」

 

 自分は連日、暇を見つけては、東京を中心として多くの人が集まる場所を訪ねていた。多くの人の中に、影を背負った人がいないかを探すためだ。

 本当のことを言えば、E遺伝子のもととなった人物にゆかりの地を訪ねたいところだったが、どんな偉人の血がE遺伝子として残されているのかはトップシークレットだという。あたりをつけて各地を訪ねるというのも考えたが、まずは分母を増やす方向を試すことにした。新宿、秋葉原、千代田などの要所はもちろん、浅草などの観光名所を連日熱心に訪ね、人の波に目を凝らす毎日だ。

 とはいえ交通費もただではない。真緒の家の護衛も兼ねているエージェントのアルトリアを同行させるという条件で、いくらかの援助も受けている。おかげでこちらの懐事情は心配しなくてもよかった。

 アルトリアもアルトリアで気になる人物なのだが、彼女の事情はよく分かっていない。こうして行動を頻繁にともにするようになっても、仮にもエージェントと言うべきか、個人的なことはさっぱりだ。それでも、真緒と勝行と千夜をきちんと大切に思ってくることは伝わってくるので大事はないだろう。

 特に真緒のことについては、何かしらテレビで報じられるたびに録画して見返しているようで、自分はノブナガ様のファンだと言ってはばからない。そのほかにも日本の風習などにはよく興味を示し、ウキヨエについても彼女自身が見てみたい気持ちがあるのだろう。そんな彼女が目を輝かせている様子を見るのはとても微笑ましくなる。

 

『まもなく上野――上野――』

「あ、着きましたよ」

 

 上野駅を出ればすぐそこが上野公園だ。博物館や美術館、動物園も密集するエリアには、平日の夕方だというのに人が多く見られた。ここならば――。

 

「え」

「どうかしましたか、リツカ」

「いた。いたよ」

「まさか」

 

 そのまさかだ。

 少しはなれたベンチでスケッチブックを構えている女性がいる。自分より少し年上――大学生くらいだろうか。艶やかな黒髪をお団子にまとめ、ラフながらもセンスを感じさせる服に身を包んでいた。そして鞄にはなぜか大きなタコのぬいぐるみのようなものが――。

 

「彼女ですか」

「うん。わかる?」

「ええ。ただものではないというか」

 

 その彼女は、チェロを演奏しているストリートミュージシャンをスケッチしているようだった。目つきは鋭くもややけだるく、周囲の雑踏など自分には関係ないとでも言いたげに、その雰囲気は周りから一枚浮いていた。

 彼女の背後には間違いなく影がいた。うすぼんやりといた人影のようなものが、お団子頭の彼女の背後から彼女の手元をのぞき込んでいる。絵を見ているのだろうか。そう伝えると、アルトリアがつぶやいた。

 

「もしや、カツシカ・ホクサイでは」

「ホクサイ? 北斎って、あの?」

「ええ」

 

 駅舎でもらったのか、北斎展のパンフレットをアルトリアは差し出した。日本の絵描きの代名詞でもある彼が傑物として評価されるのはなにもおかしくはないだろう。

 

「よし。行こう」

「え? わ、私もですか?」

「ん? 別に一人でもいいけれど、どうかしたの?」

「あのタコが……」

「タコが」

 

 お団子の彼女に目を向けると、鞄に着いたタコのぬいぐるみと目が合った。いや、そんなはずはないのだが、じろりとこっちを見ているような気がする。

 西洋ではタコは気味悪がられていると聞いたことがある。まあ、別に護衛が必要な事態にはならないだろう。鞄に忍ばせたブツを確認すると、アルトリアに「ちょっと待ってて」と言い、お団子頭の少女へと近づく。

 

「すいません。お時間、いいでしょうか」

「…………」

 

 かりかりかり。しゃっしゃっ。かりかり。

 

「あ、あのー」

「なんでぇ。人が絵ぇ書いてんのが見えねえのかい?」

 

 口調こそぶっきらぼうだが、愉快そうな面持ちで彼女はこちらを見た。

 

「なんの用だい? 顔を書いてくれってんなら大歓迎サ。あんたはなかなか別嬪だ。あっちの連れの西洋人と一緒なら、なおさらだねえ」

「ええと……実は、聞きたいことがあるんです」

「ん? なんだい」

「進化侵略体について、どう思いますか」

「進化侵略体ぃ?」

 

 途端に怪訝そうな顔になる。無理もないだろう。このひと月で飽きるほどテレビで報じられてきた存在だ。

 海岸近くに住む人が内陸に逃れようとすることを筆頭に、進化侵略体はこの国の価値観そのものを変えてしまった。海に面する土地の値段が下がり、各都道府県の人口が露骨に変わり、経済や生活へと少しずつ日常に軋みを与えている。

 それでも日本はまだ平和な方だ。東南アジアの島国など、国そのものから逃れようとする人々が多くいるという。

 まさしく世界を変えかねないそんな存在に、自分たちは否応でも意見を持たざるを得なくなった。そんな存在に、彼女は――。

 

「実物を見たことねえから、分からねえな」

「え? 分からないって……」

「映像を見て描ける分はあらかた描き尽くしたからな。()()()()()だっていうから、最初はいいネタだと思ったが、どうにもつまらねえ。よくよく見たら古代生物の焼き直しが多いんだ、あいつらは。もう描く気は起きねえな」

「か、描く?」

「ああ。おれは絵描きだ。描く以外のことなんて、考えるかよ」

 

 なんて人だ。少し話しただけで、普通ではない価値観を持っているとわかる。

 期待が高まる。もしかして、彼女ならば――。

 

「だったら――これ、見たことがありますか?」

「んん?」

 

 立香はカバンからAUボールを取り出した。手のひら大のそのボールは、生ぬるい空気の中ではひんやりとした感触を手のひらに返した。E遺伝子ホルダーの判別用に、と特別に預けられた一つだ。

 お団子頭の彼女の目線が、幾何学模様が刻まれたボールに注がれる。遠目に近目に眺め、少し考え込み。

 

「ちょいと貸しなよ」

「は、はい」

 

 立香の手からもらい、手の内で弾ませたり、爪を立てたり、地面に転がしたり、日にすかしたり、頬にあてたり――。そんな彼女の一挙一動を、立香は固唾を飲んで見守った。

 そして、たっぷり五分も経っただろうか。彼女はボールを立香に返した。鞄に仕舞おうとすると、鋭く「そのまま」と言われたので、そのまま手に持って更に待つ。彼女はスケッチブックの新しいページを開くと、ボールのスケッチをとり始めた。

 そして、更に五分。筆が止まり、スケッチブックが閉じられた。

 

「ふむ。なかなかいい題材だった。素材も見た目も興味深い――」

「そ、それで? これ、見たことありますか? 何か、感じたりとか」

「いんや? ()()()そんなもの見たことねえや」

「えっ」

「じゃあな。次に会ったら顔を書かせておくれよ」

「ちょ、ちょっと!」

 

 呼び止める間もなく、身軽にお団子頭の彼女は人並みをかいくぐって駅の方へと行ってしまった。アルトリアを置いて追いかけるわけにもいかず、伸ばした手がむなしく空をひっかく。

 一歩遅れ、離れて見守っていたアルトリアが駆け寄ってくる。

 

「リツカ。もしや、断られてしまったのですか?」

「いや、断られたというか、それ以前というか……」

 

 前途は多難なようだった。

 

  *

 

 お団子頭の美大生――川村栄沙(えいさ)はいつもより速足で家に帰り着くと、乱暴に戸を開けた。

 

「おうい、とと様。いねえのかい! ……いねえや。まあいいか。またどっかほっつき歩いて絵ぇ描いてんだろ」

 

 別居している姉が差し入れてくれた肉じゃかを食べつつ、酒を飲み、タバコをふかす。時代に逆らっている自覚はあったが、喋り方にしろ趣味にしろ、時代に合わせるだけ損だ。絵を描くのに便利なものをのぞいては、だが。

 タバコは公然と吸えるようになって一年と少しだが、それでもどんどん吸える場所が少なくなっているように感じる。子供のころには駅のホームにも喫煙所があったものだが。

 そんなことを考えながら今日書いた絵を見返していると、幾何学模様を刻んだボールが書かれたページで手が止まった。

 

「……悪く思うなよ、嬢ちゃん」

 

 自分の眼で見たのは初めてだ。だから嘘じゃない。しかし、夜な夜な見る夢で見たことがある。それをはっきりと知っている。

 だが、ダメだ。自分も、この身に眠る画狂も言っているのだ。

 

「世界を守ってる暇があったら、おれは絵を描くサ」

 

 煙草の灰が落ち、ボールの絵を焼いた。

 


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