水中では時に、前後左右のみならず上下の感覚さえも失われることがあるという。無粋な爆炎で水中に叩き込まれ、吹き飛ばされながら無茶苦茶に回転したとなればなおさらだ。
だから、自分が水面に出られたのは運がよかったと言える。無我夢中で肺に空気を送り込み、咳き込む。
「げほっ。はーっ、はーっ、どこじゃ、ここは?」
三度目の正直と言うことで、がっちりと固定した帽子は落ちていない。自分の眼が依然として赤く輝いているのが分かる。
状況は限りなく悪かった。
あの新種侵略体による爆炎の攻撃の瞬間、「信長」は一ノ銃から伸びる帯状の装甲で自分をグルグル巻きにして水中に飛び込んだ。まともに喰らえばチリになっていそうな攻撃も、それで少しは軽減できたように思う。
しかしAUウェポンはひび割れ、そのフィードバックに襲われた体はあちこちが痛い。血もだらだらと流れている。
おまけに周囲は見渡す限り水平線で、C・フォレスターも見当たらない。通信もつながらない。
唯一、見知ったものと言えば――。
「貴様だけか」
余裕の笑みを浮かべているように見えるのは穿ちすぎだろうか。片目がもげているとはいえ、まだまだ無事な新型侵略体が目の前の海面を突き破って現れた。
一応、照明弾をイメージしてから空中に一発撃ちあげてみた。どこまであてになるかは分からないが、ないよりはマシだ。
頭上で光が瞬いた瞬間、それを合図に無数の触手が襲って来た。
引くことはできない。仮に逃げ切れたとしても、こいつがウパラに向かうだけだ。そうなれば勝ち目はない。あちらで原始細胞を殲滅するまで、こちらに引き付けておかなくては。
一発撃つごとに体が軋む。眩暈がする。息が切れる。だがやるしかない。
先ほどの爆炎の攻撃には大量の「地雷型」を使うため、そう何度も打てないだろう。だからせめて触手だけでも破壊しようと弾丸を打ち込む。しかし、刃のようになった、一際鋭い先端を持った二本の触手に弾をはじかれた。どうやらあの中にも装甲状の鱗が仕込まれているらしい。
「とことん、対策済みというわけか――!」
海面を走って回り込む。しかし敵は余裕綽々といった風に身を回し、鋭い触手を向けてくる。頬に熱が走った。首元を濡らすのは血潮か海水か、とにかく気持ちが悪い。血を失いすぎた。思わず足がくじける。それを見逃さずに他の触手が絡みつき、宙にすくい上げられる。
そして、刃の触手が胸に突き付けられた。
「ここまで、か――?」
『――――――――』
当然、侵略体は何も言わない。辞世の句を残す時間すらくれない。
ただただ、冷徹に刃が突き出される。
恐怖が目を閉じさせた。
*
目を閉じる一瞬前、羽が舞い落ちるのが見えた。
*
視覚を断った中、鋭い音が一度だけ大きく響いた。それが止んでから、今更のように波の音が聞こえてくる。
新しい痛みもない。
ということは。あの触手は弾かれたのだ。自分は、生きている。
目を開けた。
「なに、が――」
視界一杯に広がっていたのは、翼だった。
あちこちに車輪や歯車が埋め込まれたその翼には既視感がある。その証拠に、翼の根元には、はっきりと見覚えがあるランプが据えられていた。
しかしその大きさが尋常ではない。翼開長二メートル以上に及ぶ翼の起点となったランプもまた、人ひとりがすっぽりと収まるくらいの大きさがある。いや違う。
あどけない顔で眠る「ジャック・ザ・リッパー」が、まるで胎児のように体を丸め、頭を下にしてランプの中に納まっている。そして彼女が持つべき巨大なナイフは、翼の主の左手にあった。
「貴様が、どうしてここに?」
「しかるべき場所へ。それが私の本来の力です。とはいえ、貴女にお見せすることになるとは」
「本来の力じゃと?」
「ええ」
「ナイチンゲール」は車椅子が変形した翼を羽ばたかせ、伝説の殺人鬼のナイフを侵略体に突き付けた。
「モード・