ストーンフォレスト作戦からひと月ほどたったある日の未明、突如として
太平洋上空を巡航する空中要塞に地震は無縁だ。その揺れは、要塞のバランスをとるエンジンの一つに不調が発生したことが原因だった。
「ふああ……全く、朝から何なの……」
「ううん……おはようございます、マオ」
「おはよう、レティシア」
揺れに眠りを妨げられた「織田信長」こと六天真緒が部屋の外に出ると、同じく眠たげな様子の「ジャンヌ・ダルク」ことレティシアと遭遇した。彼女もこの揺れで思わず起きてきたらしい。
時間は午前四時。
このひと月で既に何度か、眠っているところを起こされて任務に出かけたこともある。E遺伝子ホルダーとして二十四時間体制で進化侵略体に対応する身の上であるためだ。しかし今回はだいぶ勝手が違うようだった。
『A・ローガンの全乗組員に通達! 6番エンジンに不調が発生した模様! 繰り返す、6番エンジンに不調が発生した模様! 当直の職員並びに整備班は至急第三会議室まで――』
「エンジンに不調、かあ。地震かと思った」
「地震――ああ、
こういったことに慣れていないのか、レティシアがどことなく怯えた様子で言う。
「うんまあ。前にとびきり大きい地震があってからは、深度4くらいじゃ驚かなくなったかな」
「4、ですか。どのくらいですか?」
「ああ、日本でしか使われてないんだっけ。まあ、食器棚がガチャガチャいうくらいかな」
「食器棚が!? そんな地震でも、驚くほどではないと!?」
などという会話をしていたら、レティシアの気もいくらか紛れたらしい。二人はそれぞれの部屋に戻り、普段通りの時間まで眠ることにした。
すでに、仲間の身に危機が及んでいるとも知らずに。
*
「揺れ? そんなのあった?」
「ありましたよ。エヴァ、きちんと自分の身は自分で守らなくては」
「守るのは「ジャンヌ」の役目でしょ」
「ええまあ、そうなのですが、そうではないと言いますか――」
午前7時。いつものように、食堂で第二小隊の面々は朝食をとっていた。真緒とレティシア、そして「ジャック・ザ・リッパー」ことエヴァである。
そこに「アヴィケブロン」ことマルクの姿はない。E遺伝子ホルダーとしての役目の傍ら研究者としての顔を持つ彼の生活は乱れがちであり、食事の時間がずれることも珍しくはなかった。しかし、今日に限っては少し気になったので、真緒はレティシアに提案してみた。
「マルクの様子、見てこようか」
「そうですね。あの揺れもあったことですし、一応お願いします。彼もきちんと規則正しい生活を送ってくれれば、こんな心配をせずともいいのですが――あ、こら、エヴァ。野菜を残してはいけません。大きくなれませんよ」
「えー」
「あはは……」
相変わらず委員長気質なレティシアと、手のかかる妹といった様子のエヴァを残し、真緒は先に食べ終わった朝食のトレイを下膳口に置きに行った。
そして、常に持ち歩いている地図を頼りに道を歩く。無機質な壁が続く廊下は、目立った目印がないせいか、配属されて1か月もたつのにいまだに把握しきれていない。出撃の時に使う降下ポッドのランチャーは要塞の外周にあるため、あまり迷わずに行けるが、そうでない場所の時はいまだに迷うことがあった。
それでもどうにかマルクの部屋にたどり着き、ドアを叩く。
「マルクー? 真緒です。起きてるー?」
返事はない。
「マルクー。マルク! 「アヴィケブロン」! ――おかしいな」
やはり返事はない。
一度食堂まで戻ることにしよう。もしかしたら夜中まで研究に没頭していて、こちらに気づかないほど深く眠り込んでいるのかもしれない。
そう思って食堂に引き返す途中、行きとは違う道に差し掛かった。それが分かったのは、この要塞にしてはかなり目立つ場所、ゴミ収集所があったためだ。
「あれ、行きにはなかったよね。道間違えたかな」
地図をがさがさと開き、位置を確認する。そして食堂への道をしっかりと頭に入れ、地図を折りたたんだところで、ふとそれが目に入った。
雑多な不燃ゴミが積み重なる中で目立つ、金色の艶消しの表面。独特な鋭角のフォルム。
それは、今まさに探している「アヴィケブロン」が普段から身に着けているはずの仮面そのものだった。
「……何故、ここに」
嫌な予感がする。拾い上げてみると予想以上に軽い。皮膚病とアレルギーの対策としての役割なためか、裏面は簡易的なフィルターが取り付けてあった。頭を覆う部分はなく、顔の前面の部分だけとはいえ、これが「アヴィケブロン」のもとにないというのは十分に異常事態だった。
「あ、マオ。ここにいたんです、か――」
「ああ、レティシア、エヴァ。ちょっとこれ見て」
その時、ちょうどレティシアとエヴァがやってきたので、さっそく「アヴィケブロン」のマスクを見せる。するとレティシアはハッと両手を口元にあて、目を見開いた。
「そ、そんな――こんな――」
「い、いやいや! 死んで無いから!」
流石に冗談にしてもたちが悪い――と言いそうになった時、一台の掃除ロボットがごみを捨てにやってきた。
空中要塞という場所は、いかに搭載量を軽くするかが肝となる。重量がそのまま燃費に関わるため、とにかく無駄を排した設計と運用が徹底される。乗組員が一人当たり持ち込める私物には限りがあり、更に乗組員自身も選りすぐった人材のみに制限される。単純に人間一人とロボット1台を比べれば重さは歴然だが、その人間一人が働くのに必要な荷物、食糧、水分などを考えたとき、軽い方が選択されるのは自明の理だ。
そんな理由で選ばれた掃除ロボットの一体が、集めたごみを集積所にドサドサと放出した。
その中にこれまた見覚えのあるものがあった。仮面と同様に金のふちどりがされた手袋。まぎれもなくマルクの私物だった。
それを見てエヴァが言う。
「――バラバラになっちゃった?」
「ああ、そんな……マルク……」
「いやいや! そんなわけないじゃろ!」
ここのところ、帽子もないのに感情が高ぶると信長口調になるので少し困る。
「あくまでガワだけじゃから! たまたま落としただけかもしれんし!」
「落とすかなあ……。「アヴィケブロン」からこれをとったら「アヴィケブロン」じゃないよ」
子供の残酷な率直さが胸に刺さる。
とにかく真緒はレティシアをなだめると、マルクを探すべく一同に指示を出した。
「流石に死んではおらんじゃろうが、仮面が無くてアレルギーに困っとるかもしれん。早く探さねば」
「でも部屋にいないんでしょう?」
「ああ、そうじゃったな。となると」
あの揺れで、何かに巻き込まれたか。日本にいたとき見たニュースが脳裏をよぎる。地震で倒れてきた本棚に押しつぶされて――などという。無いとは思いたいが。
「とにかく、一度あやつの部屋を開けてみよう。マスターキーはどこに行けば手に入る?」
「この要塞の指令室に行けば、緊急時に部屋を開けるコードを使えるようになるはずです。遠隔で開きますから、部屋に行くのと指令室に行くのと、別れましょう」
「よし。わしは部屋に向かうので、貴様らは指令室に向かい、部屋のドアを開けておいてくれ」
「分かりました」
「はーい」
二人と別れ、再びマルクの部屋の前へと行く。しばし待つと、電子音とともにロックが解除され、扉が開いた。
「……マルク。入るよ」
意を決し、部屋をのぞき込むも、そこには誰もいなかった。
*
「アヴィケブロン」ことマルクは退屈にあえいでいた。
夜中、書庫に資料を探しに行ったとき、突然の揺れで本棚が崩れた。その拍子に頭を打って、しばし気絶していたらしい。目を覚ますとスチール製の本棚ががっちりとかみ合ってできたドームの中に閉じこめられており、出られなくなってしまったのだ。
体もろくに動かない。どうにか仰向けのまま床と本棚の間にできた隙間を動くことができるくらいだ。
頭は痛むが、精々こぶができたくらいだろう。
潰されずに済んだのは幸いだったが、下手に揺らせばぺしゃんこかもしれない。おとなしくしているしかないだろう。先ほどのような揺れがもう一度ないことを願う。
仕方がないので周囲に散らばった本を適当に手に取って読み始めたが、いつまでたっても助けは来ない。先ほどの放送によると、エンジンの不調せいで揺れが起こったらしい。当面はA・ローガンのメンテナンスが優先で、書庫などの物が置かれているだけの部屋の現状把握は後回しになるだろう。
「参ったな」
自分はE遺伝子ホルダーだ。丸1日も行方不明ならば本腰を入れて捜索されるだろうが、たかだか半日足らずであれば、いつもの気まぐれでどこかに籠っていると思われるだろう。普段から、人目を避けるために自室以外の書庫や会議室を転々として、論文などに没頭することがしょっちゅうあった。反省するつもりはあまりないが、普段の行動が裏目に出ているのを痛感した。
マズいことにAUボールも部屋に置きっぱなしだ。あれさえあれば、積み重なった本棚も軽々とどけられるだろう。後で要塞の建材をゴーレムにしたことで怒られはするものの、脱出は容易だったろうに。しかしないものねだりをしていても仕方ない。
と、その時。
「掃除ロボット、か?」
積み重なった本棚の隙間から、巡回する掃除ロボットが見えた。アレはA・ローガンの中を巡回しながらゴミを集め、収集所に持って行ってくれるはず。そしてそのゴミも、無駄なものがないかどうかをチェックする係がいるはずだ。だったら。
マルクは手袋を外すと、本棚の間から掃除ロボットのコース上へ放り投げた。
ミスして手前に引っかかった。仰向けなのでどうにも勝手が分からない。
もう片方も投げた。今度はどうにかうまくいき、ロボットが拾ってくれた。
「やれやれだ」
いつものように指先で仮面をひっかこうとしたが、指先が直接頬に触れた。
おや、と思って確かめるも、仮面の顔を覆うパーツがない。頭を覆う部分がそのままだったため、こぶを探る時は気付かなかったが――。もしや、先ほど本棚が倒れてきたとき、頭を打った拍子に外れてしまったのか。あたりを探すも、やはりない。それこそ掃除ロボットに持っていかれてしまったらしい。ならば手袋を投げる必要は無かったかもしれない。
「参ったな」
早く、誰か気づいてはくれないだろうか。そんな風にすっかり他人任せになっている思考を自覚し、少し自嘲する。悪い癖だ。
自分は誰かに積極的に関わるのが苦手だ。戦闘ではサポート役だが、自分から指示をもらいに行って動くというより、アタッカーの求めるところを察して合わせる方が性に合っている。
ストーンフォレストを終えてひと月。台湾の時からそうだったが、「信長」は戦闘のたびに率先して動くタイプで、自分としては文句を言いつつも楽をさせてもらっているのを感じていた。自分は人の前に立つタイプではない。先日のストーンフォレスト作戦の時も、ウパラでの戦いに幕を引くのはかなり気恥ずかしかった覚えがある。
その方がいい。その方が合っている。そんな風に決めてかかる癖はちっとも抜けない。それは決断力があるというよりも、周囲の状況や理屈に判断を任せて、自分の意志をないがしろにしているという方が正しい。
だから、今自分は
*
四十歳を前にして、准教授の地位についていた自分のもとに、学生は寄り付かなかった。
研究者と言えども人間だ。世間一般の人間が抱いているイメージのように、全く人と関わらずに研究だけしていればいいわけではない。学生のうちは先輩や教諭から学び、研究者として雇われるようになれば、研究所や学校の事務に対する義務も増え、予算を得るためには自分の研究を周囲の人々に理解してもらわなければいけない。そして、常に同じ分野の研究者と競争や協力をしながら研究を進めていく。
だから、学生にとっても、人と関わり合うのを嫌う厭世的な准教授はお断りだったのだろう。自分の研究室でありながら、研究室の中で最も孤立した人間にマルクはなっていた。
あの日までは。
『先生! お送りした研究計画書、見ていただけましたか!』
「……ああ、すまない。まだ見ていない。明日まで待ってくれるか」
『はい!』
電話の相手、ロシェは13歳にしてアメリカの大学を卒業していた才子だった。彼ならば引く手あまたであっただろうが、何故か彼は最先端の研究を行っている大学ではなく、アメリカにある別の大学のラボに配属されることを希望した。すなわち、自分のラボだ。
もともと、学会で彼のうわさは聞いていた。自分の恩師に当たる有名な教授が拾い上げた、金の卵だと。だから彼がなぜか自分のところを希望したと聞いた時には、恩師にもやっかみを言われたものだ。
もちろん自分も止めた。君が来るべきはここではない。予算も、人材も、自分の恩師の方がよっぽど優れたものを提供できると。
だが、彼の意志は固かったのだ。毎日のように電話をしてくるし、自分の研究計画をメールで送りつけてくるし、しまいには広いアメリカを縦断して直接出向いてきそうな勢いだった。
もはや自分だけではどうにもならず、珍しく人を頼るしかなかった。
「どうにか、ならないだろうか」
「どうにかと言われても」
自分には、自分を積極的に慕う教え子の、しかも13歳の子供の世話など見る自信は全くなかった。勝手に研究を進め、事後報告をしてくれる学生が何よりありがたかった。
人として、自分を慕ってくれること自体は嬉しい。しかし、自分がそれにどう答えたらいいのか分からなかったのだ。
だからそんな時は、数少ない友人に愚痴るに限る。
「ケイ。君は教え子にどう接している?」
「私ですか? そうですね。自分に教えを乞う生徒には、ひとまず課題を出します」
「課題か」
「ええ。一見、やりきれないほど困難で大量の課題です」
「……それは、どういう意図で」
「それをどこまでやれるか見てみます。そうすることで、生徒自身の熱意、得意不得意、何よりペースを管理する能力を図ることができます。反応は様々ですよ。最初から無理だと言って投げ出してしまうもの、周囲の人の手を借りて進めていくもの、マイペースにできる限りやりつつ期限を延ばすように願い出てくるもの――眠る暇も惜しんで課題をやり切ってしまうものもいます」
「ちなみに、やり切ってしまったものには」
「次に、その倍の課題を出します」
「君に聞いた僕が馬鹿だった」
馬の鬣を思わせる栗毛の医師、ケイは大学の同期にして自分の主治医でもあった。総合格闘技の選手でもあった彼は、自分と同い年に見えないほど若々しく、立派な体格をしている。しかし自分も彼も詩作という共通の趣味があり、今日もこうして定期診断にかこつけて愚痴りに来たというわけだ。
いつものようにてきぱきと採血をしながらケイが聞いてくる。
「ちなみに、そのロシェという生徒は、何故あなたのラボを志望しているのですか?」
「僕に憧れて、だそうだ。普通は研究室の設備や、やっている研究の内容で選ぶだろうに」
「直属の先生の人柄で選ぶのも、一つの基準だと思いますが」
「僕はそうは思わない」
「あなたがそうであるだけで、他の人にはそうではないかもしれない」
「……やはり、断ろうと思う。僕には荷が重い。せっかく僕の恩師のところにいるんだ。彼になら任せられる」
「そうですか。それがあなたの意見ならば、ロシェに通じるまで説いてみてはいかがでしょうか。さて、今日はこれで終わりです」
「そうか。愚痴を言ってすまなかった」
「おや、もともとそれが目的だったのでは?」
「君には敵わないな」
しかしそうは言いつつも、自分はロシェの懇願に折れてしまいそうだと思った。自分の意見を言い張ることなどできず、結局は相手任せにしてしまうと。
だからこそ、目に見えて有効な理屈が見つかれば、それに飛びつかずにはいられなかったのだ。
*
ちょうど通りかかった第一小隊の面々、つまり「ジェロニモ」と「ビリー」、そして「メリエス」に「アヴィケブロン」の仮面と手袋を見せると、やはりというか例の対応をされた。
「誰がやった?」
「これだけしか、残らなかったのか」
「あ、ドッキリなら私も参加しますよ☆」
「わざとやっとるじゃろ、貴様ら」
頭痛をこらえつつ「信長」が言うと、さっそく状況を理解した「ジェロニモ」が提案した。
「おそらく、「アヴィケブロン」は身動きが取れないでいるのだろう。だから掃除ロボットに自分の所持品を運ばせ、無事を伝えたのだ。「ロボ」に手伝ってもらえば、匂いをたどれると思うが。狼の鼻ならば確実だろう」
「わしもそれを考えたが――「ロボ」に協力してもらうとなると、のう」
「ロボ」は簡単には協力してくれない。難しい任務の時に頼めば力を貸してはくれるが、そのあとには必ずと言っていいほど「勝負」を持ちかけてくる。今はエンジンの不調の騒ぎでいつも以上に廊下を行きかう人々が多い。あまり騒ぎを大きくしたくはなかった。
頭をひねっていると、「メリエス」が手を挙げた。
「あ、それなら私がお役に立てますよ☆」
「なんじゃと?」
「その掃除ロボットを「巻き戻し」すれば、あっという間に「アヴィケブロン」さんのところに案内してくれるはずです☆」
「なるほど。それで、その掃除ロボットは今どこに?」
「……さあ?」
「次にゴミ捨て場に戻ってくるのを待つか?」
「しかし――やはり「ロボ」に頼るほかないか?」
などと話していると、エヴァが「信長」の服の裾を引いた。
「その仮面そのものを「巻き戻し」すれば、元あった場所に戻るでしょ?」
「……なるほど、確かに」
言われてみればその通りだ。さっそく実行しようとしたとき、容赦ない言葉のナイフが突き刺さった。
「「信長」って作戦の時はすごいけど、こういう時はあんまり頭良くないね」
「がーん」
「だ、大丈夫です、マオ。私たちはE遺伝子ホルダーです。戦うのが本分ですから!」
フォローになっていない。
「やはり戦ってないときは、ダメじゃな……所詮戦国大名だからのう……」
「それじゃ「巻き戻し」始めますよー」
「おー」
「こら、エヴァ! マオに謝りなさい!」
「えー」
「えーじゃありません!」
落ち込んでいる暇はない。「メリエス」にAUウェポンを出してもらい、さっそく仮面に「巻き戻し」をかける。仮面はしばしカタカタと動いたかと思うと、一度収集所のゴミために飛び込んだ後、そこから這い出して床を動き始めた。このまま放っておけば「アヴィケブロン」のもとへ戻るだろう。
「シュールすぎる」
「と、とにかく行きましょう」
「ところで、一ついい?」
「どうした、「ビリー」」
「今さ、「アヴィケブロン」は仮面をつけてないんだよね? もしかして、このまま追いかければ――」
一同が押し黙る。カタカタと床を這う仮面が立てる音が、妙に大きく聞こえた。
「もっと速く「巻き」ますね☆」
「おいこら! やめんか!」
「そんなこと言って「信長」さんも気になるでしょ?」
「だ、ダメですよ! 彼の素顔を無理やり暴くなんて、そんな――」
「無理やりじゃないよ。不可抗力だよ」
「良いこというじゃん、「ジャック」」
「……とにかく、行くぞ」
カタカタと床を這う仮面の後を、ぞろぞろと追うE遺伝子ホルダーたち。奇妙な光景を周囲の職員たちが怪訝そうな目で見ていた。
*
ケイのもとへと愚痴りに行った翌日。いきなり黒服の男たちが自分の家へとやってきた。なにやら物々しい雰囲気にたじろいだが、彼らの話す内容はさらに深刻なものだった。
E遺伝子。進化侵略体。DOGOO。そして、自分こそが探し求めているE遺伝子ホルダーの一人だと。
「急なお話で申し訳ありません。しかし、我々はあなたの能力を必要としています。お返事は、いつでも」
「分かった」
「もし、DOGOOへの入隊の見返りとして都合してもらいたいものがあれば何なりとおっしゃってください。では」
ただでさえロシェのことで頭を悩ませていたというのにこれだ。これはもうケイのところに相談に行くしかない――と思っていたら、彼の方から誘いがあった。どうしたのだろうか。彼は自分以外にも息抜きをする相手がいるだろうに。
そう思いつつ待ち合わせをした店に行くと、会って早々に頭を下げられた。
「私のせいです」
「どうしたんだ、いきなり」
「DOGOOのことはもう聞いたかと思います。今は公にされていませんが、そこからの打診で、各国の医療機関には通達が出されています。患者のDNAをできる限り検査し、E遺伝子を探せ、と」
「なるほど」
血液検査のたびに署名させられている契約書を後になって見てみたところ、そう言った趣旨の記述があることに気が付いた。果たして何人の人間がこれに気づくことだろう。医者の言うことだから、と鵜呑みにしている人がほとんどだろう。
そうするほうが都合がいいのだ。自分で小難しい契約書を読むより、医者に任せてしまえばいい。その方が合理的だ。
「だったら、君は義務を果たしただけだ。何も気に病むことはない」
「しかし」
「それに、よく考えてみれば、僕にとっても幸いだった」
「……何を考えているのですか」
ケイの質問に、僕は正直に答えた。
「僕はDOGOOに入隊する。ラボを解体し、今いる学生は恩師やその下にいる別の准教授に見てもらえばいいだろう」
「――ロシェは、どうするのですか」
「DOGOOに入る見返りに、かなりの研究予算を融通してもらえるはずだ。ロシェにそれを回す。これでWin-Winだ」
「マルク」
「何だ?」
「あなたは、それでいいのですか」
「そうだな。僕はそれでいい」
避ける暇もなく、ケイに肩を殴られた。しかし、椅子に座ったままでもよろける程度だった。総合格闘技経験者の彼にかかれば、小柄な自分を壁際まで吹っ飛ばすこともできただろうに。
それでも空気が変わったのを察してか、周りの注目が痛い。ケイはわざとこうしたのだろう。見ず知らずの人に注目されてなお、自分が意見を通せるのかどうか。
ケイは、自分に課題を与えたのだ。
「本当に、それでロシェが幸せになると考えているのですか!」
「いいや」
だから、それに努めて淡々と答えることにした。この時ばかりは、常日頃から仮面をかぶっていてよかったと思った。
「だが、そうした方がいい。その方が、合理的だ」
「……わかりました。あなたが、それを選ぶならば」
ケイは伝票を手に取ると、支払いを済ませて店を後にした。自分も、出された料理に口をつけずにその場を去った。
それ以来、ケイともロシェとも連絡は取っていない。DOGOOに頼んで、彼らからの連絡もシャットアウトするように頼んだ。
「シェイクスピア」による訓練を終えた自分は、第二小隊へと配属された。そこにいたのは、のちに発足する第五小隊に異動することになる「ヴラド三世」と、当時なんと九歳の「ジャック・ザ・リッパー」だった。
面食らった。ロシェよりも更に小さい。どうすればいいのか、分からない。
困惑する自分に「ヴラド」は言った。
「案ずるな、「アヴィケブロン」。「ジャック」は強い。すでに一人前の戦士だ」
「そう、なのか」
「だが、子供だ。平時は我々が支えねばならん」
やはり重荷だ。あれこれ理屈をつけてロシェから逃げた先に、もっと幼い子供がいる。これは何かの罰なのだろうか。
結局、自分は何かと都合をつけて人を遠ざけている。研究があるからと。サポート役だからと。それを感じたのか、「ジャック」も「ヴラド」に対してするように、わざとわがままを言って気を引くようなことを自分にしない。ただそこにいるだけの人間だと思われているような気がする。一応勉強を教えはするが、先生と呼ばれることもない。慕われてはいない。
でも、それでいいのだ。それが一番、ちょうどいいのだ。
だからあんな風に釘を刺されてしまったのだろう。「ジャンヌ」の加入に伴って「ヴラド」が新たに発足する第五小隊へと異動すると決まった晩、珍しく酒の席に誘われた。自分は勿論仮面をつけたまま、注がれた酒に口をつけなかったが、「ヴラド」はぐいぐいとワインを飲み干していく。
そして他愛のない話の最後に、何でもない風にこう言われた。
「「アヴィケブロン」よ。余が第五小隊に行ったあとは、「ジャック」を頼む」
「……ああ」
「ああ、と言ったな? その言葉、間違いないな?」
「……」
ああ、とも、いいや、とも言えずに、黙るしかなかった。口約束であろうとも、破れないと「ヴラド」に見透かされてしまったのだ。これはもう、黙るしかなかった。
「揚げ足をとって悪かった。だが、「ジャンヌ」は「ジャック」の親代わりにはなれないと見た。彼女もまた子供だ。貴様の手を煩わせるほど幼くはなくとも、な。だからこれから「ジャック」を見守れるのは貴様だけだ。「ナイチンゲール」にも、そう頼まれているはずだ」
「君のように、チェスの手ほどきをしたり、刺繍や遊びに付き合ってやれというのか」
「そうしろとまでは言わん。だが、そばにいてやれ。望むなら、手を伸ばしてやれ。冗談の一つも言えれば上々だ」
「……分かった」
「ヴラド」が立ち去った後、ようやく自分は仮面を外し、すっかり温くなったワインで口を湿した。
あれからもう、二年になる。
いまだに「ジャック」から先生と呼ばれたことはない。
*
「おい、「アヴィケブロン」! いるのか!」
「……んん」
らしくもなく、昔を懐かしんでいたらしい。自分を呼ぶ声に、寝ぼけ眼で顔を起こすと、本棚で作られた牢獄の隙間から「信長」が覗いているのが分かった。
「ああ、ここだ」
「「メリエス」、頼む!」
「はいはーい☆」
「メリエス」のウェポンから照射された光が本棚の残骸に当たると、巻き戻しをするようにその形が復元していく。あたりに散らばっていた本すら元の位置へと魔法のように収まった。見上げると、なんと「ロボ」以外の第一小隊と第二小隊のホルダーが揃っていた。おそらく成り行きだろうが、こんな大勢に探されていたとは、何とも気恥ずかしい。
久しぶりの光が目にまぶしい。起き上がって伸びをすると、何やら周囲の面々は顔を固くしていた。どうしたのだろうか
「助かった。退屈で仕方なかったんだ」
「ああ、それは何より。怪我はないか」
「ああ」
「それと……これなんじゃが」
「ああ、これか」
ほこりだらけになってしまった仮面と手袋を「信長」から受け取る。流石に仮面のフィルターが使い物にならなくなっているだろうから、あとで掃除しなくては。思わず癖でぽりぽりと顔につけた
「その――予備、あったんじゃな」
「ああ。見てのとおりだ。常に三枚は携帯している。手袋は生憎予備がなかったが」
なんだか空気が妙だ。どうしたのだろうか。
「どうかしたのか? ほかにも何か、問題があるのか?」
「い、いや」
固い笑みを浮かべる「信長」を横目に「ジャック」が無邪気に言う。
「みんな、もしかしたら「アヴィケブロン」の顔が見れるんじゃないかって思ってたんだよ」
「……え?」
「じゃ、「ジャック」! しー! しーですよ!」
「ええー。「ジャンヌ」も気になってたじゃない」
「そうなのか?」
「ああ、いや、その――「ビリー」、「ジェロニモ」」
「僕に振らないでよ」
「とにかく、無事で何よりだ」
なんだ、そんなことか。
「顔を見せるくらい、何でもないが」
そう言った瞬間、六名の目線が自分に殺到した。流石に少し後ずさる。特に下から見上げてくる「ジャック」の目線が辛い。あからさまに興味津々だ。どうしていいか、分からない。
助けてくれる人は誰もいない。ケイも、「ヴラド」も、結局本当の意味では気を許すことなく別れてしまった。ロシェに対しても「ジャック」に対しても、大人として接することができないでいた。だから――。
そばにいてやれ。望むなら、手を伸ばしてやれ。冗談の一つも言えれば上々だ。
「ヴラド」が残したその言葉に、すがるしかなかった。自分のやり方でなくても、見習うしかなかった。
「冗談だ。私の顔が見たいなら、算数のテストで満点を取ることだ」
そう言って、「ジャック」の頭を撫でてやった。そうするのがいい。そうするのが――。
「ちぇー。つまんないの」
この時、初めて「ジャック」が自分に対して拗ねた顔を見せた。この先は知らない。だから手をひっこめ、また見守ることにした。そう。これでいい。
「ほら、やっぱり人の秘密はそっとしておいた方がいいんですよ」
「「ジャンヌ」も見たいでしょ、「アヴィケブロン」の顔」
「そ、そんなこと、ないですよー?」
「目が泳いでる。嘘つき」
「ジャンヌ」はどうして、ああも「ジャック」に対して親身にいられるのだろう。自分と違うタイプの人間だからか。あるいは「ヴラド」が言うように彼女もまた子供だからか。それとも――。
緩んだ空気を押し出すように「信長」ことマオが場を仕切る。
「まあ、とにかく「アヴィケブロン」が無事でよかったよ。それじゃみんな、解散しよ」
「そうしようか。ああ、もうお昼近くだね」
「さっき朝ごはん食べたばっかりな気がするんですけどねー☆」
「昼食の前に体を動かすとしようか。「ビリー」、「メリエス」、一緒にどうだ」
「そうですね~」
散り散りになっていく面々を眺めていたら、いつの間に自分と「信長」だけになっていた。彼女もまた、不思議だ。「ジャンヌ」のように口うるさくないのに、自然と周囲を従える。あるいは彼女に宿るE遺伝子がそうさせているのかもしれないが、なんとなく「ヴラド」にも似ているところがあるように感じた。
だから、口が滑ったのかもしれない。
「「信長」。心配をかけて、すまなかった」
心配をかけた、などと。自惚れもいいところだ。そんな風に心配りをされるほど、普段から距離が近いとは自分でも思えない。それでも「信長」はにこりと笑い。言う。
「うむ。心配したぞ。これに懲りたらAUボールを持ち歩くことじゃ」
「検討しよう」
彼女の距離は心地いい。無理に近寄っても来ない。近寄らせようともしない。役に立てとは言うものの、義務を果たせとは言わない。
ただそこにいて、状況に合わせるだけで――。
「それで、先生よ。本当に「ジャック」がテストで満点をとったら顔を見せるのか?」
「え? ああ、いや」
だから、そんな風に言うとは思っても見なかった。いたずらっぽく笑う彼女は、「織田信長」だ。最近彼女は帽子を被っていなくとも、かすかに赤く目を輝かせることがある。
その笑みは自分を試しているように見えた。さっき一瞬、「ジャック」に手を伸ばした自分を見逃してはくれなかった。
さっきのは、「ヴラド」のやり方をまねただけだ。自分のやり方なら頭をなでたりしなかっただろう。だから――。
「そんなわけ、ないだろう。ただの冗談だ」
そして。
「それに、先生と呼ぶのはやめてくれ」
「信長」は満足したらしい。黒い目を前髪で隠すと、本来の彼女に戻って、静かな笑みをこぼした。
「分かった。それじゃ、またお昼に。あ、一応医務室には行くようにしてね」
「ああ」
ともに戦う仲間たち。彼女たちに手を伸ばす日は遠い。
頭の中で「先生」と呼ぶ声がする。いまだに夢に見るくらいに、焼き付いて離れない。けれど自分を慕うその声にこたえる手段を、まだ自分は持たない。
仮面の下で「アヴィケブロン」は一人自嘲した。
長い上にうまくまとめきれず。反省です。