ノッブナガン   作:喜来ミント

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ストーンフォレスト作戦の話のナンバリングが乱れていたので修正しました。(2018/09/30)



幕間 ジャンヌ・ダルクはただ一人

 決意は固かった。母を始めとする家族は何度も引き留めたが、自分の決心は変わらない。

 初めて神の声を聴いたのは12歳の時。あまりの神々しさに泣き崩れ、すぐには動くことができなかった。そして啓示の内容を胸に刻んだまま、16歳の時に当地の守護隊隊長であるボードリクール伯のもとへ、シノンの王宮へと向かう許可を得るべく嘆願に向かった。しかしその時は受け入れてもらえず、17歳となった今年は別の貴族の助けを得てボードリクール伯と面会する機会を得た。

 そこで自分は、今後の戦いの行く末を予言した。その予言が的中したことがボードリクール伯を動かし、とうとう王宮でシャルル7世に謁見する許可を得ることができた。

 そしてシャルル7世の信用を得るに至った自分は、今日オルレアンへと向かう。

 もしかしたら、もう二度と戻れないかもしれない。しかしそれは仕方のないことだ。イングランドに追い詰められた祖国を救うために、自分一人の命を燃やすことを躊躇えようか。

 今。今ならば。振り返れば故郷がまだ見えるかもしれない。しかし。

 

「もう、振り返りません」

 

 自分に、周囲の騎士たちに言い聞かせるように口に出す。

 悪路を行く馬上であっても、その心が揺らぐことはなかった。

 

  *

 

 レティシアは目を覚ました。窓から差し込んで顔に当たってくる朝日がまぶしくて、思わず手を顔の前にかざす。

 うすぼんやりと霞がかかった思考で思い出す。

 

「あれは……」

 

 自分が見ていたものは何か。いや、自分が体験したものは。

 レティシアはそっと身を起こすと、両手を組み合わせて祈りをささげた。

 この国(フランス)に住むものとして知らない人はいない彼女。神の声を聞いて国を救うべく動くことを決心し、オルレアンの開放に尽力したが、魔女として火刑に処された聖女。

 彼女の復権裁判が始まったのは、ジャンヌの死後も22年にわたって続いた百年戦争が終結した後だった。その後は半ば神格化され、同盟の象徴などとされつつも、その功績が正式に認められ、列聖されたのは20世紀になったからだった。もしも、自分が亡き後の世界で自分がどのように扱われていたかを知ったら、彼女は何を思うだろうか。

 喜ぶだろうか。悲しむだろうか。あるいは、なおも争いをやめようとしない人々に呆れるだろうか。

 それでもレティシアは彼女の平安を願わずにはいられない。ベッドの上でひざまずき、熱心に手を合わせて祈りをささげる。

 ああ、どうか。

 

「……何やってんの」

 

 一足先に起きていたらしい妹のオルタンシアが、部屋の入り口からこちらに呆れの混じった疑問を投げかけてきた。彼女は双子の妹だ。顔の形は本当にそっくりで、髪型くらいでしか見分けがつかない。

 

「なかなか起きてこないから、朝食が出来たって呼びに来たのに……何を朝っぱらから祈りをささげてるのよ、レティシア。神の声でも聞いた? オルレアン奪還しに行く?」

「そうではありません!」

「うわっ」

 

 オルタンシアは適当に言っただけだろうが、案外的を射た冗談だった。しかしレティシアとしてはそんな風に茶化すのはやめてほしい。彼女は、ジャンヌはただ。

 

「夢を見たのは確かです! そしてその夢のために、ジャンヌ・ダルクの安らかな眠りを祈らずにはいられなかったのです。だから、そんな風に軽々しく冗談めかして言うのはやめてください、オルタンシア」

「え、ええ。そう、本当にジャンヌの夢を見たの。タイミングが悪かったわね。謝るわ」

 

 オルタンシアがレティシアをからかうときにジャンヌのことを持ち出すのはいつものことだ。それくらい、レティシアはジャンヌという存在に心を寄せていた。

 もちろん、彼女の生前の行いが全て清廉潔白ではなかったことは承知の上だ。騎士としてのルールを軽視し、ひたすらに祖国を救うため突き進んだその姿勢が、人によっては間違っているように思えることもあるだろう。彼女自身の思惑を超えた政治に翻弄された結果、死を強制され、死後にすらナショナリズムの象徴として祭り上げられたことも分かっている。

 それでも彼女はただ、救いたかっただけなのだ。きっと、それだけを願って旗を振った。

 

「ええ。本当に、ありありと浮かんできたのです。あんなに鮮明な夢を見たのは初めてでした」

 

 それに、こんな夢を見た理由には心当たりがある。

 

「だから、少しくらい、感傷に浸ってもいいではないですか」

「あー、ごめんなさい。どれだけリアルな夢を見たのよ、もう。早く顔を洗ってきなさいよ」

「は、はい。……朝食でしたね」

 

 レティシアを寝室に呼びに行ったオルタンシアが戻らないことを不審に思ったのだろう。母が台所から声を投げかけてくる。

 

「ちょっと、二人とも? レティシアは起きられたの? 早く朝ごはん食べちゃいなさい」

「ほら、お母さんも呼んでるわ。手のかかる妹ね」

「まだ言いますか、オルタンシア。私が姉です」

「いいえ。寝坊した挙句変な夢見て祈りをささげるような、頭がお花畑のレティシアには姉には務まらないわ」

「また馬鹿にして! いつもそうですね、オルタンシアは!」

「どっちが姉でもいいから食べちゃいなさい。リリシアは良い子なのにねえ」

 

 言い争いつつも食卓に向かうと、先に席についていた末妹のリリシアがまた妙なことを言い出した。

 

「お母さんの言う通りちゃんと朝ご飯を食べた人が一番いい子。つまり、一番早く食べ終えた人が姉と言うことになります。ロジカルです」

 

 そして言うが早いか、朝食をいつもの三倍は早いスピードで掻っ込み始めた。

 

「あー! 何フライングしてるのリリシア! 少なくともあんたは一番下でしょうが!」

「父よ、あなたのいつくしみに感謝して――」

「って、こっちはこっちでまた祈ってるし!」

「三人とも、いいから食べちゃいなさい。遅刻するわよ」

「ああもう!」

 

 結局、レティシアが一番早く朝食を食べ終え、姉の座をゲットした。いや、元から姉なのだけれども。

 

  *

 

 正直なところ、勉強は苦手だ。五年間の初等教育、四年間の前期中等教育を終え、更に三年間の後期中等教育を一年終えてなお、苦手意識はぬぐえない。卒業して義務教育を終えた証拠となる国家資格(バカロレア)をとった後は、神学を学ぶべく大学に進もうかと考えているが――。

 

「ああ、どうして教科書を読んでいると眠たくなるのでしょうね……」

「情けないわね。それでも私の姉なの?」

「おや、私をお姉ちゃんと認めてくれるのですか」

「朝食を先に食べたからです。どうしてあんなに優雅な所作なのに早食いなのよ……」

「無駄な動作がないからこそですよ。あなたもリリシアも、もう少しお淑やかにならなくてはいけませんね」

「あんたが言うか……。お菓子も料理もろくにできないくせに」

 

 なんだかんだで一緒に昼食をとっている妹の、そう、妹のオルタンシアは、打って変わって非常に優秀だ。負けず嫌いな一面がいい方向に働いたのか、成績は常にトップ。また一度凝りだすと止まらない性分でもあり、この勢いだと普通の大学ではなく、より専門的な高等教育機関であるグランセコールに進むのではないかと、周りの人は自分を含めて思っている。オルタンシア自身がはっきりとしたことを言わないため、彼女がどういった進路を希望し、どんな将来像を描いているのかは分からないが、少なくとも一般人の枠に収まりはしないだろう。

 グランセコールは国のトップを務める人材の登竜門。歴代の名だたる首相や大統領たちの多くが政治系のグランセコールを卒業していると言えば、その存在感が伝わるだろうか。

 おまけに私生活でも器用であり、お菓子や料理の腕前は、これまた苦手意識のある自分の何倍もうまい。母もうならせる出来栄えなのだ。

 そんな妹をもって、自分は誇らしい。あとはもう少し友達を増やしてくれさえすれば、姉としても安心できるのだが。

 

「そう、例えば、あそこの角からこちらを覗いている儚げなあの子となどはどうでしょうか――」

「心の内が全部ダダ漏れですわ、オ・ネ・エ・サ・マ」

「い、痛いですっ」

 

 いつの間に心の声が漏れていたらしい。オルタンシアに耳を引っ張られてしまった。

 

「もう。そう言うことをするからお友達ができないのですよ」

「子供じゃないんだから、いちいち群れなくてもいいでしょうに。一人でいる方が勉強も捗るし、趣味にも集中できますから。余計なお世話よ」

「そうですか……。でも……」

 

 そっと、先ほどからこちらを覗いている下級生がどうしても気になる。彼女を誘い、一緒にお昼を食べてはどうだろうか。そう、それくらいなら。

 そう思って伸ばしかけた手が、オルタンシアに掴まれた。そのままギリギリと握り締められる。

 

「あの、い、痛いですっ」

「何しようとしてくれてんの。あいつはダメよ。例えば、例えばの話ですけれど、お友達を作るにしてもブリュヌオーだけは勘弁してちょうだい」

「あら、名前を知っているのですね。だったら」

「ダメです。何が何でも、ダメです」

 

 そこまで言われると、かえって気になる。

 

「なぜダメなんですか?」

「だってあいつ、かれこれ一か月くらいあの状態で……。流石に気味が悪いから声をかけたら、『困ります』とか言い出して逃げちゃうし……どうしろっていうのよ」

「ふむ」

 

 ずっとオルタンシアを気にかけている。しかし声をかけられると逃げてしまう。つまりこれは。

 

「恋ですね!」

「やっぱあんた馬鹿だわ」

 

 手加減一つないオルタンシアの罵倒がレティシアの心に突き刺さった。

 

「なぜですか! 仲良くなりたいけれど素直になれないこの気持ち、まさに恋……!」

「私にソッチの趣味はありません! まあ後腐れのないフランクな友人ならいいですけれど? あいつはダメ。絶対にダメ。戦乙女(ブリュンヒルデ)が由来の名前のくせに、意気地なしにもほどがあるわ」

「まあ、そんなに人をえり好みして! それでもフランスの乙女ですか!」

「ああもう、前からこの国のそういうところが嫌いなのよ! 私は学問と結婚する! 絶対よ!」

 

 などと騒いでいたら、昼休みが終わってしまった。

 レティシアは残った昼食を迅速に平らげ、授業にきちんと間に合わせた。オルタンシアは半分以上残した。

 

  *

 

「相変わらず、あなたたちは愉快な姉妹ですね」

「ええ、まあ。……ところで、神父様は」

「今は出かけております」

 

 学校の帰り、いつものように近所の協会に立ち寄って手伝いをしていると、神父見習いのシェローが話しかけてきたので、仕方なく昼間のことを話した。

 妹のことは心配だが、彼女は彼女でうまくやっているような気もする。下のリリシアもそろそろ手がかからなくなってきており、姉としてはなんだか寂しい。そう言うことを、神父様に相談しようかと思って来たのだが。

 出迎えてくれたのは、にっこりと微笑む見習いの方だった。

 

「私でよければ、相談に乗りますよ」

「あなたの笑顔は、なんとなく底が知れないので少々苦手なのです」

「そういう忌憚のないところ、私は結構気に入っているのですが。ええ、本当に」

「フランスに住んでいるからと言って、何もこの国のやり方を見習わなくてもいいのですよ、シェロー」

「シ・ロ・ウです。さあ、親しみを込めて」

「シェロー」

「わざとやってますよね?」

 

 両親の都合で日本からやってきたというこの少年は、すでにフランス人と比べてもそん色ないほどペラペラとフランス語を喋る。おまけに学業も優秀で、ラテン語すらもほぼ完璧にマスターしており、笑顔の件はともかくレティシアにとっては勉強を見てもらえる心強い味方だった。

 名前にしても、レティシアとしては本名を避けているわけではなく、あだ名のつもりで呼んでいた。シェロー自身は母国語の発音で呼んでほしいようだが。

 

「リリシアはきちんとシロウさんと呼んでくれるのですが」

「あの子はまあ、子供ですので。素直なのでしょう」

「私も、あなたもまだ子供ですよ。今からでも素直になれます」

「そうでしょうか」

 

 オルタンシアを見ていると思う。いつも周りのことを気にかけ、行儀がいいと言われる自分よりも、一人でなんでもこなしてしまう妹の方が輝いて見えるのは何故なのか。

 幼いころから両親が褒めてくれている髪を伸ばして三つ編みにする自分より、自分とお揃いになるのを嫌がってバッサリと短くしている妹の方が自由に見えるのは何故なのか。

 一見品がよく見えても、自分の方がよほどひねくれているのではないか。考えは尽きない。

 

「さて。今日は失礼します。神父様は、明日は見えますでしょうか」

「ええ。明日は特に外出する予定はないようでしたから」

「では、また明日」

「ええ」

 

 教会を出て家路につく。頭の中を占めるのは学業と家族のこと。そして――。

 

「――ジャンヌのこと、ですね」

 

 ジャンヌ・ダルクの夢のことが、頭の中を大きく占めていた。

 

  *

 

 また夢を見た。今度は、戦争の真っただ中だった。声をあげながら勇ましく進み、剣を振るう騎士たちの姿は輝かしい。だがその先に待つのは、死かあるいは返り血だ。

 それを知りながら、ジャンヌ・ダルクは旗を振るう。祖国のため、今流れる血を糧として未来に築かれる平和を信じて――。

 

「あんな風に、なれたら」

 

 もちろん、戦争を望んでいるわけではない。今の世界でも、どこかで戦争や紛争が常に起きているのは知っている。それがなくなればいいと思わずにはいられない。

 ただ、ジャンヌ・ダルクの姿は眩しかった。曇天の下、重く立ち込める戦場の空気において、まさに彼女は光明に思えた。戦士たちはその光に導かれ戦っていたのだろう。

 そんな風に、輝いていられたら。

 

「ああ――」

「なによレティシア、また夢でも見たわけ?」

 

 朝食を食べながら夢を反芻していたら、またもやオルタンシアにあきれた顔をされてしまった。

 

「またジャンヌの夢? あんたのジャンヌ好きは前からだけど、ちょっと浸りすぎじゃないの。一度神父様に話を聞いてもらったら?」

「ええ、そうですね。そうします」

 

 素直にそういうと、オルタンシアは意外そうな顔をした。

 

「何よ。えらく素直じゃない。またいつもみたいに噛みついてくるかと思った」

「ええ、まあ」

 

 生返事をしていると、先に朝食を終えたオルタンシアは「チョーシ狂うわ……」と呟きながら部屋に戻っていった。

 脇で見ていた末妹のリリシアも、なんだか心配そうに見てくる。

 

「どうしましたか、姉さん。今日は元気がないようですけれど」

「元気がないわけではありませんよ。ただ……」

「いいえ! 脇から見て元気がないなら、それは元気がないのです! シロウさんが言っていました!」

「シェローが、ですか」

「そういう時は甘いものを食べるといいです! それも、たくさん! 甘いものは疲れをとってくれます! ロジカルです!」

「あはは……そうですね」

 

 自分も年頃なので、お菓子の量には気を付けたいところだが、今日ばかりはいいだろう。リリシアの頭をなでると、気分を切り替えて学校へ向かった。

 

  *

 

 放課後。オルタンシアとリリシアを連れて駅前の喫茶店に行き、さっそくケーキを注文した。

 

「これと、これと、あとこれも――」

「ちょっと、頼み過ぎじゃないの? 後先考えなさいよ」

「いいじゃないですか。レティシア姉さんが元気だとオルタンシア姉さんも嬉しいですよね?」

「だっ誰がよ! ああもう、チョーシ狂うわ……」

 

 なんだかいつも通りに戻った気がする。やっぱり甘いものは偉大だ。オルタンシアが作るお菓子もいいが、やはりお気に入りの店のケーキは別腹である。

 しかし流石に頼み過ぎたので、いくつかは持って帰ることにした。店の人に折箱を用意してもらおう。甘いものに辟易してぐったりするオルタンシアと、うとうとしているリリシアを席に残し、席を立った。

 

「おや」

 

 その時、少し離れた席に座る茶髪の少年が目に入った。すらりとした少し小柄な体格に、中性的な顔。涼し気な目元が特徴的だった。

 彼は携帯電話とメニューを交互に見ながら、眉間にしわを寄せていた。もしかして、観光客だろうか。

 

こんにちは(ハロー)。お困りですか?」

 

 英語で話しかけてみると、青年はどことなくほっとしたような顔を見せ、返事をした。

 

「え? あ、ああ。フランス語は、不慣れで」

「そうみたいですね。フランスの人々は、挨拶をとても大事にするということもご存じなかったようですし」

「……そうなのか。道理で。道中の店の人達が、なんだかこちらを警戒しているような気がしたと思った」

「ええ。普通のお店に入る時でも、一声こんにちは(ボンジュール)と声をかけさえすれば、大抵の人は快く迎えてくれますよ。フランスの人々は、みんなおしゃべりが好きですから」

「ああ。さっきから聞こえていた君たちの会話も、聞いているだけで頭が絡まりそうだった」

 

 青年はジークと名乗った。出身はドイツで、このオルレアンへは観光に来たという。

 

「そうなんですか。マルトロワ広場はご覧になりましたか? ジャンヌの像が有名ですよ」

「いや、今日はまだ着いたばかりなんだ。一息ついてから宿に向かおうと思って」

 

 そういう彼の足元には大きな荷物がある。

 

「もしかして、フェスティバルに合わせて来たんですか?」

「ああ」

 

 ここオルレアンでは、ジャンヌがオルレアンに入った4月29日から、5月9日の解放までの間、盛大なフェスティバルが開かれる。特にメインとなる5月8日のパレードは、中世風の恰好をした人々が練り歩き、その中心にはジャンヌ・ダルクに扮した少女が花を添えることとなっている。ジャンヌ役の少女は毎年、市民の中から十代の少女が選ばれることになっているのだ。

 そこまで話すと、ジークは驚くようなことを言い出した。

 

「もしかして、今年のジャンヌは君か?」

「え? どうしてそれを?」

「いや、なんとなくだ。そんな気がしたというか……その、君のイメージがぴったりというか」

「……まあ」

 

 確かに今年のジャンヌは自分が選ばれた。毎年のように見ている祭りだから、その中心になれるというのは本当に嬉しい。

 だからこそ、考えてしまうのだ。ジャンヌとして人々の中心に立つうえで、どんな振る舞いをすべきか。自分にはそんな振る舞いができるのか。もしかしたら――毅然とした妹の方がふさわしいのではないかと。

 だから、あんな夢を見たのかもしれない。

 

「……レティシア?」

「え? ああ。すみません。ああ、それとですね。他にもいろいろな見どころが――」

 

 慌ててジークの広げている観光マップをのぞき込んでいると、背後から頭に何かが乗せられた。振り返れば、オルタンシアが折箱を乗せてきていた。

 

「いつまでやってんのよ、レティシア。親切も大概にしなさいな」

「あ、オルタンシア。ごめんなさい。ケーキは」

「もう詰めてもらったわ。それじゃあ、私たちは先に帰ってるから、ごゆっくり」

 

 オルタンシアに手を引かれていたリリシアは、自分とジークを交互に見つつ何かを考えていたようだったが、急にとんでもないことを言い出した。

 

「はっ。もしやこれは運命的な出会いというやつでは――」

「はっ(笑)。お子ちゃまはさっさと帰った帰った」

「違います! オルタンシア姉さん! 私はお子ちゃまではありません! 紅茶もノンシュガーで飲めるようになりました!」

「そう言うことはせめてブラックコーヒー(カフェ・アロンジェ)を飲めるようになってから言うことね」

「それは違います! ブラックコーヒーだけではなく、甘いコーヒーも愛せるようになってこその大人だとシロウさんが言っていました! 論破です!」

「何を吹き込んでんのよ、あのエセ神父。私たちと同い年のくせに。ほら。帰るわよ」

「待ってください! レティシア姉さんのロマンスを見届けずに帰るなんて――」

 

 オルタンシアにずるずると引きずられつつ、リリシアは退場していった。こちらとしてはリリシアの発言にひやひやするが、ジークは幸いフランス語の会話を理解できていないようだった。

 

「君の妹か? 今、一体何を?」

「さ、さあ。なんでしょうね?」

 

 そのあとは一通りオルレアン観光の手ほどきをした後、自分も家に帰ることにした。

 

「ありがとう。それと……さようなら(オールヴォワール)。また会えるだろうか」

「ふふ。ええ、きっと。ではまた」

 

 家路につきながら、ジークに言われた言葉をそっと胸に仕舞いなおした。

 

「私がジャンヌにぴったり……だなんて」

 

 ほんの少し灯った自信の炎を絶やさないまま、その日は眠りについた。

 その日も、その次の日も夢を見ることはなく、とうとうその日がやってきた。ジャンヌ・ダルク・フェスティバルの開催だ。

 

  *

 

 祭りの初日。ほのかな期待を込めて、同じ時間に先日のカフェに向かうと彼がいた。

 

「ああ、君は。こんにちは(ボンジュール)。……これで大丈夫だろうか」

「ええ。こんにちは。また会えましたね」

「実を言うと、君を待っていたんだ。あの後、いくつか名所を回ったんだけれど、いまいち理解が足りなくて。もしよければ、この町をよく知っている君に案内してほしい」

「ぜひ!」

 

 オルレアンは観光名所が多い街であるため、普段から観光客らしき様々な国の人を見かける。しかし祭りの日はより一層、多種多様な人々が町を行きかっていた。

 特に名所として有名なマルトロワ広場は人でごった返しており、広場の隅にある『ジャンヌの家』までジークを案内するのは一苦労だった。

 

「ここはジャンヌが4月29日から5月9日まで滞在したとされている家です。ただ、実際の建物は第二次世界大戦の時に失われてしまっていて、これは再建されたものです」

「なるほど。祭りの期間はそれにちなんでいるのか」

「ええ。それでは次は――おっと」

「大丈夫か」

 

 人ごみに押し流されそうになる。しかし、すんでのところでジークが手を捕まえてくれた。自分とあまり変わらない背丈なのに、予想外に強い力で引き寄せられて驚いた。

 

「あ、ありがとうございます」

「ああ。……次に、行こうか」

「え、ええ」

 

 そのまま自然に手が離れた。次に向かう場所を指さし、ジークを先導しながらも、また人ごみに流されてしまうことを期待する自分がいた。

 けれど、その日の観光は、滞りなく終わった。

 

  *

 

 オルタンシアは呆れた顔で姉を見ていた。

 やっと見つけたと思ったら、さっそくこの間の観光客とよろしくやっている。リリシアが見たらなんというだろうか。

 

「あーやだやだ」

「元気そうで何よりではないですか。はい、どうぞ」

 

 そう言いながら、コーヒーを差し出してくれたのはシェローだ。近所の教会に努める同い年の神父見習いとは、家族ぐるみで付き合いがある。そんな彼にレティシアのことを相談したのは、レティシアがジャンヌの夢を2度も見たという朝のことだ。どうにも普段の調子が出ていないようなので、普段からレティシアが手伝いに通っている教会に電話をしたところ、目当ての神父ではなくシェローが出た。

 もしレティシアが神父に何かを相談したそうにしているならフォローしておいてほしい。我ながらお人よしにもほどがあるお願いだったが、シェローは快く引き受けてくれた。

 結局あの後、喫茶店でケーキを食べたり、あの観光客と話したりして気分が晴れたのか、神父のところに相談に行くことは無かったようだったが――。

 

「なんであんたがついてきてんのよ」

「別にいいではないですか。私もレティシアのことは気にかけていましたし」

「あら、それは残念。ポッと出の男に持っていかれそうだけれど?」

「いえ、まあ、そう言うことではなく」

 

 ウキウキした様子で出かけていくレティシアの後をついていこうとしたら、たまたま通りがかったシェローもついていくと言い出したのだ。そして追いついたと思ったらあの日の観光客と一緒にいた。

 

「……でも、本当に元気そうでよかった。今年の祭りの主役が沈んだ顔をしていては、皆に示しがつきませんから」

「そういうものかしらねー」

「それで、彼女がジャンヌ・ダルクの夢を見たというのは確かなのですか?」

「そこ、大事なのかしら?」

「ええ、とても。かのジャンヌは大天使ミカエル、アレクサンドリアのカタリナ、アンティオキアのマルガリタの姿を見たと言います。レティシアにとっては聖ジャンヌがそうなのかもしれませんよ」

「眉唾だわ」

 

 見習いとはいえ、さすがは神父というべきか。スラスラと伝承の内容を述べるシェロー。しかしオルタンシアとしては気が気ではなかった。

 

「ジャンヌはイングランドを倒せって啓示を受けたそうだけれど。じゃああいつは何をジャンヌ・ダルクから聞いたっていうの? 倒すべき敵はどこ?」

「それは分かりません。私ではなく、あなたが聞き出してください」

「やっぱりそうなるのね。というか、そこまで細かく聞くこと?」

「ええ。ぜひ」

「――何か、企んでるんじゃないでしょうね?」

「レティシアにもそう言われるのですが、私の笑顔はそんなに胡散臭いですかね?」

ええ(ウイ)

 

 シェローが肩をがっくりと落とすのを横目に、オルタンシアはレティシアの方へと目線を戻した。

 さっき、ジークに人ごみから助けられてからというもの、彼を案内しつつも彼の手をずっと気にしている。

 と、そんな風にしていたからか、長く伸びた三つ編みが旅行客の鞄に引っかかっていた。慌ててジークがほどきにかかり、レティシアが赤面する。

 

「はー、甘いわ」

「おや、コーヒーに砂糖を入れすぎましたか?」

「ばっかじゃないの」

 

 シェローはまた肩を落とした。

 

  *

 

 明日はとうとうパレードの日だ。楽しみで眠れないが、寝不足で落馬したら大問題である。早く眠るとしよう。

 深く息を吸い込み、心を落ち着ける。明日もパレードの前に一度ジークと合うことになっていた。

 ここ数日、祭りと名所を案内しているうちに、すっかり彼とは仲良くなった。彼がドイツの生まれであり、一目ジャンヌの祭りを目にしようとここにやってきたこと。普段は大きなお屋敷で奉公人として働いているが、今回は特別に許可をもらってやってきたと言うこと。そして、レティシアに声をかけてもらえて、本当に心強かったと。

 誰かの力になれた。そのことが、本当に嬉しくて。

 嬉しくて――。

 

「この魔女め!」

「背教者! 焼かれてしまえ!」

「災いをもたらす悪魔め!」

 

 声がする。

 

「お母さん。ジャンヌ様って、どうして? 悪いことをしたの?」

「しっ。静かになさい」

「ああ、なぜこんなことに」

 

 自分を罵る声がする。その一方で、自分の現状をいぶかしむ声もする。国民から見て、自分はどんな風に見えるだろうか。前線で英雄視されていたときとは一転、火刑に処されるべく引き立てられる自分は――。

 ああ、夢を見ている。

 ドン=レミを発つ夢。前線で旗を振る夢。そして火刑に処される夢――。

 もう見ないと思っていたのに。それでも、これで終わりだ。せめてこの夢で、自分(ジャンヌ)の胸の内を伺えたなら、明日はより彼女らしく振舞えるだろうか。

 そう思い、心のうちに耳を傾けた。

 そこには憎しみはなかった。恨みもなかった。ただ、自分の命を全て使い果たしてなお、人々の苦しみを絶つことができなかった、やるせなさだけがあった。

 どうして。この期に及んで。救国の英雄とたたえられてなお、成したことに満足していないだなんて。散々奉り上げられたあと、権謀術数の果てに死ぬことになっても恨んでいないだなんて。

 魔女に貶められてなお、何故あなたはそこまで高潔でいられるのですか。

 

「誰かの力になれた。そのことが、本当に嬉しくて」

 

 返ってくるはずのない答えが、自分(ジャンヌ)の口から漏れた。周囲の人々も、処刑台の上に立ったジャンヌを鎖で縛り付けている役人も聞こえない小さな呟き。それは夢の中の人物が、夢を見ている人物へ向けた、ありえないはずの答えだった。

 その答えが、あまりにまぶしくて。

 それなのに、自分が感じていたものとあまりに近くて。

 

「でも願わくは、貴女が私のような末路をたどらぬよう――」

 

 ジャンヌ! その叫びは音にならなかった。

 火が放たれる寸前、自分の視点はジャンヌから突き飛ばされるように追い出され、宙に舞った。

 燃える。燃えてしまう。その体は焼き滅ぼされ、最後の審判に立ち会えない。その恐ろしさは、科学が発達した現代ならいざ知らず、ジャンヌの生きた時代にはとてつもなく大きいものだったはずだ。

 だというのに、彼女の姿は炎の中ですら美しく。

 目を覚ましたころには、枕が涙で濡れていた。

 

  *

 

 あんな夢を見たものだから、またもやぼんやりとした朝食となった。

 

「またへこんでるわね。今日が大事な日でしょう」

「ええ」

「そんな湿気たツラしてるなら、私が代わってあげましょうか? 髪型以外瓜二つですものね?」

「ええ」

「……1+1は?」

「ええ」

「あのジークって男のこと気になってるの?」

「ええ――ええ!?」

 

 オルタンシアの質問に生返事をしていたら、突然毛色の違う質問を差し込まれて戸惑ってしまった。脇にいたリリシアも目を丸くしている。

 

「なんと! レティシア姉さん、やっぱりあの男の人と――」

「ち、違います! 彼とはその、名所を案内したり、祭りを紹介したり」

「それを世間ではデートと言います! 論破です!」

「――リリシア? 良い子だから静かにしましょうね?」

「ひっ」

 

 笑顔で凄むと末妹は大人しくなった。さて、もう一人の妹だが。

 

「レティシア。今日、パレードの時間はちゃんと分かってるんでしょうね」

「ええ。マルトロワ広場に――」

「分かってるならいいわ。先に出るわね」

「え、ええ」

 

 オルタンシアはそれ以上追及せずに、早々と支度を済ませて出て行ってしまった。

 自分も手早く朝食を食べ終えると、余裕をもって家を出た。いつものカフェで少しジークと話してからパレードに向かうためだ。

 駅前のカフェに着くと、そこはやはりというか観光客でごった返していた。列車から出てくる人々が広場に満ちてから、次々と町の中へと広がっていく。

 まだジークは来ていないようだ。どうにか席を見つけて座り、彼を待つ。しかしなかなか現れない。時計の針は刻々と進む。もしかして――。

 

「彼なら来ませんよ」

「シェロー?」

 

 唐突に、心の内を見透かしたようなことを言いながら現れたシェローが対面に座った。

 

「なぜ、あなたがここに? それに、彼とは」

「決まっているじゃないですか。ジークですよ」

「なぜあなたがジーク君のことを? それに、来ないとは」

「彼は役目を終えました。いえ、終えることができなかったというべきでしょうか」

「どういう、ことですか」

「……すべてを説明する時間はありません。今日の主役はそろそろマルトロワ広場に行かなくては」

「急げば十分もかかりません。事情を」

「では手短に。彼は、この星を救う戦士をスカウトする役目を負ったエージェントです」

 

 手短に、と言ったが、何から何まで分からないことだらけだった。

 この星を救う戦士? エージェント?

 

「彼がわざわざドイツからやってきたのは、あなたとの相性を考えてのことです。彼の属する組織には、そういう判断をするプロがおりまして」

「それにあなたも加担していると?」

「加担という言い方はどうかと。かの組織、DOGOO(ドグー)は既に全世界の協力を取り付けているのですよ。医療関係者や、宗教団体に協力を呼びかけ、偉人の魂を継いだ人物を探し出す手伝いをしているのです」

「偉人の、魂」

 

 ジャンヌ・ダルク。自分がその夢を見たことが、この星を救う戦士とやらの条件だというのだろうか。

 

「オルタンシアからあなたの見た夢のことを聞いた時は驚きました。さっそく、その朝のうちに組織に連絡をしたのですが――まさかその日の夕方にはエージェントの接触があるとは。全く驚くばかりです」

「ジーク君は、そんなそぶりは一度も」

「ええ。彼は君の髪の毛を首尾よく手に入れ、それを組織に送って遺伝子を確かめた。そしてその結果をもって、あなたをスカウトするはずだった」

 

 髪の毛。広場を案内する時、観光客の鞄に絡まった髪の毛をほどいてくれたことを思い出す。

 その時の彼のはにかむ笑顔の裏に、そんな使命が隠されていたとは。のぼせていた自分が恥ずかしい。

 

「――しかし。彼は優しすぎました。即日あなたに遺伝子のことを告げるはずが、今日の祭りが終わるまでは待ってほしいと言ったのです。そこで、私が代わりに来たのですよ」

「今、彼は」

「お役御免で、この町を出るところです。ほら、ちょうどいまそこに止まっている列車でパリへ――」

 

 レティシアは弾かれたように立ち上がった。こんな中途半端な別れは嫌だ。

 

「彼に、彼に会わなくては!」

「どこへ行くのですか? あなたは今日の主役ですよ?」

「しかし!」

「あなたがいなければ、このパレードを楽しみにしている人々はどう思うでしょう」

 

 そう言われ、周囲の人々に意識が向く。雑踏の中に混じる、今日の祭りへの期待感に満ちた声が胸に突き刺さる。

 

「あなたはどちらを取りますか? 自分の満足か、あるいは」

「――私は」

 

 ぐっと、胸を抑える。ジークとの楽しい時間が思い出される。しかし。

 

「私は、どっちも捨てたくありません」

 

 夢でジャンヌは言った。自分のようにはなるな、と。

 人々のため命を燃やしたジャンヌは尊い。しかし、彼女のようになるのは怖くもある。かといって、人々のことをないがしろにすることもできない。

 決められない。いいや。どちらかに決めたくない。はっきりと、自分の意志で言う。

 

「自分も、周囲の人も、どちらも大切なんです。捨てるつもりなんてありません。自分にしかできないことがあります。自分が人々のために役立てることがあります。そのどちらも、失わないために」

「……そういうと思いました。そのために、貴女は二人いるのですからね」

「ふたり?」

 

 おかしなことを言う――と思っていたら、聞きなれた声が人ごみの中から飛び出してきた。

 

「この馬鹿! どこ行ってたの! もう時間がないわよ!」

「オルタンシア」

 

 もう一人の自分。瓜二つの妹。彼女の姿を見て、ある姦計が浮かぶ。しかし――。

 

「どうぞ」

 

 それに必要なものが、シェローによって差し出された。その用意の良さに開いた口が塞がらない。

 

「は? なにこれ、ウィッグ?」

「シェロー。あなた、こんなものを用意していたということは」

「たまたまですよ、たまたま」

「……感謝します」

 

 言うが早いか、レティシアは駅に向かって走り出した。

 

「ちょっと! どこ行くのよ!」

「さあ、今日の主役は広場に向かう時間ですよ」

「はあ!? 何言って、こら! ウィッグかぶせるな! まさか――」

 

 発車のベルが鳴る。パリ行きの列車に飛び乗ると、背後でドアが閉まった。

 まずは先頭側へと歩きながら探す。いない。もしやシェローは出まかせを言ったのではないだろうか。そんな不安がよぎりつつも、今度は後ろ側へ――。

 

「レティシア?」

 

 振り返ると彼がいた。大きな荷物を引きずりながら、こちらに歩いてくる。周囲には空席がそこそこあり、座れるところを探しているわけではない。ならば、何故。

 

「列車が出る直前、君の髪が見えた気がして。まさか、本当に会えるとは。……嬉しい」

「それはこちらのセリフですよ、ジーク君」

 

 組織とやらには、人の相性を選ぶプロがいるという。全くその通りだ。彼は一言目で、こちらの言ってほしいことを言ってみせた。たとえきっかけが使命を帯びたものだったとしても、自分はこの出会いを忘れない。

 パリに着くまでの一時間。最後の一時間を、レティシアは胸に刻み込んだ。

 

  *

 

 結局、あのあとオルレアンに戻るころには、パレードはあらかた終わっていた。遠目に妹の姿を見る。自分に変装したオルタンシアは慣れない鎧姿でぎくしゃくとしながらも、どうにか役目をこなしているようだった。

 やはり、彼女の方がジャンヌ・ダルクにはふさわしい。

 ジークからすべての事情を聴き、自分にジャンヌ・ダルクのE遺伝子というものが受け継がれていると分かってもそう思う。あの毅然とした振る舞い。にじみ出る気真面目さ。

 ああ、それにしても。

 

「これが、最後のお祭りですね」

 

 自分は戦うと決めた。今週中に家を出ることになるだろう。DOGOOへと向かい、E遺伝子ホルダーとして戦いに身を投じるのだ。

 結局、ジャンヌを演じることはできなかった。たとえこの先、自分が「ジャンヌ・ダルク」というE遺伝子ホルダーとなるとしても、今この瞬間、この祭りの主役は自分ではなくオルタンシアだった。

 そして――その日がやってきた。

 

  *

 

「気を付けるのよ。連絡もきちんと頂戴ね」

「ええ」

「体調もしっかりと。他の人と仲良くして」

「ええ」

 

 出立の日。図らずも、夢で見たジャンヌと自分の姿がダブる。母も、父も、リリシアも涙ぐんでいた。シェローと神父様も少し離れたところから見守ってくれていた。自分も涙をこらえるのに必死だ。

 そして、遅れて出てきたオルタンシアが何やら大きな包みを押し付けてきた。

 

「これ、持ってきなさい」

「これって――」

 

 フィナンシェとクイニー・アマン。オランジェットにマカロン、フロランタン、そしてダックワーズ。一抱えもある荷物の中身は全てお菓子だった。透明な袋越しにうかがえる、一部の隙も無い整った形は確実にオルタンシアの手によるものだ。この妥協のなさは間違いない。

 

「――オルタンシア」

「どうせ、大食いのレティシアのことだもの。すぐに故郷のお菓子の味が恋しくなるに決まってるわ。レシピも入れておいたから、食べながら覚えなさいよ。流石に学校の勉強よりは簡単でしょう? だから次帰ってくるときまでには、全部マスターしておくこと。いい?」

「オルタンシア」

「何よ」

「オルタンシア」

「な、何よ」

 

 ただただ、名前を繰り返し呼ばれて、オルタンシアは戸惑っているようだった。

 だが、こちらもどうしようもなかった。涙をこらえきれなかった。

 

「オルタンシア……。本当に、立派な妹で――私、どうしたらいいか」

「ちょっと、泣かないでよ! ああもう――」

 

 そう言いつつもハンカチを出して涙を拭いてくれる。そして、額と額を合わせてきた。

 

「自信持ちなさいよ。私の姉でしょうが」

「ええ。けれど、本当に私、立派にやれるでしょうか。私、学業でも、料理でも、貴女に後れを取ってばかりで」

「……ブリュヌオー、覚えてる?」

「え? ええ。あの物陰から見ていた子でしたか」

「パレードの後、いきなり駆け寄って来たと思ったら、「なぜオルタンシアさんがジャンヌの役を?」ってね。他にも気づいてた人、いるんじゃないかしら」

 

 驚いた。幼いころ、入れ替わって遊んでいた自分たちを見抜けたのは母だけだったのに。数年前からオルタンシアと自分の性格は違うものになりつつあったが、それでも見た目はそっくりなままのに。

 あのジャンヌを、自分ではないと見抜いた人がいる。そのことが心を少しだけ温めてくれる。

 

「そう、ですか」

「似合わないって言われちゃったわ。あんたの方がイメージにぴったりだったともね。ずっと私を見ていたストーカー女のお墨付きよ」

「私が、ジャンヌにぴったり」

 

 ジークにもそう言われたことを思い出す。思わずと言った様子で呟いていた彼の本音が、自分の胸の内に自信の炎を灯してくれたことも。

 

「勉強も料理もできなくても、ジャンヌ・ダルクならできるのよ、あんたには。だから自信持ちなさいって」

「――はい」

「あんたはあんた。たった一人のジャンヌ・ダルクになりなさい」

「はい」

「あんたは私の――お姉ちゃんなんだから」

「はい!」

 

 オルレアンの町が遠ざかる。あの日、ジークと最後の一時間を過ごしたのと同じ列車で故郷を去る。

 ジャンヌとは違う。何度も、何度も振り返り、故郷の姿を目に焼き付ける。

 絶対に帰ると心に決めて。

 

――願っています

 

 そんな声が、胸の内から響いた気がした。

 




予定は5000字だったのにどうしてこうなった。
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