サンフランシスコの戦いから一週間。
すでにDOGOOは次を見据えて動き始めていた。
まずはサンフランシスコに対しE遺伝子ホルダーたちを即時投入するための前線基地の設置。これはサンフランシスコ全域に対して空路でアクセスすることを考え、サンフランシスコの半島から湾を挟んだ東側に置くことが決まった。
更に侵略体が街から出ないように、半島の北と東に延びる橋を空爆で破壊。そして海岸線の監視を強化した。
とはいえこれらの動きのすべてが示すのは、「現状維持」以外の何物でもなかった。
何度か少人数での捜索隊は派遣しているものの、一週間での収穫はゼロ。市民も、作戦に参加した人員も、もう町の中で生き残っている人間はいないように思えた。
*
サンフランシスコの南に設置されたキャンプには多くのE遺伝子ホルダーがとどまっていた。
捜索に参加する以外はずっと、サンフランシスコへと続く道を見続けている「織田信長」だけではない。
「ジャック・ザ・リッパー」、「ジャンヌ・ダルク」、「アヴィケブロン」。
「ネロ・クラウディウス」、「ロビン・フッド」、「アマデウス」。
つまり第二小隊と第四小隊のメンバーがずっとそこにいた。目的はただ一つだ。
それぞれが思い思いの時間を過ごし、何かと理由をつけてこのキャンプにとどまっていた。本部が何度他の小隊と交代するように持ち掛けても、十分な休養が得られているからと、絶対に譲らずにいた。
だから――。
「いい加減にしろ、お前たち」
「フーヴァー」が直接怒鳴り込んだのは、サンフランシスコの戦いから実に一週間後のことだった。
「今日でもう一週間だ。いい加減他の小隊と交代しろ。お前たちの仕事はここにいることだけじゃない」
その言葉に真っ先に返事をしたのは「ロビン」と「アマデウス」だった。
「おや、参謀殿が直々にお出ましとは」
「直接会うのはいつ振りだろね。一曲弾こうか」
「貴様ら……!」
思わず怒鳴ろうとした「フーヴァー」だったが、思い直したようにかぶりを振った。
「いや。分かっていたことだ。貴様らが何故ここにずっととどまっているのか。だから、はっきりさせておこうと思ってな」
手に持ったタブレットを示し、一同を見渡した。ちょうど、「信長」以外の全員が揃っていた。
「「信長」は相変わらずキャンプの北か。……全員ついて来い。一度で済ませたい」
その言葉に、真っ先に立ち上がり、「フーヴァー」に手を差し出すものがいた。
「ネロ」だ。
「その手は何だ」
「――覚悟はしていたのだ。だから、その役目、余が引き受けよう。……貴様にばかり、憎まれ役を押し付けてはいられぬ」
「勝手にしろ」
そのやり取りが何よりの報告だった。タブレットを持った「ネロ」を先頭に、ホルダーたちがぞろぞろとキャンプの北へと向かう。
葬列のように。
「「信長」よ」
そして、一同の足音に気づいていないわけでもないだろうに、ずっとサンフランシスコの方から目を逸らさない「信長」に「ネロ」は声をかけた。
「こちらを向くがよい」
「……何?」
「うむ。「信長」よ。そして、皆の物。よく聞くがよい」
「信長」がのろのろと立ち上がったのを見て、「ネロ」は大きく息を吸い込み、言った。
「本日をもって、「沖田総司」の捜索を打ち切りとする」
「信長」の眼が大きく見開かれ、薄く開いた唇から言葉にならない音が漏れた。
それだけではない。言葉を発した「ネロ」自身、そして「ロビン」と「アマデウス」の纏う雰囲気が変わったのを「フーヴァー」は肌で感じた。
自分が参謀になってから、E遺伝子ホルダーの欠員は出していない。
仲間を失うということへの不安と恐怖ももちろんある。だが、それ以上に参謀と言う立場として、無視できない影響があった。
小隊を組んで行動する以上、一人の欠員は小隊全体、更にDOGOO全体の士気にかかわる。三十人足らずの選ばれた人間の死は、特別な力を持たない人員へも不安をばらまく。
そしてもう一つの報告もそうだ。
E遺伝子ホルダーにとって特別な対象。家族や友人に万一のことがあった場合――。
何が起きるのか。
「ネロ」が続いての報告を読み上げる。
「そしてもう一つ。サンフランシスコから避難した全市民のリストアップが完了した」
「……結果は?」
「信長」が虚ろな声で問う。だがその手に握りしめる携帯電話が、すでに彼女に答えを教えていた。
だが。
「藤丸さんは、いたの」
「――否。フジマルリツカという少女は、サンフランシスコから逃げることは敵わなかった」
沈黙が落ちる。そして、どさりという音。
「信長」が膝をついていた。糸が切れてしまったのだろう。そっと「ジャンヌ」が彼女に寄り添うが、「信長」からは完全に生気が消えていた。「ジャック」も珍しく気遣う様子を見せているし、「アヴィケブロン」も動かず、ただ「信長」たちを見据えていた。
「フーヴァー」はそれを見て歯噛みした。
「やはり、こうなったか」
「ネロ」は「フーヴァー」にタブレットを返しながら言う。彼女の眼からは静かに涙がこぼれていた。
「無理もない。余も、この感情をどうしてよいか分からぬ。まして、「信長」は大事なものを二人同時に失くしたのだ。余の悲しみなど、軽く感じるほどに」
「……お前も泣いていいんだぞ」
思わず「フーヴァー」は言った。こんなことを言うタイプではないと自分でも分かっているのに。
そんな内心を見抜いたのか、「ネロ」は涙を流しながらも微笑んでいた。
「余たちは要塞に戻る。それでよいな」
「ああ。指示を待て」
「ネロ」に続き、「ロビン」と「アマデウス」も立ち上がっていた。
「それじゃ、お空の上に戻りますか」
「そうだね。久々にちゃんとしたベッドで眠りたいな」
彼らもきっと、後で人の見ていないところで涙を流すのだろう。飄々としていても、仲間を思う気持ちはきちんと持っているはずだから。
問題は、「信長」だった。第二小隊の仲間に支えられているが、その虚ろに開かれ、涙がこぼれるままに任せた瞳は仲間を映していない。
失った親友と、戦友と、それを奪った敵だけが映り込んでいる。
このまま放っておけば抜け殻になってしまうだろう。
だから、火をつけなくてはいけない。
「……「信長」」
卑怯だとは分かっていた。だから、これは指令にも土偶にも相談せず、独断だ。
「聞け。奴らが憎いか」
その言葉に、「信長」に寄り添っていた「ジャンヌ」と「ジャック」が怪訝そうな目を向けてくる。
だが「フーヴァー」は言葉を続けた。
「憎いなら、殺せ。連中を一匹残らず殺せ。その手伝いをしろ」
「何、じゃと?」
「信長」がやっとこちらを見た。よりにもよって、と言うしかないタイミングだが、前から考えていた誘いを口にする。
「軍師になれ。ストーンフォレストの時からずっと考えていた。お前が作戦を立て、私のプロファイリングで補助する。それによってこれ以上ない指揮を実現することができる」
ストーンフォレスト作戦の時。「戦艦型」に締め上げられ、意識が途切れる瞬間。自分は自身が欠けてもこの局面を切り抜けられるよう、出来る限りをAUボールに残した。
その時、渾身のプロファイリングは目を疑う結果を残した。この作戦の指揮を、「織田信長」に任せろと。
迷う時間はなかった。だが、それは思わぬ結果を生んだ。目を覚ました自分が最後にフォローする必要こそあったが、「信長」はやり遂げたのだ。
あれをすべての局面に用いることが出来たら。この少女が前線で銃を振り回すより、何十倍何百倍の侵略体を葬ることになるだろう。
だから今しかない。全てを失い、抜け殻になれては困る。
「「信長」。私と組め。私とお前なら――」
「それは、わしに下がれと言うことか?」
「――は?」
「信長」の身にまとう雰囲気が変わった。帽子もかぶっていないのに、その眼がギラギラとした赤い輝きを宿した。
その背に手を添えていた「ジャンヌ」が、まるで熱いものを触ったかのように飛びのいた。彼女の錯覚ではないだろう。自分も肌で感じている。
「信長」の体から、熱を感じる。彼女の感情が、いかなる作用か本物の熱を生み、その長い黒髪を浮き上がらせていた。
「憎き奴らを前に、前線に出ず、後ろで軍配を振るえと? そのようなことが、そのようなことが――」
「信長」の叫びが、熱を伴ってその場の全員の肌を叩いた。
「できるものか! わしは、わしは
「ばっ――馬鹿な! 話を聞いていたのか! お前が前線に出ては、何の意味も――」
「たとえ貴様だろうと、わしの邪魔をするなら殺してくれる!」
「信長」はためらわず言い切った。仲間に対し、邪魔をするなら殺すと。
その赤く燃える目が本気だと告げていた。
これ以上、何を言っても無駄だ。彼女は抜け殻にならずに済んだが、だが――。
「……分かった。今は空中要塞に戻れ。――指示は追って出す」
「ふん」
「信長」が部屋を出て行った。慌てて「ジャンヌ」と「ジャック」が後を追いかけていく。
一人残った「アヴィケブロン」に「フーヴァー」は声をかけた。
「お前は行かなくていいのか」
「ああ。僕にできることはない。こういうのは「ジャンヌ」の役目だろう」
その答えに「フーヴァー」は皮肉気な笑みを浮かべるしかなかった。
「人のことは言えないが、つくづく冷たい奴だな」
「お互いさまだろう。よりにもよってこのタイミングであの誘いとは」
「……これを逃せば、抜け殻になってしまうと考えた。だが、余計な火をつけてしまったようだ」
「気に病むことはない。遅かれ早かれ、ああなっていた気もする。たとえ腑抜けた状態だとしても、侵略体を直接目にしたら、あの憎しみは出て来ただろう」
「……これから先、何が起こるか分からない。どう言っても「信長」は前線から退かないだろう。お前たちで制御してくれ」
「ああ。努力はする」
「アヴィケブロン」も部屋を出て行った。「フーヴァー」は力尽きたように椅子に座り、言葉を絞り出した。
「これ以上、死ぬなよ」