サンフランシスコから東に30㎞に据えられたDOGOOの前線基地。通称を「ヤヴィン」。
サンフランシスコ市街から基地へと帰還した第二小隊を待っていたのは、恒例の放射能除染だった。
まず最初に、自身も防護服に身を包んだ「ナイチンゲール」が車椅子に乗って現れる。彼女の車椅子に据えられたランプによる浄化の光は、現時点で人類が持ちゆる手段が足下に及ばないレベルでの除染を可能としている。
特殊班で解析係として「フーヴァー」の手伝いをしていたころとは比べ物にならないほど、「ナイチンゲール」の能力の重要性は上がっていた。彼女自身の持つ医療の知識と合わせて、この「ヤヴィン」における臨時の司令官としての地位を彼女は得ていた。
しかし彼女はその地位に甘んじることはない。彼女の姿勢は変わらない。部隊が帰還すれば誰よりも早く出迎え、E遺伝子ホルダー、その装備、輸送や補給に使った資材に至るまで、黙々と「ナイチンゲール」は光を当てていく。普段ならば、その作業は行く手を阻むものが現れない限り、休みなく迅速に行われる。
しかしこの日は違った。
「「織田信長」。聞きなさい」
「ナイチンゲール」は除染を終えた第二小隊の面々を追って来た。そして、ヘルメットを外してこう告げたのだ。
この三か月の間、常に激務に追われ続けてなお、彼女の怜悧な顔には疲れ一つ滲んでいなかった。いっそ、不気味なほどに。
「この後、
それに対して「信長」は、深く隈の刻まれた目で車椅子の看護師を睨み付けて反論した。
「……寝ぼけたことを。準戦闘待機じゃぞ? 今入れ替わりで出た第三小隊で追いつかなくなったならば、わしらが出る。そういう意味じゃろう」
「ええ。しかし、これ以上あなたが疲労を重ねるというならば、ストップをかけるほかありません。これはこの基地を任されたものとしての命令です」
「眠れるものか……!」
「いいえ。何が何でも眠ってもらいます。抵抗するならば、縛り上げてでも」
「信長」と「ナイチンゲール」がにらみ合う。とうとう他の面々が口を挟もうとしたとき、その場に立体映像が割り込んだ。
指令だ。
『様子を見に来てみれば、何の騒ぎですか?』
老女は状況を一瞬で把握すると、ため息をついた。
即座に「ナイチンゲール」が説明する。
「申し訳ありません。「織田信長」に仮眠をとるよう命令しました。構いませんね?」
その口調は疑問形でありながら、有無を言わせぬ迫力を滲ませていた。たとえ相手がDOGOOの最高司令であろうとも。
『……「ナイチンゲール」。確かにこの基地の采配はあなたに任せました。しかし……』
「必要なことです。構いませんね?」
『……はあ。「織田信長」』
「なんじゃ」
『「ナイチンゲール」の命令に従いなさい。眠れずとも、仮眠室で横になっているだけでかまいませんから』
「……ちっ。了解じゃ」
「信長」は返事を待たずに基地の中へと向かった。指令はなおも憂鬱そうに「ナイチンゲール」に声をかける。
『どういうつもりですか?』
「……今回、ヘルメットが破損していました。おそらく放射能の問題はないでしょうが――」
その言葉に反応し、押し黙っていた「ジャンヌ」が口をはさんだ。
「すぐに、防壁で保護しました」
「対処に感謝します、「ジャンヌ・ダルク」。……ですが、問題は敵の攻撃を食らったということ。彼女は心身ともに限界です」
『しかし、彼女はこの戦局において欠かすことができない人材です』
「それは理解しています。この三か月における撃墜スコアは常にトップ。しかし、怪我の頻度も常にトップです。チームの方々は、どう思われますか」
それに対し、「ジャック」は飛びつくように主張した。
「私も、危ないと思う。おか……「ナイチンゲール」の言う通りだよ。今までずっと怪我ばかりしていた私が言うことじゃないけれど、心配だよ」
「……「アヴィケブロン」はどうですか」
「僕もおおむね「ジャック」と同意見だ。だが――」
その言葉の先は指令に向けられていた。
指令は答える。
『彼女を外すことはできません』
「やはりか」
『……偵察任務、お疲れさまでした。要塞に帰還するまでの間、準戦闘待機ではありますが、しっかりと休んでください』
「了解だ」
通信が切れた。その場に沈黙が落ちる。
「ジャンヌ」は悲痛な面持ちで足元を見つめながら言う。
「このままじゃ、私たちにできることなんて……」
「しかし、僕たち以外に任せることもできない。「信長」が一線を超えないようにすること。そのために……」
そのために。その先は聡明な「アヴィケブロン」でも続ける言葉が見つからなかったらしい。
「ナイチンゲール」が解散を告げ、彼女は除染の続きへ、第二小隊の面々は基地へと向かった。
「ねえ、おかあ……「ナイチンゲール」」
しかし、唯一「ジャック」だけが「ナイチンゲール」を呼び止めた。
「どうかしましたか、「ジャック・ザ・リッパー」」
「マオがああなっちゃったのは、やっぱりフジマルと沖田がいなくなったからだよね?」
無邪気さと危うさが混じった質問。多感な年頃の少女から向けられたそれに、「ナイチンゲール」は戸惑いながらも答えた。
何より戸惑ったのは、「ジャック」が自分を母と呼んで無理やりに甘えるのではなく、他人を気にかけていることだ。
この幼い少女の中でも、何かが変わりつつあるのかもしれない。
「その解釈で間違いないと思います。何故、そのようなことを?」
「ううん。でも、それなら――気持ちがわかる。私なら、きっと」
「……忠告します。あまり彼女に刺激を与えないように。彼女に必要なのは、休息です」
そう言いつつも、今の「信長」にとって、安息の時間がないことは分かっていた。一人で休もうとしても、きっと彼女は自分を責めるのをやめない。かといって、他人と触れ合う余裕もない。
出口のない袋小路に「信長」は迷い込んでいた。気力が切れるか、命を落とすか、どちらが早いか――そんな不吉極まりない想定すら浮かんでくる。
「間違っても、彼女を怒らせるようなことをしないように」
「うん……うん。ありがとう、「ナイチンゲール」」
分かっているのかいないのか、「ジャック」はそう言い残すと基地へと向かった。
「……除染を、続けなくては」
「ナイチンゲール」は独り言を漏らした。彼女にしては、珍しいことだった。
*
通信を終えると、指令は目を固く閉じ、杖に置いた手を祈るようにぎゅっと握りしめた。その様子を見て、傍らの土偶が声をかける。
『どうした』
「いえ……」
『六天真緒のことを考えていたのか』
「……隠し事は無駄でしたね」
『すまない。だが、彼女を外すことはできない。今は一人でも多くのホルダーの力が必要だ』
「つらい、ですね」
『分かっていたことだ』
「いえ。これで、自分が血を流すならばいいのです。しかし……」
『それが君の戦いだ。あの日、そう決めたはずだ』
「はい」
今なお侵略体の進化は続いている。周囲のオペレーターたちも、自分と同じ苦しみを味わいながら、この指令室で戦っている。
それだけがわずかな希望だった。
*
「っぁ!」
声にならない声をあげ、「信長」は跳び起きた。
「はあ、はあっ」
喉が焼け付くように痛い。仮眠室のベッドの脇に置かれた水差しから、直接水をあおった。
眠るつもりはなかった。ただ、体を休めるだけ。しかし限界まで積み重なった疲労が「信長」を眠りに引きずり下ろした。
そして、やはりあの日の光景を見た。
日本人にしては薄い髪の色。鮮やかな浅葱色の羽織。血で彩られた儚い笑顔。
何度も何度も夢に見る。
答えてくれない携帯電話の先にいる彼女とはまた違う。直接目にしてしまった別れ。
「畜生め……」
すがるように携帯を手に取る。自分をデフォルメしたキャラクターのストラップが揺れる。
画面の中で笑う親友も、おそらくはもうこの世にいない。そういえば、ストラップのほかにもらった人形はどうしたのだったか――。
「……マオ?」
その時、控えめな声とともにノックが響いた。
そうだ。あの時、彼女がそのまま持ち去ってしまったのだった。
重い体を引きずり、ドアを開けた。
そこに「ジャック」がいた。
*
「ジャック・ザ・リッパー」ことエヴァの胸の中にあるのは寂しさだった。
今年で十二歳になる自分は、周囲に同じくらいの歳の子供がいない。DOGOOという環境で育った自分には仕方ないけれど、それでも
あれ?
おかあさんがおかあさんで、あれ?
頭がこんがらがって来た。
とにかく、自分は寂しい。もしもおかあさんが自分を褒めてくれなかったらと思うと、とても寂しい。そろそろ十三歳になろうというのに、そう思うのは幼いかもしれないけれど、どうしようもないものがある。
だから、寂しさについては誰よりも知っている。
そして今、同じ寂しさを感じている人がいる。
「信長」ことマオだ。
彼女は今、とてもつらそうにしている。怒りや悲しみもあると思うけれど、それよりも、寂しさがあるのだと自分は思う。
マオがそうなった理由は分かってる。フジマルさんだ。それに、「沖田」だ。二人がいなくなっちゃったからだ。
マオが頑張る理由は、二人だった。本人の口からは、仲間や家族や友達を守りたいから、と聞いていたけれど、本当はその二人がほとんどだった。
あの二人に褒めてもらいたかったんだ。自分がおかあさんに褒めてもらいたいみたいに。
他の人とは少し違う。他の人は、自分とも「信長」とも違う理由ばかり。
前に第二小隊にいて、色々とお世話をしてくれた「ヴラド」は、戦う理由についてこういっていた。
「余が戦うのは、戦える力を持つものの義務であるからだ」
誰かに褒めてほしそうじゃなかった。
「アヴィケブロン」はこういっていた。
「そうするのが理にかなっているからだ」
何かから逃げてるみたいだった。
「ジャンヌ」はこういっていた。
「世界を、そして家族や大切な人を守るためですよ」
「信長」と似てるようで、やっぱり違っていた。誰かに褒めてもらいたいわけじゃなさそうだった。
だから、「信長」の気持ちがわかるのは自分だけだと思う。
褒めてほしい人がいなくなってしまった。戦う理由がなくなってしまった。もし、おかあさんがいなくなったら――そう思うとぞっとする。おかあさんを奪ったものをズタズタにして、グチャグチャにして、それでも気が収まるかな。寂しさが消えるかな。
「信長」は、ダメだったんだ。だから進化侵略体を一匹残らず殺すまで止まれない。
けれど、それは無理だ。一人で全部殺すなんて出来ないし、出来たとしても、今度は本当に空っぽになっちゃう。
だから、止めなきゃ。
そう思って、あるものをもって「信長」がいるという仮眠室の前に来たけれど。
「……何じゃ」
「あの、ね」
眼が、めらめらと燃えていた。
基地に帰って来たのに。帽子もかぶっていないのに。
その眼はまだ進化侵略体を見ている。
「最近、全然休んでないから」
「だから何じゃ。まだ任務中じゃぞ」
「そう、だけど」
「……話は終わりか?」
「信長」は自分を押しのけて仮眠室を出て行く。眠れたのだろうか。眠れたとしても――。
「待って!」
「……何じゃ。話があるなら」
「いつまで、その眼でいるの?」
「信長」の目つきが一層鋭くなった。怒っている。
その眼のままでいるのを責めたから。復讐するのをやめろ、と言われたと思ったから。自分が辛うじて立っていられる理由を奪われそうになっているから。
ほら、こんなにも気持ちがわかる。
だから、止めなきゃ。
「そのままじゃ、死んじゃうよ」
「――ははっ」
「信長」が笑った。おかしくて我慢できないとでもいうように。
「鉄砲玉の貴様がそれを言うか。台湾で初めて会った時も、先走って腹に風穴開けておったよなあ? その貴様がわしに意見を? 鉄砲玉の立場を返せとでも?」
「違う! そんなこと言いたいんじゃない! 分かるでしょ? マオ! このままじゃ、ダメになっちゃう。自分でもわかるでしょ? だから」
背後に持っていたぬいぐるみを差し出す。
フジマルさんがくれたものだ。マオをデフォルメした、奇妙なぬいぐるみ。少しでも、彼女のことを思い出してほしくて。
けれどそのぬいぐるみの存在は、彼女の怒りの火に油を注いだだけのようだった。
「こんなもの!」
「あっ」
叩き落されたぬいぐるみが床にべちゃりと落ちる。一度だけ『ノブッ』と場違いに可愛らしい鳴き声を上げたそれは、冷たい要塞の廊下に突っ伏して動かなくなった。
その姿が、いつか訪れてしまうかもしれないマオの姿と重なった。
「あ、あ、あ……」
「こんなもの!」
更に蹴飛ばされたぬいぐるみの首が裂け、綿をまき散らしながら飛んでいく。
「やめて!」
「やめろ、じゃと?」
マオが自分の胸ぐらを掴み、片腕で吊るし上げた。息が苦しい。けれど。
言葉を、続けなくては。
「やめてよ。このままじゃ、だから……」
「やめられるものか! 彼奴らを残らず殺す! それで終いじゃ! 彼奴らが滅べば――さもなくば――」
「そうでなきゃ、どうすっ――うぐ」
体を壁に叩きつけられる。復讐の炎が渦巻く眼が自分を射抜く。気迫が熱となって立ち上り、マオの背後に骸骨のような輪郭が見えた。
これは――。
「そこまでだ」
自分を壁に押し付けるマオの腕を、いつの間にかやってきていた「アヴィケブロン」が掴んでいた。
「それ以上は、任務に差し支える」
「……ふん」
マオは手を離すと、さっさと歩き去ってしまった。
拘束を解かれ、大きく息を吸い込む。「アヴィケブロン」にお礼を言わないと。
「……ありが」
「余計なことをするな」
さっきも言われたことだ。でも、自分にはよくわからなかった。
「それ、おかあさんにも言われた――どうして? ほっとけないよ」
「今の「信長」は爆弾だ。下手につつけば味方もろとも爆発する」
「でも! 今のままじゃ、どのみち――」
「……君がそんなふうに他人を気にかけるようになるとは。こんな状況で無ければ――いや、何でもない。とにかく、彼女を刺激するのは避けることだ。わかったな」
「……はい」
落ちたぬいぐるみを拾い上げる。綿もかき集め、首の傷口に押し込む。
「……どう、したら」
「……はあ」
「アヴィケブロン」がため息をつくと、自分の手からぬいぐるみを取り挙げた。
「あっ! 返して! 返して!」
「慌てなくていい。こいつは僕が直しておく」
「え? ……いいの?」
「どうせ君がやったらバラバラにするだけだろう」
「――うん。うん。あり、がとう」
「気にするな。気まぐれだ」
このところ、「アヴィケブロン」が少しだけ優しい。前までは「ジャンヌ」がいろいろ気を使ってくれていたけれど、彼女が元気がない分、「アヴィケブロン」が皆をまとめてくれている気がする。
みんな、変わっていってしまう。マオも、「ジャンヌ」も、「アヴィケブロン」も。お母さんだけは、あまり変わらないけれど。
自分はどうなのだろう。
「どうなっちゃうんだろう」
冷たい基地の廊下に、小さな呟きが溶けていった。