▽
風のない夜。漂白された大地の上、ふたつの影があった。
ひとりは青年。青い瞳を夜空へと向け、緩かに廻り行く星々の軌跡をなぞっている。
ひとりは少女。人間のそれとは明らかに異なる朱い手脚を冷たい外気に曝し、青年と同じ空を見上げている。
「好い月だ」
琥珀の眼を星彩に煌めかせ、少女が口を開く。
青年の左手に収まる、小さく朱い手のひら。握り締めれば優しく握り返される。壊すことを恐れるかのようなその力加減が彼にとってはあまりに愛おしく、思わず唇を綻ばせる。
「来年もこうして星を見たいな。できることなら、その次も、そのまた次の年も。ずっとずっと、茨木と星を見ていたい」
「できることなら、な」
青年の言葉を受け脳裏に今と変わらぬ未来を描くも、瞬く間に別離の予感が塗り潰す。
最愛の友、酒呑との別れとは似て非なる感情が、ふつふつと胃の底から湧き上がる。
あとどれくらい同じ景色を見ていられるだろうか、あとどれくらいでこの旅は終わるのだろうか、あとどれくらいでこの手を離すのだろうか、あとどれくらいで、あとどれくらいで、あとどれくらいで。
しばらくして少女は、自分のらしくない思考に気付き、小さな苦笑をもらした。
「───随分と。吾は人に、汝に染まったようだ。湿っぽい感傷ばかりが胸を満たす。同胞との別離は考えるだけでも辛いものよ」
目を伏す鬼に、人間が言葉を放つ。
「いつか終わりが来るのは俺だってわかってる、それまでを面白おかしく楽しめれば良いさ」
今までの旅路を想えば自然と言葉が出ていた。一切の躊躇いもなく青年は続ける。
「鬼はそういうものだって、茨木が教えてくれただろう?俺も茨木も、あの時からは変わってるんだと思う。俺らが友達になれたってのはそういうことさ」
そう。変わったのは、相手に染まったのは少女だけではなく。極地の天文台での出会いは鬼と人、その両方に影響を及ぼしていた。
少女はいつもの不敵な笑みを取り戻す。力を込めていた手のひらはゆるく解かれ、青年の指と絡み合う。
「立香よ、やはり汝を手放すのは惜しい。この旅が終わったならば、共に大江の山で暮らさぬか?」
「ふふ、カルデアを辞めて行く先が無かったら頼むよ」
「先ずはこの星を取り戻してからではあるが……な」
少女が大地から腰を上げる。尻に付いた白砂を払い、青年と揃って背伸びをした。
「そろそろ戻ろう、マシュたちが晩ごはんの支度をして待ってる」
最後に彼らは空を見上げ、どちらからともなく呟いた。
「───ああ、本当に好い月だ」
漂白された星にあって尚、その輝きは変わらぬものだった。