今日は、いよいよガルジャム当日だ。俺は会場の、想像以上の人の多さに辟易としながらも、なんとか入場することが出来た。けれど俺がここに来て一番驚いたのはそこではなく、女性ファンの多さだ。ガールズバンドのイベントというから、男性のファンのほうが多そうなイメージがあったのだが、この場で男は数える程しかおらず、俺は若干の場違い感を感じていた。女性に囲まれないように隅の方に移動し、フライヤーに目を通す。それによると、Afterglowの出番はかなり後半のようだった。
今のうちに、心の整理をしておこう。
結局ところ、俺は告白をしないことにした。俺は、現状を維持することを選んだ。確かに、つぐみさんに思いを伝えて、それが報われれば、最高だ。でも、きっとそうはならない。現実がそんなに都合よくないことなんて、ずっと昔に痛いほど知った。
だから、俺は前には進まない。そうすることで、何かを失ってしまうくらいなら、俺は何もしない。
そんなどうしようもなく、臆病な人間が、俺だった。
*
ついにライブが始まった。舞台袖からバンドが登場すると、観客は皆盛り上がりを見せていたが、知らないバンドばかりというのと、ライブ事態初経験ということが原因で、俺はいまいち乗れずにいた。けれども彼女たちの演奏は素晴らしく、多くの人の心を突き動かしているのは、俺にも分かった。後で、個人的の好みだった曲を調べてみよう。いくつかのバンドのあとにようやく、Afterglowの出番が来た。
すでに観客のボルテージは最高潮に達していて、それは、今回が初出演のAfterglowの前でも冷めることはなかった。ステージに立つ、つぐみさんを見る。その表情に緊張には緊張こそ見られたものの、臆する様子はなく、最高の演奏をするという気迫が、こっちにまで伝わって来た。
美竹さんの簡潔なMCの後に、ついに演奏が始まる。俺は期待に胸を躍らせていた。これから、彼女たちはどんな素晴らしいものを見せてくれるのだろうかと。
「That Is How I Roll!」
まるで爆ぜたような、歓声が響いた。
*
夢を見ているようだった。現実感がなかった。それほどに、俺は彼女たちの音楽に圧倒されていた。音楽に関しては、完全な素人である俺でさえ、そう感じていた。胸を打つ歌詞に、そして何よりもバンドとしての一体感。その全てが、美しかった。
観客の中でも、彼女たちを讃えるコメントがいくつか聞こえる。Afterglowは、今この場の熱を、完全に自分たちのものにしていた。
「……次で最後です」
美竹さんの声が、想いが会場に響く。美竹さんだけじゃない。きっと、Afterglowの、みんなの想いが、そこにあった。
「True color」
そこからはもう、感動的過ぎて、あまり覚えていない。でもただ一つ、つぐみさんと目があったことは、記憶に残っていた。
*
Afterglowの後にも、いくつかのバンドが演奏していたが、どれも耳に入って来なかった。俺は、完全にAfterglowに心を奪われていた。
そして、決意が揺らぎそうになった。彼女たちの声に、音に、心を揺さぶられていた。だから、ライブが終わったら、早く帰ってしまいたかった。誰にも会わないうちに。何かが変わってしまう前に。けれど、そういうわけにはいかなかった。つぐみさんに呼び出されてしまったから。今、一番会いたくて、一番会いたくない人に。残念なことに、つぐみさんからの呼び出しを断るなんて選択肢は俺には存在しなかった。だから今、こうして公園に向かって歩いている。まるで重りでもつけているみたいに重い足を動かしていると、前方から、つぐみさん以外のメンバーが見えてきた。
「あれ~、寺崎くんじゃん。どったの〜?」
「つぐみさんに呼ばれてさ。今向かってるとこ」
「ふーん。そっか〜、なるほど〜」
青葉さんは一人合点がいったようで、しきりに頷いていた。そしてそれはだんだんと他のメンバーにも伝染していき、何故か俺が生暖かい目を向けられた。
「そういえばさ、寺崎くん、私たちのライブ見に来てくれたんだよねっ」
「ああ」
「どうだった?」
そんな期待を込められた目をされたら、答えないわけにはいかないので、できる限り簡潔に答えた。
「最高だったよ」
「そっか! なら良かった!」
それからも取り留めのない話をして、彼女たちとは別れた。
目的地である公園につくと、つぐみさんはぽつんとベンチに腰掛けていた。待たせてしまっただろうか。
「つぐみさん」
声をかけると、つぐみさんは驚いたようにこちらを向いた。考え事でもしてたのかな。
「ごめん、遅くなって」
「ううん、全然大丈夫だよ!」
つぐみさんのその言葉を聞いて安心した。
「座ってもいい?」
「う、うん、どうぞ!」
何やら緊張した様子のつぐみさんを疑問に思いながら、隣に腰掛けた。こうして座ると、つぐみさんとの距離が近くて、気恥ずかしかった。それはつぐみさんも同じなようで、顔を赤くして俯いていた。
「ね、ねえ一兎くん。今日のライブ、どうだった?」
上原さんに言ったように、一言で答えようと思ったけれど、俺の心がそれを許してくれなかった。
「本当に最高だったよ。すっかりAfterglowのファンになっちゃった」
「ほ、本当に? なら良かった……」
つぐみさんは安心したように息を吐いた。
「実はね、ずっと不安だったんだ。一兎くんを楽しませられるか」
「そんな。あんなすごい演奏をするんだから、もっと自身持っていいと思うよ」
彼女たちの演奏は、俺が思っていたのよりもずっとずっとすごくて、まるで別の世界を見ているみたいだった。俺のその言葉に、つぐみさんは笑ってありがとうと返した。その笑顔を見て、また罅が入った。
——本当に、それでいいのか?
その声を、かき消すように、つぐみさんから目を逸らした。
「私、一兎くんに会えて良かった」
ドキッと、心臓が脈打つ。
「今日、私が失敗しないで、ちゃんとやれたのも、一兎くんのおかげだよ」
そんなことを言われたのは、初めてだった。
「そんな、俺は何も……」
「ううん、一兎くんが、私を支えてくれたから、今の私がいる。本当に、本当にありがとう」
思わず、涙ぐんでしまった。
「うんっ……」
そんな情けない顔を見られたくないという思いと、これ以上、この場にいたら、何を口走ってしまうか分からないという気持ちから、俺はこの場での会話を打ち切ることにする。
「ごめん、つぐみさん。俺、ちょっと用事があってさ。もう行かないと」
「えっ、そうなの……?」
ああ、やめてくれ。そんな目で見ないでくれ。
「ああ」
「分かった。それじゃあ、またね」
「うん、またね」
俺はそう言って、つぐみさんに背を向け歩き出した。
——本当に、これでよかったのか?
ああ、そうだ。これでいい。
つぐみさんとの距離が変わってしまうくらいなら、これで良かった。
はずなのに。
どうして、こんなに足が重いんだ。
どうして、後悔なんてしているんだ。
一歩踏み出すたびに、あの光景が脳裏に浮かぶ。彼女たちの音が、俺に問いかける。
——本当に、このままでいいのか?
いや、いいや、駄目だ。
確かに、今の関係が変わってしまうのは怖い。でも、俺はそれ以上に、この思いを。
例え、その先にあるものが、喪失だとしても、俺は。
本当の声を、届けたい。
「つぐみさん!」
こんなに大きな声を出したのは、いつぶりだろう。つぐみさんの背中に、呼びかける。つぐみさんは、ゆるりとこちらを振り向いた。その目には、涙が浮かんでいた。
足を動かす。少しずつ。恐怖はある。それでも、もう俺は決めた。そして、いつもよりも、少しだけ近い距離に行く。
「俺、つぐみさんに、伝えたいことがあるんだ」
声が震えそうになるのを、なんとか堪えながら、絞り出す。俺の想いを。言葉を。
「俺さ、つぐみさんが好きだ」
それは、俺が思っていたよりも、ずっと簡単に出てきた。言ってしまったことに後悔はなかったけれど、もう前の関係に戻れないという怖さはあった。恐る恐る、つぐみさんを見る。今まで溜めてきたものが、一気に崩壊したみたいに、泣いていた。
「つ、つぐみさん?」
俺がそう言うと、つぐみさんは袖で涙を拭って、いつもと同じ、いや、それ以上の笑顔を浮かべた。
「私も、私も一兎くんのこと、好きだよっ……! 大好き!」
そして、つぐみさんが俺の胸に飛び込んで来たことによって、距離は一気に縮まった。
今度こそ、本当に夢を見ているのかと思った。だって、信じられるか? 俺はもう完全に、振られるとばかり思っていたのに。でも、これが夢じゃないことは、つぐみさんの暖かさが教えてくれた。そうと分かったら、もう限界だった。俺とつぐみさんは、子供みたいに泣いていた。
*
本当に、なんてことをしてしまったんだ俺は。恥ずかしいなんてレベルを軽く超越している。穴があったら入りたいなんて、本当に思ったのは初めてだ。つぐみさんなんて、耳まで真っ赤にして、両手で顔を覆っている。その姿を可愛いなあ、なんて現実逃避気味に眺めていた。
ようやく頭が冷えて、しっかりと物事を考えられるだけの余裕が出来た。状況を整理すると、俺はつぐみさんに告白して、OKをもらったということになる。その事実に、にやりとしてしまいそうになるのを我慢する。ベンチから立ち上がって、つぐみさんの前に立つ。
「つぐみさん」
つぐみさんは、ビクッとしてこちらを見た。
「改めまして、俺はつぐみさんが好きだ」
「うん、わ、私も……」
またつぐみさんは赤くなってしまった。けれど、目線は俺の方を向いたまま。
俺も、大きく深呼吸をする。
「あの時は、今だけでも、なんて言ったけど」
これからは。
「これからは、ずっと」
死がふたりを分かつまで。
「ずっと、君の一番近くで、君を支えさせてほしい」
「うんっ……。本当に、本当に、ありがとう!」
輝かしい夕焼けが、まるで祝福してるみたいに、俺たちを照らしてくれた。
このことを知った青葉さんたちに、めちゃくちゃからかわれたのは、また別のお話。
これで、最終回になります。ここまで付き合って下さった皆さん、本当にありがとうございます!