「しかし、忌々しい奴だな……」
姫和はひとりごちに、窓の枠に片肘を置いて外をみる。夜に昏れる街並みから絶え間なく車や人声などの騒音が聞こえた。
可奈美と百鬼丸は食べ物の買い物に外出した。姫和が外へ出ればそれだけで親衛隊の捜査網にかかる危険が高くなる。それを避け敢えて部屋に一人残った。また、心理的にもその方が楽だった。
――おれは、必ず目標を達成させる
別れ際、百鬼丸の言葉を無意識に反芻する。
(なにが、目標を達成させる……だ。馬鹿馬鹿しい。あんな奴に一体なにができる? 私は母の仇をとる為に、一人で折神紫を討つまでだ。あの二人とはどこかで別れたほうが賢明だな)
そう自分に言い聞かせる。
だが、尚も言いようもない気の昂ぶりを鎮めるように、姫和はしばらく物思いに耽った。
見慣れない建物群。弛んだ五線譜のような電柱の電線。路上を流れる多くの人々。
随分と遠い所にきてしまったのだ、と改めて認識する。
故郷とは異なる空、土地の風景、匂い……全てが違う。
二〇年前の母も、「あの事件」で異郷の地に赴いた際に似たようなことを考えたのだろうか?
手近に置いた《小烏丸》の鞘を掴み、身に引き寄せる。
「お母さん……か」
記憶の中だけにある人。その柔和な笑みを思うだけで、現在でも胸がチクリと痛む。
1
宿を出て数分。繁華街の街中を歩きながら、
「百鬼丸さんは、いくつなの?」
可奈美が訊く。
隣りを歩く百鬼丸は目線をやや下にやり、
「十四だ」正直に応える。
「えっ、うそ!?」
可奈美は人一倍大きな目を更に大きく見開き叫ぶ。
「……本当だ」
バツが悪そうに百鬼丸は念押しする。
「え~、でもそっか。百鬼丸さんはなんていうか、年齢不詳な感じがするし、うん。大丈夫だよ」
グッ、と親指を立てなんのフォローにもならない発言をする可奈美。
それを横目に百鬼丸はガク、とズッコケそうになった。
大体、何が「大丈夫」なだろうか。色々言いたいことがあったが結局、
「何か食いたいものはあるか?」
腹の虫が勝ち、話題を変える。
「う~んっと……あ、そうだ。折角だしお肉食べたい! お肉!」
「肉? 肉か……いいなぁ」
百鬼丸もうん、うん、と頷いた。
「牛丼にハンバーガー、焼き鳥もいいかなぁ……」
百鬼丸は涎を垂らしながら街の目につく店たちを眺め一つに決められない。煩悩を振り払うように革ジャンの袖で口端を拭う。
「……ねぇ、百鬼丸さん」
「ん?」
「焼肉~♪」
可奈美の指さした一角から、肉の焼ける香ばしい匂いが嗅がれた。
「や き に く……だと!!」
なんて魅惑的な響きなんだ、と思った。そして悩んだ。百鬼丸はひたすら悩んだ。
金は勿論ある、
約一名ほど置き去りにしている罪悪感がないわけではない。
「しかし姫和には悪い気がしないでもないしなぁ……」
すると可奈美も、
「確かに……」
じゃあ、行くの辞めようか……と、どちらかが言わねばならぬ雰囲気になった。
(でも肉食いたいよなぁ)
百鬼丸は思った。
(たしかに姫和ちゃんには悪いけど……お肉が魅力的で……)
可奈美も思った。
二人の視線は交錯した。
問題は――何もない。そうだ、阻むものなんて何一つないではないか! 百鬼丸は独り合点する。
百鬼丸が意を決して、
「行くか、焼肉」と云う。
「うん、行こう焼肉っ」可奈美は満面の笑みで応じる。
ふたりから罪悪感が消えた瞬間だった。
「「焼肉~♪ 焼肉~♪」」
可奈美と百鬼丸はお手々を繋いでルンルン気分にスキップしながら入店した。
このあと、可奈美と百鬼丸は滅茶苦茶に肉を喰った。
食べ放題九〇分間で次々と肉を消費した。
2
「……で、お前たちだけで焼肉を喰った、と」
姫和のおでこに青筋が浮かんでいる気がした。相当ご立腹でいらっしゃる事は明白だった。
――しかし。
「「行ってません!!」」
二人は仲良く声を揃えて否定した。それはもう、美しいほどの白々しさ全開に押し出して否定した。
「お前たちから漂う焼肉の香りはなんだ?」
早速きた指摘事項にぎくっ、と可奈美が体を固くする。
その様子を見逃さず姫和は、さっ、と視線を横に移して、
「お前も、何か弁明はあるか?」
百鬼丸にいう。事実上の死刑宣告だった。
「おお、神よ。どうかお慈悲を……」
「ない」
無情にも、姫和は即答する。
「チッ、この人でなし。薄いのは胸だけじゃなくて情にも薄いとは……」
百鬼丸は悲しげに首を左右に振る。
「―――――は?」
今までにない無機質な表情の後、鬼をも裸足で逃げ出す形相で《小烏丸》の鍔を弾き刀身を顕にする。
あ、今なんかヤバイ地雷踏んだな、と確信した百鬼丸は、
「ヒエッ……やっぱり、どうかお慈悲を……」手を合わせて命乞いした。
姫和は口角をニィ、と釣り上げ、
「無駄だ。死ね」
この後、開始された鬼ごっこは、街を含めた広範囲に及び二時間かかったという。
なお、鬼(少女)は御刀を構えて追いかけていた……と、後日SNSで話題になった。
3
一方その頃。
「……案外簡単に見つかりましたね」
柳瀬舞衣は呆れたような口調でいう。携帯端末に続々と溢れる『情報』から、十条姫和と思われる少女と百鬼丸が映っていた。……しかも追いかけっこの状態で。
(いったい何の意味があるんだろう?)
本気で首を傾げながら、なんだか情けなくなった。
しかし、ふたりが見つかったという事は必然的に考えて可奈美もいるという事だ。
舞衣は早まる胸の鼓動を抑えて、
「……待っててね、可奈美ちゃん。可奈美ちゃん可奈美ちゃん、可奈美ちゃん。可奈美ちゃん可奈美ちゃん、可奈美ちゃん。可奈美ちゃん可奈美ちゃん」
彼女の瞳から光が失われていたのを、執事の男性は見ないふりをした。
4
「……えーっと、これで完全に居場所バレなかった?」
可奈美は困ったように肩を落としていう。
「コイツが悪い」
姫和は拗ねた態度で口を尖らせる。
百鬼丸は散々ボコボコにされた。
その彼が、
「……しかし、上手くいったな」
と、腕を組んで笑った。
「「……?」」
姫和と可奈美は目を合わせ、頭に疑問符を浮かべる。
「そもそも、お前はこの現代社会に順応できてないだろ」
姫和がツッコむ。
百鬼丸は頬を指で軽く掻きながら、
「さっきも説明したけど、おれの《心眼》は相手の記憶も追体験できる。何より多くの心象操作くらいはできる」
「……ってことは、今さっき追いかけっこしてた理由って」
「そうだ、捜査網の攪乱が目的だ。そもそも、御前試合の件に関しては箝口令が敷かれて、公安を含めた警察権力は表立って行動ができない。今、君たちを追っているのは伍箇伝と折神家がメインだ。その限られた人員で荒川区と台東区の街に現れる。……それに合わせて、SNSに流れる情報はおれの情報操作が加わる。恐らく、この場所を見つけるのは時間がかかる筈だ……ただ一人を除いてな」
長い百鬼丸の説明をうけた後に可奈美が、
「それって誰?」
息を呑む。
「……柳瀬舞衣だ」