刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第102話

 1

 膝を抱えたまま、燕結芽は椅子の上にいる。

 皮膚は別の感覚に繋がれたように、まるで感触を失っている。冷え切った指先も悴むことを忘れたようになった。

 

 (ここ、どこ――?)

 

 少女が連れられてきたのは、全くの暗闇だった。

 車に乗せられ、荒廃した首都高の風景を車窓ごしに眺めながら次第に意識が薄まり、ある時点を境に途切れる。

 意図的に睡眠作用を齎す薬剤を投薬されたのだろうか? 結芽は考えようとして……諦めた。今は難しいことを考えられない。

 

 

 

 ただ、自分の放った一言に酷く動揺する百鬼丸の顔を反芻するたびに、胸が痛んだ。

 どうして、ひどい言葉を投げてしまったのだろう。この生命を救ってくれた……舞草襲撃のあの夜から、刃を合わせた〝強くて優しかった〟ひとなのに。

 

 肩に抱いた御刀《ニッカリ青江》をさらに身に寄せ、金属の冷たい温度を頬で感じる。

 

 「どうして、大切にしたい人なのに……傷つけちゃうんだろう」 結芽は小さく呟いた。

 頭を背後の壁に沿って傾ける。撫子色の柔らかな髪質がふわり、と揺れ動く。

 

 

 自らがそばにいて欲しくて、自分を思ってくれる人ほど傷つけてしまうのか。やるせなくて、情けない気分で一杯だ。……落胆というより寧ろ、不器用過ぎる自分に苛立つ。

 

 

 薄暗い部屋の扉の前に気配があった。

 

 

 「――だれ?」

 無機質な声で問いかける。

 ガチャ、とドアノブを開いたのは轆轤秀光だった。彼は手元に燭台を持ち、壁にあるスイッチを押す。天井に吊るされた裸電球が灯る。

 粉っぽい黄色い光が空間に薄く射し込む。

 柔和な笑みを浮かべながら、

 「食事がまだだろう? どうだい?」

 彼の手には簡単な軽食を詰めたバスケットがあった。

 結芽は一度もその方向を見ずに否定の首を振る。「いらない」

 「ああ、そうか。食欲がないんだな。済まない」

 「おじさんの――」

 「ん?」

 「おじさんの目的はなに?」

 結芽の質問に、初めて秀光はこわばった表情になった。それは、仮面だったそれまでの彼とは異なる、本音の部分を司る彼の一面だった。

 

 「どうしてそれが気になるんだい?」

 「百鬼丸おにーさんが……」

 嫌いなの、と純粋に聞くつもりだった。だが秀光はそれを先読みする。

 「嫌い、ではないんだ。奴の存在を抹殺しないといけなんだ。この世にいてはいけない存在なんだ。わかってくれ、とは言わないし思わない。だけど、奴を野放しにするといずれこの世が終わる。それも事実だ。だが尤も私はこの世界を滅ぼしたいんだが……」

 二律背反の言葉を吐き出しながら、秀光は簡素な椅子に腰掛ける。

 

 「最大限、君には便宜を図るつもりだ。なにか足りないものがあれば遠慮なく言ってくれ。だが、監視は一応つける。悪く思わないでくれ」

 その言葉を合図に秀光は扉の辺りに向き直る。

 「入ってくれ」

 そう告げると、凍傷を全身に点々と負った腑破十臓が入ってきた。

 「まだ怪我は完治しないみたいだな」

 「…………。」

 十臓はなにかに取り憑かれたように、意識を回復して以来ずっと喋らない。恐らく百鬼丸との戦闘を思い出して、再び戦う際に如何に殺すかを算段しているのだろう。

 

 「ふぅ~」と、ため息をつく秀光。肝心の監視役があまり期待できそうにないのだ。

 苦笑いを浮かべながら結芽に視線を合わせる。

 「と、いうことだから脱走は簡単だ。ああ、でも〝構内〟をむやみに歩かないほうがいい。いかに君が天才でも――今の君では多分、ここを抜け出すのは力不足だろうね」

 不穏な単語を並べた秀光は小さな丸テーブルにバスケットを置くと立ち上がる。

 

 

 「しばらく席を外すが……大人しくしてくれると助かるよ」

 そう言い残して部屋を出て行った。

 

 

 「…………。」 

 ぼーっ、と意識を飛ばした状態で彼の話を聞いていたためにあまり内容を覚えていない。気が付くと、簡易ベッドに腰掛けた人物……腑破十臓の存在に気がついた。

 

 「おじさん、生きてたんだ」

 

 「……俺はマトモな方法では死ねない。いいや抑も死んでいるようなものだ」

 禅宗のような問答を一人で繰り広げながら十臓は膝の間で指を組む。

 

 

 「燕結芽、と言ったな」

 

 「うん」

 

 「お前は衛藤可奈美を知っているか?」

 

 「《千鳥》のおねーさん? うん知ってるよ。すっごく強いよね」

 棒読みのように感情の篭っていない声音で淡々と喋る。あれほど身を焦がした剣術の話も今は脱力感が全身を襲い、情熱が持てない。

 

 「そうか知っていたのか……あの刀は千鳥、そうか。立花の家の……」

 十臓とは因縁浅からぬ関係の御刀に対し、一種運命のようなものを感じる。

 

 「お前はなぜ剣を握る?」

 

 (このおじさん、どうして……)

 そんなこと気になるんだろう、と思った。

 

 だが余りに真剣な尖った眼差しに多少気圧されつつ、薄く開いた目を瞬き考える。

 「本当は皆に覚えていて欲しかった……ううん、皆に褒めて欲しかったんだと思う」

 誰かに愛されたくて剣を握っていた頃。それは素晴らしことなんだと思っていた。

 

 「死んじゃう時間が決まってるなら、誰かに覚えて欲しいって思うの、間違いかな?」

 

 強ければ誰も忘れないだろう。たとえ、皆の記憶から薄れていったとしても、強さだけならば覚えている筈だから。それが「強さ」に選ばれた結芽自身にできる最大限の行為なのだ。

 

 

 十臓は、この娘からかつての自分と似たようなものを感じ、これまでに味わったことのない『共感』にも似た感情を持った。(尤も彼の場合、それによって行動が変わることはないが)

 

 

 「誰しも死を意識した時、その人間に『与えられた天命を悟る。』そう言いたいのか?」

 

 「難しい言い方じゃわかんない――けど、多分そうだと思う」

 

 外道に堕ちた自分が何故このような異世界へと送られたのか……今なら何となく解る気がする。それは衛藤可奈美という、柳生新陰流の使い手であり、千鳥という刀を握る宿命の相手がいたからだった。

 

 

 「運命という言葉は老人の戯言だと思ってきた。だがどうやらそうでもないようだな」

 結核菌に肺を犯され、蹂躙さた時代。

 死を意識するたびに刀は冴え渡り大根や豆腐を包丁で切るように簡単に人を殺すことができた。

 

 確かに強さで言えば、百鬼丸の方が上手である。しかし、そういう事ではない。衛藤可奈美という未知の可能性を秘めた少女を斬殺したい、その衝動が芽生えていた。

 

 「早く本調子に戻さねば……ふふふっ、この世界にも骨のある奴が多い。」

 いつになく多弁な十臓は初めて味わう敗北の味をたっぷりと堪能しながらその悔しさという感情の手触りを確かめ、静かな殺気を貯める。

 

 

 (もう皆に顔、合わせられないな……。)

 結芽は寂寥感の広がる胸を小さな拳で掴み、己の気持ちの淀みの中に溺れた。

 

 

 2

 次元の階層と云うか――或は、世界との連続性の否定を行うのは、神性に付与された行為である。もっと砕けた言い方をすれば、御刀という神性の象徴に選ばれた人間は幸福なのだろうか? 

 

 

 それは、多少の自己顕示欲や承認欲求は満たされるだろう、しかしそれ以上に要求される義務の遂行は、肉体にも精神にも負荷を与える。ゆえに、たった少女時代の一瞬を「刀使」としての役割として決められるというのは案外合理的なのかもしれない。

 

 

 

 百鬼丸は、折神紫の額から指を離して小さく嘆息する。

 彼女は嘘を言っていない。

 「――どうだった?」

 事務的な口調で訊ねる。自身の内心を覗かれて誰もいい気はしないだろう、しかし刀使でも六振りの御刀に選ばれた折神紫という女性は、あくまで鷹揚な態度である。

 

 

 「嘘は確かに言っていない」

 

 「そうか、では信頼してもらえたと思えばいいのか?」

 

 酢を飲んだような顔で、百鬼丸は頷く。先程の敵愾心をむき出しにした己の態度を恥じてしまうくらいに頬が熱くなる。

 

 「それじゃあ、今も刀使……なんだよなアンタ」と、百鬼丸。

 

 「ああ、そのようだ」

 

 「まるで呪いだな、アンタの場合」

 

 ――呪い、そうかもしれない。

 紫は少年の言葉に素直に同意した。

 

 「率直な感想を言わせてもらえば――アンタはよくやったと思う。精神がよくぶっ壊れなかったな、とも思う」

 

 

 「……それは、イチキシマヒメが、」

 

 「いいや、わかってる。それもアンタの心情を追体験したから解る。おれの気持ちとしては奴らを許すことはできない……でも、アンタ、折神紫みたいにイチキシマヒメみたいな奴でも心の拠り所にしていた――それだけの事実なら、おれだって理解はできるさ」

 

 だけど、おれ自身の感情としては許せない部分もある。言外に態度で露骨に百鬼丸は現れていた。それを、眺めながら紫は「ふっ」と噴き出す。

 

 「成程、噂に聞いていた通り君は難しい人物らしい」

 

 「それは褒めているんだよな?」

 

 

 「どうだろうな」

 

 かつての、剣幕の凄まじい折神家当主としての雰囲気は既にない。融けてゆく氷のように一人の人間として百鬼丸の前に、折神紫という人物がいる。

 

 二〇年前のあの時、世界の命運と友の命を天秤にかけて、己の肉体に大荒魂を宿した。なまじ、そのような行為ができるからこそ、世界はかりそめにも平和を手に入れた。

 

 「相模湾岸大厄災……。大勢の人間の命か、大切な人間の一人の命か。よくやるよ」百鬼丸は半ば呆れ気味にいう。それは混じりけのない意見だった。

 

 「私はあの時の判断を――少なくとも、絶対の間違いだったとは思わない」

 だから、柊篝という人間を助けることができ、その娘である十条姫和が目の前に現れたのだから。だが、それでも助けてしまったが故に、却って篝を苦しませる結果になった――

 

 紫の内心の逡巡を悟るように、百鬼丸は珍しく破顔した。

 

 「いいや、アンタの考えは判断は間違いじゃない。おれが保証する。アンタも、姫和のかーちゃんも、あんまし難しく考えすぎなんだ。全部自分で背負い過ぎたんだ、と思う。だから美奈都さんも〝あの場〟に残ったんじゃねーかな?」

 

 「――美奈都が? ふっ、そうか。奴ならそう言いかねない」

 かつての友は、確かにそういう人物だった。

 

 だから救われていたのだ……自分も、篝も。

 あの、衛藤可奈美も思い返せば意思の強そうな眼差しは母親にそっくりだった。

 

 「百鬼丸、お前と話すことができてよかったと思っている」

 

 「――んだよ、急に」

 戸惑い気味に百鬼丸は鼻の下を指で擦る。

 

 

 「そ、それよりもだ! いいか、おれにする話っていうのはなんだ? 生憎心眼で見たのは荒魂関連だったが……おれを呼んだ経緯まではわからんぞ」

 

 

 腕を組んで考え込んだ様子だった紫は、チラと切れ長の眼をあげて百鬼丸を一瞥する。

 「そうだったな。単刀直入に言おう。轆轤秀光についてだ」

 

 「轆轤秀光について――? 奴についてなにか知っているのか?」

 

 紫は頭を振って否定する。

 「まだタギツヒメたちに憑依されている時だったが、奴は一切自分の正体や情報に繋がる部分を消し去っていた。あんなに、己の存在を綺麗に脱色する男も珍しい」

 

 「……アイツについての話なんだよな?」

 

 「ああ、奴は折神家と柊家に隠れた血なまぐさい部門を司る〝轆轤家〟の人間だ。折神家が表、柊家が裏……だが轆轤家はその二つの家が守備範囲とする外側を対象に仕事をしてきた連中だ。私も当主になる前は知らなかった。だが――国の機関とも関わるようになって、奴らの権力の強さや影響力を如実に知った」

 

 

 「おれに関係がある、っていうのか?」

 

 「そこまでは分からない。だが、奴に調べようと折神家の書庫を調べても一切の手掛かりがない。ただ、当主にのみ継承される口伝での話で聞いただけだ。恐らく、轆轤秀光が全ての資料を葬ったと考えていい」

 

 「チッ、じゃあどうすりゃいいんだよ。せっかく奴の手掛かりを掴めたと思ったのに……結芽だって奴の手中にいるのに……」

 

 

 紫はその時、初めて動揺らしい動揺の表情をみせた。

 

 「なに? それは――本当か?」

 

 「ああ、おれの不手際だ」

 悔しくて下唇を噛む百鬼丸。

 

 

 彼の態度と言葉からも、嘘や冗談の類ではいことが容易に察することができる。紫自身、タギツヒメに憑依されていた頃とはいえ、結芽に対するノロを投与させた罪悪感に胸を痛めた。

 

 「そうか。そういう事情なら急いだ方がいいだろう……十条の実家には恐らく轆轤家についての資料があるだろう」

 

 「姫和の家に?」

 

 「ああ、そうだ。柊家は裏だ。もし表に異変があれば必ず補佐する。つまり資料も写しがあるだろう。生真面目な篝のことだ。きっと役割を終えても何か手掛かりがあると思う」

 

 ……姫和の家に、おれのルーツになる資料がある?

 

 百鬼丸は、突然の話にうまく頭が理解できずにいたが、それでも光明のようなものを手触りとして感じ取っていた。

 

 

 「それは姫和に話したのか?」

 

 

 「いいや、まだだ。何よりお前の意思がどうしたいか確認した後に説明を――」

 

 「無用だ、おれが直接姫和にいう。この潜水艦も進路変更はできるだろ?」

 

 

 「ああ。貴様たちが行かないのならば……五条学長に頼む手筈にしていた」

 

 轆轤秀光はまだこの事実に気がついていない、だからこそ弱点となる部分を掴むために根回しをしていたのだろう。さすが、折神家の当主は抜け目ないな、と百鬼丸は思った。だが反面、そうすれば姫和が彼女をより嫌うであろうことも簡単に推察できる。

 

 

 だからこそ、百鬼丸が説得して行動するほうが最善だ。

 

 

 「分かった。助かった。もうアンタも嫌われたくないだろ?」

 百鬼丸は肩をすくめながら、皮肉な調子でいう。

 

 彼の真意を悟った紫は――「ふっ、もうお前には隠し事というものができないな」と零す。

 

 

 この、因果の糸で雁字搦めになった、どうしようもない世界にも一筋の光明があるように思われた。

 

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