刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第107話

ふたりが山の獣道をゆく数時間前――。

 

 原子力潜水艦ノーチラス号から海上保安庁所属の巡視船、PLH05「ざおう」に乗り換えた百鬼丸と姫和。和歌山沖海上七〇キロの地点から、更に巡視艇PC124「やえづき」に乗船した。

 

 冬。海は高い波が船体に叩きつけられる。

 船酔い気味の姫和は青い顔をしながら「うぅ……なぜ、こんな目に遭わねばらんのだ」と呪詛のような言葉を洩らした。

 確かに百鬼丸に協力するとは言った……だが実際に加わる苦痛は予想外だった。

 「水、飲むか?」

 百鬼丸は鼻をほじりながら反対の手でペットボトルを手渡す。

 「グップ……い、いらん……」

 弱々しい口調で拒絶する。

 十一月の海は基本的に荒いものだ。一見穏やかに見えても、波が襲いかかる。

 恨めしそうに百鬼丸を睨みながら姫和は口元を手の甲で拭う。

 「き、貴様は平気なのか?」

 「う? まーな」

 平気そうに床面に胡座をかいて瞑目する少年。

 「あとどれくらいで陸地に到着するんだ?」

 「むー、話によるとあと数十分くらいだそうだ」と、百鬼丸。

 

 (そんなにかかるのか……)

 話をする元気もなく、壁に背中を凭れる。こんなにも陸地が恋しい事があるとは思ってもみなかった……。姫和はなによりもまず、この少年をぶん殴ってやろうと思っていた。理由はない。が、とにかく、平気そうにしているからムカついただけだ……。

 

 要するに、八つ当たりである。

 

 「む?」

 そんな少女の内心を知らずに、視線に気がついた百鬼丸は片眉をあげて間抜け面で応じた。

 

 

 2

 紀伊半島最南端に位置する潮岬灯台は北緯三十三度、東経百三十五度にある。

 この灯台の歴史は古く、明治期の条約によって建設されたうちの一基であり、文化的な価値を有した。

 

 

 塔の高さは約二十二メートル、灯火標高は約四十九メートル。

 白光が十五秒毎に一閃する間隔で周囲を照らす。白亜の塔形石造の灯台は、初冬の色調が暗い視界からでも目立っていた。

 先程の時化は嘘のように穏やかな変化を見せた海。

 陸地に近づくには丁度いい。

 沖合には無数の崖を喰む白波の音が聞こえた。百鬼丸と姫和は、強力な光を放つ電灯を頼りに接岸した巡視艇から離れ、行動を開始した。

 

 未だ船酔いの影響だろうか。足元がふらつく。眩暈に似たものが姫和を襲う。

 「……大丈夫じゃなさそうだし、一旦どこかで休むか?」百鬼丸は予め恩田累から手渡されていた軍用の時計を一瞥する。デジタル数字には午前四時、という表示がある。

 なるべく、人目を避けて行動はしたいが、それでも山越えは無理そうか……。百鬼丸は漠然とそう思った。

 「いいや、いこう。私は平気だ……」

 と、言いながらも左右に彷徨していた。

 「おいおい、いかんだろう。そんな状況だと。まあ、幸いに雨は降らなそうだし、まだ夜風の残りの寒さがあるが……休んでいいぞ。運ぶから」

 百鬼丸は少女に近づき、屈んで背中を見せた。要するにおんぶを提案したのだ。

 「…………断じてその提案は拒ませてもらう」頑なな声で拒絶する。

 「意地を張るな、イジを」

 「意地ではない! 貴様のような変態に体を触られるのが耐えられないんだ!」

 「へっ!? この、なんちゅーこと言いやがる! せっかく人の親切で申し出たのにだな……」

 「ダメだ。変態」

 「お前はなんつー頑固者だ」

 「頑固者ではない! これまでの所業でお前の悪行は身を持って体験してきた! だからイヤなんだ」

 「へー、そうですか。おれが一体なにをしたって言うんだよ」

 「お前はあの夜…………、私の胸を揉んだではないか」

 あの夜、とはなにを指すか百鬼丸は少々時間が取られた。そして、数ヶ月前の折神家襲撃のことに思い至り納得した。

 「あー、あの時か。ウム、覚えてない! そしてお前にムネと呼ばる部分は存在しない!」

 「はァ!? なんだと貴様……ほぉ、そうか。この《小烏丸》の刀の錆にして欲しいらしいな……」

 ガチャリ、と革布で覆われた御刀を取り出そうとする姫和。

 

 その剣幕に圧され、百鬼丸は慌てた。

 「じょ、じょ、冗談ですよええ。本当ですよ、本当――」

 

 「……本当か?」

 疑り深げな目つきで百鬼丸を睨み据える。

 

 「ああ。そんなことより早くいこう。時間がないんだ……」百鬼丸は半ば呆れ混じりの息を漏らしながら強引に足元から掬い上げるように背負った。

 

 「――ちょっ、馬鹿者下ろせ! どこを触っている! おい聞いているのか?」

 背中で暴れる姫和を無視して百鬼丸は歩き出した。

 

 百鬼丸は軽い空腹を覚えて、携帯口糧のビスケットを取り出して口にくわえ咀嚼する。なおも暴れるじゃじゃ馬娘は無視した。

 

 「はぁ……はぁ……無視するな……」

 ポカポカと拳を百鬼丸の後頭部に叩きつけるものの、寝不足と船酔いの影響で力が弱い。連続して殴ってもさほどの威力ではないだろう。

 

 「アデデ……痛い痛い。おれの頭はモグラ叩きのモグラ君じゃねーんだぞ」と、ワザとらしく被害を強調したような物言いで文句を吐き出しながら百鬼丸は抗議した。

 

 頭上を薙ぐ光の筋がまだ夜の明けぬ空を貫く。

 どこからか、警笛の声も聞こえた気がした。

 

 

 「はぁ」と諦めて姫和は力んだ肩から力を抜く。「済まないな……」小さく詫びた。

 背中の小さな声を、聞こえないフリをした百鬼丸は腕を回してビスケットを差し出す。

 「食うか?」

 「いいや」首を振る。

 「そっか」

 モゴモゴ咀嚼しながら百鬼丸は歩き始める。荷物も含めるとそれなりの重量なのだが、彼の人間離れした体力と筋力では、重量を感じさせない足取りだった。

 

 揺れるが、心地よい振動。

 ……自然と睡魔がやってくる。姫和はうとうととし始めた。筋骨隆々の背中に体を密着させて、

 「――本当に自分を知りたいんだな。怖くないのか」

 無意識に姫和は呟いた。

 

 「…………。」

 百鬼丸がその時、なんと返事したのかは海から吹き付ける激しい風と、睡魔によって遮られた。本当は何も答えていないかもしれない。――ただ、この時に彼はなんと言ったのかいつか聞こうと、彼女は思った。

 

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