刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第108話

 鎌倉。

 午後一〇時、屋敷の前に一台の乗用車が停車した。車から二つの影が降りる。

 

 

 ノーチラス号から鎌倉に到着した親衛隊元一席、獅童真希と二席、此花寿々花である。彼女たちは事前に、折神朱音から屋敷に入る許可を得ていた。

 親衛隊時代ならば顔パスでもよかったが、数ヶ月前の事件以降、親衛隊は事実上解散に追い込まれ、しかも親衛隊隊員の信用が失墜した。……だが、折神家の事実上の家主である朱音の許可があれば、特に屋敷側も拒む理由はない。

 

 

彼女たちの目的は、轆轤秀光に誘拐された燕結芽の救出である。それには、折神家に眠る資料が重要となるのだ。

 

 それに気がついたのは親衛隊の頭脳であり折神紫の事実上の秘書役でもあった寿々花である。

 

 

巨大な正面の御門を潜ると、風の流れが急に緩慢になった。薄闇の向こうには等間隔で小道の左右に配された石燈篭の温かな光が点々と周囲を照らす。

 白い玉砂利の敷かれた玄関口。御前試合の決勝もこの白州で行われた。

 

 ……広大な敷地に囲まれた豪奢な屋敷は個人の所有するものとしては、恐らく最大の規模を誇るだろう。……当然、公共施設として兼用はされていると言っても、この巨大な建物に居住するという事実だけで感嘆に値する。

 

 

 もちろん、獅童真希も最初はそう思った。だがこの建物の光景を外側から――よりも、内側から眺める機会が増えるにつれて、さほど感動することは無くなっていたが……。

 「改めて見ると大きいな……」

 真希は久しぶりに見る折神家の屋敷を前に、懐かしさを込めた口調で呟く。

 「――ええ、そうですわね」と、隣から同意の声がする。

 隣の……ワインレッドの鮮やかな髪質で、緩やかなウェーブのかかった毛先を指先で弄ぶ仕草も絵になる少女、此花寿々花はあまり興味なさげに返事をしたようだ。

 

 

 彼女も、元々は日本でも有数の名家の生まれで、れっきとしたお嬢様だ。規模こそ違え、このような屋敷や邸宅など飽きるほど見てきたのだろう。

 はぁ、と改めて寿々花と認識の違いに溜息を零しながら苦笑いを浮かべる。

 「全く、寿々花は変わっているからなぁ……」

 真希が不意に漏らした言葉に、隣で髪を弄んでいた指がピタリと止まる。

 「あら? どうしてですの?」

 不満げな口調で抗議する寿々花。急な発言に対し、不本意であると態度で示していた。

 「いいや。だってキミは半額弁当で子供みたいに喜んで……ふふ、あははは……」

 つい、思い出して真希は笑う。

 

 

 

 ある日の事だった。

 非番で、外出許可の出た寿々花が珍しく遠出をするという。理由を聞いても曖昧に誤魔化すばかりでイマイチ要領を得ない。常に明晰な答えを返す彼女にしては珍しい。

 そわそわ落ち着かぬ様子に思わず真希が、

 『どこか具合でも悪いのかい?』

 と、訊ねた。

 同僚の気遣いに反応するように柳眉を寄せて憤慨した寿々花は、

 『――い・い・え! 何でもありませんわ。お気になさらず』

 強い拒絶の言葉で会話を切り上げ、部屋の時計を一瞥するとそそくさと退出した。

 「?」

 真希は彼女の具合が悪いものだと思っていた。時刻は午後3時。

 病院にでも行く予定があったのだろうか――?

 あまり個人のことを詮索するのも仕方がないと思い、夜見との警護任務の引き継ぎへと頭を切り替えた。

 

 

 

 ……その夜、午後九時に親衛隊の控え室である一室にこれまた珍しく、警護の任務を一時的に解除された真希と夜見、そして抑もマトモな仕事は荒魂退治以外に無い結芽が、集まっていた。

 偶然、といえば全くの偶然だった。

 

 『…………。』

 専用の架台で御刀の手入れを丹念にする真希。窓際で佇み、人形のように微動もしない夜見。そして、部屋の中央に設えられた高級なソファーに仰向けで寝転がり、チョコレート菓子を口にくわえて携帯端末をいじる結芽。

 

 沈黙。

 それも気まずい他人同士の沈黙ではなく、勝手知ったる仲でのある種の安定的な無音の沈黙だった。

 

 ――と。

 ドン、と扉を勢いよく開く音が室内に響き渡る。

 一瞬、その勢いに驚いた三人は緊張を体に漲らせたが、すぐに闖入者の正体を捉え、一気に緊張を緩和させた。

 

 

 『なーんだ、寿々花おねーさんじゃん』

 つまらそうにソファーから上半身を起こした結芽は呟いた。

 

 はぁ、はぁ、と息を切らした寿々花は、しかし興奮に頬を上気させながら嬉しそうに両手に手提げたビニール袋を持ち上げる。

 『半額弁当、制覇致しましたわ!』

 普段とは全く異なるテンションで、寿々花はそう宣言する。

 

 「「「…………!?!?」」」

 三人の頭の上に疑問符がいくつも浮かんだ。

 

 今、このお嬢様は何と言っただろう? 

 半額弁当を制覇? ――はて?

 

 真希は御刀の手入れを途中でやめて、目頭を揉む。彼女の癖であり、大体が困ったときに出る癖だ。

 

 『え~っと、済まない。寿々花がどうしてそんなに興奮しているのか説明してもらえるかい?』

 この場の一同の内心を代弁して語った。

 

 しかし、寧ろなぜそんな淡白な反応が返ってくるか理解しかねるように首を傾げた。

 『この周辺にスーパーマーケットはありませんわ、それをご存知ですの真希さん?』

 

 『あ、ああ。そうだね』

 

 その返事に「ふふん」とばかりに得意げに胸を張り、自慢げに説明を続ける。

 『ですから、少し遠出して点在するスーパーマーケットに赴きましたわ。狙いは午後八時から半額になる〝お弁当〟です。ご理解頂けまして?』

 

 『…………!?!?』

 ますます混乱する真希。ふと、他の二人にも目線を送ると、結芽は「うぅ~ん?」と困った様子で首を捻り、夜見に至っては「そうですか……」と、半ば投げやりな返答をする始末。

 

 才女として名高く、親衛隊はおろか折神紫という人物の実務をサポートし、細部に至るまで計算し尽くす怜悧な頭脳の持ち主が、いまや単なる奇人であった。

 

 (まさか、親衛隊の参謀さまがこんなおかしいとは……)

 と真希は内心で思いつつ、更に説明を求めた。

 

 『つまり、なにがそんなに興奮に値するんだい?』

 

 『――なっ、まだ分からないんですの!? お弁当が〝半額〟、〝半額〟ですのよ!』

 これでもか、と言わんばかりに控え室に置かれたテーブルにスーパーの袋を置いて丁寧に中身を取り出す。

 

 

 透明なプラスチック蓋にはキチンと「半額」と黄色と赤を基調にしたシールがデカデカと貼られていた。――うん、見慣れた光景だ。

 真希は呆気に取られつつ、弁当が並べられていく様子を一部始終見守っていた。

 

 『……しかし、一時間でこれだけ買えるとは流石寿々花だね』

 最早かける言葉がそれしかなかった。

 

 『ええ、当然ですわ。何人かに協力して頂いて半額弁当を制覇しましたもの』

 と、事も無げにいう。

 

 『…………。』

 真希はそれ以上深く詮索するのはやめた。恐らく彼女のことだ、親衛隊の部下である刀使たちに「何らか」の方法でお願いをして手分けをしたのだろう。

 

 『まさかとは思うけど、〝迅移〟は使ってないだ……』

 

 『ご、ゴホン……。何のことか分かりませんわ』

 明らかに胡散臭い咳払い。しかも、目が泳いでいる。

 

 (間違いない……。)

 

 刀使のみが使用できる高速移動術である《迅移》を使ったな、と真希は確信した。熾烈を極める半額弁当争奪戦を勝ち抜くにはこの方法が一番効率がいい。尤も、軽々しく《迅移》を使うことは基本的に禁止されているのを、寿々花が知らぬ筈がない。確信犯である。

 

 

 『はぁ……まあ、いいさ。今後気をつけてくれ』

 本来であれば軽率な行動はキツく叱る筈の真希も、現在の異常に高いテンションの寿々花を前にすると勢いを削がれてしまう。多分、いまは何を言っても聞こえないだろう。

 

 『それより、真希さんはどれにしますの?』

 

 テーブルに並べられた弁当を指差し、寿々花が訊ねる。

 

 『食べてもいいのかい?』

 

 『――ええ、勿論ですわ。夜食のために集めましたもの』青みがかった瞳を、子供のようにキラキラと輝かせて言う。『ええっと、これが唐揚げ弁当、これが焼肉弁当……』

 

 プラスチック容器を手に持ちながらあれこれ吟味する寿々花を遠目に、呆れながらも可笑しそうに笑う結芽。窓際で人形のように佇んだ夜見は「――くっ」という感じで口端を曲げて少し小馬鹿にした感じで笑いを堪えているようだった。

 

 

 なるほど、このお嬢様は半額弁当という存在を知らなかったのだ。そもそも、スーパーマーケットで買い物もしたことがないのだろう。親衛隊の夜食として購入するという建前のもと、本気でこの近辺で入手できる限りの半額弁当の全種類を制覇した、と自慢していたのだ。

 

 

 『――どうされましたの?』

 一人事情を飲み込めていない寿々花だけが困惑に首を傾げた。

 

 

 「くくくっ……」と、笑いを噛み殺した真希も、首を振りながら必死に平静を保とうと努めた。

 

 『寿々花に半額弁当が手に入ってよかったよ』

 

 『ええ、わたくしが本気を出せば一時間でこんなものですわ』

 心なしか鼻高らかに応じる。なんとも言い難い、ドヤ顔をされると普段のギャップに更に拍車をかける。

 

 『さあ、皆さんで好きなものを選んで下さって』

 

 確かに、半額弁当を入手することもだが、こうやって誰かと弁当を囲んで食べるという状況を楽しみにしていたのではないだろうか――、真希はふとそう思った。

 

 

 


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