刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第109話

 

 ……逞しい、引き締まった筋肉を包む皮膚は男独特の体臭を放つ。

 「んっ……」

 長い睫毛を擦り、紅の瞳が開かれる。

 未明前の出立だった事と、ほぼ道のない森林を強行踏破したために疲れが出たらしい。背負われて目覚めるのは、これで二度目だ――。

 「私は眠っていたのか」まだ夢半ばの口調で囁いた。

 背負っていた少年、百鬼丸は後頭部で乱雑に束ねた髪を揺らしながら急勾配の地形を進む。その彼が、

 「お、起きたか」

 気がついた。彼は息一つ上がっていない。しかも、荷物も含めると五〇キロ以上の荷物を背負い何時間も休みなく歩き続けているのだ。

 「お前は疲れないのか?」

 自分ばかりこうして休憩している事に罪悪感を覚えた十条姫和は訊ねた。

 「う? いんや、疲れんなぁ……。しかし山林は懐かしい匂いだな。やっぱりおれは人が大勢いる場所よりもコッチの方が落ち着くな」

 陽気な口調で進み続けた。

 

 

 紀伊半島――熊野三山から接する熊野古道は三重、奈良、和歌山、大阪に接続される。特に六道を以て熊野古道と呼ぶ。すなわち、紀伊路、小辺路、中辺路、大辺路、伊勢路、大嶺崖道…………。

 このうち、百鬼丸と姫和は紀州の山々の獣道から辺路(吉野と熊野を結ぶ路)に繋がる大嶺山に出た。

 かつての修行道として利用された峻厳な場所として知られ、一〇〇〇~一九〇〇級の峰を踏破せねばならない。本来は「女人禁制」であり、女性が立ち入る事は禁じられていた。

 

 だから、姫和自身も果たしてこの場所を通ってもよいのだろうか? と、一抹の不安を抱えていた。

 それを百鬼丸に伝えると、

 「まあ、そこまで了見の狭い神仏はいないぜ多分。それに、姫和の乳なら男と間違われるからヘーキヘーキ」とのたまった。

 姫和は思い切り百鬼丸を殴打すると黙った。

 

 

 2

 百鬼丸の踏破するペースは尋常ではなかった。夜明け前に出発し、姫和の実家に到着した頃には夕方になっていた。が、普通は徒歩で、しかもこれだけ険しい道のりを休みなく超えることは不可能である。

 

 「うーーーん、よく動いた」と、百鬼丸。

 背伸びをして一切疲れをみせるどころか未だ動ける様子だった。

 

 田園風景が視界いっぱいに拡がる、のどかな場所だった。山の中にある村で、山の斜面を削って棚田にした水田も稲刈りを終え、今は茶色い土面を露出させている。

 坂になった道路の上、茅葺き屋根の古風な民家があった。

 

 「ここか……、姫和の家は」

 「――ああ」硬い声で答える姫和。

 鎌倉出向前は刀使をやめるつもりだった。しかし、まさかこんなにすぐに戻ってくるとは彼女自身考えていない。百鬼丸というオマケつきでの家路は微妙な気分にさせられる。

 

 

 「少し休んでから土蔵を中心に探す方がいい」

 キッパリとした口調でいう姫和は、細い眉を微動もせず瞳だけを横に流す。

 百鬼丸は頷きながら家の方を凝視している。

 「やはり気になるのか……だがまだ、資料が〝ある〟という確証はない」

 「ああ。そんでも、やっぱり気になる。轆轤秀光に繋がる情報はなんでもいいから欲しい。――ま、お前のいうとおり、一旦休憩するか。どうせ、一晩かかって見つかるかどうかの作業だからな」

 何気なく言い放った一言。

 

 ……一晩、百鬼丸と一緒?

 

 しかも実家で。

 「なっ…………」姫和は悶絶した。顔を真っ赤にした。この変態の権化である最低最悪の男と一夜を過ごすのだろうか。果たして、襲われないという証拠でもあるのだろうか? ない! 断じてこの変態男にセクハラまがいのされるに違いない!

 エビ茶色のローファーでバックステップを踏み、距離をとると両腕で自分の身を抱き寄せた。

 「貴様、いいか! 私に指一本でも触れてみろ。たたき斬ってやるかな!」

 睨み据えながら御刀《小烏丸》の柄に手をかける。

 

 「……おいおい、なんでお前を襲うんだよ、おれが。信用してないのか」

 呆れたようにいう百鬼丸。

 

 「と、当然だ。貴様のこれまでの蛮行が物語っている!」

 うー、と低く唸る様子がまるで警戒心の強い犬のようだった。

 

 (しかし、なんでおれはこんなに信用されてないのかねぇ……。)

 頬をポリポリと指で掻きながら思った。

 

 「あー、わかった。分かったよ。姫和さんには一切触れないから安心してくれ」

 

 「…………。それだけか?」

 

 「? それ以外になんかあるのか?」

 

 その言葉に、姫和は暫く考え込むように両腕を組んで首をひねる。濡羽色の艶やかかつ流麗な髪が、夕色に照らし上げられる。茜色に反射した瞳がピカッ、と光を弾く。

 「そうだな……指切りだ」

 サッ、と姫和は片手を出した生真面目な少女は、真剣な眼差しで百鬼丸を見る。

 「う、マジか……。」

 「まじだ」

 百鬼丸も仕方なく右手を差し出して小指を結ぶ。

 「こんなことでいいのか?」

 「――ああ、不満か?」

 いんや、と首を振って否定する。

 「母と約束する時はいつもこうだったんだ……仕方ないだろう」

 今更気恥ずかしさがこみ上げてきたのだろうか、顔を背けて言い訳を述べる。どこか懐しそうな顔で微笑する姫和は、普段とは違って柔らかい雰囲気が漂っていた。

 「ま、いいんじゃないか。」

 と、言いながら百鬼丸は不意に彼女の頭を撫でようとして――止めた。

 

 

 以前のことだが、義理の妹である双葉に言われた事を思い出した。

 

 『ねぇ、にいさん。気安く頭撫でないでくれる? 煩わしいから……』

 冷え切った目で、そう告げられた。

 久々の再開から誤解が解けた折に、かつてやったように頭を撫でた時に、こう言って吐き捨てられた。

 理由を聞いても「それ、全然嬉しくないから。普通にキモイ」とのお返事だけだった。どうやら年頃の少女には腹ただしい行為だという事が分かった。

 

 という訳で、百鬼丸は姫和の頭上にかざした掌を急いで引っ込めた。――しかも、さきほど指一本触れないという約束をしたばかりだ。

 

 「ん? どうした?」

 思い出に浸っていた姫和が、慌てていた少年を見返す。

 

 ブンブン、と首がもげそうなほど振って邪念がなかったことを示す百鬼丸。

 「なななな、なんでもないぞ! うん、あははは……」

 

 「?」

 不思議そうな顔をする姫和。規則正しく切り揃えられた前髪の下から胡乱な目線が向けられたが、結局何も言わずに終わった。

 

 ――その時。

 

 

 百鬼丸は不意に顔を上げて、周りを囲む山々に首を巡らせる。山の中から見知った気配を察知した少年は意識を研ぎ澄ませながらベルトで腰に固定した《無銘刀》を触る。

 「なあ、姫和。少しだけこの辺を散歩してきてもいいか?」

 「もう夜が近くて危ないぞ」

 「おれは昔から人気のない山で生きてきたからヘーキヘーキ。それに、すぐ帰ってこれるから。な?」

 渋々だが、姫和は頷いて許した。

 

 その返事と共に百鬼丸は一気に脇目も振らずに駆け出した。

 

 その背中を見送りながら姫和は溜息をこぼした。

 「いったい何なんだ……」

 

 

 3

 熊笹の上に珠のような露が葉脈に伝って落ちる。

 樹皮に苔が蒸している。長い年月をかけて育ったのだろう、木々の匂いが格別に濃密である。冬が間近に迫りながらも、山はまだもう少しだけ眠りにつかない。

 

 常緑樹以外の木々は紅葉のあと、すでに枝から葉っぱが消えて裸の状態だる。その裸体を無数に晒した木々の中、大きな岩が一つ無造作にある。

 腰掛けるには些か厳しい印象をうける。――しかし、そこにやせ衰えた鶴のような老人が一人だけ薄着の格好で座っている。

 

 「オヤ……珍しいねぇ。どうも知っている気配だ」

 盲目の老人はそうつぶやきながら長い畸形な頭を、気配の先にむける。

 枯葉を踏みしだく音。一定の間隔をもって機械的な足運び。何の迷いもない雰囲気……。

間違いない。こんな面白い気配を放つ存在は一つしか知らない。

 

 「やあ、お前さんかい? 百鬼丸」

 老人は相手に気安くそう叫ぶ。叫びながら右手に荒縄に括った酒瓶をグビリと口に流し込む。口端から酒が溢れ、それを乱暴に反対の腕の袖口で拭う。

 

 

 「――流石ですね。この距離からバレましたか」

 遠く、斜面を駆け上ってきた百鬼丸は驚きながらも破顔した。それは懐かしい知人を発見した時独特の微笑であった。

 

 「お前さん、随分と成長したようじゃないか。このとおり、此方は目が見えないけどねぇ、お前さんの声で分かるよ」老人は唇を剥いてわらう。

 

 「流石に、貴方に隠し事なんてできると思ってませんよ」

 そう言って百鬼丸は老人の足元、岩のすぐ近くに歩み寄る。

 

 「――折り入ってお願いがあります〝師匠〟」

 百鬼丸は真面目な口調で頭を下げる。相手は目は見えていないが、そんな事は関係ない。誠意は行動で示さねばならないのだ。

 師匠、と呼ばれた老人は困ったように「ウーム」と唸りながら困ったように岩の上から飛び降りた。軽やかな身のこなしで、まるで重力など感じさせぬ風に、老人は着地する。

 

 「へぇ、この老人にもう一度頭を下げるのかい?」

 

 「――はい」

 

 「無理だねぇ、無理さ。前にも言っただろう? お前さんは一つ勘違いをしているよ。おれは別に剣の達人でもねぇ。それは前にもいっただろう?」

 

 「はい……。」

 

 「それでもおれを頼ろうってかい?」

 

 「はい」

 

 

 真摯な返答の様子に、流石に盲目の老人の返答を変えた。

 「……じゃあ、明日の朝。またここに来るんだ。そうすりゃあ、お前さんにいいものを見せてやるよ」

 キヒヒ、と不気味に笑いながら老人は青竹の杖を足先に出して、道を確認してから歩き出す。背中には大きな琵琶が担がれていた。

 

 

 すでに、空は真っ暗に染まりつつある。…………

 

 

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