刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第111話

 青垣の山々には低回する白霧が立ち込めていた。

 朝、と言っても未だ太陽は完全に昇っておらず、夜刻に近い。しかし、東の一隅から滲む茜の微光が木々の梢や山道の路上を照らし上げる。

 

 

 

  複雑な起伏の斜面の中腹。

 

 「……オオ、来たかい」禿頭の老人が、山の僅かに開けた場所から声をかけた。

 竹林、その陰から〝人〟の気配が感ぜられた。

 「――どうも」

 百鬼丸は軽く手を挙げながら含羞む。

 老人はニヤッ、と口元を歪めながら出迎えた。久方ぶりの再開を昨日果たした訳だが、どういう訳だか両者には時間の隔たりは感じられない。

 「それで師匠は……」

 「やめてくれ。おれはアンタの師匠じゃない。琵琶丸、と言えと前から言っているだろう?」

 

 老人の返答に対して困ったように肩をすくめる百鬼丸。

 「だって、貴方はおれに生きる道しるべをくれた人だから……」

 「そりゃあ、お前さんが勝手に見つけたもんだ。困るよ、こんな盲目のロクでなし老人をご大層に持ち上げられても」

 「……はぁ、分かりました」

 頑固一徹、というのは昔からの性分らしい。百鬼丸は感慨深げに、頸を振る。

 「……それより、お前さん。謝礼は分かっているね?」と、琵琶丸。

 まるで、その言葉を予期していたかのように百鬼丸は苦笑いを浮かべた。

 「はい。……お酒と、それから握り飯。これでいいですね?」

 担いでいたバックパックから取り出したのは、アルミホイルで包んだ握り飯と、一升瓶を差し出す。

 クンクン、と鼻を動かす琵琶丸。

 「ああ、よし。後で頂くよ。じゃあお前さんが欲しがっているモノを――そうさねぇ、〝生きる術〟を教えようかねぇ」

 干涸らびた唇を剥いて、歯抜けの歯茎をみせる。

 

 「よろしくお願いします」

 百鬼丸は丁重に頭を下げて、老人に謝意を示す。

 

 

 

 1

 ――俗に云う、『刀圏』を、この琵琶丸は教えるのだと云う。

 

 やや奥まった藪に進む老人の大きく曲がった背中を追ってゆく百鬼丸。珍しく冬蠅が飛んでいる。この時期にもこの場所にいるとは思わなかった。

 

 ピタッ、と足を止めた琵琶丸はおもむろに右手に持った細竹の杖を地面に投げ捨て、背中に担いだ大きな琵琶の鹿頸を握る。……この鹿頸とは、琵琶の涙型の胴体と絃を張る海老尾をつなぐ細長い部分である。

 

 

 その、鹿頸を一気に握ると、抜刀。

 

 ――刹那、振り下ろした右腕が風と共に消えた。

 

 ゆっくりと、何事もなかったかのように、琵琶丸は鹿頸を元の琵琶の胴体へと収める。

 

 刃の残影すら捉えることができなかった。

 

 ゴクリ……、思わず百鬼丸は生唾を呑んだ。余人であれば先程の奇妙な行動は理解できない。しかし、百鬼丸には先程の行動がどんな意味を有するか、即座に理解した。

 

 (冬蠅を真っ二つにしやがった!!)

 

 盲人である琵琶丸が、薄暗い山に漂う羽虫を一撃のもとに斬り伏せた。その証拠に、地面の落ち葉の上に蠅の死骸が縦に切断されて落ちている。

 

 「南無阿弥陀仏」と口で呟きながら琵琶丸は振り返る。

 

 「どうだい? 今、おれがなにをしたか分かるだろォ?」妙に間延びした語尾で、そう訊ねる。

 

 百鬼丸は無言で頷いた。あまりの神技に言葉を失ったのである。単なる抜刀術や居合術ではない、この琵琶丸という老人が固有で持つ、得体の知れない「何か」に恐れた為である。

 その様子は目が見えずとも、分かったらしい。老人は微かに口をひらく。

 「お前さん、今の一撃は単なるまぐれとも思わないだろォ? そうさ。じゃあ、今のワザの正体までは? そう、分からんのだな。ヒヒヒ、いいさ。いちど、その腰の刀で、おれを切り殺してみな」

 と、軽々しく告げた。

 

 「なっ……そんな事できる訳ないじゃないですか!?」

 怒鳴る。

 ……当然だ、百鬼丸が本気で打ち込めばこの琵琶丸は真っ二つに切断できる。その自信があった。

 

 だが。

 当の琵琶丸は飄々とした様子で、肩を竦めて「どうした?」と挑発する。

 

 「本当にいいんですね?」

 

 「ああ、当然さ」

 

 彼の言葉を合図に百鬼丸は、腰に佩いた《無銘刀》を鞘から抜き放つ。微かな太陽の光を反射した刀身は、赤く細い血管のようなものを、生々しく浮き上がらせていた。

 

 正眼に構え、剣先を老人に合わせる。

 

 

 臨戦態勢に入ったことを確認すると、老人は俄に、

 「いつでも、どうぞ」老人はいう。

 

 

 ゴクリ、再び百鬼丸は喉を鳴らす。刃を抜き放ったその瞬間から、彼の体は硬直してしまったのである! 理由は分からない。だが、確かに剣で相手を斬り伏せるイメージをしたのだ!

 

 しかし、構える様子すら見せない小柄な老人一人を相手に、なぜだか百鬼丸は攻撃すらできずにいた。

 

 十秒、二十秒……三十秒。刻々と時間だけが過ぎてゆく。

 

 「……っ、くっ」 

 足裏が杭で磔になったみたいに動かない。脂汗と冷や汗が交互に体を湿らす。呼吸の間隔は短く、浅い。

 知らず、知らず、指先は小刻みに震えた。

 

 「ヒヒヒ……おめえさん。どうしたい? ええ? まさかこんな老いぼれ一人もロクに相手できないのかい?」

 琵琶丸は面白そうに、そう言って嘲笑った。その笑いの中にはなぜ百鬼丸が打ち込めないかも知っていて、皮肉を込めた口調である。

 

 

 この無防備な老人は、盲人である。目が見えないから背後からの不意打ちも、投石ですら可能だ。色々に嬲り殺しにもできるだろう。だのに、指一本動かせない。

 

 この老人へ攻撃を仕掛けようものならば、即座に切り刻まれる自分の「イメージ」が無数に繰り返された! しかも、何度も異なる方法でイメージしても必ず死ぬ。

 

 (なんでなんだ……!?)

 

 剣圧、ともまた違う独特の雰囲気。老人の周囲にまとわり付く空気が、ほかの外気とは異質である。近寄れば裁縫針のようにチクチクと緊張で皮膚が痛み、更に近寄ると確実に仕留められる――そう本能で悟るのだ。

 

 

 …………やがて、百鬼丸は精神的に参ってしまい両膝からがくっと崩れ落ちた。

 

 「どうして、なんで打ち込めなかったんですか」

 弱々しく言った。

 

 情けない、とも思わなかった。ちっぽけなプライドすら浮かばぬほど完膚なきまでに百鬼丸は負けたのだ。

 

 顔を上げると、琵琶丸は「ヒヒヒ……お前さん、優秀だねぇ。わかったかい? 〝コレ〟の片鱗を」

 

 〝これ〟と言った琵琶丸は、纏っていた鋭い空気を緩めた。

 

 「それは一体何なんですか?」

 百鬼丸はよろめきながらも立ち上がった。久しぶりに闘いで恐怖を感じてしまったらしい。

 

 「ム、言葉にするのは難しいがねぇ。そうさねぇ、一言でいえば《刀圏》かねぇ」

 

 「《刀圏》ですか?」怪訝な声で百鬼丸はきく。

 

 

 

 「ウム」と頷いた琵琶丸は先程地面に捨てた細竹の杖を広い、いま立っている地点を固定位置にグルリと一回転する。地面には円形が描かれた。

 

 「? なんですか、それは?」

 

 「ヒヒヒ、お前さんも鈍いねぇ、これが今いった《刀圏》のタネ明かしさ。ここの円から内側はコッチの領分――つまり、どんな存在も切り伏せることができるのさ。まさに必殺の領域だ」

 

 ――その言葉を裏付けるように、冬蠅を両断し、百鬼丸も実際に対峙して分かった。何度イメージしても相手に近づくことすらできない事に。

 

 

 「居合の間合いもあるだろうがねぇ、おれなんかは、主に《音》さ。目が見えない分は第六感……って奴かねぇ? それで補う。目が見えない分も分かるんだよ。この力は、いいかい? 諸刃の剣だ。お前さんならば、すぐに習得できるだろうがね。どう使うか? それが問題さ」

 

 

 

 

 百鬼丸は握っていた《無銘刀》を見やる。禍々しい紅の光を放つこの妖刀だけでも相当な力だ。しかも左腕には別の《無銘刀》が収まっている。やろうと思えば、どんな方法でも思いつく。しかし、彼の言うとおり、自分をつよく持たなければいずれ生き物を無差別に殺し尽くすだろう未来が容易に想像できた。

 

 

 「ま、おれはお前さんには教えないよ。実際に自分で獲得するんだな。――じゃあ、駄賃を頂いて行くとするかねぇ」

 ヒヒヒ、と引き笑いしながら老人はいった。

 

 2

 

 どっと、疲れが百鬼丸の全身を襲う。

 立ち去ったあとの琵琶丸の立っていた場所に実際、自分も立つ。地面に視線をやると半径五〇~六〇センチほど。これが《刀圏》だというのか?

 実際の力を未だ秘めていそうな老人のことだ。あれが本領ではないだろう。

 

 ――お前さんはまずは、その範囲からだ

 

 と、暗に言われたような気がしてならなかった。

 

 『わぁあ! ねぇ、今のすごい! もう一回みせてくれるかな? お願い!』

 

 ふと、可奈美の元気すぎてうるさい声が甦った。

 

 「くっ、……ははは。あいつなら絶対に師匠にしつこくせがむだろうなぁ。あの老獪な顔が迷惑そうに歪むのが見えるぜ」百鬼丸はくくくっ、と肩を震わせて笑った。

 

 剣術の申し子とも言える彼女の事だ。きっと、先程の剣圧をも恐怖と同時に興味をもって立ち向かうだろう。そして必ず自分のものにしてしまう……そんな才能が彼女にはある。

 

 

 

 「…………さて、少し練習したら、帰って手記でも資料でも探すかね」

 百鬼丸は、ポツリ呟いてから鞘に収まった《無銘刀》の柄を握る。腰を低く落とし、膝を曲げて周囲へ神経を張り巡らす。

 

 耳、鼻、口……。皮膚、その他全ての感覚神経を総動員して緊張を高める。

 

 ヴォン、という豪快な音と共に斬撃が空気を盛大に切り裂く。だが百鬼丸は納得できぬ顔で頸をひねる。余りに余分な力が入ってしまい、空気の抵抗を最大限に感じる。あの老人の場合は全く空気と同化しているように見えたのに。

 

 「訓練が必要だな」

 ガリガリと頭を掻きながら剣をチンと収める。

 直後――、先程の斬撃の空気波動によって輪切りになった竹が一斉に地面に落ちて突き刺さる。

 

 

 「チッ、蠅の一匹も満足に仕留められんのか……。」

 鼻先を掠める羽虫を一瞥しながら苦々しくいった。

 

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