《拵》――、とは、本来的に刀剣の外装を指した。
故に、時代の変遷と共にその様相は変化した。特に、この《拵》とは江戸期に一般化された用語である。
木寅ミルヤは北欧系のハーフである。
彼女もまた、刀使として京都綾小路武芸学舎に所属していた。
趣味、というかライフワークの刀剣類カタログの鑑賞も今は気がそぞろになる。
理由は所謂、「学長命令」によって綾小路に所属する刀使の非常呼集がかかった。しかも、その学長は人事変更により、更に混乱を加速させていた。
鎌府から京都に向けての送迎用バスで絶えず考えていた事は、とにかく現在の綾小路の現状を把握すること……それだけに一縷の望みのようなものを抱いていた。
(調査隊と一旦離れるのは心苦しいですが……、舞草経由の情報では綾小路は完全に孤立している。原因を明らかにしなければ)
と、事態を憂慮していた。
◇
一種、異様なまでの静けさが校舎を包み込んでいた。
余りに静かで、綾小路に存在する刀使科以外の学生たちの姿が見えない。……まず、初めに感じた違和感はそこだった。
そして、次に感じた違和感は――いいや、不信感は学内の式典用に装飾された様子である。まるで、荘厳な儀式でも執り行うかのように古い校舎を垂れ幕を含め、飾り立てられている。
「妙、というよりもここまで来ると、嫌な予感が確信に変わりますね」
メガネをかけ直し、息を吐く。
白銀に霙のような青系統の長い髪質をなびかせ、理知的な端正な顔を微かに歪める。
明らかに、学内の様子がおかしい。
だというのに、時々すれ違う生徒はまるで満ち足りた顔をして挨拶をしてくる。不自然という他ない。
バスでの長旅の疲労は忘れ、とにかく刀剣類管理局への連絡の為に仔細に学校の様子を見聞することに決めた。
木造の校舎棟は、塗り直したニスの匂いがした。
時々、廊下の床板はギシィ、と軋む音を立てる。
と、前方から中等部らしき背丈の初々しい少女の影が捉えられた。
「あ、木寅先輩ですか!?」
朗々とした声音は、微笑ましい。
ふと、俯き加減の顔を上げると好奇心に開かれた大きな瞳の少女がいた。目立つ腰には《御刀》を下げていた。――後輩の刀使であろう。
納得すると、
「ええ、私は木寅ミルヤですが……失礼ですが貴女は?」尋ねる。
誰何された相手はキョトン、として「あ、そっか!」と悪戯っ子ぽく舌を出す。
「わたし、内里歩って言います!! 噂には聞いてたんですけど、身長が高くて本当に美人さんなんですね!」
キラキラとした眼差しで、見上げられている。
「あ、ありがとうございます。貴女は中等部の生徒、いえ刀使ですね?」
「はい! 木寅先輩もこれから〝面談〟に行かれるんですよね?」
(面談?)
歩の放った単語に敏感になった。
「その、面談というのは具体的に教えていただけませんか?」
思わず、大きい声で訊ねる。
その勢いに押され、歩は頷く。
「確か、学長――あ、今は高津学長なんですけど、面談をして近衛隊に入隊できるかの検査を受けるんですよ。実はわたしも近衛隊に入隊したんですよ! えへへ」
自慢げに含羞む少女の表情は純粋そのもので、まるでおかしな言動などは見受けられない。
「綾小路の刀使は皆、検査を受けたのでしょうか?」
「はい? 詳しくはわかりませんけど、多分……。」
では、益々自分が除外される意味というのが分からない。適正資格検査範囲は「綾小路の刀使」であろう。で、あれば――。
舞草に関係する人間を特定した、という事以外に理由はない。
不吉な予想が脳裏に浮かんだ瞬間にミルヤは、
「ありがとうございました。では」
強引に会話を切り上げると彼女は足早に学長室を目指した。
(という事は、鈴本葉菜が危うい……。いいえ、もう既に……。)
メガネが鈍く光を反射した。
その背中を見送りながら歩は、
「――じゃあ、木寅先輩頑張って下さい♪ ふふっ……」口端を歪めた。
先程の純真無垢な少女の表情はなく、どこか不気味で妖艶で、残忍な橙の瞳が現れた。
2
「どうだ、百鬼丸。何か分かったか?」
不安げに眉を上げながら十条姫和が問う。
重箱の中から引っ張り出した紙束は、柊篝の残した資料である。
百鬼丸は軽く紙面に目を走らせながら冷静な視線で、鼻を鳴らす。
「なんだこりゃあ。おれの勘違いだったみたいだな。単なる業務連絡みたいな内容だな。はは……。」
百鬼丸はそう言いながら紙束をクシャクシャに丸めてポケットに突っ込む。
「なっ――、私にもその内容を見せろ。母の残した手掛かりを……」
少女が伸ばした手を見た途端、
「姫和!!」
珍しく百鬼丸が大声で怒鳴る。その、声音の厳しさに他の二人である岩倉早苗と五条いろはも身を固くした。
長い沈黙。
その後、ようやく百鬼丸が穏やかな口調で、
「――あとで終わったらお前に返すからさ、今はダメだ」
微笑んで、姫和の頭をポンポンと撫でた。
義妹に嫌われるから止めた方がいいと言われた行為だったが彼は無意識に行っていた。
だが、そんな些細なことすら気にならない位に姫和は戸惑っていた。
「な、なぜだ? 私にも関係がある内容ではないのか?」
「ない。だからこれ以上は言えない。悪いけどおれは鎌府に戻るよ。な」
ポケットに手を突っ込みながら土蔵の出口に歩き出した。
「……っ、私はお前の信用に値しないのか!?」
寡黙になった少年の背中に、必死の問いを投げかける。
百鬼丸は木の階段の途中で足止め、肩越しに顔を覗かせる。
「そういうんじゃねーよ。ただ、これはおれの個人的なお話さ」
無造作に束ねた黒髪を翻して百鬼丸は歩調を変えず出口から姿を消した――。あとに残された姫和は呆然と立ち尽くし、俯く。
「何なんだ、奴は……」
下唇を噛み締めながら姫和は呟く。それは、自分を頼りにされないことへの遣る瀬無さと同時に、彼が再び自信のカルマと向き合う孤独で悲愴な決意を知った為である。
(まるであの時の私みたいじゃないか……。)
知らず知らず、右手の拳に力が篭る。
「十条さん」
早苗は、姫和の肩に優しく手を置く。
「ああ、済まない。私も取り乱した……」
その後の言葉が接げずにいた。何かを言おうとしても、結局自分が惨めになるだけだった。初めて誰かの力になりたいと思える相手だった。純粋に使命を果たそうとする姿は共感できたし、これまでも幾度か命を救われた――。
なのに、肝心な時にはかける言葉一つなかった。
「姫和ちゃん……」
心配になって声をかけたいろは。
姫和は顔を上げて、無理に作り笑いをする。
「皮肉、ですね。嫌いだった特別な力があるから力を憎んでいたのに……今の私はそれに縋ろうとしているんです……」
開いた掌から感じる血脈。
二人の心配そうな視線に耐えかねたように、
「大丈夫です。落ち着いたら私も準備します」微笑む。
首を振って、普段通りに振舞う。
たった一晩だけ、百鬼丸と過ごした時間が嘘のようだった。それは、相手の真意を理解しようと距離が縮まると思った――だが、彼の抱える何らかの業故に、大きな溝となった。
大丈夫、私は…………。
姫和はひとり、言い聞かせる。複雑に絡み合った感情の糸を丹念に解くように、呼吸する。
誰かの助けになる、なりたいと思えた。とにかく、今の自分にできる事は刀使としての責務だけなのだ……。紅の瞳に、新たな弱々しい決意が滲んだ。
たった一晩だけだったが、あの時に交わした会話で流れ込んだ温かな気持ちは、嘘ではないと思う。そう信じることにした。
◇
《いいのかい? あのお嬢さんに内容を教えなくて?》
久しぶりに、心臓の辺りから声が響いた。
レイリー・ブラッド・ジョー。かつて大量殺人でこの世を恐慌に陥れた人物である。彼は現在百鬼丸の心臓にその人格を残すのみであった。
小高い山々の杉林の梢を足場に新型加速装置の性能を確かめるように、空中を飛ぶように移動していた。連続する短い加速で飛空距離を稼ぎながら躰を慣らしてゆく。空を切る風が心地よく頬も冷たくなる。
「ああ……。別にアイツにも、アイツらにも教える義理もないからな」
《へぇ、そりゃまたなんでだい?》
「おれが単に嫌なんだ。誰かにおれの問題を背負わせるのも、背負われるのも……。」
その言葉に偽りはない。ただ、あの別れ際に見てしまった姫和の悲痛な表情だけは、脳裏にこびりついて離れない。胸がチクリと痛む。
「とにかくダメなんだ」イヤな記憶を払拭するように、弁解するように呟く。
――誰かが傷つくのだけはもう二度と御免なんだ。
少女は、母の己の身に降りかかる「運命」という巨大な手から逃れたいと思い、半ば諦めてもいた。
「こんなクソみたいな運命、おれ一匹で十分なんだ……。」
胸の辺りを右手で握り締めながら、静かにいう。
百鬼丸は鎌府より先、東京を目指す。――否、具体的には東京の地下空間に拡がる巨大な地下要塞に向けて。