刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第115話

 「天は二物を与えず、とはよく言ったものだな」

 と、嘲るように十臓は嘯いた。彼の野性味溢れる横顔から一瞬だけ、憂鬱の影がさした。天井に吊られた裸電球によって顔のパーツは影を勃然と浮き上がらせた。

 「お前も、俺と似たような病を患っていたらしいな……」そう言いながら目前に膝を抱えて座る少女へ視線を投げる。

 

 「――――。」

 少女は、興味なさげに鋭い眼光の方へと無意識的に頭を動かす。

 「おじさんは……どうして戦うの?」

 折神家親衛隊第四席にして、最年少かつ最強……そう謳われた燕結芽は抜け殻のような状態だった。あれほど身を焦がした闘いについて、今は興味すら湧かなくなっていたのだ。

 

 信じたかった相手の真意が結局解らなくなった。それと同時に、自分自信が相手を裏切ってしまった事実に、懊悩が絶え間なく去来し続けていた。

 

 しかし、男はそれには無頓着だった。

 外道の道に堕ちた男、腑破十臓は口端を残忍に曲げて何度か面白そうに頷く。

 「俺は身を焦がすような闘いを生前にできなかった。だから――俺はかりそめの肉体を得た以上、戦う。それが敗北であろうと何であろうと受け入れたい。この血肉が俺に殺し合いを求め命じているんだ」

 「…………。」

 瞳の色彩を欠いたまま、結芽は目を更に細める。

 「俺は強かった。刀であれば誰にも負けるとは思わなかった。殺しであれば恐らく天下でも俺は最強だった。――だが、俺にとって太平の世の中なんぞ呪いだった。なぜ俺より強い相手が……俺の病などなく、思う存分殺し合うことができないのか……そればかりを地獄でも呪い続けた」

 

 

 その語り口こそ素朴だったが、それゆえに真実味があった。

 何よりも、呼吸器関係の病で命の危機を体験した燕結芽であれば尚更である。

 ぴくりっ、と指先が動いた。

 「……私だって、誰かの記憶に〝私〟を刻めればいいってずっと思ってた。あの時、パパもママも誰も来てくれなくて――紫様が来てくれた時に、『ノロ』で自分の最期を決めることができたんだ」

 

 自分自身で生きる期限を設定し、刃を振るう。

 〝ただ己の存在のみ〟を周囲に見せびらかすように。

 

 多くの者を押しのけ、踏み潰しても構わない。それでも、自分が「ここにいた」ことだけを知って欲しかった。恨まれる方が、忘れられるよりも何倍もいいと思っていた。

 

 だが、それが今は違う。

 

 

 ――誰かに、会いたい。

 

 生きる時間を与えられた瞬間、次々と思いが溢れて止まらなかった。

 

 この殺風景な空間に一人取り残されて思い出した。あの無機質な、マッチ箱のように小さな病室に、この部屋も似ていたことを。

 

 あの時も、ひとりぼっちの空間が怖かった。知らない大人が怖かった。

 

 誰も来ない、周りは誰も知らない。誰も、誰も、誰も…………。

 

 

 十臓は少女の懊悩などお構いなしに、前傾姿勢で瞳に青白い底光りを湛えていた。

 「百鬼丸に可奈美。この世界には殺し合うに足る存在が多くて、退屈はしない」と、そう断言する。

 

 「私だって舞草の里で百鬼丸おにーさんと戦ったもん」

 

 そう言った直後、

 「……っ」

 燕結芽は、胸の辺りに襲う締められる痛みを感じた。

 一瞬、病の事が頭を過ぎったが、しかしこの感覚はどうやら少し違う。

 親衛隊の面々、折神紫、その他関係する人々との記憶が蘇る度に、この痛みは増す。――何よりも、自らの命を救うため肉体を対価に支払った少年の、別れ際の顔が瞼裏に浮かぶ。

 饐えた臭い。血みどろに塗れたような汚い姿。

結芽の鈍っていた感情が再び、ゆっくりと動く気がした。

(百鬼丸おにーさん……。)

なぜ、自分はあの時百鬼丸に対して別れを告げてしまったのだろう?

ああして、血みどろになって地面に這いつくばってでも手を伸ばしてくれた少年の顔に嘘偽りはなかった――だからこそ、〝たまたま刀使だから救われた〟という事実がショックだった。

 

(パパもママも私が刀使だったから、〝私〟の事が好きだったんだ……。)

内心でポツり呟く。

 

最年少で刀使になり、しかも強かったからこそ、自分には「意味」があった……。だけど、病気で二度と剣を握れない躰になったとき既に「私」は必要がなくなった……。

刀使だったから〝意味〟があったんだ。

 

そう、あの〝百鬼丸〟でさえ――。

 

 

舞草の里の拠点襲撃当夜、初めて交わした百鬼丸の刃は心の底から痺れた。あの時には「本当に死んでもいい」とすら思えた。

乱暴な剣戟だったが、それでも確かに伝わる力強さ。まだ何者にも侵されない純真無垢な腕力により振り下ろされる刃。

――きっと、こんな人なら私を忘れない

そう強く思うことだってできた。……その筈だった。

 

けれども、今はそれだけでは足りない――と結芽は思う。

 

たった半日だけ過ごした今なら解る。憧れていた百鬼丸という少年は、思い描いていた理想は崩れていった。しかし、等身大の少年としての彼は、常識足らずで無知で、頼りなく、猥雑で無神経な……それでも、そんないい加減だったから目が離せなくなった。

 

「百鬼丸おにーさん、私どうしたらいいの……」

浅縹色の瞳にうっすら潤みが拡がり満ちる。

ぐちゃぐちゃになった感情が、幾度もの後悔と苦い記憶と、煩悶を繰り返す。まるで炙られるような感覚。

 

 もしも、あの時必要とされなくても。

 もしも、刀使だから救われたのだとしても。

 もしも、偶然私だったとしても。

 

 もう一度だけ会いたい、そう痛切に思えた。

 

 〝いまから結芽を助けるからな、待ってろよ――〟

 

 不意に、あの生死の境を彷徨った日に告げられた百鬼丸の言葉が甦った。

あの日の夜、彼の表情はこの上なく柔和で穏やかだった。まるで、失う事に一切の恐怖がないみたいに。

長い睫毛が震えた。

「百鬼丸おにーさん……」

胸の奥の辺りが、曖昧な甘い痛みに締められる。病とは異なる、自覚のある痛み。呼吸するたびに喉の辺りも柔らかな締めつけを味わう。

どうして、大事にしたいと思える人に心無い言葉を言ってしまったのだろう。本当はもっと大切にしたいのに。……こんな筈じゃなかった、っていつも失敗してから後悔するんだろう。

「いたいよぉ……」

裏切られたと思っていた。自分ではなく、刀使という肩書きで助けてくれたのだと思っていた。

 

『よく頑張ったな』

朦朧とした意識の中、唯一覚えている光景は片目から血涙を垂れ流しながら、目玉を自力で抉り出して対価に差し出し、それでも尚微笑む顔だった。

無骨な手で頭を撫でる、その人の姿だった。

 

 

 

刀使という存在だったから――それでもいい。

特別だったからでもいい。

――ただ、それでも痛切に願わずにはいられなかった。

 

「百鬼丸おにーさんに会いたいよぉ……」

無意識に言葉にしていた。

 

また裏切られるのかもしれない。また、悲嘆の底に暮れて過ごすのかもしれない。――孤独な日々を無為に過ごすのかもしれない。

それでも、もう一度会って謝ってまた剣を合わせて……、今度こそ強く「燕結芽」という人間がいたことを強く記憶に刻みつけるんだ。

 

 

 少女の無意識の呟きを聞いた十臓は「ふっ」と不敵に笑みをこぼす。

 「そのためにお前をここに連れてきた。奴は必ずくる。――そして、俺は奴を殺す」

 と、宣言した。

 

 まるで、待ち焦がれるように……。

 

 

 

 両者の間には、それ以後会話はなかった。

 

 沈黙というよりも、犯しがたい無音。不気味な空気の均衡を破ったのは外部者だった。

 

 

 『見張りの交代の時間だ』

 と、扉の向こうから声がした。

 

 「!!??」

 結芽の瞳に光が甦った。焦点の合った眼差しで、扉へと意識が集中する。

 この声は聞き覚えがあった。

 

 気が付くと、結芽は歩き出していた。躰が声の方向へと導かれるようだった。

ドアの把手に触れると、ひんやりとした感触が掌全体に伝う。……

 更にドアの細長い磨硝子から奥部にはもう一つ、扉の輪郭があった。その奥には確かに人の気配が感じられる。

 

 (百鬼丸おにーさん?)

 まさか、有り得ない。そう何度も理性が警報を鳴らすのだが、しかし本能の部分には逆らえなかった。

 扉を引くと目前には「何者か」の気配に満ちていた。

 

 「……脱走しようとしたのか?」

 その声は疑いようもない、百鬼丸のものだった。目線を上げると、新雪のように真っ白な淡い輝きが視界を覆う。

 

 「百鬼丸おにーさん?」不意に口をついて、尋ねていた。

 

 間違いない、顔立ちといい雰囲気といい佇まいといい全てが百鬼丸と同じだった――ただ、真っ白い髪と肌、そして橙色の瞳でなければ。

 

 百鬼丸に似た何かは、首を傾げ、それから「ああ」と気がついたかのように哄笑し始めた。

 「そうか、奴は――あの出来損ないは〝百鬼丸〟と名乗っていたのだな。ふむ。俺は違う。俺は〝贄(ニエ)〟だ」

 

 純白の長い髪の毛の間から覗く双眸には「百鬼丸」という相手への憎悪が溢れていた。

 

 

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