刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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第116話

 防風林の連なる浜辺で、波の音に紛れて悶絶する声が聞こえた。

 『あぁあああああああああああああああああああああ――――』

 喉を潰さんとする〝音〟

激痛が血管の中で凶悪に暴れまわる……。

 首筋や腕、大腿部に至るまで躰の隅々の血管が青筋を立てて浮き彫りとなっていた。常人では到底失神する殺人的な痛みを堪える少年が、居た。

 「ガァぁああああああああああ、ッ、ッッ、殺してくれェッ!!!!!」

 初めてとも言える種類の痛み。

 普段は弱音を吐かない少年ですらも耐え切れない、苦痛。ただ生きていることを呪い、自らの死を願うほどの即ブツ的な痛み。

 拷問とも思えるような時間を過ごしている。彼の手には《無銘刀》が握られていた。この刀は初代百鬼丸の退治した妖魔の血液が数千数万ともいう数で染み付いている。――当然その怨嗟や恨み呪いも同様である。

 この刀は、相手の妖気や特殊なエネルギーを吸い取る。

 《生命力》を吸い取ることによってこの刃は無限ともいえる切れ味を保つ。この刃に切断できないものなどない――。

 だが当たり前の話であるが、世の中にそんなうまい話などない。

 この妖刀《無銘刀》がなぜ危ういのか?

 結論から言おう。

 持ち主の「理性」や「自我」を蝕む。いずれは『人成らざるモノ』へと変質を促す。

 それ故、凶悪な武器足り得る。

 「がぁ……はぁ……ッ、ゴホッ、ゴホッ……。最低の気分だ」

 脂汗を顔面に流しながら頭を垂れて、呟く。

 これまで味わった激痛とは格段に違う、そして精神にも肉体にも辛い激痛だった。

 以前、研究所をジャグラーという男に襲われた際に、百鬼丸は《無銘刀》に自らの理性や自我の二〇パーセントを惜しげもなく分け与えた。

 そのツケは、日を追う事に増していった。

 まず、自分自身が「百鬼丸」という存在であることの認識が難しくなっているのだ。

 ついで、睡眠をする際にも無意識に躰が動かないように熟睡は避ける。

 魑魅魍魎が絶えず百鬼丸の脳内も体内も、蝕み血肉を啜るように生気を喰らい尽くす。化物を殺すことができなければ、《無銘刀》のお食事は百鬼丸という結論に達する。

 

 

 ようやく激痛が鎮り、大きく肩で息をつきながら百鬼丸は砂浜の砂粒子を頬に貼り付けて立ち上がる。

 酷い吐き気を催した。だが事前に食事などは摂っていない為に、胃袋は水分と胃液だけで満たされている。

 

 吐き出すのはいつも酸っぱくて温かい水だけ――。

 

 

 衣服は満遍なく汗に濡れている。現在は初冬の季節であるが、彼にとっては関係がない。身悶えする程の激痛は季節すら忘れさせてくれるらしい。

 

 「ッチ、糞っ!! 荒魂を無視して急いでたらコイツにむしゃむしゃ喰われるとはなッ!!」

 苛立ち紛れに砂を蹴飛ばす。夜の海は墨を満々と湛えたように暗く何も見えない。

 激しい海風は今、吹き付けてこない。

 代わりに心臓の動悸が激しくなる。

 

 《ははは、全く百鬼丸くんはおっちょこちょいだねぇ》

 

 その心臓の辺りから声が響く。

 稀代の殺人テロリスト、レイリー・ブラッド・ジョーがカラカラと笑う。

 

 「うるせぇ! 冗談じゃねーよ」

 

 《でもまあ、他人に見られなくてよかったとも思っているだろう? あはは、面白いモルモット……もとい、研究対象だ。つくづく自分の躰が失われたことを悔やむよ》

 

 ジョーは、陽気な声で冷淡な内容を告げる。

 

 「……てめぇは今利用価値があるから活かしているんだ。いずれテメェは消す。いいな?」

 

 《ああ、勿論。だが、宇宙の真理を解き明かすまでは消えないけどねぇ》

 不敵な、不遜な態度である。

 

 「…………。」

 このマッドサイエンティスト具合には百鬼丸も閉口するしかなかった。

 

 《しかし、そのちっぽけな男としてのプライドは評価してもいいと思っているよ》

 

 「嬉しくねぇよ別に……」

 まだ、さっき叫んだ影響で喉の粘膜がヒリヒリする。

 

 《しかし不思議だね。キミは刀使なら誰でもいいのかい? 理解できないな。誰かを選別して助ける方法もあるだろうに》

 

 「……いやだ。おれはおれのやり方がある」

 

 あくまで譲る気配はない。

 

 《だとすれば、愚か者だと思うがね。この世の全員を救えないように、キミも全知全能の神ではないんだがね》

 

 「知ってる。おれは化物だ。理解している」

 

 《あははは、滑稽だよ百鬼丸くん!!》

 

 「滑稽だろうがなんだろうがいい! おれは、守りたい相手に弱音を見せたり今みたいな醜態を晒したくないだけだ! 他人がいくらおれのやり方を批判しようが構わん」

 

 傲然と言い放ち、百鬼丸は片足の単発の連続式加速装置の起動を確認する。キィィィン、という耳障りな音色と共に、リボルバー方式の加速装置を手で軽く触れる。

 

 

 長い前髪が顔に垂れる。

 「ダッセェな、おれ……」

 俯き加減にポツリ、呟く。

 

 誰かを救いたいと思ってきた。――だが、その「誰か」も当たり前だが個人である。独立した一人の人間なのだ。それが理解できなかった自分が心底情けない。これまでの経歴をくどくど述べ立てて言い訳する性分ではない。

 ただ、己の過ちを繰り返さないようにするだけだ。

 百鬼丸は、自らに喝を入れるように両頬を思い切り叩く。

 

 「ヨォッし、行くか!!」

 

 百鬼丸という少年は、己に加わる〝痛み〟には耐えられる――そう自分を解釈していた。だからどんな時でも「おれ」は強い、という自負心につながっていた。

 

 ……だれも救えてないじゃないか。

 

 心の奥底では、誰かを救った気になっていたんだ。それが今まで荒魂を退治してきた生き方の根本だった。誰にも頼らず、誰にも支えられない。……それで結構だ。

 人間は薄汚い。すぐに裏切る、自分たちの都合の悪いことは全て隠す。人間社会では同調圧力によって異端は排除される。

 

 正直、人間にいい印象なんてこれっぽっちもない。

 

 百鬼丸はそう断ずる。

 

 ――と、同時に刀使は救う対象である。

 

 それが至上命題だった。彼女たちは普通の人間と一線を画する存在である。

 

 だからどんな痛みだって耐えられる。どんなに人に謗られても構わない。ただ、刀使に――拒絶された時、自分という存在を見失いそうになった。

 

 

 百鬼丸の右手には十条姫和の母、柊篝が記した「手記」が握られている。この内容が事実であれば、誰にも知られたくない……。

 少年は複雑な心境を抱えながらも、口端に残った涎を拭う。

 

 腕を夜空の雲に隠れた月に向け、拳を突き出す。

 「待ってろ、燕結芽。お前を助け出して……そんでもって、ええっと……多分、剣術の相手をして……そんでもって……ううんと……」

 言葉が上手く紡げず、呂律が回っていない。白痴のような語り口調になってしまった。

 

 「と、とにかくだ! おれはやってやる!」

 口を真一文字に結んで、精神を高める。

 

 《あははは……キミにはアジテーションの才能とかもないようだね。安心したよ。キミは誰かを扇動する人間ではないみたいだ》

 「うっせーよバカ野郎」

 急に気恥ずかしくなって、胸の辺りをドンと拳で叩く。

 

 

懲りない奴だ。ゴキブリ並みの生命力と不屈の精神力が彼――百鬼丸をここまで連れてきた。あるいは、強者であるという事は案外簡単なのかもしれない。しかし「強者で」あり続けることは難しい。

 それを事も無げにクリアする百鬼丸には未だ秘密があるだろう、と心臓に寄生した人格体のジョーは思った。

 

 

 

 2

 

 「はぁ……はぁ……ッ、くっ」

 木寅ミルヤは荒い息を吐き出しながら、切りつけられた左腕の止血を試みる。

 溢れる鮮血が掌を温く充す。

 眼鏡の片方のレンズがひび割れていた。綾小路の制服はアチコチ泥で汚れていた。それでも尚、気力だけでミルヤは立っていた。

 

 「――なるほど、もう確信しました。綾小路で高津学長が何をしようとしているのか……」

 右手に掴んだ御刀の重量が普段よりも重く感じる。気を抜くと、倒れてしまいそうだった。

 夜の山、低潅木が足元を塞ぐ。左右に無造作に生い茂った木々。星の薄い光が周囲を仄かに照らす。冷気は冴えて、空気をクリアにする。

 

 『ミルヤさん逃げてばっかりだと、ここから生き残って情報を伝えられませんよ?』

 聞き覚えのある人物の声。

 

 「――洗脳というのは恐ろしいものですね」皮肉っぽく揶揄する。

 

 追っ手は、ミルヤとの距離を縮めようとして足を止めた。

 

 『――――ッ、僕が洗脳されているって本気で思ってるんですか』

 怒気を孕んだ、静かな口調。

 相手の心理を揺らがせた所で、ミルヤは口を苦々しく曲げた。

 

 「こんな事は言いたくありませんが、真実です」

 

 その迷いのない言葉に、追っ手の人物は激昂した。

 「…………いつも、そうやって全部明確に全てが見えるなんて、流石ミルヤさんなんですね」

 木の陰から姿を現したのは、消息を絶った筈の鈴本葉菜であった。彼女は淡々とした声で「どうして、そんなに逃げるんですか? 戦わないと、僕を倒せませんよ?」挑発する。

 

 「鈴本葉菜、あなたとは戦いたくない!!」

 呼気を整えながらミルヤは本心から叫んだ。

 

 

 「ふっ、未だにこの状況でそんな事いうんですね。もしかして刀使としての能力を疑ってるんですか? 諜報員だからって僕が弱いって見くびってますか?」

 その表情は、恨みのこもった怒りで満ちていた。

 

 「――ち、違いま」

 

 「黙って下さい!! 分かりました。僕の本当の実力でお相手しますから……」

 

 少女はむき出しの刃を頭上に掲げる。

 

 

 

 3

 

 整然と並ぶ細長い窓から射す午後の日差し――。

 

 いつもの綾小路の廊下とは違う、不気味な気配――。

 先程の内里歩の言葉が事実であれば、恐らく鈴本葉菜はもう……相手の術中にあるだろう。

 

 ミルヤは、歩きながら最悪の事態を想定していた。

 

 長い廊下、その角に人気がある。

 

 ピタッ、と足を止めて不意に腰の刀に意識を向けるミルヤ。

 

 「あ、ミルヤさん」

 

 その人影は、人懐っこそうに駆け寄ってきた。

 

 「な、なぜここに居るのです鈴本葉菜!!」

 

 舞草の諜報員として潜入し、定時連絡を絶ってから消息不明になった少女。彼女が今、目の前にいる。

 「だ、大丈夫だったのですか?」

 相手の両肩を掴み、怪我がないか確かめる。

 

 「……すいません、連絡できなくて。多分心配させちゃったと思うんですけど……平気ですよ」

 

 (連絡もできないほどに警戒網が厳しい……と。)

 彼女の態度から、おおよその見当をつけた。

 「なるほど、貴女も大変だったのですね」と、安堵の息を洩らすミルヤ。

 

 葉菜は、咲き誇る笑顔で頷いた。

 「――はい」

 

 その余りに裏表のない返答を、おかしいと思うべきだった――ミルヤは、この時の事を思い出す度に後悔した。

 

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