スロープ状の緩やかな道路が重なる首都高――。ある区間にはトンネルがあるが、その直前に中央分離帯があり、その奥にはトンネルの隔壁がある。歩道沿いにしばらくゆくと、暗闇が濃くなる。……地面もそれに従い、下降してゆくのだ。
刀剣類管理局の所有する乗用車で現場まできた……。
折神家の元親衛隊も今となっては権威が消えて皆無に等しい。真庭本部長の指示によってようやく現場にこられた有様である。
(つくづく世の中というのは難しいですわね……。)
親衛隊元第二席、此花寿々花は内心で愚痴を零す。
乗用車から降り、小さなバックパックを背負い歩き出した。……古地図の通り経路は変わっていないようだ。軍用の懐中電灯を灯す。
強烈な、昼間のような白光を放つ。遠く後方で車両の無数に往来する音が轟音のように鳴り響く。まるで怪物の唸り声のようだった。
ふと、静かな人物に気がついた。
「どうされましたの、真希さん」
寿々花は、無限に続く階段の下に蟠った矩形の闇を覗いながら訊ねた。
隣に佇んだ中性的な少女は、凛々しい声で「いいや」と弱気を否定する。
「――もしも、本当にここに結芽が居たとして……ボクたちにできることがあるのか……つい考えていたんだ」
あら、そうですの――と普段の寿々花は答えただろう。しかし少なくとも現在は違う。彼女もまた真希と同じ気持ちだからだ。
「でも助けに行かない理由にはなりませんわよね、当然」
挑発的な口調にはどこか期待がこもっていた。
「ふ、まったくキミには敵わないよ、寿々花。ああ、そうだ。ボクたちはそれでも助けたい。それだけで理由なら十分だ。……多分、百鬼丸もそう言うだろうね」
「――不服ですが、まあそうでしょうね」寿々花は若干苦虫を噛み潰したような顔で応じる。
「では準備は宜しくて?」
片目でウィンクしながら寿々花がワインレッドのふんわりとした毛先を弄ぶ。
「ああ」と、真希は意志の強い眉の線を厳しく締める。
「―――じゃあ、行こうか」
2
一説には昭和十六年から工事が始まったという、『帝都地下坑道計画』
しかし規模や全容に関しての資料は現在、殆ど散逸してしまい、正確なことが分からない。
コンクリで上部半円が塗り固められた坑道の内部は、案外に広い。しかも思ったよりも通気性に優れているようで、時々、吹き抜ける冷たい一陣の風が頬に重なる髪を嬲る。
埃っぽい暗闇の奥はゼリー状の黒で蟠っているかのようだった。
赤煉瓦が整然と配列された左右の壁は硬貨一枚も挟む余地が無い。左手の指先でその壁をなぞりながら進む。……白昼の如き放光の軍用懐中電灯の威力は抜群のようだ。
「……思ったよりも、古びてないんだね」と、獅童真希が呟く。
七〇年以上も昔の構築物が現存している事実だけでも驚きであるが、それ以上に状態の美しさにも驚かされた。
「ええ、そうですわね……」
頷きながら此花寿々花は更に階段の終わり、平坦になった道に靴裏を踏ませる。
ピト、ピト、ピト、天井から漏水の滴りが「音」としてこの長く無限の暗闇を支配する。丸い光を上にやると、五~六メートルの高さから水が落ちる。
排水の為に壁の下部わずかな隙間に用水のような細い溝が走っていた。
不思議と鼓動が高く、緊張に全身の神経が皮膚を通して敏感なのだと訴えかける。
(妙、ですわね――)
と、寿々花は目を細める。
古地図によれば、ここはあくまで一つの入口に過ぎない。それは良い。問題は、いくら軍事機密の空間とはいえ、その当時に民間の人々が内部を理解する筈がないのは当然として――なぜ、この空間が戦後も秘匿され続けたのか? 理解ができなかった。しかも、占領軍ですらも「ここ」の存在を隠した。
……一体なぜ?
資料には兵器廠の存在も確認されていない。
「理解しかねますわね」
軽く左右に首を振る。考えても仕方のない事だ、そう自分を納得させた。
「なあ、寿々花」
背後から声がする。
「なんですの?」
「ボクたちは間違ったことはしてきてない筈だ……そう思ってきた。だからここにいるんだと……思う」
弱くなる語調で、真希はポツり独り言を吐く。
「どうされましたの? まさかここまできて、怖気ずいたとか?」
「いいや。……ただキミを付き合わせた事には罪悪感がある」
その言葉を聞いた寿々花は進ませていた足を止めて、急に踵を返す。
「真希さん!!」
「な、なんだい!?」
強烈な懐中電灯の白光が向けられ、目を瞑る。
「――わたくし達は、〝あの日〟から一蓮托生――そうではありませんでしたの?」
『ノロ』を、肉体に宿す。
それは、今後の人生においてどのような意味をもたらすか……そのデメリットを知らないで受けいれた訳ではない。まして、結芽と違って生死の問題とも関係ない。単純に「強くなる」ためだけに受け入れたのだ。
刀使という、少女期のみにしか活躍を許されない時間。さらにそこに『ノロ』を受け入れる。人生は刀使であるよりも「一般人」である事の方が長い。
例えそれでも、受け入れた。
守れるものが多くなるのならば、刀使以後の人生は余生だと…………自分でそう言い聞かせた。
寿々花の言う〝あの日〟とはノロを受け入れた日の事だ。
「〝もう引き返せない〟んだ。今更な事を言ったかな?」
肩を竦めて弱く微笑みかける真希。
眩い光を放つ懐中電灯を下に向け、俯いた寿々花は「ズルいですわ」と小さく聞こえないように、言った。
そして意を決したように再び頭を上げて真希を正面から見据える。
「――この先を三キロほどゆくと、恐らく大きなドーム状の空間に突き当たる筈ですわ」
真剣な眼差しでこの先の構造を教えた。暗に引き返すならば今のうちだ、と言っているのだ。
だが今の真希は不思議と精神の動揺がない。
「うん、わかった。じゃあこの先まで付き合ってくれるかい? ――寿々花」
と、手を差し伸べた。
自然と普段やっている仕草だった。こういう
しばらく差し出された手を見つめた寿々花は急に顔を真っ赤に染めて、下唇を強く噛んだ。
「ひ、卑怯ですわよ真希さん!?」
「……? なにがだい?」
「と、とにかく先を案内するのはわたくしの役目ですわ。それに真希さん一人では心許ないことですし……」
指先で髪を絡めながら、真希の手の上に自らの手を重ねる。
暫くその重ねられた手を眺めた真希だったが、
「――――じゃあ、行こうか」
と、威勢良く手を引いた。
「ええ、勿論」
優雅に寿々花が微笑を零す。
3
ふいに、
「――来たか」
ニエが、壁に凭れていた躰を引き剥がして腕組みを解く。
この独房のような八畳ほどの広さの空間に配置さた簡易ベッドと椅子。それ以外は裸の電球が吊られているのみである。殆ど殺風景な空間だった。
視線を巡らし、ニエは溜息をつく。
首を二三回、左右に傾け口を曲げた。癖である。
百鬼丸と見紛うばかりの外見をしたニエは、全てを純白に彩られていた。微かに放たれる光すらも眩い。
彼を遠くから覗っていた燕結芽は、おもむろに口を開く。
「……どーしたの、百鬼丸おにーさん」
口癖だった。少女は先程から間違いを指摘され続けたものの、外見が殆ど似ている為に意識しても間違えてしまうようだ。
ニエもまた、訂正することを面倒に思い「もうそれでいい」と一言で片付けた。
結芽の問いかけに顔を向けたニエは、
「侵入者だ。――お前を救いにきたんだろうな」
と、短く答えた。
「私を?」
結芽は固まっていた感情の一部が動き出すような感じがした。
驚いた様子の少女を無視してニエは続ける。
「正体までは分からんが、まあこんな特異な場所をわざわざ見つけたんだ。お前を救出する目的の連中以外に居ないだろうな」
結芽はその言葉と同時に
……無意識の行動だった。
その、動作を眺めていたニエは面白そうに笑いながら「いつでも逃げるなら逃げればいい。だがお前の命は、簡単に消える」
冷淡に告げながらニエは歩を進ませる。結芽との距離を縮め、腕の届く場所まできた。
固唾をのんで、見上げていた結芽は相手の力量――即ち、膨大なエネルギーに呆然としていた。
人……ではない。体外に放出されているオーラ。このような凶暴なまでのエネルギーは類例を知らない。恐らく折神紫ですら比肩できないであろう。
そのニエが腕を伸ばして、優しく結芽の頭を撫でた。
「お前はここにいるんだな……でないと、俺が殺すハメになる」
物騒な物言いとは異なり、囁かれた言葉の調子は優しく人を安心させるものだった。柔らかい微笑みが、さらに言葉の意味を似合わないものにしていた。
だから、思わず結芽も百鬼丸の面影を思い出し、
「……うん」
と、小さく頷いた。
自然と頬が微熱で赤らむ気がして、両手で顔を覆った。触れる頬の指先は確かに熱を感じた。心臓の鼓動は一拍分高鳴る。
「大人しくしていることだ」
背中を向けて、ニエは部屋を出た。
あれは、百鬼丸では決してない――頭では言い聞かせるも、本能が彼を百鬼丸だと認識していた。少女はあの不可思議な存在が何者か、知ることができなかった。
4
一気に空気の流れが変わった。それまでの通路独特の細長い一方方向の流れから、緩やかな空間に滞留してゆく、充満する感覚。
真希と寿々花は、懐中電灯で周囲を照らす。ドーム状になった屋根が高く一〇メートル以上はある。空間自体も目測だが、周囲三〇メートル以上の広さはあるだろう。足音が木霊するのも増幅され、音が反響する。
しかし、二人の少女の足は広い空間に入った瞬間に止まった。
「「――っ、ッ!?」」
喉の底から危うく悲鳴に近い声が漏れそうになるのを、理性で咄嗟に押さえ込んだ。
暗闇の奥、誰かの気配がした。
『汝ら、何者だ――?』
嗄れた渋い声がした。……涸れた井戸のような、水分の感じられない声音だった。
その相手は、のっそりと闇の中から蠢くようにして踵を返したのだろう。視線のようなものが二人に向けられた。
――と、ほぼ同時に壁沿いに配線された電線に繋がれた電球たちが点灯する。淡い光の輪が広がり、暗闇を仄明るく照らした。黄色っぽい光が粉っぽく大気を浸す。
「……他人に名前を尋ねるなら、ご自身から名乗られては?」
理性を回復させた寿々花は、敢えて語気を強く反駁した。
ようやくの抵抗、といった所だった。
(寿々花、相手の正体が分からないのに挑発的になるのは……)
と、耳元で真希が囁く。
目だけを動かして、寿々花は「いいえ、大丈夫ですわ」と否定する。
確かに通常の相手――それも、言語を理解する知性を有する敵に対して挑発をするのは悪手である。だが一方で、相手の敵対的な意思自体を寿々花は感じていなかった。
刀使としての経験上であるが、悪意や殺意には敏感になった。
だが相手の気配はどうやらそれらと違う。強いていえば、純粋な誰何という辺りであろう。
微かな光の外輪に触れた「何者か」は、僅かに姿を見せた。
……陽に焼けたような、赤褐色の肌に逞しい筋肉を内包した皮膚。浮き彫りになる青筋の血管。禿頭には刺青のような線が刻まれていた。それは胸板など躰の部位に見られる。
体長は二メートル近い。
腰蓑を巻きつけるばかりで、衣服の類は見受けられない。
しかし、彼の巨大な両手に握られた青龍刀を模した刀剣の身には橙のゼリー状の液体がこびりついていた。
……あれは間違いなく、ノロである。
その男は、寿々花の強気な返事に対して首を一度ひねった。
――それから。
「ふふふふ、あはははは……そうか。小生は永らくの間、刀使と会話したことがなかったのだな。ふはははは、そうか。小生には――名前などない。とうの昔に捨てた。しいて言えば――そうさな、番人とでも呼ぶがいい。それこそが相応しいだろう」
先程の声ではあるが、陽気とも思える言い方で豪快に笑う。
「どうして刀使だと分かりまして?」
頬に冷や汗を流しながら寿々花は、口角を無理やり上げて問う。
男は、白目だけの眼窩を向けた。
「貴殿らのような年頃の少女で、刀剣を持つのは刀使以外にいないであろう。それにその足運び、剣術を嗜み、また迅移を行う者特有の歩幅。……違うか?」
彼の分析は悉くが的中していた。
(――厄介な相手ですわね)
と、思わず内心で寿々花は舌を巻いた。これまでの敵と異なり、理知的で冷静な相手である。やりにくい、というのが正直な感想だった。
隣で両者のやりとりを見守っていた真希は、
「……何者なんだ、本当に」
警戒を怠らずに、敵の不思議な言動を怪訝に思った。