刀使ト修羅   作:ひのきの棒

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閑話休題 休日の一日 その2

 1

 早朝、道場の木床には窓格子から射す青い光が冷たく反射する。

 「すぅぅぅーーーっ、ふっーーーーーっぅう」

 鼻でしっかりと空気を吸い、口で吐き出す。いわゆる腹式呼吸であるが、ある程度のリラックス効果があるらしい。実際、日々の習慣にしてからというもの、頭が冴える気がした。

 「よぉしっ!」

 明るい声でばん、と両頬をつよく叩いて自らに喝を入れる。真っ赤に染まる位に力強くないと弛んでしまう気さえした。

 衛藤可奈美は日々の日課である朝の鍛錬を行っていた。

 サッ、と紺の袴の片膝を立て左側に置いた木刀の柄を素早く手に取る。木質の手触りがよく掌に馴染む。キリッと眉が厳しくなる。

 横に一薙ぎ、無駄なく斬り込んだ。空気を鋭く裂いた音が広々とした道場の空間に一瞬、響く。

 ……静寂。

 道場には人の気配は可奈美以外にない。

 甘栗色の髪と、左側に結んだ黒いリボンが微かに震える。薄く開いた瞼から琥珀色の瞳が迷いなく輝いた。

 

 

 剣術における最も重要視されるもの――「初太刀」

 

 これは、剣士であれば当然知っている摂理である。剣士の最も価値をおき、そして剣士としての生き様を示すための指標といっても過言ではない。

 剣術において、二の太刀以降は流派によって価値観やその他の捉え方が異なるものの、敵と対峙し最初に打ち込む剣を蔑ろにする流派は存在しえない。

 武士が未だ戦士であった頃からこの思想に変化はない。下って江戸期における剣術もまたこの思想を継承している。

 

 「はぁ~」

 可奈美は、急に表情を柔らかく肩から一気に力を抜いて全身の筋肉をリラックスさせる。少女は思うように理想の初太刀が決まらないことに悩んでいた。

 「う~ん、なんでだろう? もっとこう…………無意識から初動の腕の位置を変えた方がいいのかな?」

 困ったように眉を曲げて、立ち上がると両手で木刀を握り正眼に構える。

 ビュン、

 

 ビュン、

 

 ビュン、

 

 と、まるで鶺鴒の細いしなやかな尻尾を連想させる速度であった。

 次々に繰り出される木刀の刀身は機敏に素早く、まるで躰の一部のように自由自在に動く。可奈美のもう一つの腕とでも言える程のコントロール。

 

 しかし、可奈美は一旦真正面に木刀を戻して表情を曇らせる。

 「もっと、こう……一太刀ひと太刀がしっかり決まるためには……」

 一々、自身の足運びや重心位置を確認して不手際がなかったかを丹念に調べる。床をけるタイミング、足裏に感じられる僅かな上体の重量。

 幾千幾万ものイメージを練り上げながら可奈美は、常に変幻自在に身体が反応できるように頭と躰を一致させる努力を試みる。

 

 「うーん……」

 首を捻りながら、可奈美は動くにつれて薄く上気する赤味を帯びた頬に伝う汗を拭う。

 

 

 もっと強く高みを目指す為、剣を振るう。

 この力は大勢の人を守るのだと思うと自然と力が篭る。

 

 ――もっと、集中して。

 

 ――もっと、なめらかに手足を動かして。

 

 ――もっと、もっと。

 

 

 

 どれだけの時間が経過したのだろうか?

 

 不意に、

 『おーい、可奈美。いまいいか?』

 

 開けっ放しの道場の出入り口から少年の声がした。

 

 ――不意に聞こえた声音に可奈美はサッ、と首を回して確認を行う。

 

 

 「――?」驚きに目を見張り可奈美は、眉を開いた。「はぁ……はぁ、……百鬼丸さん!?」

 

 

 荒い息をつきながら垂れ流れる夥しい汗を手の甲で拭い、ひどく困惑した。可奈美の柔らかな下唇は、鮮やかな桃色に染まり艶かしい印象を受けた。

 無論、血の気がよく通っているに過ぎない。

 

 

 2

 「うむ、お疲れ様だな」

 百鬼丸はタオルとペットボトルのスポーツドリンクを渡した。

 裸足の百鬼丸は道場を闊歩しながら落ち着きなく歩き回っていた。

 

 可奈美は道場の壁際に背中を合わせて、

 「あ……えへへ、ありがとう」

 困ったように微笑を浮かべて、会釈するように頭を下げた。

 

 ――と、立ち止まった百鬼丸は、

 「いんや、それは舞衣に渡されたんだ」軽く否定した。

 

 

 

 

 「舞衣ちゃんに?」

 疑問に首を傾げる可奈美。落ち着いたようで壁から離れて床にひかれた白線の辺りまで歩く。

 

 

 「うん、可奈美を探している途中にちょうど舞衣に出会ってな。ほんで話したら納得したみたいで『可奈美ちゃんなら一番人の少ない道場じゃないかな?』って教えてくれながら、おれにタオルとドリンク渡して来たんだ。謎だな、謎……」

 

 

 「うーん、なんでだろう? 舞衣ちゃんはいつも朝の練習終わりに必ず待っててくれてるんだけど……あ、百鬼丸さんの用って何かな?」

 答えの出ない疑問は後で直接本人に聞くことにして、百鬼丸の用事を聞こうと話題を移した。

 

 ズカズカと少女に近づいた百鬼丸は腕組みして、

 「む。そうだ。今日は暇か? 用事とかないか?」

 と、直球で聞いた。

 

 「――予定……って、うん特に予定はないかな。大丈夫だけど何かあったのかな?」

 

 「む? む。薫に言われて可奈美に声をかけたんだ。なんでも食べ歩きとかするらしいぞ。詳しい内容は知らんがな。……別にイヤだった断っていいぞ」

 

 「――どうして? 全然嫌なんかじゃないよ!」

 くりっ、とした大きな瞳を燦めかせて否定した。と、思い出したように、

 

 「あ……今何時かな?」尋ねる。

 

 この道場には時計がない。

 

 

 「うむ? 九時十五分とかじゃないか?」 

 

 「えっ!? うそ、もう九時過ぎてるの――」

 愕然とした様子で可奈美は、百鬼丸の顔を見返す。体感としては三〇分くらいだと思っていたのだ。

 

 肩を竦めて、

「つーか可奈美は何時からここに居るんだ?」

 百鬼丸は訊ねた。本心から呆れている。

 

 下唇の辺りに人差し指を当て、

 「う~んと、起きたのが四時くらいで……そこから準備してすぐに練習をしてたから……」 

 目線をさまよわせる。

 

 「待て、待て待て。なんでそんな早起きなんだ」

 

 「えっ? だって休日だから思いっきり剣術の鍛錬ができると想うとワクワクしてつい……エヘヘ」

 恥ずかしそうに、もじもじとしながら可奈美は両手の指をこすり合わせる。

 

 

 「……マジか。流石だなおれの剣術の師匠は。改めて尊敬するぜ」

 百鬼丸ですらも、若干引き気味で賞賛する。

 

 「いやいや。そうじゃねーや、おれはともかく可奈美はしっかり寝ないと任務に影響あるだろうから寝るんだぞ。いいな?」

 百鬼丸は珍しく他人を気遣う言動を見せた。

 

 「え……百鬼丸さんどうしたの? 急に心配してくれるのは嬉しいけど……」

 急な変化に戸惑ってしまい可奈美は、まったく少年の意図を掴めなかった。

 

 「うむ、可奈美は昔山で暮らしていた頃の山犬に似てて放っておけんのだ。無理をすれば必ず躰を壊す……動物も人も同じなんだぞ」

 百鬼丸は真剣な眼差しで、咎める。

 

 「あはは……ありがとう。でも百鬼丸さんから見ると私も犬みたいってことかな?」

 若干の立腹によって膨らませた頬で疑問を口にする。

 

 片眉をピクと上げた少年は、「――いんや、似てるけどそうは思ってないぞ。ただ最近はおれも〝人間としっかり向き合う〟ことを大切にしようと心がけてるんだ。言い方が悪ければスマン。しかし、どうだ偉いだろう、人を心配することができるんだぞ」

 百鬼丸はえっへん、といった偉そうな感じで胸を張って自慢する。

 

 

 「ワーイ、ウレシイナー(棒読み)」

 氷のように冷たく無表情に可奈美が呟く。

 

 「なんつー顔してんだ、全然嬉しそうじゃねーぞオイ」

ジト目でツッコむ。

 

 ふっ、と表情を緩めた可奈美は、

 「ふふっ。その、――えへへゴメンね。うん、百鬼丸さんありがとう、気持ちだけでも嬉しいよ。本当にすっっっごく!!」

 今度は咲き誇る盛夏の向日葵みたいな、華やかな笑顔で、返事をした。

 

 

 「お、おう……」

 眩しい、と素直に百鬼丸は思った。他意のない素直な言葉と満面の笑みは、正面から向けられたことが余りない為、どうしたらいいのか困ってしまう百鬼丸だった。

 

 後ろで束ねた黒髪を触り、後頭部を掻きながら百鬼丸は居心地悪そうに頭を可奈美から逸らした。――

 

 

 「あっ、あとで舞衣ちゃんにもお礼いわないと……」

 冷えたペットボトルを握りながら可奈美がいう。キャップを取ると、ごくごくと勢いよく飲む。運動によって失われた水分を補給する。

 

 チラッ、と百鬼丸は横目で利発な少女の様子を窺う。

 

 ――汗で湯気だった可奈美の首筋には汗が溢れ、白い道着の襟は大きく開き、細い鎖骨の辺りまで流れていた。白く可憐な喉の辺りは水音で潤されていた。

 

 「ん?」

 じーっ、と見ていた百鬼丸の視線に気がついた可奈美は、首にかけたタオルで汗を拭き取りながら、きゅぽっという可愛らしい音をたてボトルから口を離して、百鬼丸に差し出す。

 「――もしかして、百鬼丸さんも喉渇いてた?」

 唇の上に白い光の珠の尾が曳かれて小さく輝き弾ける。

 

 ボーッ、と少女を眺めながら百鬼丸は適当に相槌をうつ。

 「む? ……むむ、別に喉は渇いてないが……ちょびっと頂くか」

 と、百鬼丸はヒョイッと渡されたボトルを掴んで一口飲んだ。

 

 「はいよご馳走さん。うまかった」

 百鬼丸は言いながらボトルを返した。それを受け取りながら可奈美は、

 

 「そうえば、百鬼丸さんはなんで私の方みてたのかな?」曇りのない顔で言う。

 

 「そりゃあ、うまそうにグビグビ飲むからなぁ。あと、その唇なんか塗ってんのか?」

 

 「――え? ううん全然。でもどうして?」

 もう一度ボトルの飲み口に唇を当てようとする途中だった。

 

 「ああ、なんか色が綺麗だからな」

 

 ピョコッ、と可奈美の結んだ小さな髪が跳ねた気がした。

 

 

 「――――……。」

 可奈美は改めて、ペットボトルの飲み口と百鬼丸の顔を交互に見る。

 

 「む? そんなにイイ男だったか? あはは、ようやく気が付くとはお主やるな」

 普段通りの冗談をいいながらガハハと豪快に笑う百鬼丸。

 

 「え~っと、百鬼丸さん」

 

 「なんじゃ?」

 

 「それって……あの、どういう意味かな?」

 

 「ああ。だから可奈美の唇がいい色だって言ったんだぞ」

 

 「ええっ!?」と、素頓狂な声をあげながら可奈美は気恥ずかしさからか、急速に壁際ギリギリまで後退して、汗を拭いていたタオルで自らの口元を隠す。

 自然、少女の顔中が火照ってあつい。

 

 「――? む、なんで褒めたのにそんな反応なんじゃい」

 

 「えーっと、あはは……」

 歯切れ悪く可奈美が眉を八の字に曲げて、必死に口元を隠していた。素早く目線を百鬼丸から逃がしてゆく。……なんだか、彼女の呼気が短い。

 

 「――!?」

 漢百鬼丸、ここで脳髄に電流が走るッッッ!!!

 

 そう、以前……平城の刀使である六角清香に教えられたことが甦ったのである!

 

 『いいですか、百鬼丸さん。女の子は誰でも一回は壁ドンされたいんですっ!』

 

 『カツ丼? なに卵でとじられたいの?』

 

 『んもう、馬鹿ですか! 壁ドンですっ、壁ドン』

 

 『だから知ってるよカツ丼だろ。あれうまいよな』

 

 『…………いいですか、女の子が何か言いたげでモジモジしている場面なんかに有効なんです! 壁際まで追い込んでドン、って感じで躰を近づけて片手で壁を叩いて言葉を囁くんですよっ! あ、でも誰にでもやったらダメですよ? ――そうですね。試しに私にやっても……』

 

 

 (これか!?)←※絶対に違います。

 

 なんやかんやで、百鬼丸くんの脳みそから最適解がはじき出された瞬間であった! まさにコロンブスの卵、コペルニクス的転回である! 

 

 

 「えーっと、可奈美」

 

 「は、はいっ?」

 上ずった声で可奈美が返事をする。

 

 一歩、一歩と床板を踏みしめて可奈美との距離を縮める百鬼丸。可奈美は慌てて、逃げ出そうとしたが普段の冷静な思考回路ではないために、足踏みで時間を潰してしまい結局退路を失っていた。

 

 ドン!!

 

 と、超至近距離まで間を詰めて百鬼丸が腕を伸ばし背後の壁を掌で叩く。

 驚きと若干の期待の眼差しで、琥珀色の美しい瞳が上を向く。

 

 (しまった、なんか言葉いうんだっけ? え~っと、なんだっけ? 思ったことを言えばいいんだな? ははん、おれはさしずめ天才の部類だな。ええっと……)

 

 「可奈美……」

 

 「あの百鬼丸さん……そんなに近づかれると――私ほら、今汗臭いし……」

 うなじから汗の透明な雫が一筋流れた。

 

 「うぬ? 汗臭い? クンクン……いいや、臭くないな。いい牝の匂いがするぞ。あ、人間の牝は女だったかな? まあ、いい。いい匂いだゾ☆」

 ウィンクして太鼓判を押すアホ(百鬼丸)。

 

 はわわわわ……と、可奈美は訳のわからぬ声を出す。口を撓んだ縄みたいにして、目も渦巻き状にグルグルしていた。

 

 「可奈美――おれと」

 

 「う、うん……」

 俯き加減に頷く。甘栗色の前髪が目元を隠して、容易に表情が覗えない。

 

 百鬼丸はさらに、清香の言葉を思い出す。

 

 (ええっと、確か……うむ、そうか)

 

 背中を丸めて、可奈美の耳元へ口元を寄せて、息を吸った。ビクッと少女は一瞬だけ躰を硬直させたが――最終的には、決意したように目をつぶってしまった。

 

 「おれとパンケーキ? 食べない?」

 

 「……あの、えっと……今はまだあの――えっ?」

 

 「ん?」

 

 「「えっ!?」」

 

 両者は同時に驚きを口から洩らす。

 

 未だ、よく事情を理解していない可奈美が上目遣いに「どういうこと?」と言いたげな視線を送る。

 

 それに答えるように、

 「おれ〝たち〟とパンケーキ食べない?」もう一度念押しのように百鬼丸が告げる。

 

 

 「ふぅ、どうかな?」

 ひと仕事終えた感じでドヤ顔気味に百鬼丸は鼻高らかにいう。

 

 

 「~~~~~っさんの……」

 「なんじゃい、モゴモゴ言ってて聞こえんぞ」

 

 

 『百鬼丸さんのばかーーーーーーッっ!!』

 

 怒鳴るように滅茶苦茶でかい声で可奈美は右のアッパーを百鬼丸の顎にかます。ブゥオンという衝撃音と共に百鬼丸は「グヘェ」と呻き、宙を舞って華麗に地面に叩きつけられた。

 

 

 「百鬼丸さんのばか、ばかバカ!」

 目端に涙を浮かべて出入り口に走り出していた。…………

 

 ピクピク、と痙攣して口から泡を吹いた百鬼丸はしばらくノックアウトされていた。――彼の中で今更のように、数分前に薫からの忠告を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 『なあおい百鬼丸。今さっき普段のメンバーに連絡を送ったんだが可奈美だけ連絡きてないんだ。可奈美は多分道場だからお前が呼びに行ってくれ。アイツ多分道場だと携帯端末もって行ってねーだろうからな』

 

 『おう任せろ!』

 

 『……大丈夫か? まあいいか。オレは一応色々準備するからあとで合流だ。……いいか、お前は適当に誘うだけでいいんだからな? 絶対にアホみたいな余計なことすんなよ? わかったか? 絶対だぞ?』

 

 『おいおい、任せてくれよ薫ちゃん。おれに不可能はないぜ!』

 

 

 『うっわーー、絶対にコイツしくじるだろ。本当に信用していいんだよな?』

 

 『任せろーー』

 

 

 任せろ、任せろ、任せろ…………連続で聞こえる声。百鬼丸は自分自身の自信満々な言葉が耳奥にエコーで聞こえていたのだ!

 

 

 全然ダメじゃん、おれ!!

 

 百鬼丸は薄れゆく意識の中からセルフで突っ込みをいれた。それと同時にガクッ、と首を垂れて意識不明となった。

 




まったく関係ないんですが、ネット小説を書く人読む人は音楽とか聞くんですかね? 何となくの疑問です!深い意味とかないですよー。
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